twitter: kaerusan
つぶやく「ラジオ 沼」: radio_numa
■話したり歌ったり
8/21(土)目に見えるラジオ連@グッゲンハイム邸
8/29(日)Ett, かえる目@カフェ・パルル(名古屋)
8.30(月)popo, チコリーナ, かえる目@urbanguild(京都)
ライブ情報は、かえる目ホームへ。
2010.3.22「音遊びの会」にて。
「永遠野球」中継中の細馬+中尾。
撮影:松尾宇人さん
朝いちで京都を出て彦根へ。会議。
午後、アニメーション本の原稿を一つ仕上げる。『蒸気船ウィリー』をひたすら分析するという内容で、30枚くらい。ひたすら、といっても、ただ最初から一コマずつやっていても仕方がないので、問いのエッジをきかせつつ。
8/19の京都新聞『現代のことば』に、3D映像のことについて寄稿した。遠方の方は読めないことも多かろうと思うので、こちらに原稿を載せておきます。「迫る3D、誘う3D」
urbanguildで、チコリーナ、popo、かえる目。
前からpopoとやりたいと思っていた「マンガ都市」を共演する。今日はちょっと、バンドでギターを弾くときのコツがいくつか判った(いまごろ)。
名古屋へ。カフェ・パルルにて、Ettとかえる目の「美しきとんかつの日」。Ettの歌は毅然としていていいなあ。最後に、とんかつの出てくる歌を共演する。飯島さんの企画は集客から打ち上げにいたるまでパーフェクトだった。午後のライブだったので、飲み始めたのが6時過ぎで、なんだか夜中前から記憶がない。あとで聞いたところでは、周囲が止めるのも聞かず賑わしく歌って、周囲の客が完全に引いていたのだという。
アニメーション本の原稿を書く。なぎ食堂にて昼飯。原美術館「BLANK MUSEUM」、東野さんの踊りが始まったところ。山川冬樹+伊藤篤、屋上で光るオプトロンの向こうに飛行機の光。
飴屋法水たち『馬』。燃える人はうずくまる、テルミン奏者は目隠しをされている。限定された視覚。通常の劇では、出演者が劇を把握しており、見る者はそれを知らされていく。出演者のほうが「目がきいている」感じがするものだ。しかし、この劇ではなぜか、出演者の視覚が、見る者よりも限定されており、見る者のほうが「目がきいている」感じがする。むしろ取り囲んでみているほうが事態を把握しており、出演者のほうが限定された視覚の中で模索している感じがする。出演者のほうが「生きている」。限られた記憶を活かしている。
彦根に帰るべく品川を急ぐ。線路の向こうに立ち並ぶビルのあたりも昔は海岸だった。もちろん、ぼくはその当時のことを知らない。しかし、その記憶があるような気がする。「知らないこともおぼえているよ」とはこういうことだったか。
HCSとVNVの合同研究会。葛岡さんの試行錯誤がおもしろい。ぼくは介護者どうしのインタラクションについて発表。そのあと、懇親会。
午前中、合宿の続き。午後、軽井沢から東京へ。NTT出版の神部さんにお会いする。かえる目をご存じという珍しい編集者の方である。本を企画したいのは山々だが、いま抱えているものをなんとかせぬうちはお約束もできない。「ひとつ長い目で」とお話する。夜中近く、もう一度と新宿でトイストーリー3を見る。アニメーション本の原稿を書く。
軽井沢にて坊農さん主催のグランドチャレンジ合宿。
非常勤講師の相談。先方とのスケジュールがなかなか合わず、難しそう。会議。
串間努さんより「旅と趣味」の最新号をいただく。なんと、貼り込みのある手の込んだ雑誌で、伊藤喜久雄「旅と趣味」を彷彿とさせる作りで驚いた。絵はがきについての論考が巻頭に掲載されていたので、メールでお返事をさし上げる。ここにも同じ論考を挙げておこう。
これは、串間さんのご指摘通り、あやしい説だと思います。おそらく話の出所のひとつは山本笑月の「明治世相百話」ではないでしょうか。
本当に死者が出たなら間違いなく新聞記事に出たはずだと思ってわたしも『絵はがきの時代』を書いた頃にずいぶん当時の新聞記事を探しましたが、いちばん可能性のある明治38-39年の陸軍凱旋式記念絵葉書発行前後の記事を何紙か繰っても、死者が出たという話は見あたりませんでした(「死物狂ひ」というフレーズは東京朝日にありましたが)。山本笑月は当時から絵葉書雑誌に小文を寄せている人なので、リアルタイムでこの流行を体験した人なのですが、話を大きく書きすぎたのかもしれませんね。ちなみに拙著『絵はがきの時代』の第一章や最終章に日露戦争当時の話を取り上げてますが、死者説には触れず、あくまで当時の新聞・雑誌記事で確認できた話に終始しました。言い訳めきますが、見逃しの可能性もゼロではないので、あるともないとも書かなかった次第です。
これもごもっともな指摘だと思います。日露戦争と一口に言っても、実際には明治37年から38年、さらには翌年の凱旋式まで日露戦争の影響が続くわけですから、その二年ほどの間、変化が平坦だったとは考えにくいと思います。
私の手元に、大正二年の逓信省管理局長の談話をおさめた記事があります。ここに詳しい数字があがっているので、ちょっとご紹介します。
絵葉書の今昔
東京逓信省管理局長棟居喜久馬氏は五日午後五時より報知新聞社楼上の絵葉書陳列会閉会式に列して有益なる訓話を与へて曰く
絵葉書の発行は明治三三年九月の郵便法実施の日より始まりその流行は三五年六月逓信省が萬国郵便連合廿五年記念会に発行したのが始であつた当時のはむろん幼稚な物であつたが夫(それ)が動機になつて三六年には東京市内の絵葉書取扱数が五百五十七萬六千に達し三七年には六百七十六萬に及び三八年には三六年の三倍なる千四百五十五萬に及んで実に流行の高潮に達した、当時の流行の有様は千枚の葉書中百四十四枚の絵葉書があつた事でも推察せられる三九年から四十一年迄は千三百台を上下して最高潮の三一年(注:ママ。三八年の間違いか)稍(やや)減退の趣があつた処が昨四十四年は一躍又千七百台に上つて葉書千枚中の百五十三枚は絵葉書という形成になつた、是は一般通信力の発達にも依るが一つには世間の嗜好が絵葉書に移つたことを示す者だ併し彼の三六年の高潮時代には美術的の意匠を込めた愛玩品が多かつたが近来では風景画が多くなつて同時に葉書の文句も簡便で只『健康を祝す』と云つた風な文句だけが書いてある様になつた(後略)
日本絵葉書月報第五巻第一号(日本絵葉書卸業組合/大正二年一月五日発行)
この記事から、遅くとも明治三十六年にはかなりの枚数が流通しており、三十八年に一挙に前年の二倍となっていることがわかります。日露戦争以前から流行はあったが、三十七年にはさらに増え、三十八年でジャンプアップした、といったところかと思います。
私見ですが、明治三十九年からの絵はがき流行は、単なる絵はがきというよりも、記念スタンプや紀念切手とセットになった「記念絵はがき」の流行が増え、絵はがきの流行は「記念」へと質的に変化したのではないかと考えています。このあたりについては『戦争とメディア』という雑誌に以前寄稿しました。
これは私見ですが、当時、美人といっても、プロの「芸者」と素人とでは、ずいぶん意味が違ったのではないでしょうか。ミス学習院がおとがめを受けたのは、男が美女に関心を抱くのがけしからんというよりも、「しろうとの」うら若き乙女がそういう対象になるのがけしからん、というニュアンスかなと思います。逆に言えば、時事新報の美人コンテストは、芸妓ではなく一般女性を対象とした点で、そうとう衝撃的だったのではないかと推察します。このあたりの機微については、井上章一さんが「美人コンテスト100年史」で詳しく論じていたと思います。
これは、きちんと考えてこなかった問題で、虚を突かれた思いです。
いわゆる美人絵葉書には、芸者のものがずいぶんありますので、先の「しろうと/芸者」問題も考慮に入れるべきかもしれません。また、日章旗を掲げたりハチマキをしめたり看護婦姿になったりと、戦争に似つかわしいデザインも見受けられます。どんな絵はがきが実際に慰問袋に入れられたのか、調べてみる必要がありそうですね。(後略)
午後、京都でシカゴ社会学研究会。吉村さんの発表を聞く。
いつも水やりしている朝顔にカメムシ君たちが群れて口をさしている。カメムシも水不足なのかしらん。
posted at 11:03:53
京都の古い酒屋に入ると懐かしい匂い。あ、これ、野球盤の匂いだ。
posted at 15:27:52
暑さにうなされつつ、結局起きたら11時だった。午後、喫茶店に避難して原稿を推敲する。ちょっとガケ書房によって、かいのがしていたマンガをいろいろ買う。夕方、彦根に戻る。ひつじ原稿第三章を書く。ジェスチャーの時間構造について。あいかわらず事例選びが難しい。
amazonに以下のようなレヴューを書いた。
写真には写ってしまう。写しただけで。けれど、漫画には顕れない。描かねば。そしてこの漫画はすべて、描かれたものだ。
かつて作者の『五万節』を初めて読んだとき、そこまで描くのか、と何度も見開きに見入った。そして、この作品では全く違う意味で、そこまで描くのかと圧倒された。冷蔵庫に貼られた収集カレンダー、台所の床に並んだ空き瓶、番組表、内用薬の袋、広場の目地、スロープのある階段の手摺、隅々にまで筆が入って「描かれて」いる。たとえば読者は、かつて使われていた灰皿が「いわしの味噌煮」の缶詰であり、広場の駐禁は「タクシーの客待ちを除く」ことを知る。描かれているからだ。それらは物語と直接の関係はない。けれど、関係のない些細な場所まで筆は届いている。この作品のページを何度も開くのは辛い。けれど開くと見入ってしまう。どんな小さなものにも、描かれた時間があり、そこには鎮魂の時間が流れている。これはまぎれもなく、漫画の時間だ。
旧グッゲンハイム邸で、「目に見えるラジオ」。今回は青木さやかちゃんと西崎美津子さんがゲスト。このシリーズは二回めだが、オープニングもジングルもすべて生演奏。なかなかおもしろい試みだと思う。仕掛け人のみやけをしんいちくんはどうやら今後も続ける気まんまんの模様。
彦根行きの最終に飛び乗ったつもりが、乗換駅を間違えて間に合わなくなってしまった。仕方なく酷暑の京都宿泊。
ひつじ原稿の最初の部分を送る。
ラジオ 沼 extra 「渡辺直己の日記と歌」
途中からしか吹き込めませんでした。いずれ文章にしてまとめようと思います。
渡辺直己全集を取り寄せる。陣中日記を読み耽る。夕方会議。さらにひつじ原稿。
昼に会議。ひつじ原稿。マクニールの分類を見直して、せっかくだから映像的、暗喩的、直示、ビートの典型例を載せようと思い、手元のデータを見るのだが、どうも典型例というのは難しい。まじりっけなしのきれいなジェスチャーというのはほんのわずかで、見ようによってはどれか複数に当てはまってしまうのがほとんど。いつもは操作的に分類することしか考えてないのだが、これぞひな形というのを探そうとするとけっこう時間がかかる。結局、一カテゴリー一ジェスチャー単位という美しいデータはあきらめて、断片をとることにする。
妹が遊びに来る。生糸会館の展示はなかなかおもしろかったようだ。浮田要三さんともいろいろお話したのだという。
妹と2人でiPadをいじっていて気がついたのだが、ほとんどの描画ソフトでは、二本以上の指で触ると別の機能が作動してしまう。(なかで、「こくばん」というソフトは、何本指で触っても絵が描けた)。複数の人が一つの画面を触る、ということを想定したソフトは意外に少ないのだな。
実家からの帰り、ビッグカメラによってiPad用のケースを物色する。どうも大仰なものが多い。結局安い保護シートを買って、いつものように封筒に入れることにした。
電車の中で単行本用の図版を描く。まず、QuickTime Playerで画像をプレヴューにキャプチャして保存。これをiPhotoに入れる。iPadに転送し、Adobe Ideaでトレースする。これを再びMacに転送し、必要があればOmniGraffleで矢印や図形を補足する。この方法だと、ベクトルベースのまま画像を作ることができるので、あとでサイズ変更が利く。
段取りが多いのが難点だが、iPadだとトレースがとても楽なので、トータルでは作業が速くなる。電車に乗っている間に8枚ほど描けた。
iPadは、どうもパソコンとのやりとりに制限があって不自由だ。Ideaのデータにいたっては、母艦であるMacBookとのやりとりでさえ、メールを必要とする。単純にHDの中身を見ることができればいいのに。
ラジオ 沼 extra 「服部良一の国民歌謡『祖国の柱』のこと」
実家に。以前から気になっていた、亡き祖父がよく唄っていたという服部良一の歌がどんな歌なのか両親に聞いてみる。幸い、祖父の五十回忌のときに叔父たちが歌っているビデオが出てきた。メロディと歌詞を書き取る。その他いろいろ、family talk。
内田樹×石川康宏『若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)』(かもがわ出版)を読んでいたら、いいオッサンなのにマルクスが読みたくなったのである。それで、キンドルで「共産党宣言」の英語版を読む。おもしろい。
「プロレタリアは、革命において鉄鎖のほか失うべき何ものをももたない。かれらは世界を獲得しなければならない。」岩波の旧版では、語尾が「ない」で揃えられて、「プロレタリア」と「かれら」が対比されてる。英語ではこうだ。「The proletarians have nothing to lose but their chains. They have a world to win. 」 haveの対比がぐっと来る。「鉄鎖の他持たぬ。が、持つべき世界がある」
ドイツ語ではどうか。「Die Proletarier haben nichts in ihr zu verlieren als ihre Ketten. Sie haben eine Welt zu gewinnen.」こちらもhabenの対が生きている。英語で読んでも日本語で読んでもドイツ語で読んでも文体に熱がある。
『共産党宣言』の中で、コミュニストは、各国に分断された労働者をつなぐ存在として定義された。言語の壁を越えるのは、だから、コミュニストの目標だった。「万国の」労働者よ団結せよ、は、ただの妄言ではなく、ほんとに「万国の」だった。『共産党宣言』を読み、そうだ自分はコミュニストだ、言語によって分断された労働者と団結せねばならぬと思う。そういう人にとってこの本は「わたしを翻訳せよ」と言っているように見えた。団結する相手を求めた熱が、どんどん各国語に訳された。
告げたい相手がいるから相手に伝わることばを使う。ことばを学ぶってそういうことじゃないのか。
わあ、ラジオから at homeが聞こえる >KBS京都ラジオ。石橋さんアナウンスサンクス。
posted at 21:31:42
Seven godsにあわせて水木サンが椰子の木を描いている
posted at 21:53:00
告げたい相手がいるから相手に伝わることばを使う。ことばを学ぶってそういうことじゃないのか。
posted at 22:27:44
あることばを学ぼうと思ったが、そのことばを使って告げたい相手がいないので、とりあえずみんなでそのことばを使うことにする。どうも違う気がする。
posted at 22:29:46
ある大学院生がこの夏、国際学会のサマースクールに行っていちばん収穫だったのは、参加者と話して「この人たちに読んでもらいたいと思った」ことだという。
posted at 22:31:15
読んでもらいたい相手がいるから英語で書く、ということは、博士論文の通過基準を満たすために英語で書く、よりもずっと強いきっかけになると思う。
posted at 22:33:31
引き続き原稿。
Ett+かえる目@パルル 8/29 のチラシが届く。なんと裏は折り紙。そして双子の中尾勘二かえるが折れるのである!
posted at 11:00:21
Ett+かえる目、ひとつのちらしで二匹の勘二。 http://twitpic.com/2e6af1
posted at 11:59:00
なんとタマリンの認知で(というか動物の認知研究で)有名なハウザーの研究に疑念が。うーん。 http://bit.ly/cIhcdA
posted at 17:44:57
エイトマン第一話を何十年かぶりに見直す。最初の10分間、限られた作画によってエイトマンの誕生と能力をわくわくさせながら描く心意気、とりわけ音効さんと萩原哲晶の音楽のすさまじさを思い知る。主題歌のアレンジはもちろんすばらしい。
posted at 18:33:06
子供の頃に最初にしびれたのが、エイトマンとクレージーキャッツで、それが同じ音楽家なんだもんなあ。
posted at 18:33:52
エイトマンのハードボイルド感覚な台詞。「ぼくはでんでんむしのしかけたわなにかかったのだ」。
posted at 18:38:14
このところノンアルコールビールをよく飲むのだが、不思議なことにまったく酔わない。
posted at 23:22:19
新しいものを一から産み出そうとするときの野蛮さがエイトマン第一話の前半にはある。主題歌冒頭のトランペットの切り裂くような音列と同じ、クレージーな野蛮さ。
posted at 23:31:05
ようやく夏休み。まずはジェスチャー本の原稿から手を付ける。今月から、毎月一章ずつ書くという約束なのである。調べて書いて調べて。
午前中、京都新聞へ。連載の写真を撮る。
VISU研究会。秋谷さんとわたしの発表。
結局徹夜でなんとか原稿を出す。
一回生のゼミ。これで、夏休み前のゼミは終わり。
京大で身振り研。安井さんのデータ。思いつきを山ほどしゃべる。
彦根に戻って今月後半の研究会の原稿。
「電子書籍の練習問題」というのを考えてみる。電子書籍を考え直すための自分への宿題も兼ねて。
(1)ページが固定されていない電子書籍が教科書になったときに学校の教室で何が起こりうるか列挙しなさい。
(2)教師が「教科書の20pを開けて」と言う場合と「教科書の12469文字目を開けて」と言う場合とで、教師と生徒はそれぞれ何を共有し、何を共有していないか比較しなさい。
(3)教師が「前のページに戻って」という言うとき、教師は生徒に何を見せようとしているかを想像してみなさい。また、この言い回しは、ページが固定されていない電子書籍ではどう言い換えうるかを考えなさい。
(4)ページが固定されていない電子書籍で輪読会を開く場合を通常の書籍の場合と比べ、それぞれの長所と短所をあげなさい。
(5)一度電子書籍で読み終えた小説に含まれるフレーズをひとつ思い出し、その部分を探しなさい。この作業が通常の書籍の場合とどう異なるかを記述しなさい。
(6)漱石の「こころ」で、主人公が先生から受け取る手紙は「縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のもの」である。この手紙が電子書籍だったと想定し、主人公が手紙を受け取ってから本文を汽車の中で読むまでの描写を書き換えなさい。
(7)モニタ上でスクロールすることと巻物を読むこととでは何が異なるか列挙しなさい。
(8)電子書籍で鳥獣戯画を鑑賞する場合、従来の書籍で鑑賞する場合、巻物で鑑賞する場合について、それぞれの感覚の違いを明らかにしなさい。ただし、解像度と処理速度はあらゆる操作に十分であると仮定する。
品薄とウワサのがりがり君がコンビニにあるのを確認し、フリスクを買って帰る。
posted at 02:17:01
amazonの洋書版紹介に「ジミー・コリガンは、巨大なビルの屋上で・・・」とある。確かにbuildingではある。でも、あれは「ビル」じゃなくて「パヴィリオン」なんだよ。
posted at 22:21:01
こういう本を見ると、19世紀にはキルヒャーと科学が直結してたんだなと思う。この本の図版は全部すばらしいです。Acousticの章とか、イマジネーションわきまくるなあ。http://bit.ly/axKIks
posted at 23:52:27
京都新聞に原稿。昨日のトイストーリー3について。
Ettの渓さんが次回のEtt+かえる目ライブ(8/29)のマンガを描いてるのですが、新曲のキーワード「輪唱」が入っている。偶然以上のなんかある!http://www.parlwr.net/2010/08/post-4338.html
posted at 01:24:02
ジミー・コリガン読者に出会う確率そのものが低いのだけれど、「マイブリッジの馬がこんなにせつないなんて!」てな感想を交わし合いたいなあ。ちょっと落丁を直しました。「ジミー・コリガンの余白に」。http://bit.ly/ay2qCl
posted at 02:23:01
久しぶりにデイケア、グループホーム訪問。またいろいろ発見があった。夕方、暑い西日の中、車椅子を押して散歩。103歳の方もおられる。住民登録上のヴァーチャルな高齢者が問題になっているが、目の前にいる人とのつきあい方のほうが気になる。
一面の田んぼ。カモに麩をやって、その田んぼをひとめぐりして戻ってくる。
ホームの中はゆるやかに空調が効いている。みなさん、一日そこにおられる。散歩は、一日の中に差し込まれた暑い陽射し。
帰りに、職員の方が打ち水をされていて、ぐっと涼しくなった。
『トイストーリー3』を観る。すばらしかった。3Dをほどこしてこれほど失うものがない映画は珍しい。事前に上映された『デイ&ナイト』のステレオ効果もすばらしかった。フレームは生きている!遮蔽と面。
ジミー・コリガン日本語版が完結したのに刺激を受け、2002年ごろに書いてからずいぶん塩漬けになっていたファイルを取り出して、作ってみました。「ジミー・コリガンの余白に」。PDFファイルです。どうぞ。
http://12kai.com/marginal_note_for_jimmy.pdf
一回生の実習とゼミをダブルブッキングしてしもうた。みなさん、すみません。一回生のみなさんは無事盆踊りに参加したとのこと。
そろそろ時差ぼけが治ってもよいころなのだが、まだ昼間にとんでもない眠気に襲われて机に突っ伏していることがある。
久しぶりに院生ゼミ。会議。今週はこれからゼミや調査やオープンキャンパス。
アニメーション原稿を書くにあたって、ずっと放置していたジミー・コリガン副読本を手直しする。2002年に書いたもので、ずいぶんあちこち綻びているが、あまり放っておくと出さないで終わりそうな気もするので。
大学に行き、たまっていた書類をあれこれ片付ける。冷蔵庫が壊れていた。猛暑のせいか。
機内で『アリス・イン・ワンダーランド』を2Dで観る。さほど悪くない。やはり3D化に問題があったのだろう。夕方、中部国際空港に。さすがにぐったり。