The Beach : May 2007


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20070531

カフェイン中毒者の末路

 朝からゼミ続き。ダメ押しに四コマめの統計学で、熱でもあるのではないかと思うほどフラフラする。いかんいかん。正規分布の平均値から1SD離れたところに34%・・・などという話は、もうお経のように唱えることができるから、もうろうとしていても言葉はつるつる出てくるものの、さすがにこれはバテ気味だ。恐ろしいことに、来週から木曜は五コマ連続になる。はたして体が持つだろうか・・・。
 と、ふと、朝から珈琲を飲んでいなかったことに気づき、質問にきた和田くんに珈琲を入れてもらうと、ようやくしゃきっとする。カフェインの威力は偉大だ。

 昔、ナショナル・ジオグラフィックのカフェイン特集で読んだのだが、カフェイン中毒者の能率は、カフェインを飲むことで人並み以上になるのではなく、カフェインを飲むことでようやく人並みになるらしい。つまり、カフェインを摂取しない中毒者は、使い物にならない、ということだ。

 カフェインを摂取したせいか、一日中頭を使ってその慣性が止まらないせいか、夜遅くなってもしばらくあれこれ考えが止まらず、「便便はかき」二号を作ってしまう。作成から投函まで数時間ほど。
 海外に郵便はがきで出すときは、上に「postcard」と書き、赤字で「par avion」と添える。切手代は70円。こういう基礎的なことも、自分で出さないとなかなか覚えないものだ。

 雲の向こうにかすかな月の気配。6月の「日常露天掘り」第一日目を録音する。

20070530

語りの骨

 大学院の講義で、洞窟について語る場面を見てもらい、ノーヒントで「いったいこれは何について語っているのか」を尋ねてみた。出てきた答えは「屋根裏部屋」「凝ったプール」「刑務所からの脱出ルート」「生活動線がうまくいってない狭小空間」。なかなかいい線を行っている。
 その場の相互作用から人はいかに社会構造を推測するかを考える実習として、この試みはいろいろ応用が利きそうだ。背景知識なしで推測すると、その場の構造の骨のようなものが浮かび上がってくる。たとえば、洞窟の場合は、暗さや、狭い場所をくぐることや、困難さ、といった骨が浮かび、それぞれの人がそれぞれのイメージを肉付けする。
 こういうことを、たとえば音声のみでやってみたり、ジェスチャーのみでやってみると、さらにおもしろいかもしれない。

 夜、DVDで「悪魔とダニエル・ジョンストン」。じつは映画を見損なっていて、ようやく見た。飛行機の話のところで髪の毛が逆立つ恐怖。ほんと、小田くん、無事に呼べて良かったよねー。
 年齢とともにますます眉毛がメフィストっぽくなるダニエル。なのにオルガンの音はぱこぱこ。
 うちには、オースティンで買ったダニエルのカセット(映画に出てくるマネージャーがコピーしまくってるやつ)がいっぱいあって、昔の小さなカセットプレーヤーでそれを久しぶりに聞く。ケースに張られたラベルは、変色した接着剤が染みてあちこち茶色くなっており、ぱらぱらと剥がれてしまう。カセット本体の文字はボールペンの手書き。

20070529

 講義を終え、夕方、京都へ。アーバンギルドのライブはギターの弾き語りが三本。みんな二十歳代前半なのだが、自分の出したい声とギターとの関係はどうあるべきかということを考えていて、感心させられる。植野さん、Night tellerさんの繊細な声の出し方。Night tellerさんは、ぼくが開演前にちらと話したヨ・ラ・テンゴの話を聞いて、さっそくD. Johnstonの「Speeding motorcycle」をやってくれた。
 pwrflpowerくんは、たまたまネットを通じて知り合ったのだが、myspaceで聞ける音よりもずっとワイルドで直情径行。西海岸の明るさと日本の含羞がないまぜになった不思議なステージだった。口ずさんだことがそのまま歌になっている感じで、これなら歌ができてしょうがないだろうなあと思う。ギターが自在に奏でられるのでびっくりしたが、十代のときに、ジャズギターをずいぶん勉強したそうだ。
 終演後、ビールをどんどん飲むうちに、酔っぱらって寝てしまったpwrflくんを連れて、夜半過ぎにアパートへ。


20070528

 月曜の実習は本日で終わり。毎年、この実習が終わるとようやく年度はじめを乗り切ったなという感じがする。今日も夕焼けがすごい。そして河川敷を飛ばすと、顔を打ついくつもの虫。


20070527

行為の来歴

 さらにデータおこし。目がすぐしょぼしょぼする。老眼が入ってきているのかもしれない。
 昨日の曇り空とは一転して、雲の形がクリアになった空。夕暮れを見に琵琶湖畔に行く。帰りに「グーグーだって猫である」3巻。猫のちょっとした癖から、前の持ち主の感触を得るところがぐっとくる。行為に込められた来歴、という問題は人間くさい。


20070526

 洞窟データおこし。MacBookでWaveSurferを使ってみる。相変わらずよくエラーが出るが、少なくともスピードはずいぶん速くなったし、けっこう落ちにくくなった。これならデータ分析に使えそう。自作のJEDIT用QuickTime分析マクロも試す。いたってスムーズ。CPUが速くなっていちばんありがたいのは、映像分析の作業が速くなったこと。


20070525

 三月に撮影した洞窟ミーティングのデータを松村さん、城さんと見る。発見いろいろ。午後にかけてもずっとそのことを考え続ける。これでひとつ論文がかけるかもしれない。


20070524

 木曜日は毎週ゼミロード。1時限目から三回生・院生・四回生とゼミをやり、最後に統計学の講義がある。昼休みもゼミ生とあれこれしゃべっているので、一日中しゃべりっぱなし。最近、何かを思いつくとホワイトボードに書くようになったので、すぐにボードがいっぱいになる。


20070523

ポッキーの柄

 Aちゃん、Bちゃん、Rくんがポッキーを食べるところを見る。この講義では、食生活専攻の受講生が多いのだが、いっぽうで行動学の内容に沿う必要がある。それで、食行動の分析をテーマにしたのだが、これが自分でやっていて毎週楽しい。
 自分の持っているデータの中から、前もって、「これは明らかに分析のしがいがある」と思う場面を選んでおくのだが、トランスクリプトは用意せず、その場でマイクロ分析を進めていく。すると、その場で語りながら次々とアイディアが湧いてくる。
 なにより、ポッキーとは、柄を使うことを楽しむ行為だということが、三者の比較によってわかる。Aちゃんは、ボランティアスタッフが手伝おうとする手をどけて、自らパッケージ(ビニル包装)をちーっと破り、そこからポッキーの柄を引き出す。Bちゃんは、スタッフに自らパッケージを渡して、包装袋の口をあけてもらい、そこからやはり柄を取り出す。
 Rくんの場合はちょっと違って、チョコのついてるほうをもってぽりぽりと食べてしまう。でも、それは柄を使わない、ということではない。スタッフが柄をもってポッキーを差し出すと、その先から食いつく、ということなのだ。つまり、スタッフとRくんの関係の中では、柄はちゃんと「ポッキーの保持」のために使われており、だからこそ、スタッフの手は汚れず、Rくんの手だけが汚れる。

力を入れている両手の、片方の力を抜くとどうなるか

 Aちゃんがスタッフの手をどけるときの過程がおもしろかった。
 Aちゃんが袋を両手で開こうとしているがなかなかうまくいかない。それでスタッフは最初、Aちゃんの右手に手を添える形で、手伝い始める。すると、Aちゃんの右手がスタッフの手を持つ。これは、協力なのか拒否なのかわかりにくい。そのあいだにもビニル包みは徐々に開かれていく。そのまま行けば、二人で協力して袋を開ける格好になったはずだ。
 しかし、Aちゃんは、袋が開ききらないうちに、突然、左手を離す。そしてさらに右手でスタッフの手を押しやる。スタッフは思わず手を引っ込める。Aちゃんの右手の行為が持つ意味は、左手によって激変した。こういう身体の動き、体のある部分を保持しながら別の一部を動かすことによって、それまでの意味を変えてしまうような動きは、とても言語的だなと思う。と、同時に、とても力学的なのだ。両手で引っ張れば袋は開く。片方の手を離せば、袋は開かなくなる。この、当たり前の現象を使って、Aちゃんは自分の意図をより明らかにする。頭がいいなあと思う。


20070522

伝達意図のやりとりはなぜ微細になっていくのか

 朝、講義で関連性理論の話をしているうちに、ふと、なぜ親しい間柄では、伝達意図の手がかりを少なくしていく傾向があるのだろう、ということを考える。
 関連性理論における伝達意図と情報意図については遠い昔に書いたことがある(伝達意図の伝わりにくさこそが、人を恋に駆り立てる)のでそちらを参照していただくとして、問題は、どういうわけで、人は、親しき間柄でわざわざ伝達意図の伝わりにくい形式を用いるのだろう、ということだ。
 (ここでわたしは、「東京物語」の笠智衆と東山千栄子を思い浮かべている)
 行為をする側も、行為を受け止める側も、行為に込められている伝達意図を露骨に指すことを避けるようにふるまいだす。お茶を差し出す行為から仰々しさが抜け、それを受け取る側からも「ありがとう」とか恐縮めいたお辞儀が抜け、お茶はすいと出され、「お」といった軽い発話とともにそれは受け止められる。親しき仲であればそれで十分である。
 本人は気づいていなくとも、誰と誰がつきあいだしたといったことは、つきあっている二人が同席していればかなりの確率で当てることができる。「つきあい」は、本人たちがいちゃいちゃしているところよりも、むしろ、ちょっとしたしぐさ、たとえば通り道を開けるとか、何かを差し出すとか、そうした行為に表れる。
 これらの行為が、改まった差し出され方や受け止め方を略して、さりげなく行われるとき、ああ、この人たちはそういうやりとりができる仲なのだなとわかる。
 さてしかし、これらのさりげなさには、まったくひっかかりがないわけではない。
 差し出された手は、わずかな時間、宙に止まるし、それを受け取る手は、それに気づいたことを示すように、わずかに移動を中止して(マイクロスリップして)、そちらに向かう。この、行為の中断と方向の変換という、とても微細な行為のなかに、おそらく伝達意図は託される。そして、そうした微細なことに気づくことのできるようになるまで相手と「つきあう」ことを、どうも人は志向するのではないか。

 これを、日本的文化の洗練といった話に落とし込むのではなく、ディスプレイの進化をめぐる本質的な問題としてとらえたい。  以前、ディスプレイとは、相手の失敗を、ぼく「たち」の失敗として引き受けることで進化した、と書いたけれど、それは、単なる比喩ではなく、わたしたちの日常の中に深く織り込まれた、ごく具体的な問題なのだと思う。


20070521

デジタルコピーの恩恵

 朝早く新幹線。彦根に戻る。
 本日の実習は、先々週撮影したドア開け行動をビデオ観察してもらいながら分析してもらうこと。少し前までは、こういう実習をするにはテープを何本もダビングせねばならず、度重なるダビングと再生で画像も劣化するため、なかなか満足のいく結果にならなかった。しかしいまは、マスターテープをHDレコーダーにダビングし、そこからDVDを何枚か焼いていけばよい。この間、画像の劣化はほとんどない。こうした作業は、通常の民生機でできるので、教育予算はさほどかからない。いい時代になったものだ。


20070520

レコーディング二日目

 昼前にスタート。
 まず、「浜辺に」を弾き語りで。やるたびに必ずどこかで間違えるのだが、この日は、1テイクでオーケー。
 それから木下くんのパートの吹き込み。
 「ふなずし」「弁慶」「坂の季節」などなど。木下君のバイオリンは「擦音」な感じがしてよい。ちゃんと弦を擦る音がするのだ。「リリパット」にはその魅力がよく表れている。「能登の恋人」はアレンジを以前とは変えたので、木下くんには歌詞にバイオリンの「アンダーライン」を入れてもらう。
 「高度情報化社会」は、最初は弓で弾いてもらうつもりだったが、木下君が音を確認しようとして弾いた低音のピチカートがすごく良かったので、そちらを鳴らしてもらう。

 三時半にはほぼバイオリンのパートは吹き込み終了。三人で大盛軒で飯を食って小休止。

 中尾さん到着。パーカッションを入れてもらう。中尾さんのパーカッションはごく微音かつシンプルなものなのだが、これで曲の雰囲気が激変する。「浜辺に」などは、シンバルの付け根のところにブラシを当ててはずすだけなのだが、これでえもいわれぬ表情が出る。
 極めつけは「高度情報化社会」のスネアで、見ていると、ただ丸い皿の前で焼きそばをひたすらかきまぜているようにしか見えないのに、音のほうは、ブラウン管の砂嵐の化け物のような生々しい音がする。アレンジの点で、「高度」は今回のベストトラックかもしれない。
 「女学院とわたし」では、中尾さんのパートを二重録音した結果、にぎやかな祭りの気分が加わった。

 最後にコーラスものをいくつか録る。「あの寺」ではモモちゃんも加わって合唱団風。
 宇波君の提案で「浜辺に」に低い声のコーラスを急遽入れることに。これが、あたかもソンブレロをかぶった気弱なメキシコ人、という絶妙な音像に。「リリパット」のクラリネットを始め、このアルバムの録音には数々の「小さい人」の気配がする。

名盤の予感

 というわけで、9時頃には、必要な録音は終了。宇波君は、もうこの日にラフミックスをしてCD-Rを仕上げてしまうつもりになったらしく、モニタをにらんで二時間ほど格闘。その間、残りのメンバーは、勝手に曲に合わせて違う唄を歌ったり、どうでもいい話に終始。

 そして無事CD-Rが焼き上がり、全員で鑑賞。
 生々しい音像。生々しすぎて、ほんとに生楽器だけなのかかえってわからないほどだ。自分の声を顕微鏡で見るような感じ。もはやうまいヘタを云々出来ないほど微細に聞こえる。
 録音とはなによりも「記録」であることを痛感する。狙ったものを編集することではなく、記録されたものを受け入れること。

「これはもう珍盤の気配がヒシヒシと」「このボーカルはあのねのねの第一声を聴いたとき以来の衝撃」などなど、中尾さんのダハハ笑い入り発言が続発した。自分で言うのもなんだが、これは間違いなく、記憶に残る盤となるだろう。

 それにしてもヒバリスタジオは、既成のスタジオ概念とはまったく違う場所だが、サウンドプロダクションの効率はすばらしく高い。大きな音が出せないのが難点だが、かえる目のようなバンドにとっては理想的な場所である。もちろん、宇波君の手腕あってのことなんだけど。

 というわけで、二日でレコーディング終了。みんな、ご苦労さまでした。

猫洗い通り

 レコーディングは終了、夜半となり、中尾さんは帰宅。残る参加者で打ち上げ。歌舞伎町付近でカムジャタンでも、ということになる。いったんホテルに荷物を置いてから戻ると、ドンキホーテの近くで、三人がしゃがみこんでいる。
 見ると、黒猫が一匹いて、腹が濡れたようになっている。大きさからすると生まれて数ヶ月というところか。
 モモちゃんが「糊がついちゃったみたいなの」という。

 猫がコンビニ袋を腹にくっつけて歩いているので、不思議に思って袋をとってみると、接着剤のようなものがべっとりと横腹から足にかけてくっついていたのだという。

 ぼくは、ふだん野良猫野良犬の生活には関わらないようにしているのだが、猫を飼っているせいもあって、いったん手を出してしまうと、つい、いつもの癖で引き寄せてしまう。四人の中で猫を飼ってるのはぼくだけだったので、もっぱら抱き役、押さえ役。

 猫の腹に素手で触ってみると、かなり粘着性の強いもので、簡単には取れそうにない。ずっと腹に手を当てていると、そのまま固まって猫人間になってしまいそうである。
 とりあえず、宇波君がペットボトルの水を買ってきてくれたので、それをかけて流してみるがうまくいかない。
 さらに、タッパはあるがこまめな木下君が、石けんやらアルコールやらを買ってきてくれる。さすがはドンキの品揃え。猫洗いグッズも充実している。
 水をかけつつ手でごしごし揉んでみるのだが、これも効果なし。

 夜半の歌舞伎町路上で猫を洗うのがあまりに目を引くのか、近所のお店の人も出てきて、お湯をくれたりタオルをくれたりした。人情やなあ。行きずりの青年が一人、ずっとそばで手伝ってくれた。

 それにしてもどうしたものか。どうぶつといえばどうぶつ堂、といういたって安易な連想で、まずはアメヤさんに電話。あいにく留守だった。
 宇波君が、「イトウさんなら知ってるかも」という。イトウさんは塗料と猫に詳しいんだそうだ。よくそんなアンド検索で知人が浮かび上がってくるものだ。
 イトウさんに電話ごしで相談した結果、どうもこれはネズミ捕り用の接着剤らしいこと、だとすれば、その接着力はきわめて長期間落ちないこと、はさみで切るか剃ってしまうのがよいのではないかという情報が得られる。
 「イトウさんすごいねー」
 というと、「イトウさんて、オプトロンの伊東さんですよ」と言われて愕然とする。

 結局、接着剤のついた毛をある程度ハサミで切ったものの、皮膚と毛の境目がわかりにくく、あまり素人が手を出せそうな状況ではない。
 さらなる宇波ネットワーク調査により、近所に24時間ペットショップがあると判明し、そこに持ち込んで相談。明け方までにバリカンで刈ってもらうことになった。

 猫が帰ってくるまでには間があるので、さきほどお湯を分けてくれた店に入って(ようやく)打ち上げ。プルコギがうまい。
 動物を洗い動物を食う。
 よく考えてみると、やっていることがメチャクチャである。

 マッコリを飲み、よく食った。

 4時近くになったが、どうやらペットショップの作業はもう少し時間がかかりそうなので、ここで解散。このショップ、気がついたら宿から徒歩1分だった。
 というわけで、夜もしらじらと明けるころ、宿を出てペットショップへ猫を引き取りに行く。接着剤のついた横腹の毛はバリカンで刈られて、下腹のほうはまだべたべたしていたけど、まあなんとか生きていける程度にはなっていた。換毛の時期がくれば、少しはましになるだろう。

 「鼻水も出てるし目やにも出てるから、もしおにいさんに愛情があるなら、動物病院に連れていってあげるといいと思うけどね」と店の人に言われる。
 猫入りケージを持って米原行きの新幹線で連れ帰る自分をちょっとだけ想像する。が、しかし、ぼくには、どう考えてもさほどの「愛情」はない。ドンキホーテの前まで抱いていき、路上に放す。野良は野良へ。なじみの場所ならば、なんとかやっていけるかもしれぬ。
 信号の向こうでしばらくにゃーにゃー鳴いてたけど、さすがにあきらめたのか路地のほうに歩いていくのが見えた。ねずみ捕りには気をつけような。


20070519

かえる目レコーディング

 ヒバリスタジオでかえる目のレコーディング。今日は宇波君とベーシック・トラックの録音。以前から、かえる目の懸案事項であった「なぜかやたらボサノヴァが多い問題」を解決すべく、さまざまな新アレンジを試みる。アレンジとは言っても、事実上、宇波君がまったく違うギターを弾いて、ぼくはそれに合わせる、というもの。

 宇波君が最近入手したハンドメイドのマイクがすばらしい録音能力で、あまりに自分の声が生々しく録れるので恐ろしい。母音をのばすうちに息がだんだん入ってh音に近づく、というような過程が怖いほど正確に再現される。こんな、ええ年こいたおっさんの生理がつぶさに観察できるアルバムを誰が聴くのであろうか。少なくとも、あまりこの世にないタイプの録音にはなっていると思う。

 たぶん、歌入れを別にするようなやり方だと、いくらでもテイクを重ねてしまうところなのだが、ギターと同録だと、早くあきらめがつく。ギターと声の組み合わせだと、どのテイクにもそれぞれの良さと至らなさがあるので、何度も録音しなくてもいいや、という気になってしまうのだ。

 ヒバリスタジオ、というのは、じつは宇波君の自宅。
 ラップトップPCが隣の部屋にあって、HDに録音は記録されていく。冷却ファンの音がするので、録音中は部屋の引き戸を閉めなくてはいけない。宇波君が自分で演奏する場合は、PCをクリックして録音をスタートさせ、引き戸を閉め、こちらにそろそろとやってきて、おもむろにギターを弾き出す。
 ぼくがソロの場合は、宇波君が「はいいきまーす」と行って戸を閉めるので、その姿は引き戸の向こうに消える。演奏が終わってしばらくすると、「はいどうもー」といって引き戸が開く。
 いずれにしても、PVなどで見かけるレコーディング風景とは、ずいぶん違う。ガラス越しにスタジオとブースの間でOkとかピースとかを出し合ったりはしないのだ。
 昼前に始めて、3時半には7曲を吹き込み終わる。思いがけない早さ。

 3時半ごろ、服部君到着。問題の「女刑事夢捜査」だが、前もってメールで譜面を送っておいたので、意思疎通は完璧である。宇波君は、マイクのうしろに立ち、ギターを持つ。服部君のアイリッシュ・ドラムは音量がけっこうあるので部屋の端まで下がる。ぼくはマイクのそば。これで、3つのパートを同時録音する。ギターは気配だけ。

 5時にいったん終了。渋谷に出て富士屋で飲む。
 それから渋谷のABCで、三太コンサート。ここでバイオリンの木下君と合流。そのあと、打ち上げに混じって、杉本さんの猥談と木下君の近況報告で盛り上がるうちに、とうに夜半を過ぎる。ずっと立ち飲みだったので疲れた。

 かなり飲んでいたのだが、タクシーの中で宇波君が「まだ帰ってから録れるかも」というので、二人で「パンダ対コアラ」を一曲吹き込んだ。木下君は撃沈。このボーカルはかなりええ感じで気色悪く録れたのではないかと思う。

20070518

移民村の歴史

 午前中、図書館で磯の移民史についてあれこれ調べる。これまで、八坂のことは、昔行われた立命館大学による調査などで知っていたが、よく考えてみると磯の歴史は意外と知らない。あれこれ文献を漁った結果、米原町史にまとまった記事があるのが見つかった。

 湖東では、八坂がもっともカナダ移民の多かった地域で、次に隣の大藪、そして米原の磯と続く。磯は意外に移民の多い村だった。磯出身の方と八坂出身の方が結婚されることもしばしばあった。明治の頃は、まだ湖岸道路ができていなかったから、磯から彦根へは、磯山越えをしなければならず、家財道具の輸送など、たいへんだったのではないか。もしかすると、船を通じた何らかの交流があったのかもしれない。

八坂の場合

 午後、ミシガン大学の高橋さん、大学院生の二人とともに、八坂にお住まいのKさん宅へ。カナダ移民の個人史についてあれこれ伺う。湖東地域では、明治29年に大水害があり、長期間にわたって田畑が冠水した。これ以後、移民の数はぐっと増えた。Kさんのお父さんも、明治35年にヴァンクーヴァーに移住した。
 お父さんを呼び寄せる「引寄せ」の請願書を見せていただいた。先にヴァンクーヴァーにいた同郷人が、旅籠屋や薬湯(!)を経営するために人手が足りないため、当時の滋賀県知事に、遠縁であるお父さんを呼び寄せるべく請願書を書いたもの。
 「写真結婚」に使った写真も拝見した。彦根の古い写真館で撮影されたもの。当時は、親や親類によって、本人どうしが会う前に縁談がまとめられ、そのあと、海を越えてお互いの写真を交換した。花嫁は、渡航したあと、写真を頼りに花婿と出会った。
  当時は、送金するための銀行が近くになかったため、百三十五銀行の八坂支店を新たに作ったという。こうした話は、文献にも出てくるのだが、やはりじっさいの写真やドキュメントを目の前にしながらご本人から個人史を伺うと、まったく違った感じがする。たぶん、話を伺っている家の結構や庭先、田畑、そして村のさまざまな光景からディティールが呼び起こされ、話のはしばしと結びつくからだろう。

歩きながら考えるアレンジ

 京都に寄ってギターを持ち、東京に夜半過ぎに到着。宇波君と明日以降の計画を打ち合わせる。打ち合わせといっても、「まあ、なんとかなるんじゃないすかね」という安全確認のようなもの。
 「女刑事夢捜査」という禍々しい曲があるのだが、宇波君と話していて、突如、服部君にアイリッシュドラムで入ってもらうことを思いつき、宿に歩きながら譜面を考える。けっきょく彼に送った譜面は以下の通り。「理想的にわかりやすい」とメールで褒められた。

四分音符=120
(前奏)
ドッカカドッカ |ドッカカドッカ |ドッカカドッカ |ドッカカドッカ |

(休み)    |(休み)    |ドッカカドッカ |ドッカカドッカ |
(休み)    |(休み)    |ドッカカドッカ |ドッカカドッカ |
カッカッカッカッ|カッカッカッカッ|カッカッカッカッ|カッカッカッカッ|
カッカッカッカッ|カッカッカッカッ|カッカッカッカッ|カッカッカッ  |
(休み)    |(休み)    |ドッカカドッカ |ドッカカドッカ ||
(四回繰り返し)


20070517

ライナーを書く

 Gangpol und mitのライナーを書く。曲名がほとんど出てこない内容。「意識を出し抜くシンプルな形」というタイトル。発売は6月、Out One Discから。愛らしい彼らの音楽の、初の日本盤。乞うご期待。
 折しも、ディスクユニオンから高田渡、武蔵野タンポポ団の紙ジャケ盤届く。ぼくは「ごあいさつ」と「系図」のライナーを書いた。ライナーにしては珍しい体裁の内容になったと思う。


20070516

食場面のマイクロ分析

 院生向けの講義で、Aちゃんがエビフライを食べる場面をマイクロ分析する。じつは、前もってやっていたのは簡単なあらおこしだけで、講義中にほとんど即興でマイクロ分析したのだが、これはたいへんおもしろかった。
 Aちゃんの指はある程度動くのだが、棒状のものを握ったまま方向転換したり、複雑な曲線を描いて動かすのは苦手だ。だから、フォークやスプーンの使い方は、どちらかというと直線的なものになりがちだ。
 ボランティアスタッフが、一匹のエビフライにフォークを刺して、その柄をAちゃんの右掌に置く。Aちゃんはそれを握って、なんどか口に運ぶ。フォークを使ってあらかじめ一口サイズに切るのはむずかしいので、Aちゃんは、フォークに刺さったフライをそのつど囓りとる。

囓ることは、口と手との共同作業

 二度目に口に運んだとき、エビフライを囓ったところでフォークが抜けてしまった。すると、Aちゃんはフォークを置き、まだ口先に残っているエビフライをちぎりとった。それを見て、「囓る」という行為はじつは歯だけの作業ではなく、歯と手との共同作業なのだということに気づく。つまり、繊維質の多いものを「囓る」とき、歯だけではすべての繊維を噛み切ることはできない。歯であるていど噛んだあと、口先にある断片を手で引っぱって、噛み切れなかった繊維を引きちぎらなければならない。
 宮崎駿アニメでは、パンを食べる場面で、この「引きちぎり」がしばしば描かれていたと記憶する。パンを噛みきれなくて、手でひっぱると、パンの繊維がずーっと伸びる。口と手の共同作業で、パンは「引きちぎられる」。それが、パンのふかふか感、もちもち感を感じさせて、こちらの食欲を刺激する。
 Aちゃんがエビフライを「引きちぎる」とき、ああ、食べてるなという感じがするのは、彼女の食べ方が、エビの繊維を感じさせるからだろう。

なぜフォークを口元で刺さないか。あるいはお好み焼きのコテ食い

 フォークが口先で抜けたとき、わたしたちは、口先でフォークを刺しなおしたりはしない。これも考えてみると不思議なことだ。わたしたちは、刺すときも抜くときも、フォークという同じ道具を用いる。しかし、それぞれの機能は場所に限定されている。刺すことは皿の上でしか行われないし、抜くことは口の中でしか行われない。
 皿の上と口の中で、機能を使い分けるというのは、当たり前のようだけど、これが曖昧になる場面もあるのではないか。たとえば、お好み焼きのコテを考えてみるとよい。ディープな関西人は、お好み焼きをコテで食う。コテで一口サイズに切ったお好み焼きを口先に運び、そこから唇と歯を使ってお好み焼きをこすり取る。しかし、これは初心者にはかなり抵抗がある。コテの先は鋭く、うかつに口先でスライドさせると、口を切りそうな気がする。それに、鉄板の上に長くあてたコテは、やたらと熱いこともある。  あのお好み焼きのコテ食いは、ひとつの道具の繊細な使い分けを要求することで、関西人の敷居を高めているのではないか。

食器と重力

 食器を使うことは、重力との格闘である。フォークに刺した食物は、ただ自由落下させるのではダメで、皿の上で跳ねないようにそっとおろさねばならない。Aちゃんには難事業だ。しかし、Aちゃんは、食物をただ皿の上に落とすのではなく、そっと置くべく、さまざまな工夫をしている。たとえば、エビフライを皿におろすときは、フォークを持つ指を少しゆるめる。端をかじりとられたエビフライは、しっぽのほうが重くなっており、しっぽが先に皿の上に落ちる。ここで、Aちゃんは、フォークの柄をゆっくり下げていくので、エビフライは、しっぽから頭へと、じょじょにその身を横たえる。デリケートな作業だ。
 Aちゃんはいっけんするとぶきっちょだけれど、彼女のやり方で、ていねいに食物を扱っている。

食べきることの喜ばしさ

 三口目、やや大きめのかたまりに、Aちゃんはフォークを突き立てようとして失敗し、二度目に真上から垂直にフォークをつきおろす。斜めからよりも真上からのほうが皿の上で滑りにくいことをAちゃんはわかっている。そして、それを大きなかたまりを口に運び、一口でほおばってフォークを抜き取る。見ている院生から「おー」という歓声があがった。ビデオの中でぼくも「おー」と歓声を上げている。
 フォークの先から物が消えたのを目撃するという、ただそれだけのことが、なぜこうも喜ばしいのだろう。もうフォークを微細に動かさなくともよい。皿の上で突き刺したり移動させたりして、食物と格闘する必要がない。食物はなくなり、Aちゃんは重力から解放された。Aちゃんやったなあ。そんな感じが、ビデオの画面からでさえ、漂ってくる。


20070515

泥縄式聞き取り調査

 ミシガン大学から、高橋先生、犬塚先生をはじめ、大学院生がやってくる。絵はがきの話を一通りしたあと、絵はがきの風景を検証すべく、磯へ行く。
 そこからあちこち回る予定だったのだが、何人かの学生が、移住村について知りたいので、じっさいにそういう人と会いたい、と言う。それで、急遽、磯の村をあちこち回ることになった。とは言え、急なことなので、アポイントメントもなければ、手がかりもない。路地また路地を曲がって、あちこちで話を聞いて回る。

 人類学者としてはあまり褒められたやり方ではない泥縄式で、磯の方々には、ちょっと申し訳ない気がする。
 が、いっぽうで、この、あちこちで聞いて歩くというのは、研修生にとっては、悪くない体験だと思っている。
 見知らぬ人に自分が何をしに来た人間であるかを、手短な時間で説明する。それから、あまり相手の手をわずらわせないやり方で、簡単なことを聞く。その、短いやりとりの中に、じつはその土地に住む方々の、人当たりや、人と接するときの物腰が表れる。たとえば、相手に道を教えるときに、どんなことを手がかりにするか(たとえば、磯には信心深い方が多いので、しばしばお寺が目印になる)、どこまで教えるか(この土地は路地が多いので、「なんならそこまで一緒に行きましょうか」ということになりやすい)。道すがらどんな話をするか(「へえ、ミシガンから。これみんな外国からきはったんですか」というように)。じつは、知りたい話の中身以上に、そういう小さなやりとりから、土地の気風というのは知れる。
 彼らは日本語をほとんどしゃべれないので、交わされる話は訳さなければならないし、いつもの聞き取りに比べればずいぶんと時間がかかる。それは必ずしもエキサイティングな体験ではないだろう。しかし、自転車で路地を行き、出会う人にひたすら聞いて回るという時間につきあうことで、この狭い集落の持つ思わぬディティールに思い至ってくれるかもしれない。
 2時間くらいあちこちを回った結果、ようやく、昔、遠い親戚の方がカナダに移住した、という方を見つけ、お話を伺う。10人近い人間をいきなり家にあげていただき、ありがたいやら恐縮するやら。

 そこから磯山に沿ってバイパスに出て、大洞弁財天の絵はがき再訪を行い、ようやく彼らの旅館へ。半日がかりのフルコースだった。


20070514

 一回生の実習は、きらきらアフロを見せながら、ビデオ分析の演習。松嶋尚美の身振りがいかに空間を構成していくかを、「板金屋さんとの対決」を語る映像をもとに考える。彼女の身振りのおもしろいところは、視点が次々と移動することで、通してみると必ずしも整合性のある空間にはなっていないのだが、とてもライブ感がある。
 後半ではインターフェース調査についてのプレゼンをしてもらう。


20070513

空に定位する

 朝、京都へ。ポストに個展の案内。中井岳夫展「空の復権」とある。今日から始まるもので、ちょうど少し時間がある。  会場は西大路だが、あいにくここは東大路のさらに東だ。北大路東大路を過ぎ、西大路まで、自転車で京都で横断する。けっこう距離がある。左大文字が近づいてきたところで、右に折れ、登り道をさらにこぐ。
 イダショウイチスタジオであるという案内のはがきを頼りに、何度か人に尋ねて、ようやくその場所らしきところにたどりつく。玄関にシュロの葉を巻いた幟のようなものが掲げられており、そこから急な階段が上に続いている。はがきが表に掲示されているのだから、ここに違いない。急な階段を見上げようとすると、自然と空を見上げるような感じになり、このあたりからもう「空の復権」なのかしらと勘ぐりながら、上がってみる。
 出てきた人に来意を告げると、その人が中井さんで、「じゃあちょっと仕掛けるので待っててください」と言われて、玄関脇の小部屋に坐って待つ。
 アトリエだったらしきその小部屋には、小さな天文台であるかのように天窓がすえられており、通りに面した側からは木立ごしに京都の町が見渡せる。月がのぼれば美しいだろう。夜もいいかもしれない。
 そのあいだにも、中井さんは、シュロの葉を漏斗にしたような不思議な装置に水を撒いている。漏斗の下は、シュロの葉柄、そしてそこから細い毛が一筋垂れて、ガラス瓶に水滴を落としている。
 そばにステレオ装置があって、ヘッドホンで音を聞く。と、雷鳴が低く轟き、雨音がする。どうやら、ここではないどこかの音らしい。しかし、ここではないと思いながら、どこかに定位したくなる。シュロか、アトリエか、とあたりを見回しながら、いつのまにか、シュロの葉ごしに空を見上げている。
 「ちょっとしたイタズラなんですけれども」という中井さんとしばらく話す。じつは中井さんは同じアパートの住人なのだが、これまで話したことがなかった。
 庭には大きなクスノキがあり、話がやむと何となくそれを見上げてしまう。そのたびに、空が意識される。
 クスノキと反対側には、後背地である左大文字山が迫っている。五月の緑が、もくもくと滝のように降りてくるのが見える。中井さんが「あそこのフジがすごいんですよね」と言われてよく見ると、そこだけくすんだ紫色のような領域がわき出している。野生のフジを遠くから見ると、藤棚とはずいぶんと違う。

先生の年齢

 中井邸を辞し、京大会館へ。日高敏隆研究室同窓会。東京農工大時代の方から京大時代の方まで。あまりにご無沙汰で互いに顔がわからないこともままあり。とはいえ、ほとんどの人は、なんだかちっとも昔と変わらない。乾杯の前に、日高先生が、何かメモを見ながら、めずらしく長い話をする。農工大時代、研究室を立ち上げて、狭い場所で学生と新しいことをいろいろやっていたころの話だった。
 それで、日高さんがいまの自分の年はどうだったんだろう、とふと考える。農工大から京大に移った頃で、ドーキンスがSelfish Geneを出して、「種の保存」を前提とするローレンツ流の解釈が崩れていく頃だ。それからしばらくすると、ぼくのような若造が入ってきて、わけのわからないことを始めるのだが、日高先生はいたって寛容だった。果たして今の自分にそれだけ新しい学説を貪欲に吸収しながら、大所帯の大学院をオーガナイズする能力があるだろうか。
 いろいろ旧交を温めて帰る。

20070512

 橋彌さん、小林さん、清原さんと京都で昼食。「花岡ちゃんの夏休み」を読みふけっている高校生の自分に教えても、たぶんわかってもらえそうにない、淡々とした未来。

 新世界ブリッジでぶんかちゃん一周忌ライブ。4時頃から始まって9時ごろまで。子どもの姿が珍しく多いライブだった。山本さんが「ぼく子ども嫌いなんすよ」発言に始まる演奏は、意外にも、こんな音楽を家族で聴いてることがあたかもサザエさんを見るように当たり前だったのでは、と思わせる既視感。この現象は続くどらビデオの「女子十二尺坊」でも感じた。やはりぶんかちゃんのおかげだろうか。
 終わってから、道頓堀に移動し、小島さん推薦の羊を食べに行く。これは確かにうまい。なんぼでも食える。結局夜半を過ぎ、急遽大阪宿泊。


20070511

 遅まきながら、彦根まちなか博物館へ。野瀬さんのコレクションを見るためだが、もう一つ、高橋狗佛のコレクションを見るという重要な用事があった。石黒さんからいただいた資料に載っていた三田平凡寺の末寺に「狗佛」の文字があり、さては、とようやく高橋狗佛との関連に気づいたから。

分析に足るできごと

 名大から、松本光太郎さんと荒川くんとが遊びに来る。松本さんの高齢者行動研究の話をあれこれ聞く。インタヴューの時間の中で起こる、特別な時間の感じを言い当てようとする松本さんの話は、単に質的研究というよりは、調査研究の持っているある繊細な感覚に触れようとしている。フィールドワークの膨大なデータの中から、研究者にとって解析するに足ると感じさせる時間を選び取ろうとするとき、ある特別な瞬間が、研究者を引きつけてやまないのはどういうことなのか。そして、あの場所、あのフィールドにまた行こう、と、思わせる力は、どこから湧いてくるのか。
 松本さんは県立大にくる前に、松原から風吹きすさぶびわ湖岸をずっと歩いてきたのだという。彼の(いい意味で)過剰なところが表れている話だと思う。
 飲み屋に場所を移してさらに話。


20070510

 今週から1限目に3回生ゼミをスタート。串田さんの本の最初の2ページを解説してたら1コマたってしまった。木曜は1,2,3限がそれぞれの回生のゼミ。4限目が統計学。昼休みもゼミの続きのようなもので、ハードな一日。


20070509

 院生の講義でコップを分配する話。


20070508

 講義会議会議。SPSSをインストールしなおすのに手間取る。サーバにかけたファイル保護ソフトのせいなのか、どうもうまくいかない。

 学部の懇親会。そのあと、二次会でふらりと入った「柳太郎」に、大友柳太郎の写真がたくさんかかっている。女将さんに、昔の彦根のことをいろいろ教えていただく。渋谷写真館で撮ったというなんとも風合いのある写真アルバムも拝見した。写真館の二階のスタジオから日蝕を見ている写真は名作。いい店にあたった。


20070507

字を書く空気

 今年は、板書をするのが妙に楽しい。書を始めたせいだろうか、字をゆっくり、時間をかけて書いているのが自分でもよく分かる。相変わらず下手くそな字だが、それでも、時間をかけて書く、その空気は学生に伝わるのだろう、例年に比べて、さらさらとノートを取る音がよく響く。
 去年までは、板書はもっぱら内容重視で、どんどん書き飛ばしていたのだが、おもしろいことに、字を書くことじたいに専念したほうが、学生はよくノートをとる。字を書く空気が感染するのだろうか。
 一回生の実習はインターフェース調査とドア開け行動の観察。


20070506

 重い腰をあげて原稿。しかし遅々として進まず。


20070505

ラジオ 沼ラジオ 沼 vol.353「ナウシカ」の声
「風の谷のナウシカ」という声を歌っているのは誰か。細野晴臣トリビュートアルバムを聴く。

 フランスから帰ってきたゆうこさんは、行く前よりずっと調子がよいようで、彼の地でのドラびでおの暴れっぷりや、琴紛失事件や、キュートな小学生の話など、久しぶりにあれこれとしゃべる。明和電機はフランスでも「どっかんどっかん」受けてたという。
 

20070504

ガケ

 ガケ書房でどうやら以前お金を落としたらしい。なぜそんなことがわかったかというと、知人の一人がガケ書房の棚を作りに行っていて、たまたまそこでぼくの名前が出たところ、店の方が知っていて、そういえばお金を預かってます、という話になったのだという。
 店で自分の名前を名乗ったことはないが、クレジットカードを使ったことはあるので、たぶん、そのときに裸銭を落としたのだろう。
 じつは、高田渡のライナーを書くときに、手元にないCDやDVDをガケ書房で大量に買ったのだが、そんな付け焼き刃の勉強も、しっかりバレているに違いない。
 これをご縁と、「便便はかき」を置かせていただく。
 十部ほど置きましたんで、これを読んで興味を持った方はガケのカウンタ付近に注目を。


20070503

 小松正史くんがアパートに来る。小松くんとは、もう十年以上前に、サウンドスケープ協会のMLで知り合った。サカネさんが小松くんのジャケットを担当しているというので、久しぶりに旧交を温めることになった。
 新しくリリースされるというCDは、気がつくと鳴っている感じのするピアノ曲。牧さん、サカネさんと、ジャケ案をいろいろ議論する。小松くんは、パワーポイントで作った印象評定のグラフまで出してきたが、すっきりしたジャケがいいんじゃないかなーと思った。

 東山から満月が昇るのを見る。山の端にかかる月は、微速度撮影したのかと思うほど速く動く。地球の自転を目で見るように、みるみる月が顔を出す。山から上がったばかりの月は、たっぷりと湿り気を帯びている。たぶん逆立ちして見たら、産み立ての卵に見えるだろう。
 それからしばらく目を離したすきに、もう月は何でもない顔になっていた。


20070502

かえるさんの日常露天掘り

今月のテーマ「自転車にのって」。 毎回、自転車に乗りながら録音します。 築港ARCAUDIO をどうぞ。

 毎年恒例の、サーバへの新入生アカウント登録。今年もずいぶんエラーチェックに暇がかかった。そろそろ他の方に引き継ぎたい。作業をしながらマニュアルを作る。
 京都へ。原稿を、と思ったが、サカネさんと飲んでしまった。

20070501

はがき新聞

 スタンプショウで買った絵はがきの中に「おもちゃ新聞」というものがあった。絵はがきを一枚の新聞と見立てた愛らしい内容。それを、なんだか真似てみたくなって、自分でも絵はがき新聞を作ってみることにした。
 郵便はかきならぬ「便便はかき」。いわばミニコミなのだが、そのまま切手を貼って郵送できるところがミソ。暑中でも正月でもないのに、あちこちに御無沙汰のお詫びがてらハガキを書く。


 

to the Beach diary