The Beach : Dec. 2006


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絵はがきの時代
絵はがきの時代(青土社)

ユリイカ
「追想の捕球法 ー花男論ー」
(ユリイカ「特集 松本大洋」2007年1月号)

大人の科学
大人の科学 vol.14(学研)
ステレオ対談:赤瀬川原平 × 細馬宏通


20061231

年の暮れ

 さて、すっかり出遅れたが、せめて居間あたりはきれいにしておこう。細野晴臣と東京シャイネスのDVDを三回くらいかける間に、窓ふきと台所、居間の掃除がようやく終わる。「練習すれば失敗する。生きていれば死ぬ。」も三回聞く。
 買い出しに行き、お茶を飲み、第二ラウンド。玄関から廊下、風呂というところまで。玄関をきれいにした分、自室は箱の山と化した。デスクトップのさまざまなものは例によって「デスクトップ」という段ボールの箱に入れる。いつもながらこの方法はじつに効率よく机の上をすっきりさせる。もちろん、箱にいれっぱなしで忘れてしまうものも多いのだが、机の上にあってもどうせ忘れてしまうのだから同じことだ。
 この間に、数ヶ月前にすっかりなくしたと思っていたビデオデータがステレオの下から発掘され、もしかして落としたのかと思っていたハンコが見つかったのだから掃除はあなどれない。
 夜の7時でもスーパーはえらく賑わっていた。みんなTVとか見ないのかな。今年の年越しそばの具はエビ天。相方と食べる。

 そんなわけで今年もくれていきます。みなさまよいお年を。


20061230

 年の変わり目なので、WillcomのWS002INというデータ通信カードを買ってみたのですが、Mac OS 10.4.6までしかサポートしてないことに気づいてしばし愕然(OSの最新は10.4.8)。
 えいやっと地雷を踏むたちなので、何度かのフリーズを乗り越えて無理矢理インストール。あ、いけたっぽいな。Powerbook G4 10.4.8です。しかし32kはさすがに遅いな。


20061229

 やけに冷える朝だと思ったら案の定、雪。京都で積もっているということは・・・琵琶湖線で野洲を過ぎると案の定、雪が強くなる。
 本年最後のゼミ相談。

オールザッツ

 M1てやっぱりちょっと特殊な空気があるので、成立する漫才の質が限られてちょっと息苦しい。そこへいくと、オールザッツは夜半過ぎということもあってぐっとなごんでいる。笑い飯や千鳥、オールザッツだとじつにええ雰囲気です。あと、友近・なだぎのビバリーヒルズ白書。

 トーナメントでは、一回戦で敗退したものの中山功太の「アジア人女性」が、呼び込みの狡猾さと哀切を1分で見事に演じてすばらしかった。あと、ジャルジャルのすべての出し物がおもろかった。


20061228

年末恒例古本屋巡り

 倉谷さんと毎年恒例の古本屋巡り。キムラの二階でスキヤキを食って腹を整え、なぜか帽子と靴を買い、あちこち回り、最後は三月書房でお互いの著作を買い合う。内輪で増やす購買数。
 買い逃していた現代思想「ポストゲノムの進化論」での倉谷さんの主張は明快で、発生の「拘束」という考え方を、むしろ発生学の側から、発生のモジュラリティとして読み替えようというもの。

 遺伝子の単純な組み合わせだけを考え、時間の効率を無視するならば、生物には無限の可能性がある。が、発生プログラムはごく限られた時間のあいだに、しかも体全体の構造を生存可能な状態に保ちながら達成されなければならない。仮に、あちこちの遺伝子座がばらばらのタイミングで作動することによってものすごくレアかつスーパーな発生の方法を達成しうるとしても、それは発生の方法としてはあまりにも信頼性が低く、淘汰にひっかかってこない。
 ということは、淘汰にひっかかるような発生方法の背後には、その発生方法に対応するような遺伝子のモジュラリティが存在するに違いない。

つまずきの石、シュペーマンとテーブルマジック

 倉谷さんの発生学の話を聞きながら、頭の中ではジェスチャーのことを考えていた。進化では、自然淘汰が問題となり、そこでものの形が拘束される。表現型であるものの形に淘汰がかかって、表現型を実現している遺伝子セットが生き残る。
 ジェスチャーでは淘汰圧のようなものがあるだろうか。ジェスチャー・システムのあるなしについては、進化を考えてもよいかもしれないが、個々のジェスチャーは多様すぎて、とても進化論には乗らない。
 しかし、ジェスチャーとても、まったくでたらめに体が動くというわけではない。そこには、やはりある種の拘束条件が働くはずだ。
 最近、勘所だなと思うのは、スリップ(小さな失敗)という問題だ。ことばとかジェスチャーといった、ゆるやかで、他人とのやりとりを前提とするような問題で重要なのは、どれだけゆるぎない一意のできごとを伝えるかではなく、ある一意のことが伝わらないときに、そのスリップに対してどれだけ柔軟であるかということではないだろうか。
 スリップの柔軟性には、おそらく二通りある。ひとつは、もとに復帰するということ。もうひとつはスリップを利用して別の行為に移ること。
 石につまずきかけて体を立て直すのは前者である。しかし、つまずいた石を拾い上げてそこにつまずきとは別の意味を見いだすのは後者である。シュヴァルはつまずいた石を拾い上げて理想宮を作った。

 ことばやジェスチャーの根本的な機能は、自他の注意のナヴィゲーションだろう。なんらかの注意をナヴィゲートする動きは、自他の思考を促し、その結果は次なる自他のジェスチャーとして顕れる。
 注意のシークエンスのありようは、発生拘束に比べればよっぽど自由なものではあるが、それでも規則のようなものはある。あるものに眼をやったばかりに、別のあるものには眼が行かずに終わる、というようなことが起こる。手品における「ミスディレクション」とは、そういうことである。テーブルマジックの話術というのは、どうも会話分析やジェスチャー分析にとってかなり重要な問題を含んでいるような気がしてならない。あれはシュペーマンの胚移植実験のようなものではないか。


20061227

 山本精一さんの部屋で飲み会。サカネさん、来田くん、あとから扉野さんも。山本さんとは学年がひとつ違いだから、いろいろ体験が重なってるところが多い。宇野誠一郎の「悟空の大冒険」OPの最初のストリングスがいかに衝撃的だったかとか、「ムーミン」の冬眠のイメージとか、はっぴいえんどとはちみつぱいから何を汲み上げたかとか、そのほか、CBGBやらビートクレイジーやら70年代末から80年代の固有名詞がいろいろ出てきて盛り上がってしまい、他の三人がちょっと唖然としていた。


20061226

リアリティの水路、リアリティの顕現

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 ベイトソン「精神の生態学」のメタローグにある、白鳥を演じる人の話について、黒板で考える。例によって論理ではなく妄言。
 ヒトが白鳥を演じるとき、ヒトのリアリティは白鳥のリアリティに勝っている。しかし、この、リアリティの勾配こそが、水路を開く。ヒトから白鳥に、水が流れ込む。しかし、白鳥のリアリティは、水が流れ込むように徐々に顕れるのではない。あたかも水の冷たさにいきなり気づくように、白鳥のリアリティは、あるとき一気に顕れる(移る)。顕れるとともに、そこに水が流れていたことがわかる。
 写し、映し、移し。写経の時間と写真の時間は異なる。写経の時間を考えること。満願。たとえば百回目に願が叶う。いきなり叶うからといって、それはいきなり達成されるということではない。いきなり達成されたものからは、水の流れが感じられない。いきなり達成されるということは、ただ切り替わるということ。そこには「成る」ことを感じさせるための水路の時間がない。
 水路と貯水池。水があふれること。撮影してから像が顕れるまでの時間。デジタル写真に欠けているのは、水路の時間。


20061225

 同僚の大橋先生から巨大白菜をいただいた。さて、鍋でも作るか。ダシは昔、向田邦子の随筆で読んだ(んだっけな)、ニンニクをひとかけ入れるというシンプルなもの。これにざくざくと切った白菜と豚肉やらキノコやらをぶち込み、ポン酢でいただく。なにしろ白菜が旨いので、手間のかからないわりにはぜいたくな鍋になる。たらふく食って、まだ白菜は3/4ある。次はラーメンに入れようかな。


20061224

黒板のある部屋

 京都の部屋はほぼ改装が終わり、あとはソファとテーブルを入れるのみとなった。待ちきれずに荷物を運び込み、作業環境を整える。
 部屋の黒板にさっそく字を書く。10本入り168円の「ホームチョーク」というのを買ったのだが、学校で使うチョークより心なしか軽く、はじくとちりんちりんと鳴る。塗ったばかりの壁にかつかつという音が高くはねかえる。
 教室の黒板に書きつけるときは、とにかく可読性が問題なので、後ろの人まで見えるように大きく書く。しかし、部屋の黒板にはそんな配慮はいらない。隙間に次々と文字を埋めていく。
 黒板句、季語はあったりなかったり。

 新しき石灰の棒 冬桜
 冬寒やホームチョークの高き音
 横書きは端に達して椿散る
 消すために書き下ろす字の擦る音
 チョーク落つ音驚かす冬硝子
 カツカツとホームチョークのナニワ道

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妄想の中の思いやり

 M1グランプリ。予選から図抜けてチュートリアルだった。
 彼らの紹介に「妄想男」というテロップ。言い得て妙な表現だと思ったが、いっぽうで、妄想じたいのおもしろさだけが突出した語りは、たぶん漫才としては浅いのではないかとも思った。
 昨年のブラックマヨネーズもそうだったが、妄想に苛まされながら、なぜか妄想の中で相方を思う、あるいは、妄想につきあわされながら相方を思う、そういうどうしようもないところでふと顕れる人のよさを、年末に漫才を見る者は我知らず求めているのではないか。

 チュートリアルもブラックマヨネーズも妄想を飛ばすことでは同じだが、チュートリアルの徳井がおもしろいのは、妄想の中でなぜか相手を思いやってしまうというところだ。
 今年で言えば、決勝の自転車のベルの話で、徳井が「おまえのチリンチリンになったるわ」といって腕を出したところ。とまどう福田の手で自分の腕を押させて、全身自転車のベルと化した徳井がチリンチリーン!チリンチリーン!と鳴る。この妄想の過ぎた思いやりは、深いと思った。

 別に本人たちが狙ってそうなったわけでもないだろうけれど、男前徳井/ぶつぶつ吉田、というキャラクターの対比が、そのまま、相手を妄想で思いやる/自分を妄想で虐める、というキャラクターの対比になっているところも、興味深い。

 そういえば、先日、松居一代がブラックマヨネーズ吉田の部屋を掃除するという番組をやっていたのだが、これがただの収納開運番組ではなく、ちょっとぐっとくる内容だった。昨年せっかく取ったM1のトロフィーや金券を、なんと吉田はゴミだらけで雑然とした部屋の中に埋もれさせているのだ。そして、その部屋のあちこちには、捨てることのできない前の彼女の持ち物が散在している。相方の小杉と松居一代が一部屋片付けて次の部屋に進むたびに、またしても前の彼女のものが出現する。この流れは、ほとんどブラックマヨネーズの漫才ではないか。吉田の妄想の根の深さに感じ入ってしまった。

相手をいかに機能不全に陥れるか

 笑い飯はWボケと言われている。が、片方が妙なことをしている間に単に片方が待っているだけでは、ボケにならない。ボケというのは、正常な相方の行動を機能不能にすることで初めて成立するものだ。
 彼らがかつてよくやっていた、相方の動きを横取りするシークエンス(「それオレのんや!オレのおもしろいやつや!」)がおもしろかったのは、単に片方がボケているだけでなく、相手のボケのオリジナリティを踏みにじっていたからだ。あるいは、「奈良歴史民俗博物館」がすばらしかったのは、片方が音声、片方が所作を同時進行させることで、お互いがお互いを縛り、機能不全に陥れていたからだ。
 残念ながら今年の笑い飯にはああいう機能不全のおもしろさがちょっと希薄だった。いかに自分をオモロくするかよりも、いかに相手に縛られるかという問題のほうが、解くのがむずかしいのかもしれない。


20061223

サンタになる

 子ども療育センターのクリスマス会。

 今日はいつもの子たちだけでなく、親御さんや兄弟姉妹の人たちも集まっている。
 カメラで食事の様子を撮っていると、途中で𠮷田さんに「ちょっとこちらに来てください」と声をかけられる。準備室に行くと、小声で「サンタの役をやってくれませんか?」と言われる。「ぼくがやるとバレバレなので」
 𠮷田さんは毎週スタッフのリーダーとして子どもたちと顔を合わせている。そういえば昨年の𠮷田さんのサンタは確かに「バレバレ」で、「あれ、これは誰かな?」とおどけて紹介されてたのだった。ぼくは年に数回来る程度だから、少しは「バレバレ」度が低いかもしれない。

 サンタに扮した経験はないが、言われるままにそそくさと着替える。両面テープの眉毛、ゴムひものあごひげ、上着の前はマジックテープ。早変わりしやすいデザインだなと感心する。

 ひとり出番を待ちつつ、カメラをいじっていると、何の用事なのか、女の子が入ってきてしまった。

 ああ、ばれた。

 と思ったが、その子の顔にはまだ驚きの表情が残っている。
 「サンタさん?」といわれたが、とっさに気の利いたことばが思い浮かばない。
 人さし指を口に当てて「しーっ」をする。
 するとその子が近づいてきて「おみやげ?」という。一瞬なんのことかわからなかったが、かたわらの白い袋に眼をやるので、ようやく、ああ、プレゼントのことかとわかる。なにしろ、衣装を着たばかりで、サンタが何者なのか、自分でもまだよくわかっていない。
 再び「しーっ」をする。と、今度は「あのね」とささやき声で言いながら横に回ってくる。体をかがめると、耳元で「これ、おみやげでしょ?」という。
 うんうん、とうなずいて、また「しーっ」。
 すると女の子は「ひみつね?」と意味ありげに笑ってから、扉から出て行った。
 それを見届けてから、すっかりサンタになった気がした。「しーっ」しか言えない、貧しい応対ではあったが、女の子はぼくをサンタとして扱ってくれた。人はサンタに生まれるのではない、サンタになるのだ。

 扉の向こうで𠮷田さんが「みんなで大声で呼びましょう」と促すのが聞こえる。とくに打ち合わせらしいことはしなかったが、「サンタさーん」という子どもたちの声がしたので、いまだなと思って、袋を抱えて出てから、大声で叫んだ。

 メリークリスマース!メリークリスマース!

 女の子は、眼が合うと、わあ、と笑った。


20061222

テレプシコーラ

 簡単な会議卒論相談。いろいろやることはあるのだが、ゆうこさんとちゃんこ鍋を食ったら腹が満腹になり、そうなるともうコタツから体が動かなくなり、そのまま山岸涼子『テレプシコーラ』をまとめ読み。
 噂には聞いていたが、47から再びバレエを習い始めたという作者の身体感覚が、ちょっとした動きの描写や挿話にいかんなく発揮されている。練習場でのバー位置の奪い合いや、技の巧拙の描き分けなど、『アラベスク』に比べても、格段にリアリティが増している。
 物語のほうはというと、日常のささいなことがいちいち予兆に見える山岸節全開。びっくりするのは、ときたま顕れる携帯やネット、パソコンの扱いで、単に新時代の風俗として扱うのではなく、圧倒的な適確さでその「電波」感を描いており、怖い怖い。子どもにノートパソコンの内容を見られかけて、思わずマウスをクリックして閉じるときの動作のピックアップの仕方など、ぼくより上の世代の人とは思えないリアルさだ。
 1巻読み終わるごとに、その先に広がる未来の底知れなさに「きーっ」と叫びたくなる。どうしようもない大人たちに囲まれてどうしようもない生活を送っている須藤空美は、ここ数巻ほど姿を見せないのだが、その不在感がどの巻にも感じられる。金子先生の存在がこのマンガの救い。


20061221

 卒論指導の一日。


20061220

リスニングか筆記か

 英会話スクールのNOVAのCMに、謎のジャングルジムに襲われた外人が英語で助けを求めるというのがある。英語のできない女性は思わず彼から逃げて、NOVAに駆け込む。
 じつは男を助けるには、英語は必要ない。状況を見れば、どんな助けが必要かは一目瞭然である。この女性は、英会話ができないからコミュニケーションできないのではない。「英会話ができないとコミュニケーションができない」と思っているために、コミュニケーションできないのである。
 大手の英会話スクールがこんなCMを打って、なお人気が下がる気配がないところを見ると、現在の日本における英語観はよほど屈折しているのだろう。

 今日は、センター入試の監督説明会があった。文科省からは、「この説明会を受けない人は試験監督をしてくれるな」といったニュアンスの通達があったらしい。延々四時間におよぶその内容のほとんどは「リスニングテスト」に費やされた。
 受験生一人一人にmp3プレーヤーを渡すという、やたらコストのかかるこのテストでは、機器や騒音のトラブルという不測の事態に備えて、100数十ページに及ぶ複雑なマニュアルが用意されている。説明会でこれを熟読するのだが、「消防車などのサイレン音」や「くしゃみ」など、リスニングテストで想定される障害について、もうええっちゅうほど細かに想定されており、なんだか不条理小説を読んでいるような気分になった。

 リスニングが英語能力のひとつであることはもちろん理解できる。が、かほどの物的・人的コストをかけるほど大学教育に必須の能力かと言われると、どうもピンと来ない。
 仮に留学生との交流を目指すのであれば、留学生の割合から言って、中国語や韓国語のリスニングやスピーキングを高めるほうがよっぽど実用的である。


 そもそも、英語のリスニングに力を入れることで、大学教育の何をどう変えるというのだろうか。
 あくまで非英語教育の現場にいる者としての偏った意見だが、講義やゼミでは、学生の英語リスニング能力を問う必要はまったく感じない。むしろ、必要性を感じるのはリーディングである。
 卒業までに英語を話すことが必須となるような場は、語学の時間を除けば、大学ではごく限られている。が、読むことは、少なくとも卒業論文を書いてもらうには、必須といってよい。
 科学系・人文系を問わず、多くの学術界は英語を第一言語としている(日本語ならよかったのだが、それが現実である)。そして業績の基本となるのは、口頭発表ではなく、書かれたもの、つまり論文である。
 たとえ日本語で論文を書く場合でも、英語の論文を自力で読まねば、先行研究は何で、いったい自分のやっている仕事が学問上どういう位置づけにあるかを把握するのは難しい。図書館の英文雑誌を読んだりGoogle検索で英語論文をピックアップしていくことができる人と、日本語論文のみに眼を通す人とでは、世界観に圧倒的な差ができる。
 しかし現状では、卒論生に英語論文をせっせと読んでもらえるような状況には、ない。簡素で短い英語論文を輪読しようとしても、何コマもかかってしまう。
 せめてもうちょっと入学時の英語読解力があればなあ、という思いは大いにある。紋切り型の会話内容を瞬発力で聞くリスニング能力を鍛えてもらうよりも、時間をかけて読解する能力を鍛えてもらうほうが、学問をするにはよほど役に立つ。

失敗に脆弱なテスト形式

 リスニングテストにはさらに本質的な問題があるように思う。
 それは、失敗しないことを前提としている、という点だ。
 筆記試験では、たとえ読み落としがあったとしても、受験生は時間内でさえあれば好きなだけ読み直すことができる。たとえ問題に落丁や汚れがあったとしても、再テストなどということはあり得ない。問題用紙を取り替えれば済むことだ。
 これは、筆記試験という形式が完璧だからではない。筆記試験という制度が、受験生や出題側の失敗に柔軟だからである。

 いっぽう、リスニングテストでは、全員に機会均等に会話を聞く機会を与えるために、わざわざ一人一台mp3プレーヤーが渡される。このプレーヤーには巻き戻しボタンというものがない。一度再生ボタンを押したら、録音の最後までとにかく再生が続けられる。
 リスニングテストは、トラブルにとても脆弱だ。それぞれの受験生は録音を一度だけ聞く権利がある。この一度だけの機会がなんらかの形で失われると、すぐさま、受験生のあいだに不平等が生じる。そばで消防車が通ったり、誰かが大きなくしゃみをしたり、再生装置が雑音を発したり故障したりすると、もういけない。その時点でテストは中止される。
 不運な受験生はその日のうちに「再開テスト」なるものを受けることになる。この「再開テスト」では、録音をもう一度はじめから聞いて問題を解く。二度聞きによる不平等を排するため、中断直前までに行われた前回の解答と、再開テストでの解答をつぎはぎして、それをその学生の解答と見なす。

 こういう風に考えてみることもできる。筆記試験という形式では、試験中の時間の使い方は受験生にまかされている。どこからどのように解こうと彼らの自由である。いっぽう、リスニングテストでは、あくまで出題者が時間を管理している。出題者の提供するスケジュールに従って、受験者は問題にアクセスする。そこでは受験者の意志による聞き返しは許されていない。
 ことばにアクセスする時間を自分で配分できる能力と、想定された時間通りにことばにアクセスする能力と、どちらを優先したいかと言えば、わたしは前者である。失敗に柔軟な人のほうが、失敗しない人よりもコミュニケーション論には向いていそうだからだ。

 それに、失敗しない英語力というのを想像すると、なぜかあの、NOVAのCMが思い出されるのだ。


20061219

大人の科学 vol.14 ステレオピンホールカメラ

冊子のほうで、赤瀬川原平さんとの対談が掲載されています。

箱楽器としての蓄音機

 加藤玄生「蓄音機の時代」(ショパン社)あとがきに、電蓄と蓄音機の違いを表して「蓄音機は楽器」とあり、うーむ、とその含蓄にうなったのであった。
 以前、中尾勘二SP鑑賞会に出たときにも、やはり、中尾さんのSP盤再生に対する「楽器」的態度にぐっときたのを思い出した。
 でもって、先日、ループラインで上江州佑布子さんのハープ演奏を見たとき、ハープという楽器をしげしげと眺めて、それが建築のような大きな柱と、足下の大きな共鳴箱を要しているのに驚きもした。
 で、ぴーんと来たのですよ。

 蓄音機・ハープ・ピアノ・バイオリンなどなど。
 これらは「箱楽器」と呼べばよいのではないか、と。

 そもそも弦楽器/管楽器っていう区別っておかしくないですか?
 だって、弦ていうのは発信源なんだから、対立させるなら、むしろ同じ発信源である「弁」でしょう。弁楽器。金管は唇のバズィングで鳴らすのだから、唇楽器。

 もし、その共鳴体の形状によって分類するならば、管楽器に対比されるべきは「箱楽器」です。ハープ・ピアノ・バイオリン、ギター、みーんな箱。そして、箱楽器に蓄音機を入れると、ちょっと楽器観が変わっていいな、と。

 難しいのはパーカッションで、これは発信源の振動を共鳴箱なしで聴かせることが多い。トライアングルとか木琴はなんだろうな。下にパイプがあるやつは管楽器か? ないやつ・・・無共鳴体楽器? ティンパニは、箱にしては形がちょっと・・・ 鉢楽器? 

 電子楽器はどうか。スピーカー自体をとるか、その箱をとるか。

楽器の新分類法

■発音源:弦・弁(枚数)・唇・膜・板・棒・・・
  例:膜楽器(ティンパニ)、棒楽器(トライアングル)

■発音方法:打・擦・吹・・・
  (これは単一の楽器で複数ありうる。
  ヴィブラフォンの鍵盤を擦ったら擦楽器というべきなのか?)

■共鳴体の形状:管・箱・建築・・・
  (梅田くんの風船は球楽器か?)

■聖性:御神体・結界・供物・霊媒・新聞・・・


以上の組み合わせで新楽器、新奏法ができそう。
紙を建築にはめて吹いて、恐怖新聞、とか。


20061218

二人会話と三人会話の違い

 会話分析では、二人で行われる対話を素材にすることが多く、それが三人になったときにどのような特別なことが起こるかについては、さほど体系的に扱われてきたわけではない。しかし、最近、三人以上の多人数会話を扱う仕事が増えている。
 なぜ、二人にくらべて三人が特別なのか。こう問うと、「2」と「3」との違いのように思える。が、じつは見方を変えれば、これは「1」と「2」の違いである。つまり、自分以外の他者が「1」か「2」かという違いが、二人会話と三人会話との違いだ。
 たとえば、他者が2の場合、なにが起こるか。1に眼を向けていることが、2に眼を向けていないことを含意する、ということが起こる。どちらか一人の他者を特定して音声やジェスチャーを向けると、もういっぽうの他者は、自分にそれが向けられていないことに気づく。
 選ぶことと選ばれないことが同時に発生しうる点で、2は特殊なのである。

 てなアイディアをコミュニケーションの自然誌のあと、定延さんに話すと、「2が1になるときは、新しい概念がそこで生まれるんですよ」とのこと。じつは定延さんは、「妻が3回変わりました」など、回数の数え方問題のスペシャリストなのである。


洞窟的思考

 人は遮蔽のむこうがわの形を、蓋然性を手がかりに補完し、特定の形として認知する(たとえば下條信輔氏が十字ステレオグラムで提唱しているような問題)。
 このような遮蔽の問題を、行為モデルとして考える場合はどうか。たとえば遮蔽のむこうがわにあるものを「未来」とすることについて。

 それは遮蔽のむこうがわに手を伸ばすということにおいて「未来」なのではないか。つまり、遮蔽の向こうがわ、たとえば洞窟の穴影に手を伸ばすという行為によって、遮蔽には時間が与えられる。


20061217

洞窟俳句

 朝6時起床。本日は、コンパス・ケイビング・ユニットの毛受さん率いる河内風穴ケイビングの集まり。
 河内風穴は、彦根(というか多賀町)名所のひとつで、いちど行ったことがある。そのときは、瓦礫のような空洞から少し歩いたところで行き止まりになっていて、こんなものかと思ったのだが、じつは、この観光洞の向こうには、とんでもない世界が広がっているのである。
 毛受さんによれば、この河内風穴は80年代から調査が進み、いまでは全長8kmにおよぶ全国第四位の大洞穴であることがわかっているのだという。そして、奥には、観光洞とはまったく異なる、さまざまな形態の鍾乳洞も見られるらしい。
 といっても、そこは観光客が気安く入れるような場所でなく、全身泥だらけになりながら難所をいくつもくぐっていかねばならない。測量目的などの限られた目的でのみ入洞を許されるこの奥地への探索に、今回縁あって、加えていただけることになった。

 うちから車で30分くらいのところにある名神IC近くで待ち合わせ。風穴前で全員ツナギとヘルメット、ヘッドライトに洞穴靴に着替えると、いやがうえにも緊張は高まる。メンバー中、わたしがいちばん最年長で、他の人たちはいかにも体が柔軟そうである。
 観光洞の行き止まりには頑丈な鉄格子があり、ここからはあらかじめ許可を得た人でなければ、入ることはできない。

 身をかがめて入ると、いきなり、目の前まで近づかなければおよそ入口とはわからない小さな穴が開いている。熟練のメンバーたちは、ヘッドライトのみの暗がりの中で、わしわしと迷いなく岩をつかんでいく。後ろで観察しながら同じ岩をつかむと、いっけん脆弱そうな突起が、意外に確かな手応えを持っていることに気づく。頭の中では、入口付近の剥離しやすそうな岩を描いていたのだが、奥のほうでは、石灰が岩の間や表面をしっかりと覆って鍾乳洞を形成しているため、容易なことでは剥がれないのである。

 途中、ヘルメットのわずかなツバさえひっかかる、人の体ひとつ分の狭い空洞を、身をよじりながら抜けるところがある。リュックを背負ったままではまず通れない。先に狭い穴の向こうで待機している先達に、リュックをあずける。それから、まずある角度で頭を入れ、入れた頭を回転させて肩を入れ、見えない足もとを蹴って両腕を向こうに出す。思いがけず腕が伸び、脚が伸び、まったく使うつもりのなかった筋肉が使われていることがわかる。
 以下、俳句にて描写。

岩に背をあずけて投げしリュック落つ
石筍(せきじゅん)の丸さ引き寄す登り口
にぎやかな声まだ遠し滑り台
「ちょっといってきます」縦穴にライト消ゆ
つらら生む水のたまりし岩に坐す
石灰につながれし岩踏みて行く
泥軍手洗いて頼りなき右手
水集うホールに黙し飯を食う
うつむきて広さを想う暗さかな
水琴の音を聞く背に風来る
先を行くあかりを映す水ありき
両手(もろて)挙げ蹴る岩探し伸びる脚
名づけたる岩にふたたび帰り来ぬ

 洞窟を出ると、散り残った紅葉が眼に新しい。
 ヘルメットをなでたら、前のほうが傷だらけだった。そういえば、何度かしたたかに岩で頭を打った。ヘルメットがなかったらえらいことだった。
 駐車場で着替え、川辺で泥だらけになったツナギや靴を洗い、8号線沿いの極楽湯へ。風呂を浴びるうちに、あちこちの筋肉が異様に凝っているのがわかる。一同で夕食。小山田号で送っていただく。他のメンバーにひたすら助けられた一日だった。
 ドンガラガン、シアターホール、ドリームホール、かえる岩、カーテン、集水ホール、みわホール、鐘の鳴る丘、固有名詞で思い出す洞内。


20061216

めぐすり

 東京へ。東大総合博物館小石川分館の「驚異の部屋」。動物学教室出身の自分にとってはいろいろ身近だった物品が並んでいて、昔いた環境を改めて博物学的に眺め直すような感じだった。
 それにしても、昔は、さまざまな標本を「見せる」調度がいくつも作られていたのだなと思う。頭を三角に切った木材標本の入ったケースなど、ずいぶん手間暇のかかったものが多い。実地教育の力。自然物であれ人工物であれ、とにかくメカニズムを「モノ」として見せてしまうやり方。

 小石川植物園は、遅い紅葉を迎えていた。高い虫食い葉ごしに、曇天が透いて見える。
 めぐすりのき、というのがある。樹液を目薬にしたということなのだろうか。あるいは、見るくすり。

 国立情報研でジェスチャー研究会。坊農さんの手話に関する発表。手話の直接・間接話法、空間参照枠の管理について。手のみならず頭・身体システムが空間参照枠をどのように切り替えているか。

 飲み会にちょっと出てから、彦根に戻る。明日のパッキング。


20061215

塗り分けがもたらす感覚

 大学グラウンドのそばに小さな公園があり、遊具にはどれもつつましい、しかし通常の遊具とは少しく異なる配色がほどこされている。ジャングルジムは立方体の辺ごとに色分けされており、シーソーのひとつひとつの手すりも、ベンチの側面も、それぞれが異なる色で塗られている。
 この細かい色分け、ほんの少し余計の手間暇のかかった感じから、塗った人の愛着が漂ってくる。それはあたかも、ジャングルジムを一息に登ってしまう腕白者が、一足一足上がってくる者を見て、その一足一足の動きに、あらためてジャングルジムの造作を発見するような感覚なのだ。
 年端もいかぬ子どもを抱いた母親が公園の入口で、まるで初めて公園の光景を眼にしたかのように立ちつくし、自分たちがどの遊具に行くべきかを見定めている。そしてまだ迷いながらもゆっくりとブランコに近づき、いざ板に腰を下ろすと、そこで確信を得たように子どもをぎゅっと抱きしめて、自らを揺らし出す。
 その所作のひとつひとつが染みいるようにこちらに見えてくるのも、おそらくは遊具の塗り分け感覚がこちらに感染したからだろう。この公園は、長岡京市は大阪成蹊大学で行われているフランク・ブラジガン展のひとつで「日常性の回復」というタイトルである。

見越す

 京都に移動。彦根の広い空を見慣れていると、京都の空は、垣根ごし、街路樹ごし、家並みごしで、いつも何かを見越している。「見越す」というのはなかなか含蓄の深いことばだ。単に遮蔽しているものの隙間を見ているのではなくて、遮蔽しているものを「越して」見る。つまり、「越す」ということばは、視線が遮蔽のさらに向こう側を想像すること、見えているものから見えないものを補完することを、含意している。

 意外なほど奥の深い佐藤金物で、洞窟グッズ一式を購入。そのあと、お歳暮でスモークサーモンをゲットした扉野さんにあやかって、サカネ亭で飲み会。あ、土星を忘れた。


20061214

なんとかコミュニケーションできること

 三回生ゼミはアンケートを回収したり、掲示物を作ったり。ゼミ生の一人が無事復帰。めでたい。
 今年の卒論は、すれ違い行動、演劇のモブシーン、自己接触行動、ダンスの練習シーン、雑談における笑い、レジでのお金の受け渡しなどなど、全員やっていることが違う。
 が、おもしろいことに(というかさりげなく誘導したのだが)、どの学生も基本的には、「失敗と修復」について考えている。つまり、見かけのゴールを達成するだけなら必ずしも必要でないもの、ただの失敗に見えるものの中に、じつはコミュニケーションの柔軟性がもっともよく顕れている、と見る態度で卒論にのぞんでもらっている。(そういうことなんですよ、卒論生のみなさん)

 日常の相互作用には、小さな失敗(スリップ)が含まれていることが多い。この「失敗」は、ただの失敗ではなく、回復の第一歩でもある。たとえば、道ですれ違おうとして、つい相手と同じ側によけたからといって、「ああ、もう!」とすれ違いを諦めてしまう、なんてことはありえない。通常は、ひょいひょい、とお互いに避ける態勢を立て直しながら、なんとかすれ違っていく。これを従来は、「うまくコミュニケーションが行ってない例」として扱ってきたわけだが、むしろそれを「なんとかコミュニケーションできた例」として見なそうというわけである。

コミュニケーション・ブレイクダウンの回避

 小さな失敗の次には、意識にのぼらないほどの速さ(コンマ1秒もしくはそれ以下の単位)で、相手の行動に対する小さな軌道修正がくる。そのプロセスはあまりに速いので、行動している本人も、あとでそれを言語化することはほとんど不可能である。
 しかし、この言語化のむずかしい、小さな失敗の回復によって、コミュニケーション・ブレイクダウンのほとんどが回避される。失敗したときにどうすべきかというオプションが、ヒトの行動にはいくつもあるのだが、こうこうこうでしたと語られる経験ではない。

 多くの非言語コミュニケーション研究は、これら失敗の回復(コミュニケーション・ブレイクダウンの回避)に光を当てていない。たとえば、すれ違い行動の研究史を見てみると、過去のいずれの研究も「どのような性差があるか」「背中を見せてすれ違ったか腹を見せてすれ違ったか」や「微笑はすれ違いをスムーズにさせるかどうか」といった、傾向の抽出に力を注いでいる。傾向の抽出はノンバーバルコミュニケーション研究によくあるものだが、それでは、なぜ傾向に添わないヒトがコミュニケーションできるのかが説明できない。さらには、小さな失敗がなぜブレイクダウンに至らないのかも説明できない。

 ちなみに、性差の抽出は、進化心理学の流行とともに盛んになってきているが、1/0の性差ならともかく、単なる「傾向」の差を論じるときは、なぜ傾向に性差があるかだけでなく、なぜそれが傾向にとどまり、1/0に淘汰されないのか(なぜ多様なのか)を語る必要がある。

アフォーダンス研究との違い

 微細な失敗は「マイクロスリップ」として、主にアフォーダンス研究で扱われてきた。しかし、アフォーダンス研究では、どちらかというと、ヒトとモノ(環境内要因)との関係に注目する。いっぽう、相互作用の場合は、ヒトどうしの関係に注目する。こちらが微細な調節を行うと、相手も微細に調節を行う。この微細な調節の組み合わせで、ことはあっという間に解決するのだが、その過程を記述するのがおもしろいのだ。

車を見るか車輪を見るか

 一回生の頃から発達障害支援のサークルに入っている和田君と話す。彼はもうかれこれ三年以上の経験を積んでいるので、いろいろおもしろい事例を知っていて、こちらが出した例について「そういえば」と、より具体的な例を挙げてくれる。
 たとえば、子どもと保育士さんのちょっとした齟齬について。
 ある自閉の子がミニカーを手に持ってみとれている。するとそばで保育士さんが、ミニカーを走らせてみせて遊ぶ。遊びは長続きしない。よく観察すると、子どもがみとれているのは、車の本体ではなくて、走るときに回る車輪のほうである。それは、車をもって車輪を回すことからもわかるし、車をゆっくり走らせて、横からその車が動いていく様子をずっと追いかける様からもわかる。などなど。
 子どもが自分なりの独自の注意の焦点によって世界の中のごく一部を見ているように、大人もまた、注意の焦点を定式化して、世界のごく一部を見ている。身に付いてしまった定式を使わずにものごとを眺めることができるには、ある種の柔軟性が必要になる。和田君はどうやらそれを体得しているらしい。


20061213

 新聞の取材。
 記者の方は、絵はがきを集めることについての話をしたかったようで、わたしが所有している絵はがきの数のことを盛んに聞いてこられる。が、コレクターとしてのわたしはたいしたものではない(所蔵枚数一万枚ていどというのは、コレクターとしてはヒヨッコ以下である)ので、集めることについてはさらりと流し、もっぱら絵はがきを使うことや、絵はがきであちこちに行く話をする。記者の方はいささか当惑したような(というよりは、詐欺にあったような)顔をしておられたが、いたしかたない。

硫黄島からの手紙

 ビバシティのレイトショーで「硫黄島からの手紙」。二宮くん演じる一兵卒の数奇な運命は、指輪物語との相似と差異を感じさせた。自分が指輪を持っているのかどうかもわからぬまま、気がつくと託されている人の物語。口にできないことを抱えて生き延びる運命。
 聞き手と話し手の関係性の中でできごとを言語化する。しかも言語化されたできごとの責任を当の話者に課す。そのような会話の残酷さを、手紙や手記は逃れようとする。手紙を書くということは、「目の前のあなたには言えない」ということであり、遠いあなたへの賭けでもある。
 洞窟映画として。穴の中の穴らしい光。「父親たちの星条旗」は「外」の映画だったのに対し、「硫黄島からの手紙」では、「外」は常に何かに遮蔽されている。逆光としての出口。塹壕の細長い隙間から見る敵。岩陰や木陰を透いてみる艦隊。


20061212

 学部長選挙。会議。夜、学部の忘年会。


20061211

 朝、原稿送付。夜にはゲラが戻ってきて校正。編集足立さんのご苦労を思って東京方面に手を合わせる。

 もう少しぱたぱたと流れるように書ければいいのだが、どうも子どもの時分に読書感想文を書いていた頃から、やたら書き直す癖が直らない。当時はわら半紙や原稿用紙をずいぶん書き損じたが、パソコンになってからは紙の無駄がないせいもあって、いくつも別のバージョンを作って書き直してしまう。

双子の記憶

 講義で幼児期の記憶の話をしているときに、ふと、「双子の人の記憶って特別かも」というようなことを口走ってしまう。

 記憶は多かれ少なかれ、エピソードをどう言語化するかに依存している。このことは、あとから言語を介した会話によって埋め込まれた知識が「偽記憶」を作動させることからもわかる。言語習得の過程にあって、自分の体験をたどたどしくことばにする子どもが、親から「それはこうこうこういうことでしょ?」とすらすら言われて、自分の体験を言語化するということは、じゅうぶんありうる。
 となれば、自分の体験を会話でどのように構成していくか、というのは、幼児期の記憶を構成する上で、とても重要だということになる。

 以前、酒井邦嘉さんに「双子には言語習得の過程で『双子のクレオール』のようなものがある」という話を聞いたことがある(→赤ん坊はピジン、双子はクレオール

 だとすると、双子の人の場合、一緒に同じ体験を、しかも同じ年齢の者として行い、しかもそれを親子とは全く異なる回路によって緊密に言語化するわけだから、記憶の構成や想起のあり方が、かなり特別なんじゃないかと思ったりする。
 想像するに、「あれ、みたよね」「ああ、あれよかったよかった、それであれが」「ああ、それそれ」てな話が双子クレオールによって交わされて、常人よりもずっと素速く、言語によって注意の焦点がピックアップされ、エピソード化が起こるんじゃないだろうか。

 マナカナやザ・たっちの、あのシンクロぶり、とくにトーク番組で、何か話をふられたときの同期っぷりには、単に反応の仕方が似ているよりも、ある過去のできごとを思い出すその想起のプロセスが似ているという感じがしてならない。このあたりの機微、じっさいに双子の人に聞いてみたいところだ。


20061210

壁を塗る

 いよいよ今日からアパートの部屋の改装。午後、小山田さんと毛受さんがやってくる。

 部屋をいったんからっぽにしてから、まずは壁のあちこちに打ち込まれたカーテンレールやねじくぎの類をすべて取り除く。
 土壁特有の桟が、壁のあちこちに渡っている。その縁をメンディング・テープで貼っていく。これには、桟を顔料の飛沫から守る意味があるだけでなく、桟と壁のエッジをきれいに出す意味がある。
 「これを完璧にやっておくと、壁塗りの効率が2,3倍違うんですよ」と小山田さん。

 一通り貼り終えてから、いよいよ壁塗り。これまではかなり黄色みの入ったクリーム色だったが、今回小山田さんが選んだのはほぼ真っ白の漆喰色。このほうが白熱灯で照らしたときに落ち着いた感じが出るという。

 天井には、以前からの安いボードやベニヤ板がツギハギに打ち込まれているのだが、剥がすと天井のおもいがけない(もしかしたらとんでもない)構造が見えそうなので、「見ないことに」して、ここもボードの上から白く塗っていく。
 ボードとボードのあいだの目地のくぼみまでしっかり塗るのが大切なんだそうで、ここをきちんと塗っておくと、全体に統一感が出るそうだ。なるほど、じっさいに塗り上げてみると、天井ボードとベニヤという材質の違う二種類のあいだに、不思議な一体感が出る。「なんか木綿豆腐みたいですね」
 一日目は、部屋を半分塗りおえたところで終了。

 彦根に戻り、自転車で寒風の中を飛ばしていたら、遠い信号機がやけに生々しく見える。それで、松本大洋論の最後の部分を思いつく。家に帰って、無駄な部分を思い切って捨て、20数枚にまとめる。


20061209

 京都に戻ってさらに松本大洋論。いくつかのパーツに分けて並行して書いている。合わせて40枚以上になってしまったのだが、まだいいオチを思いつかない。


20061208

スコープ酔い

 午後、東京へ。ボストークで、東泉一郎さん、ガビンさんと話。ステレオ視からロボットの感情表出まで。東泉さんに、自分で起きあがるロボットの映像を見せてもらったのだが、これはぐっときた。もう三年前くらいのものらしいのだが、寝ころんだところから上体をスイングさせて、とん、としゃがんだ姿勢に起き直る。ロボットの重い身体を、ただ負荷と見なして起こすというのではなく、スイングさせることで、自分の体重を回転モーメントに転換している(と勝手に解釈したのだが本当だろうか)。

 有楽町のギャラリー椿で、桑原和明展の内覧会。これまでの桑原さんの作品がずらり並べられ、マグライトでこれを次々と見ていく。やはり部屋ものは魅力的だ。新作でも、冬の情景の見えるものや、青い部屋など、シンプルな部屋のものには、不思議な不在感が漂っていて素晴らしい。想像を絶する手間暇をかけられたスコープ作品が数十点、ずっと見ているうちにだんだん自分のスケール感がおかしくなってきて、最後のほうはふらふらになった。

ハープを弾く身体

 千駄ヶ谷に移動。LoopLineで室内楽シリーズ。今回は上江州さんのハープをフィーチャーした四人の作曲家による作品の演奏会。
 宇波くんの作曲は、ペダル動作も含めて、ハープ奏者の多様な身体動作が浮き上がる不思議なもので、奏者のとりついているハープが家具に見えたり弓を引いているように見えたりする。演奏の風景がなんともなまめかしく見えてくる一曲。ペダルを踏んだときにハープの共鳴が鳴るのだが、その空気の含有率にぐっときた。
 杉本さんの曲は、端正な音列がさまざまなボリュームで鳴らされていくのだが、特に高音のフォルテシモの鳴り方が独特だった。隣り合う弦の共鳴なのか、濁った倍音の余韻が、まるで頭から血の気が引いていくようにサーッと鳴る。
 大蔵さんの曲は、「竪琴」的な、饒舌ではないが美しいメロディ。前の音を残しながら、次の音が危うく和音を響かせようとする瞬間。ここでも、ときおり鳴るざーっという残響が魅力的だった。
 あとで上江州さんに聞くと、彼女のハープには小さなひび割れが入っているのだそうで、おそらくはそれが「ざー」の原因だという。しかしこのひび割れが、カリンバに仕組まれた鉄の輪のように、かえって不思議な空気感を醸し出す。なんというか、箱が鳴ってる感じがするのだ。

 LoopLineに来ていたモモさんと久しぶりに飲む。昨今のマンガ批評事情についてあれこれ話す。
 宿に戻って帰って原稿。


20061207

 ゼミゼミゼミ。三回生ゼミでは、食堂の改変結果について職員の方々と話し合う。四回生はそれぞれのペースが出てきた模様。しばらくは様子見か。


20061206

 マンガを描き写す

 そろそろ松本大洋「花男」論を書かねばならないのだが、まだ一行も書けていない。

 こんなときは、夏目房之介氏の著作から学んだ、あの手を使ってみよう。つまり、 「マンガは描き写すと思いがけないほどわかる」
というやつである。

花男メモ01花男メモ02

 というわけで、あちこちのページを写してみることにした。ちなみにぼくは、美術の点数はすこぶる低かったので、絵の技量はもうどうしようもない。にもかかわらず、デッサンが狂ってもいいからとにかく写すと、うわあ。ものすごくいろんなことに気づいてびっくらこいた。

 そして、思ったほどひどい絵にはならなかった。それは、松本氏の絵の要が「T」交差と「+」交差、そしてベタと余白の関係にあるからなんだろう。線の曲率や要素の正確な配置よりも、線の交差、そして白黒の配置に妙がある。そこを守れば、なんだか、らしくなる。この点で、手塚マンガの絵とは対照的だ。
 これもまた、写して初めてわかったこと。


20061205

 ISGSのプロポーザルを書く。会議が三つ。長々と会議をした結果、来年度の実習担当が二コマ増えた。なんともはや。


 

20061204

 いつものようにお仕事。


20061203

夢と宿命

 欧文堂の均一棚で、吉本隆明の「夏目漱石を読む」(筑摩書房)。駱駝で飯を食いながら読む。漱石を「宿命」に抗した人、とする論考。この点についてはまた考えてみたい。

 夢十夜のことを「わかりにくい夢/わかりやすい夢」という風に分類しているのだが、それが「物語としてわかりやすい」ということと区別されているところがおもしろい。たとえば第六夜の運慶の話は、物語としてはわかりやすいのだが、夢として「わかりにくい」。

 そういえば、中学のときだったか、夢十夜からなぜかこの運慶の話だけが教科書に掲載されていて、運慶はどういう人だとか、明治の木になぜ仁王は埋まっていないのでしょうというような、なんだか気の抜けた問いを読んで、どうもピンと来ない話だなと思ったことがある。
 後年、全部を読んだら、これがいちばんつまらない話で、あとはずいぶんとおもしろかった。夢としてわかりやすい話のほうが、物語としてわかりやすい話よりも、国語教師にとってはよいチャレンジだと思うのだが。

 どこかに、宿命への引力と斥力が働いている話のほうが夢としては「わかりやすい」、というのが吉本隆明の論で、それで彼の選ぶのは第一、二、三夜のような夢になる。
 ベランダの蛹の運命のことを思い出した。蛹は冬越しに入ったらしく、まだベランダに貼り付いている。

 「夢十夜」といえば、以前、山田風太郎についての原稿を頼まれたときに、彼の「幻談大名小路」と漱石の「夢十夜」の第三夜をくらべながら、その下地に谷崎潤一郎の「盲目物語」を入れて、見えない者が見える者を導くことについて書いたことがある(声と合いの手 『ユリイカ』 特集:山田風太郎 2001)。ちょっと材料を欲張りすぎたが、我ながらおもしろい論考だったと思う。

予断としての日記

 今日あったことに今日結論が出るとは限らない。が、日記には今日のことを書く。ただ記述し、なにも結論めいたことを書かなければ、結論を出すことを避けられるかといえば、そうとも限らない。何かを記述するとき、書き手は、その記述のしかたによって結論を出す。書くということ、書かないということはひとつの結論だ。その意味で、日記とは予断の連続であり、そこには数々の間違った結論が含まれうる。その間違った結論をキーポイントに据えて日記が続く。
 いっそ黙っているのがよいのかもしれない、とよく思う。が、結局書いてしまう。


20061202

磯の思い出

 この前からずっとつっかえている松原、磯山の絵はがきに関する聞き取り。まずは湖月楼に行き、往年の「涼み」の位置をうかがう。さらに、彦根港であちこちご近所の方に当時の位置関係をうかがった結果、ほぼ家一軒くらいの誤差範囲内で撮影場所が特定できた。

 撮影場所を特定する、というのはとても重要な作業で、これをやるのとやらないのとでは、その絵はがきに対する理解に雲泥の差が出る。もちろん、撮影当時のおもかげはほとんど残っていない場所も多いのだが、そこを詰めていく過程で、現存していないさまざまな事物の影が、一気に体感できる。
 磯に行き、再び絵はがきのコピーを持ってあちこち尋ねて回る。

 絵はがきを見せて話し出すと、昔話に華が咲き、2,30分はあっという間に経つ。たとえ絵はがきの場所の特定にはつながらなかったとしても、そういう昔話から、思わぬ土地の使い方を知ることにもなる。たとえば、昔は磯地区から米原まで田舟で行ったのだが、じつはJRの線路の下をくぐって舟で行くことができて、俵は直接田舟で米屋に運んでいたのだ、なんていう話は、市史や町史でもなかなかお目にかかることはできない。

 とある一軒のお家で同じようにものを尋ねると、80過ぎのおじいさんが出てこられて、写真をしばらく見てから「ああ、この岩を知っとるもんは少ないよ。ちょっと行こうか」と、すいと立ち上がり、ウィンドブレーカーを羽織って来られる。いっしょに自転車で磯山まで行き、そこでさまざまな話をうかがったのだが、これは近来にない体験だった。ちょっと時間をかけて書きたい。その詳細は彦根絵はがき本にて。

 夜、京都で洞窟探検ミーティング。視覚的にはほとんど全貌がわからない洞窟を語るとき、人の身体は思わぬ動きをする。これはビデオに撮っておけばよかった。次回のミーティングにはカメラを持ち込もう。


20061201

〆切を延ばす

 本日は彦根絵はがき本の〆切なのだが、どう考えても資料が穴だらけでこれでは書き終わることは不可能だ。岩根さんに泣きを入れて「クリスマスまで」と相成った。これでようやく頭の上の重しがひとつ緩んだ(とれた、わけではない)。
 「もうちょっと早くおっしゃってくださればねえ」とやんわりと言われてしまった。まったくその通りなのだが、たとえ100対0でも、いつも〆切間際までは、ありえない逆転勝利の夢を見てしまうのだ。
 夜、TVで「ALWAYS 三丁目の夕日」。すごい再現の力だなと思って、最後に出てきた監督を見たらとても若い人だったので驚いた。


 
   

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