The Beach : Nov. 2006


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絵はがきの時代

20061130

イギリス人の行動観察スタイル

 京都でエスノメソドロジー読書会。一回で一冊を読んでしまうという、たいへんハードな読書会なのだが、とても勉強になる。今回はAtkinsonの「Order in Court」。11時から始めて終わったのが7時過ぎ。
 「Be upstanding...」で始まる廷吏のことばに裁判所の中がいっきに静まっていくさまを、アトキンソンは微細に記している。その手法が何かに似てるなと思ったのだが、そう、ちょうどHeathの最近の仕事(オークショニアがセリを閉じる間際に見せる微細な動きの研究)と、アプローチがとても近いのだ。  この種の、動きの細部へのこだわりは、ゴッフマンやアメリカのエスノメソドロジストとちょっと違う感じがする。  


20061129

磯崎神社

かぶら干し

 スケジュール帳の空白を見つけ、午前中に磯へ。かつての磯山付近の絵はがきと現在とを絵合わせするため。ところが、ほとんど手がかりが得られず難儀する。もう少し聞き取りをしてみないと確かなことはわかりそうにない。
 磯崎神社には人の気配はなく、紅葉が美しい。奥は意外に深い。神さびた場所。
 無宗教なれど、一月までのゼミのみなさんの無事を祈って手を合わせる。
 天気晴朗なれど波高し。浜では大根やかぶらが干されている。
 大学に戻る道すがら、ハタと、じつはゼミの時間をすっかり忘れていたのに気がついた。

舌ごたえと箸

 講義を済ませてグループホーム訪問。ビデオを見ながら上田さん、吉村さん、スタッフの方とあれこれディスカッション。
 口内での咀嚼なき食事が、どのような感覚か、自分で口をもぐもぐさせながら思いをいたしてみる。
 「舌ごたえ」という語を思いつく。舌に食べ物を乗せるだけで、ああ、確かに食べ物が口に入ったなあという、手応えならぬ舌ごたえがある。たとえ咀嚼ができずとも、この「舌ごたえ」感覚がなんらかの快感をもたらすということがあるのではないか。そして、この「舌ごたえ」をもたらすためには、ある程度の大きさの塊が必要だろう。

 箸で食べ物を適当な大きさに切り分けることは、一種の咀嚼にあたる。

 大きい方が確かな舌ごたえをもたらす。しかし、大きすぎては飲み込めない。舌ごたえと、喉につまらぬていどの嚥下とのあいだで大きさが決まる。
 「噛まずに飲む」Aさんの箸使いはそのような微妙な調整を行っているように見える。口にいれるときの塊は「そんなにいっぺんに」と介護の人に言わるくらい大きいのだが、それはむやみと大きいわけではない。皿の上の大きな塊は、必ず箸で切り分けられている。ただ、皿にあるものを口に運ぶというのとは違う。


20061128

 大学の図書館で郷土史をあれこれ読む。近江名所図絵は記述にムラがあるが、磯崎神社については詳しい。そのあと、楽々園、湖月楼、長曽根港と、絵はがきポイントを回って、聞き取りと撮影。
 この原稿の〆切は12/1なのだが、どう考えてもこの行動は遅すぎる。遅すぎるのだが、はじめないよりはマシだと思うことにする。おまえがいうな!と言われそう。
 さまざまな仕事が中途で止まっていて各方面にご迷惑をかけているのだが、とにかくできることをするより他ない。

センチメンタル通り

センチメンタル通り(紙ジャケット仕様)
センチメンタル通り(紙ジャケット仕様) はちみつぱい

 ライナーを書きました。
 前に、「ライナーを書くのは初めて」と書いたような気がするんだけど、よく考えたらそうではなく、以前、大谷安宏さんの「Brain wash」に文章を寄せたことがあった。あ、Brazilの「Coffee」にも書いたんだった。忘れっぽくていかん。
 昔から物忘れはひどいほうだったが、この前、採点していて、二桁の足し算がすでに朦朧としていることに気づいて愕然とした。繰り上がりがとくにまずい。もしかすると、長期記憶のみならず、ワーキング・メモリのほうもアブナイのかもしれない。


20061127

三項関係が開くジェスチャーの扉

 講義を終えて京都へ。ストーブを買い、「Gesture & Thought」読書会。坊農さんのデータを見つつ、ジェスチャーの参照枠についてあれこれ考える。一人の身体に二つの参照枠が混在するとき、それは結果的に「間接話法」になる、という可能性。
 考えてみると、あることを示しながら、示す対象とは別のほうに目を向けたり注意を向けるというのは、指さしの基本でもある(たとえば、猫を指さしながらおかあさんを見る、という風に)。こうした三項関係の身体化は、じつはジェスチャーに深い影響を与えているのではないか。

「フツーに」は「わりと」か?

 「これってホメことば?」という歌がある。NHKの「みんなのうた」で、ことばおじさんこと梅津正樹アナウンサーが歌っている。最近の(おじさんから見るとヘンな)若者ことばの意味を、若者にたずねてみるという内容なのだが、その中に次のようなくだりがある。

聞いたら「フツー」は「わりと」の意味. パパもフツーにうれしいよ

 「フツーにおいしい」といった表現を「わりと」と解釈しているのだが、以前TVで見かけて、どうも違和感があった。
 まず、仮に「わりと」という解釈が正しいとして、ではなぜそれを肯定的にではなく「ふつう」ということばで表現するのかが説明されていない。さらに言うなら、「フツーに」ということばは、どうもお笑い系の番組でよく聞くような気がするのだが、その「お笑い」の人の感覚というのが、この解釈には盛り込まれていない。

 この件について、昨日、「ケータイ大喜利」で、今田耕二がこの「フツーに」を使っているのを見て、合点がいった気がするので書き留めておく。

 どういう使い方だったかというと、大喜利のとあるお題に対して来た、あきらかにウケをねらった投稿に、今田耕二は、「いや、これフツーにアリですね」という風に言ったのである。
 つまり、投稿者は笑いをとるつもりで送ってきたのが、今田耕二からすると、その内容はすごく笑える(ありえない)というよりは、現実に「アリ」えることで、そのぶん、笑いとしてはいまひとつだった。そこで「フツーにアリ」という表現になった(そういえば「フツーに」はしばしば「アリ」とセットで用いられる)。

 つまり、こういうことだ。

 とんでもない笑いを予期していたら、笑いなしで肯定できる内容だった、というときに、その落差を表すのが、お笑いにおける「フツーに」の用法である。そこには単なる否定から肯定への変化だけではなく、「お笑い」と「非お笑い(もしくは「素」)」という二つのモードの違いも混じっている。両手を叩くリアクション芸人のモードから、素に戻った上で相手に肯定的な評価を下すモードへの変化が、「フツー」には忍び込んでいる。

 「わりと」はどうか。
 「わりと」ということばは、平均値(あるいはそれ未満)を予測していたときに、それが思いのほかよかったときに使われる。たとえば「ひどい味かと思ったらわりとイケル」という風に。そこでは、評価が少しく好転したことが示されている。

 となると、これは「フツー」とは、いささか意味が異なっている。「わりと」がもっぱら「良さ/悪さ」の評価の変更を表すとするならば、「フツー」は、「お笑い/非お笑い」という、評価の座標軸の変更を指している。
 あるものごとに対して、「とんでもないがお笑いとしてはアリ」という評価から「お笑いとして成立するわけではないが、現実にはアリ」という評価に変更がなされたとき、「フツーに」ということばが生まれる。おそらくそれは、とんでもなくない点において、そしてお笑いという座標軸に乗らない点において、「ふつう」なのである。

 たとえば、「インド巻き」という名前の寿司があったとして、そこにとんでもなく笑える味を期待していたところ、意外にもすんなり食える味だったというようなときには「フツーにおいしい」ということになる。が、笑いを期待することなく、単にまずさを予期していただけなら、それは「わりと」おいしい、もしくは「意外と」おいしいことになる。

 かように、「フツーに」という用法は、「とんでもなさ」を評価するお笑い芸人の気分を前提としているのではないかと思われる。

 もう少しゆるやかに考えるなら、「フツーに」という用法には、「ふつうではないこと」に対する期待感と、その喪失が語られている、と言ってもよい。なにか自分の認識を新たにしてくれるようなとんでもないできごとに対する期待感がまず立ち上がるのだが、じっさいに体験してみるとその期待感は肩すかしに会う。そこで、期待感抜きの評価を下すことになったときに、「フツーにおいしい」という評価になる。

 いっぽう、そもそも、「ふつうでないこと」への期待感のない人には、期待感が抜けたときの「ふつう」さががわからない。「フツーに」を「わりと」に言い換えたとて事態は同じことである。
 ことばおじさんと若者とのギャップは、「フツーに」をホメことばとして使えるかどうかにあるのではなく、むしろ「ふつうでないこと」に対する期待感の有無にあるというべきだろう。


20061126

 高橋美久二先生が亡くなられた。
 県立大学に就職してすぐ、古い工場の宿舎を借り受けた部屋に入居した。昔ながらの狭い間取りのそのアパートに、高橋先生も越してこられて、幾度か学生と鍋をごちそうになったことを思い出す。先生の笑顔は、そのころ気がふさぎがちだったわたしの救いだった。
 合掌。

 試験監督と採点。原稿。


20061125

 彦根に戻る。原稿を書く。なんだか急にジョアン・ジルベルトみたいにガットギターを弾きたくなり、すぐ近くの中古屋で6000円のギターを買う。むろん、ジョアン・ジルベルトみたいには弾けない。この年になって初めて、禁じられた遊びの弾き方を知る。そうか、こうやってこうやってこうやるのか(でもまだ弾けない)。焼肉を食う。米原でガムランの搬入を手伝う。バタンキュー。


20061124

 彦根絵はがきの原稿を書いていて腑に落ちないところがあるので、早朝、自転車で大洞弁財天と城のまわりをまわり、写真を撮ってくる。かえって腑に落ちないところが増えてしまった。いかんいかん。

就職活動と「自己分析」

 午後、就職先内定者が自分の体験を通して三回生にアドヴァイスをする会。
 就職課からの要請で開かれた会だったのだが、たいへん興味深かった。じつは、教員でありながら、学生の就職活動のディティールに分け入って話を聞いたことがなかったことに気づかされた。

 最近の就職活動のキーワードは「自己分析」らしい。

 ここでいう「自己分析」というのは一般用語ではなく、いわば、自分のこれまでの経験ややりたいことを、面接官に向かって生き生きとしゃべるための準備を指す「就職用語」である。
 就職面接において、「趣味は?」「音楽鑑賞です」などという紋切り型の答えはアウトだ。たとえば音楽が好きならば、その好きな音楽を通してどのような体験があり、それで自分がどう変わったか、ということを蕩々としゃべることができなければならない。
 そこで、自分の長所・短所・趣味・「御社を志望した理由」・OBやOGへの質問、などなどを、面接に先立ってできるだけ詳しく、物語化していく作業が必要となる。これが「自己分析」である(と、えらそうに言っているが、今日、学生に教えて貰ったのである)。

 最初は「自己分析」に懐疑的で「えー、そんなの自分の思ってることをその場でそのまま言えばいいじゃん」と思っている学生もいる。しかし、じっさいに面接に行ってみると、何一つまともな答えを言えない自分を発見し、考えを改めるという。「面接ボロボロ体験」によって、「自分の思ってること」を面接官の前で言語化できない自分に気づき、「自己分析」の必要性を痛感する。というわけだ。

 就職活動で何度も面接を体験するうちに(人によっては数十社)、「自己分析」はどんどん練り上げられる。
 が、人によってはいくら「自己分析」をしても受からない人もいる。
 それは早い話が、ハナから相手にされていない職場に無理に挑戦しているのである、とその人は突如気づく。そして、「自分は何をしたいのか」という長期的だが曖昧で答えが出にくい問題から、「自分はどのように面接官にアピールできるのか」という問題へ、さらには「自分のアピールはどのような会社の面接官に届くのか」という短期的だが具体的な問題へと視点をシフトさせていく。

 このような「自己分析」と進路変更の果てに、「内定」がある。
 内定の体験談とは、何社かに面談に行った結果、当初の希望通りの業種に採用されました、というようなノンキな話ではない。(そんなことが可能なのは、ごく一部の、コネやブランドや強烈な運を背負った学生だけである)。
 内定の体験談とは、度重なる面接落ちに何度も心が折れそうになりながらも、その果てにようやく現れた「うまくいった面接」の体験談であり、「面接官と気があった」「めちゃ話がはずんだ」というごくごく具体的な話である。そこでは、いかに自分の希望が順風満帆に叶ったかではなく、いかに面接官とよいインタラクションをくめたという話が強調される。

 就職活動の前にあって、「ほんとうの自分探し」などという曖昧な物語は通用しない。「自己分析」とは、いわば、適切な面接官の前でいかにその場に適切な自分を演出するかというスキルを磨くことであり、面接とは、そのスキルを存分に発揮するためのリアルな戦いの場である。
 体験談を語ってくれた学生に共通していたのは、この「その場に適切な自分」を発揮することへのためらいのなさであり、自信だった。

 なんとすさまじい体験だろうか。
 このような体験をくぐり抜けてきた学生の話は、なんだか頼もしく見える。
 それは、体験じたいのすさまじさもさることながら、彼らの就職体験談じたいが、いわばひとつの「自己分析」になっているからだろう。自分の就活における長所・短所がいかに克服され「内定」という結果に結びついたかが鮮やかに語られる。そのことじたいが、彼らが見事なまでに「自己分析」を自家薬籠中のものにしてきたことを示している。
 見事なものだ。
 正直言って、この点については感心してしまった。

 感心してしまったことは認めた上で、ちょっとだけ補足をしたい。

 「自己分析」じたいは悪いことではないと思う。相手に合わせて、自分の考えていることを、そこに情動を乗せつつきちんと話すことができるスキルは、人づきあいの基本だからだ。
 毎年卒論生の発表を見ていると、長い就職活動を経た人は、概してプレゼンがうまくなる。就職活動で鍛えられたプレゼン能力は、単に自分のことを話すのに限らず、ものごとの理屈を話すのにも役に立っていることの証左であろう。

 しかし、だからといって、将来への不安や自分の考えのあいまいさは幻想に過ぎず、そんなものは「自己分析」で克服できる、というわけでもないだろう。
 将来へのナイーヴな不安やあいまいさというのは、その人の行動や思考のスキに生まれる、「なんか肝心なことを忘れてやしませんか」という無意識からのメッセージであり、それは克服すべきものというよりは、聞き取るべきものである。

 ただ、就職面接とは、そのような聞き取りの場では、残念ながら、ない。そこはカウンセリングの場ではなく、評価と選別の場である。

 面接官の共感を得ようとして、単に「わたしにはこういう欠点があります」という話をしても、面接官の不興を買うだけである。それはお気の毒、と不採用にチェックが入るのがオチだ。
 「こうこうこういう欠点がありますが、しかし、それはこういう体験によってこんな風に乗り越えられました」という話になって初めて「ほう、その体験とは?」と面接官はちょっと身を乗り出す。

 このように、就活における「自己分析」では、自分の短所やトラブルは、克服すべき対象として語られ、「学生時代一生懸命頑張ったこと」こととして語られる。

 克服の物語であるところの「自己分析」は、相手の評価を得やすい。
 しかし、それは、自分の不安やあいまいさの発する声に耳を傾け、エッジに近づくこととは似て非なるものである。
 「自己分析」のおかげでめでたく「内定」が決まった人だって、この先、その「自己分析」ではうまく体が動かなくなる深刻な精神的事態に直面することもあるだろう。
 「内定」はとりあえずよろこばしい。しかし「内定」とは、きわめて短期的なゴールでもある。入社後に、はたして就職活動中に培った「自己分析」の物語が通用するかどうかは、保証の限りではない。よろこんで入ってみたら福利厚生がとんでもなかった、という卒業生の話も聞く。就職活動での「成功」者が先の十年二十年でどうなっているのかも、わからない。


 まあ、早かれ遅かれ、人は自分を静かに省察する必要に迫られる。すでにその事態に迫られて就職先が決まらないのならそれもよし。就職してからゆっくり省察するもよし。
 「自己分析」を自己省察と混同しさえしなければ、そして仕事に忙殺されなければ、省察のチャンスは訪れるだろう。

 と、教員であるぼくのアドヴァイスはこんなところだ。
 なんとも非実用的であいまいこのうえない。


ステレオ・マインド

 東京に移動。学研「大人の科学」の企画で、赤瀬川原平さんとステレオ写真について対談。
 赤瀬川さんの「カメラが欲しい!」を読んで、ステレオ写真のおもしろさに目覚めた人は多い。ぼくもその一人だ。類い希なるステレオ・マインドの持ち主である赤瀬川さんと話していると、話のスピードがどんどん速くなる。ステレオ写真のFAQはすっとばして、たとえば「あの空気感」というような、普通ならどの空気感かと問われそうな話からどんどん感覚の触手が広がっていく。

 楽しく、ありがたい時間が経つ。

 中で、UFOや霊の話がひときわおもしろかった。とはいえ、たぶん、そこは「科学」本としてはカットされるところだろう。そこで、例によってそのとき思いついた妄言をここにメモっておくならば、

 霊とは複数の知覚の矛盾(たとえば左右の網膜像の矛盾)を脳内で変換したものである。矛盾のどちらかいっぽうだけをよしとする者には霊は見えない。霊とは現実という地に、脳という図を写したときに見えるものである。矛盾を霊に変換できるのが「大人の科学」である。

 というようなことを思いついたのだった。
 もちろん、本誌にはもっとまっとうな話がいろいろ載るはずです。付録はステレオピンホールカメラ。大人の科学、次号予告をどうぞ。


20061123

 原稿原稿。


20061122

かたちをかんがえる

 高槻のJT生命誌研究館で、「形を考える」ワークショップ。発生学の話をまとめて聞くなんて機会は滅多にないので、ふだん使わない頭を随分と使った。原腸陥入から神経板ができるまでの過程をいくつかのタイムラプスムービーで見たけれど、昔に比べて、マーカーの技術がずいぶん上がっていて、どれもとても鮮明だ。とりわけ、八田さんの紹介していた蛍光色を使った方法では、KAEDE、DORONPAというチャーミングな名前のマーカーが使われていて、ほとんど文字やパターンを描くようにマーカーを入れることができる。網膜に字を描いて、そこから視神経が伸びて中枢に投射される様子を見る、なんてこともできてしまう。
 発生学には、こうした、ムービーやアニメーションが欠かせないのだなと改めて思う。細胞間にどのような力が働いて、どの部分がどの部分に移動するといった問題は、ことばで説明しようとしてもなかなか難しい。静止画でも、その感じというのは伝わりにくい。それがムービーだと、みるみるうちに神経板ができていく様子が捉えられる。もちろん、見るたびに、どの細胞に注目し、その部分の由来を追うかは変わってくるので、一度見ただけではわからない。それでも、一つの細胞をただ追跡するのではなく、周辺の細胞との関係の中でその動きを追うのは楽しく、何度見ても飽きない。
 そのいっぽうで、この、いくつもの細胞が流れるように神経板に参入していく時間を、なんとかことばで表すことはできないだろうか、あるいはことば自身が、そのように流れていくことはできないだろうかと思う。

腕は雷

 清水さんのヒドラの形態形成の発表。ヒドラの腕の形は雷光と同じく、ラプラスの方程式で書けるらしい。また、発生学的に見ると、ヒドラの口は、むしろ岩についている部分であると考えたほうがよいらしい。つまり、口で岩につかまり、おしりから生えた腕を雷のようにとどろかせているわけである。
 発生学は思わぬ部位の相似を明らかにして詩的だ。相似するaとa'から、それぞれに接続するbとcに詩的な関係が生まれる。

 数学的なシミュレーションからヒドラまで、頭蓋骨の継ぎ目の波からチューリング波による魚の縞模様形成まで、多種多様な話を聞いてお腹いっぱいになったが、じつはわたしは、この日のマトメ的なことを話す役回りであった。
 それで、人の話を聞きながらパワーポイントをあれこれいじった結果、シミュレーションを行う研究者の立場を、模倣を行う人の立場になぞらえて、最近考えている模倣論にひきずりこむことにした。
 なんだかぐちゃぐちゃな話になったけど、主催の橋本さんに褒めてもらったので、よしとしよう。

物真似と研究者

 それにしても、あとで近藤滋さんが、「わかった!おれはイラクサの葉っぱを美川憲一で説明してたんや!」と何度も繰り返していたのがおもしろかった。彼にとって、チューリング波は、生物のさまざまなパターンを決めるための無駄のない一般法則なのだが、あまりに無駄がなさすぎて、そのままでは人に「わかった」という感じを与えづらい。それであえて彼は美川憲一になってみせている、ということらしい。チューリングのことを語るときの近藤さんはとにかくアツく、その情熱は一次会二次会を通して続いた。(イラクサと美川憲一問題は20061015の日記を参照のこと。)


20061121

 卒業論文の中間発表。三十数名、それぞれの進捗状況がうかがえる内容であった。あと二ヶ月、ここからぐんと伸びる人は伸びるだろう。
 部屋に戻るや電話がかかってきて、会議があったことに気づく。あわてて管理棟へ。へとへとへと。昨日のうちに彦根に帰っておいてよかった。でなければ、とても体がもたなかった。


20061120

 コミュニケーションの自然誌研究会。最近考えていた模倣論と西浦田楽を結びつける発表をする。模倣とコピーは違う、というところまでは、いままで言い古されてきた話であり、では、模倣の中心とは、というところで、新しいアイディアを出したいところなのだが、もうひとつ踏み込めなかった。改めて考え直さねばならない。
 例によって飲みながら寝る。京都に泊まってもよかったのだが、明日のこともあるので終電で帰る。


20061119

 日曜なれど卒論生の指導。
 木村さんがとってきた演劇部の練習データを何度か見て、モブシーンに注目するのがよい、とアドヴァイスする。台本にないことを相互に決めていく過程を緻密に追っていけば、何が「失敗」で何が「正解」かという境界は、しだいに曖昧になっていくだろう。失敗の結果は再利用されるからだ。そのあたりのディティールが深まればおもしろい卒論になるかもしれない。
 明日の発表のために西浦のビデオを一通り見直し、トランスクリプトを書き直す。「鞍馬」についていろいろアイディアが浮かぶが、もうひとつまとまらない。


20061118

 田中泯舞台最終作品「透体脱落」。目の前で、田中泯がぶら下がる。「体」がぶら下がっている。どこからでも手ぶらで、この身ひとつで始まる踊り。
 舞台が終わってから、馬郡さんご夫妻、藤原さん、サカネさんとお茶。


20061117

踊りをチャンク化する

 松田くんの、ハウスダンス・スクールのビデオを見る。踊りの途中で間違えた人が、最初のポーズに復帰せずに、間違えたそのポーズから復帰しようとするのを見て、ピンとひらめいた。
 人は、単に正解を覚えるのではない。間違いを使うことを学習する。
 なぜか。
 ひとつには、踊りの途中から参入できるようにである。
 そして、本番で間違えたときに、止まらず踊るためである。
 本番で、人は止まることを許されない。ショー・マスト・ゴー・オン。本番で、「申し訳ありません。もう一度勉強して、出直してまいります」と言えるのは文楽くらいで、ほとんどの人は、そのような出直しをせず、間違えたところ、つまったところからスタートする。それが本番というものであり、だから本番はやるたびに異なる。
 このような本番を成り立たせるべく、人は、練習において、間違いを使うことを覚える。間違って出した左足を、ただ引っ込めるのではなく、いちばん手近な次のステップへとひょいとスライドさせる。ごまかしと言えばごまかしかもしれない。しかし、このような動きによって、始めから終わりまで全くとぎれのないひとつらなりの踊りのチャンクに、切断が入る。そこで踊りは切断される。ひとつのチャンクがふたつになる。チャンクを細切れにすることで、ひとはあちこちのチャンクの始まりから踊れるようになる。


20061116

からだを動かして納得する

 行列改善計画を話しにゼミ生とカフェテリアへ。ゼミ生が改善案を発表する。机についてディスカッションしているあいだは、職員の方もゼミ生も緊張のおももちだったが、「ちょっとじっさいに棚を動かしてみましょうか」と言っておずおずと起ち上がり、あちらやこちらにレイアウトを移動させはじめたあたりから、だんだん「あたたまってきた」。次第に職員さんのほうからもアイディアが出てきて、いい感じになってくる。
 「労働」のマジックだなあ。
 理屈ではこうしたほうがいい、ということであっても、それに情動が乗っていかない限り、納得はできない。そして、情動が乗らないと、そもそもその理屈を放るべきか、勧めるべきかも決まらない(多くの会議が難航するのはこの点にある)。ところが、情動というのは、体をうごかすと、ずん、と動く。誰かと一緒に作業をしたりすると、さらに、ずん、と動く。

父親たちの星条旗

 夜、ビバシティのレイトショーで「父親たちの星条旗」。「ミスティック・リバー」「ミリオン・ダラー・ベイビー」、運命への諦念、運命をけして分かち合えず黙する人を撮り続けてきたクリント・イーストウッドが、ついにここまできてしまったかと思う。本作では不気味な洞穴として描かれていた、その穴の中を描いているのであろう姉妹作も大いに気になる。それにしても、いくらレイトショーとはいえ、ぼくを含めて客三人とはなあ。


20061115

 まほろばで、鈴木常吉ライブ。時計の止まる音。何かが停滞するときの音、静かになるときの音がする。扉野さん、江崎さん、サカネさんと遅くまで飲む。


20061114

 会議会議などなど。


20061113

鈴木先生

 武富健治「鈴木先生」。これはおもしろい。生徒を諭すときの誠実なようで奇想天外なロジックもいいが、いったんプライヴェートに戻ったとたんに性的空想や自らの過去にふらふらと悩まされるところがなんともいい。
 鈴木先生にとってこれらの空想や悩みは、ホーボー氏にとってのキリンと同じものなのではないか。
 中学生の顔がマンガ調で描かれるかと思うと、急にきりりと劇画調に描かれて、二つの調子が子ども/大人の切り替わりに感じられる。一つのキャラクタを複数の調子で描き分けること自体は、昔からある手法だけど、こんな風に生々しく感じたのは初めてだ。


20061112

 京都で一族で食事。
 さすがに寒くなってきた。まだアパートには暖房設備がないのでストーブを借りる。

ハンディキャップとしての悩み

 別役実「眠り島」。十数年前の小説だが、サカネさんにすすめられて読む。
 小説は「わたし」語りではなく「ホーボー氏は」という風に三人称で書かれている。が、この三人称は二重構造になっている。語りはまず意識にひっかかることだけをたどる。しかし、あとから同じ行為について、無意識のうちに行われてしまったことをたどり直すのである。
 眠り島はいくつもの地層から成っており、しかも階段やエレベーターのような規則正しい移動手段だけではなく、坂や孔をのぼりくだるいくつもの交通手段のおかげで、上下関係はひどく混乱している。エジンバラのような街。
 眠り島に入るにあたって、ホーボー氏は右曲がりの傾向があるキリンを連れて歩くよう言い渡される。まっすぐ歩くことのできない、首の長いキリンは、ホーボー氏の「ハンディキャップ」である。しかし、スムーズに歩けるということと、うまく歩けるということは異なる。ホーボー氏は、スムーズに歩けないということに、やがていくつかの機能を見いだしていく。そしてホーボー氏は、キリンと自分の立場が、じつは逆なのではないかと疑い始める。もしかしたら自分のほうがキリンのハンディキャップなのではないか、と。
 わたしは誰のハンディキャップなのだろう。


20061111

日本装飾屋小史

 午後、博覧会研究会。清水章さんの労作「日本装飾屋小史」が配られる。
 非売品なのだが、これが日本の視覚文化を勉強する者にとっては無類におもしろい。
 清水さんのおられた乃村工藝社の創業者乃村泰資(たいすけ)の話で始まっており、乃村工藝社の沿革が縦糸ではある。が、話はそれにとどまらない。菊人形、パノラマ画、商業図案、絵看板、そしてもちろん博覧会など、多様な装飾業のルーツがたどられて、戦後、ディスプレイ業として華開いていく過程が、作り手の側から語られる。喜多川周氏の本もそうだし、寺下さんの本もそうだったが、仕事人の側から見た見世物、ディスプレイの歴史には、この目で見たことはゆるがせにできない、という気迫が固有名詞のつながりとともに明らかになる。
 往年の段返しの記述に、船が割れて吉原が現れる、とうのがあった。
 ディスプレイとは、観客の注意をどうナヴィゲートするか、という問題を解くこと。

 「芋たこなんきん」の橋爪さんに時代考証の話をちょっと聞く。むずかしいところは、宝塚郊外の方面の話を船場のど真ん中に移している点で、小説とは異なる文化圏で時代を構築しなければならないところがあれこれ苦労するところらしい。

ゆべし

 ゆべしというものを初めて食す。チーズを合わせて食べると旨い、とある。それで、チーズとゆべしを合わせて口に運んでみると、ゆずの酸味と味噌の味とチーズの発酵感があわさって、ん?これは何かの味に似ている。
 ・・・つまり・・・これは・・・ずばり、奈良漬けではないか?
 と思うと、もうどうにも奈良漬にしか思えなかった。奈良漬けは苦手なのだが、この奈良漬けのようなゆべしは、けっこういける。酒とともに食べるとくせになる。


20061110

 大学は学園祭。屋台が充実しているので昼飯が近くで安く食える。定番の焼きそばやお好み焼きのみならず、中華粥やスープもあるので、あまり胃にもたれない。たまった事務仕事を片付けるうちに夜。


20061109

ボサノヴァとジョアン・ジルベルト

日記を読み返したら、けっこういろいろ書いていた。ちょっとリンク集を作っておこう。

ジョビンの別の岸辺
「声とギター」のこと
Não Vou Prá Casa
サンバがサンバであるからには
歌い直されるサンバ
Canta
ナラ・レオンの「見つめていたい」
ディザフィナードとバークリーメソッド
ジョアンのギター譜を書いてみる

 来月までに書く松本大洋論の準備、まずは「ナンバー吾」を一気に読む。
 ぼくはマンガを読むのはかなり速いほうなのだが、松本大洋のマンガを読むときは、がくんとスピードが落ちる。ZEROもそうだったし、花男もピンポンも鉄コン筋クリートもそうだった。背景から浮き立つキャラクタの描線だとか、見やすいベタの配置だとか、ほとんどのマンガが守っている基本的な構造を、松本大洋のマンガはもっていない。背景の描線は波打って前景と区別がつきにくいし、着ぐるみを着ていたりマトリョーシカだったり、キャラクターもどうかしている。彼のマンガと付き合うには適切な時間になる。時間をかけるうちに、コマのあちこちに配されたキャラクタ、うずまきの太陽、闖入者に目が行くようになる。 
 このある種の「読みにくさ」はどういうことなのか、ということが書ければいいのだが。


20061108

passando, passando

 午後の講義を終えてタクシーを飛ばし、米原から東京へ。ジョアン・ジルベルトのライブ(東京国際フォーラム)。
 数千人を収容する広いホールだが、ひたひたと近づくようなささやき声に、余計なリバーブは含まれていない。一階の奥からはジョアンの姿は豆粒のようだが、その息づかいがはっきり聞こえてくる。すばらしいPAだな。

 声が、何か憑かれたように浮き立ち出したのは「a felicidade」あたりからだったと思う。
 何度も繰り返し歌われる、passando, passando, それは「a felicidade(しあわせ)」の歌なのだが、しあわせと名付けられるよりも速く過ぎていく過ぎていく。悲しみには終わりがなくしあわせには終わりがある。その始まりは小節線を待つことなく前へ前へと急ぎ、遠くの拍へと着地する。
 今日のこの夜が、あの歌で歌われた夜、朝へと時を急ぐ夜なのだろうか。マダムとの口論の次第が早口で歌われる。Pica-Pauと愛らしい音の歌のあとに、拍手の間隙を縫うようなすばやさで「Eclipse」が始まる。月が満ちていくように、声が歌のあちこちで若やいでいく。リズムは口ずさまれるほどに弾み出す「我が祖国のサンバ」、そして「三月の水」の息もつかせぬささやき声は、夏の終わりへと向かう河のように速く流れる。

 みるみるうちに過ぎたようにも思ったし、何曲も聴いたようにも思った。ひょいと起ち上がって一礼してから舞台を去ったジョアンが再び舞台に出てきてから始めたのは、アンコールというよりもまるで第二部のようで、アヒルの歌は四度も繰り返された。quen quen という声は幾通りも試され、歌は倦くことなく旋回し続ける。「デサフィナード」のローライフレックスは唱えられるたびに違う嘘を写し出す。もうどんな終わりも似合わなくなり、じゃらんと曲が止む。
 ジョビンの曲が続いたあと、しばらく腕が止まって、始まったのは「イパネマの娘」。ああ、この曲が今日の「じゃらん」なのだな。案の定ジョアンはひょいと起ち上がって舞台を去り、もう一度出てきたら立って拍手をしようと思ったら、客電がついてアナウンスが鳴って、もう存分に遅くなった夜を、みんないそいそと帰り始めた。


20061107

 会議会議。その他さまざまな仕事。


20061106

道案内の記憶は場所と系列の二要因?

 朝の講義は長期記憶の話。マグワイヤのタクシードライバーの海馬に関する論文に沿って話をする。ロンドンのタクシードライバーは街路をすみずみまで記憶しているので海馬が大きい、という話はつとに有名だが、ではその海馬が経路探索に特異的に働いていることをマグワイヤはどうやって調べたか、という話は意外と知られていないのではないか。
 タクシードライバーたちは、単に街路の名前を覚えているだけではなく、ある地点からある地点にどう行けばよいのかを覚えている。そこで、マグワイヤたちは、ある地点からある地点への経路を思い出す、という問題を、場所的な要因と系列的な要因の二つに分け、2要因の実験を組んで調べるという方法だった。つまり、場所に関係するが系列のない記憶(たとえば名所をアトランダムに答える)や、場所に関係ないが系列のある記憶(たとえば映画のストーリーを答える)、あるいは場所にも系列にも関係ない記憶(映画のいくつかのシーンをアトランダムに答える)は、道案内とは性質が違う、という具合に。なかなかおもしろい方法だ。
 いっぽうで、場所と系列というのはほんとに独立に扱えるのだろうか?という疑問も湧かないではない。たとえば、映画のストーリーを思い出すときに、(内容にもよるだろうけど)それはほんとに場所の記憶と切り離されてるのかしらん?
 あるいはジェスチャー分析にひきつけて考えるならば、空間内にあるものを次々とジェスチャーするとき、そのジェスチャーのシークエンスには、じつは系列の問題が忍び込んでいないか。
 いずれにせよ、いろいろ考えさせる論文である。

黒い箱

 東京へ。銀座のギャラリー椿に。来月から桑原弘明さんのスコープが一堂に会する個展が開かれる。ぼくが以前求めたスコープも展示されることになった。とはいえ、ものが精妙なだけに、宅配便というわけには行かない。というわけで、自ら配達に来たという次第。
 帰りに桑原さんから、とキャラメルほどの包みをいただいた。黒い紙に包まれて中身はわからないがやけに重い。ポケットに入れると、ハンカチや紙くずにまじって、そこだけにしっかりとした重力の輪郭がはっきりしており、すぐに手に触る。

声の喚起力

 NHK渋谷スタジオでFM「日曜喫茶室」の収録。てっきり狭いスタジオのブースかと思っていたのだが、スタジオに入ると窓を設えた壁があり、コーヒーや飲み物の用意があり、ラジオの収録なのだがちゃんと「喫茶室」なのである。
 番組の始まる前に小泉裕美子さんにご挨拶したとき「あ、この声!」と思ってすでに頭がぐわーっとなったのだが、収録前に小泉さんに「お飲み物は・・・?」と尋ねられて、一気に現実感を揺さぶられた。突然、日曜の昼下がり、カーラジオを聞いているバックシート感が生々しく起ち上がってきて、自分が一瞬どこにいるのか解らなくなった。声の喚起力はすごい。

突然、やかんのように

 そのうちゲストの星野知子さん、「常連」の安野光雅さん、ホストのはかま満緒さんが来られて、あれあれといううちに本番となった。星野さんの話がアマゾンのトイレ事情に及んだので、「ボルネオのジャングルの中で野糞をしていたら、まだ中途のうちからブンと音がして尻に糞虫が飛んできた話(実話)」をしておおいなる共感を示そうかと思ったが、星野さんの端正な横顔を見てぐっと思いとどまる。ここは夜半過ぎの居酒屋ではない。
 安野さんのお話はとても短いのに、ごく日常的なところからひょいとメタに跳躍する機知が含まれている。たとえば、思わぬところで突然「やかん」の話が出てくる。ああ、「あいうえおの本」や「ABCの本」の安野さんとお話してるのだなと思う。
 11/12 12:15-14:00 放送予定。

ポケットの中で

 夕方、公園通りを歩いていて、ポケットの中で昼間もらった包みに手が触れて、まだ開いていないことに気づいた。喫茶店に入って、コーヒーを飲んでから、包みを開けたら、中身は真鍮の小さな箱で、蓋を開くと、小さな土星の入ったカプセルがひとつ、はまっていた。
 それを見た途端、「一千一秒物語」のあの話、ポケットに入れた自分の、その指先のポケットの重みに、一気に届いた気がした。
 桑原さんにしてやられた。


20061105

メルツォフの講演会

 昨日の午後にはメルツォフの講演会。有名な乳幼児の舌だし模倣をはじめとする彼のこれまでの研究紹介がその内容。
 ひとつおもしろかったのが、幼児は、模倣を嫌がるヒトの前では模倣しない、という実験。まずモデルとなる実験者が、組み立て玩具を両手にとって、棒をスポンと抜いてみせてから幼児に手渡す。幼児はにこにこしながらモデルの真似をして棒をスポンと抜く。
 さて次に、サクラがやってきて本を読み始める。実験者が棒をスポンと抜くと、「あら、やめてよ!わたしそれ嫌いなの!」という。そのあとで、サクラの見ている前で幼児に玩具を渡すと、幼児は真似をしない。同じようにサクラがやってきて、「あら、やめてよ!」といったあと、横を向くと、幼児はその様子を見ながら、サクラに見えないように真似をする。
 つまり、模倣をする/しないの判断は社会的知性と関係がある、という話。なのだが、驚いたのは、サクラの演技がすごく露骨なこと。なんというか、ほとんど寸劇なのだ。そして、かなり迫力があり、コワイ。大人のぼくもビビった。

わからないことがわからない

 ワークショップ「協働関係をいかにデザインするか」。松嶋さんのスクール・カウンセラー、養護教諭などによる連携・協働の発生を描く発表。そして、秋葉さんの、「エンゲスノ」についての発表。どちらも、状況の内部から「協働」を捉え直そうとする試みとして聞いた。
 エスノメソドロジーは、当事者の意識できないことを、精緻な記述によって意識化させる。そこまではよい。が、いざ精緻な記述をずらずらと並べると、どこかエラそうな感じがしてしまう。当事者が一分間のあいだに無意識のうちにやってしまうことを、何時間もかけて記述して、意識化できました、と自慢げにお見せする。すると、当事者は、そんだけ時間かけたら意識化できるのは当然やろ、とフンガイすることになる。
 無意識を意識化すること自体はおもしろい。が、意識化したところで止まると、無意識にやってしまうことのさりげなさ、不自由さに気がいかなくなる。わからないことがわからなくなる。
 事態を俯瞰的に見たあとで、再び、わからなさへと戻ることが必要なのだろうと思う。まず、わからなさに対するリスペクトがあって、それから無意識に動いてしまうことの持っている固さをほぐすような機知があるとよいだろう。
 記述じたいにそのようなリスペクトや機知が、ないわけではない。が、記述すれば自動的についてくるわけではない。以前講義の感想にあった「現場は一分一秒が大事、会話分析のように何時間もかけていられぬ」ということばをまた思い出した。


20061104

アルペジオと和音

 日心二日目。
 午前中、シンポジウム「音楽認知の発達とその基盤 」。
 杉本さんの発表は、協和音/不協和音、長調/短調の選好性の話。乳幼児のみならず、チンパンジーでも、協和音/不協和音で先行性が出るんだという。あと、1歳児くらいまでの乳幼児では、手足の反応よりも体全体の動きのほうにあざやかに差が出るんだそうだ。
 協和音/不協和音とメロディ認知との関係、というのが頭に浮かんだ。もしかすると、長調という感覚は、メロディから協和音を再構成するという感覚なのかなと思う。つまり、ドミソというアルペジオからドミソの和音を思い浮かべたり、ドレミファソという進行からドミソという和音を抽出し、レやファを経過音と聞きなすような認知がヒトにはあるのではないか。
 いまのところ、和音認知とメロディ認知は音楽心理学では分かたれているわけだが、その中間に「アルペジオ」認知、という領域があるのでは、などと妄想。いや、もうあるのかもしれないな。

ゆりかごの歌

 ところで、母子関係の研究では、動物の出てくる童謡がよく使われる。
 なかでも、母親に人気の高いのが「ゆりかごの歌」と「ぞうさん」なんだそうだ。
 「ゆりかごの歌」は、わたしの母もよく歌っていた。こんな歌詞だ。

 ゆりかごの歌を
 カナリアが歌うよ
 ねんねこねんねこ ねんねこよ

 短い歌だが、その構造は二重になっていて、歌の中に歌が埋め込まれている。
 母親はこの歌を歌うときで、ひとときカナリアになる。育児の忙しさがもたらす重力から解放されて、可憐な鳥になって子どもの周りでさえずる。このスケール感の変化、小さなものになって自分から離脱する感じは、ちょっとたまらない魅力だ。人気があるのもうなずける。

童謡を歌うことは何かになること

 童謡には動物が出てくるものが多い。たいていは、ただ動物が出てくるだけでなく、動物のせりふや鳴き声が入っている。「犬のおまわりさん」「七つの子」などなど。
 理由のひとつは子どもが動物好きだから、ということだろう。しかし、もうひとつの理由は、じつは歌う側にあるのではないか。いま子どもに相対している自分が、自分ではない何かになろうとすること。子どもと親との関係から、子どもと別の何かとの関係に離脱すること。じつは親のほうこそが、そうした楽しみを求めて動物の歌を歌うのではないか。

モデルなき模倣は観察を誘う

 もうひとつ重要なこと。動物の歌には、昨日考えた模倣の第三項問題が含まれている。モデルはカナリアであり、ぞうさんであり、親は模倣者である。そして、子どもは模倣の見物者である。
 目の前にいる誰かが、当人ではない何者かになろうとしている。その当人ではない何者かを見て、子どもはおもわず観察を始める。おそらく、観察という行為は、モデルなき模倣から始まる。
 とはいえ、子どもはおそらく、カナリアもぞうさんも見たことがない。子どもはモデルよりも前に、まず模倣者を見る。模倣者とモデルの違いは何か。モデルはモデルになろうとはしないが、模倣者は模倣者ではない何者かになろうとする。模倣者は単に自分を表現するのではなく、自分からの「偏差」を表現する。たとえば、少し高く、ゆっくりとしゃべる。たとえば「母親語(マザリーズ)」のように。
 子どもは、モデルなき模倣者に目を見張り、見たことのないモデルを推測することに誘われる。見たことのない人の物真似がなぜか楽しいのは、じつは子どもの頃から刻印されているこの感じ、目の前の親が、親ではない何かになろうとしている感じに似ているからではないか。

 妄想が過ぎた。
 岡ノ谷さんの話は、例の相互分節仮説で、状況の分節化(海馬と前頭前野のループ)と音列の分節化(大脳基底核と前頭前野のループ)の組み合わせから、語が切り出されてくるという話。「ミズン(マイズン)がおんなじようなことを言ってるんですよね」と「歌うネアンデルタール」の話を引いてぼやいてたけど、岡ノ谷さんのほうが(学習過程が入っているぶん)エレガントだと思う。

ページの左を見る子ども

 ひさしぶりに発達心理学者の荻野美佐子さんに会って、親による子どもの読み聞かせの話をあれこれうかがったのだが、中で、子どものページへの注視についておもしろいことを聞いた。
 絵本というのは、縦書きならば右ページから左ページに進行する。ところが、ページめくりをするとき、手はまず左ページにかかる。そしてめくった先に現れるのは、まず左ページであり、紙をめくり終わってようやく右ページが顕わになる。
 で、おもしろいことには、ページをめくると子どもはまず左に注目するんだそうだ。理屈の上では右から読み始めるべきなのだが、左ページに見入ってしまう。いっぽう、親の方は右ページから読み聞かせを始めるので、親が読んでる部分と子どもが見る部分はずれてしまう。そして、このずれに気づかない親がけっこう多いんだそうだ。

マンガの見開きの快楽

 その話を聞いて、またまた妄想が飛んで、マンガを読むときの視線のことを考えてしまった。
 マンガの見開きを読むときに、まず目に飛び込んでくるのは、じつは左のページの気配である。この左ページのコマがどんとぶち抜かれていると、一瞬、あ、くるな、という感じが走る。で、ページをめくると、見開きで大ゴマが目の前に展開する。ほんの短い間だが、この、左ページから漏れてくる予感、というのはけっこうでかい。
 さらに言えば、この予感は、開く直前、いちばん左下のコマからも漂ってくる。たいていの見開き大ゴマは、その直前に、ちょっと遊びのコマというか、白めの、静かなコマを配してあり、そこを指でめくると、めくった向こうから(左ページから)がさがさと激しい描線が漏れてきて、おお、と驚くことになる。おそらくマンガ家の方々は、こうしたページめくりに対して意識的に絵を描いているに違いない。
 そして、あの、マンガの見開きドーンの刹那に感じられる感覚は、子どもの頃の絵本感覚に、たぶん埋め込まれているのだ。

 久しぶりに日心に来たので、いろいろ考えることが多い。今日はMeltzoffの講演、松嶋さんたちのワークショップなど、みどころが多かったのだが、それはまた明日書こう。


20061103

身振りと模倣を同じパラダイムで考えてみる。

 早朝、彦根を発つものの、博多までの切符がなかなか取れず、結局現地に着いたのは13時過ぎ。時間が中途半端なので、地下街の古本屋をさっと見て、菊池寛訳海野精光画の「青い鳥」。ユダがユダヤ人と訳されていたりするなど、かなり「大胆な」訳なのだが、海野精光の挿絵は愛らしい。書き込みつきで200円。

 というわけで、日本心理学会。各出し物が電光掲示板で表示されるという巨大学会で、どこに焦点をあてればいいのかわからない。とりあえずポスター会場をうろうろ。
 ワークショップ「身体・空間・他者 空間的身振りとその発達的変化」へ。このWSの指定討論者が今回のミッション。毛利さん、関根さん、河野さんの発表をきくうちに、じつは模倣と身振りが同じパラダイムで論じられるということに気づいた。
 Byrneのいうような他人の行動の構造抽出は、粗い模倣と考えることができると同時に、じつは「身振り」と考えることができる。そもそも、(とくに自発的な)身振りは、モデルとなっているできごとの所作を正確にコピーするというよりも、そのあらましを再現するような行為だ。
 また、模倣における「モデル」という考え方を、人のみならず環境内の空間配置に拡張するならば、空間表象に使われる身振りは、環境内の空間配置をモデルとする模倣であると捉えることができる。
 (もちろん、そうでないタイプの、抽象的な思考に関わる身振りもないわけではない。が、ここではむしろ、模倣と身振りを同じと見ることでどのような可能性があるかについて考えておこう)。

模倣を見る人

 ところで、以前から、模倣研究がモデルと模倣者のあいだで閉じており、模倣を見る者は誰か?という視点が希薄だと感じていた。たとえば、いわゆる物真似芸人は、モデルに見せるためではなく(なにしろモデルはうしろから芸人を不意打ちするのだから)、観客に向けて芸をする。このとき、模倣は、モデルと模倣者のあいだで閉じているのではなく、模倣の見物者という第三者を得ている。
 このような「模倣」はチンパンジーをはじめとする霊長類ではまず見られない。いわゆる被捕食者の隠蔽行動(シャクトリムシの枝真似や、コノハツノガエルのコノハっぷり)は、モデルではなく第三者に向けられてはいるものの、それは生得的なもので、あとから得られた行動ではない。
 もしかすると、モデルの視線から模倣を引き剥がすように、ヒトの認知は現れたのではないか。

その模倣は誰のためのデザインか?

 身振りでは、「それが誰のためのデザインなのか?(たとえば聞き手のためのものなのか?)」ということをしばしば考える。ところが、模倣研究では、「その真似は誰のためにデザインされているのか?」というような視点はあまり見あたらない。(Meltzoffが、ある真似を嫌う人の前で幼児はその真似をしない、という実験を行っているが、これは、真似をする/しないレベルの問題であって、真似のデザインの問題ではない。)
 模倣を見る人、というコンセプトを入れると、模倣と身振りを連続させて論じやすくなる。そうなると、模倣の正確さの問題や、どの抽象的構造をピックアップすべきかという問題を、誰を志向しているかという問題として論じることが可能になる。

行為の生産物を真似ることと、行為じたいを真似ること

 夕方、WS「他者を通じたパフォーマンスの深化」を聞きながら、さらに模倣について考える。絵を真似る、あるいはパズルの結果を真似る、というとき、じつはそこで真似されているのは、行為の結果(もしくは痕跡)であって、行為そのものではない。ゴール志向的である点において、これらの真似は、いわゆる物真似よりも、マウンテン・ゴリラがイラクサの葉を食べるときの「行為の構造抽出」に近い。

 モデルの種類・抽象度の高さ(真似の細かさ)という変数を入れてやるなら、模倣・観察学習・身振りをひとつのパラダイムで語ることができそうだ。


20061102

朝からゼミの日。実験も始まり、備品や消耗品の管理にあれこれ問題があることがわかる。わかるが、物品の管理はもっとも苦手とするところだ。自分の鞄の中身すらままならぬというのに。
 とにかく学生が要るというものを揃える。


20061101

 講義二本。そのあと、NHKの友杉さん、工藤さんが来られて、FM番組「日曜喫茶室」の打ち合わせ。絵はがきについてあれこれお話する。「カランカラン」という音ともにゲストが登場するこの番組を、ときおりカーラジオで聞くことがあったが、まさか自分が出ることになるとは思わなかった。収録は来週の予定。

口に入れてから起こること

 夕方、上田さん、吉村さんのやっておられる認知症のグループホームへ。上田さん、吉村さんには、先日のEMCA研究会で声をかけていただいた。ホームの場所が自宅から自転車圏内ということを知り、さっそく伺うことになった、という次第。まずは一緒に食事をさせていただき、ホームの方々とお話する。
 ホームでの食事はとてもゆっくりとしている。口に入れたものを歯と歯のあいだに送りこむこと、それを噛んで、口の中で混ぜること、少しずつ飲み込んでいくこと。いつも当たり前にやっているこのようなプロセスは、ホームの方々の場合、必ずしも当たり前ではない。
 食事を口に入れてから飲み込むまでのあいだに、予想もしないさまざまな出来事が起こる。たとえば咀嚼が滞り、頬にいつまでも食べ物が貯められる。
 ところが、その当たり前でない様子をずっと拝見していると、だんだん、当たり前にやっている自分のほうが当たり前すぎておかしいのではないか、という気がしてくる。自分の口を動かしてもぐもぐやってみるが、はていつもはどうやって食べ物を噛んでいるのか、口に含んだ水はどうやって小分けされて喉に送り込まれるのか、にわかには意識できない。目の前の食べ物を口に入れながら、口の中の動きを確かめてしまう。

 二時間ほど、食事をしたあと、吉村さんのビデオを拝見しながら、上田さん、吉村さん、富田さんのお話を伺う。入れ歯の話、食事がこぼれる話、スタッフの方のご苦労は並みならぬものだと思うのだが、不思議と明るく、初めて知る数々のエピソードはいずれも考えさせられることしきりだった。
 「のまずに噛んだ」というフレーズを、ふっと思いついて口にしたら、上田さんと富田さんに意外なほど受けた。
 「のまずに噛んだ」ということばのもたらす笑いの深さは、まだぼく自身にも分かっていない。それを、十全に理解するためには、おそらく詳細な観察と記述が必要なのだろう。逆に、このおもしろさをさまざまな人と共有することができたら、この仕事はたぶん成功するんじゃないか。
 楽しみな場所にかかわらせていただくことになった。


 
 

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