The Beach : Oct. 2006


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絵はがきの時代

20061031

 会議会議を終えて京都へ。本郷さんと本の打ち合わせ。日高さんをはじめとするヒューマン・ルネサンス研究会の成果をまとめる内容になる予定。
 弟子のわたしが好きな日高さんの本は「チョウはなぜ飛ぶか」であり、「春の数え方」であり、翻訳書なら「ソロモンの指輪」と「鼻行類」である。80年代に動物学を学び始めたので、行動生態学と社会生物学から多くのことを学んだのは確かだが、ハミルトンの適応度理論よりも、その「埋葬」の感覚のほうに惹かれた。
 いまでも、「遺伝的プログラム」より、コミュニケーションを拘束する条件に分け入っていく研究のほうに惹かれるわたしは、はたしてどのようにこのプロジェクトに関わることができるだろうか。

 アパートの管理人室でパーティー。
 心のこもったパーティーだった。それぞれに工夫の凝らされた卓布が敷かれ、心づくしの料理がずらりと並び、各部屋がそれぞれの居心地で誘っている。それに比して、仮住まいとはいえ、住人でありながら酒に酔って手ぶらで来た自分が恥ずかしくなり、部屋に何度かひきこもっては復帰する。そのあいだにも、ぐずぐずと酒を飲み、珈琲を飲む。なんとも情けないテイタラクだ。情けなくも、半月が沈んでいく。


20061030

 朝の講義を終えて京都へ。EMCA研究会。
 戸江くんの、トラブルの共成員性の可視化手続きに関する発表。めんどうな経験や愚痴が話されるときにいかに話し手と聞き手がその内容を共有していくかを見ていくもの。ジェファーソンの笑いに関する論文が引かれていたので、こちらの関心に惹きつけて聞く。ジェファーソンは笑いの「表情」やジェスチャーについてあまり論じておらず、あくまで聴覚的に明らかな「音声的笑い」の前後関係から、話し手と聞き手の連携について論じている。会話分析はlaughterを扱いながらsmileを扱えていない。そのあたりで、まだやることがいろいろあるなと思う。
 「それから」の会話で、代助と平岡、三千代とのあいだで、三者の視線と笑いがひらひらとすれ違う。あの機微を自分はきちんと説明できるだろうか、と聞きながら考える。
 平本くんの発表は、CMCをEMCAに乗せようという野心的な内容。今日は理論重視の内容だったが、これからの具体的な分析が楽しみだ。

 飲み会に出るが早めにおいとまする。ちょっとアパートに寄ってからバスに乗って「それから」を読んでたら、うしろから「細馬さん?」と声がする。振り返ってみたら高嶺くんだった。バス、地下鉄と乗り継ぎながら造形大での実習の話を聞く。若き裸族たちが誕生するまでの話がやたらおもしろかった。


20061029

二階で

 二階の部屋から椅子に座って窓の外を眺めると、正面に短い通りが一本、向こう側に伸びている。どんつきは散髪屋で、白青赤のサインがまじないのように回り続けている。
 庭に桜が植わっているので、その枝を透くように、道行く人が見える。窓の下が通りの始まりで、散髪屋のサインは窓の中ほどになる。通りというよりは斜めにかしいだ面のようだ。
 本に飽きると、その、人が現れては消える面を見ている。

引っ越す人

 欧文堂書店の横に階段に「手紙を書きたくなったら寄っていきませんか」といった趣旨の看板があった。前を通るたびになんだか気になっていたのだが、今日行ってみると、店を閉めるので家具などを売り出すという張り紙が貼ってあった。
 二階にあがると、もうずいぶん片付いたフロアに茶器やテーブルがまばらに置いてある。店の方は椅子に座っており、居場所を片付けたあとの、虚脱の空気が伝わってくる。その、座っている椅子をさして、「これも売り物ですよ」。
 おそらくは何人もの人が手紙を書くために座ったであろうその椅子を買う。茶器のセットに珈琲カップ。ちょうどコーヒーカップがなくて湯飲みで飲んでいたところだった。椅子二脚と茶器、カップでしめて4000円。

 引っ越す人から何かを譲り受けると、自分がモノの乗り物になったような気がする。この椅子を誰かから引き取り、誰かに渡すためにここに居る。
 ひさしぶりに「それから」を読む。三千代が鈴蘭をつけた鉢の水を飲んでしまう。たぶん、鈴蘭の水を飲むように人は引っ越しを決めるのではないか。椅子の背にもたれたら、ぎぎいと長い音がした。


20061028

ヒカシュー@アヴァンギルド(京都)

 巻上さんのライブはときどき見ていたのだが、よく考えてみるとヒカシューを見るのはものすごいひさしぶり。「あっちの目、こっちの目」ツアー以来ではないだろうか。ということは、21世紀に入って初めてのヒカシュー体験だ。
 清水さんがピアノに入ったことで、歌ものにドイツ・キャバレーのような、華麗で影のある響きがして、旧譜におさめられてきた曲も、雰囲気がずいぶん改まった。
 歌の合間に巻上さんによる口琴、テルミン、ホーメイの演奏はあまりに自然で、一聴すると、これらの楽器や奏法がブルース・ハープと同じくらい、バンド・サウンドの歴史に居着いているように感じられる。しかしその実、どれも信じられないサウンドだった。吸って吐く息を蒸気機関車のように拡大する口琴。テルミンの前の動きはほとんど武道の手つきでありながら、ボリュームとピッチのコントロールはとても確かだ。ここ十年ほどのあいだの巻上さんの数々の蓄積が花咲いている。
 そのいっぽうで、どれだけアレンジが変わっても、パイクはパイクであり、プヨプヨはプヨプヨであり、三田さんの歌の恐るべきくだらなさは異空間に人々を誘い、ヒカシューはやはりヒカシューだった。
 ライブを見たあと、吉田屋に出掛けて酒と飯。


20061027

たろじーのこと

 pinon-pinonの純さんから、犬のたろじーが永眠した、との知らせ。
 敦賀におじゃましたとき、遠雷の響く夕暮れの松原近くまで散歩につれていった。たろじーにはたろじーのこだわりがあちこちに存在するらしく、いたるところで綱をひっぱられて寄り道をした。ほんの小一時間ほどのつきあいだったけど、それで歌ができた(例によって曲はユーミン風)。
 弔いがわりにここに歌詞を掲げておこう。さ、ポエムの時間ですよ。

「渚にて」

わたしの手をひくあなたは とても得意そう
浜辺に連れてくつもりなの?
この道はあの日の思い出でいっぱいよ
チョットマッテクダサイ
チョットマッテクダサイ
なつかしすぎて気が 狂いそうよ
チョットマッテクダサイ
チョットマッテクダサイ
あの日の匂いをかぐ 時間をちょうだい

はじめて来たのにあなたは とても得意そう
まだまだここは入江で
この先にすてきな松原があるのに
砂浴びするの?
砂浴びするの?
こんなぬるい湿り気に まぎれるの?
チョットマッテクダサイ
チョットマッテクダサイ
あの日の匂いをかぐ 時間をちょうだい

あなたと歩くこの渚に
あの日のこと重ねて ごめんね
あなたと歩くこの渚は
あの日と重ねると新しい
チョットマッテクダサイ
チョットマッテクダサイ
あの日の匂いをかぐ 時間をちょうだい


10/27は凌雲閣が完成した日でも昇降機が設置された日でもない

 ネット上では、記述の間違いがサイト間のコピー&ペーストによって増幅されることがある。浅草十二階こと凌雲閣についても、ネット上のあちこちで同じ間違いが見られる。それはなぜか「10/27は浅草凌雲閣(もしくは昇降機)ができた日」というもので、たとえば ここここなど、「今日は何の日」的ページで同じ間違いが見られる。

 が、10/27は、浅草十二階にとって別段特別な日付ではない。なるほど明治23年10月27日付けの時事新報には十二階のことが報じられてはいるが、そこでは「両三日前落成したり」とあるから、もしこの記事が正しいなら落成は10/24か25であろう。また同記事には、25日に行われた昇降機の運転式の模様も記されているが、そこでは「職工を催促したるも午後十一時頃ならでは其運びに行きかね、やむを得ず電気モーターの運転のみを一覧に供したり」とあって、まだ昇降機が完全に運転されていないことを報じている。あえていえば10/27は「昇降機の試運転が報じられた日」か「十二階のことが官報で報じられた日」程度であろうか。

 そういえば、以前、とある情報バラエティ番組の制作スタッフの方から連絡があり、10/27をなんとか浅草十二階と結びつけられないか、という、変わった趣旨の相談をいただいたことがある。
 十二階にとっては何の日でもないので、そのことをご説明申し上げた。が、結局、「官報で報じられた日」ということで10/27に放映されてしまった。
 十二階について誤解が広まってはいけないので、拙著を読んでいただければわかるであろう幾多の質問にも答え、その一部は番組で使われたが、その後の音沙汰もなかった。クレジットも入らなかったが、入らなくて幸いだった
 放映日が先に10/27と決まっており、是が否でもこの日と十二階とのあいだに因縁を求める必要があったらしい。先方の事情に合った情報を差し上げれば感謝されたのだろうが、因縁のないものはなんともしようがない。

 それでさらに思い出したが、以前、電子ネットワークの動向について取材を受けたとき、先方がぼくのセリフを書いてきて、「最後の決めことばは・・・というふうに言ってください」と言ってきたことがある。そのセリフはぼくの考えとまったく違ったので、「・・・かどうかはわかりませんね」としめくくると、何度も撮り直される。結局「・・・かどうかはわかりませんね」は採られずに、その直前のセリフが放映されたことがあった。もっとはっきり「絶対言えません」と言えばよかったのだろう。いまも苦い思い出だ。

 メディア関係者の方々の中に、なぜか取材先に自分の結論を持ち込む人たちがいる。取材とは、自分の意見を変える可能性を探ることであって、あらかじめ設定された番組の意見に取材対象を当てはめることではないだろう。そんなことをするくらいなら、最初から取材などせず、ディレクタが自分の責任で意見を述べればよい。

 話がそれた。

 十二階の開場日はもっと遅い。11月になっても、昇降機のトラブルは頻繁に起こり、結局、浅草十二階の開閣式は11月11日となった。その経緯については拙著「浅草十二階」に記したが、開閣式の様子については当時の国民新聞の記事(浅草十二階計画内のページを参照)でも読むことができる。

 というわけで、十二階を記念するなら、11/11がふさわしいのではないかと思います。算用数字で書くと、ちょうど塔が並んでるようにも見えるしね。


20061026

「待つ楽しみ」をどう考えるか

 木曜日は例によって終日ゼミの日。3回生、4回生、院生がときには入り交じりながら進んでいくのだが、この方式はなかなかいい感じだ。4回生にとっては、卒論の手伝いをリクルートする機会になるし、3回生はその様子を見ながら来年の卒論に思いを馳せることができる。研究室の機材の使い方にもお互い習熟してくる。学生が入れ替わりやってくるので、こちらが休む時間があまりないのが難点だが、週に一日、学生と付き合って日が暮れる日があるのは悪くないと思う。

 このところ、看護学部の食堂に集まっては、使いやすさや使いにくさについてあれこれ言い合う、ということをやってきたのだが、今日はいよいよビデオ撮影を敢行する。カウンタでの人の注文のプロセスをできるだけ追うという目的なのだが、これが意外に難しい。全体像をとらえるにはかなり離れて撮影しなければならないのだが、それだとカウンタごしの声が遠すぎて録音できない。そのカウンタごしのやりとりも、複数の人が一度にあちこちで関係しはじめるので、声の重なりが半端ではない。理想をいえばお客さん一人一人にワイヤレスマイクがついているのがいいのだが、そこまで協力を求めるのはいささか無理がある。

 それでも、いくつも興味深い事実が見つかった。ひとつ大きな発見は、食堂の常連さんの中に、数人からなる複数の食事コミュニティができていて、彼らの絆は単に食事場面(同じテーブルで飯を食べること)だけでなく、注文場面にまで及んでいるということだ。
 コミュニティに属する人たちにとって、カウンタでの注文の順番は融通無碍である。彼らは列を作るというよりは、あたかもたき火を囲むようにカウンタに向かって順序のない半円を作る。さらにそこから、小鉢やサラダバーへと出張することにも躊躇がない。人によっては、サラダバーで5分以上粘りながら、他の人のために皿をとってあげたり、新しい野菜を用意したり(サラダバーのフリーザー下には野菜がストックしてあり、本来は職員さんがそれを交換するのだが、なぜかお客さんがいち早くこの交換作業をやってしまうのだ)と、ほとんど盛りつけ係のようになっている人もいる。
 半円を出入りしながらおかずが出来るのを待っている彼らは、待つことにいらついているというよりは、むしろ待つことを楽しんでいるように見える。
 こうした現象を見ていると、そもそも「待たせる」ことを悪とし、待ち時間の短縮をひたすら善とする感覚というのは、もしかして間違っているのではないか、という気さえしてくる・・・。

 してくるのだが、じつは問題はもう少し複雑だ。
 どのコーナーに何があり、どこに望むものがあるかを熟知している常連さんにとっては、この食堂における待ち時間は、憩いのひとときとして感じられるに違いない。が、いっぽう、そうした事情をしらないイチゲンさんや、一人の客にとっては、この食堂の構造はにわかには理解しがたい。あちこちで行列があいまいになり、誰が注文のために並んでいるのか、誰が注文を済ませて料理を待っているのか、それはどのカウンタの列なのかが、とてもわかりにくい。結局、なんとなく人の少なそうなところに行って、手に入れやすそうなものを場当たり的に頼む結果に陥りやすい。

 もしここが、街の片隅の喫茶店であるならば、この状態は必ずしも悪いことではない。何も大量の人が我も我もと一つの場所に押しかける必要はない。気のあったコミュニティを作る人たちが、待つことを楽しみながらゆっくりと食事を楽しむ場所であればよい。

 が、ここは、周囲に飲食店がほとんどない地方大学におけるカフェテリアであり、食のインフラの要なのだ。そこでは、限られた昼時になるべくたくさんの人がゆっくり食事の時間を取ることができる形態が求められる。
 待つ楽しみはわかる。いっぽうで、慣れないお客さんに、目指すものに適確にたどりついていただきたい。改善案では、おそらく後者を優先することになるだろう。難しいところだ。


20061025

なぜ笑いが同意を醸し出すのか

 ゼミやら講義やら卒論指導やら。みるみる日が暮れる。末廣さんのデータを見ながら、笑いについて考える。相手の同意を引き出すために「なんていうか・・・な」という風に、自分の語を引き延ばすことが、よくある。この引き延ばしのあいだに、相手の顔が少し顔が笑うことがある。それでこちらも笑う。すると、あたかも、何か言われなかったことが同意されたような、奇妙な空気が生じる。
 このような笑いの誘導が起こる過程を、表情の変化のタイミングも含めて精緻に見ていくことで、笑いのさまざまな諸相を考え直すことはできないかと思う。


20061024

意識は無意識に学ぶ

 このところ、時間が空いていると卒論生の相談に乗るような感じになってきた。ゼミの時間でなくともいつのまにか研究室に学生が集まる。秘書に来てくれている米田さんが「先生、もうわたしの居場所がありませんわ」と根をあげるほどなのだが、じつは、こういう雰囲気は悪くないと思っている。
 とはいえ、こちらにもいろいろ別の仕事があるので、アドバイスは適当に切り上げて放り出す。あとは学生どうしで実験を組む相談をしたり、被験者集めの相談をしたりし始める。
 学生がとってきたデータを見ながら話をするのは楽しい。コンセプトのみからスタートした思いつきより、生活の中で起こった具体的なできごとから引き出されたもののほうが、いままでにない「何か」が含まれていることが多い。意識が拾いあげることよりも、無意識に行われていることのほうが、よほど豊かなのだ。
 ともあれ、いよいよ卒論の季節がやってきたという感じだ。


20061023

ソファで

 ときおり外で小雨の音が聞こえる。まるで昨日の残響みたいだ。夜更かししたわりには朝早く目が覚めて、ソファで昨日岸野さんからもらったスパークス本を読む。

 この部屋の改装は12月からなので、それまではT-Roomから一時的に家具を借りている。この家具たちは近い将来、別の家具に置き換わるだろう。近い未来に出来るであろう部屋と、現在との差分から、「借り物感」が漂ってくる。
 そのいっぽうで、そこがどんなに借り物に満ちていようと、ふいに発生する「自室」の空気もある。たとえばソファがそうだ。
 じつはこのソファもまた、借り物に過ぎない。しかし借り物であろうとなかろうと、ソファという家具は、人を招く形をしている。椅子のようにテーブルに向かわせるのではなく、背をもたせることを誘い、深々と腰を落ち着けることを誘う。そこには、招く形のもたらす居心地があって、その形に、楽々と身を委ねることができる。委ねた身のまとう形の確かさ。
 腰を落ち着けるにあたって、この部屋には、椅子とソファという二通りの場所がある。椅子で本を手にとると読書に向かうようであり、ソファで本を手にとると読書に招かれているようである。いつからともなく、二つを使い分けるようになってきた。
 ソファはちょうど丸窓の傍らにある。窓から入ってきた柔らかい外光に照らされる本が思いがけなく美しく、本を読んでいるのか光を見ているのかわからなくなる。

 午後、坊農さん主催のMcNeill輪読会。ヴィゴツキーの論をひきながら書かれている部分はどうもヴィゴツキーの本にあたらないとピンと来ない。ヴィゴツキーは発達心理学をはじめあちこちで引用されているものの、原著がロシア語ということもあり、なかなかそのニュアンスがうまく汲めない。もちろんロシア語が読めればそれにこしたことはないのだが、いまさら勉強するには道が遠すぎる。ヴィゴツキーには邦訳もいくつかあるのだが、英訳も読んでみようかと思う。
 そしてこの研究会はじつは飲み会が楽しいのであった。豆腐の味噌漬けが、ゆばと豆腐ようをブレンドしたような絶妙の味で、つい泡盛が進む。さすがに疲れがたまっていたので早めに失礼した。


20061022

放送大学二日目

 タワー浴場(すごい名前だな)で朝風呂を浴びて瀬田へ。
 放送大学面接授業の受講生は20代から-70代までと年齢層は幅広かったが、多くは私より年配で、自己紹介をしてもらうと、現役の会社員の方もいれば、いのちの電話のスタッフ、看護士勤続30年のベテラン、教職40年という方もおられ、こちらが教壇を降りてひとりひとりのお話をゆっくり伺いたかったほどだった。休み時間や行き帰りのバスや電車の中でも、受講生の方とあれこれ話をした。

 一人、とても注意の焦点が飛ぶおもしろい人がいるのだが、話にいちいち屈託がない。バスに乗ると、「センセ、ここここ」と座席の隣を開けてくれて、次から次へといろいろな話をしてくれる。歩きながら話していると突然、「センセ、おでこに長い毛はえてるわ」という。「取ってもいい?」というので、はい、と答えると、ひょい、と取ってくれる。「陽に透けてたからよう見えてん」と言って続く話は、早くもバスの時刻のことに変わっていた。

 最後に書いてもらった感想は、どれも拙い講義への思いやりと叱咤のまじったものだったが、中に「現場は1秒1分が勝負、会話分析のように1秒のできごとに40分も50分も解析しておれぬ」という一文があった。いつもなら、山ほど反論が思い浮かぶところなのだが、10時間以上講義を聴いてもらったあとの感想だけに、ずっしりと重かった。

P-hour7 二日目:スパークス

 今日もようやく西部講堂についたときは、すでに主立った演奏があらかた終わって、あとはスパークスを残すのみというところだった。

 スパークスの本番については・・・すばらしすぎて、もうあまりことばも出ないのだが、第二部のヒットパレードが予想外に楽しめた。
 ひとつには、ラッセル・メイルに意外にもせつないものを感じたからだと思う。ビデオで見ていたときは、ロンの動かなさにひたすら眼が行ってたのだが、ライブでは動くラスに思わず手を振って答えてしまう。ぼくはどちらかというと、手を振ったりこぶしを挙げたりというのは苦手なのだが、ああ、こういう歌がNo.1の天国なら、人さし指を突き出して支持するよと、ステージから呼びかけるラスに素直に人さし指を突き出して見せたくなってしまった。
 いっぽうのロンの動きの少ないパフォーマンスは、もっとふてぶてしいものなんじゃないかと思っていたのだが、予想よりずっと繊細で、見ているとこちらの感情が静かに揺さぶられていくようだった。
 昼間の余波もまじって、憂愁が憂愁のまま、振動して大波になっていく。

 ライブが終わり、西部講堂の外で安田・アダチペアのピントが濃くボケる話を聞くのはとても楽しく、ずいぶん長いこと立ち話をしてしまう。打ち上げに行ったら、もうスパークスのメンバーは鍋をつついていた。

 スパークス本でインタヴューに論考にと活躍しているアイシャを岸野さんに紹介してもらう。まだ二十歳代前半なのに、あんたなんでこんなことずばずば分かってしまうの?と思うような鋭い人なのだが、話しているうちに、動物行動学志望で、ジオラマ好きで、しかもボルネオに居たことがあるという、あまりの共通点の多さに驚いた。

 それにしても、この近来まれにみる素敵なスパークス・ナイトは、大手のプロモーターやレコード会社からではなく、岸野さん個人から始まった企画なのだ。

 以前、ちらと企画書を見せてもらったことがあるが、そこには照明・映像・音声のスタッフがずらずらと10数名並んでおり、プロジェクションのやり方もステージ構成も「え?これほんとに西部講堂でやるの?」と思うような大がかりなもので、にわかに実現するとは信じがたかった。
 そこから今回のp-hourの人たちを始め、mapの小田くん、モモちゃん、そしていろんな人たちができることに手をつけるうちに、気がつくと、ラスとロンが、吉田屋の畳の上で体をもてあまし気味に、しかし和気あいあいと鍋をつついている。何もしていないぼくまで、なんだか浮世離れした場所に紛れ込んだように思える。天国でかかっているNo.1ソングではなく、No.1 Song in Heavenがかかっているような天国。

 ロンは第二部のヒット・パレードのなかで一度だけ、ゆっくり、にやりと笑った。そのわけを、打ち上げの席で聞ければいいなと思ったが、いざ近くに行ってみると、ぼくのがさつな立ち振る舞いでは彼の繊細なセンサーが振り切れてしまいそうで、なんだか声をかけそびれてしまった。


20061021

 瀬田で放送大学の面接授業一日目。言ってみると、予想に反して受講生の年齢層が多様で、用意していったネタはあまりに専門的にすぎたことに気づく。まず自己紹介してもらってそれぞれの人のバックグラウンドを伺い、いろいろ軌道修正する。

P-hour7一日目

 一日講義だったので、西部講堂についたらもう最後のROVOが始まったところだった。ゆるやかなダブから、長い長いノンストップのグルーヴ。夕方のいくつものセットを聞き逃したけど、この1セットだけからも、この日流れていたであろう6時間の流れを外挿できてしまいそうな不思議な時間の流れだった。

クレイヨラのいるエジンバラ

 打ち上げに行ったらクレイヨラのメンバーが来ていて、メイヨとちょっと話す時間があった。奥さんが分子生物学者だというので、ぼくも生物学出身だというと、「ほんとか?ここには生物学者が3人もいる」という。どういうことかと思ったら、アコーディオンのチャーリー・アベルの奥さんも生物学者なんだそうだ。彼女たちはエジンバラの同僚で、メイヨとチャーリーは、奥さんどうしのパーティーで知りあったんだという。そこからバンドを組むに至ったというのがおもしろい。メイヨたちのいるエジンバラ、というイメージを得て、またエジンバラに行きたくなってきた。

 明日もあるのでちょっと早めにアパートに戻る。


20061020

レッド・クレイヨラ@新世界ブリッジ

 夕方、大阪へ。新世界ブリッジで、クリオネ、popo、三田村管打団?、レッド・クレイヨラ。
 popoは、すごく細かいところでレコーディングとは違うサウンドを出そうとしているのがうかがえて、アルバムリリース後の演奏を感じさせた。三田村管打団?の間近で飛んだり跳ねたりしてるうちに、いよいよレッド・クレイヨラ。
 二時間弱、とにかく圧倒的な演奏だった。メイヨ・トンプソンは60歳を過ぎているのに、いまがピーク?と感じさせる自在の声。そう、もう声が、とにかくすばらしい。あのきゅうっとうねる高い声。そしてそして、絶妙のバンド・サウンド。二人のギターが広々とした空間を切り刻み、アコーディオンがクロスする。なんというか、垂直というより、ずばっと対角線に音が行き来している感じなのだ。これはおそらく、ベースがないことでかえって運動の場が広がっているということなのだろう。というか、ギターバンドって、ベースのないものだったんだ。もちろん極論である。極論ではあるが、この日はそれが真実だった。

 まだやることはいくらでもある。という根拠のない感覚に胸がざわつきながら、急行きたぐにで彦根に帰宅。


20061019

 木曜は午前中から夕方までぶち抜きでゼミ。今日から院生の松村さんも復帰し、いよいよ終日ゼミの様相を呈してくる。
 三回生ゼミでは生協食堂で、職員の方にインタヴューし、食堂の間取りを計測(このあたりの作法は、先日のT-roomスタッフの作業のあざやかさに学んだ)。食堂の混雑緩和の方法についてディスカッション。
 そのあと、卒論ゼミの相談などなど。実験の組み方が鍵か。


20061018

 英語ゼミ、講義、そのあと卒論の相談などなど。


20061017

カーテンを買わずに済むまで

 京都の部屋には電話線もネットの回線も引いていないので、ネットに関しては、一日一回、携帯経由でメールをチェックするだけにしている。この一回のメールチェックの中に、科研費や会議の打ち合わせが入っていると、けっこう心臓によくない。よくないが、なるべく考えないことにする。そういうことを考えないために、この部屋を借りたのだから。

 10月だというのに、けっこう陽射しが入ってくるので、カーテンでも買おうかと思って、夕方イズミヤに行く。しかし、あまりに家庭的な柄が多く、このままではうっかりトムとジェリー柄のものでも買ってしまいそうだ。ここは改装をお願いしている小山田さんに電話をする。
 「カーテンを買おうかと思っているんですが・・・」
 「カーテンか・・・それはかなり部屋の雰囲気を決めちゃいますねえ」
 「やっぱりまずいですか」
 「うーん」
 「じゃ、本格的なのはあとで考えるとして、仮でもいいから何かいい方法はないですかね」
 というわけで、仮の布を掲げる方法を教わる。
 まず窓のサイズを確かめ、近くのインド物産屋に行く。更紗にはさまざまなサイズがあり、よく見ていけばたいていの窓にフィットするものがある。その中から適当な柄を選んで、クリップか何かで窓に止めてしまえばよい、とのこと。
 じっさい更紗を見に行くと、値段も数百円から二千円程度で、これなら仮に張る布としては悪くない価格である。というわけで、いくつかそれらしいものを選んで買う。ついでにタイ式ズボンというのが楽そうで買ってみる。
 更紗をカーテンレールにクリップで吊るとなるほどそれらしくなり、余った部分を適当に垂らしておくのも風情に見える。さすが小山田アドヴァイス、電話越しでも結果は適確だ。
 タイ式ズボンの方は、前チャックがないことに気づく。用を足すためにしゃがむとするか。
 


20061016

 

偶然

 朝、「こころの自然誌」講義を終えて京都へ。人文研の倉橋さんに文献を渡す。
 じつはこの経緯がちょっとおもしろい。
 先日、欧文堂で立ち読みをしていたら、一人のお客さんがカウンタ越しに「○○はありませんか?」といっているのが聞こえた。「品切れでどこの本屋に行ってもなくて・・・」という声が漏れてくる。その専門書を、じつはぼくは持っていた。が、いきなり、「お貸ししましょうか?」とも言えず、とはいうものの、その人がその本を求める由来が気になって黙っていられなくなり、「○○書店ならあるかもしれないですよ」と声をかけてみる。
 そこから、なぜその本を求めるにいたった経緯の話になり、よくよく聞いてみると、その人は以前研究会でいっしょになったことのある人文研の倉橋さんだった。ぼくがうかつですっかり顔を忘れていたのだ。
 それならというわけで、手元の本のコピーをお渡しすることになった、という次第。つくづく、京都は狭い。

 コミュニケーションの自然誌で高田くんの発表。
 飲み会で、最近アパートを借りた経緯を話すと、水谷さんが「で、その話のオチはなんやねん?」 オチはない、と答えると「オチがないわりに、なんか自慢話に聞こえるなあ」と言われる。やけに嬉しそうに話していたらしい。
 次回は自分の発表なのだが、オチはどうしよう。


20061015

どこを真似るか

 物まね芸人とは、何を真似ているのか?

 ということを考えた一日だった。

 朝は「マキャベリ的知能説」で知られるリチャード・バーンの講演会で、主に取り扱われていたのは、真似する imitate ときに、相手の心を仮定する mentalize することは必要不可欠か? という問題だった。

 誰かの真似をする、というときに問題になるのは、「いま見ている行動のどのような側面を真似るか」ということだ。この点は、真似研究でときどき見過ごされてしまうのだが、バーンは、むしろこの点をテコに論じていておもしろかった。

   たとえば、あるゴリラが棘だらけのイラクサの葉っぱを、棘を取り除いて食べているとする。これは右手と左手がそれぞれ違う動きをする複雑な行動だ。
 それを見た別のチンパンジーが、同じやり方を「真似して」食べるとしよう。
 ひとくちに真似するといっても、やり方はいくらでもある。たとえば、右手のひねり方を真似るとか、顔の表情を真似るとか、足の踏ん張り方を真似する・・・などなど。
 しかし、そもそもイラクサの葉の付き方からして、一本一本違うわけだから、誰かの手の使い方をモーションキャプチャみたいにまるまるコピーしても役に立たない。

 ではじっさいはどのような「真似」が行われているのか。
 ゴリラの葉の食べ方は同じ個体でも個体間でもいろいろ違いがある。
 ただしまったくのでたらめではなく、「イラクサを扱っているあいだにできた不要物(トゲなど)を取り除く」「やはりトゲだらけの葉柄を取り除く」「葉を折りたたむ」というような、いくつかはずせないポイントがあって、そこはしっかり押さえられている。
 押さえられてはいるのだが、その他の細かい点では手の使い方にいろいろ違いが出る。というわけで、ゴリラがイラクサを食べる過程を図に描くと、何本ものぐにゃぐにゃした線がいくつかの点で交錯している、というようなイメージになる。

 こうした例を挙げながら、バーンはおおよそ以下のように言う。
 ゴリラには、真似すべき相手の行動がどんな構造を持つかを分析する能力はある。ある動作がいくつかのはずせないポイントを順を追ってクリアしていくという点では、その動作に文法があるとさえ言える。が、そこで、相手の「心」や「意図」を読む必要はない。少なくとも大型霊長類の場合、真似で重要なのは、相手の意図の理解よりもむしろ、行動を分析する力である*。

(*Byrne, R W (2003) Imitation as behaviour parsing. Philosophical Transactions of the Royal Society B, 358, 529- 536. ただし、Tomaselloの論も参照のこと)

 さて、ここからはぼくの妄言になるけど、おそらく、ヒトの認知がほかの霊長類と違うのは、注意の焦点がフレキシブルだ、という点なんだろうと思う。
 他個体の行為から、そのポイントを取りだして、自分なりにアレンジしてしまう、といういっけん困難なことを、他の霊長類は楽々とこなすことができる。それだけ難しいことができるのに、なぜヒトのようにならないかと言えば、おそらくヒトは注意が無駄なところに行き過ぎるのだ。

 たとえば、物真似、という問題を考えてみる。通常の物真似芸人にとって、イラクサの葉を自由に食べるような「真似」は、真似のうちに入らない。むしろ物真似芸人が注目するのは、イラクサの葉を食べることにおいて、いっけん本質的ではないことである。美川憲一がイラクサの葉を食べるところを真似しなさい、というお題を出されたなら、ほとんどの芸人は、ただイラクサの葉の棘を取り除いたり、葉を折りたたむことに腐心したりはしないだろう。むしろ、棘を除くときの表情を真似たり、「あら、痛いわね」と声真似をしてみたりするに違いない。
 美川憲一の真似をする、ということは、個体差を真似るということである。いっぽう、イラクサの葉の食べ方を学ぶということは、個体差を捨象した、イラクサの葉の食べ方の構造を学ぶことである。どう考えても生存に必要なのは後者の能力であり、前者のような些末なことに囚われているものは、あっという間に淘汰されてしまいそうに見える。
 が、ヒトはその、些末な能力を進化させてきた。

 物真似芸人の物真似は、この、反霊長類的な能力、ことの本質を考えるにはむしろ不要な能力を思い切り拡大している。

 と、いうところまで考えたところで、話は「太陽」に飛ぶのだが、それはまたいずれ。


20061014

指し示しを告げられるヒト

 京都で、動物心理学会のシンポジウム。

 岡ノ谷さんは挨拶がわりによく質問をしてくる。
 今日はいきなり「イヨイヨってなんだっけ?」と話しかけてきたからなんのことかと思った。こういう不意打ちにも即「一苦労!」と答える心構えを持ちたいものだ。14×14=196ですよ。

 それで今日は、オオガラスとチンパンジーとイルカの社会的知性を考えるというシンポジウムだったんだけど、誰かに何かを指し示すこと、誰かを誘うことについて、いろいろ考えるところがあった。

 イルカの指し示しは、ヒトとはちょっと違う。彼らのヒレは、誰かを掻いてやるには適しているが(イルカはヒレでグルーミングをする)、何かを示すにはちょっと形があいまいすぎる。ではどうするかというと、たとえば黄色い箱にまず頭を向けて、それから今度はヒトのほうに頭を向ける。これを何度か交互に繰り返す。

 それを見ていて、ああ、指し示しというのはつくづく三項関係なんだなと思う。

 何かを指す、という行為を、研究者はつい、指すもの/指されるもの(シニフィアン/シニフィエ)、という閉じた二つの関係で見てしまうことがある。でも、じつは、そこには「誰に向かって指しているか」という問題が入っている。ほんとうは、指すもの=告げるもの/指されるもの/告げられるもの、という三項関係なのだ。そして、イルカの場合は、この三つの関係を一度に示すことができないので、頭の動きを使って時間的に行う。
 ヒトはどうするかというと、手とまなざしを一度に使う。子どもが犬を指しながらおかあさんを見る、という風に。もちろん、おかあさんと犬を交互に見るイルカ的な子どももいる。

 三項関係を身体の異なる部分を使って一度に示してしまう、というのは、かなり変わった表現だ。ヒトはこの、変わった表現をやる。でも、空間的に一度に表さなくても、イルカのように時間的に三項を表してもよい。

 チンパンジーの母親は子どもに手をさしのべる。コンマ何秒か遅れて、子どもが母親のほうに手を伸ばす。チンパンジーの場合、遠くの何かを誰かに向けて指し示すという行動はあまりない。でも、自分の身体に注意を向けさせることはよくやる。こちらの手をさしのべることで、こちらの手に注意を向けさせる。相手がこちらの手に注意を向けながら、相手の手をこちらに伸ばしてくる。こちらの手と相手の手とのあいだに、注意の空間が生じる。これを共同注視の空間といってもよいだろう。  共同注視が起こるためには、まず、こちらの身体に相手の注意をナヴィゲートする能力、そして相手の注意が相手の行動となって現れたときにそこにこちらの注意を向ける能力があればよい。この二つを兼ね備えた個体が出会うならば、そこでは、手をさしのべること、握手すること、その他、さまざまな誘いが起こるだろう。  このようなコミュニケーションでは、「指すもの=告げるもの」であり、「指されるもの=告げられるもの」だ。

 指されるものと告げられるものとの間を引き剥がすように、ヒトの指し示しが生まれた、と考えることはできないだろうか。

 このヒトはこちらを指していないのに、こちらを指しているような気がする。こちらを指していないことと、こちらを指していることはどうやって同時に成り立つのだろう?

 などと、ヒトの祖先は考えたのではないか。


20061013

 本日も朝からサーバ仕事。サーバ室にいると、学生や他の先生から「○○が動かないんですけど・・・」「○○をインストールしたいんですが・・・」という声がかかり、みるみる仕事が増える。いかんいかん。このままでは専属SEになってしまう。と、思ううちに日は暮れる。今日は山根先生も緊急SEと化していた。二人でやると多少気が紛れる。


20061012

今週から、昼休みから学部生ゼミを5コマめまでぶち抜きで行うことにする。3,4回生の合同ゼミでは、どうしても3回生の課題が中心になって、4回生各自の卒論について話す時間がとれないからだ。
 「さて、そろそろ実験しないとねえ」と少し冷たくしたら、4回生がようやくワタワタし始めて、いろいろ計画を練り始めた。もうしばらく冷たくしておこう。

 今日もサーバ仕事。ようやくWindows2003でのユーザー新規登録の方法がわかってくる。意外と基本的なことを書いてくれているサイトが見つかりずらいので、ユーザーの追加方法をここにメモっておく。
 ユーザーを追加するコマンドはいくつかあるが、基本コマンドは
 dsadd user
 使い方は
 dsadd user /?
 大量登録をするにはcsvファイルから読み込む
 csvde
 というコマンドが使えるが、初期パスワードを設定できないのが難儀。よって、dsaddを何行も書いてバッチファイルにする。Excelで書けば楽。
 dsadd user "cn=なんとかかんとか", というパラメーターが必要なのだが、これは現在のユーザー状態を出力して参考にすればよい。


20061011

実物は映像よりも時間がかかる

 先週の金曜日に見た若冲のことを書くのを忘れていた。
 「若冲と江戸絵画展」京都国立近代美術館。東京の混雑ぶりを伝え聞いていたので、朝早くに出掛けたのだが、小雨がちのせいもあってか、拍子抜けするような人出。群鶴図の前に十分くらいいたり、屏風の前で、鶴の尾をスケッチしたけれども、かくべつ誰のじゃまにもならなかった。
 若冲の絵は、グラデーションの密度が濃い。ぱっと見ただけでは単色に見える中に、さまざまな線を凝らしている。群鶴図の、白い羽の細部に、葉脈のような幾筋もの線が見えてくるまでにはずいぶん時間がかかる。その線が浮かび上がってくるさまは、まるで、こちらの眼のエッジの検出力が上がっていくのを可視化しているようだ。
 カタログでは、輪郭を強調しているので、このような視覚体験は起こらない。あらかじめ羽の細部がすべて眼に入る。しかし、じっさいの絵は、そんな風に、すべてがすぐに頭に飛び込んでくるのではない。
 実物を見ることは、映像化されたものよりもすばやく現実に接することを意味するのではない。むしろ、映像化されたもののほうが、編集によって、見どころをより強調しているから、ある意味で明快なのだ。実物は、映像より、ずっと時間がかかる。そして実物を見る楽しみは、この、自分の頭に何かが起ち上がっていく時間にある。

 鶴の尾が次第に黒を失っていくさまの見事さ。濃淡のスピードが速いので、最初は、そこにどれほど豊かな階調がひそんでいるのか見逃してしまう。が、見つめるうちに、こちらの感覚が黒に添うようになり、その黒が失われる時間に添うようになる。すると、一枚一枚の羽が、何度も黒を失い、リズムを生むようになる。空間に分布していた階調が、時間へと変換される。

 若冲の花鳥人物屏風、鶴図屏風、あるいは応震の麦稲図屏風。芦雪の象と牛。屏風はどれもすばらしい。芦雪の象、一曲がただ白い腹だけ。そして、その巨大な牛や象の傍らで、まるでとぼけたようになごむ犬に烏。このプライスコレクションだけで、ひとつの屏風論を論じることができそうだ。

 サーバばかりいじっていると、憂鬱なのだが、若冲の筆さばきを思い出すとちょっとうっとうしさが晴れる。


20061010

 会議。サーバのメンテを夜半過ぎまで。とにかくやらねばならぬことをやって、眼の限界がきたらやめる。
 プロファイルとHDのありかが狂ってしまった設定を、ひたすら手入力で直していく。いっそすべてを削除していちからやり直したい気分になるが、使用中の学生もいるからそうもいかない。バッチ・ファイルでずばばんといかないのが辛いところだ。何時間たってもちっとも進んだ気がしないのだが、それでも一学年分はなんとか済んだ。ということはこの三倍の仕事がまだ残っているということか。
 単純作業でふらふらになっているとき、サーバ室の外で学生の「あ、直った!」と笑うと、もうひとがんばりしてしまう。文字通り、お客様の笑顔がわたしの活力源です、てなもんである。笑いは単純明快だ。体が否応なく反応してしまう。


20061009

a sleeper on a sleeper

 京都の部屋はどうも早起きになる。本を読み進めていくと、窓の下のキンモクセイが、朝からの陽射しで温められて、次第に強い匂いを放ちだす。匂いの濃くなっていく時間は、まるで移動の時間のようでもあり、本を読んでいるこの部屋は、係留されながら遡行している船のようでもある。小説のことばは、翻訳によって此岸と彼岸とを往復しながら、次第に意味を濃くしていく。

 少し眠たくなる。
 『河岸忘日抄』の中では、枕木、ということばが、連想の鍵になっている。

 なんの因果で枕木なんて名前になったんだろうなあ、と元探偵は三分の二だけ剥げ落ちた頭のかさついた皮をぽりぽりと掻き、枕木って、英語で言うところのスリーパーでしょう、要するに眠るひとですよ、線路の下に敷くあの角材は、縁の下のなんとやらで、つまりレールにかかる荷重をうまく分散させてやるために、乗客の重荷を取り払うために、おのれの運命を嘆きつつ枕になってやってるわけなんです。でも、ぼくが関係してた仕事の方面で言えば、スリーパーは敵国人の任意のひとりになりすますために、生い立ちや家族関係はもちろん、何歳のときにどこへ旅行し、どこの学校で学び、誰と親しくしていたか、何度引っ越しをしてそのたびにどんな間取りの家に住んだのか、架空だけれどすべての事実に適合する来歴を創造して、話に矛盾が生じないよう気の遠くなるくらいのシミュレーションを重ねたうえで派遣されるスパイのことを意味するんですよ。
(堀江敏幸『河岸忘日抄』)

 気分転換に、買い物袋を下げて帰ってくると、ちょうど管理人代行の平野さんがアパートに来たところで、「いい木材がありますよ」という。管理人部屋の奥の物置きに、かつてアパートに使われていたであろう木材が立てかけてある。
 「いろいろおもしろい木がありますわ。これなんか枕木ですよ」
 「枕木?」
 手渡されたサイコロ型の木はずっしりと重く、錆色の表面に番号らしきものが振ってある。偶然にしては出来すぎているので、「これ、枕にします」と言ったら、「なら、こっちのほうがええんちゃいます?」と平野さんはさらに大振りの、ちょうど枕の長さをした切れ端を選んでくれた。
 部屋に持ち帰って、床に転がしてみる。ずっしりと重たく、「枕」や「睡眠」といった語のもたらす安楽さにはまるでそぐわない。ひどく堅いので、タオルを敷いて、頭を乗せてみる。ごとん、と頭蓋の当たる音がする。ちょっと高すぎるようだが、枕にならないこともない。それで、頭を乗せたまま、本の続きを読む。
 枕木さんは小説のあちこちに現れる。枕木=sleeper=眠る人。眠る人が眠りを支えていると思うと、読みながら自分が眠りそのものになっていくようだ。

 日が傾いてきたので、何かいい器がないかと、自転車圏内のアンティークショップを何軒か見て回ったものの、どこも値段設定が高めであきらめた。たいそうな器じゃなく、古道具屋の店先でホコリをかぶっていて、どれでも100円、てなやつがいいのだが。
 大地堂に版画の額を頼む。書斎となぜか調子を合わせるように届いた二枚は、部屋に飾ろうかと思う。

 琵琶湖東岸から見る夕焼けは、中景が湖面で抜けているせいか、呆然とするような広さがあるのだが、京都の夕焼けは家並みの稜線に区切られて、これはこれで美しい。長い一日の終わり。いつもながら茶巾寿司を買って彦根に戻る。


20061008

家具

 小山田さんと武田さんが、改装までの仮の家具を運んできてくれた。ソファに丸テーブルにスタンド、そして机、椅子が二脚。
 その丸テーブルを囲んで、図面とラフスケッチを見ながら今後の計画を話していると、なんだか、昭和40年代の事務所みたいだ。ここは「芋たこなんきん」か。
 小山田さんは向こうの端の部屋が気に入ったらしく、越してきたいという。おもしろいことになってきた。


河岸忘日抄と航海記


 昨日、ガケ書房で堀江敏幸『河岸忘日抄』を手に取ったら、なんとなく持った感じがいいので、レジに持って行った。amazonだとこういうことにはならない。
 その帰りに、欧文堂書店で『航海記』なる本を見つける。昭和32年発行、財団法人海上労働協会海上の友編集部・海上労働協会発行。中身はふつうの船員の人たちが書いたエッセイを集めたものだが、最後に船舶用語と当時の外国航路地図がカラーで載っているのでなんとなく惹かれて買ってみた。
 すると、この『航海記』の文章がなかなかいい。通信員が一生に出すか出さないかと言われるSOSを出した話や、外国航路の四季の話などなど。新しい船の各部の名前がかえってこちらの想像力をたくましくさせる。船乗りの生活には、仕事仲間との旅また旅によって培われる独特の情緒があるらしい。
 とくに、小柴秋夫という人の「初航海のころ」は、新米甲板員の悲哀がしみじみと伝わってきて、ぐっと来てしまった。あとのほうに載っていた「テームズの畔まで」というエッセイも、岸と陸(オカ)の往復がもたらす寄る辺なさが繊細に書かれていてうっとりしたのだが、よく見たらやはり小柴さんのものだった。あの、先輩にしごかれた甲板員の人が、マストの上から地中海の夕焼けを眺めるようになって、でもやっぱりどことなく寄る辺ないのだなと思うと、よけいにじんと来てしまった。

 そしてようやく『河岸忘日抄』を読み始めると、驚いたことにこれは船の話で、しかも河を移動する/しない話だった。ついさっきまで、ロッテルダムの河岸を船で遡る話を読んでいたのに。

 夜、サカネさん、来田さんと飲む。ひさしぶりに杉井キサブロー監督の『銀河鉄道の夜』をみたら、ところどころセリフを覚えてた。それも、「ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ」などという意地の悪いセリフに限って、声色まで覚えている。


20061007

古本屋が当たり前のようにある

 京都には古本屋が当たり前のようにある。散歩をしているうちにあちこちで本を買ってしまう。
 京都に住んでいるときは空気のような存在だったが、彦根に越してからというもの、ほとんどの本はamazon.co.jpで買うようになってしまい、店頭で本をめくるという体験が非常に少なくなった。彦根にも本屋がないわけではないが、残念ながら購買欲をそそる店が少ない。本屋というのはぶらぶら歩いているとふいと視界に入ってくるところがよいので、車通りの激しい場所にでかでかと赤で「本」と書いた看板を出さなければならないような町には、小さくて品揃えのよい本屋は育ちにくい。

 山川直人『コーヒーもう一杯』の二巻を買って、ああコーヒーが煎れたいなと思って、ガス栓を契約していないのに気づいた。大阪ガスに電話して明日来てもらうことにする。

凍りつく浜辺

 彦根に戻って、学生の演劇を見る。ケラリーノ・サンドロヴィチ作「フローズン・ビーチ」。この劇には、1995年の場面があって、そこではオウム真理教の「ショーコーショーコ」の歌を歌っていた小学生が話題に上るのだが、いま演じている四人の学生は二十代前半、まさにその、当時の小学生世代である。
 四人の女たちは、あらゆる嫉妬、怨恨、惨劇を狂ったように笑い飛ばしていくのだが、その笑いは、劇の終盤でひととき凍りつく。
 客席では、オウムねたがなぜか妙に笑いを取っており、しかもその笑いからは、なんだか人ごとを笑うような快活な響きがして気になった。この人たちにとって、オウムはもはや人ごとなのだろうか。
 演じていた彼女たちは、「凍りつく浜辺」をどう感じていたのか、今度聞いてみよう。


 

20061006

てのひらは、盛る器を表し、盛られる中身を表す

 ジェスチャー輪読会第二回。マクニールがメタファーとジェスチャーの関係について述べているところなのだが、これはいささかわかりにくい。
 ジェスチャーはきわめて視覚的なメディアである。だからつい、ジェスチャーはことばを「視覚化」しているのだと考えてしまいたくなる。しかし、じつのところ、ジェスチャーが何を視覚化しているのかは、必ずしも自明ではない。
 たとえば、右手のてのひらを上に向けて、5本の指を少し曲げてみよう。これは何か、お椀のようなものを持っているように見える。だから、これは「容器」を示しているのだ、と言ってしまいたくなる。しかし、もしかしたら、表されようとしているのは、容器ではなく、ボールかもしれない。てのひらは、器を表すのではなく、むしろ、器に盛られる何ものかの輪郭を表しているのかもしれない。
 そして、これらの印象は、必ずしも排他的なものではない。てのひらは器と、器に盛られる何ものかを同時に表している、といってもよい。たとえば、てのひらを傾けながら「じゃー」と声を出せば、てのひらは、器を表しながら、同時に、その器からこぼれていく液体を表している、と言えるだろう。

てのひらは、離れるボールを表し、離す手を表す

 てのひらは、てのひらに接触していることを表すこともできるし、てのひらから離れていることを表すこともできる。てのひらを上に向けて、ボールを表すことができるし、手首をくいと動かして、てのひらから離れていくボール、投げられるボールを洗わすこともできる。もちろん、ボールを離す手、投げる手を表している、とも言える。

 指の曲げ具合によっても、その印象は変わる。指をぴったりとくっつけると、こぼれにくさが表されるようにも見える。指の第一関節と第二関節だけをぐっと曲げると、これは何か力を入れて握るべきものであるかに見える。
 てのひらの角度も問題になることがある。下腕からてのひら、指先までがまっすぐ伸びると、これはその延長上にある何かを指しているようにも見えるし、下腕とてのひらで表される特定の平面にも見える。てのひらが水平面から傾くと、何かがこぼれているようにも見える。手首が曲がっていると、なんらかの角度が示されているようにも見える。

ジェスチャーからメタファーが分岐する

 ジェスチャーを「メタファーの視覚化である」という風に言ってしまうと、ひとつのてのひら、ひとつのジェスチャーが持っている多様な側面 aspects が失われてスカスカになってしまう。そもそも、メタファーという概念は、ことばの持っている言語内容に絞られた、ごく狭い現象を言い当てているに過ぎない。

 むしろ、ジェスチャーからことばが分岐する、あるいはジェスチャーという視覚的なメディアからメタファーが分岐する、というのが実情に添っていると思う。  

月光のさなぎ 部屋には、窓の形の月あかり。窓際で眠ったが、ちょっと月光を浴びすぎたかもしれない。


20061005

混雑を観察する。

 以前から、人間看護学部のカフェテリアの混雑ぶりが気になっていたのだが、これは、ただ気にするだけでなく、ゼミのネタにしてしまおうと思い、専務とかけあって、うちの研究室と共同で改善案を考えることにした。
 さっそく昼休みに学生といっしょにカフェテリアへ。レイアウトや配置できる人の数など基本的なことを教えてもらう。そのあとあたりを動き回りながらああでもないこうでもないとアイディア出し。

黒板物件

 京都へ。今日は小山田さん率いるT-ROOMの人たちと、初顔合わせ。
 先月、チェルフィッチュの舞台のあとのトークで小山田さんが架空の家の話をしているのを見て、彼に頼めるといいなと思っていたのが、めでたく実現した。  まずは、ざっと部屋の説明をする。要は「読み・書く」という雰囲気があって寝泊まりができればよく、あとはノー・アイディアであることをお伝えする。
 しばらくして、東側の壁が話題になる。じつはこの部屋はもともと東にも窓があったのだが、いまは、かつて雨戸だったものが外側から打ち付けてあり、内側からはベニヤが張られて壁と化している。つまり、窓の形に仕切られた壁があるというわけだ。
 これが、なんだか窓のようでもあり壁のようでもあり据わりが悪いと思っていたのだが、小山田さんは、この窓型の壁を眺めていて「黒板とか?」という。
 それで、一気に、黒板のある部屋にしようという話がまとまる。おもしろいことに、壁のある部分を黒板と考えると、あちこちの配置が一気に形作られる。

ラジオ 沼 第343回

不在の気配(京都のアパートから)

20061004

 朝、大学のそばを歩いていたら、進々堂の前からクロワッサンの焼ける匂いがして、頭がくらくらした。京都にいたときは毎日のように通っていた通りなので、さほどには感じなかったが、この感触をほとんど忘れていたことに気づいた。

 人間行動論。今年はメディア論にする予定。
 サーバ管理。意外に時間がかかることが判明。サーバ管理での頭の使い方は、パソコンのプログラミングとはまったく異なる。パソコンでプログラムをいじるときには、試行錯誤が許される。まずアイディアのひな形を作り、それを動かしながら出てきたことについて、あれこれと考えればよい。
 しかし、システム管理ではこういうことは許されない。いざ動かすときにはすべてのクライアントが満足できる状態になっている必要がある。ひとつの動作に、より周到さが求められる。ぼくがもっとも苦手とする分野だ。助走の部分でいくつもずさんなミスをおかし、二時間が三時間、四時間になる。こんなに自分に向いてない仕事も珍しい。


20061003

木口版画

 さいたまのとある方から郵便をいただく。中を開けると、木口で彫られた、まるで蔵書票のような風合いの版画。猫が読書の合間なのだろうか、パイプをくゆらせている。お会いしたこともない方の絵なのだが、そこに描かれた猫の書斎は、不思議とこちらをゆるやかに誘って、眺めていて飽きない。

 じつはこの方から、先月、やはり大きな郵便が届いた。なんだろうと思って中を開けると、濃いインクで刷られた版画が出てきて、一瞬何が起こったのかよくわからなかった。
 そこに描かれているのが十二階だということに気づいて、ようやく絵のあちこちに目が行くようになった。十二階の図像を何度も見たことがある人にだけわかる、大池のそばの、つっかい棒を添えられた柳が描かれており、池端を、人、人、猫が点々と行き交っている。そして全景に、雪がちらついている。浅草の風景が好きな方で、拙著「浅草十二階」をたどって送ってこられたのだという。
 不思議なこともあるものだと思って、しげしげ眺めてから、電車に乗ったら、琵琶湖岸が近年にないとんでもない夕焼けで、どの人も西の方角に見とれて何も言わない。
 妙な日だなと思ったら、その日、偶然飲み会で一緒になった人から、京都のとあるアパートが空いていることを聞き、そういえば京都に書斎があるとよいなと思いつき、翌日には入居を決めていた。

 思えば、あの絵が届いたことは何か一連のできごとの予兆だったのかもしれない。
 そして今度は書斎の絵が届いた。これは何の予兆だろう。

 夕方、京都へ。不動産屋で鍵を受け取ってアパートに向かう途中で、向こうから見覚えのある顔が歩いてくるので声をかけたら、十数年ほど会っていなかった知人だった。

 夕暮れ時の誰もいない部屋でぼんやりする。10日目の月がものすごい。

ラジオ 沼 第342回

不在の気配に身を添わせる

PH異聞、揮発と引き替えに

 扉野さんとまほろばで飲む。
 PHについて。日本語のHは促音便や撥音便を伴うとPやBに変わる。たとえば「法(ほう)」は「仏法(ぷっぽう)」に、「版(はん)」が「出版(しゅっぱん)」に、というふうに。これをぼくたちは当たり前のように使っているが、英語やフランス語にはPとHの間にこんな置換則はない。そもそもフランス語にはHの発音がない。
 P、B、Hが同じ語のバリエーションによってつながっているということは、同じ語に対して異なる音感覚を乗せているということでもある。ほう、と穂の先の炎のように先端的な「ほ」によって「法」を表す。いっぽうで、ぶっぽう、と唇を破裂させて何ものかがはじけること、剥離することをイメージさせるPによって「法」を表す。同じひとつのできごとを異なるやり方で出現させる。

 ページのPについて。ページをぱらり、ぺらぺらとPの音でめくる。この感覚については稲垣足穂特集の「PH」で書いたのだが、よく考えてみると、ぺらぺらとめくれるかどうかは紙の性質にもよっている。扉野さんが「和紙はどうでしょうね」と言うので、このことに気づいた。
 和紙の柔らかさであれば、ぺらぺら、とは行かないだろう。むしろ、はらり、とでも言ったほうがよい。Pの音には、紙の弾力の感覚が伴っていて、端を持ち上げたときに、ページのある程度の面積が一緒に剥がれてくる感じがある。しかし、和紙では、持ち上げた分だけ、ゆっくりと紙が持ち上がる。

 そんな話からあちこちに飛びながら、とつじょ、足穂は揮発するものと引き替えに名前を得た、と思いつく。何かが揮発し、人が思い出される。この不思議な交換が「彼等(They)」の世界を支えている。六角瓶の香水が失われるように、何かを思い出すとき、わたしは何かを失っている。

 帰りがけに扉野さんからもらった彷書月刊のタイトルは「いっぷく」。それでまた、今日届いた猫の絵を思い出した。
 サカネさんに毛布を借り、前の持ち主の気配のする部屋に泊まる。


20061002

記憶とは忘れること

 すっかりお世話になったハットリ邸を辞し、午前六時の新幹線に乗る。新横浜を朝に発って9時前には彦根着。一時限めの講義。

 感覚記憶と短期記憶のちがいについて話しているときに、つるっと「つまり、記憶とは忘れることです」と言ってから、妙な気分になった。
 感覚記憶のほとんどが短期記憶にまわらない。つまり、何かをあるやり方で記憶するということは、何か別のものを忘れたり別のやり方を忘れるということとワンセットになっている。
 という話をしてから、ならば、と「記憶とは忘れること」と口が滑ったのだった。

何を知らないかを知らせる

 サーバ不調につき、夜もずっとサーバ室へ。とはいうものの、サーバ管理のイロハを知らない私にとって、バージョンアップされたシステムはほとんど謎だらけの代物で手を付けられるところも少ない。バージョンアップを担当したSEさんに来ていただき、あれこれわからないところを教わる。

 教わるというのは、不思議なやりとりではある。
 こちらは何をどうしたらいいかがわからない。しかし、ただ「わからない」といっても、相手からすれば、何がわからないのかがわからない。
 つまり、教わる者は相手に対して「何を知らないかを知らせる」ことが必要である。
 それにしても、知らないことについて、どうやって知らせたらよいのか。

 ぼくがSEさんにやってるのは、いわば現状報告だ。「端末からここにguestでこのアプリケーションを使うんですけれど、誰かが使うとそのたびに、設定が書き換えられてしまって・・・」という風に、トラブルに出会うまでの来歴をお話しする。  もちろん、報告しているこちらには、その解決方法はわからない。が、とにかく、自分が手詰まりになる直前までをお話して、相手の意見を聞く。

 こういう現状報告は、いわば「知っていることによって、知らないことをあぶりだす」という行為なのではないかと思う。
 知らないことなのだから、その内容はわからない。しかし輪郭はお伝えしたい。そこで、知っていることの輪郭によって、知らないことの輪郭をあぶりだす。

 おそらく、知らない者の勤めは、不満を言うことではなく、知っていることのエッジをきかせる、ということなのだろう。ただ、知っていることを言いつのるのではなく、知っていることの境界、知っていることがあいまいになる地点はどこかを、うまくお伝えすればよい。

 自分のトラブルを、順を追って話すと、まさに教えて欲しかったことが相手から返ってくる。いいSEさんに当たった。
 といっても、「教えて欲しかったこと」が何かをぼくは知っていたわけではない。答えが返ってきたときにぱっと問題が解けて、そのあと、それが「教えて欲しかったこと」だったのだと気づいたのだ。

 知っていることの境界でトラブルは起こる。トラブルの物語とは、知っている者が知らないことに出会う物語でもある。物語の聞き手は、知っている者が知らないことに出会う、まさにそのときに注意の焦点を当て、その先に自分の考えを走らせる。そのような聞き手が、よき教師となる。


20061001

天狗カップ第二回

 ハットリ邸にて天狗カップ第二回。杉本拓、服部玲治、大谷能生、と書くとまるで新バンドでライブでも始まりそうだが、始まるのは麻雀である。
 しかしこれは麻雀なのだろうか。麻雀にしては妄言が過ぎはしないか。麻雀というより、牌を読み、振り込みを避け、最善の手を尽くすという過酷な条件の中で、いかにくだらないフレーズを飛ばしあうかにしのぎを削る妄言セッション、と言ったほうが実態に近い。

 ハットリ氏選によるBGMは、ミケランジェリのドビュッシー、スペインの現代詩を朗読する奇妙な女性、エマーソンSQのショスタコヴィッチなどなど、打ち手の思考回路に忍び込み、言語中枢を狂わせる。

 そんな中、各自の吐く妄言は、大谷氏のライムをきっかけに、なぜか次第にラップの様相を帯びて、「2006年10月1日、いま一索から始まるオレの旅、記憶に刻みルート思い出せ、この川を見るたび」とかなんとか言ってるうちに、「ロン!タンヤオイーペーコードラドラ!見てくれ俺の手をYO!よーよーのよー!」。誰のためのグルーヴ? えーと、あとなんだっけな、「ずびだばどぼ! ぼじしだなびべす!」とか、「わたしの微弱なハートを語るのに似合うのはオフサイトだと思うの」とか。とにかく、次回はぜひ録音しておかねばと思う。

 途中からは毛利さんも加わり、謎めいたカンチャンツモの連続で次元が歪み、満貫を振ったり振られたりと、嵐の展開になった。

 半荘4.5回を終え、やるき茶屋でさらに妄言をグルーヴさせる。楽しい夜更かし。

 
 

to the Beach diary