ナリスズー宅をありがたく辞し、東京へ。
代々木オフサイトで、Filamentライブ。オフサイトはこの夜をもって閉店する。
大友さんは、レコード針の先、コードの針金の先を接触させるアナログ演奏なので、その手つきによって微細なコントロールが生まれることはすぐに察しがつく。いっぽうSachiko Mのサイン波は、卓によって演奏されているので、理屈の上ではアナログな接触音のような繊細さが生まれる環境ではない。
にもかかわらず、じっさいには、すばらしく細部に満ちている。
彼女がゆっくりと、何かに触れようとする所作をなぞりながら発信ボタンを押す。と、時間軸が目の前で引き延ばされていく。これが、純粋に音のタイミングからくるものなのか、視覚からくる感覚に左右されているのかは、ぼくの耳の分解能では判断がつかない。ともかく、オフサイトの狭い空間の中では、いつもはほとんど感じずに済ませているミリ秒単位の世界にまで耳のスケールが拡大し、その広々とした時間の中で音が立ち上がる感じなのだ(ちなみに、針先がほんのわずかレコードに触れるとき発せられる「チッ」という音が、およそ10ミリ秒である)。戸外の物音はまるで音のルーペを得たように、そのテクスチャをあらわにする。
オフサイトでの演奏はしばしばその「音の小ささ」によって語られることが多いが、じつは、あの頭の先がしびれるような感覚は、小ささだけでなく、この時間スケール感の変化によるところが大きい。世界はサイン波を待って、時間の方向に膨張する。
ぼくの座った位置は、ちょうど大友さんの真ん前だったので、むき出しになったシールドの細い一筋のきらめきが見えるほどだった。プレーヤーの針先がターンテーブルに触るさまは、飛行機が着陸するところを横から覗いているような気分だった。
1セットめと2セットめの合間にオーナーの伊東さん、Sachiko Mさん、大友良英さんに短いインタヴューをした。ほぼ同じ話題なのだが、少しずつトーンが違って変奏のよう。 ラジオ 沼「オフサイト最後の夜」
麻布十番のオフサイトを辞して麻布十番に。
本当はもっといろいろな人とお話すればよかったのだが、パーティーというのがすこぶる苦手で(ならば来なければよいのだが、来る前はいつも苦手が克服できそうな気がするのだ)、完全にソファの片隅に引きこもってしまった。郡さんとひさしぶりにいろいろ親密にお話し、ふぐ料理店勤務17才の青年とフグの視覚の変化について語ったので(フグってふくらむと目の位置がずれるんだって。それってつまり、視覚システムが変わっちゃうってことじゃないか!)、それはそれで楽しかったのだが、日記のリンクで見かけるあんな方やこんな方ともうちょっとお話できたかも、と悔やんだりした。
近藤正高さんに「re:re:re:」をいただき、観光ということばは、光を観る、と書くのだ、という話を教わる。よいイメージをいただいた。これから「観光」という字を観るたびに思い出すだろう。re:re:re:から、中村宏のことばをちょっと引用の引用。
奇しくも「観光」という単語は光を観る、あるいは観られた光、の直訳を許す文字です。まさに絵画の根拠をいいあてているまったく不可思議で驚きさえ与える恐怖にみちた豪華な言葉だと思います。(「観光芸術」問答/中村宏・中原祐介/美術手帖1966.7)
ブログ作法パーティーに顔を出したあと、ふたたび代々木に移動し、オフサイト打ち上げに参加。隣に立っていた国籍不明の青年が、古池くんだとわかり頭の中でトロンボーンの管が抜けるような衝撃を受ける。仮面ライダー響鬼はミュージシャン必見だそうだ。
大谷能生さんにひさしぶりに会うと、お互い既に酩酊状態。隣の伊東ゆかりさんのオフサイト偉業を讃えるのも忘れ、宮沢賢治と江戸川乱歩と演歌師との出会い、という、D坂を遡るような話で盛り上がる。途中、デモクラシー節の節回しから星めぐりの歌への変換の秘密をつかんだ気がして、オレーにー選挙権ー、なぜすーばーるー!と政治と天体の季節を歌い上げたのだが、もちろん酔っぱらいの錯覚に過ぎない。大谷さんがすでに執筆済みという1942年のデューク・エリントンという話、聞いただけでもおもしろそう。
ところで、今日のFilamentはじつは2セットあり、ぼくの聞いたのは1セットめだったのだけれど、Sachikoさんの話によれば、2セットめは、気合いを入れて予約してきた客が多かったためか、ものすごい緊張が会場にみなぎっていたのだという。曰く「2セットめはオフサイトオリジナルの客って感じだった!」。オリジナルメンバーというのは聞いたことがあるが、オリジナルの客というのははじめて聞いた。
ところが、演奏開始後およそ25分ごろ(フィラメントの場合、「楽章」とか「サビ」といった構造がないので、こういう表現になる)、あるお客さんの寝息が聞こえだし、それが演奏に打ち勝つほどのボリュームになったので、彼女は「起こして」と(本人曰く「演奏と同じテンションで」)イビキの主の隣人に声をかけたんだそうだ。立川談志的エピソードまで降臨したとは、オフサイトの夜、恐るべし。
Tigerが届いたので、さっそくインストールしてみるが、いろいろと難題が。まず、テキストエディット上で日本語を打とうとすると、画面がマウスによるカーソル移動を認識しない。これはATOKの問題なのかTigerの問題なのか、ちょっと分からない。あとでATOKのTiger用アップデータを更新する必要がありそう。システムソフト電子辞典も不調。いずれバージョンアップ版が出ると期待したい。
3月末に作ったジェスチャートランスクリプト用のソフトウェアだが、懸念した通り、Tigerではエラーが出てしまう。もしかしたらTextEditまわりのAppleScriptに変更でもあったのだろうか。だとすればやっかいだ。
新しいMailで読むと過去ログが一部消えてしまったり、QuickTimeのProのキーが通用しなかったり、いろいろと面倒なことが多い。
なかで、QuickTImeの速度調節ボタンがついたのはありがたい。しかもスローや早送りにしたときに、ピッチを保った状態で速度が変わる。これは会話分析やジェスチャー分析の研究者には決定的な飛躍だろう。
大阪へ。Bridgeで「新世界の金曜日vol.3」。中で、大和川レコードの茫洋たる絶望ぶりが凄かった。YukoMarikoの「美容と健康」は、とんでもないパンクな内容で、これまで観た彼女たちのセットの中ではベストだと思った。思ったのだが、最後に会場にたんまりふりまかれた安物のラヴェンダー(だと思ったのだがあとで麻里子ちゃんから「ラズベリーの香りです」との訂正あり)の香水のために、頭の中に鼻栓が間違って入ってしまったような鈍痛を覚える。下の階に退避して、小林さんと「デジオ+写真」を吹き込む。
スズナリー宅に。えらくきれいな部屋で驚く。
朝、三回生のゼミで「きらきらアフロ2003」を、鶴瓶の応答ぶりに注意しながら見ていく。これは予想を越えて勉強になった。鶴瓶の計算された応答のコントロールもさることながら、松嶋尚美のあざやかな暴走ぶり。たとえば、キャバクラで悪酔いした女が、客の頭をひっつかんで「ヅラだろ!」と叫ぶところ。相手に向かってすごむのを模すところでは、松嶋尚美は観客を向いてセリフを言う。しかし、いざヅラをひっつかむときは、鶴瓶の頭からヅラをひっぺがそうとする真似をしてから、あらためて観客に向き直ってセリフを言う。
普通なら、ヅラをひっぺがすところもすべて観客に向かってジェスチャーでやってしまうところだ。しかし、それだと、鶴瓶はただ松嶋尚美の視界に入らない、おいてけぼりをくらった間抜けな相方に過ぎなくなるだろう。しかし、鶴瓶からヅラをひっぺがすことで、鶴瓶は視界に入らないのではなく、視界に入っているのに人間として扱われていない存在に見えるのである。
ここで、バーチャルなヅラを取られる鶴瓶は「イタイイタイ」などと相手に合わせるわけではない。ただぬーっと立っている。そのことで、鶴瓶は完全にモノと化す。相手が人間ならば、先輩後輩の礼も生じるし、ヅラとりはいかにも失礼な行為に映る。しかし鶴瓶がただぬーっと立ち、人間としての気配を一瞬消すことで、松嶋尚美は思う存分ヅラをとることができる。これは、生理用品のCMに登場して以来、進化し続けてきた恐るべき「鶴瓶の風景化」ではないだろうか。
気分はエンピツ。講義を終え、ペドロフスキー「鉛筆と人間」を読みつつ京都へ。菅原さん、藤田さんと西浦田楽ビデオの整理。とはいえ、お二人に遅れること3時間あまり、最後の作業にお付き合いしただけで、あとは飲み会。
酔うほどに不良おやじの色恋の話へと話はもつれる。おやじの話はややこしく、屈折の度合いが高い。いまここ、を共有しているよりも、とりかえしのつかない過去が判明したときのほうが深い気がするのはなぜか。たとえば、いま、同じ場所で同じ月を観ている、ということよりも、あのとき、違う場所から同じ月を観ていた、という事態のほうが深いのはなぜか、など。
ある時に誰かと異なる視点を有していた、ということを知るには、わたしとあなたを照応させるための時刻が必要となる。切手を横切る子午線。タイムスタンプ。ブログの日付。テキストが執拗に時間の刻印を求めるのは、「あのとき」のとりかえしのつかなさにアクセスするためではないか。
夕方から研究会で京都へ。地図を持ってうろうろしていると、偶然ホテルの入口の前でやはり手書きの地図を手にしている佐倉さんに会う。合い言葉のようだ。地図は三浦さんの手紙にあった手書きで、トポロジカルには同じなのだが、あちこちの縦横の長さがちょっと違う。それで空間が伸び縮みしているような妙な感覚になって楽しい。
日高さん、佐倉さん、本郷さん、奥野さんに、まとめ役の中間さん、三浦さんというメンバー。いつもは事例を積み上げる話が主なのでたまにこういうでかい話をする会に出るとあれこれ視点が変わっておもしろい。
飲み会で、昨日のエンピツ話をしたりヘルメット実験の話をしているうちに、とつぜん、認知とコミュニケーション論をつなぐ線がわかったような気がした。
個人は次の行為を起こそうとするとき、ぐらぐらと自発的に時間を分節化する。その分節化が正しいかどうかは、その個人では決まらない。コミュニケーションの場合は、ある分節のタイミングで相手が合図を出す。認知の場合は、ある分節のタイミングで環境が合図を出す。たとえば手が止まったり動いたりしているときに、相手が「あ」というと、手の動きは違うフェーズに入る。足が止まったり動いたりしているときに、地面という環境が足に抗力という合図を与えると、足の動きは別のフェーズに入る。
つまり、自発的な時間構造は、他人の行動や環境のもたらす感覚変化によって、別の自発的な時間構造へと変化する。他人の行動に注目するとコミュニケーション論になり、環境に注目すると、認知になる。
わたしたちの行為は、ぐらぐらと時間に濃淡をつけながら、世界からの合図を待っている。
1月ごろ、パソコンが壊れたときに、アイディアを全部ノートに書き付けていたのだが、そのとき、自分が鉛筆を握るさまをマジマジと見ていたら、その指の動きがあまりに奇妙に思えてきて、「これを正確に記述したら絶対におもしろい!」と思って、実験実習のネタのひとつとして書き留めておいた。パソコンを打つときは、打つ手とモニタとが少しく離れているため、ばたばたとせわしなく動いている手に目が届きにくい。いっぽうで、鉛筆やペンを握るとき、書かれようとしている字とわたしの手とは近しい。
それはともかく、今日、一回生の実習で実際にやってみたのだが、予想を越えたおもしろさで、90分で終えるつもりが結局二コマ使った。その結果は、今年の動物行動学会で発表する予定。
どうやら本格的に花粉症デビューしたらしく、このところ鼻水がなかなか止まらない。うっとうしいのはうっとうしいのだが、小さい頃から鼻炎ぎみだったので、またか、という感じ。
月が明るい夜。ユリイカ「ムーンライダーズ」特集のアンケートを書く。好きな曲か嫌いな曲を書いて、それに文章を添えればよい。選んだ一曲は「青空のマリー」。
このところ、ミクシィ上の「Misleading Misreading」なるコミュニティがおもしろく、一日にいくつも書き込んでしまう。聞き間違い、うろ覚えによって、文を継いでいくもの。声による連想と文字による連想がないまぜになっているおかげで不思議な効果をもたらす。「しりとり竜王戦」は徹底的に音の世界だが、ネット上で行なわれるこうしたことば遊びは、音と文字に左右されている。たいていは文の中に、聞き間違いを誘発しやすい語がいくつかあり、そこから今度は意味の緩やかな網をかけて、「適切な間違い」を絞り込んでいく。
以下、そこで書き込んだもの。いずれも、ただぼんやり考えているだけでは、けしてできそうにないフレーズ。直前の文からねじりこまれた結果できあがった奇妙なことば群。
よく見ると擬態、このひょうたん
よく歩く星みたいな妙案
ナローバンドで町のような失禁
ラトヴィアの奇怪なドロップなめて一服
驚異の箱抜け あいにく新人
パキパキだけど合格 ふくらはぎ
爪の先に咲く惑乱に、はらはらと泣く一千年
わんこそば巨大でたっぷり重なって、モアレも見えるよ!
エンペラーの恥ずかしグッズね
川向こう!スカジャン射抜いてる那須与一
囲炉裏ばた 古代人 新土器の出来がうらやましい
抒情派振動 アウラたっぷり
シェーン!って呼ぶ君が五輪真弓だったとは
紀文、しぶいカマボコ、インテル入ってる(ジャン、ピポパポ)
ポール・バーホーベン、それをツルンっとさわって逃げる
ズンドウ一気だ 食いしん坊バンザイ! うえー
有志でみたよ。中川家の新法王漫才
つみわら、間近で見る月光の散乱
津軽じょんがら、女ひとり裏切られて大いにがなるわよ
スカラベはげんき あした わたしを転がしてくれる
世辞はつらいよわしゃ寅次郎 手前勝手で演技なし
錆は二ヶ月 にび色明確。えらいやっちゃ、育ってます。
力んだまんまで緋色の習作。シャーロッキアンです。
炉端がにくたらしいです。いや、とてつもなくオーケーなんです。
オイルの焼ける匂いに 君さえ歴史よ ブイブイブイ
ソノラ砂漠を背に陽に冴える色ガラスかざすゲーム
ヤキトリイイネ ワタシノナマエワキアヌ オリコカード、オーケー?
四の五の言う子電気の子!それは電波圏に密輸入ですな。
イリュージョン二倍速のマシン、もこもこ動くのがいいんです。
飛べいっ 最寄りのオーロラに 人力でも三分
長芋そっとここですり続ける。楽々と3000杯。
イカの魔に往生した。悲恋なゾーンとしての黒墨が煙っていた
ひ、昼の闇どうしようか!菩提寺の秘術で潤ってる。
あんあんあん、ドラえもんがころんだよ、頭に毛が三本しかないんだよ(それはQちゃん)。
うろうろして原宿で買ったサンダルはきにくいの
サンバの極みにヨン様、眉間の古傷指しますの
ミャンマーにいたんだ、ドナ・サマー。ボディコンを復活させますか。
チンパンジー研究のために来日しているパトリシア・ポチさんを招いて「こころとからだ研究会」。これはとてもおもしろかった。
彼女は、カップと輪と棒をチンパンジーやボノボに与えて、彼らが自発的にどんな遊びをするかを観察している。
彼女が注目するのは「シンメトリー」構造だ。
シンメトリー、というとすぐに思い浮かぶのは左右対称の図形だけれど、彼女はこの「シンメトリー」ということばを、自然界に現われる繰り返し構造、という意味で使う。物理学でいう「対称性」に近い。
繰り返し構造がシンメトリーなら、たとえばコピー&ペーストしてできたものはシンメトリーなのか。そうではない。
シンメトリー、というのは、そっくりそのままの繰り返しを指すのではない。それは言うなれば「よく考えたら同じじゃん!」という感覚を指す。できごとからある種の構造を抜き出したときに、違って見えたものがみるみる同じになっていく。その「みるみる」な驚きを指して「シンメトリ」と呼ぶ。
学者によっては、同じものが「あるリズミカルな繰り返しをもつ」ときに、それを「シンメトリ」と呼ぶ。リズミカル、というところが肝だ。リズムによって、構造と構造とが対比され、対比された構造どうしが類似性を帯びてくる。この、類似性が浮かび上がってくるときの驚きを指して「シンメトリ」と呼ぶのであって、ただ漫然とコピー&ペーストしてもそこには「シンメトリ!」と名づけるほどの驚きがないのである。
いきなり話がそれた。
パトリシアは、チンパンジーがカップと輪と棒を使いながら、いかに目の前にシンメトリーを作っていくかに注目している。たとえば、ボノボのカンジが、目の前のものをいじるうちに、カップに棒を入れる。
カップに棒を入れる、という行動じたいもおもしろいが、しかし、それはものをいじっているうちに偶然起こることだとも言える。しかし、もしカンジが、別のカップに別の棒を入れたらどうか。目の前には、カップと棒の組み合わせが二つできることになる。これが彼女のいう「シンメトリ」な構造である。これは、単なる偶然にしては出来すぎている。じっさいのところ、カンジに四本の棒と四つのカップを与えると、何も教えられることなく、カンジはカップに入った棒の組み合わせを四つ作る。これは明らかに、「カップに棒を入れる」ということへの興奮のなせる技だろう。
何頭かのボノボやチンパンジーで実験してみると、物を弄んでできるものには、大きく三つのパターンがあるという。一つはカンジの好きな「カップに棒を入れる」こと(挿入)こ。もう一つは、「カップを縦に積み上げる」こと(積み上げ)。そしていま一つは、同じ種類の物体をひたすら横に並べていくこと(並列)。
この三つをぱっと見た感じでは、「並列」がいちばん簡単な感じがする。重力に抗して積み上げる「積み上げ」の場合には、物が倒れる、という恐れがあるが、ただ横に物を並べてラインを作る「並列」にはそのような危険性はない。何かに何かを入れる「挿入」では、入れる穴の大きさと入れられる物の大きさをきちんと把握しておく必要がある。じっさい、チンパンジーは、いろいろな大きさの輪やカップをそれぞれの穴に嵌め込もうとするのだが、映像を見ると、必ずしも一発で嵌め込むのではなく、何度か試行錯誤しているのがわかる。ただ並べるだけなら、物と物とが隣り合っていればいいのだから、大きさに対する気遣いはいらない。
つまり、簡単さから言えば、「並列」がもっとも起こりやすい、と予想できそうだ。
が、結果は逆なのである。
じつは難しそうに見える「挿入」がもっとも多く観察され、次が「積み上げ」で、「並列」は最下位なのだ。これはどういうことなのか。
「難しいほうが遊びがいがある」というような言い方もできそうだが、パトリシアはちょっと違う言い方をしていて、それは「身体的に簡単なことほど認知的には難しい」というものだ。
「並列」はすぐにできてしまう。すぐにできるのだが、制約が少なすぎる。円筒の横にもうひとつの円筒を置く方法は幾通りもある。どの可能性も許されている。許されているから試行錯誤のしようがない。「並列」が成立した瞬間を味わい、そこに達成感を見出すのが難しい。
いっぽう、「積み上げ」はむずかしい。うまくバランスをとらないとすぐに崩れてしまう。しかし、崩れてしまうからこそ、試行錯誤ができる。「崩れない」ということを発見し、そこに達成感を見出すのがたやすい。
なかなか深い話だ。問題が解けるかどうかではなく、その問題が解ける瞬間がいかに認知されるかのほうが重要なのだ。たんになにかが適当に実現されてしまう場合よりも、「できないできないできない→できた!」という風に、失敗が次の行動をナヴィゲートするような場合のほうが、チンパンジーの頭の中に何かをもたらし、同じ構造を作ることを促す。
そして、またしても重力なのだ。地球の重力は偉大だ。重力に抗しようとすることで、われわれはさまざまな「できない」を発見し、「できない」が乗り越えられて「できる」になる瞬間を発見する。
バランスの発見は、われわれの頭に何かをもたらす。
そういえば、人を驚かせる見世物、ジャグラー、空中浮遊、水芸、といった数々の芸は、いずれも重力に抗することをテーマとしている。
一限めは三回生ゼミ。まずはそれぞれの関心事を話してもらう。ラーメンズファン、ビーズアクセサリーづくり、など、今年の前期は「お笑い」の応答の解析を課題にしようと思う。
先週の統計学でうっかり指数の話をしたので、そのオトシマエをつけるべく、30分ほど指数感覚の話をする。といっても、さほど難しい話ではない。わたしたちはしばしば「あの人はスケールが大きい」とか「桁外れ」というような言い方をする。これらのことばには、ある種のスケール感が表現されている。
スケールが違う、というのは、早い話が、桁違いの尺度が当てはまるということである。
たとえば10cmのものと11cmのものを比べるとき、11cmのものを「スケールが違う」とは言わないし、「桁外れ」とは言わない。スケールの変化というのは、こういうちまちました足し算のレベルではなく、文字通り尺度(スケール)の違い、桁の違いとして現われる。つまり、1cmのものと1mのものを比べるとき、あるいは、人間とゴジラを比べるとき、われわれは「スケールの違い」を感じ、単なる量の違いではない、質的違いを見出そうとする。ある世界から質的に異なる世界へと移動するとき、そこでは距離が一目盛りずつ増えていくというよりも、指数が一目盛りずつ増えていくのである。10の一乗から二乗へ、二乗から三乗へ移ることは、単に距離が変化することではなく、スケールが変化することなのである・・・
という話をひとくさりしてからイームズの「パワー・オブ・テン」を見せる。指数感覚を示すのにこれにまさる映像はない。
相方が机の上に置いていった「残酷な神が支配する」を読み出す。1995年以後、個人的にはマンガ空白の時期が続いている。この間に出たマンガは(少なくとも以前に比べると)ほとんどフォローしていない。萩尾望都でさえ、だったのだが、これはもう、むさぼるように読んだ。こんな方向から妄想の甘みを引き出すとは驚嘆だ。
夜中近くに本屋に行くも続きの巻を発見できず。代わりに、平積みになっていた、こうの史代『夕凪の街 桜の国』。冒頭から「広島」という固有名詞が出てきて少なからず驚いた。わたしの本籍は広島である。最初のページで一瞬時代を測りかね、そしてどんどん時代におりていった。
そこで考えたことは、急いでことばにしないでおこう。
昼に松嶋さんと話していて、「あっ」についてさらに考える。「あ、そう」ということばはなぜ軽いのかについて考える。
会議会議で実習。環琵琶湖実習では戸田直弘さんにお話していただく。今年で三年め。年々、話に陰影が増していかれるようだ。
手元のデータを調べるうちに、日本語の「あっ」という表現は、以外に手強いということがわかってきたので、いくつか関係書を読んでみるが、あいにく応答詞に関する本があまり見つからない。中で、とある本にちらりと「「あっ」は単純な情報の獲得を示す標識である」というようなことが書いてあった。それで、うーん、と考え込んでしまった。
それで、とりあえず「きらきらアフロ」のDVDを買ってきて、「あっ」に関する部分を全部ピックアップしてみると、いろいろおもしろいことがわかった。この話はそのうちきちんとまとめる予定だが、少しだけここで書いておくと。
たとえば、漫才の受け手のよくやる反応として、相方の言った一言を観客にわかりやすく説明するというのがある。このときに「あっ」がよく使われる。たとえばこんな具合だ。
A:「ま、ぼくなんかは『ブログ』をやってますね」
B:「あっ、これはありますね。『ブログ』。日記みたいなんをインターネットに書くちゅうやつやね。ほんでその『ブログ』がどないしたん?」
「あっ」と呼ぶことは、なるほど、単純な情報の獲得を示す標識なのだが、じつはそれだけではない。もし、それがほんとうにただの「単純な情報の獲得を示す標識」であるなら、「あっ」は単独で使われうるはずである。
A:「ま、ぼくなんかは『ブログ』をやってますね」
B:「あっ」
A:「それでコメントをもろたりね」
B:「あっ」
A:「トラックバックちゅうのをつけたりつけられたりするわけですわ」
B:「あっ」
おもしろいことに、このようなあいづちは普通、成り立たない。つまり、「あっ」は、単に「単純な情報の獲得を示す標識」なのではない。「あっ」はその後に、なんらかの説明がくるという標識なのである。逆に、もし「あっ」の後になんの説明も続かないなら、相手は奇矯に思って、「え、どしたん?」などと聞くことになるだろう。
では、「あっ」によって、話者はどのような説明を開陳するのか。「あっ」はトークの進行とどのような関係があるのか。それについては、「ラジオ 沼」第239回 (「つるぴん」の迷路はいかにして掘られていくか))で実例を挙げながら話したのでそちらを。
昨日、大学院生の藤本麻里子さんの論文草稿を読んであれこれ話していたのだが、これはとてもおもしろかった。
藤本さんは、ニホンザルのグルーミングがどのように始まってどんなプロセスを経て終わるかを調べている。これはじつはとても大変な作業だ。というのも、ニホンザルは人道ではなく彼ら独自の「ケモノ道」を通ってどんどん移動するので、グルーミングの現場をつかまえるには、そうしたケモノ道を伝って目指す個体を徹底的に追いかけなければならない。素早さと根気の両方が求められる。
そうして彼女が何ヶ月もかけて得たデータは膨大で、しかもおもしろい。非発情期のメスどうしでときおり、グルーミングをする/されるの役割を交代するペアが現われるというのだ。それも、交代する場合は、グルーミングされている側の方が、積極的にグルーミングする側に移るという。
これがなぜおもしろいかというと、それはニホンザルの順位の問題と関係する。
ニホンザルは、比較的順位にしばられることの多い動物で、じっさい、グルーミングを始める場合も、優位の個体が劣位の個体に対してグルーミングをするところから始まることが多い。ちょっと考えると、毛づくろいされるほうがするほうよりも気持ちがよさそうな気がするが、実際には、グルーミングをする側が優位なのである。これがなぜかはよくわからない。
ところが、グルーミングの役割が交代し始めると、この法則は崩れていく。劣位の個体が自らグルーミングする側にまわり、優位個体がされる側にまわる。同じ個体の組み合わせでこれが何度も入れ替われることもある。
となると、これは、つかの間、順位といういっけん動かしがたい関係が背景に退いて、グルーミングという交換可能な関係が全面に出てきているということではないだろうか?
考えてみると、ニホンザルに限らず、わたしたちの関係には、動かしがたいものと、交替がきくものとがある。たとえば親/子という関係は、生まれてから死ぬまで、動かせない。上司/部下という関係は、親子ほど動かしがたいわけではないが、配置換えになったりどちらかが昇進したり降格したりというようなイベントがない限り、そうたやすくは動かない。
そこへ行くと、たとえば、話す/聞く、とか、投げる/受ける、といった関係は、交替しやすい。「こんにちは」に対して「こんにちは」と答えたり、投げられたボールを投げ返したり、というのは、誰にでも気軽にでき、後くされがない。
つまり、それぞれの社会関係はそれぞれの交替可能性を持つ、というわけだ。
ところで、何かをしようとするときに、複数の関係がそこに折り畳まれることがよくある。たとえば、親/子で、話す/聞く、という活動を行なったり(つまり親子で話し合ったり)、上司/部下が、釣りの勝負をしたり、というようなことである。
そしておもしろいことに、交替のきく活動が活発になると、動かしがたい関係がひととき背景に退く場合がある。たとえば、親/子がお互いに自分の体験を話しているうちに友達じみてきたり、上司/部下が釣りの成果を競い合って勝ったり負けたりを繰り返すうちにただの釣り仲間と化したり(これ、「釣りバカ日誌」ね)、というようなことである。
つまり、交替可能な活動を繰り返すことによって、交替不可能な社会関係がつかの間、背景に退いていくのだ。
もちろん、そうでない場合もある。会話の中に常に親/子の関係が埋め込まれ、親が命令し子供がハイハイと服従する、という会話もありうるだろう。あるいは、和気あいあいとした釣り仲間の関係に、とつじょ上司/部下の関係が持ち込まれる場合だってあるだろう(釣りの成果に不満なスーさんが、「公私の公!」と叫んで社長の立場を持ち込むのは、この好例である)。
さらに言えば、交替可能な活動を繰り返すうちに、次第に動かしがたく見えた関係が長期的に変化する場合もある。
笑福亭鶴瓶と松嶋尚美のトーク番組「きらきらアフロ」のボーナスDVDを最近見たのだが、これに、2001年の初回を見た二人がその感想を語るというおもしろい企画が収録されていた。
そこで二人がいちばん驚いていたのは、初期のころ鶴瓶に対して「ですます」調でしゃべっていた松嶋尚美が、いつのまにかタメ口になっており、その結果、初回に比べて会話のスピードが上がっている点だった。収録を繰り返し、トークという関係を練り上げ、テンポアップしていくうちに、最初はトークの中に埋め込まれていた松竹芸能の先輩/後輩関係を表わす冗長な言い回しが消えていき、丁寧な言い回しが消えることで、結果的に「タメ」であるかのような関係が番組の中で生じていったのである。
同じ組み合わせの人どうしのあいだに複数の関係が折り畳まれていて、しかもその関係どうしがお互いに強め合ったり弱め合ったりしながら、その場の関係を築いていく。誰かと話したり何かをやりとりするという交替可能性の高い営みには、おそらく交替可能性の低い制度を揺り動かす魅力や魔性があるに違いない。
そして、ニホンザルの個体どうしにも、もしかすると、関係が関係を揺り動かす力が働いているのかもしれない。
これまでのニホンザルの研究では、何かと順位が強調されることが多かった。しかし、藤本さんの研究では、単に順位が既存の動かしがたい関係として扱われるのではない。むしろ、順位という関係が、グルーミングという交替可能性の高い関係によって、いかに揺らされるかという問題が扱われている。この点で、とても人間くさい研究であり、新しいと思う。
Amazon.co.jpに掲載されていた"The Devil in the White City"『ホワイトシティの悪魔』の書評がたった一本で、しかもあまりに無理解でひどいので、フンガイして長いのをばーっと書いた。書いたはいいが、よく見ると、Amazon.co.jpの書評は800字以内だった。ぎゃふん!ってわけで、以下に長々とロングバージョンを。ネタバレはなるべく避けてます。
一九世紀末の万博と犯罪の話、と聞くと、ああ、愛知万博のようなものが昔にもあって、そこで犯罪が起こったのね、と簡単に考える人もいるかもしれない。
しかしそれはかなり間違っている。
その頃、万博は、国と都市の威信と未来を賭けた、まさに歴史的なイベントだった。
一八九〇年、アメリカはまだ南北戦争の傷跡も癒えず、先進国ヨーロッパに必死で追いつこうとしているところだった。前年にパリで行なわれた万博ではエッフェル塔が立ち、世界の建築界を驚かせたところだった。もしアメリカが次の万博を開くのなら、このエッフェル塔を凌駕し、きらびやかなパリ博を凌駕するとんでもない博覧会を開く必要があった。当然、開催地の第一候補は、アメリカを代表する都市、ニューヨークであるかに思われた。
しかし、そこに割って入ったのがシカゴだった。
一八七一年、シカゴは一頭の牛が引き起こしたとされる大火によって、中心部がほとんど焦土と化した。ところが、この火事によって、逆に街にはかつてない建築ブームが到来した。仕事を求めて集まる人々によって人口は膨れあがった。一八九〇年、急成長を遂げたシカゴはアメリカ中西部を代表する都市となっていた。
しかし、人口の急増は同時に、都市計画の未熟さをあらわにした。不十分な上下水道設計のおかげで、シカゴの川は雨のたびに逆流し、ゴミは路上に投げ捨てられていた。いまだ電灯の普及していない街にはあちこちに暗がりがあり、人々の希望や欲望を呑み込む犯罪が後を絶たなかった。この地で万博を開き、多くの観光客を招くには、単に万博会場を建設するだけでなく、新たな鉄道路線を敷設し、水を引き、宿泊施設を用意し、安全な行楽地を用意する必要があった。それは街のしくみを根本的に改めることであり、シカゴを近代化することだった。
しかし、シカゴが万博開催地と決定したのは一八九〇年、残された時間は三年にも満たなかった。しかもその短期間のうちに、シカゴはパリを、そしてニューヨークを凌駕し、近代都市シカゴの栄光を全世界に知らしめなければならなかった。
ラーソンは、急ピッチで進むシカゴの近代化を描くべく、二人の主役を配した。一人はダニエル・バーナム。シカゴの代表的建築を次々に手がけ、のちにサンフランシスコの都市計画を行なう、いわばアメリカを代表する建築家であり都市計画者だった。
そしてもう一人はドクター・ホームズ。彼の端正な容姿といっけんやわらかい物腰は、大都市の魅力に惹きつけられてやってきたあまたの女性をとらえる。そして彼は、彼女たちにひそかで、禍々しい欲望を向けていくようになる。やがて彼は、万博の開催予定地であるジャクソンパークの近くの土地を手に入れると、自分の欲望をより確かに実現するべく、奇妙な間取りの建築に着手する。一八九三年、そこは万博に訪れた女性たちを宿泊させるためのホテルとなった。その名も「ワールドフェア(万博)ホテル」・・・。
バーナムとホームズ。二つの視点を得たことで、この小説は立体的で読み応えのあるものに仕上がっている。万博を設計し、シカゴの都市計画じたいを見直していくバーナムによって、読者はいわば鳥瞰の視点で都市を見渡す。いっぽう、街角の小さなホテルを経営しながら、自らの欲望を推し進めていくホームズによって、読者はシカゴのとある街路から、ホテルの回廊、暗い小部屋、ペチカ、煙突の隘路にまで導かれる。鳥の眼と虫の眼を往復することで、読者は高性能ズームを備えた望遠鏡を覗くように、都市を巨視し、微視することになる。そして読者は、犯罪は単に個人の狂気によってもたらされるのではないことを知ることになる。それはむしろ、都市の中で、絞り出すように生まれ落ちるのだ。
バーナムとホームズだけではない。ニューヨークのセントラル・パークを設計したオルムステッド、シカゴ市長に熱狂し奇妙な葉書を投函し続ける謎の男、プレンダーガスト、西部劇アトラクションの立役者にして、のちにジョン・レノンに皮肉られることになるバッファロー・ビル、現代の観覧車の創始者フェリス。シカゴ博の途方もない規模に圧倒されたある労働者は、我が子にその有様を克明に聞かせ、その子供はやがてアニメーションの道に進み、ウォルト・ディズニーと呼ばれることになる。シカゴ博は、アメリカの風土史、精神史にとって決定的な節目であり、そこには魅力的な人物たちが続々と登場する。
登場人物の一人一人に対して、ラーソンは、資料に基づき的確なキャラクターを与え、物語を豊かにしていく。得意の気象学の知識を生かしながら、十九世紀末のシカゴの空気を、その泥まみれの湖畔を、馬の背から沸き立つ湯気を、凍てつく冬に焚かれるストーブの温度を再現し、地上でじたばたともがく人々を活写し、やがて物語を万博の失望と熱狂の高みへと導いていく。最初はゆっくりと、そして着実で確かな速度で読者を魅了していくその力量は並々ならぬものだ。
アメリカの犯罪史に興味を持つ人であれば、手紙や自伝、そして新聞記事から裁判記録に至るまで、入念な資料収集に裏付けられながら、犯罪のディティールに及んでいくそのめくるめく筆致に間違いなく圧倒されるだろう。しかし、これは、単なる犯罪ノンフィクションではない。わたしたちは、アメリカの一大都市が、恐るべき突貫工事によって近代化を果たしながら、あたかも巨大な観覧車のように、ぎしぎしときしみを立てていく様を克明に知ることになる。
コロンブスを記念して行なわれたシカゴ万博は、巨大な復古調の建築群によって、人々を威圧し陶然とさせる催しだった。その巨大な力の行使と、そこに伴う血まみれの歴史は、そのまま、現在のアメリカの持つ矛盾へとつながっている。このノンフィクションを読むことは、けして過去の一イベントの記録を読むことを意味するのではない。
ガーフィンケルの相互反映性とか文脈とか翻訳の話をするときに出てくる「かっこ」(){}[]...を人に説明しようとして、ふと、日本語の呼称がわからないことに気がついた。というわけで、あちこち検索をかけて調べた結果、以下のような呼び名になっとるようです。
(): parentheses / かっこ、もしくは、丸かっこ
{}: braces or curly brackets / 中かっこ
[]: brackets or square brackets / 大かっこ
ちなみに、ガーフィンケルの議論を乱暴に圧縮すると、{中かっこ}についてるカーリーなトゲトゲをツルツルに翻訳して(丸かっこ)にするのが旧来の社会学、逆にあなたやわたしのトゲトゲのありようを見つめるのがエスノメソドロジー、という話である。
その様子をGIFアニメーションにしようと1時間ほど格闘したが、ソフトが強制終了を繰り返しあえなく断念。
周囲では、マスクをしている人多数のこの季節、これまでぼくはさほどのこともなく、過ごしてきた。 しかし、4月のはじめに日本に帰ってきてからなんとなく鼻づまり気味で、それが最近とくにひどい。このところ、猫が夜な夜な外出するのにつきあい、戸をあけっぱなしにしてたので風邪をひいたのかと思っていたのだが、、熱っぽいかというのでもない。いささか目もかゆい。ってことは、これはもしかしたらもしかしたらそうなのかしら。
ところで、「UFO」の歌詞、あらためて口ずさむとすごいよなー。もしかしたらもしかしたら、と言いながらどんどん結論を追いつめていくのだが、しかしその結論を言霊化してしまうとこわいので、ただ「そう」と指し示すだけなのだ。「これってあれだよなあ」といってる人に、「あれってなに?」と聞かぬが花なのか。ところで、かつて、ビブラストーンの「宇宙人」は、言霊化されることもなくむなしく記号化された「宇宙人」をグルーヴによって取り戻す唄だと思いました。
昔、イーノの「ヘッド・キャンディ」CD-ROMなんかにオマケでついてきて、クラブでかけて遊んでる子を見かけた「ホログラフィック・メガネ」だが、Ellen Forneyが自分の子供時代('70年代)を綴った「Monkey Food」を読んでたら、これが Jew specs という名前で出てきた。クリスマスで浮かれ気分の町をこのメガネをかけて歩くと、クリスマスツリーの電飾がことごとくダビデの星と化し、「わー、世界中がハヌカ!」と盛り上がれる、という次第らしい。
上田くんが部屋に来て、「ふるさと桂ものがたり」「ふるさと野口ものがたり」「ふるさと地小原ものがたり」という三冊の聞き書き集を置いていった。上田くんは、地域文化学部の学生といっしょに、この数年、滋賀県下のあちこちで聞き取りを行ない、昔の農作業の話や生活の話を掘り起こしている。その成果がこの三冊なのだが、その中身に圧倒された。ぼくは仕事柄、地史を読んだりあちこちの町や村の聞き書き集を読むことがわりとあるのだが、その中でもこれは出色のできばえだと思う。通常のインタヴューおこしでうっかり削られてしまいがちな感覚の細部の記述がじつにうまく書き起こされている。
たとえば、高島郡今津町桂では、昔、ニシンがよくとれた頃は、田んぼに肥料として入れたニシンを入れていたという。そのニシンを踏むくだりを引用してみよう。
久男:あれを田へ踏んだわい。田の底まで入れたらあかん、途中でくっと。土の真ん中へんぐらいできゅっと止めて。下まで落とすと効かへんさけ、いうて。半分ほどのとこで留めとかんとあかん。
孫善:底に入れてもうたらあかんやろ。
久男:途中に浮かしとかんとあかん、いうてな。足で踏んで。裸足で入ってるんやろ。なんにも履かんと。なんと、骨で足が痛うて。「あいたぁー」ということがようあったで。
弘一:裸足やさけなあ。わしもいっぺん、牛で唐鍬してるとき、裸足でいたらシクーッとして、親指見たら血が出とる。「あらー」と思てたらヘビがダーッと行った。ヘビにかまれたんや。そんなもんやさけなあ。
(「ふるさと桂ものがたり」滋賀県立大学地域学研究室編)
ニシンの骨を踏む、なんて感覚について、これまでこれほど生き生きと、かつきちんと書かれたドキュメントがあっただろうか。あるいは、ヘビにかまれた感覚を、ただ「痛い」ではなく「シクーッ」と表現したドキュメントがあるだろうか。そしてこれらの感覚は、ただ感覚としてとどまるのでなく、「裸足で田に入る」という生活にしっかりと根ざしている。
読めばわかるように、上田くんたちの聞き書き集は土地の人たちどうしの話し合いをもとにしている。インタヴュワーが話をコントロールするというよりも、誰かがあることを思い出したことをきっかけに別の誰かが別のことを思い出すという流れになっている。これは考えてみるととてもよくできた方法だ。新参者のインタヴュワーには、そもそもどんな枠組みで何を聞けばどんな話を引き出せるのかがわかっていない。仮にインタヴュワーの枠組みで訊ねたとしても、それがはたして地元の人にピンとくるかどうかはわからない。それよりも、同じ時代と場所の経験を持つ人どうしが話したほうが、話が話を呼び、話が深まりやすい。共同想起のおもしろさはこのへんにある。
ただ、同じ時代と場所の経験を持つ人どうしでは自明のことが、インタヴュワーにとって自明であるとは限らない。だから、こうした人たちの楽しげな話を書き起こすということは、ある人々にとっては自明なことばを、よそものの文字にし、漢字を当てはめ、ときには謎めいたカタカナ語にし、いかによそものにとってそれらのことばが自明ではないかを表明していくことでもある。わからないことをわかるように翻訳するだけでなく、わからないことがいかにわからないかをきちんとポップアップさせること。そういう、とても微妙なセンスを、上田くんたちは体得しているようだ。
シカゴで見つけた本のひとつ、"Giraffes? Giraffes!"だが、これがなかなか馬鹿馬鹿しい。もしかしてバカドリルを読んで何かを誤解したのか?と思わせるたどたどしい書き言葉と救いようのない論理。奥付けからラストページまで遊び心と呼ぶには精神年齢の低すぎる年老いた内容。キリンが白いフクロウを頭に乗せている図にいたっては「おまえら、デジオハードリスナーなのか?」。著者である、Dr. and Mr. Dorisについて知るには、その名も香ばしいHaggis-On-Wheyなるサイトを見るしかないようだ。また、Giraffes? Giraffes!の内容をちらっと見たい人はこのページを。
DeLoacheらが記述している乳幼児のスケール・エラーと、大人が絵はがきに矢印を書き入れる行為との差は何か。それはおそらく「仮託」ができるかどうか、ということだろうと思う。大人は、乳幼児と同じく、目の前の小さなものに入り込もうとする。ただし、乳幼児が生身の自分をそっくり入れようとしている(ように見える)のに対し、大人は、小さくなった自分を世界に見出し、そのもう一人の自分に、いわば世界を託そうとする。
そこでは、私が私を見る視点が必要となる。単に見るのではない。見ている私はいつでも見られる私に裏返るであろうという可能性を受け入れながら見る。生身の自分を保ちつつ、スケールの異なる別の存在を仮想する。
ただし、ただ仮想するだけでは、それはよそよそしい世界に過ぎない。仮想した対象に自分を託すとき、はじめて世界は、ただの作り物ではない、生々しさを帯びてくる。
「仮託」によって、わたしは卑小なる世界に入り込む。仮託した対象の五感によって、わたしは触覚を得、あるいは音を聞き、あるいはわたしならざる視点に立つ。わたしはコップの底から天井を見上げ、デスクトップの中で撃たれ、彼方の山に消える。
朝から会議。今日から講義や実習も始まる。今週はもっぱらガイダンスなので多少気が楽。UCLAでいくつかのクラスを受けて得た、とてもシンプルな収穫は、「もっと学生にしゃべらせるとよい」ということだった。実際、チャックの日頃の仕事ぶりを見ていると、大学での仕事の半分は、教えるというよりも学生の話を聞くことだった。オフィス・アワーで学生が一生懸命自分の疑問を訴えるのを「good, great」とあいづちを打ちながらずんずん聞いていく。そして、漠然とした疑問は、言語化することでほとんど解決する。今年は学生の話をあれこれ聞こうと思う。
昨年の今頃はベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いて、それをもとにダマシオの感情論のスコアについて語るというのを講義でやっていた。今年はモーツァルトにしようかと思い、朝起きたらハイドンセットをスコアを見ながら繰り返し聞いている。スコアを見ながら弦楽四重奏曲を聴くのはなかなか楽しい。ぼくは音の分離を聞き分けるのが苦手で、とくに第一バイオリンと第二バイオリンの対話は音だけだとよく分からないときがあるのだが、スコアで視覚的に確認すると「そうやってたのか!」という驚きがあちこちに。free-scores.comで、ハイドンセットのスコアはすべて手に入る。
こうやって、視覚的にとらえた関係によって聴覚を補正していくのって、まさに「メソッド」的。
「憂鬱と官能を教えた学校」の重要なテーマはじつは、感情を支えるメソッドは何かという問題だと読んだ。ドミナントモーションが何かということよりも、なぜそのようなモーションがこれだけ人々の心をとらえてしまったのかが問題だ。ノウハウとしてはV7 -> Iの中に含まれるIVとVIIという音が不安定さの鍵になっているという話であり、それゆえに、V7はIIb7で代替できるという話なのだが、それより、いったん、V7 -> Iという音へ感情を乗せていくことを覚えると、最小限のきっかけで似た感情が喚起されるということのほうがおもしろい。
ユーミンの曲に多用されるIIm7 on V -> I という進行は、IIm7 -> V7 -> Iの圧縮形といってしまえばそれまでなのだが、VIIの音が文字通りIに「サスペンド」されたまま登場することなく解決するために、彼女の曲が持つ感情の微細なゆれ、悲しみの一歩手前で卒業して遠くで叱られる感覚をうまく支えている。つまり、わたしたちはもはやドミナントモーションに必須であるはずのVIIがなくとも、その気配を察することができ、ないはずのVIIの気配を察することができるという事態によって、はかなさの感情を動かしているのだ。
モーツァルト、といえば小林秀雄なのだが、「モオツァルト」「表現について」「蓄音機」を感情論として読み直すこと。確かに感情が揺らされるとき、それは、何をてがかりにしているか。感情が確かに揺れること(リアルなこと)と、「再生」「原音」の質が高いことは同じか。
彼の「モオツアルト」にしばしば挿入される譜面は、単なる音のかわりというよりも、譜面というexpressionだと思って読んだ方がよくわかる。譜面が、作家の脳漿を圧し潰して得られたexpressionであるなら、それによって確かに感情が揺れることはありうるだろう。
expressionという言葉は、元来蜜柑を潰して蜜柑水を作る様に、物を圧し潰して中身を出すという意味の言葉だ。(中略)古典派の時代は形式の時代であるのに対し、浪漫派の時代は表現の時代であると言えます。常に全体から個人を眺めていた時代、表現形式のうちに、個性が一様化されていた時代に、何を表現すべきかが、芸術家めいめいの問題になった筈がない。圧し潰して出す中身というものを意識しなかった時代から、自明な客観的形式を破って、動揺する主観を圧し出そうという時代に移る。形式の統制の下にあった主観が動き出し、何も彼も自分の力で創り出さねばならぬという、非常に難かしい時代に這入るのであります。ベエトオヴェンは、こういう時代の転回点に立った天才であった。
もうひとつ、先月から断続的に考えているiPodや原音の話だが、小林秀雄の「蓄音機」は、メソッド派の行き着く先の議論として見逃せない。考えてみると、ぼくのユーミンに対する聞き方はほとんどこの「蓄音機」で書かれていることに近い。たとえば、「ヴェルヴェット・イースター」のイントロをiPodで聞きながら、カセットテープのよれや、回転むら(ワウフラッタ)が引き起こすピアノの持続音の突き刺さるようなびびり具合(あるいはその不在)を、聞き取っている感じ。そして彼女の「ヴェルヴェット」「いっぱい」といった促音便の前後に現われる、声のはかなさは、カセットで聞いてはっきりと感じられるものだった。
ラジオ 沼 232 促音便をうたうユーミン
planB通信に大友さんが書いている「聴く」に、先月あれこれぼくが日記で吹いた話が引用されてます。お目にとまったらご一読を。
今年は自治会の組長になった。毎年回り持ちなので、何年かに一回は回ってくる仕組みだ。その自治会の総会。3時間半。場内の喫煙率が高く、ちょっと途中で頭が朦朧とした。たまに飲み屋で煙草を口にすることはあるし、タバコ耐性はある方だと思っていたが、どうも最近、煙の多いところでは息苦しくなり頭が重くなる。かといって嫌煙運動の相手を寄せ付けない態度にはとうてい共感できない。なんとか折りあう方法はないものか。
原稿。近所の学童保育へ。参与観察できるかどうか、様子見に一時間半ほど。
喫茶店で「憂鬱と官能を教えた学校」(菊地成孔+大谷能生)。無類におもしろい。次々と目ウロコ。
とくに、ぼくのように、自己流でコード弾きを覚えて、長らく音楽を縦割りで考えていた人間にとっては、思い当たるフシがありすぎて怖いほどだ。ぼくが先月来書いていた音楽の話も、この本ではもっと明晰かつおもしろく書かれてあり、恥じ入るばかり。
十代の頃、中学生新聞か何かの裏に載っていた洋楽の譜面で、コードというものに初めて出会った。おたまじゃくしのほうは音楽の授業で習ったことがあったので、すらすらとは読めないまでも、なんとなく意味はわかったが、AmとかG7とかいう記号のほうは、最初さっぱりわからなかった。それで、たまたまうちにあったカーペンターズのレコードとその記号だらけの譜面とを比べながら、家にあったピアノの鍵盤でそれらしい音を拾うというのを何日もやっているうちに、その記号の意味が次第にわかってきた。まずAとかGとかいうのは、どうやら音の記号らしく、それはドレミファソラシドに対応している。Aがドかと思ったので、はじめはひどくとまどったが、Aをラと考えて、そこからどんどん上がっていけばよいとわかると、少し先が見えてきた。
mの意味もそのうちわかってきた。まず、大文字で書いてある音から、白鍵と黒鍵を合わせて三つ行ったところを押さえる。さらにそこから四つ行ったところを押さえる。これでmになる。ちなみにmがない場合は、大文字で書いてある音から、四つ行ったところ、そこからさらに三つ行ったところを押さえる。このことに気づいたときは、その法則のあまりの簡潔さに感動して、ほとんど毎日サルのように、AとかAmとか弾いていたと思う。
驚くべきことに、この法則は、大文字がAでもBでもCでも通用した。それどころかC#とかD#とか、黒鍵からはじまる場合もうまくいった(そういう風に作ってあるのだから当たり前だ)。
そのうち、7とかmaj7とか9とか、そこにさらにおまけについている+とか-とかいう記号も、結局大文字からどれくらい離れているかを示しているのだとわかったので、これまたサルのようにいろんなコードを弾いて遊んだ。何ヶ月か後には、コード譜を見ると、たどたどしくではあるが、そのコードを押さえることができるようになっていた。
それで次は、いろんなコードをとにかくすばやく押さえることができるようになるまで、あれこれ練習した。すると、驚くべきことに、知らない曲までそれなりに簡単な伴奏をつけることができるようになってしまうのだ(これはまさに、菊池氏が「ディザフィナード」p98でやってることだ)。じっさい、この頃、いわゆる1001の簡易版のようなポップス名曲集を買ってきて、そこに載ってる曲でコードのおもしろそうな曲を次々に弾いて遊んだ覚えがある。
ところで、菊池氏のとりあげている「ディザフィナード」は、じつはそうした名曲集にはほぼかならず収められており、しかもコードがひときわトリッキーな曲だ(その点でも、p98のくだりは、「おおおおおっ」と多大なる共感を抱いて読んだ)。「デサフィナード」とは「音痴」っていう意味で、この唄は、音痴が歌うさまをシミュレートするかのような、ふらふらと足取りの不確かなコード進行を持っている。
当時、いちおうコード譜どおりに「ディザフィナード」の和音を押さえながらも、「この曲ほんとにこんな曲なのか?」という疑問が頭を去らなかった。そのときのぼくの感覚というのは、「知らない曲が弾けた!」というヨロコビよりも、「いちおう理屈のうえではこう弾けばいいんだけど、ぜんぜん弾けている気がしない」というものだった。後にジョアン・ジルベルトの歌う原曲を聴いたときは、そのコード進行の自然なスムーズさに衝撃を受けた。
小学校のときにバイエルの途中で止めて以来のピアノだったので、こういうことを自分で習得するにはずいぶん時間がかかった。逆に言えば、音楽理論も知らず、ろくにピアノが弾けない人間でも、時間さえかければ独習でそれなりに弾けてしまったことになる。こんなことができたのは、そもそも「コード記号」がバークリー・メソッドを元に開発されたものであり、構造がとてもはっきりしていたおかげだろう。いわば、バークリー・メソッドが記号に埋め込んだ理屈をたどるように、コード弾きを身につけてきたわけだ。もちろん当時はまるでそんな自覚はなかったが、今回「憂鬱と官能を教えた学校」を読んで、自分で遊んでいたことの正体がなんだったのか、わかった気がした。
それは、音楽を一音一音確かめながら作り上げていくことではなく、メソッドに乗ってオートマチックに和音を作っていく作業であり、そのために「弾けているのに弾けている気がしない」という奇妙なことも起こったのだった。
じつを言えば、こうした素養は、メロディを考えたり、音響に耳を澄ますときにはいささかジャマになる。以後、音楽を聴くにつけ作るにつけ、この、オートマチックに出来てしまうことのツケを、ずっと支払い続けているような気がする。
朝、のそのそと起き出して服部邸を辞し、新横浜から彦根へ。午後、専攻内で今期の打ち合わせ。原稿。
昼に彦根を出発。東京へ。夕方、代々木のスタジオにて宇波くんと1時間ほどリハ。オフサイトに移動。軽く打ち合わせ程度にリハをして、8時ほぼきっかりに『第1回 服部カーニバル』開始。二階は立錐の余地もないほどの満員御礼。(といってもキャパ20人くらいだと思うけど)。最初は宇波拓+中尾勘二の演奏。中尾さんの曲が、なんとも楽しい。ものすごくシンプルで、なんらトリッキーなところも見あたらないのに、この世にあの世がうっかりおじゃましているようなたたずまい。そして笑える。まさに「ありそでない曲」の連続。
ひさしぶりに聞く虫博士の名曲の数々。後頭部で鈍器を作るような予断を許さない展開にしびれる。
かえる目は八曲。盛りだくさんにやったつもりだが、30分ちょいしかかからなかった。一曲が短いからなあ。
たろべえさん、ムショデジ松本さん、こみやさん、そしてHelloTaroさんと、デジオな皆様に多数来て頂いた。虫博士のはてなつながりでも何人か来られていた模様。
うちあげでぐだぐだになり、テーブルの右隅でうつらうつらしながら話。そのあとさらに、カーニバルの主役、服部くん、そして宇波くんと軽く飲み、服部邸へ。バルトークの弦楽四重奏曲の粘り着くようなロマンチックな演奏を聴きつつ就寝。
彦根はまだまだ桜には早い。それでも田んぼではひばりが鳴き、ホトケノザはあちこちで咲き始めている。生き物の喚起する季節の強さ。ロサンジェルスで冬を飛ばしてしまったので、いきなり春が割って入ってきたよう。
ポスト・ノイズ特集でもたびたび名前のあがっていた代々木オフサイト2階カフェにて
4月6日(水)『第1回 服部カーニバル』にて、午後8時スタート
演奏:宇波拓、中尾勘二
ゲスト:虫博士、泉智也、細馬宏通
1,000円 + ドリンク代(200円〜)
というのがあるそうですよ、みなさま。
大学にいるとみるみる時間が過ぎる。チャックは大学に来る日を週二回と絞って、その二日を講義と会議、そして学生との相談にあてていた。うらやましい境遇だが、残念ながらそうはなれそうもない。夕方、成松さんと話。今年は乳幼児観察の機会が増えそうだ。
ロサンジェルスに比べると、彦根は極寒といってよい。4月に入ったので暖房が入らない。オイルヒーターを入れるがなかなか暖まらない。
日曜ではあるが、半年貯め込んだ書類の膨大さを予感して朝から大学へ。事務に行くとちょうど横田さんがいた。今年度から環境に移られるのだという。紙袋いっぱいの書類を受け取って部屋へ。
昨年度の卒業生がきれいに部屋を片づけてくれていた。彼らのメッセージや贈り物を開いてしんみりする。
そのあとは、ひたすら分類。半年のあいだにすでに用件を失礼したまま過ぎてしまったものも多い。二時間後にはとりあえず用事の残っているものだけが積み上がった。本日はここまで。あとは買ってきた本の整理や向こうで書いたノートの整理。
日本に帰って最初にしたかったのは新しい録音機の購入。日本では、手軽にUSBにさすことができて、音質もそこそこ、そして値段は一万円前後、というプレーヤーがけっこうある。アメリカでは、ミニサイズのMP3プレイヤーの市場が充実していない。持ってる手応えが求められるからなのだろうか。
ともあれ、さっそく電気屋に行き、Pipo WMV MP3 Playerというのを買ってみた。
プレーヤーとして使う人のほうが多いのかもしれないが、ぼくの場合は録音機能のほうが気になるので、その点について書き留めておこう。このプレーヤーは音質としては8kから32kHzまでのWAVファイルとして録音できる。これはなかなか便利。Mac OS 10.2以降に対応しており、とりあえずOS 10.3.8上では動いた。ファイルはUSBフラッシュメモリと同じ感覚で扱える。
ただ、マイクはとても小さいので、さほどグレートな音がするわけではない。それと、電子回路のノイズを少し拾うので、耳のいい人はこれが気になるかもしれない。録音の最初と最後にはメモリに書き込む音なのか、「ちー」というノイズが数秒ほど乗る。それから、電車の中で録音すると、どうやら走行中の電磁場の変化を拾うらしく、がさがさと音飛びしたような状態になってしまった。残念ながら、走行中の電車で録音するのはあきらめたほうがよいようだ(ちなみに再生のほうは問題ない)。車の中で同じことが起こるかどうか、興味深いところ。
・・・とまあ、あれこれ難癖をつけたが、Macの内蔵マイクが拾うHD音やファンの音のうるささに比べればずいぶんマシで、デジオのような音声をとるならじゅうぶん使いものになる(電車で録音したい人は別だが)。いまのところ、値段を考えればまずまずの選択だと思う。
実家に帰る。引っ越しの相談。父と「原音」体験の話。
昨年来、取り貯めしてもらっていたお笑いのビデオを次々と見る。関西で放映されている「どエンゼル」は、モンティ・パイソン以来のおもしろさ。笑い飯、板尾のいいところがいかんなく発揮されている。テリー・ギリアムのようにエピソードをつないでいく、タナカカツキ、牧鉄平両氏のCGがまた、すごくいい。TVで出しにくい淡色系の色がつぶれて、それこそAMラジオのような肌理を放っている。なんというか、この時代の肌理があるのだ。「笑い虫」!おもろすぎる。
昨年暮れのM1グランプリも数ヶ月遅れで見る。ちょっと驚いたのは、勝ち残った組に、いずれも「寄席」の空気を感じたこと。寄席のほの明るい照明の中では、そこに出てくる芸人の「晴れやかさ」の差がはっきり分かるのだが、アンタッチャブルと南海キャンディーズからは、はっきりとTVごしにもその晴れやかさが伝わってきた。つくづく、この番組は「ライブ」なのだなと思う。麒麟がいつになくおもしろかったのは、不器用に見えるツッコミの田村が存分に動き回ったせいだ。あの悲鳴のような「ガンバレオレ、タチ」には、寒空の中で敗者復活戦を戦い抜いてきた熱気がまとわりついていて、なんだか泣けた。
笑い飯がまったく不発だったのも興味深かった。あの、哲夫の口角泡を飛ばすちまちましたこだわりや西田の切れそうなのか吹き出しそうなのかわからない妙な表情が欠けただけで、これほど生彩がなくなるとは思わなかった。あるいは緊張を緩和させるべく余裕をとってやった結果なのだろうか。余裕は話術としてはよいこととされるが、それが笑いにつながるとは限らない。笑いはむずかしい。
よく、「Wボケ」という形式が笑い飯の特徴として取り上げられるけれども、じつは、ただ二人でボケていることが重要なのではない(ちなみに「ボケシロ」は残念ながらこの点を取り違えており、まるで「Wボケでいきましょう」とアイディア出ししている企画会議が透けて見えるような内容だった)。お互いの妄言を舞台に並べたて陳列していくとき、二人の相互作用によって生まれるあの、異様なテンションが肝心なのだ。それによってはじめて、妄言どうしの間に物語がスパークし、奈良県立歴史民俗博物館が誕生する、らしい。ただボケを並べるだけでは展示空間にならないのだ。
他の出場者からも新しい笑いを感じて、2003年よりもおもしろかった。タカ&トシ、東京ダイナマイトにも、確実に芸人のオーラがある。Poison Girls Bandは初めて見たが、相手のありえない妄想を認めた上でその上にさらに妄言を積み上げていくというもので、むかしよくやってたバカ話を思い出してシンパシーを感じる。もちろん、それを舞台で成立させるというのは並々ならぬ度胸と力量だと思う。
大阪着。ゆうこさんに彦根まで迎えに来てもらう。小鍋だての煮込みうどん。
アマゾンに注文していた本が届いていた。帰ってから最初に読んだのは吾妻ひでお「失踪日記」。そこに書かれている残飯やゴミが、あまりに親密な感じを与えてすごい。天ぷら油を尻に塗る感覚すら伝わってくる。ホームレスの生活は、すぐそこにある。それ薄く剥いたダイコンのように、甘さすら感じさせる。いつそちらに行くか、その際どさは、けして人ごとではない。
とりあえず時差ボケを克服すべく早めに寝る。