喫茶店で原稿。ナラ・レオンが歌う「見つめていたい」がかかっていて、それを聴くと、このポリスの曲は、じつは「イパネマの娘」とそっくりだったということがわかる。「I'll be watching you」というフレーズはつまり、イパネマから来た娘の足取りを見ていて、でも娘はこっちを見ていないんだよな。
さすがに頭の中に文字列化していないことが渦巻き過ぎて苦しくなってくる。かといって、デジオで語ったからといって、文字を書く欲求とか不満とかが解消されるわけではない。どうもモードごとに吐き出しの感覚は分かたれているらしい。
新曲「8月31日のうた」を作って、宇波くんに送る。台風接近、気圧のせいか頭重し。ゼミ。原稿進まず。
あ、モモネムさんがこんなのやってるぞ。夏の終わりのスイーツ。
このところ開局するデジオがいずれも新しいトーンを持っている。「デジオ大阪」白樺さんの、相手のことばを繰り返しながら話題をずらせていく絶妙の合いの手(じつはデジオ大阪があのヒトだって今日ようやく気づいた。うーん、やられた)。そして蒲団で足をばたばたさせるほど楽しい旅の計画を語る「デジオトリップ」。
先週の中谷宇吉郎雪の科学館に感化され、湖東町の「西堀栄三郎 探検の殿堂」へとドライブ。マイナス30度のブリザード探検に鼻毛も凍る。ビデオの流し方を重複しないように工夫したほうがいいんじゃないかと思った。それにしても、2階の「殿堂」・・・。KBS京都でときどき「あなたの肖像画を油絵で残しませんか」という宣伝をやっているが、あれを思い出した。
さらに大津に移動。大津歴史博物館で「家族旅行のキロク・キオク」。これはおもしろかった。かつて湖西を走っていた江若鉄道を個人撮影した8ミリを上映していたのだが、地元の人たちが「ああ、これ浜大津かしらん」「これ白髭よ」「ああ、あの食堂よう入ったな、函館山行ったあとで」と、まさに家族旅行の記憶を新たにしていて、感慨が倍。
「ペナント・ジャパン」の谷本研さんによる、壁面一面に並んだペナントはすごい迫力。あらためてペナントという素材のおもしろさを考えさせられる。
二等辺三角形という形は、ペナントの独特の意匠の進化を与えた。ペナントに入れられる文字は、三角形に沿うように、左を大きく、右に向かって小さくというパースペクティヴを得た。真ん中に文字が入ることで、ペナントの風景は左右に分かたれることが多くなった。ぼくがおもしろいと思うのは、ペナントの右、細い頂点の部分の扱いだ。ここには、登頂の日付欄が置かれたり、頂上の高さを示す数字が書き込まれていたり、あるいは風景を圧縮したような点景が描かれる(この、小さな点景、いいなあ)。
ペナントでは、左に行くほど広がり、風景の力が強くなる。逆に右に行くほど狭まり、記念の力が強くなる。こういう左右非対称な性質は、絵はがきにはないものだ。
夕方、隣の三井寺を散策。広大な敷地ながら、とても静かな、引き締まった寺で、なんというかアカデミックな感じさえした。金堂の中にある尊星如来は、四本の手の二本に太陽と月、二本に杖、右足を跳ね上げたポーズ。大日如来は等身大で、その肩の細さ、腕の細さがよくわかる。無駄な力をそぎ落として、壊れやすさを隠さない姿。
そして三井といえば晩鐘。「七景は霞の中に三井の鐘」と、五七五に八景を収める句は米朝演じる「近江八景」のマクラに出てくるもので、ぼくはその話から、何かさまざまな倍音が混ざり合ったような音をイメージしていたのだが、じっさいには、打ってすぐに濁りは減衰し、すっきりと重たい倍音が持続した。
夜中に男子マラソンをずっと見る。デ・リマ選手に妨害。見る側と走る側との暗黙の前提を揺るがすような事件のあとの、見る側と走る側との関係を修復するようなデ・リマの走りには、ちょっと泣けてしまった。とくにゴール近く、トラック内で鳥のように両手を広げて蛇行したところ。もはや邪魔する者がいないことを示し、走ることを祝福するような走り。
ラジオ 沼で唱えたことばをもとに「えのしますいぞくかん」というピースを作る。かなり足立智美氏に影響を受けてるかも。夜中に、アルゼンチンvsパラグアイ(録画)。どうもオリンピックがあるとついつい見てしまう。
原稿。
ユリイカ9月号「はっぴいえんど」。書き手にとっては、特集は、トランプの手札を見せ合うような感じ。
やはりインタヴュー記事はいずれもおもしろい。鈴木茂インタヴュー、泣ける。無愛想から始まって大事なことがぽろぽろ出てくる細野晴臣インタヴュー楽し。論考では、岡崎幹二郎のリズム考察、細野論といえるかどうかはともかく、いろいろ考えさせられる。とくに「ん」という音のレイドバック性の話、「の」の音幻論(樋口覚)と接続させたい論考。
その月の号が届くということは、来月号の〆切が来たということでもある。少し書いてみるがまだ助走。
ぼんやりと中谷宇吉郎を読む。そもそも休日にするつもりだったので、なんとなくだらだら過ごしたい。しかし、そろそろ原稿をなんとかせなばならない(まだ一行も書いていない)。
今日も充実の朝飯を終え、代理店に電話。キャンセル料が5000円ほどかかるが、あとは往復とも返金されるとのこと。全額返ってこなかったらどうしようかと思っていたので、一安心。
思いがけない経緯で始まった加賀旅行だが、今日で帰ることに。昨日の中谷宇吉郎雪の科学館で、特別な夏になってしまった。まだハニベ岩窟院や加賀大仏を見に行くという楽しみもありうるのだが、もうここで上がっておくのがいいだろう。金沢に出て、近江町市場で寿司を食い、高速をぶっ飛ばして帰る。
夜半、アルゼンチンvsイタリア。アルゼンチンの選手は全員、マラドーナのような(キャプテン翼のような)強靱な体の輪郭を持っている。テベスの棍棒のような足からけり出される信じられないゴール。互いにオーバーラップしながら思いがけない場所に通るパス。ディフェンスとディフェンスのあいだにしぶとく差し出される足。年に何度かしかサッカーを見ないぼくにもはっきりとわかる凄さ。
充実の朝食を終え、さっそく代理店に電話。なんと天候による欠航の場合は払い戻しは不可能で、フライトの振り替えしかできないといわれる。別のフライトへの振り替えもあたってもらうが、すでに振り替え期限の9月まで満席とのこと。むろん、代理店にも事情はあるのだろうが、何万もの金を行きもしない旅行に支払うわけにはいかない。「こちらとしては全額返却がスジだと思っておりますが、できるだけ返却されるようにお願いしますね」と怖い声で念押しをする。
パンフレットをあれこれ検討した結果、本日の行き先は、片山津温泉そばの「中谷宇吉郎雪の科学館」に決定。干拓地特有の、かつての潟の輪郭をなぞるように錯綜する道路に迷わされながら、ようやく柴山潟のほとりの科学館へ。館は広い道路からひとつ奥まったところに静かに佇んでいる。正面の芝生のスロープはなだらかに、雪の結晶を思わせる六角形のドームへと続いている。しかしその入り口はあえて真正面ではなく、スロープから見て少し傾けてある。おそらく、正確に正面に据えると、形の強さが前面に出すぎて押しつけがましいものになったことだろう。近づいてみると、ドームの表面は木板で構成されており、昔の学校を思わせるテクスチャで愛らしい。
その六角形のドームの中で中谷宇吉郎の生涯を描いた短編映画(岩波映画制作)を見てから一階の展示場へ。ここに、室井滋似の館員の方がいて、ダイヤモンドダストの実験やチンダル像実験を説明してくれるのだが、金沢なまりの彼女とのやりとりが無類に楽しい。ダイヤモンドダストのできたアイスボックスの中に、石けん水の膜を張った針金の輪を差しいれて、「あ、この辺はたくさんあって取れませんね」「ちょっと静まるまで待ちましょうね」「あ、これこれ、この辺にきれいなのが取れてます」などと、まるで金魚すくいをしているかのように、膜面に結晶を拾い上げていく。いや、まさに、美しいものをつかまえるというのは、金魚すくいに似ているのだ。さいわい、夏の終わりということもあってか、温泉地に近いこの館にはさほど人の気配がなく、ほとんど彼女の説明を独占してしまった。
館の背後では、グリーンランドから持ち帰られたという石のあいだに水蒸気が吹き上げられては霧と化しており、そのさらに後ろにはティールームがあって柴山潟の静かな水面でときおり魚がはねている。雪から水へのアプローチもすがすがしい。ぼくは熱心に建築を見る方ではないが、この磯崎新の設計にはあちこちで唸らされた。
結局3時間はいただろうか。帰りに、近くにあるという中谷宇吉郎の墓へ。途中でまたしても道に迷い、途中、彼方に不気味な観音像が顔を出してぎょっとしたが(これは「晴れた日は巨大仏を」に出てきた加賀観音であろう)見なかったことにする。ようやくたどりついた墓地は、田圃の一角にあり、宇吉郎の墓は、六角形の墓石に結晶をあしらった愛らしいもので、線香立てまで六角形だった。
宿で、2時間かけてゆっくりと夕食。それから科学館で買った中谷宇吉郎の「科学の方法」(岩波新書)。これはすばらしくよい本だった。なんといっても、「科学の限界」の話から始めて、科学の目で見えるものと見えないものとの考察から始めているところがすごい。再現可能性の限界を見据え、そこから漏れていく現象に思いを至らせながらなお、科学について解き明かしていく。それにしても、青版の頃の岩波新書には、なんというか、「ロウソクの科学」にもある、わからないことに対する謙虚な態度が通底している。これはやはり、戦争の断絶がもたらしたものなのだろうか。そこに、わからないという態度から結晶する美しさがあるのだ。
中谷宇吉郎「雪」(岩波文庫)は、すっかり読んだ気でいて、てっきり結晶の話に終始している本のような気がしていたのだが、改めて読み直すと、それが鈴木牧之の「北越雪譜」の話で始まっていることに気づき、いまさらながら驚く。バリでのんびりするつもりだったが、気がつくとこの旅は、中谷宇吉郎を読み直す旅になっている。
朝、名古屋空港へ。いざバリへ、と思ったら台風の影響でグァム経由の便が欠航になってしまった。チケットは往復とも引き上げられるし代理店は日曜休業で連絡がつかない。旅支度のトランクが空しい。そのまま引き返すのも悔しいので、急遽、国内旅行へと変更、北陸自動車道を金沢へ。近江町市場で寿司を食い、以前泊まって気持ちの好かった旅館まつさきに。庭を見下ろす部屋で二十歳過ぎの仲居さんの対応もすがすがしく、バリ断念の残念は、もてなされることの心地よさに解けていく。温泉に入って帰ってくると茶菓子。なにもかもお任せの心地よさ。なるほど「癒し」ってこういうことだったのか。相方と夕食をゆっくりいただきながら「バリに行ってたらいまごろまだ飛行機だよねー」「バリに行ってたらいまごろ機内食でしょぼーんとしてるよねー」などと、行かなかったバリを貶めつつ現在を言祝ぐ。
夜、女子マラソン。完走じたいが奇跡のような猛暑とアップダウンの連続。そして有森の解説はすばらしくおもしろい。単なる精神論でなくて、走っている者がどういう手がかりで気持ちを揺らがせてしまうかをうまく説明してくれる。ラドクリフが36km地点で止まってしまったとき、「36km地点という看板を見てとまったということは、事故とかではなくて止まるという意志が働いてしまったんでしょうね」。あるいは野口とヌデエフとの戦いで「カーブを使って走っている自分を見えなくするということで相手にダメージを与える」という説明。TVを見ている者にも走りの臨場感が伝わってくる。
立体交差をくぐるときのオレンジ色。TVカメラの発色のせいもあってこの世とは思えないゾーンに入るかのよう。
原稿をできるところまで。明日から夏休みのバリ旅行。猫シッターの矢野くんと石津さんに猫マニュアルを伝授。
論文校正、その他雑務いろいろ。
谷本研さんから「ペナント・ジャパン」(PARCO出版)をいただく。すでにあちこちから噂は聞いていたが、全編カラー、過不足ない説明、そして、あたかもペナントの展示空間を思わせるレイアウトと、ペナント力を遺憾なく発揮したよい本だった。登頂とペナント、という関係は、登頂と絵はがき、という関係にも重なる。現在進行中の絵はがき連載を考え直す上でもよい刺激になる。
突如、SANYOのICR-B90RMがPowerBookにマウントしなくなってしまった。あちこちWWWまわりしてみると、どうもOSを10.3.5にバージョンアップしたことに原因があるらしい。2ちゃんねるに関連情報。
夜、ビバシティで「スチームボーイ」。博覧会、水晶宮、蒸気機関、レンズ、発明、そして裸のじじい。壮大なプレゼンを見た、という感じ。ずっと予告編で本編が始まらなかったような感じがするのは、要するにシークエンスがきちんとつながっていないからだ。
大友克洋は静止画の人なのだなあと思う。一枚一枚にこめるディティールが多すぎて、その力を映画に乗せきらないうちに先に進んでしまう。たとえば最初の円形ブリッジのついた自転車。もう少し走るまでのカットを増やして扱いの手間暇をかければ心ときめくアクションになるのに、メカを説明しきらないうちに追走劇に入るから、その動きがただの手品にしか見えない。スカーレットがこうるさい少女以上からなかなか昇格しないのも時間不足だろう(終盤はほとんど、現在の状況の説明役になっていた)。じじいの渾身の計画である「発明遊園地化」も、回転木馬を出したところで終わり。城全体が遊園地化するくらいでないとあそこは絵にならないのではないか。あと、SEにセリフがかぶって聞こえない箇所多数。とにかく映画として成立できていない。
発明とはパンドラの箱である、というコンセプトと、そのコンセプトを形にしてしまった城の最後(どういうものかは見てのお楽しみ)には、大友克洋の「画力」を感じた。あれは、童夢のコンクリートのへこみに匹敵するなあ。
おおっ、ぜんじろうさんがついにデジオ開局。
オリンピック、体操の演技を見る。日本の正確な演技、鉄棒の上ですらりと伸びる体はすばらしかったが、ルーマニアの大胆な演技にも目が行った。あの、あん馬で自らのオリジナル技を持っているというウジリコフ(正確な名前を忘れた)の、痩せ型ながらしぶとそうな面構え。もう彼だけで映画が撮れそうな存在感だった。最後の鉄棒の演技で、そこまで一位できたルーマニアのコーチが鉄棒台から離れず、ほとんど選手に触りそうなほど手をさしのべていたのが印象的だった。いても立ってもいられなかったのだろうか。そのコーチの目の前で第一の演技者が落下。思わず受け止めんばかりに差し出されるコーチの手。
柔道81kgの三位決定戦。左手を負傷しながら勝ち残ったロシア代表の異様な執念。グルジア出身ギリシア代表のイリアデス(名前がかっこいい)の地中海人らしい顔の彫りの深さ。オリンピックの楽しみは、ものすごい面構えを見ること。TBS解説の篠原、スタジオで中居正広や久保純子と並ぶと、またひときわ異形。
午後、ハットリ、渡辺さん、江崎さんと京都で待ちあわせ。ディープ京都案内、というハットリリクエストにもかかわらず、ごく普通の場所を巡る。ライト商会で珈琲を飲んでいると人当たりのよい猫がそばに来る。西春のご主人にご挨拶。アスタルテでちょい買い物。
佐藤さん宅で送り火を見る。オランダ出身のジャックリーヌは、世界各国のモーターショーに行って、「car girl」の写真を撮っているのだという。並べてみるとやはり日本のは特異らしい。彼女は、さまざまな会社の社長室を撮影するプロジェクトもやっているそうで、話を聞くだに想像力がふくらむ。
小林さんと、現像代を稼がずにほいほい写真を撮れてしまう昨今のデジタルカメラ事情と作家性について話す。この件については江崎さんと見解の一致を見たのだが、たぶん、デジタルでほいほい撮れてしまったものの中から「これいいんじゃない」てなノリで選んだ写真で認められちゃって写真家の片隅に入ったとしても、そういうのってたぶん5年10年とは続かないのではないか。周囲が評価しようとすまいと、やってる本人が、そういうやり方では納得できなくなっていくだろう。その人はいつか、自分にとって写真を撮ること、シャッターを押すことを問い直さざるをえないだろう。だから、自業自得でいいじゃない、と。写真に限ったことではないが、デジタルなツールを使って順列組み合わせで適当にいいものが出来る、という行為は、作家の選択眼をとぎすませない限りムナシイ。しかし選択眼は、じつはものをつくるというプロセスとかかわっており、ツールに頼れば頼るほど、成功とは無関係に空しくなるはずである。
神戸へ。倉谷さんとあれこれ話。形態発生とジェスチャーの話をしてたのだが、途中から、倉谷邸にてギターを弾き比べることに。どれもとても鳴りがよく、シロウトのぼくが一音弾いただけでもまるで響きの豊かさが違う。これくらい鳴ると、各音の構成がよくわかる。いいなとは思ったが、自分の手元に置こうと思うまでには至らず。ハモをたらふく食って帰る。夜中、Hudsonが出しているドラムの歴史もののビデオ。もう書いたあとではあるが、松本隆論に書いたことは間違っていなかったことをあらためて確認。ライドとハイハットの歴史についてはいずれもう少し突っ込んだことを書けるかもしれない。
実家へ。ふだんの食生活の倍くらい食べ物が出てくる。
さらにひつじ直し。
そろそろしばらく寝かせてあった、ひつじ原稿の直しをするため、あれこれ論文を物色。はっぴいえんど校正(さすがにもう終わりか)。
院ゼミ。松村さんの解析はようやく会話分析レベルの細かさになってきた。こうなると、あれこれアイディアが出る。アイディアを支えているのはディティールで、ディティールがあればこそ、アイディアが絞り込まれてくる。参与者の「んんん?」という何気ない発話に伴う視線に、Goodwinの論文に出てきそうな複雑な動き。教えられるものが、いかに自分にとって教えが必要かをアピールする方法について考える。このところ、教える者/教わる者、知る者/知らない者、覚えている者/忘れている者、といった関係をくつがえす現象が次々と明らかになってきている。コミュニケーションを既成のチャンクを単位として見る限り、これらの関係はくつがえらない。チャンクをいったん棚上げして、プロセスの微細なやりとりに目を向けるなら、教わる者、知らない者、忘れている者がいかに豊かな情報を発しているかに気づくことができる。
お、モーマスがさっそく琵琶湖ビエンナーレ評をアップしてるぞ。なになに、Summerisleを作ったときにずっと聞いてたのは竹村延和の「ソングブック」とDorine Murailleの「マニ」とYuko Nexus6の「Journal de Tokyo」だったんだって。ゆうこさん、人気者じゃん。
朝いちばんの新幹線で彦根へ。がーっと寝る。ゼミ。午後、近江八幡の酒遊館へ。琵琶湖ビエンナーレの一環である、わらびもちプロジェクト。よくわからずに上にあがって中の部屋に声をかけて座ったら、じつはお茶席の真っ最中だった。なんとも不作法なことになったがしかたない。あまつさえ、ゆかしい茶器が出ているので、手に取らせていただく。途中から入って茶席の入り口にはみだすように座ってしまい、ずうずうしいにもほどがあるとあとで思ったのだが、そのときは、竹の節を生かした匙の曲線がすばらしく、ついしげしげと眺めてしまった。
Philipちゃん、平野さん、ゆうこさん他でそれぞれの出し物。隣になんか眼帯をはめたいわくありげな男がいて、気になっていたのだが、あとでPhilipちゃんに聞いたらモーむす、いやモーマスだった。ネオアコ再評価時代から聞いてたわりに彼の顔を知らなかった。彼が何者かについてはtigerlilyことモモさんのすばらしい解説に譲るとして、ま、まずはこのすごいblogでも見て下さいな。
そのあとビエンナーレめぐり。かなり内容にはバラツキがあったが、二宮知子さんのイマジナリーな幻燈には、絶妙な暗さも含めて、まさにこれが見たかった、というところを突かれた。あと、これは見てないのだが、トキハ館で行なわれたという客席を使った光のインスタレーションは話を聞くだけでも想像力を刺激された。
まかないのおいしいビビンバにありつき、彦根に帰宅。
スタバ、宿、スタバとかちゃかちゃ原稿を打ち続ける。それにしても、パソコン一台で音声解析と映像解析ができてしまうというのはやはり便利というべきなのか。夜半近くに仕事終了。近くの屋台料理屋でパーコーメンとビール。
朝、スタバで原稿。昼にチャリンコを飛ばしてタンゲーナ、カドとハシゴ。再びスタバ。
夕方、内藤陽介さんとお会いする。まずはホテルの部屋で、世界切手展のテマティークの金賞作品である香港史、日本の十五年戦争をベッドに広げて、ざっと拝見する。
ざっと、とは言っても、なにしろ一枚一枚に、歴史上の事件とそれをドキュメントする郵便の現物が貼り込んであり、みどころはその封筒なりはがきなりの抹消印や証示印の組み合わせなのだから、いくらでも時間がたつ。ちなみに切手展の審査員はこれ全体を5分で審査するという。ぼくにはとてもそんなスピーディーな鑑賞は無理で、内藤さんのコメントを聞きながら結局、2時間以上拝見した。それにしても、もはやこのまま展覧会カタログになりそうなクオリティ。それがオールカラー、生で目の前に飛び込んでくるのだから、その迫力は半端ではない。なんといっても、特定の個人が個人に宛てて手紙を書いたという事実が歴史を支えているというところがすごい。エンタイアの日付の魔。封書を聖なるものに変換する痕跡。スタンプは封書の聖痕である。
北ボルネオ、戦前の内モンゴルの切手も生で拝見したが、美しい銅版画が丁寧に印刷されたその世界は、あたかも武井武男の「人生切手」を見るごとし。切手は世界を内包している!と断言したくなる。切手が世界を切り取っているのではなく、世界が切手を模しているのだ。
気が付くと8時。そのあと浅草に繰り出すものの、浅草の夜は早い。いきつけのもんじゃ屋で焼き物を食いながら、あれこれと郵便話。内藤さんは子供のころから切手雑誌の子供記者をやっていたそうだ。つまり、切手蒐集家としてだけでなく、書き手として子供の頃から自覚的に切手を集めておられたことになる。
下水文化研究会。科博の大迫さんによる磐梯山の幻燈写真に関する発表。バルトンの縁者である鳥海さんも来ておられて初めてお話をする。品があるのにどこか懐かしい方だった。石井さんと浅草に移動して、その名も「シャーロック・ホームズ」に行き少し飲む。夜、ホテルで中国vs日本戦。そのあと原稿。
集中講義二日目。一日目はあまり反応がなくてちょっとがっかりしたが、二日目になってようやく学生たちがあれこれ口を開くようになった。最後に架空の個展のDMを出す(画廊はこの世のものでなくてもよい)という課題を出す。どんな絵はがきが来るだろう。炎天下の道を歩いていたらちょっとふらふらして、電車の中で熟睡してしまった。そのあとも、家に帰って原稿を書くもののほとんど進まず。
夜中、さらにはっぴいえんどの楽曲解説追加依頼。これでほぼアルバム一枚分解説をつけたことになる。
大阪成蹊大学集中講義一日目。絵はがき論とその実習。最終的には、それぞれの人に個展のDMを作ってもらうのだが、DMの内容ではなく絵はがきのデザインとしてのクオリティを問うところがミソ。
夜、近くに新しくできた居酒屋に行ってみる。個室のようなところへ押し込まれるが、壁は身の丈より少し高い程度で、高い天井の方ですべての空間がつながっている。その天井に店内じゅうの音が響き、銭湯の湯船の中にいるような感じがする。店員が全員大声を出すことを教育されており、さらには店員呼び出しのチャイムの音がりんどんりんどんあちこちから響き、閉口する。
原稿を書いていたのだが、途中で気が遠くなって寝る。よくしたもので、少しでも無理をすると強烈に体が眠くなる。〆切は今日なのだが、これは体が眠りを求めているのであるから、素直に従うことにする。
明日の準備。
さらに原稿。
タナカカツキさんから最近作を焼いたDVDをいただく。PVと小品集なのだが、これには驚いた。一作一作、新しい。それもただの技巧ではなく、きちんと気持ちが乗っている。戸田誠司さんの「スローバラード」PV、まさにこれはアンテナの夢ではないか。珠玉のPVはもちろんのこと、架空アニメーションソング集は、バカドリルのテイストを取り入れつつ、斜に構えて近づくと足下をすくわれるディープな内容。これまでマンガしか拝見していなかったのだが、映像作家タナカカツキ、おそるべし。
夜中にユリイカから緊急連絡。楽曲解説の原稿依頼、しかも8曲。どう考えても時間が足りないが、はっぴいえんどの解説が書けるという稀有な誘惑につい負けてしまう。だって、「抱きしめたい」も「風をあつめて」も「夏なんです」も、そして「はいからはくち」もだよ? ほとんどいいとこ取りではないか。1本400字、がーっと奔放に書くと朝ぼらけ。いきおいがある分、本論より出来いいかも。
ぐおー。喫茶に飢えたわたしはレンタサイクルを駆ってハイエナのように珈琲屋めぐり。まずは通りすがりに見つけた向島のタンゲーナ。タンゴがかかる粋なお店でゆったり。さらに前日、みんとりさん経由で知った向島の店「カド」。う、うまい。花街をゆるゆると走り、仕事モードに突入すべく浅草のスタバ。ようやく松本隆論改訂版脱稿。ふう。
帰りの新幹線の中で貯まったデジオを聴く。もはや「貯まった」ということばを使わねばならぬほどの開局ラッシュ。