The Beach : Sept. 2004


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20040930

 ゼミゼミ。ゼミではほんとに我ながら冴えてるな。この冴えを書き留めてくれ。


20040929

 資源人類シンポ三日目。門で飲み会。また寝そうだ。そそくさと抜けて帰ってくる。


20040928

 資源人類シンポ二日目。水窪田楽の話。前に社会言語科学会で発表したときより解析のレベルが上がっているので深い話になった。英語はあいかわらず苦手。弘前大の咲道さん、金子さんと八坂神社近くの料理屋へ。シラエビの揚げ物から始まりどの皿もうますぎた。しかし、疲れから飲みながら寝てしまう。一次会でおいとまし、宿に戻る。


20040927

 資源人類シンポ一日目。みんな原稿を読み上げるスタイルなので面食らった。これって人類学ではよくある光景なのか。中で大村さんの「シネクドキと旅」(勝手にタイトル)には想像をかきたてられた。ここから妄想。注意の焦点が特定のできごとに当たると、それが旅になる。それが旅になると、できごとに連なるさまざまなほかのできごとが芋づる式に旅としてつながってくる。つまり、シネクドキ(提喩)とは、部分が部分以上のものを名づけ、名づけが他の部分を浮上させる運動であり、この往復によって、名づけられたものが形を変えながら濃くなっていくという過程である。
 バンケットはさぼってホテルに戻り、明日のpptの準備。


20040926

資源人類シンポのドラフトをバージョンアップする。


20040925

たまっている原稿を少しずつ。


20040924

 新幹線の中でがーっと寝る。京都に移動。地下鉄を出るとすごいどしゃぶりに雷。思わずタクシーに飛び込んだら、運転席の前に花挿しが置いてある。粋な運転手さんだった。

コミュニケーションの自然誌は坊農さんの博士論文草稿のプレゼン。例によって、プレゼンの最中にあちこちから待ったがかかり、なかなか最後までたどりつかない。いくつかコンセプトを整理する必要はあると思ったが、盛りだくさんで分量としては申し分なしという感じ。来週のシンポ準備を高田くんと気に掛けつつ(この二人がいちばん草稿提出が遅かったのだ)門で軽く飲んで早々に引き上げる。ちょっと原稿を書いてすぐ寝てしまう。


20040923

 午前中に馬喰横山町へ移動。CET会場をあちこち見て回る。窓から見下ろす通り、向かいのビルの意外な近さ。文字通りさまざまな視点から町を眺めることができる。第一コスガビルは昭和初期の建物だそうで、踊り場に広くとられた窓が気持ちよい。新ビルの建った今も、社長室だけはこちらの古いビルにあるという。出展している野老朝雄氏・今井健氏の作品(影の鏡像を象形で映すレイヨグラフのようなやつ)もとてもよかった。
 横山町の古い雑居ビル(東陽歯科の入ってるところ)も、漆喰風の装飾や配色が時代がかっておもしろい(なんであんな高いところに突然洗面所が?)。

 Re-know、屋上まで全部展示。2Fのヒロ杉山、ちっちゃい高柳恵里氏の植物。充実のスペースだった。で地下で「エコーとプリズム」。シャツに映されるヨシルマシーン図形楽し。プロジェクタを移動させてはあちこちをスクリーンにしている吉丸氏はとても楽しそう。一時間ほど見ていったんホテルに行き、一休みしてまた会場へ。最後の30分くらい、ちょっとフィッシュマンズを思い出すいい感じのリヴァーブ。突如光るヨーヨーを手にウロウロし始めるヨシルマシーンの姿ですっかり異空間に。

 終わってみると、そこここにデジオな人々が。とにかく聞こえてくる声がみんなデジオ。誰もがオレにデジオで話しかけてくる!ただならぬ時空の歪み。近くの居酒屋へ行く。みんなデジオの声で話している。なーーーーーーんや、これ。なんやもなにもただのオフ会ではないか。オフ会なので覚えている限り参加員を書いておくと、ぱんつくったさん、セイキさん、モモネムさん、タカハシさん、アイコフさん、かおさん、わかちむさん、リッキーさん、コグさん、ガビンさん、タヌマさん、オトガイさん、助手さん、たろべえさん。テーブルを見渡すだけで乱立するバナーが頭に浮かぶ状態。セイキさんからバー・テラのお電話を拝借すると、電話口で「○○テラヘルツで」という声が聞こえてまた異空間に飛ばされる。

 渋谷に移動して卓球。とうに夜半を過ぎ、なおも体をめいっぱい動かす人々。おそろしくハイレベルで無駄な動きの多い打ち合いを目撃する。帽子を傀儡にするテッペイ氏、天井にいったん球をあててからサーブするカツキ氏。あまりの無意味さと、その無意味さが成立してしまう驚き。
 股関節が痛くなるほど動いたがトーナメントはあっさり初戦敗退。

 さらに卓球に疲れた数人で噂のバー・テラへ。午前五時、鈴木茂の「砂の女」がかかり、個人的に一気にテンションがあがる。マスターの「華麗なる暴力」のフレーズを唱え、シャンパンを何杯もおかわりし、店を出ると街は出勤時間。ホテルに戻ってももう寝る間もない。

20040922

 夕方、東京へ。モモネムさん@東京を呼び出してデート。CET (Central East Tokyo)の神田会場を見て回る。展示作品には正直ピンとくるものが(見た範囲では)なかったが、空き部屋から見る向かいのオフィスビルの仕事ぶりは生々しく遠い。パンフを持ってうろうろ歩いていたら、偶然、町歩きをしているCETのスタッフの人に声をかけられて合流。神田の裏道をあちこち探訪する。これはおもしろかった。密度が高いゆえにできる街の隙間。ボランティア・スタッフの方々がじつに親切で、飲み食いの場所も教わった。そのアドバイスに従い、高架下の飲み屋で仕事帰りのビジネスマンに囲まれるように飲み食いして神田歩き終了。
 CETをめぐる街歩きは、建築探偵団に似ているが、じっさいにビルの中に入り込めるところがおもしろいと思う。居住スペースから見た東京なのだ。


20040921

 ゼミ。繁松さんの整理したデータを見ながら画期的な発見。詳しくはきちんと論文に書くとして、「「あ」は再発見の「あ」だった」ということをメモしておこう。とにかくマイクロなやりとりでは想像を超えたことが起こっている。


20040920

 昼まで寝てからゼミ。不思議なことに、原稿を書き上げたあとのほうが落ち着いて文献を読めるし、いろいろなアイディアがわく。スポンジをしぼりきったあとのように、吸水性が増している感じ。松村さんのデータについては、「数という記号から数え上げという身体へ」というテーマでまとめてはどうかと提案。このキャッチフレーズだけでもう出来たって感じだけど、あとは本人次第。

 昨日ビデオにとってあった「笑点」の笑い飯出演。客層に合わせてものすごいくどさとスローペースにアレンジしてあった。その苦労のあとが見えやすかった分、松本伸助のときよりおもろかったかも。

 彼岸花は毎年みごとに彼岸の頃に咲く。おどろおどろしくてあまり好きな花ではないのだが、有無を言わさず季節を区切られる感じがする。

 小島麻由美の「砂漠の向こう」をきいて、とても好きな曲があったことを思い出す。なのにその好きな曲がなんなのかが思い出せない。


20040919

 資源人類学シンポのドラフトを書き上げ。さてもうひと仕事の前に小島麻由美のニューアルバム「パブロの恋人」。あーーーええわーーーー。


20040918

 段々、論文頭に。理屈っぽい頭はデジオにも反映してしまい、いまいち柔らかさに欠ける。いや、ナイーヴさに欠けるというべきか。ほんとうはナイーヴさゆえに空を破ってしまう小学二年生男子のまなざしと大人の女子のまなざしを、超獣vsウルトラマンエース、という形で出会わせたかったのに。


20040917

 仕事仕事。高田くんにLAの住宅事情をきく。いちばんポピュラーなのはネットによる又貸しらしいのだが、こればかりは実際の物件を見ないことには不安なので、現地に入ってからしばらくは仮の宿ということになりそう。渡米は十月後半に。それまでにあれこれやっつけなければならないことが満載だが。UCLAの受け入れ担当の人は仕事が速くてフレンドリーで助かる。


20040916

 ゼミ。卒論生それぞれ道は平坦ではないが、幸多かれと祈るのみ。そういうぼくのほうも渡米前のドタバタがいよいよ佳境に入ってきた。月末のシンポジウムのドラフトを書きかけているのだが、他の人のがやたらぶっといので気圧される。

 長崎県佐世保市の小6女児事件。父親の御手洗さんの手記は、当事者でありながら、綱渡りをするような感情の揺れを渡りきっておられて、心打たれる。声高に誰かや何かを責めるのではなく、起こってしまったこととご自分の生活とを、できうるかぎり近づけていくことば。


20040915

 論文査読や雑事など。
 夜、青山さんと万里子ちゃんが来る。はらぺこで飯。飲みながらデジオ開始を決意したらしき万里子ちゃんに簡単デジオツールを紹介し、さらにラジオ 沼に出演していただく。青山さんが買ってきたスイスの着色ステレオティッシューカード。まるで油絵のような山や氷河の彩色。

 松本伸助で笑い飯。何度も見たネタだったが、あちこち微調整されていて、相当おもしろくなっていた。正直なところ、「ワシントン」ネタを最初みたときは、かなりしんどい感じがしたが、毎回シークエンスや間の詰め方をどんどん変えているのだろう。

 で、夜中過ぎ、電気を消してデジオを流しながらみんな眠りについたのだが、やはりタナカカツキさんのしゃべりはダントツにすごい。スピードの緩急や間が気持ちよく引き込まれるように聞けてしまう。


20040914

 矢口史靖「スウィング・ガールズ」を観る。ナビオTOHOコンプレックスでは、待ち時間に次に上映する映画のサントラかけてることがあるが、この映画の場合、それって完全にネタばれになってないか?
 にわかビッグバンドのグローイング・アップ物語。しかも上野樹里主演。「てるてる家族」も「青春デンデケデケデケ」も「Shall we ダンス?」を楽しみ、さらには吹奏楽部出身のわたしにとって、この映画、どこからみてもストライクゾーンど真ん中ではないか。
 ところが・・・うーん。(以下、見てない人は飛ばして読もう)



 トロンボーンのスライドが抜けるにも(たとえばBの音を吹こうとして、とか)、トランペットのハイトーンが出るときにも(唇が硬くなるとか)。ドラムが裏のりを発見するにも(メトロノームを間違ってカウントするとか)それなりのありうべきシチュエーションがある。で、この映画では、そういう管楽器や打楽器経験者がきゅーんとなるようないきさつのすべてが、小粋な?ギャグですっとばされているのだ。つまり、楽器がうまくなる過程をまともに描いていない。個々の楽器に対するディティールがまるで見えてこない。
 ならば、おとぎ話として見ればよいのか。それにしてはおとぎ話に必要なマジックがない。たとえば、先生の持ってるビッチェズ・ブリュー聴いて奔放なプレイに開眼する子が現われるとか、鉄工所で改造した楽器に聴衆を驚かすようなカスタマイズがしてあるとか、もう少し工夫のしようがあるだろう。なによりトロンボーニスト谷啓に(敬愛をこめて)出演してもらうのであれば、彼こそがスウィング・ガールズにマジックをもたらす役なのでは? たとえば横断歩道ですれ違った谷啓を見たメンバーが「あのオジサンの歩き方へん!」とか真似してるうちに裏ノリを発見するとかさ。
 山形弁もボーイ&ガールのほのかな交情も、その場限りのトッピング。そのわりに映画が長い。追加上映も決定したみたいなので、世間的には需要があるのだろうけど、ぼくはまるでぴんと来ませんでした。
 演奏はすべて出演者によるものとのこと。吹奏楽経験者もいるのだろうが、みんなとても達者で、この点はすごい。出演者の練習ドキュメンタリを撮ってれば百倍おもしろい映画になったんじゃないだろうか。


20040913

 大阪歴史博物館。これはなかなか見応えがあった。常設展はビデオを多用しているが、内容を短くまとめたり、別のビデオや展示への誘導をしてあるので、観飛ばすことなく楽しめる。ジオラマ(特に幕末の船場再現)や実体展示(心斎橋商店街など)もかなり時間をかけて見入った。あえて言えば、もう少し時間を追った展示にしてもよかったのではないか。7Fでは、明治・大正・昭和が混じりすぎて、ちょっと時代が見えなかった。
 そして特別展の「松本喜三郎と生人形展」。これは期待に違わず凄かった。特に熊本の寺にふだんは置かれている二体の観音像の生々しさ。顔立ちが、ぎりぎりのところで人間らしさを残している。まるで萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」を初めて読んだときのような衝撃。
 そして「池の坊」。これはすごい。すごすぎる。ほとんど生首である。この「池の坊」の少し離れたところでずっと観客の様子を見ていたのだが、みんな吸い込まれるように観ていてほとんど対話に見える。そのくせ、この坊主、右眼と左眼の目線がずれていて(浮世絵の大首絵みたいに)、どこから見てもけして目線が合わないのだ。
 生人形は胴体をハリボテにして省略することが多いため、ほとんどの人形は頭部と手のみのセットで残っている。そのことで、かえって手の表情の生々しさが出る。中で、スミソニアン博物館に収められた人形には胴体(陰茎付き)が添えられていて、貴族を丸裸にして見据える空恐ろしい迫力。

 夜、たかぽんさん、なにわ宇宙さんと大丸でお会いする。食事をしながら4時間。


20040912

 日本心理学会第一日目。ワークショップ「非言語行動における聞き手の役割: 話し手志向・聞き手志向を超えて」で「身体を示し合う会話」というタイトルで発表。基本的には社会言語科学会で話した内容のバージョンアップ。フロアから「動物の学習におけるshapingに似てると思ったのだがどうか」という質問をいただく。たぶん、shapingでは、学習に必要なゴールがはっきりとあって、そこにどれだけ間違わずにたどりつけるかが問題になるのだけれど、ぼくのやっているデータのおもしろいところは、間違いが多発するにもかかわらずゴールにすばやく至る道筋がたくさんあることだ。この質問を受けてはっきりわかったのだけれど、ぼくが進化論的な考えにときどき持つ違和感は、進化論者がしばしばリバースエンジニアリング的な発想に陥るからだと思う。進化のプロセスは選択(淘汰)のプロセスである。ところで、ぼくが興味を持っているのは、その選択や淘汰の材料を豊富に提供している行為(もしくは発生)の多様性であり、たまさか選ばれなかったがもしかしたら別の可能性を持っているかもしれないさまざまなできごとである。リバースエンジニアリングという一本の道筋ではなく、そこから分岐して潰えているかに見える、さまざまな分岐の可能性が見たい。

 夜、旧NIFTY心理学フォーラムが閉鎖となるのを記念してスタッフ他でオフ。ひさしぶりに話すメンバーも多く、いろいろ当時のことを思い出しておもしろかった。

20040911

 明日の心理学会の準備。


20040910

 こころとからだ研。八木先生のビデオで「かえるさんごっこ」を見る。模倣は遊びの形式に埋め込まれているなと思う。子供がかえるやどんぐりを見てそれを的確に自分の身体に移し替えているというよりは、遊びの形式の中で、それぞれの子供がそれぞれの時間構造を実現しているといったほうが近い。でなければ、あれほど均一なかえるやどんぐりが現われるはずがない。いっぽうで、子供がかえるやどんぐりを観察することで、遊びにおいて飛び跳ねたり止まるときのタイミング、あるいは遊びの中でのできごとからできごとへのシークエンスは、影響を受けるだろう。とくに子供じしんや先生が発する擬音、擬態語は、こうした時間構造を形作るのに重要だと思う。
 二十人ほどの園児は、自分の番が来るまでは椅子にすわって待っている。しかし中には待ちきれなくて、他の園児が「かえるさんごっこ」をやっている最中に先生のほうへ飛び出してくることがある。このようなとき、先生は「うんうん」と口ではいいながら、両腕を下げ、両手の掌を園児のほうへ向けて椅子に押し戻すようなジェスチャーをする。この押し戻しジェスチャーはじつに効果的に使われていて、3,4人が飛び出してきても、ちょいちょいと腕で押し戻すジェスチャーをするだけでそれぞれの園児は椅子に戻っていく。


20040909

 ようやく彦根に戻る。ゼミ。竹下先生のご紹介で近くの保育園に初めておじゃまする。2時間ほど居たが、まったく退屈しなかった。園児の行動もさることながら、それをナヴィゲートする先生の行動、そして遊びの形式じたいが興味深い。「むずかしいのいくでー」「だいせいこうするかなー」など、園児の注意をひきつけ、構えをうながす発話。メモをいっぱいとる。


20040908

 朝、充電の終わった携帯を見ると午前二時から留守電が何本も入っていた。「なんかシャレにならない風なんですけど」という宇波くんのSOS。表は台風一過の空。

 埼玉大学で山崎敬一さんの企画で「インタラクション環境の創造」。Christian Heathはかつて医者と患者の会話における身体動作やポーズの研究をしていた人だが、今回はなんと「オークションにおける身体行動」という思いがけないテーマ。オークショニアがアドレスを明示しながら値段をリズミックに吊り上げていく過程を解析していた。ビデオを見ていて目に付いたのは、オークショニアの持つ「ハンマー」の小ささ。単に音を立てるためのものならば、裁判所のハンマーのように柄のついた大きいものでもよかったはずだ。しかし、オークショニアの使うハンマーは、二、三本の指で持つことができる小さなもので、残った指の開き具合がじつに表情豊かに見える。そのことを後の質問で尋ねると、やはりハンマーを持つ手のあり方は重要らしく、最後に値段を決定する瞬間、オークショニアはわざわざハンマーを持ちかえ、やや間をおいて机を叩くらしい。つまり、持ちかえることで、視覚的に「もうこれで値を決定するからな」という予告をし、わずかに間をおくことで、次のコールを招き入れる余地を残しているんだそうな。  Paul Luffは、プロジェクタによって机上や前面に相手の映像を投射し、ヴァーチャルな共同作業空間を構築する話。山崎さん、葛岡さんたちの発表は、指し示し機能つきのロボットを使って博物館で対象を説明する話だった。

 聞きながら指さし妄考。指さしを考えるときに、そこに単なる指示機能を見出すだけでよいか。たとえば、指さしながら数え上げていくときを考えよう。このとき、指す指は、あらかじめ指示対象を探し当てているのではない。むしろ、ある対象から別の対象に移るプロセスで、指すべき対象を探索中なのではないか。つまり、「対象が見つかる→指す」というのではなく「指さす→指した指が対象を探す→対象を指す」という風になっているのではないか。となると、「指さす」という行為と、「対象を正しく指す」という行為は厳密には分離しておいたほうがよいと思う。
 「指した指が対象を探している」というプロセスは、指さしを行なっている本人だけでなく、見ている相手にとっても役立つ。なぜなら、「あ、この人はいま、何かを指そうと対象を探しているんだな」ということを知ることで、相手は指さしをする者とともにその対象を目で探し、そのことで探索行動を共有することになるからだ。そして指先がめでたく対象を探り当てて「これ」と発話されるときには、すでに相手も「これ」で指されているものを視認することになる。
 こういう、探索プロセスを共有する経験のほうが、いきなり指で指されてから対象を探す経験よりも、注意の移行がなめらかで、より深い経験になると思うのだがどうだろう。

 Dirk vom Lehnの発表は、美術館で絵を鑑賞するときの絵の視点の話。鑑賞者どうし、あるいは館内のスタッフが、いかに立ち位置を鑑賞者にナヴィゲートしていくかというデータで、とくに、夫婦の鑑賞者が、おたがいに話しながら、さりげなく自分の立ち位置をずらせて相手に立ち位置を譲る(示す)ところがおもしろかった。

 シンポジウムの後、さいたま新都心近くで飲み会。HeathとLuffは"bloody"だの"idiot"だのを連発するじつに気持ちのよい英国紳士。発表でview pointという術語を盛んに使っていたのでもしやと思ってパノラマの話をしたら、Heathは目をかっと見開いて、インスブルックで見たというパノラマの話を始めた。もちろんぼくもこのパノラマについてはいくらでも言いたいことがあるので、それからすっかりパノラマ話になり、ヨーロッパのパノラマのみどころをあれこれ教える。「もしかしてsomething bizarreなのが好き?」とふると、HeathとLuffが「それそれそれそれそれ!」ともの凄い勢いで食いついてきたのがおもしろかった。バット・フランケンハウゼンの原始共産主義パノラマを紹介する。


20040907

 ゆうこさんと六本木の森美術館へ。来たのは初めてで、まずは展望台に登って大東京を見渡す。海が近いのだが、湾岸が入り組んでいて、さほど海浜な感じがしない。新宿、池袋、さいたま新都心の距離感がおもしろかった。浅草のほうを見ながら、世が世ならあのあたりが浅草十二階なのだなと思う。
 昨日、大岡さんからいただいた「小沢剛展 同時に答えろYesとNo!」へ。これはかなりおもしろかった。牛乳箱大の「なすび画廊」が、はたして大規模な展示場にどう収まるのか予想がつかなかったが、いくつかの巨大展示の間にうまくまわりこんでいた。日常の醤油の染みの記憶から広がった果てに現われる醤油画(じつは生で見たのは初めて)に幻の匂いを嗅ぐ(思ったほど匂わなかったのだ)。かつて相談芸術大学に据え置かれ、人が縦横に移動していたジャングルジムの中では、スタッフの人が携帯を眺めていて、商品を頼むと、ジムの格子ごしに渡してくれる。人がくぐりぬけるように商品が出てきた。

 小沢さんの作品を通して見ていくと、「使用の痕跡から形が現われる」ということの不思議さを強く感じる。あまりに日常的で意識にひっかからないできごとが、形を伴って意識にのぼってくる感じ。

 過去のカタログをいろいろ見てはじめて気づいたのだが、ほとんどのものは大岡さんの事務所でデザインしているのだな。ひとつひとつ造本が凝っている。今回のは(なすび画廊ペーパークラフト付き!)、表紙のエンボスや、道路地図を思わせる色つきインデックスがおもしろい。ノートブックの形をしたやつと「地球の歩き方」そっくりのやつもいいな。
 「地球の歩き方」のイメージをなぞったワタリウムのカタログを見て、うちの玄関を思い出した。うちの玄関には、旅先で使った使用済みの「地球の歩き方」が並べてあって、どれも折り曲げられたり破られたり雨にあたったりで、くたくたになっている。「地球の歩き方」のてらてらした表紙には、どこか、この先使われてくたくたになっていくような予感を感じさせる。それが、牛乳箱や醤油画のイメージと重なる。「地球の歩き方」というフォーマットが選ばれると、「旅行」というイメージのみでなく、「旅行」によって手あかがつき、くたくたになっていくイメージが重なるのだ。くたくたを予感させるてらてら。このカタログはうちの玄関に置こう。

 山と積まれた座布団階段。その上には、安全のためだろう、ガードマンがいるのだが、なにしろ座布団の上なので靴を脱いでいる。靴下姿のガードマンというのは微妙に間が抜けている。しかも、彼自身、自分の姿が座布団のくつろいだ雰囲気に似つかわしくないことを自覚しているのだろう、なるべく観客の視野に入らないように、少し離れたところに絶えず移動している。これではあまりガードマンの機能を果たさないのではないかと思うが、そのふるまいがなんだかおかしい。
 ぼくは、座布団が崩れないかとおそるおそる降りていったのだが、その様子を見ていた女子大生とおぼしき人たちが「あ!上れるよ、これ」といいながら、座布団階段をあっという間に駆け上ったのには驚いた。ぼくには絶対にない思い切りのよさ。あの飛躍、怖い物知らずが必要だよなあ。
 ビニルハウスに設えられた野菜銃写真を抜け、すっかり堪能して外へ。近くのギャラリーに寄ってから、赤坂のドイツ文化センター図書館にシュテフィの作品を見に行ったらなんと図書館が研修で閉鎖中。下のティールームでお茶を飲んで宿へ。

 新宿に宿替え。モモさんとハイチでお茶。宇波くんと合流するはずが、仕事がなかなか終わらないらしい。外に出ると台風。ビル風が加わっているのか、久しぶりに「風で前に進めない」というのを体験した。ピットイン上の沖縄料理屋でなごむ。最初は宇波くんに一時間おきに電話してちびちび飲んでいたのだが、おしまいには携帯の電池が切れてしまい、もういいや、台風だし、とモモさんと久米仙を開けてしまう。さんざ呼び出されてようやく仕事を切り上げた宇波くんは、そのあと終電を逃して台風の新宿を放浪していたという。


20040906

 2時間ほど寝て、昼前に起きる。宇波くんと早稲田で待ちあわせてリハ。スタジオで歌うなんて学生時代以来だ。宇波くんのコントラギターはとても鳴りがよいのだが、ウインナ・ワルツ専用に作られているらしく、ハイコードはすごく弾きにくいらしい。
 渋谷に移動して、亘's riceへ。今度は木下さんも交えてリハ。木下さんのバイオリンは意外にもAORで驚く。店長に「『たま』みたいですね」と言われ、ちょっとへこむ。いや、「たま」はいいのだが、「『たま』みたい」なのはちょっとヤなのだ。

 というわけで、モモさん帰朝宴会記念のにわかユニット「かえる 目(もく)」ライブ。メロディに乗せて声を出すのは自分では楽しい。まだ裏声の鍛錬が足りず自分でも聞き苦しいのだが、出ない声を裏返す「ユーミン」感を味わっていただくことにする。歌詞を何度か間違えてしまったが、なにしろ誰も正解を知らないのだから、間違いすら空振りである。それでも、前のほうで山口優さんがつぶらな瞳で見つめておられるので、真摯に演じないわけにはいかない。真摯になるには気の抜けた歌詞。
今回、最大の収穫は「8月31日のうた」ができたこと。珍しく自分で愛唱していて恥ずかしくない。

 終了後、デジオ界のジャニーズ軍団こと、廣岡くん、リッキーさんと初めてお会いする。廣岡くん(Tシャツがガビンさんと丸かぶり)の音楽趣味を聞き、その多彩さにかなり驚く。なぜ20も年の離れた人が、ぼくが十代のときに聞いていたヘッドハンターズやスラストやバッド・ウェザーを聞いているのだ。
 ファーストクラスのICCオンライン時代から名前を存じ上げていた大岡さん、十年ぶりぐらいに会う水島くん、じつは逆リンクをたどって知っていたdotimpact田中さんやrootsy唐木さんにもお会いする。さすがモモ人脈の多彩さ。どちらかというとパーティーは苦手であまりたくさんの人と話せない方なのだが、今日はかなりよく話したと思う。歌を歌ったせいか、いろんな人に話しかけていただいて助かった。


20040905

 午後いちでヘルメット実験の発表。さらに、ワークショップ。登壇者はパワーポイント書類をみんな用意してきていたが、ぼくは真っ白。というわけで、他の人の話を聞きながらかちゃかちゃと作る。じつはこのやり方のほうが他の発表との関連性が生まれておもしろいプレゼンになる。ただし最初のプレゼンにあたっている場合は使えない。夜、もんじゃを食べて軽く飲み宿へ。絵はがき原稿を詰める。今回はかなり綱渡りだった。なんとか明け方に終了。


 

20040904

 明日の発表と原稿を交互に。さらに、6日の歌の練習。


20040903

 レスリングで優勝した吉田沙保里が小学校六年生のときに書いた「二十年後の自分」というのがスポーツ報知(2004.8.25)に載っていた。彼女は小さい頃からお兄さんとレスリングを練習し続けて、小学生ではすでに大会でも優勝しているのだが、この「二十年後の自分」ではレスリングのレの字も出てこない。それでいてなんともいえないよい文章なのだ。もしかしたら多少、大人の手が入っているのかもしれないが、それにしても、現在形と過去形の使い方や話法の移動が天衣無縫。レスリングで金メダルという現在の彼女の状況を考え合わせても、ちっともイヤミではなく、むしろ泣ける。

 二十年後の自分
 私は、今スーパーで、レジをしている。いろいろなお客さんがくる。私の、しっている、お客さんもきたことがある。私が、お客さんに話しかけると、あんた今、レジしてるんだーという。
 私は、そうなの私は、小学校の時から、レジがしたかったのといった。
 これはなかなかおもしろいわよ。
 お客さんが、いろいろな物をかうの。だから、なにを作るのかなーと思うの。
 私も今日のご飯なににしようかなーとレジをしながら、考えている。
 毎日、いそがしいけど、がんばろう。


20040902

 種村季弘さんが亡くなられた。昨日、相方と「ビンゲンのヒルデガルド」の話をしたところだった。先月たまたま行くことになった金沢の旅館「まつさき」も、じつは泉鏡花ゆかりの宿、種村さんもまたこの辰口温泉についてエッセイを残しておられる。
 昨年末、息子さんのやっておられるスパンアートギャラリーで偶然お会いしたのが最初で最後となってしまった。ほんの30分ほどお話しただけだったが、それだけでもとても濃密な体験だった。東京のこと、絵はがきのこと、からくりのこと、まだまだお話したいことはたくさんあった。
 急ぐことなく速く生きるにはどうすればよいだろう。


20040901

 ゼミ。パソコンの使い方を伝授。原稿。
 レコミュニ。音楽の引用や再演奏、ということの新しい形。メンバーやフェローの取り合わせもおもしろい。