日本カメラ博物館(JCII)のキッズ・コーナー、語り口はやさしく、内容はすごく高度。勉強になります。
昨日の補足。ダゲレオタイプは、かつては現像のために水銀を蒸着させていたらしい。しかしそれでは手間が大変だし、毒性も強くて危険なので、赤色光を使うらしい。この効果はベッケレル効果 Becquerel effect と呼ばれてるんだそうだ。たとえばEdinphotoのこのページを参照。ちなみに、Edinphotoは、ステレオ写真や絵はがきなども含め、エディンバラの図像がとても充実していて見どころ多し。
ラジオ 沼「第348回 小説のことば・舞台のことば」
朝からとても天気がいい。京都へ。ダゲレオタイプの撮影に新井卓さんが来る。
まずは部屋の雨戸を閉め、丸窓にはコートをかけ簡易暗室を作る。完璧な暗室でなくともよく、薄暗がりでよい。
まずはヨウ素の蒸着作業。新井さん自ら磨き上げた銀板を、これまたお手製の木箱に入れる。箱の下にはヨウ素が入っており、これが気化して銀板に少しずつ膜となっていく。ちょうど水面の油のごとく、蒸着した厚みによって色が虹のように変化していく。新井さんは、何分かおきに木箱から銀板を取り出しては、その色を確かめる。部屋が暗いので素人目にはわからないが、白壁などと比較すると、色の変化がわかるのだという。
銀板を取り出して色を確かめて、というリズムで会話をする。新井さんも植物好きで、先日の渡邊さんの写真に写っていた草花の名前は全部わかったという。
虹の赤い方から色が「一周する」と蒸着終わり。
この作業を終えてから一時間以内に撮影しなくてはならない。
雨戸を開けるとすばらしい快晴。アパートの前で数分間、ポーズを取る。じっとカメラを見つめて立ってるうちに重心がぐらぐらしてくる感じがする。ここで催眠術にかけられたら間違いなく倒れると思う。
作業を見ていたサカネさんが「いーなー、いーなー」を連発していた。
撮影が終わったら、銀板に赤い透過性の板を当てて、日光にさらす。こうするとなぜか、現像が行われるのだそうだ。アパートのブロック塀の上に置いた板の上に、次第に輪郭が現れてくる。新井さんは「あー、ヤツデの葉が見えてますね」「これ背広ですね」と言うのだが、最初のうちは抽象画にしか見えない。
30分ほど陽にさらしたところで、ようやくそれとわかる像が現れた。
それにしてもほんとうに天気がいい。ダゲレオタイプの撮影が終わっても、新井さんもサカネさんも撮っている。なんだかうらやましくなって、ぼくもローライを持ち出してきてどんどん撮影する。露出計を持ってないので、二人に「この画面だとFいくらでシャッターいくら?」と聞きながら撮る。
昼食にお茶。その間にもカシャカシャ。
夕方、新井さんの車で送ってもらい、三条柳馬場の堀内カラーにブローニーを出す。
これから新井さんはホテルで定着作業。ダゲレオタイプの撮影が一日一枚のペースだというのもうなずける。
喫茶店で本を読んでから再び堀内カラーへ。ローライのファーストロール。悪くない出来。特に今日撮ったやつは空の色がすばらしい。2Lか八つ切りに焼いてもらおう。
朝から講義。原稿。などなど。なかなかカラマーゾフに行けない。光文社新訳文庫から新潮文庫に移って、ようやく第四部。
ギャラリー・ラウンディッシュで新井卓さん、小林美香さんと、新井さんの写真を見ながらトークショー。どんなに短い露出時間であろうとも、写真とは空間ではなく、時間の積分である、という話から始めて、時間が空間に凝っていくことと反射についてあれこれ。
おもしろいことに、お二人が「ラジオ 沼」の内容を、当人のぼくよりも覚えておられる。「こういうことを言ってましたよね」と言われるのだが、なかなか思い出せない。逆に言えば、誰かが覚えてくれているのだから、それはそれでよい、ということなのかもしれない。
そしてこのトークショーの内容もまた、うまく思い出せずにいる。
ドーンセンターに移動。「コミカル&シニカル」は、7年前に閉鎖したプールを磨き直し、写真展会場にしてしまったという画期的な企画。
もちろん水は抜いてある。が、プールの中に入り、タイルに囲まれると、なぜかひたひたと水の気配がしてくる。気配がするのに水がない。すると体が気配を実体化しようとしているのか、下半身から尿が漏れそうになって困った。
池田朗子の写真立版古。写真の垂直性を問う不思議な仕掛け。写真から飛び出る、というよりは、写真からおじぎをする人やモノ。イナバウアーで観ると、おじぎしている人々だけがつまようじのように立っている。切り取られた穴、写真に写された影、切り取りが照明によって落とす影。いくつもの痕跡が写真の上で重なる。これ、鈴木一誌さんが観たらどう思うだろう。
小プールの中に、雑草を足もとから写した写真がある。プールの縁には段差があって、ちょうど腰がかけられる。すると、雑草の目線になる。
春先に学生に草花の名前を教えているので、写っている草のいくつかには見覚えがある。オランダミミナグサのある写真は四月で、もうすぐそれはシロツメグサにとって変わるだろう。そのミミナグサが大きく引き延ばされていて、コスモスほどの背丈になっている。写真中央には草むらの中にわずかに、けものみちのような隙間が空いている。ネコならば、このわずかな光に導かれるように、向こうに抜けていくだろう。
ちょうど作家の渡邊耕一さんが隣に来られたので、「ええとこれはヤグルマソウ・・・?」とあやふやにたずねると「ヤエムグラです」と応えられる。そこで、これは?これは?と、写されている雑草を指さしていくと、次々と応えられる。どうやら彼にとっては「雑草」ではなく、ひとつひとつ違う草花らしい。
渡邊さんは、これらの写真以外に、イタドリを撮影し続けているという。イタドリというのは日本原産なのだが、それがヨーロッパに渡って「外来種」として猛威をふるってるんだそうだ。外来種といえば、セイタカアワダチソウやセイヨウタンポポなどなど、てっきり輸入されるものだとばかり思っていたが、日本から外国に輸出される場合もあるらしい。考えてみれば当たり前のことだが、うかつにもいままで気がつかなかった。
造成地はいったん更地となるために外来種が入りやすい。イタドリは海外ではオオイタドリと交雑して2,3mにもなり、あたかも高木が日光を遮って下草の生長を妨げるように、イタドリジャングルができあがるという。
渡邊さんは、そんなイタドリを追って、毎年旅行に出掛けるんだそうだ。ポーランドは造成地が多いので、ときどき車窓から、イタドリジャングルがあるのがわかるという。「ワルシャワとかですか?」「いえ、あそこは北過ぎるのであんまりありません」「クラクフとか?」「クラクフの近くに古い工業地区があるんですが、そのあたりにすごいのがありました」。そう言われて、クラクフからアウシュヴィッツに向かう途中見た、鉄鋼都市のことを思い出した。でもそのときは、まさかイタドリがうっそうとしているのだとは思いもしなかった。
塚本晋也演出による「哀しい予感」@梅田芸術劇場。
会話の中で話者が何かを思いつく順序と、小説の中の語りが何かを思いつく順序は異なっている。前者が、その場で起こるできごとや相手に大きく左右されるのに対して、後者は、自分の思考を自分で食っていくように展開する。
原作の「哀しい予感」は、全編小説であり、たとえ「」で囲まれた部分であっても、それは、相手や目の前のできごとよりも、頭の中で構成された叙事を追っている。ことばが感情を震わせ、その感情が次のことばを生む。ことばは細かく震える。
今回の舞台では、台詞のほとんどがそのような、小説のことばをそのまま使ったものだった。これは、役者にはむずかしい脚本だったと思う。目の前には他の役者がいたり、舞台装置があるにも拘わらず、ことばは、それらを手がかりとしていないからだ。手がかりとしていない以上、体は他人や舞台環境に反応できない。だから自前で手がかりを作るしかない。弟役の加瀬亮や、おばの恋人役の奥村知史に、その場にないものを大振りで示す不自然な身振りが目立ったのは、ひとつにはそのせいだろう。
とくに、複数の登場人物の発語によって進む場面では、形式は会話であるにもかかわらず、ことばは独白であることを強いられる。会話であって会話でない声とはどのようなものか。少なくとも会話の声色ではない声色、会話の抑揚ではない抑揚が求められるだろう。市川実日子の口調には、そのようなトーンがあって、新しい可能性を感じた。
ひとつの台詞の中に細かな感情の揺れがあり、その背後に毅然とした情動のようなものが流れている。その情動は、ことばより早く流れ始めて、思わぬところで途切れる。アメヤさんはおそらくそのような流れを感知しつつ、音楽の起点と終点を決めているのだろう。この舞台はまさにそのような音を必要としていたと思う。
事前に「朗読に近い」という風評を聞いたが、むしろ独白の連鎖に近いと感じた。近いのだがときどき会話になるところを見ると、どうも独白を狙った舞台とも思えない。それぞれの台詞を完全に独白として隔てて演出するか、逆に会話として成立できるようなことばに脚本を直してあったなら、かなり印象は違ったのかもしれない。
以上は、客席のごく端から見た感想で、もっと違う座席から見たなら、あるいはよりしっとりとした情感が感じられたのかもしれない。
いずれにせよ、楽日のせいもあってか、終了後にはカーテンコールが続き、最後はスタンディング・オベーションが起こった。
終演後、バラシを終えたアメヤさんとモツ鍋を食べつつあれこれ話す。
船場で博覧会研究会。NHK名古屋放送局の愛・地球博ビデオを鑑賞。万博のような長期のビッグイベントがあると、そこにサテライトスタジオができて、局内局外から応援スタッフが集まり、放送局じたいも一種の万博状態になるらしい。長く続けるうちにあちこちのパヴィリオンで夜のパーティーが始まり、スイス館は毎週クラブ状態になったんだとか。
すぐそばのroundishに行って新井さんの写真を見てから、chef d'oeuvreにpopoを観に行く。立ち見の出る盛況。毎回、レコーディングから微妙にずらされた演奏で楽しい。うしろで立ち見の客が踊り出していた。
奥ではキタさんの陶器展をやっていて、カフェオレのカップを買う。まだ釜から出したばかりなんだそうで、水につけるとざあっと肌理が変わるんだそうだ。
卒論提出の〆切日。廊下を走る音、コピー室からの絶叫などが聞こえる毎年恒例の音世界。無事全員が提出して一安心。焼肉を食べて打ち上げ。ようやく重しが一つ取れた気がする。
一日、卒論指導。
「だいこんの花」DVD。これまたレンタル落ちのもの。
森繁、元連合艦隊、パチンコ屋、と来ると、なんだか戦後の小津映画のような感じ。登場人物がみんな声を張り上げてしゃべっている。70年代までは、まだ、家族の声が大きかった。寺内貫太郎一家をピークに、家族の声は小さくなった。
これが、世相の変化なのか、それとも、スタジオ撮影におけるマイクロフォンの精度がアップしたせいなのか、興味深いところだ。
カットの終わりに来る川口晶の決めぜりふでぐっと彼女をアップにするのだが、ズーム調整の手ぶれが入って、カメラマンの意図がもろに伝わってくる感じ。
最近のテレビにはこういう動きはない。ズームはモーターでコントロールできるようになったし、カメラマンの腕も上がった。よく言えば、ズームという行為は、あたかも会話中に動く人の手のように、意識にひっかからない技法になったのであり、悪く言えば、意識にのぼらぬ形で人心を操作するようになった。
不幸にして、AERAコミックで萩尾望都の重大ネタばれ発言を読んでしまったので(あれは単行本発刊まで待って欲しかった・・・)、暗い予感を胸に読み始める。コレオグラファの残酷な誕生ぶりを模倣論を考えるヒントにしたい。
「あるある大事典」の納豆騒ぎ。程度の差はあれ、企画先行型のバラエティには往々にしてあることではないかと思う(この点については以前の日記参照)。今回の場合、下請けの下請け・・・という形になっている点にも問題があるのだろう。企画と異なる結果が出たときに「じゃあ、結果が違ったという路線に変更しましょう」と決断できない構造になっている。
現状で不具合が出たときに後戻りできないシステム、ボトムアップのないシステムは早かれ遅かれ瓦解する。
大学センター入試の学内報告を読むと、「香水による席移動」というのが一件あったそうだ。カラマーゾフ読書は第三部に入る。読んだ人は分かると思うが、いま、強烈な臭いに包まれているところ。
講義に卒論指導。いつもながら、卒論の考察を見ながら途中でデータを見直し始めてしまうので、時間がかかる。
近くの本屋でレンタル落ちの「向田邦子×久世光彦」ドラマシリーズを安く売っていたので買い求める。桃井かおり・松田優作主演の「春が来た」。
母親役の加藤治子が、娘の連れてきた若い男に対して、ねじを巻き戻すように華やいでいくさまを好演している。あとで気づいたが、この母親の53才という年齢設定は、放映時にはすでに故人だった向田邦子と同い年だった。
父親は三国連太郎で、戦争で兵隊に行っていた世代、という役どころ。この父親が、娘に近づいてきた青年に見栄を張るように、なけなしのインテリ知識で「陋巷に窮死」と言い、ロートレックの話を披露する。ロウコウニキュウシ、というのたくった音をもてあますように何度も繰り返させるところが、「眠る盃」を思わせる。
1982年の元旦放映。こんなに苦く襞の深いドラマを、よく正月早々やっていたものだ。
昨日の試験問題に出た堀江敏幸の『送り火』所収の本は書店になく、代わりに文庫になっていた『いつか王子駅で』を求める。
競走馬が走り出し、あたかも骨と皮を失ったはずの膠が植物成分を吸い上げて黒々とした墨へと練り上げられていくように、その馬の来歴の記述が体躯にみなぎって、まるで墨を磨るように現在の所作が匂い立ち、ことばはコーナーから直線を駆け抜けていく。人や事物の由来にぐっと記述を傾けて、それを鞭に所作を加速させていくリズムは、この作者独特のものだ。
いつもはカフェイン摂取のためにがぶがぶ飲んでいるコーヒーの味が、終わりの場面を読んでいるうちにふと濃くなって、舌がいくつものパーツに分かれていくような気がする。そのとき突然、小説のタイトルが「いつか王子様が」をもじっていることに気づいて、疾走感の底に伏流している、「待つ」ことの濃さと苦さが起ち上がってくる。
一日、大学センター入試の監督。
試験が始まるたびに監督マニュアルに従って「机に置いてよいものは、H、F、HBの黒鉛筆、消しゴム、鉛筆削り、時計・・・」と繰り返し、「○○しない場合は不正と見なします」と恫喝じみた注意を唱えていると、気持ちが乾いてくる。鉛筆の落ちる音がからからと響いただけで、もう砂漠でオアシスにあったように駆け寄って、うやうやしく拾い上げて机の上に置くと、受験生が微かに頭を下げる。それだけでも、ずいぶん人間らしいことをした気になるのだが、それも一時間のうちに一度あるかないかで、大部分の時間は、一心にマークをつけている彼らを探照灯のようにスキャンしながら、頭の中ではあれこれと考えを飛ばしている。
本や論文を持ち込むなどもってのほか、唯一、監督者として許されている読書は、問題文を読むことだ。
今年の国語の問題文は、試験会場に居ながら、ほうっと息をつくような文章だった。現代文の二問目は堀江敏幸の「送り火」で、それは、絹代さんと言う女性が年老いた母親と暮らす古い民家の二十畳の部屋を、書道教室を開きたいという男性にふとしたきっかけで貸す話だった。
しかし、とりわけ絹代さんを惹きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂いだった。子どもたちはみな既成の墨汁を使っており、時間をかけて墨を磨るのは陽平先生だけだったけれど、七、八人の子どもが何枚も下書きし、よさそうなものを脇にひろげた新聞紙のうえで乾かしていると、夏場はともかく、窓を閉め切った冬場などは乾いた墨と湿った墨が微妙に混じりあり、甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂いがつよくなり、絹代さんの記憶を過去に引き戻した。
(『送り火』堀江敏幸)
それを読みながら、ぼくはぼくで、小学校の頃、元国語教師だった母の磨った墨で、新聞紙に何枚も字を書かされたときの、墨の匂いを思い出す。それは湿った新聞紙のパルプとインクの匂いと混じって、工作用の紙粘土に水を加えたときにも似た、鼻で嗅いでいるのに手にへばりつくような感覚だった。
小説の中で絹代さんは、その墨の匂いからなぜか、かつて自宅で飼われていた蚕のこと、白い鹿革のようなその表面のグロテスクな手触りと絹糸とのへだたりを思い出している。
そしてぼくもまた、かつて桑の葉につく蛾の幼虫を調べるために通った養蚕試験場で聞いた、大量の蚕が葉を食むかさかさという音を思い出す。一匹一匹ではコンタクトマイクでも付けなければ感知できない音なのだが、ずらりと並んだ蚕棚の中で、何千匹もの食事の音が重なると、互いが互いの音の輪郭をあいまいにして、あたかも巨大な生き物の食事が反響しているかのように聞こえる。とてもこの世のものとは思えなかった。
そしてこの記憶が、じつは、この教室の高い天井から跳ね返ってくる響き、H、F、HBの鉛筆によってマークが塗られていくかすかな音どもの反響とうり二つであることに気づいて、紙を擦ることと植物の繊維を食むことの意外な近さに驚いてしまう。
絹代さんという名前が絹糸と結びつく。そういえば『河岸忘日抄』の枕木さんの名前は、sleeperと結びついていた。この作家の小説をもっと読みたくなった。
陽平さんにそれを話すと、墨はね、松を燃やして出てきたすすや、油を燃やしたあとのすすを、膠であわせたものでしょう、膠っていうやつが、ほら、もう、生き物の骨と皮の、うわずみだから、絹代さんが感じたことは、そのとおり、ただしい、と思いますよ、と真剣な顔で言うのだった。生きた文字は、その死んだものから、エネルギーをちょうだいしてる。重油とおなじ、深くて、怖い、厳しい連鎖だね。
(『送り火』堀江敏幸)
机に向かう受験生を見渡しながら考えるにはあまりに生々しいその生き物のうわずみのイメージにぼうっとしながら、さらに古文の問題を読み進めると、問題作成者たちの微妙な配慮なのだろうか、これまた墨の話なのだ。
『兵部卿物語』という、聞き覚えのないその話は、主人公の兵部卿の宮とかつての恋人との話だという。その恋人は兵部卿の前から姿を消し(それがどのような理由であったかは問題には書かれていない)、按察使の君と名乗り、右大臣の姫君の女房として出仕する。ところがそうとは知らない兵部卿は、周囲の勧めに従って右大臣の姫君と結婚してしまう。
按察使の君は、主人があまりに昔の恋人に似ているので、ある日たまらなくなって侍従に尋ねるとまさにその人だと知る。もう自分は居ない者として忘れ去られようとしていたのに、今さら会うのも苦しいと思って過ごしていたある日、姫君とあれこれ紙に書いて遊びに興じる。
姫君は寄り臥し、御手習ひ、絵など書きすさみ給うて、按察使の君にもその同じ紙に書かせ給ふ。さまざまの絵など書きすさみたる中に、籬(ませ)に菊など書き給うて、「これはいとわろしかし」とて、持たせ給へる筆にて墨をいと濃う塗らせ給へば、按察使の君、にほひやかにうち笑ひて、その傍らに、 初霜も置きあへぬものを白菊の早くもうつる色を見すらん と、いと小さく書き付け侍るを、姫君もほほ笑み給ひつつ御覧ず。 (『兵部卿物語』)
つまり、たわむれに描いた垣根に菊の絵を姫君が「これは出来が悪いわ」と濃く塗りつぶしてしまったので、按察使の君は笑って「まだ初霜もおりないのに、白菊はこんなにも早く色変わりしてしまうなんて」と歌に詠んだ、という話なのだが、先の『送り火』で、墨とは、生き物の骨と皮のうわずみで練り合わされたものだ、と読んでしまったのだから、これはまるで、按察使の君のかつての思いが成就することもなく濃い墨でべったりと塗られ、そこからうわずみの匂いが立ち上ってくるのを、自らが「にほひやかに」うち笑っているさまを思い浮かべなさい、と出題者が言っているようなものではないか。
ところが歌の解釈を問う問題の選択肢は、「描いた白菊を姫君がすぐに塗りつぶしてしまったことに対して、『初霜もまだ降りないのに、どうして白菊は色変わりしているのだろうか』と、当意即妙に詠んだ」とやけにそっけない。「当意即妙」なんてことばづかいは、按察使の君の過去に無頓着過ぎるではないか、とがっかりしてしまったのだが、そんな期待はずれももしかしたら、幻の墨の匂いの産物かもしれない。
あいかわらず教室にはさかさかと鉛筆が紙を擦る音が響いている。来年、この試験を受けて入ってきた新入生に、墨と鉛筆の話をしようかな、と思う。
学部の座談会。法人化以後の大学を考える、という、テーマ。
組織内の意思伝達の話をするのはどうも気が滅入る。
意思伝達の方法について話そうとすると、いきおい、「現在の意思伝達法はなぜ効率が悪いか」という話になる。しかし、そもそも、こうした話をどこにどう通せば効率がよくなるのかが、問題なのである。会議をなくすための会議、という構図だ。
卒論草稿の提出日とあって、次々と卒論生が相談に来る。
よしもとばなな『デッドエンドの思い出』。ひとつひとつの文の歯切れのよさ、クエストに立ち向かう勇者のように、小さな日常に対して凛としているところ。この人は、よい意味で、とても倫理的だな、と思う。だらしない自分にもその倫理の気持ちよさが感染して、見逃しかけている空気の色がわかりそうだ。
ラジオ 沼:346 乗っ取りの時間
カラマーゾフの途中にイルカを読む。
彦根へ。一日ゼミの日。
昼休みに上田君から絵解きの話を聞く。
東京へ。出版打ち合わせ。いろいろとアイディア出しをする。キーワードはなぜか「努力」と「時間」であった。失敗を味わうには時間がかかる。教育を考えるには、ゆとりか詰め込みか、ではなく、失敗を味わうような時間のかけ方について考えなければならぬ、という話。
米原着の最終を逃したので、京都へ。こだまとのぞみとの間にダイヤ格差があるせいで、東京側にある米原よりも京都のほうが新幹線の最終が遅いのである。
地下鉄を降りて部屋に行く途中に、昔よく通った飲み屋があったのでふらっと入る。十年ぶりだったが、スコッチの種類がとんでもなく増えていたほかは、雰囲気にほとんど変わりがなかった。主人は少し年をとったなと思うが、そう思う自分も、同じくらい年を取って見えるに違いない。
昔来ていた頃よりずっとなめらかに話が弾んで、それもやはり年を取ったせいだなと思う。
会議に卒論指導。なんやかや言っても、データを見ながら思いつきをあれこれしゃべるのは嫌いではない。〆切間際に、そんな思いつきを聞かされる卒論生は良い迷惑かもしれないが。
夜中近く、本屋に行ったら、アメヤさんから薦められた、よしもとばなな『イルカ』があった。そのまま珈琲館に入って読み切る。
講義を終え、卒論指導を切り上げて京都へ。コミュニケーションの自然誌研究会は定延さんの発表。「表す」ではなく「する」コミュニケーションについての話。いつもながら、秀逸な例が連発される。
なぜかノートに書き留めてあった妄言。
道具とは,環境に希薄に分布している機能を焦点化したものである
人はなぜ、りきみなどの奇妙な現象によって、ある体験を「演じる」のか? ある種の音韻変化は、聞く者のミラーニューロンを作動させ、話し手の体験時に湧いたであろう情動を、聞く者に励起させるのではないか。うんぬん。
飲み屋で会の続きをやってると、サカネさんからメールが入る。なぜか「チェーホフ」の固有名詞。
自転車を盗られて以来、京都では徒歩で移動していたのだが、あまりに移動が面倒なので、近所の自転車屋で中古を買う。
論文添削の返事を書き上げて、アパートを出て自転車で北大路駅まで飛ばす。四条烏丸で降りて京都芸術センターの「動物の演劇」へ。しかしなんとしたことか、満員で入れない。こんなことなら予約しておくのだった。
しょうがないので「三条へいかなくちゃ」(c)高田渡 と、イノダコーヒーにふらふら歩いていくと、ここも満員。カフェインを渇望していたので、近くのカフェに入ったが、数人の若者と相席になり、ぬるいガンヲタ話がいやでも漏れ聞こえてきて、ちゃぶ台をひっくり返したくなるが、あいにく打ち付けのテーブルだったので、がぶがぶとコーヒーを飲んで出る。
町屋風の新しい店を通り過ぎるたびに、なんだ、こんなツルツルの街、という感想が湧いて、これは早い話が八つ当たりなので、とっとと地下鉄駅に駆け込む。
部屋に戻る途中で、中古レコードを買う。いずれも数カ所針飛びのするのが難点だが、内容は素晴らしいステレオ・サウンド。
左は宮城まり子ナレーションのステレオチェック用レコードで、「引き潮」に始まるA面の選曲がとくにすばらしい。
中央は、フランク永井。リズム歌謡「イエス・ノー」、浪花千栄子のナレーションが入る大阪もの「水のように」を始め名曲揃い。
左は、A面大橋節夫、B面鶴岡正義による「うたごえ喫茶」風インストラメンタル。以前から大橋節夫の北方ものの演奏は好きだったが、このレコードでさらに愛着が湧いた。バラライカとエレクトーンを用いた鶴岡正義のB面の編曲があまりに大胆で椅子から転げ落ちそうになる。この頃のエレクトーンはいかにも「電子楽器」の音がしていいなあ。
卒論読みをするうちに、夕方となる。京都へ。
村松さんが部屋を見に来る。
九月にこの部屋を借りるのが決まった後、チェルフィッチュの舞台を見て、ふと小山田さんに改装を頼もうかなと思った。そのときに、村松さんにちょっと相談したら、あっという間に話が進んだのだった。つまり村松さんは一種の恩人である。であるわりには、改装が進んでいたのにずいぶんと連絡もさしあげなかった。
恩知らずを棚に上げて、部屋を披露する。黒板を見た村松さんは、「この名前は、もしかしてあの兄弟?」と言う。黒板にはカラマーゾフの兄弟の名前を書き付けてあった。固有名詞がさっぱり覚えられないので、それをちらちら見ながら読んでいるところだった。そんなカラマーゾフを村松さんは二十歳の頃に読んでがーんと来たそうである。二十歳でカラマーゾフショックを受ける人生と、四十を半ばも過ぎてからいまさらカラマーゾフを読んでいる人生とはずいぶん違うのではないか。村松さんの書いた、老夫婦の聞き書きの話を聞きながら、彼女の聞き手としての態度もカラマーゾフショックの残響なのかしらんと思う。ミーチャ、イワン、アリョーシャ、黒板の名前はまだ呪文のように見える。
夜半過ぎ、サカネさんと吉田くんが来て、部屋にあったレコードをあれこれかける。またレコードを買い足したくなってきた。
質的心理学のバフチン特集にいっちょ投稿してやろうかと思うのだが、そのためにはドストエフスキーを読まねばならない。いや、別に読まなくてもいいのかもしれないが、どうもバフチンを論じた文章に出てくる「多声」とか「未完」といった術語をなぞろうとすると、とっかかりがなくてアイディアが浮かばなくて、それはぼくがドストエフスキーをほとんど読んでいないせいなのかもしれないと思うのだ。
読んだことがないのには、これといった理由もなく、二十歳ごろから、なんだか小説一般を読むという熱がさあっと失せてそれきりになり、普通の人なら当然読んでいそうなスタンダードを悉く読み逃しているだけのことだ。
本屋に行くと、周回遅れのぼくのような者に、まるでジャンジャンと合図を送るかのように、『カラマーゾフの兄弟』の新訳が文庫で出ていて、つい手に取ってしまった。読み始めると思いの外つるつると頭に入ってくる。
一日ゼミの日。合間にカリキュラム編成。
なぜか夜中過ぎに、手近にあった「紳士は金髪がお好き」を見てしまう。
前日に同じ。
講義会議その他。多忙なり。
休日なれど一日卒論指導。卒論生それぞれのビデオクリップを見ているうちにだんだん目がしょぼしょぼしてくる。夜、手袋なしで自転車を走らせていると、あっという間に手がしびれてくる。冬来たりなば。
景色に関する語には、しばしば「光」の字が入っている。光景、観光、風光明媚、などなど。いっぽう、「風」の字もまたよく使われる。風景、風土、風光明媚、などなど。さて、これら「光」や「風」は、漢字のどのようなイメージから生じて、なぜ景観を表現することばとして使われるのか。そこにはどのような違いがあるのか。
困ったときは白川靜「字通」を読む。と、「光」については次のようにあった。
人の頭上に火光をしるし、火を掌る人を示す。(中略)光栄・光烈の意に用いている。
つまり、光を掲げることによる栄誉の意味があり、そこから文物の美の意が生じているらしいことがわかる。
おもしろいのは語系の説明。映像に関するさまざまな語が、中国語では同じ系列で発音されるらしい。
光kuang、晃・煌huangは声義近く、晃・煌は光の状態をいう。景・鏡(鏡)kyang、影yang、曠khuangも、みなこの系列に属し、光景・光耀に関する語である。
つまり、中国語の発音を介すると、発光体のみならず、反射や映像も想起の対象になっていくというわけだ。光学系声義とでも言おうか。
光を用いた語としては、
光景:日のひかり。時。李白:光景、人を待たず 須ゆにして髪、糸を成す。
光風:雨後のさわやかな風。
光儀:美しい容儀。
光彩:美しい色どり。
などがあがっている。発光もしくは発光体を伴ったものの美を指す語が多いなかで、光景というのが、もともとは日光を表し、転じて時を表していることが目を引く。おそらく、光景には、うつろいやすさの含意があり、その変化が「時」の概念へと転じている、ということなのだろう。
光がうつろいやすいものならば、風はもっとうつろうのではないか。
と思って、今度は字通の「風」の項を開くと、漢字の世界における「風」は、うつろいとは全く正反対のイメージを持っていた。
風は風神として、鳥形の神とされた。風神がその地に風行して風気・風土をなし、人がその気を承けて風俗・気風・風格をなす。さらに風情・風教のように、その語義は幅広いものになった。
つまり、風神は、土地を渡り、土地を造形する神であり、「風」という語は、気象の不安定さよりも、むしろ、土地や人を造形する力を想起させる。
こうして字通の記述を手がかりにすると、光景と風景の違いが、光と風の違いと結びついてくる。前者は火に照らし出されるもので、後者は風に形作られるものである。「光景」が照らし出されつつある短時間の光学的現象を指すのに対し、「風景」は長い時間をかけて造られた形に焦点をあてる、とでも言おうか。あるいは妄言をたくましくしてこう言えるかもしれない。前者は記憶と認知に関わるものであり、後者は環境に関わるものである、と。
ローライの投射板を、磨り硝子の肌理のもたらす反射性の充満と、それがファインダというかりそめの場所でとらえられていることとの、折り重なりとして考えてみる。それは「光景」的である。
外は嵐めいてきた。昼は原稿を書き、夜はビデオを見る。
硫黄島二作のヒットのせいなのか、クリント・イーストウッドのDVDが軒並み安くなっていた。
まずは見逃していた「許されざる者」。人を殺すことの暗い興奮と、それを経験すればするほど呪われていく生が、ていねいに描かれている。悪に耐え抜いてから印籠のように銃を撃つのではない。呪われた酒を口にし、呪われた世界に踏み入れるようにゆっくりと銃を構える、人殺しの宿命。
「許されざる者」「ミスティック・リバー」「ミリオン・ダラー・ベイビー」と並べてみると、もうはっきりするが、「硫黄島の手紙」もまた、人を殺すという宿命を負わされること、それによってもたらされるこの世からの疎外についての物語である。少なくともそれは、忠君愛国の物語ではない。アメリカに滞在中にパーティーで交わした銃をめぐる奇妙な会話によって、(映画の中の)栗林中尉は、人殺しの宿命を自ら言い当てようとしている。
人は人を殺すことによって、たとえ自分が死なずとも、この世からあの世に半ば押し出される。黒い洞穴に大量の火をぶちこむことも、狭い覗き窓から照準を合わせることも、表現の違いはあれ、どす黒い宿命であり、少なくともクリント・イーストウッドは(そしてアメリカは)いま、このような黒い宿命を描くことを必要としている。
片方だけ見た人は二作とも見ましょうね。
DVDで「コープス・ブライド」。「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」は何度も見たのだが、そのイメージが壊れるのではないかと思って、じつは長いこと見あぐねていた。
お話は、いかにもティム・バートン好みの死者の世界の復活。「ナイトメア・・・」に比べて、もう怖いほど動きがなめらかで、最初は何度も「もしかしてCG?」と思うほどだった。デジタルビデオカメラを用いた動画チェックの導入によって、技術的な失敗とコマの跳躍が避けられているのだろう。もう少しぎくしゃくしていたほうが好みなのだが、ともあれこのストップ・モーション・アニメーションの技術革新ぶりには感嘆せざるをえなかった。ひっくり返る犬の骨の表現、音効も含めて頭から汁が出た。
もうひとつ、死者の世界の音楽を聞いて、ダニー・エルフマンがどれだけキャブ・キャロウェイから多くを汲み取っているか、改めてわかった。ベティ・ブープの昔から、アニメーションはキャブズの音楽からあの世の空気を掬っているのだ。
小山田さんと毛受さんが別の部屋の内装に来ていた。休憩がてらお茶にお誘いして、ローライやラルティーグを見ながらあれこれ話す。
小山田さんは、浅草でやった滝田ゆうの「しあわせのしわよせ」展で、カメラ・オブスキュラを使ったワークショップをやっているのだが、このときに使ったスクリーンは、百均で売っているプラスチックの不透明ファイルだったんだそうだ。「くもり硝子に映すとつぶつぶ感が出ていいんですよね」と小山田さん。
雲行きがあやしくなってくる。彦根に戻る。またトマト鍋を作る。
ゆうこさんとジクソーパズルを組む。ジグソーパズルには、どこか、輪郭の認知を狂わせるおもしろさがある。色の為す輪郭と線の為す輪郭とが、ピースの輪郭によって分断されている。分断をつなぐことで、改めて色と線が発見される。いまやっているのはThe Peanutsのイラストなのだが、細部の線に目が行って、ああ、チャールズ・シュルツはこんなところまでぐにゃぐにゃした線を届かせていたのかと思う。
朝は日が射すが、午後は曇天、ときどき小雨。
ローライフレックスのシャッターをなかなか押せずにいる。ファインダに映った映像があまりに美しいので、ついそこで満足してしまう。こんな感覚は、Tokioscopeを手に入れたとき以来だ。
ローライフレックスのファインダは、投射板となっていて、これを覗くのがめっぽう楽しい。磨り硝子に映像が映りこむと、景色が物質化したような質感が生じる。磨り硝子の細かな粒子ひとつひとつが、さしこんでくる光の強弱に合わせて輝き、微弱な景物の発光体となる。まさしく「光景」。
曇天には曇天の光がある。
ローライフレックスのファインダ映像はガラスに投射される。それは、内部で鏡によって反射されているという点では反射だが、ガラス面に映っているのはその投射である。そのファインダに映る像は左右がさかさまなので、構えをずらそうとするとつい逆に動かしてしまう。
Rolleiflexのロゴ。Rとxのゆりかごで、olleifleが揺らされている。発売当時、二つの「l」の音は(あたかも「ロリータ」のように)唱える者の心を捉えたのではないか。
あまり急いで知りたくないと思いながらも、検索を続ける心止まず。
ローライフレックスの非公式サイトには、歴代のローライ図像やマニュアルがおいてあるだけでなく、製品番号から型番を知ることができ、とても充実している。
製品番号を確認してみたところ、ぼくが譲ってもらったのは、1937年から1939年に発売されたRolleiflex Automat 1 であることが分かった。戦前の由緒正しいものだったわけだ。
戦前・戦後のローライのレンズにはカール・ツァイスのレンズが用いられていることが多い。ツァイス社は、戦中のナチズム協力から、戦後の東西解体を経て、とても複雑な歴史を負っている(この件については、むかし日記に書いたのでそちらを参照)。そのせいで、戦前のものにはCarl Zeiss Jenaの字が入っているが、戦後のものは、オーバーコーヘンに移行した西側の社名であるOptonの字が記されている。
ローライフレックスの胴体は、もともとステレオカメラから発案されたことは、ステレオ愛好者のあいだでよく口にされる。とは言うものの、じっさいにカメラを持ってみると、そんなことがあったとはちょっと想像しにくい。イタリアのクラシックカメラ愛好家のページにハイデッケの開発した「ハイドスコープ」というステレオカメラの図像が収められているが、三ツ目の真ん中がファインダ用のレンズになっていて、これの上に反射型のファインダがのっかった格好になっている。
夜半を過ぎて、吉本ばなな「哀しい予感」を読む。漱石を除くと、よほどのことがない限り小説は読まない。小説を読むとどこか構えてしまって、うまく波長が合わない。今夜はごく無防備な気がして、本屋でひょいと文庫本を取り上げて、そのまま家で読んでしまった。いい小説で、背骨がしゃんとするようだった。そのままソファで寝てしまったけれど。
前川修さんが来訪。ステレオカードやらヴュワーやらをお貸しする。テーブルにヴューマスターのリールを広げてあれこれ試していると自然とステレオと心霊談義になり、あれこれ話す。「霊はとびとびにやってくる」というフレーズを思いつく。ついでに「エレベーターはとびとびに開く」というのも思いつく。
話のひとつ。ゾンビの歩き方、キョンシーの飛び方、霊の現れ方の怖さは、いずれもその離散性にある。1から1.1,1.2...を経由してじりじりと2になるのではない。1から2への思いがけない飛躍が人を驚かせる。
なめらかさが重んじられるこの世界で、離散的な歩行を行う者はオバケとなる。かつてのアニメーションは離散的であり、総じてオバケの世界であった。そこに、連続性を体現する歩みで登場したのがキャブ・キャロウェイで、ベティ・ブープ作品の中のキャブ・キャロウェイは、あたかも離散世界の中の逆オバケである。などなど
前川さんに教えて貰ったラルティーグの100枚写真を入手した。以前、パリの展覧会でもステレオ写真はなぜかカタログから除かれていたので、じっくり見ることができるのはとてもうれしい。ラルティーグのステレオ写真のおもしろさについては、吉村信氏が共著「ステレオ」で触れている。パリで見たラルティーグのステレオ写真についての考察は、2003年9月15日の拙日記を参照。そのときに作った、ラルティーグ・ステレオ俳句を二句。
跳ぶほどに遠のく影を閉じこめよ
この姿 水鏡より遠くあれ
そのうちサカネさんも来て、さらに湯豆腐。ローライフレックスのファインダを見せてもらったら、まるでテレビ石みたいですっかり見入ってしまう。カメラマンのサカネさんはローライを三台も持っていて、「売りますよ」と言う。酒の勢いもありその場で買って持って帰ってしまった。
どんより曇った夕暮れどきを散歩していたら、向こうから両脇に蒲団を抱えた男がふらふらと歩いてくるので、いったいどうしたのだろうと思ってよく見たら山本さんだった。イズミヤで蒲団を買って歩いているうちにアパートに行く道が分からなくなったのだという。
蒲団を下げて、いっしょに川沿いの道を歩く。部屋に入ったら流しに蓋の開いてない缶ビールが並んでいるのを見て「わ、これ開いてないんだ」といったのだが、なんとなく催促したみたいな感じになり、しばしビール談義。CBGBの話やら、ファドハウスを流し歩く歌手のように、あちこちのライブハウスを流す歌手というのは日本にいるのだろうか、というような話をする。
彦根に戻る。年末食い損ねていたトマト鍋を作る。DVDで買ってきた「銀河鉄道の夜」を見る。
吉岡くん夫妻と旧交を温める。認知症の人の周辺で発生する金銭トラブルについても、あれこれと世間の仕組みを聞く。「この人には(金銭管理に関する)責任能力があるか」という問いには、明快な答えがあるわけではなく、いくつかの状況の組み合わせによって、周辺の人々(弁護士を含む)と役所の人々との関係によって決まるらしい。なるほど。
京都の部屋に行ったら、新しいソファも入ってすっかり出来上がっていた。前にはなかった棚やコンセントもさりげなく付け加えられていて、行き届いた仕上がり。椅子に座ってさて、どうやって住み為していこうかと思い、気がついたらDVDでブルース・ブラザーズを見て、メイキング・オブ・ブルース・ブラザーズを見て、ブルース・ブラザーズ特典映像を見ていた。25th Anniversary editionということで、やたら特典映像が多い。
思えば、映画公開の前、レコード屋でかかっていたBBの「Made in America」のあまりのかっこよさに三条の十字屋で衝動買いをしたのだった。そのとき買ったもう一枚は確か、ジャイムズ・ブラッド・ウルマーの「Are You Glad To Be In America?」だった。確か、ウルマーの曲がZABOでかかってたのを聞いて、是が非でも買おうと思ってレコード屋に飛び込んだのだった。あれから、もう25年以上たつとはなあ。
ジョン・ベルーシ、キャブ・キャロウェイ、ジョン・リー・フッカー、レイ・チャールズ、おまけにJBも亡くなり、いよいよ故人だらけの映画ではある。キャブ・キャロウェイは往年の摩訶不思議なステップを披露したあとに芝居気たっぷりにBBを紹介するという、なんとも味のある役どころを演じているのだが、メイキングによると、彼はほんとうはディスコ調を交えた最新型の自分を演じたかったらしい。
トンネルに入るたび数を唱える子
姪と甥が5人。にぎわしい実家の正月。甥は前に会ったときに作った「おへそだらけだねー」という歌を覚えていた。コドモの記憶は恐ろしい。歌の記憶のせいなのか、だっこにおんぶと、やけになつかれる。
だっこして歩きながら、ぶぶぶー、と口で屁を唱えながらくずおれると、甥が異様に興奮する。オナラねたはコドモに強い。そしてこの遊びは腰にくる。
二人の姪のリクエストに応えてそれぞれ「でこぴんの歌」と「ゲジマユの歌」をでたらめに歌う。おおよそ
マユとマユをつなぐ、わたしのゲジマユ
マユをたどってたどりつく、あなたのマユ
マユを歩け、ゲジゲジどこまでも
タクシーは高いから
でこがぴんと照りゃ昨日今日
そして明日
太陽の光はどこまで届く?
冥王星は矮惑星
というような他愛ない歌だったのだが、姪たちは床を転げ回って笑う。
ヒトに歌を歌ってこんなにうけたのは初めてだ。