残りの採点二科目分をやっつける。コミュニケーション論の「隣接ペアの入れ子構造と四分連鎖」に関するレポート、好内容続出。こういうレポートは1回生と3回生で格段に内容の質が変わる。18から20にかけて、会話に対する感性はぐっと成長している。
たとえば、「今日ヒマ?」と「もう昼食べた?」は、じつは両方とも四分連鎖を呼び込む力を持っていて、どちらも入れ子構造に逃げることができるのだが、後者の方が「ビミョウに入れ子構造にもっていきにくい」というスルドイ指摘があった。
つまり、「今日ヒマ?」に対しては「うん?なに?」と、とりあえず質問の意図を先に聞くことができるのだが(つまり入れ子構造に逃げることができるのだが)、「もう昼たべた?」だと、質問内容が具体的なので、つい「うん、食べた」とか「いや、まだ」とか答えてしまう、というわけだ。
レポートを採点しながら、答案に会話分析のアイディアを書き込んでいく。これは帰ってから考えることにする。
全部つけ終わったら朝の三時。あと二時間で、とりあえず風呂に入ってそれからパッキング。
散髪やら旅の買い物やらチケットの確認やら細々とした用事をこなしただけなのだが、なぜか一日経ってしまう。旅前で気がそぞろ、ということなんだろう。
ポーランド語のカセットをダビングして合間に日本語をはさみ、日本語-ポーランド語対応のトラックを作る。あまりこれまで体験したことのない言語なので、単語の連想がうまくいかなくて困る。とりあえずデスクトップもポーランド会話にして目にもなじませる。
あいかわらずロリータをぼちぼち読んでいる。日に10ページくらいしか進まない。ようやくCharlotteが死んだとこまで。旅に出たら移動時間にいやっちゅうほど読めると思うのだが。
夕方にものすごい夕立。あちこちの軒や屋根付きの停留所に若い人たちが雨宿りしている。ぼくも途中で歩くのをあきらめて軒に逃げ込んだ。
ところがそのどしゃぶりの中を、傘もささずに自転車を漕ぐ人が一人、歩く人が一人、いずれも老人だった。
あの、妥協のなさはなんだろう。
昔、サンダカン近くのセピロクの森でコフキオオメトンボ Zyxsomma obtusum を見ていたとき、やはりスコールが降り始めた。防水加工のフィールドノートを持っていたのはよかったが、あいにく傘がなかった。トンボがいなくなったら観察をうち切ろうと思ったのだが、どしゃぶりの中でオスは池の上をパトロール飛行し続ける。よく雨粒が当たって落ちないものだと感心したが、トンボのほうが飛んでいる以上はこちらもやめるわけにはいかない。
ものの2,3分で服はこれ以上水を含めないほどぐしょ濡れになった。もう、どこまで濡れようが同じことだった。眉から、鼻から、ざばざば雨が落ちて、飲むつもりがなくとも口の中に水が入ってきた。まるで目を開けて荒波の中を泳いでいるようだった。
いつも通りなら、しばらくすればトンボは池からいなくなるはずだった。それまでの観察では、このコフキオオメトンボは日の出前後と日没前後のごく限られた時間に出現するのが常だった。コフキと呼ばれるだけあってその翅は黄昏の森の中でも粉をふいたように白く浮き上がり、それがヤンマのような素早さで池面近くを、低く、何度も巡る。朝はどの種のトンボよりも早く池に現れ、夕方はいちばん遅くまで飛び続ける。おそらく、その白さは、薄明の中で体を目立たせるための色なのだろう。
けれど、雨に打たれて体温が奪われていくせいか、あてにならぬ幽霊と付き会い続けているような、気弱な気持ちになってくる。たとえば、降雨時に限ってずっと遅くまで飛び続けたらどうするか。ずっと立ち続けなければならないとしたらどうするか。視界はおそろしく悪くなっているが、それでもちらちらと白いのが飛んでいくのが見える。かじかむ手で、ノートを仰ぐようにして雨をよけながら、時刻と飛翔コースを書き加えていく。とはいえ、それがちゃんと字や記号になっているのかどうか、自分でもほとんどわからない。書くという作業があることだけが頼りだった。
降り出してから20分、最後の一匹は、ついと上がって木立の中に消えると、もう出てこなかった。いつもの時刻だった。それからすぐに雨はあがった。
熱帯では、日が落ちてから暗くなるまでが早い。雲が残っているのでなおさら暗かった。足下がほのかに見えるうちに、いつもの小道を抜けて、白熱ランプの下で店じまいしかけているカンチン(雑貨屋)の角をまがり、そそくさと宿に帰って、まっさきに服を脱いで体を拭いた。そのときのタオルの温もりは忘れられない。
さっきずぶ濡れになりながら自転車で通り過ぎた老人を見て思い出したのは、ずぶ濡れになった自分ではなくて、その、トンボの方だった。
午前中、パノラマのレジュメをさっとまとめて、午後、大阪の乃村工藝社で博覧会史研究会。寺下さんの博覧会コレクションをあれこれ見るうちに、「ランカイ屋一代」の記述では得心がいかなかった大大阪博のパノラマ館と「二十七大阪」の中身が一気にわかってしまう。すごい。
さらに寺下さんがまとめられた明治から現代にいたる博覧会盛衰のグラフを見るうちに、パノラマの盛衰と博覧会の関係がぱっとわかった(気になった)。
その後、ぼくのパノラマ精神史、橋爪さんのイルミネーション論と続く。イルミネーションと透かし絵葉書の関係についてあれこれ考えるところあり。橋爪さんの指摘で、ときどき手に入る、金色がまぶしてある絵葉書が、イルミネーションの表現だったと気づく。
清水章さんがもうすぐ出されるという装飾屋に関する本の原稿コピーを見せていただく。イラストから文字まで全部手書き。うわあ。
鳥料理やで鳥をもうええっちゅうくらい食って解散。2時間かけて彦根に着く頃には、すっかり酔いがさめていた。自転車で家に向かう途中、Cafe Hushがまだ開いてたので、スコッチ二杯。やけに旨い。しかも劇的に安い。種類も豊富。これなら酒飲みがどんどん来るんじゃない?と聞くと、意外にも少ないらしい。道交法改正とワールドカップで、6,7月もさほど売り上げが伸びなかったとのこと。この店を素通りするなんて、彦根の人々はどうかしてるんじゃないか。徒歩圏内にあったら毎日通いたいところだ。
これまで京都や大阪からの帰りは南彦根駅で降りていたのだが、Hushをあてに彦根で降りるかな。
高橋さんが来て、ようやくAIBOが通信可能な状態になる。しかしここまでなんと手間のかかったことか。世のAIBOの飼い主のみなさんはこんな難関をくぐり抜けて通信操作をしているのだろうか。
独立で廊下を歩かせながら、コンピューター上でカメラアイの画像を見ていると、なんかマーズ・パス・ファインダーを操作してるような感じ。いくつか実験のプランを話し合う。
ポーランド行きを前に少しポーランド語を覚える。これはいままででいちばんきついかも。
このまま秋なのか。
昔、スイスのスーパーで置き時計を買った。プラスチックの安物だが、胴体の曲線が妙に変わっていて気に入っていた。が、中で部品がはずれたのか、いつからかごとごと言うようになった。こうなるといつ狂うともわからないし、電池が切れたのを境にしばらく使わないでいた。
で、押入を整理していたらそれが出てきた。振るとごとごと言う。ああやっぱりごとごとだ、と確認してそのまま仕舞ってもよかったが、せっかく取り出したのでもう少しつきあってみる。
時計盤がはずれている様子もない。試しにそばにあった電池を入れると、針の動きには問題ないように見える。では、このごとごとは何の音か。
ドライバで裏ぶたをはずして中を見てみた。底に四角い砥石のようなものがころんと転がっていた。これだ。取り出してみると、「砥石のような」どころか、それはただの石だった。一面には接着剤のあと。胴体の底の接着剤のあととぴったり合う。
つまりこの石は、変わった形をした時計のバランスをとるために、おもりとして底に貼り付けてあったというわけだ。接着をよくするためか、きちんと直方体に切られていて、しかも二面がつるつるにしてある。
時計をわざわざかさばる形にして、しかもその不自然な形を安定させるべく石を入れる。短小軽量をたっとぶ日本では考えられないデザインだ。
そのおもりの石を抜いて、裏ぶたを閉め、時計を立たせてみる。震度2くらいで倒れそうだが、棚に置かなければだいじょうぶだろう。せっかくなので、石を並べて机上に置く。箱抜けした引田天功のようだ。
部屋に山積していたCDの中から、「もうこれは聴くまい」と思われるものを中古屋に持っていく。だいぶ棚が空いた。アズテック・カメラもオレンジ・ジュースもバケット・ヘッドもクロームも売り、我ながらずいぶん思い切ったものだと思って棚を見上げると、なぜかシブがき隊「エキゾチック」が残っている。
夜、レンタルで「シュリ」。銃器の扱いが手堅く、そして銃の音が硬い。日本のが、ちゅいーん、もしくは、ばばばば、なのに対し、韓国のは、たんたんたんたん、もしくは、だかだかだかだか、という感じである。これも徴兵制のなせるリアリティか。
「JSA」を見た後だったせいか、ドラマとしてはいかにもステレオタイプに思えた。しかし、今見るとつくづく「シュリ」で予想されたのと全然違うワールド・カップになったのだなと思う。
二本の韓国映画から云々するのもなんだが、死体とか血ドバーとかが好きなんだろうか、韓国の人って。全体は豪華なんだが、人が死ぬところになると妙に香港やタイのB級新聞のテイストに近づく。ぼくは特にそういうテイストが好きなわけじゃないけど、「JSA」に出てくる、検屍室で裏返された死体の背中、あの平べったさはすごいと思った。
なんだ、もう秋の風だ。
久保田万太郎『春泥・三の酉』(講談社文芸文庫)。
関東大震災後、仕事にあぶれた役者たちが、向島のかわりようを確かめつつ、今後の身の振り方について語り合うところから始まる『春泥』は、これといった小説的盛り上がりもなく、登場人物たちが東京のあちこちを歩き、震災後のかわりようを嘆きながら行く末を思案をする、さながらロードムービー小説。
あてにしかけていた座長候補の若宮が自殺し、役者たちは谷中で供養をすませたあと、諏訪神社へ、そしていっそ田端めざして道灌山まで向かう。
それを上りつめたとき、三人は、省線電車の間断なく馳せちがう音響(ひびき)を却下に、田端へつゞく道灌山の、草の枯れた崖のうえに立った。 - 見渡すかぎりの、三河島から尾久へかけての渺茫とうちつづいた屋根々々の海。 - その中に帆柱のように林立する煙突の『新しい東京』の進展を物語るいさましい光景・・・」
中で印象的だった「トボン」という落魄の音。
明治に羽振りのよかった役者が、自分のご時世でないことを知り、酒にまかせてげっそりやつれて「トボンとした」。
仲見世で「名所焼き」というのを買うくだりがある。せんべいか何かに名所図絵の絵柄でも焼いていたのだろうか。
『三の酉』は、会話体で万事が進む。いかにも芝居がかったことば探り。吉原芸者(おいらんではない)の三の酉へのこだわり。
解説に引用されていた「小説全体が句の前書になっている」という指摘があまりにも的確。ロードムービーが句で落ちるというのは、「奥の細道」以来の伝統か。
人間大学の「女性俳人の系譜」で三橋鷹女。「夏痩せて嫌いなものは嫌いなり」
23日の集まり用に「ランカイ屋一代」のパノラマ記述をまとめる。
7年使ったTVモニタ、さすがに画面にむらが目立ってきたので買い換えることにする。ハングもしなければクラッシュもせず、猫に飛び乗られてもびくともせず、よくぞこれまで動いてくれたものだ。この家電の安定性に比べると、パソコンの弱さはほとんどクソである。
すぐ近くの中古屋から台車を借りてきて、そのモニタを乗せたとたん、地面のわずかな傾斜に台車が滑り、支える間もなく、モニタがブラウン管を下にしてアスファルトに倒れ込んでしまった。慎重に平たい場所を選んでそっと置けば防げたことだ。捨てられるモノに対する自分の配慮のなさを思い知る。
中古屋で電源につないでみるが、もはやスイッチは入らなかった。後味悪し。
新しいTVで「AI」。ジゴロが加わって俄然「オズの魔法使い」度が増した中盤までは楽しんだ。ナレーションが入って以降、ラストまでが3分ならもっと楽しめたと思う。
そのぼくにとってはよけいな終盤、砂糖菓子のような映像の中で行われる、ロボットによる人間の幽閉(としか思えない)を見ながら、ロボットがハンバートになる「ロリータ」(おおっ、見たい)や、ロボットがジャック・ニコルソンになる「シャイニング」(いかん、ターミネーターになってしまった)のことを想像する。
昨日つい買ってしまった荒井由実ベスト二枚組。「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルト・アワー」は中学から高校のときに死ぬほど聴いたのだが、それ以来、ここ二十年くらい自分で聴いたことがなかった。
で、CDのはっきりした音像で聴くと改めてナミダちょちょぎれる。「きっと言える」、ギターの海で揺らされてドラムの陸へ。ばすんばすん4つ打ち。地面の音だよ。ストンプってこういうことだよなあ。「雨の街を」のピアノの線が細くてリバーブがかかって、もう「悲しき天使」か?「She's like a rainbow」か?のごとくこの世の音じゃないの。最初の二枚のユーミンの声にだけある、ちょっとなげやりであきらめた感じ。細い母音に親密な子音、はすっぱな息にはエコーがかかって上昇気流に変わる。この頃の録音にはほんとにマジックがあるな。鈴木茂のいる夏。
夜、レンタルで「JSA」。男性の全員が徴兵に行く国で作られた映画だと思う。軍隊生活や銃器の扱いは、この国ではごく限られた人にとってのみ体験されているが、韓国男性にとってはノンフィクション。徴兵終えた人が見るとすごいしみるんだろうし、これから徴兵いく人はあとで既視感に襲われるんだろう。ギョンピルの、ユーモアと、ソンシクに代わって一発で相手を死にいたらしめるものすごさとに重なる北。
三月書房と丸善で少し本を買って実家へ。墓のことなど話す。
甥はいま10ヶ月ちょいで、まさに指さしの起こりかける時期。まだ発声は喃語以上一語未満だが、口の動きを見ているだけでもおもしろい。うまく声になるかどうかは別として、口唇は盛んにじたばたしている。
電車の友は昼に買ったペーパーバックの「Lolita」。ついペンギンの懇切丁寧解説つきAnnotated版を買ってしまったが、持ち運ぶにはかさばる。旅行用に細いのも買うかな。
「Lo」「li」「ta」という音。口蓋から歯へのロリータ口中三段跳び。口という極小の部屋での旅。部屋で話すのではなく、話すことで明らかになる部屋。世界を旅するのでなく、旅することで明らかになる世界。移動することがもたらす幽閉感。
近所に中古音盤・マンガ屋ができているのに気づいて覗いてみたら、数は少ないがわりといい品揃えだった。Beckがほとんどあった。誰かが大島弓子をまとめて手放したらしく(全集でも買ったのだろうか)、サンコミックス版などがずらり。一冊三百円。つい手が出そうになるが、考えてみたらぼくも全集持ってるんだった。
このこじんまりした店の品揃えは、何人の所蔵物から成っているのだろう。
琵琶湖線で「Ghost World」のD. Clow原作版を読み直すうちに、気分はさらにやさぐれていく。バズコックス鳴らしながら髪を緑色に染めかねないほど人嫌いエンジンに拍車がかかってしまう。いかんいかん、今日はパーティーだというのに。
地下鉄でエンジン冷まして、京都へ。はっ、手ぶらで来てしまったではないか。今日は送り火パーティーにお呼ばれしたのである。エンジンを妄言方向に軌道修正する。「投身はプレゼンである」とか「絵画を表現する三次元の言語が必要である」とか「印画紙に定着されるのが心霊写真で、デジカメの液晶に写るのは心霊である、ゆえに液晶では心霊は見えない」とか「AVのモザイクに心霊を見るようになったときに心霊のデジタル化は完成する」とか、写真研究の集まりということもあって、内容は図像妄言方面へ。どんな妄言を言っても、壁にずらり並んだアーネスト・サトウのオリジナルプリントにはねかえされる格好である。この雪の余白さったら。余白が影を浸食している格好である。
そのあと、佐藤さん宅で話は京都のジャズ喫茶ZABOの話や(彼は驚くべきことに中学のときにZABOの常連だったという)、ラフ・トレードやリー・ペリーの話など音楽妄言方面へ。猫のアントンは、次第に近寄ってきて、のどをなでさせてくれた。かわいすぎ。うちの猫にもこのフレンドリーさを見習わせたいものだ。