松田さんの提案で、今日からゴッフマンの「Frame analysis」を読もうということになる。
ゴッフマンの生きた時代には、「何がリアルか」という問いが「リアリティを構成している要因は何か」という問いへと変化した。アメリカではこのような問いは、心理学で言えばウィリアム・ジェームズによって、現象学でいえば、アルフレッド・シュッツの多元現実論によって為された。
シュッツは、この世がいくつもの現実の連鎖によって成り立っており、その境目には「Shock experience」がしばしば起こるという。
今月は実習で、ドアを開ける行動というのを綿密に分析するということをやっている。
すでに何に注目するかを決めたあとであれば、適当な長さの単位時間で区切って、起こった行動を数え上げていくのがよい。でも、何に注目すべきかを考えるには、数え上げるよりも前に、自分の見ようとしている行動を、自分は何を根拠に定義しているのか、その行動はほかの見方はできないかを考え直してみるとよい。多くのアイディアはそこから生まれる。
そこで、まずは、ドアに近づいて開ける人の一歩一歩のタイミングを時間軸上にプロットし、次に、その各一歩のあいだに起こったことというのを分析する。行為者の行動に添った単位で観察すると、そこに含まれている行動の豊かさや変化がよりよく分かる。たとえば「この一歩はさっきより短いな」「この一歩で手の振り方が違う」という風に。さっきの一歩と今の一歩、次の一歩が比較の対象にあがってくるというわけだ。これを機械的に単位時間に割ってしまうと、一歩という比較単位が壊れてしまうので、アイディアが湧きにくいのだ。
ドアのところですれ違う二人を微視的に分析していくと、ほんのわずかのおじぎをしたり、相手のためのスペースを作ったりするために、驚くほど緻密な身体調節がなされていることがわかる。足を踏み出す幅、方向、タイミングが絶妙に組み合わさらないと、人はうまくすれ違うことができない。もちろん、これほどの複雑な行動が何の失敗もなくコントロールされるとは限らず、いくつかのやり直しやマイクロスリップが途中で観察される。
道で誰かとすれ違うとき、つい相手と同じ方向に避けようとしてお互いに立ち止まってしまうことがある。あれなどは、一種のやり直しであり、スリップと言えるだろう。しかし、同じ方向に避けようとしてぶつかってしまった人、というのには滅多にお目にかかることがない。
肝心なことは、たとえ立ち止まってしまったとしても、そうしたやり直しやスリップを経れば、ほとんどの場合は、なんとかうまくすれ違える、ということだ。
わたしたちの日常行動は、じつはささいな失敗の連続によって調整されている。そこで問題となるのは、すべての失敗を避けることができるかどうかではなく、致命的な失敗を避けるべく、ささいな失敗とそれに続く微調整を行うことができるかどうかなのだ。
稀代の博覧会コレクター、寺下勍さんから郵便が届く。「資料」とあるので何だろうと思って開けてみる。中には小さな包みがいくつか収まっている。絵はがきにしては小さい。
その、小さい包みを開いて驚いた。中身が何だったかは、ここには書かない。堺市方面に向かって心の中で深々と頭を下げる。
優れたコレクターは、ただ「集める」ではなく「次代に引き継ぐこと」を見据える。コレクションの終着点は自分ではない。そのことを認め、集めたものをどのように分配するかを、長い時間単位で見通す。
と書くと簡単そうだが、集めるという行為がもたらす我執を越えて、それを誰かに引き渡す境地に至るのは、じつはとても難しいことだ。ぼくも含めてたいていの蒐集家は、指輪物語のスメアゴルのごとく、「My precious!」を欲し、愛でることに終始してしまう。寺下さんのように、コレクションを丸ごと、ぽんと乃村工藝社に寄贈し、わたしのような蒐集家の端くれにまで、こうしてコレクションの一部を分配してくださる方は、じつはとても少ない。
絵はがきコレクターどうしで、自分の買った古絵はがきを人に投函することがあるけれど、あれは、自分のこだわりの対象から自分を切り離すことで、我執を少しでも落とそうという行のようなものではないかと思う。
何人かの方から、「絵はがきの時代」に関して反応をいただきつつある。中でも、生物学者なのにぼくの十倍は紙ものの本を読んでいると思われる三中信宏さんから、早くも丁寧な書評をいただいた。三中さんの書評からは、本の内容以外の場所へも広げられそうな話題がたくさんあるので、少しずつ応えていこうと思う。
まず、柳田国男の絵はがき本、田中正明(編)『柳田國男の絵葉書:家族に当てた二七〇通』について。
じつは、この本には少々奇縁を感じている。
ユリイカに連載中、絵はがきの中に入っていく不思議な感覚の一例として、「ここにいます」絵はがきというのを取り上げたことがある。発信者が矢印や星印、あるいは文字で「ここにいます」と自分の居場所を書き込んだ絵はがきのことだ。
その一例として、取り上げたのは、ルガノ湖にかかるメリデ橋の絵はがきだった。これは、スイスの蚤の市で手に入れた一枚。ルガノ湖畔の不思議な光景と、橋のたもとに書き込まれた「Melide」という小さな書き文字のバランスが絶妙で、愛着のある絵はがきのひとつだ(上図)。おそらく、これを持っていた人にとってもお気に入りの一枚だったのだろう、絵はがきには画鋲のあとがあって、壁に貼られていたことが知れる。
ところが、それから数ヶ月して発行された『柳田國男の絵葉書:家族に当てた二七〇通』を繰ると、なんと、彼もルガノ湖の絵はがきを発信しているのである。しかもそれは、270枚のうちのわずか数枚しかない「ここにいます」タイプなのだ。
柳田は、そのルガノ湖の絵はがきの地上からすいと線を引いて、空の部分に「これが私のホテル うつくしい町、杜」と書き込んでいる。
柳田国男が滞在したのは、上の絵はがきでいうと、melideと書かれたところからやや右下に下がったあたりだ。柳田は「瑞西日記」に、「サンサルバドルの丘の上に登る」と記しているが、そのサンサルバドルもまた、メリデのすぐそばに位置している。右下の山影はおそらく、そのサンサルバドルのものである。
ルガノは、おそらく、そこに小さな自分を置きたくなるような、特別な磁力を持った場所なのだ。以来、この絵はがきを見るたびに、右下の片隅で、柳田国男の気配が上り下りする。
ヘッケルの書簡について。
じつはうかつにも、三中さんの挙げている『Das ungelöste Welträtsel : Frida von Uslar-Gleichen und Ernst Haeckel [3 Bände]』をぼくは未見なのだけれど(というか、なんでこんな本持ってるんですか、三中さんは)、彼が生物のスケッチだけでなく、風景画にも驚嘆すべき腕前を持っていたことは、昔、ヘッケルの家にいったときに衝撃を受けたので、よくわかる(くわしくはこちらを)。
三中さんが「絵はがきと封書では根本的にちがうものがあることはわかっているのだが,“絵”を介して語り合う時代があったことは確かだろう.」と正しく推測しているように、絵封筒、絵便せんは、じつは絵はがきのルーツと言えるものであり、お互いに深い関係にある。
1840年にイギリスで郵便制度が改正された結果、紙の枚数ではなく一オンスあたりで換算されるようになったからだ。この結果、封筒で便せんを包んでも料金はほとんど変わらなくなり、切手と封筒の組み合わせは一気に国内に広がった。
すると、どうせ送るなら、ただの封筒よりも凝ったものがよいというわけで、イギリスでは、絵封筒、便箋の一大ブームが訪れた。
ドイツ(プロシア)やオーストリアではイギリスには及ばないものの、やはり盛んに絵封筒や便箋が発売され、たとえば「リゾート地、とりわけおしゃれな水浴場の絵便箋が、スイスではホテルや山々、そしてスイス風コスチュームを描いた絵便箋が売り出された」(F. Staff 1966/1977, "The picture postcard and its origins") 。おそらく、こうした既成の絵封筒や便箋と並行して、肉筆の封筒や便箋も盛んに描かれたに違いない。
書面と絵がひとつの画面に同居しあう封筒や便箋が、のちの絵はがきのデザインに大きな影響を与えたことはまず間違いないだろう。
ヘッケルは1834年生まれだから、物心ついたころから、こうした絵封筒や便箋の流行に触れていただろう。また、彼の50代から亡くなった1919年あたりまでが、ちょうどドイツにおける絵はがきの流行に当たる。その意味では、絵と文字の交錯する書面の飛び交った時代にヘッケルは生きていたことになる。それが彼の「Kunstformen der Natur」を生んだ、といったらちょっと言い過ぎになるかもしれないけれど。
それにしても、あれだけスケッチのできる人だから、もしかするとヘッケルが旅先から誰かに宛てた肉筆絵はがき、なんてのもあるかもしれないな(み、見たい・・・)。
ミカドの話は、ちょっと長くなりそうなので、また明日以降に。
ところで。音楽と絵はがきということで言うと、ひとつ気になっていることがある。それは、ベルクの「アルテンベルク歌曲集」(1913)のことだ。
じつはこの曲は、ぼくが高校生のときに最初に買ったベルクのレコードに入っていて(それはブーレーズ指揮の「三つの管弦楽曲」だった)、それ以来、叙景が叙情と入れ替わり、ときには拮抗する、なんとも不思議な曲として、頭の中にひっかかり続けてきた。
もっとも、その頃は「絵はがきへのペーター・アルテンベルクの詩による」という副題を見ても「へんなの」と思っただけで、その意味などすっかり頭から消えていたのだが、この前、シノーポリの録音を聞き直しているときに歌詞カードを見ながら、「絵はがき・・・絵はがきじゃん!」と突如気がついた。
それからというもの、アルテンベルクの絵はがき、というのが、気になってしょうがない。通常の書物ではなく、絵はがきに添えられた詩というところが、いかにも第一次世界大戦前の「絵はがきの時代」らしいではないか。
どうやら、それは写真絵はがきらしいのだが、はたしてもとになったはがきは現存するのだろうか。もしかしてどこかの博物館に収まっているのかもしれないと思いながら、ドイツ語が苦手なこともあって、まだ見つけることができないでいる。
キッドアイラックホールにて「軽音楽フェスティバル」。本番前にブックカフェ槐多で洲之内徹を読み、背筋を伸ばす。かつて氏が経営していた現代画廊について語る人は誰しも「あのエレベーター」という言い方をする。どんな乗り心地だったのかとても気になる。
かえる目は最初に登場。キッドアイラックは、高い天井にナチュラルリヴァーブがかかって歌うとたいへん気持ちがよい。しかし、いざ本番でギターを持ったとたんに、この年になってこんなにアガることがあるのかと思うくらい、完全にアガってしまい、そこからは歌もギターもズタボロだった。あまりの自分のふがいなさにしばらく人を避けるようにこそこそと会場を離れる。おかげで秋山さんのセットを聞き逃した。ばか。
そういえば幕間、「あ・・・いま来た」となんだか残念そうなア ヤさんとコロスケさんに、路上で「弁慶の引きずり鐘」の伝説を歌ったのだが、このほうがすっと歌えた。そうか、こういうマインドにチューニングすればよかったのだな。ステージではなれぬギターを人前で弾きこなしてやろうという邪心が暴れたのであった。ああいう邪心が自分にあることがわかったのはいいことだ。
この日のホースは、すっとぼけたフレーズを継ぎながら、絵のない映画音楽を聞くような考え抜かれたコンポジションで、あとで表で山口さんと、「あの無駄さには隙がないねー」と感心することしきりだった。
一階は満員なので、二階のコンソールへ。ここは一部手すりがなく、あたかもターミネーター2のラストの場面のようで、ちょっと怖い。そこから見下ろすように、サイトウエレクトリコ・グッドサウンド 。木琴が入ってるので、ちょっとザッパの「ワンサイズ・フィッツ・オール」を思い出させるが、ザッパとまったく違って、ひとつひとつがとても短い。そして一曲一曲構造が違う。トラックの全然違う短距離走を10本くらいやる感じ。イトケンさんが無音のあいだもスティックをふってがーっとカウントしてた。何も音がない、しかし、そこでスティックが空振りされていることで、時間がなた切りにされていく。
トリはPOPO。アルゴリズム体操のごとくキーボードの組み合わさった演奏。いつもながら愛らしい。喜多村さんの演奏は、シンプルなコードを弾いているときも、論理に殉じているような感じがあって、そこが魅力なのだなと思う。ぼくはCmaj7の音で終わる「ぴぽぴぽぴぽぴぴー」という曲が好きなのだが、いつもタイトルを忘れてしまう。
本番のふがいなさはさらりと忘れて、打ち上げで、杉本さんや直島さんと、エロ・タルホ話に興じる。小池くんがタルホを知らないというので、どう説明したものかといろいろ試したあげく、タルホはVという閉鎖管よりAという開放管を志向した、ゆえに「今日の『ホース』はタルホである」ということに落ち着いた。これ、けっこう悪くないたとえかも。
そして、一部残留組で、このままでは恒例になってしまいそうなカラオケに。杉本さんと秋山さんがギターを見て「ダキスト〜」と言うので、持ち主に恵まれない愛器をお渡しして日本を代表するギタリストたちに弾いていただく。さすがにいい音が鳴る。
「うしろ指さされ組」と「部屋とYシャツとわたし」を絶叫したら、「本番よりいい」と言われた。次回は本番のほうがいいと言われるべく精進したい。そして、さまざまな珍しい光景を見たが、今回もまた、内容はあえて秘す。
以前から、アンプとギターを抱えて移動するギタリスト、というのに多少のあこがれを持っていたのだが、実際には、ひたすら重い。切符を買うとき、改札をくぐるとき、階段を下りるとき、1アクション1アクションがいちいち遅くなる。まだ、ハードケースを持ち馴れてないせいもあって、改札をくぐるときにひょいとギターを小脇に抱える、あのポーズが決まらない。完全にギターに翻弄されている感じである。やはり、ギターを弾く者は、ハードケースをひょいと傍らにたてかけて、小さなアンプに腰掛けて弁当を食うようにならないといけない。
浅草で久しぶりに金寿司へ。季節柄、油ものは少なく、いまは貝づくし。酒は抜きでおいしいものを少し。
それから渋谷へ。マンブルTシャツで決めて、雨中の公園通りのデモを横切り、Mumbleさんとかおさんの結婚パーティーに。Mumbleさんがまっとうな格好をしている。お二人ともデジオをやってることもあり、デジオな人々があちこちに。それにしてもふつうは新郎新婦ってほとんど動かないものだけど、この二人はなんともホスピタリティにあふれていて、あちこちで話の華が咲いている。そんなめでたい席でシャロームさんと座り込んで墓の話をする。
トクマルシューゴさんのすばらしい演奏の次に、ものすごいヘタクソなギターで「ABC」を弾き語り。
高田馬場に移動し、明日のリハを一時間ほど。ぼくがフォークギター風にピックでじゃかじゃか弾いていると、宇波くんが、いたたまれないという顔で「そこ、ぼくが弾きましょうか?」という。こういうジャズギターは、ピックでがしゃがしゃやるとフレットが痛むから止めたほうがいいらしい。
ホテルに戻って横になると、身体の節々が痛い。急に疲れが襲ってきて寝てしまう。雨中ギターとアンプを抱えての移動がこたえたらしい。
夜、両国で生田さん、石川さんと絵はがき談義。淡交社から出ている生田さんの「日本の絵葉書 1900→1935」は、美しい図版と充実のコラムで、日本の絵はがき本の中でもひときわ楽しい本である。しかも、そこに収められた図版はすべて彼の所蔵。
誰かからよい絵はがきを借りて本を書くこともできるといいのだが、なぜか、コレクターは手元の絵はがきで語ることになる。そこにはもちろん、コレクターの所有欲も多分に影響してはいるのだが、どうもそれだけではない。
たぶん、集めることと書くことが似ているからなのではないかと思う。ある絵はがきに出会い、それを手にとって、金を払い、集めた絵はがきを並べ直す。そのプロセスで、書くべきことのほとんどが決まっていくのではないか。
統計学の標準誤差を教えるときに、何を教えるべきか。標準誤差の求め方を教えるのはもちろんだが、結局、そこで関わっているのは、標本のばらつきと、標本に含まれるデータ数であって、要は、その二つがどの程度かかわっているかがわかればよい。じっさい、あとでデータを取り始めるときに気になってくるのは、「標準誤差の公式ってなんだっけ」ではなく、「どれだけデータをとればよいのか」という実際的なことだろう。
だから、公式を覚えるというよりも、その公式の意味を理解することに誘導するほうがよい。「標本がばらつくほど、信頼区間は広くなる」「データ数を4倍に増やすと信頼区間は1/2に絞り込める」といった感覚がわかっているとよい、というふうに。
印刷技術を改めてひもといてみると、これまで調べてきたさまざまなことを違った視点から考え直すことができそうだ。
たとえば、十年前に書いた「ステレオ」という本で、ブルースターの壁紙錯視 (wallpaper effect) について取り上げたことがある。これは、「ワインを呑みすぎて壁紙を貼った部屋にいるときに、壁が宙に浮いたように見えた」という友人の話にヒントを得た物理学者のブルースターが、裸眼立体視と距離認知との関係を論文にしたときに作ったことばだ。
ところで、これを書いたときには気づかなかったが、じつは壁紙、というのは、まさに19世紀前半の産物だったのである。
1830年代、イギリスでは彫刻銅板を筒状にするというアイディアによって壁紙製造の効率が画期的にあがった。この結果、1834年に較べて1860年には壁紙の生産量は9倍に達した(印刷博物誌 p712)。つまり、「呑みすぎで壁紙がヘンに見える」という体験じたいが、十九世紀前半の文化に依存した現象だったわけだ。
十九世紀後半に作られるモリスの壁紙も、もともとは、こうした壁紙技術革新ののちに生まれたものだった。
朝から講義講義で、すっかり会議を忘れていた。松嶋さんが「会議ですよ」と呼びにきたのも気がつかないありさま。今日はカップうどんにお湯を入れる直前だったので、湯戻し麺を食わずに済んだ。
うどんをすすって、さらにサーバメンテなどなど。近頃は夜中を待たずに眠たくなることが多い。夜半過ぎは、さまざまな妄言がもっともらしいアイディアとして結実する時間なので、なるべく起きていたいのだが。
絵はがきを整理するうちに新たにわき起こってきた疑問。19世紀末から20世紀初頭は印刷の技術革新がみるみる進むため、細かい技術の発達がついつい見落とされやすい。たとえば、多色石版印刷について。アメリカの絵はがきの始まりは、ドイツ絵はがきのカラー印刷の勃興と連動していることは確かなのだが、このいきさつがいまひとつはっきりしない。1893年前後にドイツ、アメリカで相次いで多色刷石版印刷による絵はがきが発行されているということは、この技術に関連して、この時期、なにか革命的な発明があったはずなのである。さらに言えば、絵はがきの印刷には、ポスターの印刷とは違ったノウハウが必要と思われ、そのあたりも気になる。
石版印刷のプロセスは、自分で体験していないこともあって、どうも隔靴掻痒の感がある。印刷技術の体験本には松田哲夫氏の(そして内澤旬子さんのすばらしいイラストの)「印刷に恋して」(晶文社)があるのだが、わたしもどこかでリトグラフの作成過程を見学したほうがいいのかもしれない。
「絵はがきの時代」(amazon.co.jp,bk1)の見本が来る。出来上がった本を初めて手に取る瞬間は、執筆から出版の過程のなかでもいちばんのクライマックスだ。だって、もう校正もないし、(たとえ手を入れたくても)これ以上手を入れることもない。自分の書いたものを、あたかもプレゼントのようにただ受け取ればよい。書くという行為が、自分の手を離れてモノになったことを認めるときの、諦めとないまぜのすがすがしさ。
包みを開けると、絵はがきがずらずらと目に飛び込んでくる。表紙から裏表紙から、折り返し、さらにはカバーをはずした内側まで、全面、絵はがきだらけだ。とくにこれはすごいと思ったのが裏表紙で、ここには、19世紀末から20世紀初頭のドイツ製「Gruss aus」絵はがきが盛大に使われていて、しかも全部使用済み。発信者の書き文字のインクが手に付きそうな錯覚に陥る。
表紙のトップを飾るのは、画鋲のあとのある絵はがき。タイトルの文字の一部は、あえて絵はがきにかぶせられている。多くの絵はがき本が、つるりとした美品を扱っているのに対して、この本では、使用済み絵はがき、つまり、書き込みの過ぎたもの、しわの寄ったもの、穴があいたものについて論じている。それがカバーにも見事に反映されていてうれしい。
装丁は前著『浅草十二階』と同じく高麗隆彦さん。装丁していただくにあたっては、わたしの手元にある絵はがきのスキャン画像をアトランダムに入れたCD-ROMをお送りした。前作が絵はがき一枚をどーんと使った装丁だったので、今回もその手でこられるかなとうっすら予想していたのだが、心地よく裏切られた。カバーに使われた絵はがきはそれぞれに愛着のあるものばかりで、こうやって見ると、あたかも新しく買った絵はがき帖にお気に入りのコレクションを収め直したような気分になる。
果たしてこの表紙に釣り合う内容になっているだろうかと思って、おそるおそる手にとって読み始めたが、ぐいぐい読める。結局三時間くらいかけて読了してしまった。いやおもしろい。この著者はなぜこれほどまでにわたしの読みたい話をずばずば書いてくれるのであろうか。もちろん、わたしが書いたからにきまってるのだが。
朝、大学の近くの造成地でヒバリの声を録音していたら、近所の方に声をかけられて立ち話。
ヒバリを仰ぎながら目をつぶると、自分の意識が頭の先から離れて、ヒバリの声となって動くようで、なんとも妖しい心地になる。夢にしては日が明るい。谷崎の「春琴抄」はこんなときに思いつかれたのかなと思う。漱石の「草枕」も山路でヒバリの声を聞くところから始まるが、高く低く移るヒバリの鳴き声には、人の心を浮かせる何かがあるのだろう。
来週の28日は軽音楽フェスティバル@キッドアイラックホールで、かえる目のライブ。その告知ページに以下のような文章を寄せる。秋山さんの文章と好対照で楽しい。
あなたはときどき遠くで
荒井由実の「卒業写真」は、複雑な時制を持った佳曲で、いわゆる「卒業ソング」とは似て非なるものである。
歌詞のなかの「わたし」はすでに「卒業」しており、いままさに「人混みに流されていく」ところ、そこから「あなた」に「遠くで叱って」と呼びかける。これは卒業という時点を遠くから眺めるわたしと、そのわたしをさらに遠くで眺めるあなたの歌であり、この世から過去を見るときに現れるかすかな仰角からあの世のありかを計測し、そこに向けて危うくシグナルを送ろうとする曲である。
この歌を初めて聞いたのは確か高校生のときだった。そのときはまだ、「卒業」ということじたいも淡い未来で、さらにその先で人混みに流されているわたしなど、どこにどう置いてよいのやらよくわからなかった。だいいち、あらかじめ人混みに流される大人のわたしを想定し、そこで生じるであろうあいまいな甘さにひたるというのは、高校生には過ぎた感傷であった。わたしは、このような感傷は幼稚なものであり、たぶん大人になれば通用しなくなるだろうとタカをくくっていた。つまり、大人になれば、「卒業写真」からもいつか卒業する日が来るのだろうと思っていたのだった。
しかし、そうではなかった。長じるにつれ「卒業写真」は色あせるどころか、有線から鈴木茂のギターのイントロが流れるたびに、この世から過去とあの世に向けて三角形が描かれ、その射程はますます深くなる。人混みに流される器量も欠いたまま人目もはばからぬオヤジになりおおせた現在、そのような精神の三角測量がこの身に駆動することを恥ずかしく思わぬほどに、わたしの面の皮は厚くなった。「おやじの肉体にユーミンのマインド」を自称する由縁である。
近くの田圃のあちこちで麦は黄金色に輝き、自転車で通り過ぎていくと、それは天然色の「麦秋」になる。
小津安二郎の「麦秋」のラスト、奈良に引っ込んだ老夫婦がお嫁さんを見るときに延々と移動撮影されるモノクロームの麦畑の記憶に、鮮やかな黄金色が重なる。父親が予兆のように鯉のぼりを見上げ、娘が突然幼なじみの家に嫁ぐことを決め、家族が散開していく、あの劇を突き動かしていたのは、このような狂おしい色ではなかったか。
いまごろになって、絵はがき資料が続々と集まりつつある。本を作り終わってから、ようやくどんな資料が必要かが見えてきた、というところ。いよいよもう一冊書かずばなるまい。ひとまず、月末に出る本を補完するページを作る。「絵はがきの時代」補遺。まずは参考資料編(1)と(2)。
講義ゼミ会議会議。会議の時間を忘れていて、カップ麺にお湯を注いだところで「会議ですけど・・・」と呼び出しが。会議後、水を吸ってぱんぱんにふくれあがったどん兵衛天そばを食う。よほどまずいかと思ったが、食えぬことはなかった。通常のどん兵衛天そばの味を経由すると、湯戻し一時間後のどん兵衛天そばも「アリ」な感じがしてくるから不思議だ。チキンラーメンを生で食うという体験を経てたどりついたベビースターラーメンがいつのまにかこの世の食品の一角をしめているように、湯戻し一時間後のどん兵衛天そばにも、「濡れそば」とかなんとかいう名前で市場に登場する日が来るのであろうか。来ないであろうな。
会議は学内改組に関するあれこれの話。一般的にShrinkする方向に進む会議では、アイディアは出にくい。Shrinkとは、新しいアイディアを出す場ではなく、Shrinkを受け入れる場であり、その合意形成過程の大半は「どうしてもですか」「どうしてもです」という形式をとる。この、ソフトな押し問答のポイントは、「どうしてもですか」という抵抗パフォーマンスの過程で、いくつかの言質を相手から引き出しつつ、いかにコンパクトかつ短時間で撤退するかにある。
しかし現実の会議は、「こうしてもですか」「こうしてもです」「ああしてもですか」「ああしてもです」「あれならどうですか」「あれは無理でしょう」・・・と堀のまわりを巡り続けるのであった。
朝、服部邸を辞し、新幹線で彦根に戻る。大学の中庭は、一ヶ月前はオランダミミナグサが優勢だったが、いまはコメツブツメクサのおかげで遠目には黄緑色に見える。コメツブツメクサとシロツメグサとレンゲは、いずれもマメ科特有の三種類の花弁をもった構造なので、本日の実習はマメ科植物の花と訪花性昆虫のネタを振る。
午後、二子玉川で「天狗と狐の野外音楽会」。杉本「天狗」拓、宇波「狐独」拓に加えて、角田さん、大蔵さん、秋山さん、ハットリフェスティバルというメンバーが多摩川の中州で投げ銭で演奏するという、ピクニックな音楽会。日曜の河川敷の喧噪を遠くに、ススキの茂る草原には、ギターケース型のワインボックスも広げられ、「草上の食事」的風情が漂っていなくもない。
宇波くんの「kitsune5」は、メロディの認知を不可能にさせるほど長いインターバルで隔てられた音で構成された曲。音の連なりによって記憶を呼び出すというよりも、一つの音によって何かを呼び出し、また別の音によって何かを呼び出し、長い時間の中でその呼び出されたものどうしが呼応するというような感じに聞こえる。CDやライブ会場で聞くときとは違って、河原では鳥が鳴き続け、列車が通り、あたかも一つの音が音環境を呼び出すような体裁。一つの音とその余韻に導かれるように浮き上がってくる環境音とが危ういまとまりとなって、なんというか、楽器が鳴るたびに少しずつ違う形の妖怪が一体一体紹介されていくようだった。
ちなみに、たまたま対岸で、ずっとバトンの練習をしている人がいて、この人がぼくのすわっている場所からはよく見えたのだが、あたかも彼のバトンがレコードプレイヤーのようにこの音場を再生しているような錯覚にたびたび襲われた。
杉本さんの「whole and notes」は、より楽音でつながれたものだが、こちらもメロディ認知にまではいたらせない。楽器の音色と環境音のブレンドを次々と対比させていくような進行。さっきはほとんど気配しか聞こえなかったハットリ太鼓がここではようやくはっきりした音像で聞こえ出す。皮がべこべこになってフスマのはためきのようである。湿気った川辺が体現されているという意味では、音環境と音源の見事な融合であると言えなくもない。現実の音は「はた、はた」という不可解な打音だが。
三曲目、マンフレッド・ヴェルダーの作曲というその譜面を演奏前にちらと見せてもらうと、自然の光と風がなんとやらで(音)それに聞き入る、とかなんとかいう内容で、これは四の五の理屈を考えるようなものでもないなと思い寝転がる。大蔵さんのサックスが聞こえてきては止む。ふと妙な気配がして起きあがると、秋山さんのギターには謎めいた石が置かれており、角田さんはタンブーラを風にかざしてはあたかも観測装置であるかのように位置を変えている。大蔵さんはいつしかサックスを吹くのを止め、川面を観ている。三人が向こう岸を観ているその光景は、あたかもサイボーグ009で全員が岸壁から未来を見つめる場面(のちに吾妻ひでおが不条理日記でパロディにする場面)に似ている。ちなみに宇波、杉本、ハットリの三氏は、自然に聞き入るというよりは、この三氏の風情を楽しんでいるようだった。
あおむけに寝転がると、頭の上に菜の花が一輪垂れてくる。ぶんかちゃんかなと思う。三曲目以降はそのまま寝て聞く。休憩時間に策ちゃんが「おそなえ」といって、石枕のもとに缶ビールを差し出してきた。
野外演奏会を終えて、日曜の居酒屋をはしご。最後はなぜか杉本氏、直島氏、坂上氏、ハットリとカラオケに。杉本さんが「二十一世紀の精神異常者」を「カラオケの鉄人」でリクエストすると、間奏が263秒あって、原曲通りとはいえ驚いた。その他、いろいろ珍しい光景が出現したが略す。
朝、ユリイカに校正を出して東京へ。雨の庭園美術館の風情を楽しんだあと、バルトン生誕150年記念講演会。そのあと、石井さんとスコットランド×日本戦を観ながらビール。宿に戻ってから宇波くんと来週のかえる目について軽く打ち合わせ。宿に戻ってから原稿。
夕方、阿倍野教会へ。ぶんかちゃんのお通夜に出る。近所の保育園・幼稚園のひとたちが大勢来てることもあって、通りまで参列者があふれていた。あとで聞いたら500人を越えていたのだそうだ。
讃美歌が歌われるあいだにも、そこここで子どもの声がする。こんなに子どもの声のする通夜は始めてだ。わたしのまわりにも小さい子どもがいて、背丈がちょうどぶんかちゃんくらいで、いまにもあのふわーっとした笑顔でこちらの足にすがりついてきそうな気がした。
献花が終わって近しい友人たちの音楽葬という段になって、聖子さんが椅子の上に立ち、しっかりとした挨拶をされた。三田村管打団の演奏が始まる。四月のworkroomのライブでぶんかちゃんが思わずその演奏に思わず手拍子をとっていたおニコさんが、声をあげて踊っている。三月の音の海で活躍した加奈さんは、感極まって「サザエさん」を絶叫するように歌った。内橋さんはずっとすわってギターを弾いていた。おそらく誰もがその場から離れがたく、演奏は止んではまた始まる。
そのわずかな隙をついて、「音の海」のアヤコちゃんが「起立! 礼! ありがとうございました!」と言った。それを合図と思い、教会を出て帰路につく。そのあいだも、幻というにはあまりに確かなぶんかちゃんの感触が、腰の高さのあたりに感じられる。
一限めのゼミが終わってから一息つこうと思ってから、今日はオプションの「家族論」の講義があることに気がついた。喫茶店に逃亡し、Schegloffのrefering person論文を読んでネタを繰ったところでタイムアップ。
さて、この講義では、自分が家族からどう呼ばれるか、自分が家族のことをどう呼ぶか、という問題を話したい。何かよい題材はと思って、部屋にある文庫版サザエさん全巻から適当に1巻取り出して講義に持って行った。
そして、学生の前でぱらぱらとめくると、さすがは家族関係の宝庫サザエさん、おもしろい例が次々と見つかる。
たとえば15巻の6ページ。
一家がちゃぶ台を囲んでいる。フネが「あかないんだよ」といっている横で、サザエが瓶の蓋を開けようと四苦八苦している。波平は「どれかしてごらん」と手を差し出す(1コマめ)。
波平が四苦八苦しているとマスオが手を出す(2コマめ)。
マスオが四苦八苦しているとワカメが「どれ、あたしにかしてごらんよ」と手を出す(3コマめ)。
全員が爆笑し、ワカメが舌を出して照れる(4コマめ)。
このオチは、なぜおもしろいか。
学生に聞くと、最初の答えは「ワカメちゃんの力では開かないはずなのに貸せというから」というものだった。なるほど。間違いではないが、それだけでは3コマめのせりふが生きてこない。
じつはこの四コマがおもしろいのは、単に、ワカメが「貸せ」といっているからではない。フネの言い回しを真似て「あたし」と自称しているところがいいのだ。
開かない瓶の蓋を、ワカメは腕力を使って開けようとするのではない。フネという「大人モデル」を使って開けようとするところが、いいのである。ワカメにとって、フネというモデルは、腕力では開かないはずの蓋を開けるための魔法である。それが「どれあたしにかしてごらんよ」と言い方から伝わってきて、なんともかわいらしく、笑えるのだ。
隣の7ページもおもしろい。
産婦人科の病室。看護婦さんが「かわいい赤ちゃんですこと」と声をかける。ノリスケさんが「ハハハハ そういわれるとうれしいです」と答える(1コマめ)。
看護婦は部屋を出がけに「パパさんにそっくりですわ」という。「そうですか、そっくりですか!!」と顔を乗り出すノリスケさん(2コマめ)。
「やっぱりどこかにてるんですかなぁ」と看護婦さんに歩きながらつきまとうノリスケさん(3コマめ)。
ついに詰め所の外までやってきたノリスケさんを横目に「こまっちゃうわ、はなれないのよ」とぼやく看護婦(4コマめ)。
再び学生におもしろさのポイントを聞くと、「ノリスケさんが子どもが生まれてうれしがりすぎてるところ」という趣旨の答えが返ってくる。これまた、間違いではないが、もう少しセリフを丁寧に観察したい。
「かわいい赤ちゃんですこと」と言われた時点では、ノリスケさんのよろこび方はさほどではない。彼のよろこびが爆発するのは「パパさんにそっくりですわ」と呼ばれたからである。
では、「そっくりです」と言われたことがうれしいのか。それも間違いではないが、さらにセリフを丁寧に観察したい。
ポイントはじつは「パパさん」にある。ノリスケさんはおそらく、このとき初めて、他人から「パパさん」と呼ばれたのである。「パパさん」と呼ばれることで、自分が、ただ者ではなく、父親と娘という関係の中にいる者であることを告げ知らされた。そのことで、父親になったという感情が爆発してしまった。だから、ノリスケさんが看護婦につきまといながら聞きたいのはおそらく、単に「自分に似ている」ということではなく、「パパさん」という単語なのだ。
ことほどさように、自分が自分のことをどう自称するか、他人からどう呼ばれるかということは、単なる呼び方の違いの問題にとどまらない。それは自分がどのような関係に身を置くかを表すことなのである。
・・・と、いうような思いつきをべらべらとしゃべる。
それにしても、一コマの中に複数の発語を畳み込む技といい、セリフの機微といい、長谷川町子の人間観察と表現は改めて恐るべきものだと思う。
遅れに遅れていた「ニンテンドー」特集の原稿を出す。
4月からはじまったNHK教育の「あいのて」。2回目の「テーブル・マーチ」を見る。テーブルを叩きながらテーブルにいろんなものを乗せていくんだけど、そのテンポがなんというか、すごく速い。「あ、もうちょっと聞いていたい」と思うくらいのタイミングで、さっと次のアイテムが加えられて音が変わっちゃう。この、もうちょっとの手前で手を変える感じが、なんとも野村くんらしいなと思う。ギアが変わるな、という予感が起ち上がるより前に、ギアチェンジが起こってる感じ。ぴろろぶし、ワニバレエも耳に残る。次回も楽しみ。
講義講義会議会議。夜、卒論生の松田くんが教えているダンス教室を見学に行く。彼の卒論のテーマ探しに付き合うつもりだったのだが、気がついたらステップを練習していた。これはよい運動になりそう。
実習。ドアを開ける人々をひたすら録画する。
「絵はがきの時代」、再校をあちこち直して送る。これでもう手を離れた、という感じ。
NHKの新番組「プラネット・アース」。番宣でも盛んに言っている無振動カメラによる空撮は、信じられん映像の連続。来し方行く末が撮れてしまっている(ように見える)。とくに説明なく、デルタに一頭だけキリンがいるのが写ってたんだけど、あれはたまらんかった。
カメラが鳥一羽からズームアウトして巨大な鳥の群れを写すのだが、ヘリコプターがよほど遠いのかまったく散らばらない。
あと、ホッキョクグマが雪の穴に吸い込まれるところとか。すぽって音がしたよ(頭の中で)。そのほか、氷が割れてるけどカメラは?とか。水しぶき細かすぎ!とか。ゾウ、(文字通り)地に足がついてない!とか。衛星映像でインターバル!とか。見どころがありすぎる。
最後に撮影の舞台裏を見せてたんだけど、リカオンとインパラの追い掛け合い、よく見ると、違う日の撮影を組み合わせてる。動物行動学では御法度の手であるが、アッテンボローの番組などではよく見かける手法だ。
そういえば、この番組、あちこちでアッテンボローの番組を彷彿とさせるのだが、ひとつ違うのは、映像がとにかくいろいろシームレスなんだよなあ。アッテンボローの場合だったら、一羽の渡り鳥をアップで撮って、それをロングで撮ったら、そのあいだにはカットが入って、そしてアッテンポローが入ったはずなんですよ。「この巨大な群れは・・・」とかなんとか言いながら。春から夏に変わったら、そこにはアッテンポローがいたはずなんですよ。「季節は夏になりました」とかなんとか言いながら。それが今回は、ない。一羽から十万羽までシームレス。春から夏までシームレス。いつアッテンポロー?いつアッテンポロー?って思ってるあいだに世界はズームアウトして季節はワイプアウトで変わってる。というわけで、「プラネット・アース」には謹んで「アッテンポローを待ちながら」というサブタイトルを謹呈したいと思います。
近くのギターショップでVOXのアンプを買う。5900円なり。その他、カポタストやらピックやら、ギター周辺機器を買って、あれこれ試し弾きする。「ニンテンドー」原稿に着手すべく、ひさしぶりにスーパーマリオ64を取り出してプレイしてみる。改めてよくできたソフトだなと思う。ほんの一面やるつもりだったが、気がついたら最初のクッパを倒していた。原稿用にメモを取ってリセット。
夕方、名古屋の大須へ。知人の結婚パーティーに出る前にちょっと古本屋に寄ったのだが、岩波の手文庫サイズの「漱石全集」がなんと全巻で五千円! 江藤淳が入院中に、あれなら手軽に読めるのにと何かのエッセイに書いていた全集である。ちょうど旧かなづかいの漱石の本があればよいと思っていたところなのだ。紙袋を二重にして詰めてもらう。
パーティーに行くと、乾杯の音頭の役回りに。これまでそういう立場になったことがないので大いにとまどう。二人ともお幸せに。
『三四郎』を読み直しながらうとうとして、はっと目覚めると、新幹線は米原を発車するところだった。新幹線で乗り過ごすのは痛い。名古屋から米原で降りるところを京都まで。ほとんど逆方向に同じ距離だけ行った感じである。帰りはのろのろ鈍行で彦根まで。名古屋・米原間よりも京都・彦根間のほうが時間がかかってしまった。
『三四郎』は、京都から乗り合わせた行きずりの女と名古屋で降りて同宿するところから始まる。その時間を逆行するために寝過ごしたのだろうか、などと言い訳ともつかぬ妄想をするうちに、池の向こうに美禰子が現れる。
終わったというよりはあきらめた、という感じの第一稿を出す。とりあえず叩き台を作った。夜中にたんぼに出てかえるの声を録音する。
さらに。
youtubeで十年ぶりぐらいに矢野顕子と細野晴臣のデュオを見る。このときはまだ髪の短かった司会の高野寛が、やがて東京シャイネスのギターを弾いたりするのだと思うと未来にいるのか過去にいるのか分からない。前々から、youtubeにNHKの「天下御免」が全話アップされているのを見つけて驚喜する、という日を夢想しているのだが、まだ実現されていない。
5/28はキッドアイラックホールの「軽音楽フェスティバル」でお会いしましょう。ぼくは「かえる目」で出演します。→軽音楽フェスティバル@キッドアイラックホール 5/28
休日の地元は悪くない。休みだけれど、観光地ほどがつがつはしてなくて、自転車をこぐ人も心持ちのんびりしている。そしていい天気だ。 自転車で移動しているのが休み時間。「のびたさん」という曲を作る。そしてまだ終わらない原稿。
学生のひとりが、統計学でちょっとつまずいているので教えて欲しいという。話を聞いてみると、どうも正規分布の理解でつまずいているらしい。
正規分布は統計の基礎を学ぶときの最初の山場で、数学好きならともかく、入試で数学の難関をくぐり抜けずに来た学生がけっこういるうちの大学のような場合、正規分布の定義をごりごり数式責めで教えるのは考えものだ。正規分布の数式の意味は・・・なんてことを一時間ぐらい話すと、みるみる学生が脱落していくのは目に見えている。かといって、正規分布を知らずに統計学を理解することはほとんど不可能である。
だから講義では、正規分布の数式を「へんてこな式ですね」と黒板にさらさら書いてさっと消し、あとは正規分布の基本的な性質(左右対称だとか、釣り鐘のくびれがなぜか標準偏差に等しくなるとか、中心から標準偏差の幅で面積を測るとなぜか34%のデータが収まるとか・・・うんぬん)、というのをひとつひとつ教えていくという形式を取っている。
さて、その学生のつまずきが何なのかを聞いてみると、どうも問題は、単に数式がわからないことではないらしい。「数式は最初はすっ飛ばしてもいいから」といっても、なかなか表情が釈然としないのである。
どうやら、彼の悩みは「飛ばせない」ところにあるらしい。
正規分布の数式はなかなかわからない。わからないが、それを保留にしたまま次へ進んでしまう、というのが釈然としないらしいのだ。なるほど。
それで、「ある概念を「保留」したまま次に進むというのは、ものを考えるときの基本である」という話をする。
人が何かを思いついたり腑に落ちたりするときには、ひとつひとつの概念にいちいち的確な定義が与えられて、それに導かれていくふうにものごとは進んでいかない。むしろ、最初は、なにかもやもやしたことを言い当てようとしていることばを、わからないまま使い始める。あるいは、こんなにシンプルに考えちゃっていいの?というような定義から始める(操作的定義、というやつだ)。使っているうちに、だんだんそのことばにまつわるさまざまなエピソードが積み重なっていくと、最初はあいまいだった輪郭が見えてくる。あるいは、思っていた定義では間に合わないこともわかってくる。最初から何もかもがばーんと見えるわけではない。
あることばがなんだかピンと来ないときに、釈然としない感覚は、悪くない。悪くないのだが、そこでぱったり止まってしまうと、その先の広大な領域が手つかずになってしまう。そこで、とりあえず保留したままそのことばを使っていく。すると、だんだん保留していることばの周りに「それはこんな風に使えるでしょ」「それはこうも言えるでしょ」といわんばかりにさまざまな言説が集まってくるように見え出す。なぜそう見え出すかといえば、保留されているがゆえに、そのことばにまつわる考えがこちらの気持ちにどんどんひっかかってくるからだ。
中身のわからないことばの周りにいろいろと知恵が集まってくると、おもしろいことに、最初は見えなかったことばの輪郭がだんだん感じられてくるようになる。そうなると、ことばが「使える」ことが分かってくる。「保留感」が消えるわけではないが、その「保留感」ゆえに、「使える」のである。
・・・というような話をして、ようやく学生の顔がちょっと晴れる。よしよし。
毎年、四半期で済ませている「コミュニケーション論」を今年は半期やることになったので、ちょっと感じが違う。毎年、かなり快速に飛ばしてしまうトピックでも、学生に考えてもらう余裕がある。こちらであらかじめコンセプトをずばずば列挙していくのではなく、学生に何か考えを言ってもらってそこからトピックを拾って講義につなげていくスタイルに変わった。
おもしろいことに、簡単な発語の重複例をもとに学生にあれこれ意見を出してもらうと、こちらがとくにヒントを出さなくても、「注意の向き方」「礼儀正しさ」「指示語とジェスチャー」という風に、分析にとって重要なトピックが次々挙がってくる。まずは「注意」の問題を会話の問題と結びつけるために、いつもならずいぶんあとの方で説明する関連性理論の「相互顕在性」の問題を話す。
今年からは通常のゼミとは別に、大学院を志望する人のために外書講読の自主ゼミを開いている。自主ゼミといっても、Hilgard & Atkinsonの心理学のテキストを読むということ以外、別にさしたる内容は考えていない。
じっさい一人一人に訳してもらうと、パラグラフの構造をさっと読み取るのが苦手だということがわかる。学生がつまずくのは、単語というよりは、英語の構造らしい。たとえば コンマとコロンとセミコロンの使い分けだとか、one...another と one...the otherなどという表現の違いから、列挙と対照との違いを感じるセンスだとかだ。それで、まず、パラグラフを30秒ぐらいで読んで、それを大づかみにしてもらうというのを何度かやってもらうスタイルにする。これがどれくらい効果があるかはもう少しやってみないとわからない。
文章の構造に自覚的になってもらうには、もしかすると、Strunk & Whiteのような、英語の書き方マニュアルを教材にするほうがいいのかもしれないとも思う。
遅々として進まぬ原稿も抱えていることだし、月・火を休講にして全部連休にしてしまったらよかったのかもしれない。が、四月にちょっといいテンションになった学生の雰囲気をキープするには、あまり休まないほうがよい気がして、結局、休講はなし。
今日は実習で、ドアというインターフェースについて考えるというネタ。このアイディアを思いついたのは、もうずいぶん前のことだ。最初は、ドン・ノーマンの「誰のためのデザイン?」に載っている、ドアを押す場合と引く場合でインターフェースの形が違う、という話がおもしろくて、それを紹介しただけだった。
しかし、じっさいにドアを押したり引いたりする人を観察していると、ドアのインターフェースじたいもさることながら、同じデザインのドアでもずいぶんいろんな開け方があることがわかってきた。ドアに至るまでの歩幅の調節に始まって、手と足の出し方、体重のかけ方、そして重いドアのスキマを抜けるときの体の入れ方など、じつにさまざまな工夫があって、これだけで一つの身体論ができそうなくらい。
それで、年々説明が細かくなってきて、今年はとうとう、ドアだけで三時間の実習というメニューになった。
今日は映像に頼らず、じっさいに観察するだけでどれだけのことをフィールドノートに書けるかを課題にしたのだが、最初は「楽しそうに開けている」とか「とまどっている」といった抽象的かつあいまいな表現がけっこう多かったので、いったん全員を集めて、記述のしかたをアドバイスする。 二回目になると、少し観察が具体的になって、どちらの手、どちらの脚がどんなタイミングで前にでているか、というような記述ができる人がちらほら出てくる。それをピックアップして、簡単な仮説を考えて貰い、その仮説を検証することを目的に三回目の観察に出て貰う。終わったら、各班でデータを集計してもらい、結果を提出。今日はここまで。
来週・再来週は、今日の集計結果を検討したあと、今度はドアの開け閉めをマイクロ分析してもらう予定。ちょっとここにその内容をメモしておこう。
まず、今日ぼくが撮影したドアの開け閉め映像を見てもらって、学生に観察可能な変数が何かを考えてもらう。すでに学生は簡単な仮説を検証すべく観察体験をしたり、自分でドアを開けながらその体感を確かめているから、おそらくいろいろアイディアが出てくるだろう。ドアへのアプローチの方法、荷物を持っているかどうか、連れがいるかどうか、歩く速さはどうかなど、さまざまなパラメータがあがってくると思われる。これで一時間。それから、全学の休み時間を狙って、大学内にビデオを設置して、じっさいのドア開閉行動を分析可能な例数だけ撮影する。これでもう一時間。さらに残りの一時間で、撮影したビデオを全員で見ながら、各例に番号を振り分け、まずは簡単な特徴を備考欄に書いてもらう。ここまででたぶん来週分は終わりだろう。
再来週は、撮影したビデオを編集してDVDに焼き、各班に配る。各班はそれぞれの担当するパラメータについて、データをマイクロ分析する。班の数だけ学内からモニタとDVDプレーヤー、そしてそれを再生する場所を確保しなければならないが、まあこれはなんとかなるだろう。
2時間くらいかけても、たぶん分析は終わらないだろうけど、ここでいっぺん締めて、各班数分くらいでわかったことを簡単に発表してもらう。たぶん最初は発表のスタイルもばらばらで声もあまり出ないだろうから、いろいろダメだしとアドバイスが必要になるだろう。これで一時間。
そして次の週までに今度は、より綿密な分析をしてもらって、本格的な発表をしてもらう。映像の見方やデータのまとめ方については随時相談に乗らねばならないかもしれない。
こんなことを考えて、ああこれは今年も忙しくなるなという予感がすると、じつはほんのすこし憂鬱で、その憂鬱さも含めて、五月がやってきたなという感じがする。