朝5時15分に家を出てから関空まで3時間以上。うんざりするほど長い。
飛行機に入ったらがっくり眠ってしまい、離陸したのも分からなかった。
日本海あたりで起きて、それからずっと「ロリータ」。一文ごとに大西洋を横断するかのように、ハンバートというヨーロッパはロリータというアメリカを凌辱し、ロリータというアメリカはハンバートというヨーロッパを毒し屈服させる。このような「無上のよろこび」がアメリカで受けるのもうなづける。
米語をヨーロッパのことばが愛撫し、読者(あるいは陪審員)への演技的な身振りが回想の耽溺へとすべりこむ、その違和感を訳するのは至難の技なんだけど、ちょっとだけやってみよう。
どんなにかお笑いになる読者もおられるだろう、じつを言えば、私は電報の文句に四苦八苦していたのだから! なんと打てばいいか、ハンバート ト ムスメ? ハンベルク ト チイサナムスメ? ホンベルク ト ミセイネンジョシ? ホンブルク ト コドモ? ふざけた間違いだ、Humbertのtがgだなんて。偶然起こった間違いではあるが、あるいは私の口ごもりがそのままテレパシーになってこだましたのだろうか。
そしてビロードのようなその夏の日の夜、用意した媚薬に悶々とは! 情けなやハンバーグ! おまえは宿の名前よろしく「愉快な狩人」だったのではないのか、用意も周到に魔法の弾薬を箱一杯につめてきたくせに。不眠症の魔を眠らせるべく、いっそこのアメシスト色のカプセルを一粒試そうか。カプセルは四十粒、四十粒すべてが告げる四十の夜、そのそれぞれに小さく脆い眠り人がいる、激しく脈打つ私のかたわらにいる。そのうちの一夜を今宵私が眠るために頂戴していいものか?とんでもない。一粒一粒が、かけがえのない小さなプラム、いきいきとした星くずのつまった顕微鏡下のプラネタリウムなのだ。ああ、しばし感傷にひたらせていただきたい! 皮肉にかまえるのはもう飽き飽きなのです。(p109)
エコノミークラスの椅子の背の液晶が下界の映像を映し続ける。ときおりホワイトバランスが狂い、ツンドラが真っ赤になる。「ロリータ」は第二部に入り、旅の始まりにふさわしい、うんざりするような旅の話へと移る。ハンバートはロリータを連れ、モーテルからモーテルへとドライブしながら、アメリカを縦横していく。
そんなに憮然とにらみつけなさいますな、読者のみなさまがたよ。私は自分が「幸せ」になりそこねたなどと思われたいのではない。これはわかっていただきたい、ニンフェットを所有し隷するということは、「幸せを超越している」のです。ニンフェットを愛撫するそのよろこびはまさしく無上、この地上に並びないもの。その無上はまさにヒョーショージョーもの、まるで別のレベル、別の感覚の地平に属するのです。」(p166)