- 19990429
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▼鏑木清方展。圧倒的にすごいと思ったのは、「墨田河舟遊」。六曲一双の屏風絵で、これはカタログで見るより屏風として立てて見るべき。すると、「吉野」という舟の舳先が突き出すように河からこちらに迫り出してくるのがわかる。その舟の屋根には、大胆に乗った船頭たちが隣の舟を竹竿で押す姿。特に屏風の左側から中央に向かって歩きながら見ていくと、この男たちによって、舟の上下左右がひとつながりになってしまったような奇妙な錯覚に陥る。中で演じられている人形遊びの人形が、一瞬、人のように見えて、大小遠近の感覚を一層狂わせる。そして濃淡の空気遠近。「吉野」の舟の存在感に比べると、すぐそばですれ違う屋形舟さえごくごく淡く、遠い猪牙舟や猿まわし、網漁の小舟となると、そこにはほとんど波らしい波もなく、浮世離れした冥界の乗り物のようだ。「吉野」の内部にも簾で前後が隔てられ、奥行きが取り入れられている。
▼「讚春」の折れ曲がった橋の異様さ。屏風に描かれた河はどれもおもしろい。河の屈曲、船の屈曲が、のたうつ波のように屏風に踊る。
▼いっぽうで、ぼくはどうも日本画女性の優美さへの感覚が欠けているのか、女性画のほうにはピンと来ない。「妖魚」など、司馬江漢の描く異形の人魚が、ぶよぶよとした肥大したあとのように感じられた。
▼屏風には、微かな塗むらだけが漂う空間がしばしば設けられている。曲となることで、ほとんど何も描かれない空間がいっそう強調される。清方の屏風には、大胆な空白が多い。その中で、ひときわ印象的なのは初期の「若き人々」だ。右隻の少女の手は何ものかを投げている。それは屏風の左側から近づくと、虚空に向かって腕をさしのばしているようにも見える。やがて左隻の全貌が見えると、少女が投げたのは椿の花と知れる。花は、投げた勢いのせいなのか、花びらが一枚散って、花に先んじて飛びつつある。もう一人の少女が舟上にいて、扇でこれを受けようとしている。稚戯にもかかわらず、そこには笑みはない。稚戯ゆえに世界が変わろうとしている。▼曲になった屏風を正面から見ると、右隻の少女の投げた手の示す先は、屏風の真ん中を突き抜け、絵の平面と異なる空間に通じている。そして左隻によって再び絵の平面に受け止められ、そこに花が現われる。絵というこの世から、絵ならぬあの世を通過し、また絵に転生し花となったもの。転生のスピードが散らせた花。
▼震災以後の風俗を描いたものや「卓上芸術」に感じられるするせつなさ。「明治風俗十二ヶ月」には、初期の抱一上人に見られるような、柱絵を思わせる、縦長に空間を切り詰めた緊張感は見られない。むしろ、失われた風俗を盛り込もうとすることで縦長の空間が縦にまとまり過ぎてしまう弱さがある。そのような弱さを認めるゆるやかさがある。
▼上の常設階に行くと、震災以前に描かれた、岸田劉生の描く「道路と土手と塀」の切り通しの、陰影の強さ。▼岸田劉生が非回顧的だったというわけではないだろう。銀座の服部時計店に生まれた劉生は、確か震災後の東京日日の「大東京繁昌記」に回顧的なエッセイを書いていたはずだ。そこにはまさに卓上的な木版らしきものさえあったような気がする。影を影としてくっきりと描かざるをえない事情が劉生にはあって、彼はその繁昌記の二、三年後に亡くなったはずだ。清方のほうがずっと長生きをした。
▼どうせなら太田美術館にもと思って原宿にいったら休みだった。竹下通りと表参道にはさまれた狭い上り下りを迷う。坂を感じながら歩くのは難しい。
▼高田馬場から早稲田へ古本屋めぐり。じつは早稲田の古本屋街に来るのは初めて。いやあ、パラダイス。神田より断然値段が安い。財布の紐をしめねばと思いつつ、「台東区百年の歩み」が神田の半値以下で、つい買ってしまう。他に、じつは図書館で借りて読んだきり手元になかった浅草十二階小説「十二階の柩(楠木献一郎)」が手に入ったのもうれしい。けっきょく肩が抜けそうなくらい買う。▼6時ごろ、雲間から低い日差しが坂の上に出る。夕焼けにはまだ早く、雨上がりのアスファルトが光をはねて、「アメリカの夜」のような明るさ。
▼二十年ぶりくらいに藤村の「破戒」を読み直す。やっぱおもしろい。何から何を思いつくか、という点で、花袋より圧倒的に詩人だ。たとえば丑松は、いつ過去にさかのぼるか。吉本隆明風に言うと、彼の無意識は「荒れている」のだが、その抗えない荒れの時系列を見ようとする営み。これはカミングアウト「小説」なのだ。カミングアウト、ではなく、小説、のほうにかっこがつく。カミングアウト自体はむしろ弱々しく、情けなく、卑下され逃げ腰になったものに過ぎない。が、カミングアウトの先送り、要所要所で想起される父の戒めが小説の推進力であり「私」を駆動している。だから、先をどんどん読み進みたくなる。▼最後の生徒に向かっての告白や、ラストのテキサス行きがあまりに卑下された弱々しいものに見えるのは、カミングアウトの先送りが消滅したからだ。ラストで「私」が解放されたのではなくて、先送りによって駆動していた「私」が消滅したのだ。
▼藤村も花袋も眺望について何度も書いているが、その書き方はよほど違う。藤村は景色を、彼の荒れによって見た。匂うように苛立たしいその並び。花袋には荒れへのあこがれだけがあって、ただ律儀に右から左に並べる。その右から左に並べたときの平坦さが味になっている。花袋は山を書いても、関東平野のようにだだっぴろくなる。
▼ちなみにぼくは花袋の「蒲団」をけっこう面白く読んだ。うだうだしてるところも含めて。福田恆存が解説で「蒲団」のいくつかの見せ場について「おそらく今日の読者の笑いを誘うところでありましょう」って書いているが、いいじゃん、笑うところで。それも込みだろう、「蒲団」は。正宗白鳥が、ラストが不自然だという旨のことを書いているのを読んだこともあるけど、蒲団の匂いを嗅ぐのがそんなにありえないことか。こっそりやったりするんじゃないですか、わざわざ蒲団を解いて女や男の残り香を嗅いで悶絶するなんて。だいたい、オナニーをするときって、我知らずきちんと段取りを考えるもんだし、頭の中が性欲で占められてるときは、日常の身近なものをああにもこうにも頭の中でアレンジオナニーするもんでしょうよ。 ▼だいたい明治の「純文学」はきまじめに読まれ過ぎるのだ。啄木の歌だって「笑いを誘うところ」は実はいっぱいあるけど、それは本人も承知で金田一京助と「大笑い」しているのだ。
▼いっぽう、福田恆存が苦しそうに評価している花袋の紀行文的な文章は、必ずしもうまくない。花袋は健脚家過ぎる。
■ 小山と小山との間に一道の渓流、それを渡り終って、猶その前に聳えている小さい嶺を登って行くと、段々四面の眺望がひろくなって、今まで越えて来た山と山との間の路が地図でも見るように分明指点せらるると共に、この小嶺に塞がれて見得なかった前面の風景も、俄かにパノラマにでも向ったようにはっと自分の眼前に広げられた。 上州境の連山が丁度屏風を立廻したように一帯に連り渡って、それが藍でも無ければ紫でも無い一種の色に彩られて、ふわふわとした羊の毛のような白い雲がその絶巓からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡いている工合、何とも言えぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向うの山を越えて、遥かに帯を曳いたような銀の色のきらめき、あれは恐らく千曲の流れで、その又向うに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であろう。と思って、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿! (重右衛門の最後)
▼延々と続く花袋の山。彼がその奇観を述べれば述べるほどことばは平坦になっていく。 ▼そしてほら、藤村のは明治のロードムービーだ。
■ 四人は早く発(た)った。朝じめりのした街道の土を踏んで、深い霧の中をたどって行った時は、遠近(おちこち)に鶏の鳴きかわす声も聞こえる。その日は春先のように温暖(あたたか)で、路傍(みちばた)の枯れ草も蘇生(いきかえ)るかと思われるほど。灰色の水蒸気は低く集まって来て、わずかに離れた森のこずえも遠く深く烟(けぶ)るように見える。四人はあとになり先になり、互いに言葉を取りかわしながら歩いた。わけても、弁護士の快活な笑い声は朝の空気に響き渡る。思わず足も軽く道もはかどったのである。 (破戒)
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