月別 | 見出し(1999.1-6)



19990430
▼東京写真美術館へ。アニメーション展示室の「KAGE」の影ぶり楽し。平面に影が動くことで、影を投げるこの世にない実体のありかが思い浮かぶ。上の企画展では、写真を貼り合わせてファサードの平面性を強調したブリュッセルの写真が印象に残った。▼で、森山さんに久しぶりに会ってあれこれ近況報告。金子さん岡塚さんと小川一眞話。大阪3D協会仕掛人の一人だった木下京子さんは、いまフィラデルフィアで小川一眞研究をしてるとか。6月には東京写真美術館で小川一眞大公開だという。というわけで、ここに来てにわかに小川一眞がブレイクか?▼じつは小川一眞は浅草十二階で「百美人」を撮影した人であり、しかも十二階の設計者バルトンと懇意だった人でもある。というわけで、急遽小川一眞関係文献を図書館で漁る。ステレオ写真家にして洋画家の横山松三郎のことも気になるし、結局明治の写真史を勉強しなおすことになりそう。

▼夕暮れに高田馬場。あ、馬場口を行く学校帰りの人よ、君の肩越しにすごい満月が出てるよ。▼しかし、古本屋街が8時まで開いてるなんて恵まれてるなあ。結局また袋が抜けそうなほど買う。

19990429
▼鏑木清方展。圧倒的にすごいと思ったのは、「墨田河舟遊」。六曲一双の屏風絵で、これはカタログで見るより屏風として立てて見るべき。すると、「吉野」という舟の舳先が突き出すように河からこちらに迫り出してくるのがわかる。その舟の屋根には、大胆に乗った船頭たちが隣の舟を竹竿で押す姿。特に屏風の左側から中央に向かって歩きながら見ていくと、この男たちによって、舟の上下左右がひとつながりになってしまったような奇妙な錯覚に陥る。中で演じられている人形遊びの人形が、一瞬、人のように見えて、大小遠近の感覚を一層狂わせる。そして濃淡の空気遠近。「吉野」の舟の存在感に比べると、すぐそばですれ違う屋形舟さえごくごく淡く、遠い猪牙舟や猿まわし、網漁の小舟となると、そこにはほとんど波らしい波もなく、浮世離れした冥界の乗り物のようだ。「吉野」の内部にも簾で前後が隔てられ、奥行きが取り入れられている。

▼「讚春」の折れ曲がった橋の異様さ。屏風に描かれた河はどれもおもしろい。河の屈曲、船の屈曲が、のたうつ波のように屏風に踊る。

▼いっぽうで、ぼくはどうも日本画女性の優美さへの感覚が欠けているのか、女性画のほうにはピンと来ない。「妖魚」など、司馬江漢の描く異形の人魚が、ぶよぶよとした肥大したあとのように感じられた。

▼屏風には、微かな塗むらだけが漂う空間がしばしば設けられている。曲となることで、ほとんど何も描かれない空間がいっそう強調される。清方の屏風には、大胆な空白が多い。その中で、ひときわ印象的なのは初期の「若き人々」だ。右隻の少女の手は何ものかを投げている。それは屏風の左側から近づくと、虚空に向かって腕をさしのばしているようにも見える。やがて左隻の全貌が見えると、少女が投げたのは椿の花と知れる。花は、投げた勢いのせいなのか、花びらが一枚散って、花に先んじて飛びつつある。もう一人の少女が舟上にいて、扇でこれを受けようとしている。稚戯にもかかわらず、そこには笑みはない。稚戯ゆえに世界が変わろうとしている。▼曲になった屏風を正面から見ると、右隻の少女の投げた手の示す先は、屏風の真ん中を突き抜け、絵の平面と異なる空間に通じている。そして左隻によって再び絵の平面に受け止められ、そこに花が現われる。絵というこの世から、絵ならぬあの世を通過し、また絵に転生し花となったもの。転生のスピードが散らせた花。

▼震災以後の風俗を描いたものや「卓上芸術」に感じられるするせつなさ。「明治風俗十二ヶ月」には、初期の抱一上人に見られるような、柱絵を思わせる、縦長に空間を切り詰めた緊張感は見られない。むしろ、失われた風俗を盛り込もうとすることで縦長の空間が縦にまとまり過ぎてしまう弱さがある。そのような弱さを認めるゆるやかさがある。

▼上の常設階に行くと、震災以前に描かれた、岸田劉生の描く「道路と土手と塀」の切り通しの、陰影の強さ。▼岸田劉生が非回顧的だったというわけではないだろう。銀座の服部時計店に生まれた劉生は、確か震災後の東京日日の「大東京繁昌記」に回顧的なエッセイを書いていたはずだ。そこにはまさに卓上的な木版らしきものさえあったような気がする。影を影としてくっきりと描かざるをえない事情が劉生にはあって、彼はその繁昌記の二、三年後に亡くなったはずだ。清方のほうがずっと長生きをした。

▼どうせなら太田美術館にもと思って原宿にいったら休みだった。竹下通りと表参道にはさまれた狭い上り下りを迷う。坂を感じながら歩くのは難しい。

▼高田馬場から早稲田へ古本屋めぐり。じつは早稲田の古本屋街に来るのは初めて。いやあ、パラダイス。神田より断然値段が安い。財布の紐をしめねばと思いつつ、「台東区百年の歩み」が神田の半値以下で、つい買ってしまう。他に、じつは図書館で借りて読んだきり手元になかった浅草十二階小説「十二階の柩(楠木献一郎)」が手に入ったのもうれしい。けっきょく肩が抜けそうなくらい買う。▼6時ごろ、雲間から低い日差しが坂の上に出る。夕焼けにはまだ早く、雨上がりのアスファルトが光をはねて、「アメリカの夜」のような明るさ。

▼二十年ぶりくらいに藤村の「破戒」を読み直す。やっぱおもしろい。何から何を思いつくか、という点で、花袋より圧倒的に詩人だ。たとえば丑松は、いつ過去にさかのぼるか。吉本隆明風に言うと、彼の無意識は「荒れている」のだが、その抗えない荒れの時系列を見ようとする営み。これはカミングアウト「小説」なのだ。カミングアウト、ではなく、小説、のほうにかっこがつく。カミングアウト自体はむしろ弱々しく、情けなく、卑下され逃げ腰になったものに過ぎない。が、カミングアウトの先送り、要所要所で想起される父の戒めが小説の推進力であり「私」を駆動している。だから、先をどんどん読み進みたくなる。▼最後の生徒に向かっての告白や、ラストのテキサス行きがあまりに卑下された弱々しいものに見えるのは、カミングアウトの先送りが消滅したからだ。ラストで「私」が解放されたのではなくて、先送りによって駆動していた「私」が消滅したのだ。

▼藤村も花袋も眺望について何度も書いているが、その書き方はよほど違う。藤村は景色を、彼の荒れによって見た。匂うように苛立たしいその並び。花袋には荒れへのあこがれだけがあって、ただ律儀に右から左に並べる。その右から左に並べたときの平坦さが味になっている。花袋は山を書いても、関東平野のようにだだっぴろくなる。

▼ちなみにぼくは花袋の「蒲団」をけっこう面白く読んだ。うだうだしてるところも含めて。福田恆存が解説で「蒲団」のいくつかの見せ場について「おそらく今日の読者の笑いを誘うところでありましょう」って書いているが、いいじゃん、笑うところで。それも込みだろう、「蒲団」は。正宗白鳥が、ラストが不自然だという旨のことを書いているのを読んだこともあるけど、蒲団の匂いを嗅ぐのがそんなにありえないことか。こっそりやったりするんじゃないですか、わざわざ蒲団を解いて女や男の残り香を嗅いで悶絶するなんて。だいたい、オナニーをするときって、我知らずきちんと段取りを考えるもんだし、頭の中が性欲で占められてるときは、日常の身近なものをああにもこうにも頭の中でアレンジオナニーするもんでしょうよ。
▼だいたい明治の「純文学」はきまじめに読まれ過ぎるのだ。啄木の歌だって「笑いを誘うところ」は実はいっぱいあるけど、それは本人も承知で金田一京助と「大笑い」しているのだ。

▼いっぽう、福田恆存が苦しそうに評価している花袋の紀行文的な文章は、必ずしもうまくない。花袋は健脚家過ぎる。


 小山と小山との間に一道の渓流、それを渡り終って、猶その前に聳えている小さい嶺を登って行くと、段々四面の眺望がひろくなって、今まで越えて来た山と山との間の路が地図でも見るように分明指点せらるると共に、この小嶺に塞がれて見得なかった前面の風景も、俄かにパノラマにでも向ったようにはっと自分の眼前に広げられた。
 上州境の連山が丁度屏風を立廻したように一帯に連り渡って、それが藍でも無ければ紫でも無い一種の色に彩られて、ふわふわとした羊の毛のような白い雲がその絶巓からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡いている工合、何とも言えぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向うの山を越えて、遥かに帯を曳いたような銀の色のきらめき、あれは恐らく千曲の流れで、その又向うに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であろう。と思って、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!
(重右衛門の最後)

▼延々と続く花袋の山。彼がその奇観を述べれば述べるほどことばは平坦になっていく。
▼そしてほら、藤村のは明治のロードムービーだ。


 四人は早く発(た)った。朝じめりのした街道の土を踏んで、深い霧の中をたどって行った時は、遠近(おちこち)に鶏の鳴きかわす声も聞こえる。その日は春先のように温暖(あたたか)で、路傍(みちばた)の枯れ草も蘇生(いきかえ)るかと思われるほど。灰色の水蒸気は低く集まって来て、わずかに離れた森のこずえも遠く深く烟(けぶ)るように見える。四人はあとになり先になり、互いに言葉を取りかわしながら歩いた。わけても、弁護士の快活な笑い声は朝の空気に響き渡る。思わず足も軽く道もはかどったのである。
(破戒)

19990428
▼徹夜明けのせいか講義に我ながらキレがない。しかし、みんな英語苦手だねー。毎年英語の論文を題材にすると、論文の内容よりも英文読解になる。be able to とか as much asとか、ごく基本的な構文なんだけど、ableとtoの間、much とas の間に長い句が入るともうわかんなくなるんだな。
▼東京へ。「人間の進化的理解」研究会。Duncan CASTLES氏の「ヒトの顔の魅力:フェミニンな男顔・女顔への好み」。意外にも(最近の?)女性はフェミニンな顔の男を好む傾向があるらしい。しかも、生理周期との関係でいうと、妊娠確率の高い時期には逆に男っぽい顔への好みが増すという。で、CASTLES氏はこの現象を「高い遺伝的な室をひけらかす男性とのペア外交尾を行おうとする傾向が、進化的に女性の心に備わってきたことを示唆している」と説明している。うーん。まず、ペア外交渉には、生理周期以外に、すでにペアの男性がいるかどうかという点が問題になるはずだが、これは実験では検討されていない。それから、フェミニンな顔の男性が「よい親」「温かい」「正直」といったパーソナリティを持つかどうかは、じっさいに調べてみないとわからない(調べて見たらおもしろいかもしれない)。解釈は?だけど、生理周期によって男性の顔への好みが変わること自体は、あれこれ考える材料にはなりそう。▼帰りはえらい雨。


19990427
▼またもPowerBookの調子がおかしく、ついには起動時システムエラーが。なんか最近体から悪い静電気でも発しているのか。結局初期化。ぼくはインストールとか再インストールとか再々インストールとか再再々インストールとかがいやでいやで今まで逃げてきたのに、つかまってしまった。結局徹夜。もう技術革新より、一年安定して使えるマシンが欲しい。


19990426
▼黒板の登場によって、教えることは新しい音の権力を得た。線を書くとき、まず白墨の先が黒板に当たって音を発する。白墨は黒板を擦りながらまた音を発する。カツという打音と、それに続くサーッという擦音によって、一つの画が引かれる。そうした音によって書かれたことばだけが、引き写すに値する。それは生徒がおのおの紙の上でシャープペンをすべらせるときのかそけき音とは対照的だ。生徒が書いている間にも、耳にカツカツという音が届く。生徒は書きながら、そのカツカツを聞き、目を上げればまた新しいことばが引き写されるのを待っていることを知る。

▼生徒が前に出て黒板に字を書かされるときに感じる気後れは、自分の字が思いがけない音を伴って書かれていくこと、線が構成する漢字の上手下手に関わらずその線が発する音を教室にいる者全員が聞いていること、そのような音の発し手という権力者にいきなり祭り上げられたことから来る気後れであり、だから、白墨はゆっくりと黒板に近づき、打音は弱く、そこからじりじりと黒板を擦りながら実直で遅い線によって、申し訳なさそうに権力を行使する。

▼なんて、えらく牧歌的な教室観だが、意外にも、黒板に書くや否や(その内容の重要度にかかわらず)教室のあちこちからさらさらという音が聞こえ出すのを、最近とくに感じるので、妙だなと思っているのだ。たとえばぼくが黒板に「アジャパー」と書いたら、みんなノートにアジャパーって書くんだろうか。

19990425
▼ACTでベティ・ブープを見せながらレクチャー。改めてフライシャーギャグのえげつなさ、死のイメージへの近さを思い出す。エセル・マーマンのバウンシング・ボールもの「You try somebody else」のオチはあまりにひどく、場内から声が上がる。▼二人はいろんな人とつきあって、でも結局二人にもどるのよ、てな小唄をエセル・マーマンが芝居気たっぷりに唄うのもすごいのだが、そのあとのアニメーションがひどい。舞台は刑務所で、脱獄をくわだてようとする受刑者たちは、塀の上から銃で一斉掃射される。それでも数人がなんとか脱獄に成功して電車に乗り込むと、座席が電気椅子になっていて、全員「ウピー!」という叫び声とともに電気ショックで飛び上がるというもの。▼フライシャーのアニメーションには教訓ものが結構多いのだが、この「You try somebody else」は、もはや教訓の度を越している。受刑者相手をいいことにかくも嬉々として人を殺せる感覚ってのはいったいなんなのか、そっちの方に興味が行ってしまう。

19990424
▼京都へ浮世絵を取りに行く。ご主人が「メッサ」といって奥から出てこられる。今日も長居をしてしまった。
▼外国とかに流れた浮世絵は、よう分厚い紙に接着剤で裏打ちしてます。それをね、「へぐ」んですわ。裏打ちがあるとそれでもうばあっと値打ちが下がりますから。うまいこと接着剤ごとへいでいくと、厚さが薄う薄うなって、もとの三分の一くらいになります。昔はごつい紙に刷ってましたから、そういうのが多いんですわ。▼ボストンとかから展覧会できますやろ。そしたら額に入れたりするのに、しろうとやったらあかんいうのんでうちに来たりしますねんやわ。ほしたら、やっぱりそういう薄うなってるのんが来ましてね、これはへいだあるんやからうまいこと持たんとすぐ破れてしまいますのんやて言うと、やっぱりそういうのは扱うてる人やないとわからへんもんやなあと言われます。▼で、箱から出して額に入れるときと、額から出して箱に入れるときと。出し入れのときだけ触らしてもらえるんですわ。そんときにこう(両手で紙の両はじをつまんで)なぶらせてもろて、それで紙の質を覚えるんですわ。▼なんぼ一所懸命勉強してもね、もう初めの頃の浮世絵とかは滅多にさわれませんわ。師宣が出て、丹絵、紅絵、漆絵とこう来ますでしょ、ところが丹絵なんてね、わたし一生で二枚しか手に入れたことおまへんねん。で、その一枚言うのはね、京都の市場にぽろっと出てましてん。穴が三つくらい開いてて、もう他の人は見向きもしはりませんで、わたしそれもう見た瞬間に腹が踊りましてね。▼その穴言うのが帯留めのところと端っこで、これが顔やったら値打ちがないんですが、帯やからまあなんとかなるんですわ。ところがね、それが古い紙ですから、あてよう思うても合うのがないんですわ。で、さがしてたらちょうど10万くらいの仏画が手元にありましてね、ちょうどおんなじ紙なんです。で、親父に聞いたらええから破けと。そんなこれ10万するのにて言うたら、10万でもなんでもこれ直すんやったらしゃあないやろ言うんで、結局その仏さんの絵の端っこを破きましてあてたんです。
▼まあ、こんなん長いことやってると、もうそういうええのんにあたったか思うたらやられた思うこともありましてね。市場で競るときもね、もう顔覚えられてますでしょ。そしたら、もうこっちが買うて向こうもわかりよるんですわ。そんで、買う気がないのに競りよるんですわ。こういうの「てこ入れ」言いますねん。▼それでいっぺん、漆絵のええのんが出たんですけどね、手にとって見たら、後から色を足したある。よう見たらだいぶあちこち直したある。これはちょっとあかんなあ思うて、息子に「50万までやったらまあ買うとけ、それ以上やったらやめとけ」て言うてもう帰りましてん。で、向こうは買わす気でおるので、どんどん値を上げていきますやろ、ところがこっちは50万でもうさっと引いてしまう。そしたら向こうも値いうた以上引っ込みがつかへんで仕方のう買う気がないもんを買ったそうです。こういうの「てこ折れ」いいますねん。▼ところが、その「てこ折れ」した絵がね、今思い出したら、欲しいんですわ。直してあってもあれは買うとくべきやったて思うんです。逃がした鯉は大きいちゅうんですかね。▼親父はよう「てこグチで買え」言うてました。そういうのんはてこが入るのんも覚悟で、てこも入れて買えいうことですわ。

19990423
▼市議選が近くてうちの向かいはちょうど事務所で一日中お願いコールでうるさくてしょうがない。戸を閉めきって生活することを前提にしてるな、この街は。だからこれだけお願いされても誰も文句を言わないのだ。お前が文句を言え。▼自転車で街を廻る候補者が何人かいる。てっきり経費節減かエコロジーなのだろうと思ったら、うしろから空席のある車がついてくる。なら、はじめから車に乗ればよさそうなものだが、あれは、気力と体力のあるところを見せたいということなんだろうな。パドックみたいなもんだ。パドックなのだな、この街は。
▼メール受信中に突如メーラーがハング。3ヶ月分の受信データがパー。ちょっとまってくれー、まだ返事書いてないねんぞー。最近どうもコンピューターのトラブルが多いな。▼日記に限らず、WWWのコンテンツはいつもエディタで直接タグを書いているのだが(といってもタグの多くは繰り返しだからコピー&ペーストしてるだけだが)、打ち込みながらタグの見えない日記というのも気分が違うかもしれないと思って、自動日記タグ生成環境を作る。改行のたびにbrタグを入れてたんだけど、それを意識しないで済むのは楽。けっこう便利だから配りたいところだが、そうなるとユーザーインターフェースに時間がかかる。それに、ふつうはHTMLエディタを使ってるよね。

19990422
▼午前中に京都のクイックガレージへ。CPU交換。修理はあいかわらずクイックでありがたい。往復に3時間以上かかるのがあまりクイックではないが。▼統計学の講義で、データ数を増やすと分散が減ることを実感してもらうべく、全員に鉛筆ころがしを課す。題して「人生は鉛筆ころがし」。「はい始めて」というと、教室に響きわたる百本以上の人生の音。いい音だな。録音機もってくればよかった。

▼最近絵はがきを集めるようになった。原稿の資料のためだが、同じような構図の絵はがきでも、ちょっとしたアングルの違いで、臨場感がまるで違うのがおもしろい。景物を入れようとするか、写している場所を出そうとするかで、ずいぶんと写真の質は変わる。一枚の絵はがきをずっと眺めて、明治の浅草を歩くことを考えるジャック・フィニィごっこ。

▼基礎知識メモ。郵便はがきが日本に登場したのは明治6年。はじめは硬い紙がなく二つ折りだった。単片になったのは明治8年から。このときは「端書」と表記した。明治12年には「葉書」という表記になった。明治33年に私製葉書が認められ、絵はがきの可能性が生まれた。明治35年に、逓信省が万国郵便条約改正二十五周年記念葉書を銅板網目刷りの六枚一組セットで売り出し、これが絵はがきの端緒となる。ブームになったのは、日露戦争時に戦況写真を軍部から入手し、一半を兵士に、一半を郵便局に売り払ったことに始まる。この日露戦争絵はがきは毎回発売されるたびに飛ぶように売れた。(「通信」高橋善七/近藤出版社を参考にした)

19990421
▼講義講義。入れ替わり学生が来る。

19990420
▼パソコンが壊れてるので不自由なのだが、会議会議講義。彦根の町を歩く実習。バスに乗り遅れてずっこけ実習になった。駅前のアルプラザから佐和町・京町・登り坂と南へ歩き続ける。

19990419
▼楽友で発表。各人が自分のコップを決める方法について。どちらかというと推理小説風の解析になった。つまり、文脈を立てながら、前後関係の読み方を絞っていくという方法。問題は文脈が恣意的に立てられるということなのだが、文脈の必然性を保証するメタ文脈を考えてしまうと、今度はそのメタ文脈を保証するメタメタ文脈が必要になる。メタメタ言うな。平面勝負だ。
▼飲み会で、うなずきの話。▼「講義でいるんだよなあ、最前列に座ってすごくうなずいてくれるの。で、あとで質問すると、こっちの言うことまるでわかってなかったりする。ああいう人ってなんでうなずいてるんだろ」「うなずきって、理解したり理解を促す行為ってよりは、理解したことを表現する行為だったりするのかもね。しかしおかあさんみたいね。よしよしって。」「的確にうなずく人っていないかな。世界が激しく変わるときだけうなずく人。その人がうなずくときの世界はすごいよ、とか。で、みんながその人がうなずくのを待ってんの。ニュースにもなる。『昨夜10時頃、○○さんが深くうなずきました』とか」

19990418
▼研究発表のために会話データのQuickTimeムービーを再生しまくっていたら、PowerBookがブートしなくなり、デスクトップのシステムが壊れた。いやはや。仕方ないのでデスクトップのシステムを再インストールして2時間。3日かけておこしなおしたデータを徹夜で打ち直し。だいたい仕事が佳境に入ってくると、ふだんにも増して同時にあれこれ立ち上げるのだが、そのおかげでいつも間際にマシンが壊れる。

▼会話分析では、解析の場面でもプレゼンテーションの場面でも、映像とプロトコルをいかに結びつけるかが重要になる。具体的には、ムービーの内容を文字列で入力することができ、ムービーの各場面と文字列の間に手軽にリンクが貼れる環境があればよい。▼じつはそのための環境は大分前に作ってあって、何人かの人には使ってもらってるのだが、困ったことにこれがよく落ちる。QuickTime 3.0+ HyperCard 2.2+2400c/180という環境のせいかもしれない。一日データおこしをしてると数回は落ちる。しょっちゅうバックアップをとっていないと安心できない。アップルが安定したHyperCard環境もしくはそれに類似したQuickTime環境を作ってくれればいいのだが、いまのところは期待できそうもない。▼ただし、調子のいいときはこれに勝る会話分析環境はない。巻き戻しも早送りもいらない。ショートカット一発で特定の箇所をスローでループ再生できる。動作の起点と終点をメモっておいて、あとでそのメモをクリックすると即座にその場面から立ち上がる。複数の人間のプロトコルを並べ替えて、時系列順にも参与者別にもデータを眺めることができる。▼そして、こうした環境で眺めることで、思わぬ動作どうしの同調や協調が発見される。もちろん、偶然か必然か疑わしい同調もある。が、前後の行動に網の目のように文脈をはりめぐらせた結果発見される同調は、(ある程度)必然として説明できる。関係分析の単位を細かくするということは、単に高速度撮影のようなスナップショットをとることではない。それは前後関係の単位を細かくしていくということであり、ある時刻とある時刻を結びつける新しいスケール、新しいやり方を発見することだ。

19990417
▼仕事モード。

19990416
▼夜中近く倉谷さんから電話。梅園和彦さんの話。といってもぼくは実は二度しかお目にかかったことがない。そのうちの一回は昨年の冬のことで、三人で古本屋巡りをした。
▼たまたま講談社文芸文庫の竜胆寺雄が出てるのを見つけて、「あ、『放浪時代』って文庫になってたんだ」と言ったら、「でも、ほんとは初期の短編にもっといいのがあるんだよね」と言うので「そういえばむかしアスタルテ書房で」と答えかけると「そうそうキリコの表紙のやつ」と、一気に話が「風−に関するEpisode」になった。まだ、アスタルテが三条大橋のそばにあったころに彼も通っていたという。あの本をあの本屋で買った人に出会ったのは初めてだった。

▼ぼくは自分の世代や出身学校にさしたる思い入れはない。ただ、1970年代末に大学生になり京都で生物学のことをあれこれ考え、tRNAの全塩基配列決定などという当時としては途方もないことに手を染めながら、なぜかアスタルテのような本屋に足を踏み入れたりして山のように本を買ってた、そういう人がどのような生物観を育みつつあったのか考えるとき、それはぼくとは全く違う境遇と感性によるものであっただろうにも関わらず、そこにぼく自身のあのころ見たできごとが養分のように浸みていくさまを、どうしても思い描いてしまう。

■塔は地球のまるみのてッぺんに立っている。藍色の海とレモン色の陸とがこの地球儀を地図で染め分けて、海の縁には秋らしい白い笹縁が沫(しぶき)をあげている。
 僕は淋しい旅人だ。
 僕は地球儀のまるみの明るい秋の淋しさを、赤い書物を小腋に一人で歩き廻る。藍色の海の向うは冬だ。硝子色の透明なその天蓋に、僕は雪雲を感じる。あのアスピリンの様な粉雪を冬にはらんだ雪雲を。

(塔の幻想/龍膽寺雄)
月別 | 見出し(1999.1-6)

日記