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よりぬき
19981130
▼ひさしぶりにJavaScriptをいじる。OSAKA.EXEのようなフィルタを作りたいのだが、自分でいちから作る能がないので、先人のスクリプトをあれこれ参考にする。CGIだと、外部ファイルを参照させたりしながら、適当にプログラムの使用メモリを軽減できるわけだが、JavaScriptだと、文書や辞書全体を変数として丸投げするので結構たいへん。それとも、じつは外部ファイルを使う手があるのかな>JavaScript。
▼この種の変換ツールでの問題点?をメモっておこう。まず、辞書はたいてい以下のようになるだろう。
変換前文字列
区切り文字
変換後文字列
改行
1
話す
/
しゃべる
↓
2
話
/
ハナシ
↓
3
スムーズだ
/
会話はキャッチボールや
↓
4
君
/
キミ
↓
▼上のような辞書をうまく組むと、「話は変わるけど君と話すとスムーズだね」が「ハナシは変わるけどキミとしゃべると会話はキャッチボールやね」となる。▼さて、問題が2つほどある。まず、変換前の複数の行に同じ文字列が含まれる場合(例1,2)。もし先にすべての「話」を「ハナシ」に変換してしまうと、「話す」が「ハナシす」になってしまう。だから、
長い文字列ほど先に変換
という処理が必要になる。これには、辞書を文字列の長さで並べ替えればよい。
次に、変換後の文字列に別の変換前文字列が含まれている場合(例2,3)。もし、「スムーズだ」を3で変換したあと、それが2で変換されると、「スムーズだ」>「会話はキャッチボールや」>「会ハナシはキャッチボールや」となってしまう。だから
変換済みの文字列は変換しない
という処理が必要になる。これには、変換された文字列の前後になにかマークを付けてそこを避けるようにすればよい。
▼で、今日組んだScriptではこの2つの問題をどうしているかというと、えー、なにもしてません。完全を期すよりもズボラな変換の方が思わぬ味があっていいのだ。 ▼で、できたのが、現代思想風の文書を簡単にする「
だらだら文変換
」(はじりさーん、作ったよ)といにしえの「
現代思想文変換
」。前者は、ハードカバーの現代思想本のやたら言い回しの難しい文章などを食わせるといいでしょう。言い回しが簡単で中身がむずかしいって文章には不向き。「観念的」「概念」「エクリチュール」などといったことばであちこち検索してみるといいかも。
19981129
▼博物館の図書室で浮世絵の本を見てたら、酉の市の場面を描いたのがあった。格子のすきまから熊手を差しだす手を遊女が見ているの図。熊手はてのひらサイズなので、さほど高くない、いまなら2、3千円くらいのものか。おそらく馴染みの客が鷲神社で買って、そのまま吉原に寄り、女におみやげを持ってきた、というところだ。もしかしたら、今晩来るという意味かもしれないし、用事で来れないがこれで我慢してくれ、という意味かもしれない。▼大きな熊手を抱えて訪れるのは、昼見世を張っているから外出できない女にいかにも我が身の自由を自慢するようで、かわいそうだ。かといって、手ぶらもつれない。しかし手をにぎって情愛を通わせる時間がいまはない。というわけで、ふところから仮の手の熊手が出る。格子越しのやりとりだから、格子を抜けるほどの小ささだ。▼女が受け取ると、熊手は軽く、福飾りでちくちくする。こわれやすいから握りしめるわけにもいかない。そういう手をこの男は差しだす。渡し、受け取ることで、この逢瀬の別れを知る。▼会話は結論を導くとは限らない。しかし会話は終わる。会話は終わりの形式を必要とする。Opening up closing.
19981128
▼近頃、コタツの上でカチャカチャ打っていると、猫が、ビクターの犬のように前足を立てて座る。画面をのぞきこむ。ノートパソコンは、猫のTVみたいだ。漢字が変換されるのを見て顔を近づけたりする。隙間の多いひらがなが詰まった漢字に変わるのは、見ていておもしろいんだろうか。▼カチャカチャやる手元もよく見る。指をのぞきこむ。指をなめ始める。ついでに自身の身体もなめる。指が、なんだか猫の身体の延長になったような気がする。いまもなめられている。この指は、画面に現れる文字ともぼくとも関わりのない、猫のオマケの生き物のような気がする。そのオマケが動いて、文字が現れる。あ、リセットボタンを押しちゃだめ。
▼昼過ぎから彦根城博物館へ。彦根屏風の、刀にもたれる男。男の手首の先だけが誘うように曲がっている。その向いの女のだらりと下がった袖。出会うまなざし。しかし、まなざしの出会いの緊張はない。身体は緩んでいる。まなざしは出会っているのか、それとも屏風の境目ですれちがっているのか。▼同じ一枚に書かれた男女の三味線弾き。三味の糸巻きを絞る手、それに答えるように弦を押さえる手。緩やかな引力でお互いをくぐつのように操るような二人。二人のまなざしは出会わない。ばちが振り下ろされる。▼6枚仕立ては直角に折られて、斜め横から見ると3枚が遠近に重なって見える。向こうにだらりと下がった袖が見える。正面へ歩くと、隠れていた誘う手が現れる。手の引力。引力は屏風の境目で失速する。▼手と手は同じ平面に乗ることはない。右と左に分かたれて、分かたれることでだらりと下がり、分かたれることで誘うように見える。さらに反対側へ歩くと、誘う手だけが残る。▼遠近法のない絵が、屏風として立てられることで、遠近を得る。遠近だけでなく、だまし絵のような歪み、隠蔽と露出を得ている。
▼刀の説明書きの色気。
▼弓矢ってほとんどゴルフファッションの世界だな。黒漆でこってり塗られた弓。すかしの入ったやじり。矢の入った空穂(うつぼ)を運ぶキャディまでいる。▼こういう武家の美意識が凝り固まったものを見ていると、明治初期の揚弓場ってさぞかし退廃的だっただろうなと思う。士族上がりの男が、美意識の果ての果てで、子供だましの矢を、弓を引くのもめんどうで、手でぽんと放って、「あたーーーりーーー」なんて間延びした声で言われて、ついでに女とねんごろになったりして、浅黄裏なんてひそひそ言われてたわけだからな。
▼揚弓場の「あたーーーりーーー」のすかすか感。そのすかすか感の中でさてはてと寝転がる。なんだっけな、この感じ。山中貞雄だったか。「百万両の壺」?
19981127
▼Aさんがなにかのことを長々と話している。それを聞いていたBさんが「それってどういうこと?」という。ヘンなことばだ。ヘンなことばなんだけど、あたりまえのことば過ぎて、どこがヘンかっていうのがなかなかわかりにくい。▼まず、「それ」ってのは何を指しているのだろう?そんなの簡単だよ、Aさんの話に決まってる。でも、ちょっと待って。Bさんは「どういうこと?」って言ってるんだよ。どういうことかわかんないことを「それ」と指しているんだ。▼だから、Aさんには何がBさんにわからなかったのかが、わからない。Bさんも、なにが「それ」なのかわかんない。ね、ヘンでしょ。
▼でも、Aさんはたぶん、なんとか説明してみようと、始めるはずだ、「それ」の話を。▼Aさんは何から説明すればいいだろう。とりあえず、いま話したばかりのことを、言い換えてみるだろう。つまり、Aさんはでたらめに自分のいままでの話を探るのではなくて、「それってどういうこと?」の直前に言った自分のことばに注意をむけるわけだ。▼これまで連綿と話されてきたAさんとBさんの会話があるわけだけれど、「それ」というBさんのことばは、二人の会話の、ごく最近の部分、特に直前のAさんの発話に、Aさんの視野の引きつける役割を持つ。▼でも、Aさんは必ずしもBさんの「それ」を正確にわかっているわけではない。とりあえず話してみる。もし、Bさんが「わからない」といったら、さらに別の説明を考えなくてはいけない。▼教師癖のある人なら、とりあえず、自分のこれまでの話をいくつかのパートに分解して、あたかも触診でもするようにひとつずつ確かめていくかもしれない。「ここまではわかる?」「ここまではいい?」というぐあいに。▼「それってどういうこと?」というのは、「なんだかおなかが痛いんです」というようなものだ。「おなかが痛いんです」ということばでは、おなかのどこに疾患があるのかわからない。もしかしたら、おなか以外のどこかに原因があるのかもしれない。患者は、治療のきっかけとしておなかの痛みを訴え、医者の注意を限っているに過ぎない。同じように、「それってどういうこと?」というのは、話の再編成のきっかけとして、とりあえずAさんの注意を最近の発話に限っているに過ぎない。▼「それ」は視野を限る。しかし、「それ」は特定の何かを示すのではない。「それ」と言われることで人は指されたものを探し始める。
▼なんでこんな分かり切ったことをメモっているかというと、談話分析などの論文を読んでいると、あたかも「話題」や「指示語」の内容が、あらかじめ会話に与えられているかのような扱いをされていることがあるからだ。▼人が何かあらかじめ共有された前提を持って整然と話題をやりとりしているというイメージは、雑談などを解析するとがらがらと崩れてしまう。単語ひとつ、あるいはひとつの単語にまつわるイメージひとつを手がかりに、雑談はあちらにもこちらにも進んでいく。そこでは、「話題」は所与のものではない。「それってなに?」「それはそうと」といった、指示対象が明確でない指示語によって、そこにあたかも指し示すなにかがあるかのように扱われているだけのことが多い。「それはそうと」と言ったとたんに話題が変わった気がする。何かが脇に置かれ、何か新しいことが始まる気がする。会話を後から振り返れば、あるいはそれは「昨日の野球の結果」「共通の知人のCさんのこと」などと名づけうるものかもしれない。しかし、人は、別にバラエティ番組のように「朋友を発見!」などという文字列をしょっちゅう頭に灯して話しているわけではない。
▼雑談に限らない。
たとえば
「姉さん怖かありませんか」
「怖いわ」
という、行人の会話
は、何の「話題」を扱っているといえるだろうか。そもそも、ここに「話題」はあるのか。怖さを語りながら気配が構成されていく。ありかのあやふやななにものかを二人がめぐっている。▼そのように怖さを語らせる力をあえて「話題」と呼ぶなら、「話題」はことばとでこれと指すことすらできない。「話題」は、新聞や書物の見出しではない。新聞や書物の見出しは、会話の当事者のものではない。終わった会話を求める人々に与えられるものだ。ことの次第を知ろうとする読者、バラエティ番組でうるさいほど強調される文字列を笑う視聴者、会話を後から分析しようとする研究者、これら終わった会話の消費者が、見出しのような話題を求めているに過ぎない。
▼むかしSemioticaに載ったR. Gardnerの「会話における話題の区別と役割について」
( The identification and role of topic in spoken intreaction. 119987 Semiotica 65-1/2 p129-141)
って論文には、それまで談話分析や会話分析で行われてきた「話題」に関する議論が要領よくまとめてあって、便利だ。▼便利だからGardnerの操作的定義をメモっておこう。
1.話題の導入
2.話題の持続(「それをもう一度説明していただけませんか?」「で、どうしたの?」など)
3.話題のずれ(発話のやりとり持っている前提が、直接直前にやりとりされた発話には結びつかないけれど、さらに以前のやりとりとつながっていて、しかも直前のやりとりとそれ以前のやりとりもつながっている場合。たとえば話が袋小路になったときに以前のやりとりに戻るとか、話題の場が広がるときとか、話題が入れ替わろうとするとき、別の話題が準備されるときなど。)
4.話題のリサイクル(「話は戻るんですが、さっき言ってた○○は・・・」など)
5.話題の再導入(中断された話題に戻るとき。「あ、携帯鳴ってるからちょっと切るわ」の後にもう一度話題が再開されるときなど)
6.話題の転換(第二以降の話題のはじまり。導入と同じといってよい)
いや、まったくもっとも。もっともなんだが、これに従って会話を分類しただけではおもしろくない。あらかじめ話題が明らかで、それが持続したりずれたりリサイクルされる、というわけではない。むしろ、「それってどういうこと?」というふうに「それ」と指すことで、そこに話題らしき指示可能ななにかがあることを明らかにされる。「なんの話?」と言われて、いままでの話をコンパクトにまとめることが求められる。「話題」ということばにならないなにものかを、人は、ことばで操作している。Gardnerの分類が、こうした操作を念頭においていることに注意しよう。「話題」ではなく、「話題の組織化」が問題だ。「それ」が指し示すものが何か、ではなく、いつどのように「それ」と指し示すか、相手の指し示しに対して何を提示するかが問題なのだ。
19981126
▼むかし、小学校で、卒業式に送辞や答辞を学年全員でやる、というのがあった。そういうのなかったですか、少なくとも1970年代中期くらいまで。「呼びかけ」だっけな。▼何人かがソロをとってセリフを回したあと、ここぞという決めで全員が叫ぶ。たとえば、答辞はこんなぐあい。▼ア「卒業」全員「卒業!」イ「広いグラウンドをかけめぐった、あの日」ウ「友と教室で語った、あの日」全員「いまも、忘れることはできない」▼送辞のほうは、男子「おにいさん」女子「おねえさん」全員「ご卒業、おめでとうございます」という感じで、なんだか長々としてしまらなかった。ぼくは答辞のほうが断然かっこいいと思ってた。▼こういうのをつぶやくようにやると、SPEEDの「ALIVE」になる。あの曲がどきっとするのは、声高でないからだ。
▼で、なんで「呼びかけ」なんか思い出したかというと、「声の祝祭」(坪井秀人/名古屋大学出版会)を読んだ、いや、聞いたから。CD付きという珍しいスタイルの学術書で、「声」がテーマなので、ちょっと高いけど買っちゃった。▼で、このCDに戦時下の朗読がいろいろ入っている。なにげにかけてたら、突然「ハタッ」という叫びが聞こえてびっくりした。▼この「旗」という朗読が、ぼくが小学校のときにやらされた答辞そっくりなのだ。
イロ「荒涼たる、辺境の 岩角にありて、」
ハニ「新しき 風を予感し、新しき 季節を遠望し、」
イロホ「祖国の運命を担ふもの、」
ハニヘ「民族の意志を 代表するもの、」
全員「
旗
。−」
これを、あの頑固親父風で有名な中村伸郎を含む3人の俳優が決然とやるわけです。「
ハタッ
」と。中村伸郎は戦時中の朗読回数がもっとも多かったんですと。彼が戦後、北龍二や佐分利信などと三人でやっていた、小津安二郎作品の軽妙なやりとりを考えると、妙な感じ。▼「
旗
」って声が決めゼリフとして何度も登場するのですが、これが、「は→た↓」ってイントネーションじゃなくて、「は→たっ↑」なんです。この上がり調子が繰り返されて、戦時緊迫が増すわけです。「旗!」の代わりに「卒業!」って入れたら、これ答辞になっちゃうんじゃないだろか。▼こういうスタイルを「群読」というらしい。群読のはじまりがいつかは定かではないけど、どうやら戦時下の朗読教育や朗読放送の中でとくに盛んに行われたことは確からしい。あの「呼びかけ」の、無理からに均等にセリフを振り分ける民主主義的スタイルは、戦後の産物だと思ってたんだけど、じつは、戦前の「群読」にすでにあったわけです。挙国一致の声と民主主義の声が、じつはとっても似通ってたわけです。いやはや。
▼「声の祝祭」は
「自分が話すのを聞くこと」とデリダの「声と現象」
の話で始まり、
湾岸戦争
における「声」の話で終る。ぼく自身の興味ともすごく重なるんだけど、論旨があちこちして必ずしも読みやすくない。読みにくいけれど、その読みにくさのこともわからなくはない。それはたぶん、「声」の読みにくさだ。ある種のイデオロギーを批判しようとしながら、そのイデオロギーを押し進めていく声の力、
声の専制
の読みにくさだ。「声」はイデオロギーを踏み越えながら傷を追わざるを得ない。その傷もまた「声」の力にあずかる。
19981125
▼猫のことを書いたのだがうっかり消してしまった。内田百間先生がぼろぼろ泣く。泣きが洩れてる。というようなことだった。
19981124
▼霊長類の笑いの研究をしてるヤン・ファン・ホーフの講義。彼の笑いの起源に関する論文は、表情研究者なら一度は読んだことのあるもの。ぼくも読んではいたけど、本人がその話をこんなに表情豊かにするとは思わなかった。▼彼は笑いを「驚き」と「リラックス」の組み合わせだ、という(まるで枝雀の「緊張と緩和」だ)。その例として挙げられた映像は赤ちゃんと前掛けのシーンだった。 棚から赤ちゃんの顔に前掛けが落ちる。これが「驚き」。お母さんがそれを取ってやる。「リラックス」。そしてイナイイナイバア遊びが始まる。▼いきなりイナイイナイバア遊びで始まったのではなく、前掛けが落ちるというハプニングによって起こっているところがおもしろかった。
▼この前読んだ会話における言い直しについての論文のことを思い出した。その論文は、会話における言い直しが、単純に前のことばを言い換えているだけでなく、話題を変えるきっかけとして機能している現象を取り上げていた。言い直しは、文法に縛られながらも文法から逃れようとする。言い直しは単なる間違いの修正ではない。むしろ、間違ったこと、言い直されたことが資源(リソース)となって、ふつうに文法を守っていてはありえなかっただろう会話を生むきっかけとなる。そういうことが書いてあった。("Resources and repair" 1996 Fox, Hayashi and Jasperson
Interaction and grammar. ed. Ochs, Schegloff and Thompson, Cambridge Univ. Press
)▼前掛けが落ちて赤ちゃんの顔にかぶさる。それだけでは単なる偶然に過ぎない。しかし、前掛けが取り払われ、目の前に母親の顔が現れるとき、赤ん坊はそこに「驚き」と「リラックス」を感じて笑う。▼さらに、母親は「落ちた前掛けを取り払う」という偶然をきっかけにして(資源にして)、前掛けで赤ん坊の顔を覆ったり取り払ったり、ということを始めた。赤ん坊が笑う。前掛けが覆われる。前掛けが取り払われる。そのとき、赤ん坊だけでなく、おそらく母親も笑んでいる。アクシデントから遊びが発明される過程。アクシデントを資源とするヒトの貪欲さ。
19981123
▼都立図書館でマイクロフィルムを回し続ける。▼その中の記事のひとつ。
昨日の二の酉は前夜より日本晴れにて申分なき好天気なりしかば社内は前夜宵の口より店を飾り初酉の雨に投げられた取返しをせんと参詣人もない内うら声を枯らしてサアお買ひなさい延喜のいいのと呼んで居り吉原も夜の十二時より四方の非常口を明け夜通し賑ひ昨朝七時ごろ一寸と隙きしも続いて廓内をハミ出す程の人数なりし。去れば浅草広小路蔵前通り廣徳寺前箕輪(みのわ)日本堤その他の抜け道廻り道とも朝来一時間毎に人数殖えたり。縁起物の売高は朝の内少し景気よかりしのみ。(都新聞/明治26年11月22日)
▼二の酉のにぎはひは、此近年おぼえぬ景気といへり。熊手、かねもち、大がしらをはじめ、延喜物うる家の、大方うれ切れにならざるもなく、十二時過る頃には、出店さへ少なく成ぬとぞ。廓内(なか)のにぎはひおしてしるべし。
よの中に人のなさけのなかりせばものゝあはれはしらざらましを
(一葉日記/明治26年11月20日)
▼なさけうごき、うごかぬこころのしるあはれ、なさけのかたち
▼昨日見た一葉の机の複製はすごく小さくて、よくこれで膝が入ったものだと思ったら、今日こんな文章を読んだ。
▼僕の母などはむかし、勧工場へ一時間行って帰って来ると、何を措いてもまずタタミの上へペタンと座って、やれやれという状態だった。(中略)明治三十年代のこと、その「人」は、過去五代または十代に渉って三百年来、常に脚部を折る座位生活だけに成らされた「日本人」だったということである。(中略)その後の日本は、座ることは改革、公式にはほとんど否定して、立つ方へと日に月に進み、「立位生活日本」の「方向」は国の進路そのものからも助勢されて、小童教育の座式寺子屋が立位の小学校に変ったのが、その発令を見ると明治三年の六月である。いうまでもなくこの体位の置き代えが明治初年五尺に充たなかった−男子でさえもそうだったと服部誠一の文献に書き残される−身長度を、やがて五十四年間に五寸ものびさせた原因であること(後略)▼机の高さ・一尺まで。襖の引き手・二尺二寸、等々。そこで「座る」人間の生活する想定である。たけひくいむかしの日本人は、立つと、服装のすそをひく美観など案出した。▼突として若い令嬢がこれへはいり、すらりと立って身長五尺を越え、ピアノを置くのである。
(木村荘八/東京風俗帖/青蛙房)
▼そして和室の泊まり先を出てミスター・ドーナツでこれをぱこぱこ打っている。
▼よく、若い人の身長が高くなったというけれど、じつは明治にも日本人の身長に劇的な変化があったわけだ。▼一寸の十倍が一尺。一尺とは30cmあまり、とメモしておかなくてはいけないくらい、ぼくは尺貫法にはうとい。おぼつかない計算を経てようやく、一葉の折った膝が机に向かう。
19981122
▼場外馬券場前は朝の8時ころからすでに人が集まり始めている。アンジェラスのロールケーキは、ホワイトとチョコレートがある。ホワイトはアン白、チョコレートはアンチョコと注文の声。▼たぬき通りの渡辺眼鏡店は明治20年創業。いまのご主人の曾おじいさんの代からだそうだ。
▼昼の酉の市を見に行きがてら、一葉記念館へ。手紙の筆蝕のすさまじさ。特に、一行で書ききらずに改行して下に書き添えるところ。書き添えるところで墨が筆にふくまれる。書き添えた部分から、そのまま次の行へ向かう。墨が薄れる。声はかすれる。危ういところで墨をふくませる。呼吸が整えられる。整えるためのことばが選ばれる。整えたと思うや、休むことなく次のことばが放たれている。こんな恋文もろたら男は耐えられまへんわ。桃水への手紙では、「かしこ」の「か」は、変体がなで、まず点がとんと打たれている。そこから下にすっと思い切るように筆が流れる。本文を書ききった後、しめあげられる意識のたがの力。いっぽう隣りにある友人への手紙では、点は省略され、さらさらと慣れたくずし方で「かしこ」という単語としてまとめられている。
▼向かいの一葉記念公園には、赤で「トイレ」と大書してある。酉の市用。
▼場外馬券場に戻る。ここは昔は
ひょうたん池
だった。かつて人々が鯉の麩を買った場所で馬券を少し買ってみる。やっぱり実際に競馬場に行かないと気分が出ないな。南北の通りの飲み屋はどこもテレビ観戦でいっぱい。ぼくも牛すじで一杯やりながら観戦。あら負けちゃったい。
▼
地下鉄ビル
の地下にある床屋「エベレスト」で髪を切る。元はレストランで、昭和28年からこの床屋になったらしい。この年、ビルの上から投身騒ぎがあった。今の露天商が並ぶあたりに落ちてきたそうだ。以来、塔のてっぺんには覆いがかけられているが、あの覆いの中には当時の尖塔の形が残っている、らしい。顔をあててもらいながら見上げると上が狭い吹き抜けになっている。その吹き抜けの窓に、地上のネオンを横切る人影が映る。▼鏡に映っているのは白壁。そこからは、かつてあったというレストランの気配がする。▼「エベレスト」という名前は当時話題だったマナスル登頂からつけたらしい。「マナスル、じゃなかったんですか。」「いや、マナスルだとなんのことだかよくわかんないからさ」
▼古老がいまも店に出ているというのを聞いて、とある料理屋を訪ねてみたが、酉の市の繁昌で店に入れず。近くの寿司屋にふらっと入って、あてずっぽうでゲソを頼んだら、えらく旨かったので、生サバしめサバあなご紅鮭の子、徳川慶喜を忘れて、富山の生えびが口の中でじんわり溶けるのを待つ。小雨の音。先客が熊手に袋をかける。7,8万はしそうな大きさだった。席を立つと熊手の先がさかさかとビニルに触れる音。
▼人世之行路難は、人情反ぷくの間にあるこそいみじけれ。▼人は唯、其時々の感情につかはれて一生をすごすもの成けりな。(M26.7.25)▼こゝろにいつはりなし。はた又、こゝろはうごくものにあらず。うごくものは情なり。此涙も、此笑みも、心の底より出しものならで、情に動かされて情のかたち也。(M26.11.15)(一葉日記)
19981121-2
▼浅草へ。地下鉄のポスターで気がついたが、今日は鷲神社(おおとりじんじゃ)の酉の市だった。
▼
この年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天気に大鳥神社の賑ひすさまじく、此処をかこつけに検査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ地維かくるかと思はるる笑ひ声のどよめき、中之町の通りは俄に方角の替りしやうに思はれて、角町京町処々のはね橋より、さつさ押せ押せと猪牙がかつた言葉に人波を分くる群もあり、河岸の小店の百囀づりより、優にうづ高き大籬の楼上まで、絃歌の声のさまざまに沸き来るやうな面白さは大方の人おもひ出でて忘れぬ物に思すも有るべし。
(たけくらべ)
▼というわけで、この酉の市はまさに
「たけくらべ」
の舞台なのだった。▼もんじゃ焼き屋のおかみさんは、「昼に行ったことはあるけど、たぶん昼に行くもんじゃないの。いまから行くの?遠いからタクシーで行ったら」というのだが、未経験者のアドバイスだから左から右に聞き流す。それに祭りは歩いて行くから盛り上がるのだ。▼というわけで、夜半の酉に向けて鷲神社へ歩く。途中で鮒忠の立ち飲みが妙に旨そうなので入ってしまう。さっきもんじゃ屋でビールをたらふく飲んだのだけどお祭りは別腹。ぼくは関西出身なので、商売繁盛というと、えべっさんで笹もってこい、だと思っていた。だから、たけくらべに「酉の市」とか「熊手の内職」とあっても、なんのことかいまひとつピンと来なかったのだが、来てみてわかった。ものすごい熊手の量なのだ。屋台に人の3倍くらいの高さにびっしりと並べられている。その屋台が軒を連ねている。なるほどこれなら内職で稼げるはずだ。大きいものは7,8万くらい、道行く人が手に下げている小さいのも5千円から1万円くらいはするらしい。▼豪勢な福集めの飾り熊手にも、べたべたと店の名前で売約済の札が貼ってある。売り子の人に聞くと、バーなどではこうした熊手にご祝儀の札びらをはさんでもらうので、じつはあまりの自分の腹を痛めずに買えるのだ、とか。▼人混みの中では、熊手は邪魔になるし、ぶつかるとこわれてしまうから、上に掲げることになる。掲げるといやでも人目につく。人目についた熊手が小ぶりだと、いかにも商売が窮まっているようでみすぼらしい。やはり肩にどっかり乗るようなやつの方が揚々と歩ける。▼とは言え、ふところは暖かくないし、彦根までは荷になるから、ミニチュアのような500円のやつを買う。夜中の太鼓が鳴るまでは時間があるので、さらにおでん屋でちびちびやって時間をつぶす。おかみさんが、柏から来る客があると言っていた。隣の客も千葉からだった。▼連休とあって、えらい人出だ。これでも以前より人が減ったそうだ。昔は賽銭を投げる人が押されないように、間仕切りをして、参拝者を分けて入れたという。▼太鼓の音を待ちながら、あと一分、あと一分というかけ声。
19981121-1
▼動物行動学会の編集委員会が終わって、せっかく府中にきたのだから大国魂神社に行ってみる。ここに「細馬の碑」というのがあると父から教わっていたからだ。▼碑は東側の道路沿いを歩いているとすぐに見つかった。なんでも朝廷に献上する馬をこの道で試走させたんだそうだ。で、その良馬が「細馬」。自分の名字なんだけど、わりと珍しい名前なので、こうやって石に彫ってある字を見ることはめったにない。妙な気分だ。裏にはひらがなで「ほそま」と彫ってある。なんだか間抜けでおかしい。
▼碑文を読んでから気がついたが、ここはたしか競馬場のそばなのだった。そしてぼくは競馬場に行ったことも馬券を買ったこともないのだった。▼見るとちらほらと競馬新聞を握った人が通り過ぎる。早足で慣れた道を急ぐらしい鳥打ち帽の老人の後を追うことにする。公園のキャッチボールを横切る。墓地のそばに出る。やけに狭い道ばかり通る。猫の後を追っている気分になる。じきに坂が急に下って、向こうに競馬場が開ける。▼パドックでは10Rの馬が歩いている。昔、馬術部の馬場の裏手に住んでいたから馬は部屋からよく見ていたが、競走馬を間近で見るのは初めて。筋肉の形がはっきりしている。それが栗毛や黒毛できらきら光る。てくてく歩くだけでその動きがよくわかる。なるほどこれは見飽きない。▼といってもどういう動きをする馬が速いのかわからない。足の軽そうなやつを買おうと思う。マークシートの仕方も知らなかったけど、あてずっぽうで印をつけたら、ちゃんと思った番号が買えたので、こういうことかと思った。6番はアップルトウショウという馬だった。▼大ヴィジョンの中ではもうスタートしてるのだけれど、どこがスタート地点なのかわからない。それともこれはよその競馬場の中継なのだろうか。そのうち、向こうの方で豆粒のように動いているのが、いま映っているのがそれなのだとようやくわかる。馬場で馬が走るのは見たことがあるが、こんなに遠くを走る馬は見たことがない。おそらくとても速いのだが、あんまり小さくて、馬というよりおもちゃみたいだ。アップルトウショウはおもちゃの集団から一頭だけ遅れているのですぐにわかった。ずっとビリだった。近づいてきてもビリだった。ゴールもビリだった。ああビリだったと思って横を見たら、富士山が見えるのに気がついた。▼せっかくマークシートの仕方も覚えたので、最後の11Rも買うことにする。もう一度パドックに行って、何周もする馬を比べながら、今度は落ち着きのよさそうなのを買うことにした。名前を見たらアサクサトレビットという馬だった。浅草とは縁起がいい。▼アサクサトレビットは少し出遅れたが先頭争いにからんで4着だった。さっき勝ったアップルトウショウは追い抜きも追い越しもしなかったが、今度のは少しおもしろかった。
▼神保町へ。芳年、貞秀のカタログなど。貞秀が富士山の胎内めぐりを描いてみせるセンスは、凌雲閣登覧双六で、建物内部が見開きになる仕掛けに通じるところがある。
19981120
▼Yさんは会話分析ゼミのために夜は研究室に泊まって準備をした。それはある会話における複数の理解を分析したもので、その鍵となるのが、Kさんの「デューイの人」ということばだった。Kさんの発言の後、デューイを教えている先生の話とその先生が主催する旅行の話について、会話は進み、8人の話者の間で複数の異なる解釈が並行した。そこに生まれた誤解をYさんは仔細に書いた。自分もその会話の参加者だったから、いくら私情をおさえても当時の感情があふれて止まらず、結果、レジュメには彼女自身の感覚が綿々と綴られていた。▼ゼミ生が集まり、いよいよこれから話そうというときに、参加者のKさんがレジュメをざっと読んでから「あれ、これ『デューイの人』じゃないよ」といった。「あたし、『事務の人』、って言ったんだよ」▼Yさんの前提はがらがらと崩れ落ちた。彼女はこの会話が「デューイ」ということばを鍵にしていると信じ、Kさんのことばから「デューイ」という発音を聞き取ってしまっていたのだった。レジュメの半分はもはや使いものにならなかった。「あたし、今日はもうできないです。来週にしたくなってきたな。来週にしてもいいですか。」Yさんは半泣きだった。▼結局、彼女にやってもらうことになった。ゼミの最中に、さらに彼女の聞き取りに再考を迫る意見がいくつか出た。特定のストーリーを信じると、聞こえてくる発音まで違って聞こえたのだった。▼彼女がそんな風に違った聞き方をしたこと自体は、まさに認知がトップダウン的に聴取に影響する例でおもしろい。今日のゼミでの会話自体、会話分析のネタにしたいような展開だった。
19981119
あわわわ、人を一時間半も待たせてしまった。しかもそそくさと送り出してしまった。高田さんすみませんでした。
19981118
しし座流星群を見に出かける。2時半になると彦根の東の空は曇ってしし座が見えなくなってしまったので、名神で大垣まで出てそこから養老あたりへ向かう。てなことをしていると3時半になった。場所探しに時間をかけてたら夜が明けてしまうので、街灯のない道路脇で降りる。寝袋に入って寝転がる。喫茶店の駐車場なので道から少し奥まっていて星が見やすい。▼さっそく二方向に分かれるかのようなでかいのが見えてびっくりするが、それから後はぽつぽつと言う感じ。流星、というと、いままでばくぜんとしたひとつのイメージしか頭になかったが、ずいぶんいろんな色や明るさの流星があるもんだと思った。ひと晩でこんなに見たのは初めて。▼4時15分ごろ全天が光る。雷かと思った。あとで、これがどうやらこの夜でいちばん大きい流星だったことを知る。いっかくじゅう座からおおいぬ座に流れたらしい。東ばかりに注意がいって、西は建物のかげだったので見逃してしまった。▼4時半ごろ、こんなところかなと撤退。こんなところ、といっても、大流星群がどんなところか知らないから、じつのところ比べようがない。アメリカの版画に、全天花火のようになった絵があるけど、あれはある一瞬を描いたんだろうか、それとも1,2分のできごとを積分して描いたんだろうか。▼でかい流星のことは火球というらしい。日本火球研究会のページを見ると、流星群の日以外にも、年に何度か大きな火球が流れているらしい。「今年のおうし座は要注意」なんて星占いのようなフレーズもあって楽しい。
19981117
▼標準語の「の」にはアクセントを置いて強調することができるけど、「のだ」「のよ」「ねん」「てん」ではこんなアクセントは置けない。たそがれどきにみつけた「の」、とコギャル風に語尾を強調することはできるが、たそがれどきにみつけてん、では、フォークボールになってしまう。▼大阪弁で語尾を強調するにはどうすればいいのか。きついことばのようで、意外に語尾は淡泊なのだな、大阪弁は。どついたる「ねん↓」。ほら、フォークで落ちてしまう。あえて語尾を強調するとしたら「や」あたりか。しかし、これも、ただ強調して終わるとくどくなる。いきたいん「や」、したいん「や」、とアクセントを置いたまま突き放すと、ちょっとへん。ここいらは、ドラマに出てくるキモチ悪い関東系関西弁でときどき聞かれる間違いだ。▼気弱な大阪人は願望の「や」にさらに「て」をつけて、またまたフォークにしてしまう。いきたいん
や
て。したいん
や
て。あるいは「ん」をつけて他人事にしてしまう。いきたいん
や
ん。したいん
や
ん。さらに「か」を加えて相手に委ねる。もはや「や」は強調されなくなる。いきたいんやん
か
ぁ。したいんやん
か
ぁ。そんなんいわれても。▼ことばを強調するために、あえてていねいな標準語を導入するという手がある。「いきます」「したいんです」「いってません」これを標準語のようにイントネーションを上下させずに、平坦なイントネーションとアクセントで言う。語尾は伸ばす。「い→き→ま→すー→」「し→て→ま→すー→」「ゆっ→て→ま→せんー→」ほーらイヤミな大阪弁になった。自分のことばでイヤミを言う代わりに、ヨソ者のセンスを歪めてイヤミをいうのだ。やらしいやっちゃ、大阪人。
19981116
▼コミュニケーション研究会で高梨氏の発表を聞く。▼彼の発表の中に「のだ文」というのが出てきた。「これでいいのだ」というような文を「のだ文」というらしい。国語学や言語学には「のだ文」をめぐる論文や著作もいくつかあるらしい。「のだ文」を研究している野田さんというまで人がいるらしい。▼で、「のだ文」が具体的にどう研究されているかはほとんど知らないのだけれど、考えてみると、妙な表現だ。なくてもよさそうなところによく使われる。たとえば漱石の「坊ちゃん」を見るとこんな感じ。
田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資の余りを三十円程懐に入れて東京を出て来たのだ。
それからうちへ帰ってくると、宿の亭主が御茶を入れましょうと云ってやって来る。御茶を入れると云うから御馳走をするのかと思うと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。
赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。
婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりの御母さんにも逢って詳しい事情は聞いてみなかったのだ。
▼最初の例は、ちょっと啖呵を切ってるような感じで、残りの例は自分の陥った事態を発見するかのような感じだ。いずれにしても、「のだ」ということで、語り手が語り手自身が少し遊離する感じがする。語り手に起こったことを語り手自身が遅れてみつけるような時間の詐術が「のだ」には含まれているのだ。ほら、こうやって「のだ」で結んでみると、自分に自分が遅れている感じなのだ。自分を遅らせているだけなのだが、遅らせた側の自分は遅らされた自分よりちょっと新しいので、なんだか新しいことを発見したような気分になるのだ。くつひもを持ち上げてくつが浮いた気分なのだ。バカボンのパパはバカボンのパパなのだというたびに改めてバカボンのパパになるのだ。これでいいのだ。▼椎名誠はどうなのだ。▼などと思って、自分が昔書いた文章を
「のだ」で検索してみる
と、あ、ここにもそこにもあんなとこにも、新しい発見をしていい気になっている自分がいるのだ。
▼さて、「のだ」にあたる意味の大阪弁ってなんだろう、と考えて
「ねん」
というのを思いついた。たとえば、「すきやねん」。
▼「ねん」というのは現在形にしかつかない。「ひろったねん」とは言わない。では「ねん」には過去形はないか。会合のあと、定延さんに相談してみたら、どうも「てん」が過去形に当たるのではないか、という意見だった。つまり「ひろうねん」の過去形が「ひろってん」。「行くねん」の過去形は「行ってん」。なるほど。▼大阪弁のことを「てんてんことば」っていうことがあるらしいんだけど、それを現在形に直せば「ねんねんことば」ということなのだな。しかし、現在と過去で形が変わるってのもヘンだな。それにイントネーションも変わるぞ。「ひ→ろ→う→ねん↓」「ひ→ろっ↓てん→」。ほら、「ねん」「てん」に行く前に、すでに「ろ」の部分でイントネーションに差がある。▼そもそも大阪弁って、現在と過去で動詞のイントネーションが早くから変わってしまうことばなのだな。「くる↑」「きた↓」。「する→」「した↓」ほら、過去はすとんと落ちる。大阪弁の過去はフォークボール。時制がイントネーションの差となって、なおかつ「ねん」ということは、「ねん」「てん」を発する前に、話し手はすでにそれが現在なのか過去なのか、それがイントネーションの差となって表れるわけだ。▼してみると、「ねん」ということばは、落ちない現在を落とすためのイントネーションツールだっちゅう気もするなあ。▼「ねん」「てん」に当たる標準語ってなんだろうな。「の」「のだ」「のよ」あたりかなと思ったんだけど、どれも過去と現在で形変わらないんだよな。「ひろうのだ」「ひろったのだ」ほら、両方とも言えてしまう。それに、直前の動詞内で「ねん」「てん」に見られるようなイントネーションの差がない。
▼「ねん」の使用例:
Y: おじさん、あー、みたいな(マッチを落とす仕草)ひろっとん
ねん
H:もうつかえへん、しめってるてそれは
Y: しめってん
ねん
▼この会話例では、Yは自分のみじめ?な境遇をマッチ売りの少女に喩えている。で、その自分の仕草や自分の拾った(架空の)マッチに対して「ねん」を使う。Yはマッチを拾う仕草をしながら、その仕草を語る。「ひろおう」「ひろわな」とも言えたはずだ。しかし「ひろっとんねん」と言った瞬間に、語り手が語り手から発射され、遊離する。現在形で身体を動かしながら、現在から遊離する方法。
▼「すき」という自分から離れてブーメランのように自分に戻ってくる「すきや
ねん
」。そやから大阪弁は濃いて言われるねんて。おっと、最後の「て」てなんやねんて。
月別
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よりぬき
日記