- 19981101
- ▼嘘の浮気と会話における所有について。
▼会話の中には所有を喚起するような名詞がある。会話はその名詞の所有をめぐる。単にその名詞を呼ぶだけでなく、その名詞に向けて動詞を発し、その名詞に動詞を続け、名詞に向けて行為し、名詞に行為させる。名詞に実体が伴おうが伴うまいが、名詞をめぐって会話が重なることで、名詞を中心とした行為空間ができあがる。行為によって名詞のありかだけが決まる。名詞は、語られることで、具体化するどころかどんどん抽象的になる。▼たとえば次のような一節。
始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らない位鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客の別は既に付いてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂が出る度に、彼は何時でも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味が段々研ぎ澄まされて行く様な気分になった。けれども客の位置に据えられた自分はそれ程長く興味の高潮を保ち得なかった。
自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢も又、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけが段々彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。其処に自分達の心付かない暗闘があった。其処に持って生れた人間の我儘と嫉妬があった。其処に調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するに其処には性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事が出来なかったのである。
(行人/夏目漱石)
▼語り手からは/読者からは、女の姿は隠され、女をめぐることばだけが続く。▼話すことで女=名詞をめぐる行為が構成され、三沢の退院を遅らせる。性と名詞が結びつき、性をめぐる所有のことばが生まれる「明治」の感性。いや、それは「明治」に限定される話だろうか。
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