月別 | よりぬき



Diary & What's old? Aug. 1998

19980831
▼この前買ったTokioscopeには、ひとつおまけが付いていた。▼6枚の乾板フォルダーのうちのひとつに、撮影済みの乾板が入っていた。Tokioscopeが発売されて話題をよんだのは1921年。その当時撮影されたとすれば、これは70年以上前の写真ということになる。家にはネガ乾板をポジにおこす器具がないので、無理矢理スキャナで取り込んでポジにしてみた。するとこんな像が浮かび上がった。▼裸眼立体視のできる人は交差法でご覧下さい。▼これのネガのガラス乾板をTokioscopeにはめて机の上に置いてある。白黒と奥行きが反転した世界を、ときどき見たくなる。しばらく、このネガのための専用ヴュワーになりそう。▼

19980830
▼彦根城へ。湖岸に広がる田圃、竹生島、多景島、沖島。天下の大観、目睫の間に集まる。

かえるさんレイクサイド初の前後編、第24話「青春の股」(前編)。

19980829
▼朝、強い地震。蒲団をかぶる。昨日、古道具屋の主人と、後藤新平が題字を書いた「関東大震災火災」をめくりながら、今の為政者がこういう本に題字を書く覚悟があるだろうか、という話をしていたところだ。▼新幹線で彦根へ。あいかわらず米原での接続がすごく悪い。▼モスへ。資料の整理。▼夜、来客、ビールを飲みつつあれこれ話す。モデルは単純な方が使いでがいいという話。あれが足りないこれが足りないと思わせるのがモデルの効用なので、そういう質問がたくさん出るということは、そのモデルはよいモデルなのだ。▼あと、メカトロセンターは、メカのくせにトロっとしてるところが味、とか。午前5時相応の話。

19980828
▼大雨の予報。▼国会図書館。ここでの本の請求はほとんど博打で、下手をするとハズレばかりで一日がつぶれかねない。今日も結局ほとんどスカだった。新聞閲覧室で元を取る。5時前までねばった後、台東区立図書館へ。たった一時間でもこっちの方がはるかに収穫があった。▼銭湯でからだを洗っていると、近くの大衆演劇場から、舞台を終えた若者たちがたっぷりと塗った白粉を落としにやってくる。▼年上で十代、年下となると金玉もまだ落ちていない子供が、湯舟を取り囲んで手桶で湯を汲む。白塗りを洗い落としながら、年長の者が後かたづけの段取りを短く指示する。▼ことばが途切れたところで、ぼくは湯舟に入る。年下が何か質問をする。湯気越しに年上が答える。高い声が天井にはねかえって、女湯の声に混じる。湯が汲まれる。ぼくは湯桶のように汲み出される。じゃんじゃん汲み出してくれ。後ろは中庭で、ゴムの木の分厚い葉が開いた窓のすぐそばまで茂っている。

19980827-2
▼国会図書館と浅草まわり。▼「少国民」という明治時代の少年雑誌があるのだが、その投稿記事がなかなか熱い。▼単に一方通行の体験記や論考の場ではなく、賛否両論が寄せられていて、少年論壇ともいうべき熱さなのだ。▼反論の多くは「○○君に呈す」で始まるのだが、その内容はというと、けっこう多いのが「お前の話は別の雑誌の記事にそっくりだ」という指摘。「敢テ○○君に一言ス、果シテ君ノ自作ナリヤ」つまり盗作すると全国の読者の面前で叱咤されるわけだ。いまなら載せた編集者が謝るところだ。▼「羽根田君ニ代リ古川君ニ答フ」などと代弁をかって出るやつもいるし、「前論ヲ補シ一喝ヲ興フ」などとおだやかじゃないのもある。▼なんかBBS論議みたいだけど、こういう論議を通じて投稿欄スターのような少年が生まれたのだろう。毎度おなじみ木村小舟の「明治少年文学史」によると、じっさい常連の中から物書きになる人がけっこういたらしい。当時の少年雑誌の投稿欄に載ることは地方少年の誉れだったという。▼場外馬券場そばのもんじゃ焼きで、「バラ色の珍生」見ながらビール。

19980827
▼むかしの浅草のことを調べるために浅草をうろうろしている。今日、昭和ひと桁生まれの人に聞いた話。▼「瓢箪池で鯉を捕まえるんだよ。でも、鯉をばたばたさせちゃいけないの。池のそばには園丁ってのがいて、みつかるとこっぴどく怒られちゃうからね。じゃ、どうやって捕まえるか知ってる?一升瓶を使うんだよ。ちがうちがう、口から入るわけない。一升瓶のね、底をぽーんと抜くんだよ。▼一升瓶ですくうんじゃないよ、釣るの。釣るのは黄色い糸。昔は、三味線やなんかで切れて短くなっちゃった糸を束ねてあって、それを分けてもらえたの。で、それの先にイカリ針っていってね、先がこんな3つに分かれてるごつい針をつける。それに煙草の吸い殻とかをつけとくわけ。で、その糸を一升瓶の底から口にするするっと通す。▼で、池に吸い殻をじゃぽんとつけると、鯉とかは蛾だのなんだのにぱくっと食いつくでしょう。あいつらなんでも食いつくんだから。だから吸い殻にも食いつくの。で糸をひっぱる。ってえと、そのまま一升瓶の中にすぽっと入れちゃう。すると鯉はもう動かない。ね。それをばれないように抱えて、近くのおじちゃんのところに持ってくと売れるわけ。これで小遣いは当分これ。だいじょうぶ。昔はどこの家の庭にも用水桶があって、そこで金魚とか鯉とか買ってるわけ。そういうところに売れたらしいんだな。そんなの一人で思いつくわけないんだけど、昔はガキ大将ってのがいたでしょう。で、その辺の連中がグループ組んでたから、知恵がついてくわけ。小学校3年生くらいのことですよ。」▼浅草六区の水鏡、瓢箪池は昭和26年に埋め立てられた。いまはその上に場外馬券場とボウリング場が建っている。場外馬券場の南の通り、そこはかつては橋だった。そこから鯉に麩をあげる芸妓がいた。▼とある店でTokioscopeを買った。何十年も前のカメラだ。Tokioscopeといってもクラシックカメラやステレオカメラが好きな人じゃないと興味がないかもしれないけど、これはカメラであると同時にステレオ写真のヴュワーにもなっているという変わったカメラで、持ってるだけでわくわくするんです。なんていってもピンとこないだろうから説明を加えると▼ふつう、カメラのファインダを覗く人はいても、レンズを覗いて内側を見る人はいないでしょう。そこは暗くてなにも見えない。もしそこに人が見えたり街が見えたら、それはSFファンタジーの世界になってしまう。▼ところが。このTokioscopeは、見えるんです。カメラを覗くとそこに人が。街が。▼つまりこういうことだ。撮影するときはカメラの背面に撮影乾板を取りつける。で、レンズから入ってきた光を焼き付ける。撮影が終わったら、乾板を外す。▼で、そこに今度は、現像済みのガラス乾板を入れるわけです。▼で、今度はレンズを覗いてそのガラス乾板を透かしてみるわけです。でもシャッターがじゃまではないか。▼ところが驚いたことに、このTokioscopeはシャッターが取り外せるようになっている。レンズの外側にシャッターがあって、これがアダプタになってて、かぱっとはずれるわけ。すごいでしょ。▼で、そこから覗く。すると、おお、世界は立体だ。▼シャッターの音がかわいいんだな、また。クラシックカメラが好きな人はガシャッっていう重い音を好むことが多いけど、Tokioscopeはね、サクッって音なの。シャッターが横にスライドする。絞りは三段階。これが絞りというより、ただの穴なんだな。つまり3通りの大きさの穴があいてて、それをスライドさせて切り替えるんですね。▼このカメラ、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」の遠目がねと逆の世界なんですね。世界を小さな絵に閉じこめてしまうカメラ。そのカメラを逆さに覗くと、そこには生々しい立体世界。もしかして、乱歩先生、このカメラ持ってたんじゃないでしょうか。覗きからくりが好きだった乱歩のことだから、おおいにありうるなあ。▼いま手元に映像取り込み装置がないんで、このカメラの話はまたいずれ。

19980826
読書猿52号に紹介されていた「江戸かな古文書入門(吉田豊/柏書房)」を買った。これはいい。世界が広がっちゃう。▼もっかのぼくの興味は明治までで、江戸時代の文献を原典にあたって調べることはあまりないんだけど、明治時代は江戸時代の変体がなと無縁かといえばさにあらず。明治中期くらいまでの新聞にはへんちくりんなかなが活字としてあちこちに使われているし、風俗画報あたりの図絵に書かれた川柳や狂歌はこれまた変体がなだったりする。江戸かながわかると、こういうのがすらすらと読めるようになるんだなあ。▼で、この本のとってもいいところは、かなの勉強なんだけど、往来物とか流行歌とかが原典で読めるようになるってとこ。お得感が高い。パソコンの使い方を覚えようとマニュアル通りにやってたらいつの間にか住所録が作れてハッピー、ってのと似てるといえば似てる。が、住所録よりはずっとおもしろいぞ。▼かなを読むってのがミソだ。表音文字をたどるうちに、往来物の音、流行歌の音をたどるようになる。頭に音の調子が浮かぶ。これが楽しい。まだ半分しか読んでないけど、この先も小倉百人一首、草双紙と、声に出して楽しい教材が待っている。

19980825
▼「明治少年文学史」を読んだり啄木日記を読んだりしていると、「坊ちゃんの時代/かの蒼空に」(関口夏央/谷口ジロー)が、ほんとによく書けているのに感心することがある。たとえば、この漫画に出てくる貸本屋がじつにいい味を出していて、巧みに取り入ってさりげなく猥本を置いていく。ちょっと出来過ぎたやりとりだなとも思ってたんだけど、「明治少年文学史」の「下宿屋生活」にちゃんと裏付けが書いてあった。
さて日曜日の下宿屋に、定まつて訪れ来るのは他でもない、小説類の貸本屋と、洗濯物の御用聞とである。猫のように足音を忍ばせ、すうつと障子を開けて、「貸本屋で御座いますが」と、未だ其の口の終らぬに、色の褪めた風呂敷包みの荷を解きにかかる(中略)全体此の貸本屋なる者は、下宿専門の商売で、いはゆる木戸御免らしく、づかづか平気で入り込んで来る。 (明治少年文学史/木村小舟/大空社/一部旧字を改めた)
こういうのを読んで、あの谷口ジローの絵を思い出すと、その描写力に誘われて三畳半の啄木の部屋がありありと浮かんでくる。珍な間取りのその狭い部屋の障子がすうっと開く。日の目を避ける啄木の世界を区切る障子を、事も無げに開ける男。▼啄木は「空中戦争」を借り、翌日「花の朧夜」を借りる。まっとうな本と猥本を組み合わせたくなる心情は、レンタル屋で借りるときのエロビデオ含有率への配慮に似ている。▼現在の後楽園ホールあたりはかつては砲兵工場で、三本の煙突からもくもく煙が出ていた。本郷森川町の下宿の三階からその煙を眺めている啄木。啄木はその光景を、絵にも描いている。▼別役実の「赤い鳥のいる風景」もそうだけど、あしたこそあしたこそ、と思いながらそれを一日一日と繰り延べていく、ダメ道の魅力の秘密はどこにあるんだろう。

●かえるの面にも水が必要、
かえるさんレイクサイド第二十三話「湿って洗面フェイス」の巻。

19980824
▼頻繁に覗いて下さる方へのサービスと備忘録を兼ねて、更新記録を兼ねて日記をつけることにする。といっても、起こったことをすべて書くわけでもないし、起こらなかったことを書かないわけでもない。▼稲垣足穂の「東京遁走曲」を読みなおす。「明治少年文学史(木村小舟)」を読んでいたら、玩具史としての足穂エッセイの魅力を改めて思い出したから。やっぱりやたらパピプペポが出てくるなあ。とってもクリスピー。レイモンド・スコットだ。▼最近、図書館に行ってはマイクロフィルムで昔の新聞をやたら読んでるんだけど、ずっとスクロールし続けたあとに起こる運動残像(っていうんだっけな)が気持ちいい。しばらくの間、ぐーんと世界が上昇し続けるのだ。昔、MS-DOS用に出てたMIFESっていうエディタに「スムーズスクロール」っていう機能があって、これ使うと同じような運動残像が楽しめた。▼新聞をずっと通して読むと、いろんな記事が目に入りながら流れていく。何と何が同時期だったかってのにハッと気づくことがある。こういうことはバロウズも書いてた。江藤淳も書いてたような気がする。「漱石とその時代」って、新聞の通し読みの威力だと思う。▼立体視愛好家ならテレビの前に片目用のサングラスか暗い色のセロファンを用意してるだろう。こういうのを片目にあててテレビを見ると、こうすると横移動する映像に奥行きが付く。ぼくは太田孝幸氏のやり方に習って、安いサングラスを真ん中で折って視力検査用の匙みたいにして使っている。▼で、昨日届いたジョン・ホイットニーのLDを片目を暗くして見てたら、いいんだ、これが。J.ホイットニーのLDは昔パイオニアから「映像の開拓者たち」シリーズで出てたから棚に眠っている人もいるだろう。そういう人はぜひぜひ片目にサングラスを当てて見ていただきたい。

●休んじゃいるけど大サービス。道理が通らないかえる世界、
かえるさんレイクサイド第二十二話「夏だ休みだ感謝祭」の巻。

月別 | よりぬき
日記