月別 | よりぬき


19980930
▼うちの前の道路、ちんたら歩いっとったらね、じわじわフラストレーションたまるんです。でっかい道なんです。ファミレスやらオートバックスやらコンビニやらスーパーやらあってね、ああ、ここて早送りの街やな、て思うんです。この店もこの店も、みんな早送りで飛ばされる、早送りで飛ばされたないからきらきらした看板つける、でかい専用駐車場つける、専用駐車場いうのは専用やから、そこにピンポイントで来ようと思う客しか受け付けへん、そこにピンポイントで来るために、客は他の店を車ですっとばす、その店へ行こうと思って車を走らせる。そうやってあの店もこの店も早送りされる。▼ぶらぶらするにはひとつのブロックがでかすぎる。徒歩のスケールで街ができてない。なんかひょいと入って愛おしんだり、こんなもんかと思たり、なんや汚い店やなとかいいながら冷やかしたり、そういう隙間がない。それでまた、客呼ぶつもりが飛ばされた店がぼこぼこつぶれよる。▼彦根に初めてきたときひとつこれはすごい思たんはね、春先に川辺を歩いてたら、菜の花をがーっと耕して次の畑の準備をしてるその畑の真ん中に、菜の花を一本だけ残してあったんです。めちゃイキやなあ思てね。自分のための土地があって、そこに行ったり、そこを通り過ぎたりするときの気持ちよさがきちっと表現されてる。で、それが自分以外の人にも気持ちええ。かっこええ土地の使い方やな、と思たわけです。▼ところが、田畑が転売されて、そこにあれこれでかい店が建つと、めちゃ土地の使い方がぞんざいになる。ぴーかぴかぴーかぴか光って車がぶいーんと入る、そういう店ばっかりできよる。ぶいーんと行ってぶいーんと帰ってくる生活になる。もうほとんどアメリカやん。この道、よう暴走族の子がぶいぶい言わせて、夜中とかめちゃいらつくんやけど、それ、ぼくのいらつきでもあるんですね。早送りするしかないもん、この街は。住宅街とか学校の近くとかにかろうじてじわじわ隙間があるけど、そのあたりも車がびゅんびゅん飛ばしててちっともおちつかへん。もう一刻もはよ免許取って、こんな場所すっとばしたもんの勝ちや。そういう音に聞えます、あのぶいぶいは。▼で、免許のないぼくは自転車でそういうとこをちゃりちゃりすっとばして、犬上川に来て、そこのお墓と散り染めた彼岸花とか見て、ようやく一息つくんですわ。
19980929
▼私の中の関西弁が関西弁で書けていうんです。書きことばの関西弁てめちゃやらしいめちゃあざといめちゃめちゃくさいでめちゃつかいたない。それに返還めんどくさいでしょ、ああ、もう返還を変換すんのもめんどくさいが、ぼくみたいに一人称ころころ変わるし大阪弁でも京都弁でも標準語でもない関西弁ていう郊外、つまり街と田舎がゆるやかに渦を巻いてるいわゆる明治の武蔵野みたいなことば使う人間が、関西弁で完済したい、ちゅうても日本語変換プログラムがあまりに不自由でなかなか思うにまかせない、いいながら、ぼちぼちとその渦を巻いてみようかと思いますが、ってだれにいうてんねん。▼ほら、関西弁で書くとね、もうこういう一人つっこみとかせなあかん。一人つっこみて、あれは遅れの芸で、自分が自分に遅れる一人時間差ですね。すると、一人で時間差するからめちゃわざとらしい、とこう思う人がおる。なんでわざとらしいと思うかというと、一人やったら時間差はないはずや、と、こういう知があるからなんですね。ほな時間差ないと思てるその御方はいっつもジャストかいうたら、やっぱり遅れてたりする。しもた、とか、あちゃー、とか、言わずもがな、とか、これ、みんな遅れですわ。その遅れが、「あちゃー」で表現されるか「ってだれにいうてんねん」で表現されるかの違い、とこう考えたらどうでしょう。▼それにしても一人つっこみはくどいには違いない。たとえば「ってだれにいうてんねん」は「あちゃー」よりくどい。「あちゃー」も自分に自分が遅れとる、自分が自分でないんですが、でもそれはまだすれすれちゅうか、まだ自分にさわって手え引っ込めた、引っ込めた手が誰のもんかはわからん、そんなとこでしょう。▼ところが「ってだれにいうてんねん」っていうたら、もう、問いかけてますでしょ。自分を問いかける自分がおるわけです。極端なのになると「っておまえだれにいうてんねん」て、もう自分をおまえ呼ばわりですわ。自分の横にもう一人自分こしらえてそこから自分に向かってタマシイ飛ばしてる。一人つっこみグセのある関西人が横におったら、自分から自分へ出たり入ったりせわしのうて、こんな幽体離脱人間と話しててもちっとも落ち着かない。▼ひところ相手のことばを受けて「っていうか」「ちゅうか」ちゅうのが流行っていまも使う人いますけど、あれはなんちゅうか、この幽体離脱一人ツッコミが相手と自分ちゅう実体あるニンゲンにめでたく振り分けられたようなもんやないか。▼話はちょとずれますけど「なんちゅうか」ていうでしょう。「なん」と自分でぼやーっとしたことを考えてそれにまた「ちゅうか」と異議を唱える。だいたい「ちゅう」とか「ていう」とかいうた時点で、もう自分で考えたくせして伝聞形なんですが、こういうぼやーっとした自分とでもとりあえず距離を測って、自分と自分でキャッチボールして考えるわけですね。考えっちゅうんは、だいたい会話形式になってるもんですが、その考えてるときに会話してるんはどこのなにもんや、ていうのを関西人はどうもはっきりさせようとしたがりよる、とこういうことかもしれません。▼ほいで、「っていうか」「ちゅうか」ですが、人が「○○です」ていうのを「っていうかー」「ちゅうか」と突っ込む、これ、やられた方は、なんやしらんこっちのセリフを相手に取り込まれたような妙な気分がする、やった方も相手の考えを手前の考えみたいに頭で鳴らしとるわけですね。なんちゅうかー、なんちゅうかー、いうて一人ぶつぶついうてるのが個人電波系やとしたら、人の話に、ちゅうかー、ちゅうかー、てずーっと突っ込んでるのんは関係電波系みたいなもんやないでしょうか。人のことばが自分のことばみたいに頭で鳴ってて、それがじゃまでしゃあない。頭で鳴らすからうざったいしみなまで言うなやし言われんでもわかっとるやし、「っていうか」「ちゅうか」とさえぎりたなる。そういうぼくも使いますけどちゅうか。▼「だっちゅうの」も流行って長いですが、あれ会話の中で使う人ているんでしょうか。胸寄せずに。ポーカーフェースで。「これ君の書類」「だっちゅうの」「これぼくの体液?」「だっちゅうの」全部話が終ってしまう。いっそ、ちゅうか、にしてはどうか。「ぼくのホイットマンは特別版」「だっちゅうか」「咥えてもらってたいへん気持ちがいいのですが、これってセックス?」「だっちゅうか」全部話が浮いてしまう。
19980927
▼草津に知人のギャラリーを見に行く。行ったのはいいが、地図と連絡先を忘れてしまい、雨の草津市内を徒歩でうろつくことになった。結局ギャラリーの場所はわからずじまいで、旧中山道を南北にうろつく。しかし、湖東って、ちょっとした寺や神社が広いよなあ。▼猫にノミとりシャンプーを使ったら、ノミが全身からわらわら出現する。しかし、これだけのノミが表面からはほとんどわからないから体毛のある動物ってすごいよな。猫はあいかわらずドライヤーがきらいなので、遠くからかすかに当てるのみ。綿の国星に出て来るチビネコはドライヤー当てられてなかったっけ「日曜日にリンス」。▼昔、住んでたアパートの廊下でなじみのイヌが死んだあと、ついていたノミがアパート中に移動してきたことがあって、ヒトの血もばんばん吸った。銭湯でリフレッシュして帰ると、その新しいからだにまたノミがつく。テーブルの上に石鹸水を張ったコップを用意しておいて、捕まえるたびにそこに浮かせていくのだが、じきにコップの表面がノミだらけになるのだった。結局バルサンをアパート中に焚いたあと、ノミはフェイド・アウトしていったが、それでも2週間くらい悩まされた。▼この体験はけっこう強烈なトラウマ?になっていて、よその国で頭がぶっとんでいたときに、部屋の壁がノミだらけになって身体中がかゆくなるというバッドな旅に悩まされたこともある。▼にも関わらず、しみじみとノミを見てしまうのだなあ。ノミって体節がはっきりしててなんかメカニックなのだ。ネコノミは体が長くて飴色で、これがまた味わいがある。
19980926
▼梅田のセミネールで講義。しかし、用意した画像が貧弱でちょっとだるい展開になった。申し訳ない。▼丼屋で、向かいの御姉様が「しつこい男に付け狙われててしゃあないから時間つぶしてんねやんか。よかったら迎えにきてくれへん?」と電話。見ると彼女は、丼が来たのに少し箸をつけただけで、しょうゆもわさびも入れずに、ぼうっとしているのだった。なぜ丼屋?▼帰宅後、平野さんとYukoさんとで音楽ムダ話。Pure dataなどインタラクティブな音の出し方についてなど。モニターにCdSをたくさん貼るってのはわかりやすくていいなあ。
19980925
▼猫がテーブル下の金網の棚に乗る。金網の穴がちょうど猫の手の太さと合う。そこから下に片手を伸ばすのが好きらしい。金網の下で物を動かすと、猫が片手でパンチを繰り出す。ほんとうは金網を降りて床から直接攻撃すれば楽なのだし、じっさい、金網から降りて二三度直接手を伸ばしたりもするのだが、すぐに金網に昇って、穴から手を出す。こういう場所へのこだわりを「遊び」と名付けたくなる。▼そして今日覚えた新たな「遊び」。椅子の背に、ちょうど猫の両手が入るほどの隙間が空いている。で、両手を入れて攻撃する。両手が入るから両手なのか?ときどき隙間のこちら側で手をつかんで動けなくしてやると、不思議そうな顔をしてからニャーニャー鳴く。
19980924
▼TVのCMを見てたら、プッチンプリンに「ウォーレスとグルミット」が出てた。「Close Shave」の羊さん総出演。でも、にぎわしすぎて、あんまりウォーレスとグルミットっぽくないなあ。声は欽ちゃんではなかった模様。▼ホンダのHRの宣伝に「ゲバゲバマーチ」のカバーが流れてた。▼注文していたアニメーション関係本があれこれ届く。ハナ&バーベラのハナ自伝。TV時代の話はあまり知らないからそこをぱらぱら読み。まあ、成功した人の成功物語って感じで、読み物としてはちょっと退屈。いっぽうCulhaneの自伝はもうちょっと偏りがあって楽しそう。フライシャースタジオで口の描き方や女性アニメーターの扱いでウィラード・ボウスキーと喧嘩した話とか。同じくCulhaneの "Animation From Script to Screen"。懇切丁寧なアニメーター志願者向けマニュアル(ただしアメリカの)。ロトスコープの使い方や音楽のシンクの取り方についても基本的手続きが書いてある。もちろんじっさいはもっとバラエティに飛んでるんだろうけど。▼しかし、いちばんおもしろかった「アニメーション」は、一緒に注文してたAphex Twin のビデオクリップ。ここ数年ほとんどMTVというものを見ていないので、最近のビデオクリップがどうなってるのかぜんぜん知らなかったんだけど、ここに入ってる3本はどれもすごくいい。海辺の岩場で固定されたカメラの前で展開される高速物語「On」。子供が全員aphex twinの例のコワイ顔になっちゃう「Come to Daddy」など。やはりコワイ顔のくまの着ぐるみが腹と頭をくっつけるように跳ねる「Donkey Rhubarb」の壊れっぷり。全部まとめて「ホーム・ビデオ・アイテム」ってタイトル。
19980923
▼猫がかみつくのは、こちらが立っているせいかもしれないと思って寝転ぶ。寝転んでもかみつくのはこちらの気が出すぎてるせいかもしれないと思ってなごむ。猫がそばで落ち着くと、さらになごもうと思い目をつぶる。そうやって何度も眠ってしまう。起きると猫がそばで寝ている。▼きりがないので昼過ぎに京都へ。浮世絵屋で、写真で送ってもらった絵の現物を見る。うーん、いい絵だ。でも、値をきいたら、とんでもなかった。これにそれだけの金をはたきうるとなれば、あれにもあれにも金をはたきうることになってしまう。つまりは、魔道に足を踏み入れることに他ならない。とりあえず一日考えてから返事をしよう。▼二条通りを歩いていて「ママ、ヴィレッジ・グリーンで怒られた」というコピーが忘れられない音盤屋、ヴィレッジ・グリーンの前を通りかかる。こんなところに移動していたなんて知らなかったよ。移ったのは4年半も前らしい。ってことは4年半もごぶさたしてたってことか。▼店のフライヤーをふと見たら、あれ、ダグマー・クラウゼが来てる。日にちは?今日だ。時間は?あ、いまからだ。▼そそくさと西部講堂へ。前座のバンビ・シナプス、はじめて聞いたけど、かっこいい音だった。I.S.O.、メンバーのイニシャルなのかな。Oの大友さんはますますもってレコードの音でなく、レコードをかける音を鳴らしていた。


Forget your cast.
役を忘れなさい。
ダグマー・クラウゼがそう歌う。
芝居気たっぷりに。
「ピーターと狼」が指一本で呼び出される。
ピーターだっけ、アヒルだっけ、猟師だっけ。
それは何かの「役」の音楽だ。
つつましい音楽。大仰な音楽。
音楽は音に応じて「役」に振り分けられる。
Forget your cares.
なやみごとを忘れなさい。
ダグマー・クラウゼはほんとはそう歌ってたのだった。
英語の歌、夢はフランス語 でも惑星の名前は、巻き舌でマタRRRRRラス。
そこはなんでもかんでも忘れなさいの国らしい。
忘れなさいを忘れなさい。

▼相方のマリーはDX7を人差し指で打つ。サンプルが呼び出される。いまどき簡単な仕掛けだ。だから、サンプルを打つ、というできごとがよくわかる。▼アンコールに、のびのあるいさぎのいい日本語で「よい夢を」としめくくるダグマー・クラウゼ。そのあとの再アンコールはしまりが悪くておばはんが洩れてるなあと思ったけど。
▼3410かけた?3410へんな番号やろ。え、いまバス。バスん中。三条過ぎたとこ。え、なに。きこえへん。電波遠いねん。走ってるし。あかんなあ。電波途切れるわ。バスあかんなあ。あとからかけるわ。駅ついたらかける。え、なんて。(京都駅行きのバスで携帯をかけている女性の声)
19980922
▼都立図書館でひたすらマイクロフィルムを回す。記事をみつける端からコピーを申し込んでまたフィルムを回す。▼昼食を取りに5Fへ。窓の外を見るとすごい勢いで木が揺れている。▼全部フィルムを返したつもりが、ひとつ足りない。コピーを引き取り忘れていた。▼急遽、青土社の小島さんと須川さんに会うことに。台風のせいか喫茶店には人が少ない。とらえそこなうことと遅れることの話。▼米原行き最終のひかりに乗る。これだと米原で30分待たされるのを忘れてた。琵琶湖線の接続が悪いことくらいとうにわかっているが、新幹線に乗ったあと30分待たされると妙にがっくりくるんだよなあ。

19980921
▼江戸名所図絵にも載ってる待乳聖天にのぼる。江戸時代はここからの景色が絶景だったそうだ。もっともそれは平屋や二階建ての甍が並んでいたころの話で、いまはビルだらけで絶景どころではない。隅田川すら堤がじゃまをして見えない。
▼てくてく歩いて橋場町の平賀源内墓に行こうと思ったが見あたらない。近くの人にたずねたら目の前だった。車が看板の前に止まっていて見えなかったのだった。しかも、門にはかんぬきがかかっている。と、思ったら土砂降りになってきた。門前の軒下で雨をしのぎながらふと錠前をみたら、じつははずれたのをひっかけてあるだけなのに気づいた。そうとなればかんぬきを抜くしかない。▼中は民家の庭ほどの小ささ。簡素な社まで門から数歩でジャンプする。それでもえらく濡れてしまう。寺じたいはよそに移って、墓だけがここに残っているらしい。この社も、どうやら昭和になって有志が立てたものだ。それにしてもヤブ蚊がひどい。▼「天下御免」の稲葉小僧をやってた秋野大作は、当時なんて名前だったっけか、などと他愛もないことを思い出す。平賀源内といやあ「天下御免」だったからな。林隆三のやってた剣豪はなんちゅう名前だっけか。杉田玄白は坂本九でナレーションは水前寺清子だったっけ。あれ見て、「日本の名著」で「放屁論」読んだんだもんな。ラストは気球に乗ってたような気がするが、日本に気球が登場するのは江戸末期ではないのか、なんてことを当時は考えなかったな。
▼とかなんとか、けっきょく30分くらいそこで雨を待ってから、近くの食堂へ。おばさんがきゅうりをぽんぽん切りながら話し相手になってくれる。話の合間にそのきゅうりを口に放り込む。貴花田と若花田の手形が飾ってある。「おすもうさんが来るんですか?」「ちがうちがう、あれは買ったの。この辺にもあるんだけどねえ、相撲部屋」「高砂部屋」「さえないねえ。うちも優勝でもしたらご祝儀あげなきゃって思ってるんだけどさ。」それから源内の墓のいきさつを聞いたり、料理番組をみながら「あれはまぐろかね」などと他愛ない話。
▼浅草に戻ってあちこちで話を聞いて歩く。紹介先でまた紹介してもらい、と、芋ヅル式(ドラクエ式)移動。ロールプレイングゲームであちこちたずねて情報集めるのって、ほとんど聞き取り調査とおなじだよなあ。
▼手ぬぐい屋で「よったぶち」の東海道五十三次の地口絵手ぬぐいを見つけて買う。
▼「帝都復興せり!」という本で、浅草の地下鉄尖塔の話が出てくる。関東大震災後に建ったビルで、地下に食堂街を有する、日本最初の地下鉄駅のビルでもあった。当時はエレベーターで6Fまで昇れたが、いまは塗り込められている。▼この光景とまったく同じものに今回行き当たった。それは旧仁丹塔、いまの田原町ビルだ。▼雷門前の大通りの突き当たりに、かつて仁丹塔と呼ばれる妙な形の広告塔があった。これは70年代後半に撤去されたが、ビルはいまも残っていて、仁丹の看板が掲げられている。仁丹の事務所がある狭い階段口をふと見上げると、あったのだ、白く塗り込められたエレベーターの半円型表示板が。ドアがついているところを見ると、おそらく昇降路(エレベーターの通り道)にフロアをつけて、部屋か倉庫にしたのではないか。▼古本屋で浅草の本を立ち読み。今朝モーニングを食べた「ハトヤ」という店は、じつはエノケン他カジノフォーリーな人達がたむろしていた由緒正しき場所だったらしい。「ハトヤから六區の朝が明けはじめ」という短冊は、そういう意味だったのか。

19980920
▼関節シスターズの索ちゃんのご案内で松濤美術館の「江戸の遊び絵」展。「としよりのよふな若い人だ」人体が寄り集まって女の顔になってる、有名な和製アルチンボルド絵。なになに、「いろいろな人がよつてわたくしのかおをたてておくれで●●うれしいよ」だってっさ(●は不明)。食器のエビをじっさいに作ったモデルもかざってある。うーん、学芸員の人、好き者らしい。東海道五十三次の地口絵があって、四日市にぶち猫が集まって「よったぶち」だってさ。有卦絵、有卦に入って「ふ」づくしだからって、「ふたまただいこん」や「ふじびたい」はいいとして、ただの「ふ」はないだろう。すごいよなあ、江戸地口文化。しかし、図中の説明書きが読めると楽しいよ。ありがたや江戸かな古文書入門。▼松濤美術館の横に「右脳会館」っていうビルがあって、あまりにすごい名前なのでカメラで撮ってたら警備員の人に止められた。内はともかく外観を映そうとして止められたのは初めてだ。▼近くのファンシーな店でかえるグッズを買ってしまった。▼浅草へ。伝法院通りに延々と続くくだらない地口の看板見てたら、さっきの遊び絵を思い出しちゃった。

19980919
▼国会図書館。閉館間際にいい記事を見つけたんだがタイムアップ。▼吉祥寺で「TVサントラ大作戦」。恐るべき物量でびっくり。じつはふだんサントラを聞かないので、マニアなら聞き飽きているだろう楽曲も新鮮。ウルトラマンの戦闘シーンを聞くだけでも「あ、スネアドラムってときどきばたばた入ってるだけなんだ。活劇だよなあ。」だったり、魔法使いサリーのテーマを聞いて「これっていわゆるサーカス・奇術系のクラリネットとウェスタンのクラリネットの融合なのか?そもそもサーカスの呼び込み音楽って何が起源なんだ?エノケンの「グランドサーカス」ってどういう経緯で作られたんだ?」などとどんどん考えがあさっての邦楽へ発展していくのだった。「親指トム」のテーマで、1コーラスめと2コーラスめにオフビートの間が空いたりとかするんだよなあ。小林亜星っていい曲作ってるじゃんか。▼腹巻猫さん、RYO-3さん、ほんとにおつかれさま。

19980918
▼注文していたパノラマ図絵届く。けっこう大きい。ボードに貼ってしばし眺める。360度の中に、異なる時間が流れるように描かれている。ロンドンに発祥したこの見世物が、意外にも絵巻という日本的な要素につながっているのがわかったのは収穫。パノラマは周回する絵巻物でもあったわけだ。これまで本で読んでいて得心がいかなかったことがいくつか氷解した。真ん中に筒を立てて、さや絵にしてみたらどうかな。今度やってみよう。

19980917
▼日曜に行った浮世絵屋のご主人から封書。ある図絵の載った本を探してもらっていたのだが、なんと現物があったとのこと。写真も同封されていた。すばらしい。図のあちこちを見ているうちに涙が出た。

19980916
▼喫茶店でかちゃかちゃ打ち込んでたら昨日インドネシアから帰ってきた昆虫学者のKさんが来たので、学会事務をしながらアストロノーカの話。「うーん、しかし遺伝子の掛け合わせってさあ、可能空間の中を移動してるんだって考えたらクエストなんだね。だからゲームになるわけだ。その可能空間って無限なの?」「いや、有限。でも形質パラメータが10あって、そのひとつひとつに20くらいのグレードがあるから、有限っちゅうてもすごい組み合わせの数よ。しかも野菜がまた何十種類もあるしね」「じゃプレーヤーにとっては相当な数だ。」「うん、で、できる野菜が全部3Dポリゴンでいろんな角度から見れちゃうわけよ。味覚や匂いとかはことばで表現されてて、あと、音が出るのもある。昔はドーキンスがブラインドウォッチメーカー作って、モノクロのドットのツノが伸びたとかいって盛り上がってたわけじゃない?隔世の感よ。」「で、そんなさあ、いまことばで聞いた限りでは生物学オタクとか農業オタクの人がローカルに遊んでいるだけとしか思えないソフトがプレステで出てるってのも驚きだなあ」「そういう専門知識がエンタテインメントと掛け合わせられる土壌があるってことだよね。別に遺伝子操作とか小難しいことかんがえなくてもさ、おもしろいもん」▼「しかし、キャラクターが変化するってことでは、ポケモンとか育てゲーと似てない?」「うーん、確かに育てゲーの影響はあるとは思う。ただ育てゲーは確かにキャラが変化したりいろんなのが出てくるけど、それは進化じゃなくて発生とか発達なんだよね。一世代の中で変化する。それに掛け合わせっていう概念がない。それに比べるとアストロノーカって画期的だと思うよ。」「でもさあ、やっぱりいまのゲームってとんでもない世界に突入してるね、そういうのが流行りうるってのはさ。」「いちからアストロノーカみたいなゲームができたわけではないと思うんだけどね、でも、さっき言ってたみたいなポリゴン技術だとか育てゲーブームとか、ゲーム史上のいろんなワンステップが積み重なった果てに、とんでもないのが出てきちゃったって、そういう感じ。」▼いまインドネシアは1円が75ルピーくらいらしい。


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