月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



20000215
横殴りの雪。
 新日本紀行再放送。一本め「東京山川草木」の音楽は頭脳音楽・三上寛。二本めの「かわさき銀河鉄道の旅」。川崎青少年プラネタリウムのナレーションに合わせ、川崎の鉄工所のシルエット浮かぶ夕暮れ。そこから繁華街のネオン、そしてプラネタリウムの星空へと移っていく演出は、光化学スモッグ批判、石油ショックといった文脈を越えて涙ちょちょ切れる。ラストの決めゼリフは「みなさん、おはようございます。明日の朝になりました。」昨晩お会いしましょう(ユーミン)を裏返す転倒した未来。
20000214
この日記HTMLを生成するハイパーカードスタックが壊れてしまった。しかたなくエディタで日記をつけることにする。
 「コミュニケーションの自然誌」研究会で発表。あれこれデータ解析上の不備を思いつく。飲み会で、単なる勘違いによって発動する恋愛の話。具体例がいろいろあがったが略す。他人事に事寄せて実体験を重ねる話は実に危ういなあ。
 じつはコミュニケーション研究なんちても、そのメインテーマは恋の非対称性だ。立川健二の「誘惑論」の内容はさておき、巻末に結婚式の写真なんか掲載しちゃってお恥ずかしくないのか、と読者としては嫉妬してしまうのである。そこで語られているのは、誘惑の勝者の話ではないのか、なんてね。なんのことはない、自分のモテなさ加減をサカナにコミュニケーションの悲哀を物語るコミュニケーション論。
20000213
ブリジッド・バルドーが他の男とアパートに入るのを目撃したロジェ・ヴァディムは、友人とブリジッドに置き手紙をして、朝三時の国道を130kmでぶっ飛ばし、畑に突っ込んで翌朝を迎えた。通りかかった農家の人に車を引き上げてもらい、再び走りはじめてしばらくして、路上の電光掲示板が目に入った。「フランス=スワール」のあとに「ぜひ連絡して。ソフィー」とある。映画かベストセラーの広告だろうと思ったヴァディムが走り続けると、20km先でまた同じ文章がある。「ぜひ連絡して。ソフィー」。さらに三度めのメッセージを見たヴァディムは、シェルのスタンドに入ったついでに給油係に尋ねる。「最近できたんだね、あの広告は」「あれは広告じゃないんです」と給油係は答える。それは、ドライバーへの伝言サービスだった。

 「いつかはどこかのサービス・ステーションがお客に呼びかけていました。ステアリング・ギアのケースを固定するのを忘れたんです。間に合いませんでした。お客さんはカヴァイヨンを出たところで鉄塔にぶつかって死んじゃったんです」
 私はやっとわかった。ソフィーというのはブリジッドなのだ。

(我が妻バルドー、ドヌーブ、J・フォンダ」ヴァディム/吉田暁子訳/中央公論社)

 電光掲示板、というと、この話を思い出す。今日はロジェ・ヴァディムで思い出した。

でレニ・リーフェンシュタールの伝記映画「レニ」(レイ・ミュラー)。しまった、全部録画しときゃよかった。いやあ凄い人でした。元女優とはいえ、ナチズムに関しても徹底的に非関与の自説を貫き通すあの迫力。「政治も野菜も果物も同じように撮る」というのだが、「意志の勝利」をムヴィオラで見ながら撮影テクニックを嬉々として説明するシーンを見てると、確かにこの人なら政治も野菜も同じように美しく撮るだろうなと思えてくる。おっとエレベーターねたもあったぞ。ハーケンクロイツの巨大旗の間にエレベーターを設置してそこから撮ったっての。撮影当時、90歳を過ぎてなお海に潜り続け、40歳年下の夫の撮影に注文をつけていたその姿はルミ子賢也も遠く及ばない。ウェットスーツ姿がまぶしい。
20000212
日本の20世紀「山形県」。レーヨンと絹を混ぜた廉価絹、プレザン錦紗を広告する「プレザン行進曲」という歌。歌っていたのは「東京行進曲」で日本最初のレコードヒット歌手となった佐藤千夜子。宣伝映画まで撮られている。これって映画館で上映したのかな。
土地を継ぐ望みのない「農家の次男」が満蒙開拓団として入植に向かう話を見ながら、この前絵葉書屋で見た大量の樺太絵葉書を思い出す。人の気配のない森林の写真。そして閑散とした入植地風景。それらが、幾千年ものあいだ人の手の入っていない宝の山として絵葉書化されていた。みみず養殖で大儲け、の対極の世界。

昨日書いた小島政二郎の「喉の筋肉」はこんな具合。

 彼は、いつもと違つて、スラスラ滑らかに、絹糸のように吐き出される自分の言葉−いや、乙野連続に一ぱいの幸福を感じた。彼は自分に感激して涙をポロポロ零した。零しながら飢えた者のようになって喋り立てた。口の中が泡で一ぱいになった。その泡が蟹の飯焚きのように唇の外へ溢れた。
20000211
ここしばらくのクラッシュ多発の原因はどうも仮想メモリがいつの間にかオンにセットされていたせいらしい。メモリ設定のチェックなんて基本なのに、どうも頭がボケているらしい。
の日本語辞書もこわれていた。しかたないので新規にユーザー辞書を作成してRAMディスク化する。で、日本語入力がようやく満足のいくスピードになった。これこれ、この感覚だよ。奇妙なことに、入力がスムーズになると、つるつると無駄なことばを入力したくなり、しばらくの間ほとんど自動書記のように打ち込む。しかし、これまでの原稿の文章とあまりにスピードがかけ離れていてどうもうまくない。

どもりを気に病んでいた男が、慣れぬ酒を飲んでみると、喉から次々とことばがカニの泡のように吹き上げてくるのに自分で驚き、それからすっかり酒漬けになってしまうという小島政二郎の小説があるらしい。「喉の筋肉」。タイトルがいい。

ポケモンはついにチャンピオンリーグを制覇。スリーパーとルージュラをメインに立て、あくまのきっすでさいみんじゅつをかけてはあくむをみせ続けるというじゃあくなせんぽうをつかいまくる。で、れいとうぱーんち。それにしても、ドラクエといいポケモンといい、ひらがなカタカナ表記のあやしげな感じってなんだろうな。字面が単純な分、かえって情報が圧縮され暗号化されている感じがして、それが陰謀とか秘儀の匂いをただよわせるのだ。たとえば、マタドガスってポケモンがいるんだけど、これ、一瞬なんの名前だろうと思って、あ、マスタードガスか、って気づくんだよね。そのとき、ちょっとぞっとする。そこに圧縮されていた情報にぞっとするだけでなく、それを解凍できてしまった自分の脳味噌にもぞっとする。マタドガスって字面がまがまがしく見えてくる。自分の脳味噌のまがまがしさだ。どくいりたべたらしぬで。グリコ事件時効近し。
20000210
風呂の中であれこれ考えて30分、なんてことはよくあるが、亡くなった荒井注は4時間入ってることもあったらしい。嘘か本当か知らないが、以前人に「風呂で寝てしまうのは、あれは睡眠ではなくて失神なので注意しましょう」という話をきいたことがある。ぼくはときどき寝ることがある。アブナイ。湯をたっぷり入れたときは風呂のフタを首まで閉めて、そこにアゴをひっかけて入ることにしている。これだと湯が冷めにくいし溺れずにすむ。

ポケモンは、いよいよチャンピオンリーグへ。しかしまだ、してんのうには歯が立たず、みずポケモンとこおりポケモンとがくしゅうそうちを使って、しろがねやまで修業中。
20000209
雪。天気のせいで憂鬱なのか、原稿が進まないから憂鬱なのか、憂鬱だから原稿が進まないのか。

古今東西噺家紳士録(CD-ROM/エーピーピーカンパニー)。
ほんの少し聞くつもりで志ん生、初代春團治あたりからはじめたら止まらず。といっても2780分あるというから聞きとおすにはまだまだ時間がかかるだろう。この音声データ、MP3なのかな。
今日聞いててぶっとんだのが、正岡容の落語ラジオともいうべき「JO変形」SP録音ならではの圧縮スピード。そして三升家勝ぐり「かっぽれ」のバックの竹琴の音。コツコツと音程よりも倍音が鳴ってる感じ。勝ぐりは竹琴を頭の上にやって引いたりしてたらしい。不勉強で三亀松を聞いたことがなかったのだが、その「都々逸吹き寄せ」の声にしびれ、「新婚箱根の気分」のイヤらしさにのけぞる。
十二階ゆかりの丸一太神楽、鏡味小仙の録音が入っていたのもうれしい。

ポケモンに逃避。こおりのぬけみちはパズル。8つのバッジは揃った。せっせとミルタンクにきのみを持っていったが、たいしたご利益がなくて拍子抜け。がんてつさんにも会わなくてはならないので、森を抜けるが、むしよけスプレーなしでは時間がかかってしょうがない。
20000208
 朝、羽尻さん宅から見える池袋、新宿のあちこち。通りに面して壁のない家の間に虫かごとじょうろ。池袋のあの塔は給水塔なのか?もしかして石川修武作なんてことはないか。はるか向こうに新宿副都心。
 午前から高田馬場で本漁り。黙阿弥全集など繰らずとも、筑摩の黙阿弥集に「風船乗噂高閣」は収録されてたんだった。「大正文士颯爽」小島政二郎、佐佐木茂索の話。中に、芥川龍之介がよんだ十二階の句を発見。「時雨るるや層々暗き十二階」。煉瓦の肌理を塗りつぶすような雨粒の細かさ。
 芥川家で小島と菊池がその俳句をめぐって議論したらしい。層々暗きがイヤだな、と小島は評した。小島はくさす時にきまって、説明じゃありませんか、という。そこに菊池がつっかかって、「突き詰めて考へれば、説明と描写の区別なんか非常に分らないと思ふんですがね」と言う。このエピソードを引いたあと、小山文雄はこう続ける。

(前略)「眼中の人」の一説だが、ここには、芥川の優しさとは対比的な菊池の強さと、小島の向う気だけに止まってしまうひ弱さが浮かび上ってくる。小島はそこをよく「描写」しているというわけだ。
(「大正文士颯爽」講談社/小山文雄)


 小島はそこをよく「描写」しているというわけだ、というのが利いている。これはこのまま花袋の「蒲団」の評に使える。花袋自身とおぼしき主人公の、情けないように見えて打算的なずるさが「蒲団」では浮かび上がってくる。そして花袋はそこをよく「描写」している。
 説明と描写という花袋の不器用さをめぐる問題は、文章技巧の問題に変態し、小島を捉える。おそらく、小島には花袋のような描写「面」に対する切実な欲求がなかった。説明に対する反発としての描写でしかなかった。だから菊池寛に圧倒される。
 それにしても大正生まれの小山文雄の、豊かでまっすぐな眼。第二章なんか「どうするか、好漢小島!」って終わるんだよ。これが全然ケレン味を感じさせない。いいなあ。


 翔泳社へ。翻訳の件。Jonathan ColeのAbout Faceっていう本は、ぱらぱらと見たところオリバー・サックス風、表情とそのトラブルをめぐるドキュメンタリーのようだ。ダーウィンの表情研究や心の理論についてもあれこれ書かれている。ぼくは二冊も引き受けられないけど、誰か訳せばいいのにな。
 新幹線は通路までいっぱい。その狭い通路でポケモンをやってる人がいた。席に帰ればかばんの中にポケモンがあったので、よっぽど声をかけようかと思ったけど、どうにも向かい合って通信をするスペースがなさそうなのであきらめる。「不思議なおくりもの」を試す日はいつ来るのか。
 名古屋を過ぎてふと外をみたらすごい雪。
20000207
 CSLで話。PowerBookが途中でフリーズしたままうんともすんとも言わなくなり、ぐちゃぐちゃの内容となる。聞いていただいた方には申し訳なかった。
 そのあと五反田で飲む。茂木さんとお会いするのは始めて。蛭川くん、金沢くんと言う顔合わせはヒューマンエソロジー研究会以来。ヨタ話に終始したが、要するにミッションなき者はミッションなき日常を生きよ、という話だったような気がする。ぼくは自分のミッションについて言わなかった。ずるい大人なり。そのあと羽尻さん宅へ。夕刊フジに京都伏見事件で自殺した岡村某の中学のときの文集に「蚊を殺すような三年間だった」というフレーズ。新宿高層ビルの灯、絶景かな。
20000206
米原へ。湖北の山の背をすみずみまでなでまわすように雲が這っている。新幹線で原稿、ポケモン。翻訳は平均すると一日3、4頁が限界か。
池袋で羽尻さんと飲みながらあれこれ話す。どうもぼくには理論構築の意欲が欠けているように思う。羽尻さん宅へ。鮎家の巻物を食べながら、たわごと。いや、つまるところ、記号は鮎家のマキモノです。つまり、この最後にひとつ残った鮎家のマキモノをわたしはあきらめるのか、あきらめるということでわたしはああ鮎家のマキモノをおれは所有してたんや、と感じることができるか、という問題です。まあしかしわれわれずるい大人ですから。じつはぼくが米原駅で鮎家のマキモノを買った時点で、このような記号に関する議論を戦わせるであろうことをすでに予想していたわけです。すなわち、鮎家という会話のグラウンドは新幹線に乗る前にすでにしくまれていたというわけです。ぼくが米原駅までさかのぼった以上、記憶の翼はさらに草津まで遡らざるをえないでしょう。つまり、鮎家の工場のもうもうたる鮎と昆布の蒸気の中でむせかえっている自分をも見出せるわけです。しかし、問題は、草津の因果をマンガの森で予測できないということです。わたしがいま草津のもうもうたる蒸気の話をしたかゅこそ、事後的にそれはマンガの森と結びつく、が、マンガの森にいるときに、それを思いつかない、それでいながら思いつく可能性だけは用意されている、そこが因果のあやかしです。いや、むしろ「日常」の糧というべきでしょう。因果を予想できないからこそ、それは新たなる日常の説明原理として浮上してくる沈黙の艦隊なのです。超越せえへん日常ってあんの?ということですね。ひらたく言えば、超越せえへん恋愛ってあんの?と。マンガの森で鮎の匂いさせてる人を見たときに、「わ、こいつ頭おかしいわ」と思うか「わ、この人の頭めっちゃのぞいてみたい」と思うか、つまり危ないバクチを打てるかどうか、恋愛とはまさにこの失敗可能性の醍醐味です。トリビアルなできごとにこそさぶーい荒野が開けているということでしょう。恋愛の荒野にはぎざぎざした認知環境の確率的偏りが、バラのとげのようにひりひりとこちらの認知環境をつきさす、そんな恋愛にあなたやわたしを誘いたい、科学の色気とはそんな場所に発生するように思います。このタワゴトが失敗する可能性をもつように。
20000205
さらに原稿。
ここのところ一日数回はフリーズで過去に引き戻されてきたが、深刻なシステムエラーとその復旧で数時間かかって心底イヤケがさす。月に何度かこうなる。いよいよこのマシンを手放すときか。出費を考えると気が重い。
合間にポケモン。海を渡った。ゲームボーイという環境の恐るべき安定性。
20000204
翻訳していて、辞書を引いてもいい訳が思い浮かばなかったり、自分でもニュアンスが理解できていないと感じたときは、WWW検索をかけることにしている。
たとえば、faux pasという語は、あやまち、失策、非礼といったことばに当たる。が、わざわざ英語の中にフランス語かつイタリックでfaux pasと書くとき、それはどんなニュアンスを伴っているか。というわけで、altavistaあたりへ行って、faux pasでヒットする頁をかたっぱしから当たってみる。すると、離婚を諌めるお説教から、海外べからず集、三文官能小説にいたるまで、あらゆるfaux pasがひっかかってくる。あらゆる文章がfaux pasのもとに並び、あらゆるお高い/お低い思考が何かを隠蔽し不問にし、皆さんご存じの例のやつ、と隠蔽されたものをほのめかす。そのさまは、ほとんど出来のいいカットアップだ。かくして、faux pasというフランス語によって発生することばの力学が明らかになる。
というわけで、WWWはすでにして巨大な英語用例集だ。
20000203
 相方がやっている「シェンムー」を横で見る。よくぞCGでここまで、というよりも、なぜCGでここまで?むろん山ほど工夫は感じられるが、その質感はあたかも生き人形の学芸会。ディザやモアレやポリゴン特有の輪郭のあとが、プラスではなくマイナスに見える。実写と比較すれば明らかにマイナスなものが見過ごされてしまう、CGの病。良くも悪くも「となりの山田くん」の対極にある世界。
 まあ、時間を投入すればするほどそういうのがまんざらでもなくなり、気がついたら億の金をつぎ込んでたりするんだろう。究極の認知的不協和の産物。プレーヤーだって何十時間つぎこめばこの世界がまんざらでもなくなる。人はそういうことをする。
 なぞることと似ようとすることの差。差を見ることと見なくなること。
 それよりもポケモン金。ウソッキーを捕まえた。人生はクリティカルカッター。
20000202
卒論発表。ココスでハピバースデイを言ってもらう。恥ずかしい写真を撮る。バーデン・パウエルにヘルムート・バスコール。合間にポケモン。行ったり来たり。まだラジオ塔に行ってない。
20000201
原稿。明日の発表会の準備など。ポケモンはコガネタウン。かかってくる電話。

月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12 | 日記