月別 | 見出し(1999.1-6)


19990331
▼今日も寒雨。原稿。より道で昼。▼新幹線の中で「湯島聖堂略志」の紙を読む人。この雨の中昌平坂を上ったのか。元禄繚乱のせい?▼京都の伊勢丹でゆうこさんに草履、無粋な京都タワーも黄昏どきの赤みがかった色になるときだけはやけにきれい。ギャラリーそわかに下見。ちょうど「土展」の最中で、人のぬけがらのような土器が展示してあった。

19990330
▼まだ風邪気味。もう寒いのはや。▼古本屋で田村隆一「ぼくの東京」。おっと半七捕物帳を頼りに東京をたどる話だ。またしても綺堂。▼酩酊脱線しながらとても直球なんだ、田村隆一の東京は。さすが青山、オオ浅草、なんだ。田村隆一は幼い頃の風景をたどって、だれもいないだだっ広い風景を見つける。そこがホームグラウンドになってる。だからいくらぼくぼくぼくを連発しても読者諸君なんて呼びかけても東京なんて知らなくても昔を懐かしんでも酩酊しても毅然としている。植草甚一にもそんなところがある。一人の場所には、いくらでも味が浸みてきて、銭湯の湯煙がもうもうとして、ばーちゃんがねーちゃんに見えて、それならこのねーちゃんのウソ涙はホントかね、そんなぐあいにうろうろしてると、もうそこは東京になっている。▼より道で昼。▼自転車で古書屋回り。喜多川周之の聞き書き「江戸凧三代」。そろそろ財布の紐をしめないとまずいのだが、目の前にあると買っちゃうよ。ほら、小絲源太郎のこんな話。

■その頃、上野や池の端で開かれた文化的な催物にしましても、すべてこの鐘が合図なのです。はじめて日本の空に浮び上つた飛行船にしましても、もちろんそれは、おもちやのやうな小さなものではありましたが、初めてゼップランが巴里の空に現はれたほどにも感激して、私達は大空を見上げたものです。その文化の葉巻が飛び上る瞬間の合図にしましても、なんとそれがこの上野の鐘で、それからプロペラが動き出したのをさへ私はよく記憶しているのです。
(小絲源太郎「冬の虹」朝日新聞社/旧かなづかいと漢字を一部改めた)

▼店の本棚のすき間につめこまれて埃をかぶっている束を取り出すと、お、錦絵じゃないですか。どれどれ、あ、これ。すごい。あ、これまで。すばらしい。銀行に走って金をおろしてくる。帰ってくると店番のおばあちゃんがあぶなっかしい手つきでビニル袋から絵を取り出している。ああ、そんな風にばさっと出したら破けちゃうよおばあちゃん、ああその硬いボール紙ごと巻いたら折れてえらいことだと思い、なんか柔らかい紙ないですかねと尋ねれば、ああこれがあるこれ使おうとさらっぴんのカレンダーを傍らから取ってくれる。え、これ使ってないのに破いちゃっていいんですか。ええいいですよ全部使ったっていいと言っていきなり12月からびりびりと破いて巻き出すおばあちゃん。でも12月一枚じゃ心細いな、じゃあこうしよう、1月に一枚、2月に一枚挟んでカレンダーまるごと巻きましょうということになって、おばあちゃんとぼくは両端を押さえながら二人ともあぶなっかしい手つきで錦絵の端を合わせてからくるくるっと巻きました。それをぼくがくしゃくしゃとビニル袋に入れて防水すると、待ちなさい、ほらこれをこうしてこうやったほうが見栄えがいいと、さっきの12月を外側に巻いてくれる。かくして雪の大雪山の写真で巻かれた厳重包装錦絵の出来上がり。また来ますよおばあちゃん。

▼ しかし都知事選に19人も立候補してるんですか。今日は羽柴誠三秀吉だよ。青森から早馬でかけつた秀吉はひげまで太閤さんで、明和風作業服に「羽柴秀吉」の縫い取りが。会社役員の人って多いな。宣伝も兼ねてるんだろう。▼ しっかりしたこころで、がんがんいたしますドクター中松の発明したミサイルUターン装置ならてぽどんがきてもだいじょうぶ。え、じゃあそのミサイルは北朝鮮に直撃?すごいねえドクター因果応報システム。

▼ 病後の志ん生が話す「寝床」の楽しさ。音曲を「かーーー」と試しにうなってから「でてきたね」っていうところ。自分の声を他人事のようにお迎えすることば。
 
19990329
▼国会図書館でマイクロフィッシュ。

▼明治期のパノラマ関連の文書を調べていて妙なものに当たる。明治41年の発行で書名が「篠原パノラマ」。副題が「不死法の説明・一元素二分子発見録・三大学の発見」発行は篠原生理病理研究所。これだけでもすでに相当あやしい。▼で、一元素二分子とはなにか。▼この世の真空は気子と水子からできている。これが二分子。しかし、ここでいう分子は、化学の分子ではない。

■呼吸動物ハ空気ヲ吸収スルモノニ非ズ、真空体中ニ於ケル浮遊動物ヲ食収スルモノニシテ、水吸動物ハ水液ヲ吸収スルモノニ非ズシテ水中遊泳動物質ニ生活スルモノナリ。是レ亦所謂弱肉強食タルニ他ナラズ。(旧漢字を一部改めた。以下同様)

▼というわけで、じつは気子・水子とは細胞動物のことなのだ。▼さらに驚くべきことに、生物のみならず、万物は気と水の二細胞からできている。むろん太陽も地球もこの二細胞からできた動物、つまり太陽動物であり地球動物である。「地球動物」の説明を見てみよう。

■筋骨ハ結晶体ニシテ肉ハ岩石ナリ。血液ハ溶液ニシテ発汗ハ泉水ナリ。皮膚ハ砂ニシテ表皮ハ空気ナリ。神経ハ鉱脈ニシテ毛髪ハ草木ナリ。

▼そして地震はいわば地球の痙攣に当たるのだという。いや、比喩ではなくて、ほんとにそうなのだ。そして「人類ノ如キハ此ノ表皮ニ生息スル所ノ黴菌ニシテ地球ノ爲ニハ有害物ト認ムベキモノトス」。

▼一方、人体内に目を転じると、そこにもまた細胞動物世界が広がっている。まず血球は独立の細胞であり、神経も持っている。血球こそは人体内の最大多数気水動物であり、摂取した栄養の「残部」を人体に供給し、老廃物を運搬してやっている。また、血流は血液細胞動物の自発的な「馳走」によって生じる。心臓は血液の祖先であり父母である。左心房が父、右心房が母。蜂が最初に一匹ずつの雌雄から巣を生じるように、胎児の中でまず二つの血液細胞動物が心臓となり、そこから次々と子孫である血液細胞動物を生んでいく。マグリースの共生説に先立つこと数十年(なんて持ち上げていいのか)、こうなるともう気水パノラマ、気水マンダラ、気水フラクタル、気水複雑系だ。▼消化においても唾液細胞と胃液細胞、あるいは腸細胞といった細胞動物が活躍する。空腹でお腹が鳴るのは、唾液細胞や胃液細胞が食を求めて激しく交通するためである。▼「気水分子共ニ電気ナル神経ヲ有セリ」とあるように、篠原パノラマでは、神経を細胞として認めていない。中枢は脳にあるのではなく、多数の細胞動物群が行き来する心臓にある。

▼肝心の不死の方法はというと、「不死剤」を塗布するという、やや月並みなものだ。不死剤と脂肪を塗布することで、血球動物の働きを盛んにする。また、理由は述べられていないが、塗布によって病原となる黴菌は「巣外ニ馳走シテ食餌ヲ求ムルモ得ル所ナク、或イハ自滅シ或ハ巣内ニ潜伏シテ出デザルモノノ如シ」。▼不死といってもいずれ寿命はくる。ただし欲情と過失をおさえれば細胞動物たちの自発的協力作業によって多くの病気は自然治癒するものである。てなぐあいで結論はさほどぶっとんでいない。▼神経を神経細胞という実体ではなく電気として捉える感覚、そして蟻や蜂などの社会性昆虫の夥しさのイメージに引かれる感覚、さらには「パノラマ」ということばでめくるめいうちゃうセンス。「篠原パノラマ」には妄言特有の条件が備わっている。が、ちょっと妄想のツメが甘い。つきつめてない。前半の気水マンダラをさらに徹底してあらゆる自然現象を説明しつくせば、ぶっとんだ世界観になったんじゃないだろうか。もっとも他の篠原本を読んでみないとわかんないけど。▼それにしてもこの「篠原パノラマ」、荒俣宏や田中聡の本に出てきそうな内容だな。ひょっとしてもう紹介されてるのかしらん。

▼なんてぐあいに、篠原パノラマのおかげで貴重な国会図書館時間を費やしてしまった。国会図書館の時間は普段の時間と違ってどうも早く過ぎる。資料請求待ちとコピー待ちのトータル時間が長いからだ。段取りが悪いとろくに資料を検討せずに一日が終わることもある。

▼閉館までマイクロフィルムを回して帰りに神田で浮世絵。築地ホテル館の図や貞秀の鳥瞰図をゆっくり見せてもらう。

▼宮田レコードで就寝用に志ん生と志ん朝のCD。▼洋食の「峰」でカレー。小麦粉とカレー粉の味。むずかしい味のしないカレー。むかしは「峠」といったそうだ。峠から峰。点から線。水戸黄門の杉田かおる見て「あらあ、チィ坊じゃない、これ。小さかったのにねえ」とおかみさん。客が「じゃあ、この黄門様は誰がやってるかしってる?」「知らないよォ」「助さんは?格さんは?」「知らない知らない」

▼HeyHeyHey! アムロ復帰。せっかく東京にいるのだから都知事選の政権放送を見るか。みやざきなんとかという人は、ピエールとジル風のポスターだったので、もしかしてヘンなやつかと思ったら、なんだかまっとうなことしか言わないのでつまんなくて消してしまった。
19990328
▼まだ頭重し。都立図書館でマイクロ回し。日曜だけど帰りにちょっと神田。

▼東京の本をあれこれ集めていくと、青蛙房から出ている本が何冊か貯まってくる(たとえば木村荘八の本がそうだ)。で、きのう米朝の「上方落語ノート」を古本屋でかったら、これまた青蛙房。なぜ上方であおがえる?今日、岡本綺堂日記を書庫から出して貰ってわかりましたよ。青蛙房の元発行者である岡本経一氏は岡本綺堂の養嗣子で、青蛙、という名は岡本綺堂が震災後に書いた文章のタイトルにある。そういうことか。で、米朝の本にも出てくる芸能研究家の正岡容は綺堂と関わりがある。綺堂>正岡容>米朝とつながるわけだ。ちーとも知りませんでした。▼晩に「より道」で天麩羅の数々。いい具合に水平酔い。「きよ」でもんじゃ。水平キープできず後でもんじゃゲロ。

月別 | 見出し(1999.1-6)
日記