- 20000122
- 漆喰はどんどん乾くから、鏝絵は漆喰の柔らい間に短時間で仕上げてしまうんだそうだ。鏝が漆喰の縁をしゃっとなぞったときに、もう絵の輪郭が決まってしまう。鏝と手の描く曲線への信頼によって成り立っている絵。
小沢昭一「日本の放浪芸」のぞきからくりの金色夜叉はほとんど江州音頭。
声に関するいくつかのメモ。
▼語り物の声がフレーズの未来に投げる期待と落とし所。ここまで引っ張るかというほど調子をあげておいて、ひょいと落とす。書き言葉を読むのではおよそ実現不可能な、声の芸。
▼風呂に入りながら、そこらにあるシャンプーや化粧水の説明書きを声に出して読んでみる。すると、自分の中に、アナウンサー的な声の倫理があることに気づく。長文を読むとき、文章の一部を読みながら文章全体の構造を推測し、ここでイントネーションを下げようとかここで区切ろうとか考えている。その推測がハズれると、うまくない朗読になる。
▼いまそばにあるモスバーガーの宣伝文を声にしようとする。
ナチュラルビーフでつくったモスのメニューのなかでも、ジューシーなお肉のうまみをシンプルに楽しめるのが、このふたつのメニュー。ぜひお試しください
いきなりリハーサルなしでこのような文を声に出して読まされるとする。 まず句点まで息つぎなしで読もうと考える。が、それだけでは棒よみになる。句点を発見するまでに、イントネーションとスピードにどのような変化を与えていけばいいか。まず、最初はあまり盛り上げずにそろそろと進む。すると、「なかでも、」という句点を発見する。ここで盛り上げてよいものか。「なかでも」とあるわけだから、その後に、さらに中心的な問題がこの文では語られているに違いない。そこで、「なかでも」ではあまりイントネーションを上げずにやりすごしておく。さらに読んでいくと「楽しめるのが」とある。この「が」から、先の中心的問題はこのあたりだとわかる。そこで、この「が」に向けてピッチを上げる。残りは「このふたつのメニュー」だけだ。やはりここが結論だった。ここはピッチをやや下げて始め、落としておく。そして「ぜひ」でダメ押しとしてもう一度ピッチを上げる。
おそらく、声優やアナウンサーは、原稿を初めて読みながら、このような判断を次々と下していくのだろう。そのとき、特定の語、特定の句が、その後の文章の構造にどれだけの手がかりを投げているかを瞬時に判断しなければいけない。すごい職業だ。逆に言えば、素人のぼくにも、正しい調子が憶測できるような、ある種標準化された声の技術の世界だ。
▼いっぽう、タンカバイの文句は、朗読ではない。声を出しながら同時に文章を生成していく。声で何度もたどられたことばは、声を従わせようとし、声はそこから逸脱しようとする。そこに文章にするとくどすぎるような語の繰り返し、文章の中断が生まれる。というより、そうした繰り返しや中断が、いまそこで生成されようとしている芸なのだという感じを与えていく。
▼森本レオのナレーションを模写するコツは、ピッチを上げきった後、一気に倍速で文の終わりに到達することだ。「三階建ての↑」と上げきったあと、ピッチを下げ、「家づくり」とスピードを倍にして言ってみよう。ほーら、森本レオっぽさが増す。行為の主体が声になってしまえば後は行為が倍速で自動生成される。未だ達成されざる未来が、商品によって倍速で完了される、そんな声。森本レオのナレーションはそんな風に商品の夢を↑語っているのです。
▼円朝「牡丹燈籠」の序詞は、速記法の歴史を伝えている。声を記述することへの欲求と速記法の誕生。
其活発なる説話の片言隻語を洩さず之を収録して文字に留むること能はざるは、我国に言語直写の速記法なきが為めなり。予之を憂ふること久し。依て同志と共に其法を研究すること多年、一の速記法を案出して、縷々之を試み講習の功遂に言語を直写して其片言隻語を誤まらず、其筆記を読んで其説話を親聴(しんてい)するの感あらしむるに至りしを以て、議会、演説、講義等直写の筆記を要する会席に聘せられ、之を実際に試み頗る好評を得たり。 (円朝「牡丹燈籠」序詞/若林坩蔵)
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