月別 | 見出し(1999.1-6)



19990531
▼明治の言文一致について。言文一致というが、それは声と書きことばの一致というよりも、書きことばの平易化ではないか。平易化にあたって、たしかに声は参照されてはいるが、その声は東京あたりで使われていることばで、しかも書きことば用に改められたものだ。花袋のだらだらとしまりのない文章を読むこと、藤村のつるりとした文章を読むことは、声から書きことばへの屈曲のあとを読むことだ。

▼明治三十年代、文学における言文一致体と、国語における言文一致との間にあった亀裂。「”文”と”声”の抗争 −明治三十年代における<国語>と<文学>−」中川昭彦(「メディア・表象・イデオロギー」小森陽一・紅野謙介・高橋修編/小沢書店)▼読みながら、むかし家にあった図案本を思い出した。手本をなぞるように描く教育と、文案をなぞるように書く教育のイメージが奇妙に対応する気がする。絵画教育におけるお手本の歴史をたどると、明治期になにかおもしろいことが起こってないだろうか。
▼「明六雑誌」の西周の言文一致論。


 しかるに今、そのいわゆる我の文章なるもの、言うところ、書するところ、その法を異[こと]にして、言うべきは書すべからず、書すべきは言うべからず。これまた文章中の愚なるものにして、文章中の一大艱険なり。けだし世の人すでにここに見るあり。ゆえに今日これを改正せんとするの挙[きょ]またなきにあらず。曰[いわ]く、漢字の数を減じその数を定む。曰[いわ]く、和字のみを用い和字書を製し、和文典を作ると。
(西周「洋字を以[もっ]て国語を書するの論」明六雑誌/岩波文庫)

▼表記論と言文一致論が混じっている。書き言葉=漢文志向、という図式を前提に、(文体ではなく)文字の側から文を言に近づけていこうとする論。それだけ漢字の拘束力が大きかった、ということ?▼ここで草双紙のひらかなの多いヴィジュアルを思い出してみる。

▼須川さんから電話。赤瀬川さん特集取りやめとのこと。残念なりー。「老人と力」というタイトルだけは考えていたのだが(でも中身はまるで考えてなかった)。

19990530
▼隣りのカプセルのアラームが鳴り続けて目が覚める。どこからか「うるせえな」の声。「なんだとお、やんのか」「おい、アンタ年だろ、オレとやんなよ、死ぬから、殺すぞテメエ」。隣りの男は朝3時頃店の人に連れられて入ってきて、それからもどたどた壁に当たってうるさかったので、もう一人の男がキレたのだろう。「アンタ年だろ」という言い方からすると、短気だが手加減を知っているのかもしれない。表に出て巻き込まれるのもイヤなのだが、すぐそばのカプセルで会話だけ聞いているのも気味が悪いので、カーテンを開けて外に出ると丁度片方が一発ぽかりと殴ったあとらしく、もう片方が口を押さえている。マネージャーが割って入った。

▼その横をそそくさと通り過ぎ、風呂へ。風呂からあがって、休憩室でパソコンを充電してると、さっき殴った方の男とマネージャーが連れだってやってきて、座って話している。「いや、昨日遅くに酔っぱらって入ってきてどたどたやるわ、我慢できなくってさ。」「うん、気持ちはわかるけど、ぼくもいちおうマネージャーやってるからさ、なんかあったら責任とらなきゃなんないのよ。警察がきちゃったりさ。だからなにがあってもケンカはいかんよケンカは。」「警察よびやがったのね、差し歯が取れたんだってね、たぶん歯がうずいて虫の居所が悪かったんだろうね。」

▼彦根へ。午後から藤居本家で酒蔵コンサート。蔵の天井の低い部分でやるので、アタック音が跳ね返ってかちっとした音になる。リヴァーブはあまりない。送迎調達、パイプ椅子の調達、パネル設営、ステージ場所の検討、カメラ対策。

19990529
▼都立図書館で「日露戦争実記写真画報」その他。花袋の小説を飾る提灯行列。
文芸倶楽部と新小説は抜けが多い。国会図書館でないとダメか。しかし国会図書館は(第三土曜をのぞく)土日が休みなんだよなあ。▼縮刷版に関しては大阪府立中央図書館も充実しているのだが、明治中期に抜けが多いのも痛い。それに梅田からけっこう遠いのだ、あそこは。地下鉄と近鉄の境目で料金が跳ね上がるわ、駅からのアプローチには歩行者に対する配慮が皆無だわ、まあひどい場所だと思う。

▼神田で石版画を何枚か買う。絵葉書はねらって買おうとするとこれといったものがない。あとで震災絵葉書など買ってよかったような気がする。

▼河岸を変えて早稲田へ。古書街へ行くつもりで早稲田駅から歩いていくと、傍らにギャラリー。中を覗くと中ザワヒデキ展じゃないですか。最近中ザワさんから奇妙なメールをもらったところだったので、さっそく中へ。豆電球がおみくじのようにぶらさがった「3Dディスプレイ」で3D五目ならべをしてたら白熱して1時間以上たってしまった。立方体をあちこちから見る奇妙な対戦。▼そのあとアイヌ料理屋へ行く道すがら、煉瓦やら文字やらが、ぼくの知らない平面で4つ並びになっているような気がしてしょうがない。▼中ザワさんと飲みながら、3D提灯行列、というのを思いつく。





19990528
▼鍛冶橋の角をウルフィよろしくフィルムを逸脱せんがばかりに急カーブを切り、時間ぎりぎりに片倉ビルに着くと、Tex Averyの試写会だ。もうビデオでいやというほど見ている作品ばかりだが、それでも映画で見直すと発見がある。Dumb Houndedで暗転して目玉だけになるところなど、まるでドルーピーとウルフィと同じ暗い部屋にいるように気分が改まった。試写後、大西さんとテックス話。そうそう、ぼくも最初10数本続けて見たときはけっこう疲れた。テックスの睡眠妨害系の話って、かなりこっちの現実睡眠に浸透してくるよね。

▼神田で本を買ってから須川さんを呼び出してお茶。夢の話をするうちに、「地域夢」というのを思いつく。

▼とても夢見がちな地域で、夢見がちな人々が野良夢に餌をやっている。野良夢と野良夢が勝手にくっついてあらぬ妄想を生み、苦情を訴える住民もいる。夢を愛する主婦Aさんは、地域に生まれる夢の避妊手術を徹底的に行い、「この地域の夢は避妊手術がすんでいます。残りの一生を人間と共存させてあげてください」と回覧板を回す。やがてこれまでうしろゆびをさされるのがこわくて表に出てこなかった夢愛好家たちが、みちばたで野良夢をかわいがるようになる。もちろん夢だから、残滓が匂うのだが、それは夢愛好家がパトロールして道ばたに落ちているのを見つけたら回収する。かくして通りには野良夢が跋扈し、ひとつの夢が何人もの住民によって育てられ、ある夢はそれゆえに枯れ、ある夢はそれゆえに変形を加えられるのだが、避妊してあるので、大予言をしたり世界征服をする危険はない。ある日垣根の影でのんびりとくつろいでいる野良夢を見て、妙に胸騒ぎがしたので胸に手をあててよく考えてみると、原因はどうやら自分の夢らしい(つづかない)。

▼カプセル読書。「日本風景論」風景を連綿と鳥瞰しながら、日本を一まとまりとしてばーんと押し出してしまった世界。

▼佐藤健二「風景の生産・風景の解放」(講談社メチエ)。絵葉書論と風景論を接続する試み。喜多川周之氏が石版職工だったというのもこの本ではじめて知った。

19990527
▼ユリイカ6月号。小川一眞の話。とんでもない誤植(というか原稿がまちがってたのだ)を発見したが、カットアップ味が出てるのでいいことにする。▼最近、文章を書いていると、一つの文の中で能動受動が狂うことがよくある。一度書いた文章の目的語からアイディアが派生して、そこに新たな文章を継ぎ足すかららしい。らしい、とはわがことながら心もとないが、書いているときは気づかないのだからしょうがない。▼たとえば極端な仮想例。▼「読者が本を読みながら刺激を与えている。」▼ここでは、刺激を与えている主体は「読者」ではなく「本」のつもりなのだが、「本」ということばからアイディアが派生した途端、文全体の能動受動の関係を忘れて手近な主体に飛びついてしまうのだ。とくに物語を書く時に、こうした能動受動の狂いは、ナレーターの位置づけの狂いにつながるので困る。困ったことだが、そういう風に飛びつく自分には興味がある。興味はあるが困ったことだ。

▼NHK「未来派宣言」で地域ネコの話。よくもわるくも、地域のノラネコに避妊手術が必要ってところが鍵になっている。

19990526
▼講義二本やりつつ一昨日のマイクロ解析を徐々にバージョンアップ。指示語としぐさの関係について。

▼彦根市立図書館で新聞集成明治編成史。ほんとは縮刷版を見たいところだがとりあえずとっかかり。

▼国民という概念はいつできたか、を特定するのは難しい。「国民」ということばが発生した時期イコール国民の発生、以上、じゃつまらない(ちなみに「國民心得 」佐久間剛藏編が発行されたのは明治十九年、「国民新聞」が創刊されたのは明治二三年、少年雑誌「小国民」は明治二四年だ)。

▼国民という抽象的な概念が具体的な人間集団と結びついたとき、始めて国民ということばは力を得る。日比谷焼き討ち事件を報じる次の記事は、国民大会の参加者を「国民」と呼ぶことで、抽象概念を具体的な集団ときわめて扇情的に結びつけている。

■国民が屈辱的講和に反対するの声は必ず之を天?に達せざる可からず、熱誠なる国民は予報の如く昨日午後一時より日比谷公園に集会して、決議する処あり、国民の輿望のある処を発表せんと企図す是れ元老閣臣に取っては由々しき大事なり。(中略)ついに於てか彼らは、警視庁をして高手的圧制を加へしめ、以て国民を推潰さんとすとの説紛々として世間に伝わる。(中略)
国民は更に激昂したり。さあ国民を殺せ、さあ陛下の赤子を虐殺せよ、露探よ露探よと群衆は叫び出したり。(中略)
集まれる人々の種類を見るに、元老閣臣、其爪牙たり奴隷たる者、売国奴、露探、御用記者等を除きて殆どあらゆる階級、あらゆる職業を通じて実に無慮七八万人、老翁あり老媼あり、うら若き婦人あり、少年あり、是等は皆な其父兄愛子を犠牲としたる人々にして元老閣臣に向つて深き憤りを有し深き怒りを抱ける人々にして軍人、軍属、官吏も亦少からざりき。
(萬朝報/明治38.9.6)

▼ここで「国民大会」の矛先が、対外国ではなく、講和を結んだ元老たちに、より直接には警官に向けられている点に注意。国内における国民/非国民の輪郭は「陛下の赤子」ということばによって描かれ、売国奴、露探(探は探偵の探、すごいことばだな)といった外部との関わりを示すことばによって周到に、国にあって国の民にあらざる者があぶりだされていく。

▼国において誰が真に国を思っているかを明らかにしなければならないとき、ヴィヴィッドに「国民」ということばが用いられる。同じ構図は、ある集団が「A」と自称するときや、ある集合を「A」という名で呼んで思い入れるときに表れるだろう。たとえばネットワークなら、会議室やBBS、MLにおける「ROM」「参加者」ということばがそれにあたるだろう。「ROM(他の参加者)のことも考えましょう」というときのROMとは誰か。

▼名称は対立する集団に向けて生まれる。しかし、いったん生まれた名称が、集団内に選別を設けようとする力を考えること。ことばを唱えつづけることで見出されていく差。マントラは生まれる。しかし、唱えつづけることでそのマントラは何を見出そうとしているか。

19990525
▼一回生が、研究室に入ってくると「きゃー、アイマック実物はじめてみた」。課題で来週までに画像取り込みとフォトショップを使う必要があるので、研究室の鍵を渡して「好きなときに出入りして使っていいよ」というと「わーい、愛人愛人」。ノリが軽いねえ。メールボックスにはセクシャルハラスメント対策のお達し。

▼帰りにもう一度マイクロ解析データを見直す。

▼わ、絵はがきでしかも年表だ。「日本のポストカード年表」で絵はがき時系列を追う。日露戦争後の横浜絵はがきがなんともゆかしい。

▼明治絵葉書に関する覚え書き。

▼絵はがき史の雑誌付録の存在はどう扱われるのだろう。たとえば花袋の「田舎教師」にはこの種の絵はがきが多く登場する。

「絵葉書は女学世界についていた「初夏」という題で、新緑の蔭にハイカラの女が細い流行の小傘を携えて立っていた。文句は別に変ったこともなかった。」
「ふと傍に古い中学世界に梅の絵に鄙少女を描いた絵葉書のあるのを発見した。」
(「田舎教師」田山花袋)

▼そして私製絵葉書の存在。

「え、この間金州から絵葉書が来ました」
と和尚さんは机の上から軍事郵便と赤い判の押してある一枚の絵ハガキを取って示した。それには同じく従軍した知名な画家が死屍の傍に菖蒲が紫に咲いている処を描いていた。
(「田舎教師」)

「元朝早々主人の許へ一枚の絵端書が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞っているところをパステルで書いてある。」
「「どれどれ僕が好いのを撰ってやろう」と迷亭先生は「これなざあ面白いでしょう」と一枚の絵葉書を出す。「おや絵もかくんで御座いますか、中々器用ですね、どれ拝見しましょう」と眺めていたが「あらいやだ、狸だよ。何だって撰りに撰って狸なんぞかくんでしょうね——それでも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。」
(「吾輩は猫である」)

▼「三四郎」に登場する、「小川を描いて、草をもじゃもじゃ生して、その縁に羊を二匹寐かして、その向う側に大きな男が洋杖を持って立っている所を写した」絵葉書ってのは実在するんだろうか。

▼夜中にNHKでCharaのライブ。声が出てなくてつらいつらい、それでも「なにいいだすねん」なことば。

▼ドビュッシーの自作自演の「沈める寺」Condon Collection版。ギターのように弾かれる和音。「子供の領分」相当ペダルを踏みまくってミクロなテンポルバート。踏め踏め踏みまくれそれが子供の領分だとばかりに書いてるんだ、この曲集は。ペダルで音をにじませながら、そのにじみからさっと逃れる一瞬の音の跳躍を楽しみなさい。それにくらべるとギーゼキングの「帆」(柴田南雄訳では「ヴェール」)はハッタリの嵐で鼻持ちならない感じ。

19990524
▼講義で昨年こたつで語り合っていた現4回生の会話の解析。やはりマイクロ解析はおもしろいな。おもしろすぎると言っていい。このおもしろさは言語化しづらいもんがあるな。投入時間が長いだけに認知的不協和的おもしろさなのかもしれないが。

19990523
▼昨日からキャッスルロードでやってる「なんでも鑑定団」のロケを覗きに行く。宋安寺の境内は人でいっぱい。ちょうど堂本印象のところでお手伝いさんをやっていたというご婦人が壇に上がったところで、画家からもらったインド更紗の端切れがお宝。鑑定は1万円。けっこう感心したのは、「もっといい額にいれなさい」とか「印象さんの画集と照らし合わせてこの更紗の柄が使われている絵を探したらいい」とか、鑑定員が指南していたこと。つまり、そのお宝をその人の記憶を改めるためのツールとするにはどうしたらいいかが、具体的に語られていた。
▼通りは歩行者天国になっていて、骨董の出店が出ていた。町おこしのきっかけになっているのだ、「鑑定団」は。町がTVによって鑑定されてるのだな。TV以外のものによっては鑑定され得ないのか。

▼その骨董の出店で古本。一冊はどうやらSP時代の文句集で、義太夫や都々逸や浪曲など。十二階劇場に頻繁に出ていた梅坊主の出し物が載っていたので即買い。500円とは安いが、奥付けも何もないので、SP目録を繰ってみなくてはなるまい。また未知の分野が。どこから手をつけるべきか。都家歌六先生の「落語レコード八十年史」あたりか。あと、何の役に立つのかわからないが、持ち主がゆかしくて買ってしまった「機関車乗務員必携」「これだけは知ってほしい(鉄道一般常識編)」

▼帰りに芹橋の銭湯へ。脱衣かごを入れる棚には漢数字の蓋。そういえば二階に上がる階段も古い。どちらも昭和七年以来のものだそうだ。昭和十七年に持ち主が変わって内装も変えたが、棚と「段ばしご」(階段、とは言わない)はそのままにしてある。昭和七年当時は二階が碁会所だったとか。「湯屋の二階」だな。

19990522
▼午後から名古屋へ。彦根というのは微妙な位置にあって、JRの値段で比べると、大阪よりも名古屋のほうが近い。中日新聞や中日スポーツが喫茶店に置いてあることも多い。しかし、米原・大垣での接続が必ずしもよくないので、名古屋−彦根間をスムーズに行き来できる便は少ない。

▼JRの中で、エクスプレスオランダ語。外国語会話の本の例文って変なのが多いのだが、このテキストも微妙にヘンだ。たとえば第2課。


A:私はここで働いています。
 彼は私達の部門の長です。
 彼女は秘書です。彼らはとてもよく働きます。
 あなた方もまたよく働きますね。そうでしょう?
B:ええ、私達は朝の9時から晩の8時まで働きます。
A:日本人は皆、勤勉ですね。
B:いいえ、何人かの日本人は怠け者です。
 たとえば私です。私はとても怠け者です。

(「エクスプレスオランダ語」桜井隆/白水社)

▼「朝の9時から晩の8時まで働きます」といっておきながらなぜ「私はとても怠け者です」なのか。勤勉ですねと云われて意地になっているのか。


A:あなたはオランダ語が上手ですね。
B:おせじをありがとう。
A:おせじではありませんよ。
B:私はオランダ語がそんなにうまくありません。
 誰も私にことばを教えてくれません。
A:それでは私があなたにオランダ語を教えます。
B:ああ、そうですか。いつレッスンを始めますか?
A:今すぐに。
B:今すぐですって?
A:ええ、なぜいけませんか。

▼なぜいけませんかといわれても困る。まあ英語のWhy Don't youとおなじでほんとは軽い勧誘なんだろうけど、直訳されるとこわい。▼「おせじではありませんよ」というのがまた、どこか強迫めいている。こう返されると「おせじをありがとう」ということばがいかにもうかつに感じられる。このオランダ語初心者らしきBは、ことばを発するたびにAから押しの強い応えを返され、うかつ地獄にはまっていく。あぶないなあ。このままオランダ語の教えなんか受けたりしたら、BはそのうちAに苛まされて川に飛び込むはめになるのではないか。▼この種の1mg低刺激の強迫が、テキストのいたるところに散りばめられている。ひとつひとつはささいな刺激なのだが、繰り返し唱えることで、じわじわと真綿で首をしめられるように強迫の力がしみてくる。なんだかカフカの主人公にでもなったような気がしてくる。

■地下鉄今池で降りてライブの時間まで近所を探索。なにげに入ったP-GUNという中古CD屋がけっこうおもしろい品揃えで物欲爆発。シネマテークのロシア特集も楽しそうだし、飲み屋はあちこちあるし、ええやん今池。

▼TOKUZOでPURIの演奏。若々しい。あとで聞いたら4人とも30前後らしいが、とてもそうは見えない。大衆演劇の若手花形のような色気と華がある。モテるだろうなあ、この4人。叩き破るかのようなチャンゴも威勢がよくていいけど管弦のびやあっと神破るような演奏がよかった。とくに、名前は知らないが細い竹のような二枚リード。ちょっとした息で倍音に入れ替わってしまうのを逆手にとって、壊れたコブシが鳴っていた。ブロウできない限られた音量変化がかえって緊張を生む。▼最後に一人の頭の後ろで3人がケンガリを小さく2/3拍子で叩くシーンがあったのだけど、それがいかにもマッサージパーラーで頭をいじられているように見えた。▼そのケンガリをミュートしたときに音ががさっと途切れてしまうのが残念。ここいらは師匠格であるサムルノリの方がうまいと思った。たぶん、音像が確定するのを聞きとどけるぎりぎりのタイミングが違うのだ。サムルノリを聞いたのはもう10年以上前だけど、あのケンガリの余韻以下の残響ぐあいにはトリハダが立ったもんだ。

▼帰りの電車の中でオランダ語。MDにカセットの内容を落としたのだが、好きなところにマークがつけられるので便利。1から100までの数の表現をリピート再生。ひつじを数えるがごとし。

19990521
▼彦根市立図書館へ。さすがは舟橋聖一文庫、博文館から明治二七年から発刊されていた日清戦争実記全巻が揃っていた。これで、小川一眞と写真メディアの時代の話が書ける。少なからず驚いたのは、折り込みで一眞銅板の大パノラマ写真がついていたこと。

▼銀座街の化粧品店のご主人と話。明治以来資生堂の販売店をやっておられる。昭和16年生まれ。戦後すぐの話。

 こどものときは、もうサルみたいなもんで、あっちに何の実がある、こっちにあれの実があるいうて走り回って、それが仕事みたいなもんですわ。いま彦根城の博物館になってるあたりも荒れ地でね。その辺竹藪とか木がいっぱいあったんです。いまではもうこの辺はきれいきれいになってますが。
 どういうたらええんですかな、みかんのつぶつぶみたいなんがこうまわりからささってるみたいな赤い実があったんですわ。それがまた高いところにあって、棒でつついて地面に落とさんように受けるんですが、これがなんともいえん甘いんでね。
 この前図書館で植物図鑑ひいたらぶっといやつで英語ばっかり書いてあってさっぱりわからん、で隣のまとまったやつを引いたらひょっと載ってましてね、カジノキ言うんですな。コピー取ったんですけど。
 そこに芹川の橋がありまっしゃろ、そのもうひとつ向こうの橋ね、あそこを車で通ってたら、ひょっとその木があるのに気が付きましてね。あのへんはなんべんも通ってるはずやのに、なんでいままできづかへんかったんやろ思うて。

▼話を伺いながら、まだこちらの頭の中の彦根地図が不足していることがわかる。昭和40年代の町名改正以前の彦根と現在の彦根を変換する。変換する鍵となる場所に気づく。戦後に埋められた水路の数々を現在の町に重ね、現在の町を裏返してみせる。そうした作業には、現在の町に関する記憶が必要だ。
月別 | 見出し(1999.1-6)
日記