The Beach : Jan. 2006


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20060131

 京都でヴァーバル・ノンヴァーバル・コミュニケーション研究会。榎本美香さんの発表。彼女は、三人会話において、じつは二人の聞き手の視線が次話者選択に効いていることをとてもエレガントに記述していて、彼女の発表をきいてしまうと、視線の経験、たとえば誰かの話を聞きながら、隣の人に視線を送ったり顔を見合わせることが、生々しく立ち上がってくる。たとえば三人のうち一人が聞き手に徹しているとして、その人がテニスのボールを追うように、話者が交替するたびに視線を切り替えている場合と、一人の人をずっと見続けている場合とを比べてみれば、三人という現象がいかに二人にはない事態を引き起こすかがわかるだろう。
 会話分析のターン・テイキングについて書かれた論文としてはSSJ(1974)の論文が有名なのだが、この論文では、三者がからむ次話者の選択について、明確に述べていない。二者関係が中心にすえられているせいもあって、どちらかというと、話し手中心な会話なのである。
 二者会話というのは、そもそもとても注意の焦点が絞り込まれた会話で。とりあえず目の前の一人の挙動を見ていれば、次の発話に関するかなりの判断材料が浮き上がってくる。
 ところが、これが三人となると、単にいま話している人を見ればよいのではなく、はたにいる人の視線やうなずき、あいづちなどを聞きつつ、次に自分が話すべきか、それとももう一人の聞き手が話すべきかということが問題になる。おもしろいことに、このような状況では、話し手対二人の聞き手、という関係が起こるだけでなく、聞き手どうしの視線のやりとりやちょっとしたあいづちの重なりが起こる。

 いま目の前で起こっていることを隣で聞いている人がいる。その人は必ずしも自分と同じように目の前のできごとを受け止めているわけではなく、それが証拠に自分と少しく、ずれた反応をする。かといってまったく異なるものを見ているのではなく、それが証拠に自分の注意と重なり合うタイミングで、うなずきやあいづちが起こる。この、「注意のあり方は相手と重なっているが、受け取り方は、ずれている」ということをわかるためには、一種の「心の理論」mind theory が必要となる。よく「空気を読め」といわれるのは、この種の、「隣で聞いている誰か」に対する感覚のことなのだろう。

 観客の前で演じられるさまざまなパフォーマンスでは、演じる身体が、観客の注意のあり方をぐっと絞り込む。観客が歌ったり踊ったり叫ぶとき、観客には隣り合う人との注意の重なりとずれがより鮮明に感じられる。重なりが多いときに、大きなグルーヴがやってくるし、ずれが鮮明になるときに、しんとした孤独がやってくる。おそらく「クラブ」という場所がどこか刹那的なのは、音楽を聴きたいと思ってそこに行くのに、じつはそこで常に問題になるのは隣の人だからだ。


20060130

 朝、研究室に行ってみると、山積していた本が片付き、未決の書類だけが机の上の箱にまとめられていた。十年来、このようなすっきりした事態はかつてなかった。米田さんさまさまだ。うれしくなり、いつもならとうてい気の進まない事務仕事を着々とこなす。結局、事務仕事に気が進まないのは、何から手をつけてよいかわからぬからで、注意の向けどころがはっきりすると、体が動く。

 講義は天使論。二年前は、パースペクティブの歴史として天使の変遷を語ったのだが、今年は、役割に埋め込まれた記憶の問題として扱う。

 東横インの改造問題。じつはぼくはこれまで東横インのヘビーユーザーだったので、問題になっているホテルにもいくつか泊まったことがある。
 各部屋には「内観」の本があり、これまでおかあさんにしてもらったことと自分がおかあさんにしてあげたことを逐一思い浮かべて涙を流す、というようなセミナーの話が載っていた。どのホテルでもフリカケ付きのおにぎりが朝食に出て、なぜか目につく従業員は全員女性。料金は手頃で各部屋にLANケーブルが来ているので便利に使っていたのだが、これからは考え直さねばなるまい。


20060129

 午前中はぐったりと寝て午後から活動。原稿書きなど。


20060128

 京都で「資源人類学」の合同会。各班報告のあいだにノートに足穂論の走り書きを始めたら10ページぐらいになった。菅原さんは、今年出る新しい本から、セックスワークの話やグイの話。田中「入道」雅一さんは、誘惑の問題と注意の問題を結びつける野心的な発表で、自分以外の何かになろうとするときの主客の裏返りを「枯木灘」の秋幸の身体(草や風になること)を引きながら考えていく内容。
 Frankの身体論にcontingencyの問題が出てくるという話に興味をそそられる。
 たぶん、演じたり語ったりする身体のcontingencyが問題になるなら、聞き手の側にも、読み聞きのcontingency(聞き間違い、解釈間違いに関する表出)があるはずで、会話はたぶん、お互いがcontingencyを更新していくときに生々しくなるのだ。

 二次会で飲み過ぎたせいか、気がついたら米原まで乗り過ごしていた。タクシー代4000円なり。もったいないことをした。


20060127

 今日から米田さんに研究室に来てもらう。本の整理を託して、東京へ。

 お茶の水橋は往来が多く暖かい。あまり身をすくめなくてよい。ぽかぽか歩く。

 五月で閉館する交通博物館に行く。駅の一つ一つに割り当てられたボタン。身の丈より大きなシグナルに黄色がともると、それを見上げる人もまた黄色く染まる。鉄道の1/0には根が生えている。
 毎時0分から始まる模型電車ジオラマ。いかにもな店内有線風BGMに乗せて次々と電車の型が紹介されていく。鉄道に疎いぼくには、スーパー常陸も特急しらさぎもわからないのだけれど、それでも、照明が落ちて夕暮れの中を模型車輪の滑走する音が近づくと、絵に描かれた山の稜線は模型の山に溶けて、うつつがうつろう束の間の時間が降りてくる。
 交通博物館は、もともと萬世橋のたもとにある鉄道駅に隣接する形で建てられた。その旧萬世橋駅の遺構が見学できるというので申し込んでみる。モップをもたせかけたすすけたシャッターの前が見学者の集合場所で、もしやそのシャッターの向こうに遺構が・・・と思ったら、そうではなく、そこから博物館の中を横切り、奥の休息所を曲がった裏手からが遺構だった。あとでわかったことだが、じつは最初に見たシャッターのあたりが昔の中央入口だったらしい。何も考えずにただわらわらと案内係についていったのだけれど、じつは、かつての入り口から入って旧駅構内を抜け、遺構に至るという趣向だったということか。
 階上に上がると旧萬世橋駅のホームが目の前。いつもは中央線で一瞬通り過ぎるだけだが、ガラス越しにまじまじと見る。
 手元に旧萬世橋駅を写した絵はがきや写真がいくつかあったので「絵葉書趣味」を更新しておく。

 神谷町で研究会。「言語の脳科学」の著書、酒井邦嘉さんのお話を聞く。ちょうど、昨年の11月に酒井さんの論文がScienceに載ったところだったので、脳科学のごく初歩からはじめて、その論文の内容まで一気に話していただいた。
 日本語話者に、英単語の動詞変化の問題を解かせて、通常の英単語のマッチング問題とfMRIのパターンを比べてみると、おもしろいことにウェルニッケ野がはっきりと活性化する。
 通常、ウェルニッケ野はsequentialな文法構造を司っていると言われている。酒井さんの実験で興味深いのは、動詞の時制変化という課題を使っているところだ。
 時制変化、といっても、いきなり過去形を思い出す課題ではなく、現在形を提示されて過去形を思い出す課題である。単語の置換という意味ではパラディグム的だし、時制という意味ではシーケンシャルだ。
 じつは「文法」とは、単にシーケンシャルな現象ではない。時制変化や人称変化は、Vを置換することでSVという時間の流れを埋め込む作業である。となると、シーケンシャル/パラディグムという二分法は単純に過ぎるのかもしれない。
 ウェルニッケ野もまた、単にシーケンシャルな処理をしているというよりは、シーケンシャルな現象をある限られた時間の中に畳み込む、ということをしているのかもしれない。次に何を言うか、ではなく、次に何を言おうとしているか。何かを言いながら、いまではない別の時空間に向けて注意を絞り込むこと。
 ある時点で発せられるべき選択肢がいくつかあるときに、二つのあいだをスイッチする、というのは、じつは言い間違い(スリップ)で起こる現象でもある。しかし、綴りのちがう単語(たとえばcatchとcotch)では、ウェルニッケは灯らないが、時制の違う単語(たとえばcatchとcaught)では、ウェルニッケは灯る。となると、言い間違いには脳機能のうえでもいくつか異なる径路があることになる。
 ほかにも会話における三人問題の話など、いろいろ話がふくらみかけたところでタイムアップ。

 恵比寿に出てハットリフェスティバルが、「いま立ち飲みがブーム」というので泉くん、瀧坂くんと行ってみると、なるほどみんな立って飲んでいる。それがどうした!うんこ座りしたくなるのをぐっとこらえて、「キングコングは大小と高低だ!」などと妄言を繰り返すうちに夜半を過ぎた。


20060126

 松岡正剛の千夜千冊の「ニジンスキーの手記 (1029)」(→日記)に、ニジンスキーが彫塑を記譜したという話。

 それで、記譜の時間というのを空想する。視覚は空間的な体験ではない。むしろ視覚は世界をスキャンする時系列である。だから記譜という行為は、単にポーズという空間の記述ではなく、身体のある細部から別の細部へと連なっていく時間の記述となるだろう。ニジンスキーが世界を記譜するのは、世界をスキャンした結果である。  記譜された彫塑、まなざしの運動へと解体された彫塑が、こんどは身体を借りて頭の中で踊り出す。時系列へと圧縮され、時系列へと展開されるものとしての記譜。

 3回生ゼミで、文字おこしされたデータを音声なしで一行ずつ読んでいく、というのをやってみる。いつもなら、映像つきのデータを観ながら、なるべく身体動作にも注意を払うような話をするのだが、会話分析の基本的な概念を学ぶには、トランスクリプトぐらい情報が制限されていたほうがよりわかる。一行一行あれこれと次の発話を予想しながらやっていくと、すんなり返答が来るかと思うところに思いがけない沈黙があることや、明らかにトピックが提示されているのに他の参与者がなかなか拾わないところや、「あっ」「ん:」といった感動詞やフィラーの意味が深くなるところがよくわかる。
 ただしこれには、沈黙や重複、長音や簡単なイントネーションがきちんと記載されていることが必要で、この点、Jeffersonが開発したトランスクリプション記号はよく出来ているなと改めて感心する。

 レイトショーで「キングコング」。キングコング!キングコング!もうもう!  「胸のドラムがヘビメタを熱演してる」ってこういうことだって分かったよ。











 (以下ネタバレ注意)とにかく髑髏島もマンハッタンも、移動空間がじつに生き生きと3Dとして作られている。サイズの違うものどうしが折り重なるように追いかけあううちに、追いかけられる側が気がついたらただ敵の足下に入っては追い越されていくという、追跡劇なのかただのドタバタなのかわからないシークエンスはすばらしい。
 つかみどころのある髑髏島とつかみどころのない冬のマンハッタンという環境設定の違いの上に、コングの身体能力を乗せていくのも、まるでスーパーマリオ64を初めてプレイしたときのような楽しさで、しかも、この環境設定の違いによって、エンパイアステートビルに上るということを半ば必然にしていくのだからよく出来ている。クレジットにはWETAの名前も見えたが、「ロード・オブ・ザ・リング」を経て、ピーター・ジャクソンもスタッフも、キャラクターのサイズ差表現のポテンシャルをつかんだに違いない。

 そしてそして、ニューヨーク場末の劇場を首になった三文女優が、大洋をみはるかすジャングルの丘の上で、大猿相手になけなしのボードヴィル芸を演じるところで、もうぐっと来てしまった。なんとまあ、見世物で興業なんだろう。山師同然の映画監督が、脚本家と女優をたぶらかし、客室もろくにない貨物船であるのかないのかも定かでない島に繰り出すところからしてもうすっかり興業的なのだが、檻の中のタイプライターからたたき出される物語をもとに、カメラの前で演じられる、ぺらぺらの見かけ倒しの見世物が、どうしたわけかほんのつかの間光り輝くその刹那も、それが虚飾に彩られた果てにあえなく骸と化すときのみじめさも描かれて、その光と影がコングのでかい背中の上に毛むくじゃらに凝縮される。
 もちろん見世物だから、ぼろぼろなところもあって、あんなにいた原住民はどこに行ったのかとか、脇にどいた恐竜の顔がえらく平べったくなるじゃないかとか、あんなにぶんぶん振り回されたら超人でもない限り死んでしまうのではないかとか、理屈に合わないことはあちこちにあるけれど、理屈を言うなら、そもそも最初から最後まで理屈に合わないことだらけの闇の奥なのであって、そんなことを気に掛けるより、たとえば、ジャングルであれだけコングに振り回されているアンを観たあとではハリウッドの凍った池でコングと一緒に回転している彼女を観てもそれがもはや遊園地の遊具のもたらすスピードにしか感じられない、という途方もない錯覚を感じたい。

 ともかく、三時間以上、ほとんどテンションがとぎれることなく心動かされた。  


20060125

 まだどうもふらふらするけれど講義。医者に行ってないので風邪なのかインフルエンザなのかよくわからないが、どうも下腹の調子がおかしく、よく屁が出る。昨年メキシコに行ったときの感じに似ている。と、思い出すと、急にトルティーヤを焼く豚油の匂いをかいだような気がした。そうなると、この下腹に対処するには、あのときのように、行く先々でひそかに屁をすかしながら歩けばいいのだが、あたりは車だらけで排気ガスにはいっこうにおかまいなしなのに、この町には、ファブリーズかリセッシュの街宣車でも通っているのか、屁の匂いに類するものだけはしっかりとデオドラントされており、屁をするたびに、道にくっきりとした匂いの標識を立てているようでちょっと気が引ける。通りがかりに標識に当たった人はご愁傷さまだ。


20060124

 蒲団の中でぞんぶんに汗をかいたら、平熱に戻っていた。しかし、まだふらふらするので学校は休む。

 TVで堀江社長逮捕のニュース。なんだかどのキャスターも「錬金術」を叩くのにじつに楽しそうで、イヤな感じがする。

 情報を売り物にするということでいえば、マスメディア、とりわけニュース番組こそはその最たるものだ。株の上がり下がりで儲けている者の「錬金術」が虚しいというのなら、それをニュースにして儲けている者の「錬金術」は、よほど虚しいはずだ。彼らの楽しげな言説が自らを虚しくしなければよいのだが。
 それをいうなら、つながりそうにない話をくっつけては悦に入っている大学教師(わたしのことだ)の虚業ぶりもかなりのものだ。情報を回している点だけに目を当てればたいていのサービス業務は虚しい。が、そこに自分が我知らず乗せている情動ゆえに、それはただ虚しくはなっていない。ホリエモンの「金で人は動く」式の物言いは好きではないけれど、彼にだってじつは我知らず乗せていた情動があっただろう。ホリエモンはホリエモンとしておき、自分はどのように虚にからだを乗せているのかを考えることのほうが問題であり、職業を虚実に分ければ済むと思う精神こそ虚しいのだ。

 夜、先日大阪で買ったDVD「高慢と偏見」を見る。映画版のほうではなくて、コリン・ファース主演のBBCドラマ。ストーリー自体は、階級社会のいやったらしい部分が全開で、ロマンスというにはえげつなさすぎるドラマだが、出てくるキャラクターがいちいち極端に演じ分けられていて、それがイングランドの明媚な風景の中でああでもないこうでもないとジタバタするので、相当楽しめた。つま先立ちしてはくるくる回るカントリーダンスも楽しく・・・などと書いていると、だんだん、時代劇のチョンマゲと寺社とサムライスピリッツの異様さに感心している外国人になったような気がしてきた。
 それはともかく。このドラマでは、ピアノがあちこちで印象的に用いられるのだが、二度ほど、登場人物の弾くピアノにいつの間にか伴奏がついて劇伴へと移行する場面があって、この移行ぐあいが、なかなかいい感じだった。とくに、三女メアリの弾く(社交場でひんしゅくを買うほど下手くそな)ピアノに、思いがけず伴奏が加わって、姉妹それぞれの姿がとらえられるところ。


20060123

 朝から雪だが、一限目から講義。いつもは記憶と忘却について話しているのだが、せっかくの雪なので、昨日風呂で読んでいた山家集を持って行き、西行の雪の歌をもとに、なぜ800年以上隔たった人のこころの動きが三十一文字で伝わってしまうのか、という話をする。

 もちろん、純粋に三十一文字ですべてが伝わる、という話ではない。

 しの原の三上の嶽を見渡せば一夜の程に雪は降りけり

 という歌を「しの原」も「三上」も知らない人が読んだとしたら、ああ、どこかの山に雪が降っていたのだな、という程度の感慨しかわかないだろう。

 わたしの勤めている大学には、琵琶湖線で通ってくる学生が多く、彼らは毎日のように、JR篠原駅を過ぎ、その車窓から三上山を眺めている。彼らは、今日のような寒い日、京都から北に向かうと、野洲から篠原あたりで急に雪になること、三上山が周囲の山に比べてひときわ優雅な形をしていること、それは山といっても数百メートルの小山であること、そして、その山が雪で覆われると思いがけなく美しいことを知っている。

 平安時代が現在と比べてどれくらい寒かったかはわからない。が、三上山が真っ白になる、それも一夜のうちに真っ白になるというのは、一年のうちそう何度もなかったはずで、そんな珍しい日に、西行はたまさかしの原に宿をとったし、ぼくもたまさか朝から講義を持った。
 雪のせいで電車やバスが遅れたせいだろう、話しているあいだにも遅刻した学生が次々と入ってくる。窓の外にまた雪がちらつき始める。これくらい、さまざまな状況がぴったり整ったタイミングで先の歌を詠むと、西行の感じたであろう朝の寒さも、山の白さも、あっという間に体感できてしまう。
 だから、歌を読むということは、じつは歌に添いながら、読み手の環境と経験を(つまりは記憶を)引き出していく、ということなのだ。と、いささか強引ながら、そこまで話してようやく記憶の話になった。

 三上山のような小さな山を「見渡」す、という表現が出てくるからには、西行はおそらく山からさほど離れていないところで眠ったはずだ。そして、朝起きて、前日とはうってかわった三上山の優美な姿に驚いたことだろう。そうした眠りの後先の差が「一夜の程に」ということばに表れている。

 とはいえ、雪はただ美しいだけではない。西行はこんな歌も詠んでいる。

 雪降れば野路も山路も埋もれて遠近しらぬ旅のそらかな

 いつもなら、足下から遠くまで見渡せる野路や山路が、雪で埋まって見えなくなっている。それどころか事物の輪郭までが白く埋まっている。
 わたしたちが遠近を知る手がかりとして重要なもののひとつに輪郭がある。たとえば、輪郭がT字になっているところを手がかりに、突き当たる線は横切る線に遮蔽されており、それがゆえにより遠くにある、ということを意識せずとも感覚できてしまう。
 しかし、雪はこうしたT字の輪郭を白く塗りつぶしてしまう。手前の事物によって遠くのものが横切られる、あるいはこちらの山によってあちらの山が横切られる、そのような遮蔽の関係は見えなくなってしまう。あたりは一面に白く、ただ空の灰色と山の稜線の区別とがあるばかりの野っぱらが目の前に広がるばかりだ。そのような遠近(おちこち)もわからぬ空間に放り出されて、これからどこへ行くのか、どこへ行き着けるのか。
 そのような漂白の人が「一夜の程に雪は降りけり」と歌うとき、それは、単に部屋の中から眺める雪景色の美しさのことではないだろう。昨日までの道がすっかり埋もれてしまった感覚、その雪景色の中に旅して行く感覚、もっとひらたく言えば「ああ、えらいことになったなあ」という感慨も含まれているはずだ。

 午後、急激に体がだるくなり、座っていてもふらふらするのでソファで仮眠。しかし、ますます体が寒くなるのでタクシーを呼んで帰宅。蒲団にもぐりこむとみるみる体温は8度を越える。


20060122 眼鏡打つ雪 シグナルの青遠し

 大阪で絵はがき交換会。久しぶりで勘がちょっと狂って、駄物に金をはたきすぎた。画鋲のあとのついた絵はがきが一枚出ていて、これは安く競り落とした。売り手の人が「ちょっと穴が開いていて申し訳ないんですが、いいですか?」と言われる。その穴が目当てで、と説明するのは難しいのでニコニコと受け取る。

 交換会で矢原さんと隣り合わせだったのだが、散会後あちこち寄り道して梅田の地下街でふらりととんかつ屋に入り、案内された席にすわってふと横を見るとまた矢原さんがいて驚く。なにしろ梅田の地下街の飲食店といえば百軒ではきかないのだ。絵はがき収集道の深い話をいろいろ伺った。


20060121 

 大学センター入試業務。今年から英語に「リスニング・テスト」が導入されるようになった。
 筆記テストでは、各受験生の眼前にまったく同じ問題用紙が配られることで、受験の平等がはかられる。ならばリスニング・テストではどうするのか。各受験生の耳元にまったく同じ問題が流れるなどということが可能だろうか。教室のスピーカーから流したのでは、座席によって聞きやすさに差が出るだろうし、かといって、全国の受験場をかつてのLL教室のようにヘッドホンジャック付きにするわけにもいかない。
 この困難な問題を、日本のセンター入試はテクノロジーで無理矢理突破することにした。それも、受験生全員にひとつずつICプレーヤーを渡す、というなんとも贅沢なやり方によって、だ。
 というわけで、本日のわたしは、あたかも花売り娘のごとく、「リスニングテスト補助員」として、段ボール箱をかかえてビニル袋に包まれたプレーヤーを一個ずつ取り出しては受験生の机に置いていったのである。悪のりして、花を召しませ、とでも言いたいところだ。もちろんほんとに言いはしないが、受験生は、机にプレーヤーを置くと軽く会釈をする。会釈をされるほどのことはしていないが、彼らにとっては、思わず頭が下がるのだろう。

 受験生50万人にこうした機器が渡されるとなれば、事故がゼロということはまずありえないだろう。
 事故がゼロにならぬのはしかたがない。問題は、事故の後だ。紙のテストなら、落丁や乱丁の問題用紙を取り替えるだけでよい。しかし、リスニング・テストではそうはいかない。問題を解く時間が、すべてあらかじめ録音されたプログラムによってしばられているからだ。もし試験の途中でトラブルが起こったなら、ただ機器を取り替えるだけでは済まない。それは30分なら30分のプログラムがいったん中断されたことを意味する。開始後10分後に中断したならば、プログラムを10分進めたところから始めなければならない。
 しかし、受験生がどこで中断したかを判断して、正確にその時点からプログラムを開始するなどということは、簡便な技術では不可能に近い。そこで、中断してしまった学生の場合は、あとでもう一度頭から同じプログラムを再テストをするのである。

 しかしこの方式だと、最初の何分かは二度聞くことができるわけで、その分、有利になってしまう。そこで、中断したところまでは、本テストの解答を評価し、中断したところ以後は再テストの解答を評価する。いわば、二つのテストをつぎはぎして、ひとつのテストと見なすわけだ。
 なんともややこしい話だが、このややこしい処置はどうやら全国で数百件ほど発生したらしい。  

 使用されたICプレーヤーはお持ち帰り自由。しかし、巻き戻しも早送りも停止ボタンもない。受験生の好きにできないように、このプレーヤーはわざわざ操作しにくい仕様になっているのだ。
 容量は15Mほどらしいから、通常のプレーヤーとして使うのはむずかしそうだ。これが毎年50万台ずつ作られていくのだとしたら、もったいない話だ。誰かインスタレーションか何かに使ってみてはどうか。来年の新入生への最初の課題は「センター入試で配られたプレーヤーを有効活用する方法を考えなさい」にするか。


20060120 弓張りの月のとがらす梢かな

 またまた吉増剛造の本で考えている。「ほ」について。  折口信夫「万葉集用語集」や白川静「字訓」を読んでいくと、どうやら「ほ」の起源は「穂」にあって、そこから「秀(ほ)」が派生してきたらしい。火も「ほ」であり、「ほのほ」とは火の先、の意。
 「ほ」は、単に秀でたものを指すのではない。まず、茎や山があって、その先に現れたものを「ほ」という。以前から、口内活動はさまざまな感覚の時系列変化をシミュレートし、それを音として表現する、という「口内シミュレート仮説」なるものを考えているのだが、日本語の「ほ」の場合も、おそらくそれに当たるのではないか。

 たとえば、視覚の時系列はどのように声でシミュレートされるか。目が、できごとの茎から穂先までをスキャンしていく。おそらく、呼気であるh音は、現象の茎、もしくは気配を表す。母音の「お」は茎、気配に遅れて現れる穂を指す。h音と母音の組み合わせということであれば、「は」でも「ひ」でも「ふ」でも「へ」でもよかったはずだが、そこには、あるいは「ほ」の口が吐き出す、息のあたたかさもそこには関与したかもしれない。

 さらには、夢うつつの感覚も、声でシミュレートされうる。
 いまだ声にならぬ息がh音だ。それは、いまだ幽冥の世界にあってうつつならぬ何物かを表す。そこにもう一息入れてやる。声帯がその息をとらえてかすかに鳴る。口の形でその鳴りを拡大してやる。拡大鏡で、ほんのわずかな幽冥の動きをとらえるように。声が鳴る。うつしよにうつしものが「o」の音で現れる。
 このような、幽冥からうつつへと、真なるものが現れる過程が「ほ」ではないか。

 これらさまざまなモダリティの時系列が、声の変化に乗せられることで可聴な現象となる。声はレイヤーケーキのように、それらのイメージを幾重にもまといながら時間に添っていく。

 このような声の所産として「ほ」が鳴らされるのなら、「ほ」のつくことばは、なんらかの形で「ほ」の共感覚が伴っているはずである。
 たとえば星。「ほし」はまるい小さな点をなすものをいう。小さな火を表すとき、まず口が「ほ」を発し、そのあとしじまや静けさを表す「sh」音に向かうところがおもしろい。ここには、ほのかに現れた火を夜の闇になじませるような感覚がなぞられていないか。
 たとえばほのか。「ほのか」は、「ほ」によって現れたものの気配を指す。それは視覚的だ。同じようなことばに「かそけき」があるが、こちらは、ほのかと異なり、より触覚的である。それはh音ではなく、舌が口腔に接触するk音やs音で構成されているせいだろう。かそけしは軽くもののふれる擬態語であるのに対し、ほのかには視覚的なものを指す。

 口内付近には視覚以外のさまざまな感覚が集まっている。舌の動きは、自らが自らを触ることで、複雑な触覚を生み出す(たとえば、舌が口腔をなぞるとき、歯茎の形が突然ありありとわかる不思議)。食物を食うとき、こうした触覚や「歯ごたえ」は味覚と合わさり複雑さを増す。さらには、噛むほどに発生する食物の匂いによって、口腔は一種の匂い袋となり、鼻孔の嗅神経を刺激する。くちゃくちゃという音は骨振動によって耳を刺激し、唾液の分泌加減や、食物の固さや柔らかさは、聴覚と連動する。
 このように、口内に食物をふくむことによって、さまざまなモダリティがいちどきに時系列変化を起こし始める。

 口内は、複数の感覚の時系列変化を処理しながら生命に必要な食物を判別する、高性能の分析器官として進化した。そのような器官にとって、音の時系列変化を発生させたり処理したりすることは、とてもたやすいことだったのではないか。

 ヒトのことばが、子音という口中活動と、母音という声帯活動との組み合わせでできていることは興味深い。おそらく、食べ物を咀嚼したり水を飲むときに口中で発生する複雑な音は、そのまま、子音へと応用可能だったに違いない。発するのも容易であったろうし、発せられた音が口中のどのような状態に相当するかを察知するのも比較的簡単だっただろう。
 いっぽう、声帯を鳴らしながら口腔の形によってフォルマントを変えていくようなやり方は、発する側にも分析する側にもそれなりの能力が必要で、おそらく進化の過程で遅れてでてきたか、子音とは別の過程で生まれたのではないか。

ラジオ 沼 第300回/「ほ」と「うつつ」。


20060119

 吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫の歩行」でたびたび挙がっていた、折口信夫「口ぶえ」を読む。まだ折口信夫が中学校の教員であった27歳のとき、大正三年の三月から四月にわたって、宮武外骨主催の「不二新聞」に掲載された中編。
 用いられていることばの響きは柔らかく、難波、飛鳥、京の西山の、上り下りする土地の起伏や変化がそのまま十代の若い肉体の起伏になまめかしく重なる。からだが動き、土地が動く。土地の変化、土地をなす水や気、木々の変化を自身のからだの変化、感覚の変化へと重ね、そのことで、土地を、水や気、木々をからだと化す。
 主人公安良(やすら)が、水中で水の流れと自らの体との平衡をはかりながらあやうく岡澤に抱きとめられるくだりは息も詰まるほどだ。

 花鳥風月に自分の感覚を移し、花鳥風月に何かが触れるのを、あたかも我が身に触れるかのように感じる。かつて西行は、このような感覚を、しばしば歌に詠んだ。西行の歌には、「梢」感がある。木々の先端は西行の塔であり、アンテナであった。

はつ花のひらけはじむる梢よりそばへて風のわたるなるかな
色そむる花の枝にもすすまれて梢まで咲くわが心かな
古畑の そばの立木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕ぐれ

 最後の歌は、山中の焼き畑を読んだ珍しい歌だが、ここでは、一度作られたあとうち捨てられた「古畑」、その切り立った崖にあって焼かれも切られもせずに残された「立木」に西行の感覚は移される。その先に止まっている鳩の重さまでが感じられる。取り残された鳩から、声が発せられる。声には重さがない。重さのない声が夕ぐれていく空を満たしていく。一羽の鳩の重さがいっそう明らかになる。古畑も立木も鳩も、取り残されたものたちだ。そのものたちの声の「すごき」空。

 折口はこの歌について「かういふ題材で歌を作つたのが珍しいと言ふよりも、かう言ふ風物に、心の動く西行の経験が、立ちまさつてゐるのである。」と評している(「新古今和歌集」中央公論社版全集13-453)。

 折口は、西行の素質を「真の寺家風でなく、堂上風にも向かぬわびしがりうき世知りであった。」と評する。そのため「幽玄は、神秘でもなく、妙不可説でもない事を証明する作品を生んだ。自然に持つた様な理解で、人にも対してゐた。自然、其物に向つても、人に対する如き博い心と、憐みとを持つことを得た。」(「女房文学から隠者文学へ」)

 幽玄ということばを考えるにあたって、ふと、「現(うつし)」ということばが気になり、字訓の「うつし」や「うつつ」を引いてみた。

 「うつつ」は、単に現存するものを指すのではない。「うつつ」とは白川静によれば「幽冥のうちにある真なるものが、一時的に現前する姿」である。つまり、夢うつつの境に立つとき、幽冥の世界にあるものがこの世に「現れる」事態を、「うつし」と形容する。この世は、単に生者が存在する世界ではなく、幽冥の世界を現す「うつしよ」である。そのうつしよで夢うつつになるとき「うつらうつら」とする。
 こうした「うつつ」の感覚は、花鳥風月に自らの感覚を移しながら、我が身の外に我が身を顕わそうとする西行や折口の感覚にぴったり重なる。彼らの感覚は、いわば「うつつ」の感覚なのだ。
 おそらくわたしたちがよく使う「現実」ということばにも、単に実際にあることを指す力だけでなく、むしろ、幽冥なるもの、本質的なものがこの世にrealizeすることを指す力が備わっているのである。

 ちなみに字訓によれば、「移る」「映る」「寫す」はみなこの「うつし」と同根だという。写真や映画という語は、この「うつし->うつす」という語の回路を経て、そもそも霊的な現象として語られてきた、ということになる。


20060118

 講義、卒論指導。久しぶりに成田君が来て近況報告など。

喪失と獲得―進化心理学から見た心と体  ニコラス・ハンフリー「喪失と獲得」(垂水雄二訳/紀伊国屋書店)。少し前に出た本だが、うっかり読みのがしていた。「進化心理学から見た心と体」という副題がついているが、英語のサブタイトルが"Essays from the Frontiers of Psychology and evolution"となっていることからもわかるように、じっさいは、いわゆる進化心理学 (Evolutionaly psychology)というより、むしろ心理学と進化に関するかなり自由な思索が綴られていて、とても刺激になった。

 とくに「心脳問題」の章で、感覚と知覚を区別し、「感覚的な気づき(awareness)は一つの能動的作用(activity)なのである。」と看破するあたり。

 たとえば、私が心に痛みを感じるとき、あるいは舌で辛みを味わうとき、あるいは私が目に赤い感覚をもつときでも同じことだが、私は痛みを受けているわけでも、塩分に刺激を受けているわけでも、赤さに刺激を受けているわけでもない。それぞれの場合、私は実際に能動的な動作主(エージェント)なのである。私は、ただそこにじっと座って、体の表面からやってくるものを受動的に吸収しているわけではなく、値踏み反応(evaluative response) - その刺激と、刺激を受けた体の部位にとって適切な - をもって体の表面に反射的に手を伸ばしているのである。

 身体作用は、平板で薄っぺらな現象という印象を与えるのに対して、感覚は、それよりもはるかに深みがあって厚みがあるように思える。身体作用は、声に出さない囁きのようであるのに対して、感覚は、ペダルを踏みつづけたままの、豊かで自己確認的なピアノの音に似ている。

 (ニコラス・ハンフリー「喪失と獲得」)

 他にもハンフリーは、感覚のことを「意味の厚みのある瞬間 (thick moment)」といったり、グレゴリーの言い方を引きながら、感覚の役割を「現在に旗印を立てるために」といったりしている。どちらもとても考えさせることばだ。

 私見を交えつつ、ぐっと飛躍するならば、行為は現在を流れていくことであり、感覚はむしろ過去を想起するためのよすがである。
 気づき(Awareness)とは、単にある記号と概念が一対一に結びつくことではない(それならば「厚みのある瞬間」などと呼ぶ必要はない)。

 「赤」という感覚が立ち上がるとともに、かつて自分にふりかかったこの「赤」にまつわるできごとの数々が、現在に向かって洪水のように流れ込む。「赤」という感覚が立ち上がるやいなや、平坦なこの世界に大きな貯水池があき、そこに向けて経験が一気に押し寄せてくる。それらの経験のひとつひとつが、はたして本当に「赤」と呼ぶにふさわしいことなのかどうかはわからない。「赤」の定義よりも先に、感覚によって穿たれた穴は、「赤」らしきモノやコトで溢れかえる。充満する赤にむせかえりながら、わたしはこの貯水池に流れ込んできた赤がたどったいくつかの水流を発見する。これらの水流をたどり、「赤」は過去へと遡行する。

 この、貯水池 catchment の出現こそが、おそらく感覚の「厚み」なのだ。はじめからちょろちょろとおなじみの水流が見えているだけのことなら、それは、感覚とわざわざ言挙げするほどの現象でもなく、遡行するまでもない。
 穴が開き池ができる。そこから水流を遡る。このイメージ、梅原賢一郎さんの「穴論」につながりそうだ(こちらも参照)。ここから、McNeillのいう「キャッチメント」を、記号的な概念(二つのジェスチャーが共通の要素を持つこと)ではなく遡行的な概念(一つのジェスチャーからもうひとつのジェスチャーが想起されること)として改訂することもできるだろう。いま書いている足穂論の補助線になるかもしれない。

 貯水池が開くと、身体が動かないときでさえ感覚の遡行は続く。身体運動から自由になったこのような脳内の感覚のありようを、ハンフリーは「感覚の私有化」と呼んでいる。
 では、なぜ人という種では、感覚はかくも行為から解き放たれ、過去へと遡行するのか。
 もし、このような感覚の進化に音声言語が一役買っているのだとしたら、感覚を転がしたのはおそらく、わたしたちの口の中の世界だろう。わたしたちは声を発しながら感覚の櫂を漕ぎ、口の中で踊る舌と喉を振るわす声によって、貯水池から水流を遡ったのではないか。


20060117

 会議、卒論指導。夜はエースコックのワンタンメン入り部隊(ブテ)チゲ。吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫の歩行」をまた読み直している。ことばの音韻によって思わぬ語から語へとリンクが跳ぶ。   沼:299 海坂(うなさか)と蜃気楼( 折口信夫と坂、あるいは境。境という線が帯となること。)


20060116

 講義、卒論指導。午後、京都でコミュニケーションの自然誌研究会。鈴木佳奈さんの発表。名前の呼び方をめぐって延々と続く修復過程の例を分析していく話。いつになく長時間の議論となった。

 くわしい内容はさておくとして、修復という問題には、無意識の意識化という問題がかかわっているのだということがよくわかった。
 わたしたちの会話には、ちょっとした言い間違いや言いよどみなど、いわばトラブルの源 trouble source とでもいうべきものが起こる。これはたいていの場合、話者自身によって、すばやく言い直される(自己修復される)。いわば、無意識のうちに漏らされてしまったまちがい(スリップ)が、意識化され、修復されるということになる。
 修復の時点から過去を眺めるならば、修復とは過去の間違いがに無意識にもらされたものであったことを示す行為である、とも言える。
 修復が終わや否や、なぜわたしたちは通常の会話に戻ることができるのか。それは、わたしたちが、無意識にもらされた間違いを許すからだ。
 会話のすみずみにいたるまで、わたしたちはあらゆる間違いを糾弾しあうかわりに、無意識に行われたこととして間違いを許すようにこころがけている。そのためにも、間違いが起こったばあいは、話者は無意識を意識化したということを(修復というプロセスによって)自分で表明する必要がある。

 修復が長引くということは、無意識の意識化がうまくいっていないことを示す。このような場合、話し相手は、さまざまなことばやしぐさによって話者の注意をずらし、なんとか無意識に引き起こされている間違いを気付かせようとする。が、それはかなり例外的なことで、通常は、話者自ら無意識を意識化することが好まれる(自己修復が選好される)。

 自分の言いたいことを言う、というのは、じつは会話のごく限られた側面に過ぎない。相手の意識化を待つ、相手の頭に意識がともるのを待つ、というのが、会話に臨む者の基本的態度なのである。


20060115

 ゆうこさんと一緒に、カールさん、よしこさんと名古屋懇談。赤福茶屋、ウェッジウッド、フォションと、ふだんならけして行かないタイプの喫茶をハシゴする。お茶でおなかがたぷたぷになった。


20060114

 午前、目覚ましを見たら11時前。青くなって子ども療育センターへ。今日は甲良の後藤真吾先生をお招きしてのミーティングだった。

 目から鱗がぼろぼろ落ちるお話を次々と伺えた。
 たとえば身振りを使うこと。声よりも視覚的なできごとに反応しやすい子を相手にする場合、身振りがコミュニケーションの中心となる。が、単に 身振りを使うだけでよいわけではない。たとえば「おいで」という身振りを使ったとき、たとえ子どもがこっちにこなくとも、こちらから子どもに近づいてはならない。そうすると、「おいで」という身振りと相手が近づいてくることが結びついてしまう。だから、「おいで」といったら、子どもがくるまで動かないこと。もしどうしても子どもがこないときは、誰か他の人を呼んで連れてきてもらうこと。
 無理なことをさせるには、期間を区切ること。子どもが泣いてでもやらせたほうが効果があると思われることは、一週間続けてみること。それで改善しなければやめる。

 食べることをいやがったときに、どうやって食べさせるか。差し出す食べ物をちょっとずつ減らしていって、最後はスプーンにほんの一かけ、というところまで減らしながら差し出す。このとき、けして口に押し込んではならない。差し出した食べ物に子どもが自ら口を近づけてくるまで待つ。

 後藤先生はこういった説明の最中に「食べてみ。こんだけやろ」とスプーンを差し出す真似をされるのだが、その声と手振りがその場を想起させるような生々しさで、すぐにでもやってみたいと思った。やってみたくなる、真似をしたくなる、ということは、こちらの身体にそのやり方が立ち上がった、ということだ。ああいままさに「口伝」が行われてるな、と思った。こういう「口伝」的技術は、やはり現場の先生に伺うと圧倒的によく分かる。

 土曜なれど長い会議。


20060113

 彦根に戻る。午後、卒論ゼミ。夜、ちょっと飲みに行ったが、いささか体が疲れているのか、すぐに寝てしまう。


20060112

 午後、映画美学校にて岸野雄一さんと対談。「nu」の戸塚さん、矢内さんの同席のもと、岸野さんが繰り出す絶妙に遠い布石のおかげで、家族論について語るという思わぬ展開になった。いろんな話が出たのだが、むりやりそこに通奏底音を聞くとすれば、「正しい一回目の思い出し方」ということだったと思う。詳しくは次号の「nu」にて。
 それにしても、岸野さんのアイディアの飛ばし方はとても刺激的だった。どちらかというとしばしば狭い話に入ってしまうぼくを、ひょいとステップバックに誘ってくれる。

 続けて映画美学校でカートゥーン音楽の講義。映画館で見るということとTVで見るということの差、という質問が出た。たぶん、誰かと見ること、他人と何かを見ること、どこか特定の場所で見るということは、じつはわたしたちが想像している以上に記憶に効いてくるのであって、どんな部屋にもある、あるいは携帯可能な画面というもので見る映画からは、場所や人の記憶が失われていくのではないか、というような話をする。じつはこの答えは、直前の対談の話をひきずっているし、もっと言えばおとついの菅原さんの発表のときに考えたことをひきずっている。

 飯を食いながら軽く対談の続き。今日は、岸野さんと話していいフレーズがいっぱい出た。なんだかとても気持ちのよいマッサージを受けた感じ。  


20060111

 昨日に引き続き東大で会話情報学のシンポジウム。「あ」の相互行為について1時間ほどしゃべる。質的にはある程度展望が見えてきたので、あとは量的に何が問題かを絞り込んでいけばまっとうな話になるだろう。

 夕方、宇波くんとDJの仕込み。しかし、東急ハンズで買ってきた光学装置(見た目はパーティーグッズ風)が、会場の明るさではまったく機能しないとわかり、こちら方面の工夫はあきらめて、宇波くんの持ってきたレコードを、ふつうに声を入れながら紹介する、という形に変更。声による中断を排除することに心血が注がれてきたDJの歴史に反旗を翻すがごとく、「次の曲は」などとあえて紹介を入れる。しかも、選曲はまったく宇波くんまかせ。ターンテーブルは一つしか使わず、クロスフェーダーをまったく使わないという怖いもの知らずのDJとあいなった。

 舞台のほうはイルリメ+二階堂和美。じつは生でイルリメさん見るのは初めてだったのだが、サンプラーをひょいと背負う姿が、まるで使い慣れた道具箱を抱える大工さんのごとくかっこいい。じつはリハのときから見てたのだが、二人のアカペラ「今日に問う」は、二階堂さんがメロディからラップに移ってくるときのあの、一瞬何が起こったのかわからない感じ、二回ともぞくぞくした。

 捏造と贋作。私にとってはキラ星のようなメンバー。どう考えてもアヴァンギャルド過ぎる音なのに、なんて下世話なんだ。にゃーにゃー、はーはー、ほーほー。

 昔、糸井重里が「プロ野球選手はなぜか年上に見える」という説をどこかに書いていたような気がするが、ぼくにとってはミュージシャンがそれ。
 たとえば上野耕路さんは、確か同年代だったと記憶するが、もうずいぶんぼくよりオトナな気がしてしまう。だって、ゲルニカが出たときに「ときのない、そわれ〜」などとレコードに合わせて歌って無邪気に喜んでた人間と、じっさいにその音を緻密に構築した人間とを比べたら、どう考えても作った側のほうがオトナではないか。というわけで、その時感じた感覚的年齢差の気分がいまでも抜けない。打ち上げでお会いしたが、完全にあがってしまった。

 そしてワッツタワーズは今年度三回目。宮崎さんがいないので、音像はいつもよりざっくりした感じ。岸野さんの舞台上、舞台外でのあばれっぷりがいつにもましてすごい。にも関わらずお客さんを大事にする芸人魂になんというか、とても勇気づけられた。曲の途中にさまざまな物語が挿入され、しまいには曲の途中であることも忘れるほどにその物語は遠いところまでいく。この旅の果てに最後はほろりと来る。ひとつには、それがともだちについての歌だからなのだが、もうひとつには、とても遠いところまで旅して帰ってきたあとだから、よけいにほろりと来るのだ。この感じ、何かに似てるなと思ってしばらくわからなかったが、途中ではたと思いついた。「指輪物語」の(小説のほうの)ラストだ。もちろんその表現はまったく違うのだけれど。

 終演後、聞きに来ていた榎本くんに、パーカッションのさゆキャンディさんが、じつは拙訳本「人はなぜ人間をコンピューター扱いするか」の装丁者だったということを聞き、おおいに驚く。いままでワッツタワーズを何度か見ていたのにちーとも気づかなかった。聞けばさゆキャンディさんもまた、「ラジオ 沼」を聞きながら訳者がしゃべっているとはご存じなかったらしい。
 「私が音を聴いている場所」を書くきっかけとなった、Filament Swatch事件の桜井さんとも、これまたうれしい再会を果たした。
 ロンドンからはモモさんが帰国。やあやあと近況報告。

 sonotaレコードのお知らせに「レコード放談」を書く。表紙はねずみ男と化した細野晴臣さん。お店に行った人は読んでね。
 打ち上げで、みんとりプレーヤーを独占。ねえねえ、あれなんだっけ、と隣にいるみんとりさんに言うと、じつに正確なピッチでリクエストに応えてくれるのである。居酒屋なのにピアニカまで弾くおまけつき。楽しいなあ。朝4時に解散。

20060110

 湖岸を走らせていると、なんだか近景がやけにクリアに見える。えり漁の網が棒杭のように高く、こちらに迫ってくるようだ。よく晴れているなと思って遠くを見ると、不思議なことに対岸の比良山系はもやって見えない。
 彦根の対岸にある多景島をよく見ると浮いている。車を運転していたゆうこさんと、これはもしかして浮島というやつではないのか?それにしてもあの網の棒のようなものはなんだ、というような話をするうちに、ちょっと車を寄せてよく見てみようということになる。ちょうど他にも道ばたに車を止めている車が一台あった。
 岸に近づきながら、見てみると、網を支える棒がやはり長くなって見える。多景島は湖面から離れて浮いており、その下はやや白くもやってはっきりしない。なにしろ初めて見るのだから、これがいったいどういうことなのかはよくわからない。よくわからないが、常ならぬことであることは、湖岸にたたずんでいる黄色い長靴を履いた男性が、何をするでもなくずっと沖を眺めていることからわかる。これはじっと見入ってしまうような光景なのだ。
 それで、「蜃気楼」というような単語が頭に浮かぶ。

 出張の途中でなければ一時間でも二時間でもいたかったがしかたがない。蜃気楼なのかどうなのかもわからぬまま、湖岸をあとにする。

 東京へ。東大の山上会館で会話情報学のシンポジウム。伝さんと菅原さんの話を聞く。菅原さんのは、10数年越しに同じエピソードを語る人の会話を比較するというきわめて野心的な試みで(そもそもそんなことは、10数年以上同じフィールドに通い続けていなければ不可能だ)、インタヴューという行為が語り手のエピソード内容を精緻にさせる一方で、そのエピソードが最初に語られた状況を欠落させてしまうという問題をあぶり出そうとしていた。では逆に、インタヴュアーではなく、同じ場にいた人と同じ場でエピソードを思い出したとしたらどうなるだろうか。そうした場のセッティングは、エピソードの語りに伴った気持ちの高鳴りや沈み、体の構え、つまりは情動を再び駆動させるだろうか。「どんな物語だったか」ではなく、「わたしがこの物語を誰とどこで語ったのか」を考えてみること。

 会が終わって、気がつくといつものメンバーで飲み屋へ。明日があるので10時過ぎにはおとなしく解散。


20060109

 卒論ゼミ。  12日の映画美学校用にカートゥーン音楽年表を作り直す。この年表を作ったのはかれこれ7,8年前だが、当時はまとまった資料が少なく、映画音楽の本をあれこれ買い込んでめぼしいところをピックアップしていたのだった。いまは、録音技術の歴史(特に磁気テープ関連の部分が役に立つ)や電子楽器の120年史(デザインも含めてこのページはすばらしい)、電子楽器と映画の歴史など、すばらしいリソースがWWW上にあるので、ずいぶんと勉強になる。

 年表作りは止めどきが難しい。あまり詰め込みすぎると、同時代性が見えにくくなる。かといって、少なすぎると、そこで示される歴史があまりに硬直してしまう。ほどよい分量で思わぬ組み合わせ、というあたりが引き際だ。たぶん山田風太郎は明治小説を書きながら、そういうほどよい分量について考えたのではないか、などと想像をめぐらす。

カートゥーン音楽史の一例

たとえばこんな風に考えてみよう。

 ラヴェルが「クープランの墓」を作った1917年に、テルミン博士はテルミンを発明し、フライシャー兄弟はロトスコープを発明した。

 「地球の上に朝が来る」とあきれたぼういずが歌い出した1937年、その裏側の夜の国で、バルトークは「二台のピアノと打楽器のためのソナタ」を作り、レイモンド・スコットは「パワー・ハウス」を作曲し、スコット・ブラッドレーは「ショック・コード」を用い始め、リー・ハーラインはディズニーの「白雪姫」の曲を書き、カール・スターリングはまだサイレントの伴奏音楽風の曲を書いていた。アメリカでは、音楽はまだフィルムのサウンドトラックに光学録音されていたが、ドイツでは前年にテープ録音が行われ始めていた。

 

20060108

 映画美学校用の資料をえいやっと作り出す。inDesignで作ったらどうなるかなどと余計な山っ気を出したのが運のつきで、そこから(素人にとっては理不尽な)inDesign地獄にはまる。ムービーやサウンドのリンクがどうもうまくいかない。同じムービーでも最近作ったやつはダメで、一年前に作ったやつはうまく取り込まれる。ということは、Tigerに変わった前後で何かが違ってしまったのか。

 結局、あまり形式にこだわるのはあきらめて中身に集中。Betty Boop、Tex Averyを見直しながら資料を作っていると夜明け。

ハリウッドご当地映画としてのカートゥーン

 この機会にと思い、手元にあったワーナーのカートゥーンLDに入っているTex Avery監督作品をHDレコーダーにダビングして時系列順にDVDに焼く。いちいちLDをとっかえひっかえしているのが面倒でしょうがなかったのだが、これで彼がどんな風に作風を変化していったかがかなり見通せるようになった。

 Tex Averyの作ったものに限らず、ワーナーやMGMの作ったカートゥーンの多くはハリウッドご当地映画だなという感じがする。ブロードウェイでI love New YorkやWelcome to Broadwayが作られたように、カートゥーンの多くは田舎のネズミと都会のネズミの物語であり、ハリウッド上京物語なのである。そう考えると、カートゥーンの持っている不安神経症的な展開や、それを支える異様なまでの羨望と落胆がよく理解できるし、それを回避する知恵としてバッグス・バニーやドルーピーという「クールな田舎者」が生み出されたのだということがよくわかる。


20060107

 来週の準備をあれこれ。

役割音楽としてのバックドラフトのテーマの変遷

先に書いた役割音楽の話から、料理の鉄人のテーマ(バックドラフトのテーマ)と「チャングムの誓い」のテーマの類似性を映画美学校の講義ネタにするアイディアを思いつく。レンタル屋からバックドラフトを借りてきて、テーマ音楽が出てくる部分を再検討する。

 バックドラフトの主人公はアイルランド移民で、amazon.comのリストマニアが作っている「Irish on Film」の最初にあがってくるほど、アイリッシュのイメージは強烈である。この映画の「アイリッシュ」「シカゴ」「消防士」という組み合わせを理解するには、アイルランド移民がアメリカ史に果たしてきた役割、そしてシカゴにおける火事の意味を押さえておく必要がある。

 黒人問題に端を発する南北戦争では、じつは黒人は市民として認められていなかったために従軍できなかった。いっぽう、金持ちは$300を払えば徴兵を免除された。当時戦った兵士の代表ともいえるのが、ドイツ移民とアイルランド移民だった。1863年には、アイルランド移民による暴動(The New York City Draft Riots of 1863)がニューヨークで勃発した。この暴動は、アイルランド移民が、やがて自分の職をおびやかすであろう黒人のために戦っていることへの不満をぶつけるというねじれた形で起こった。

 シカゴは南北戦争終結後、南部からの移住民によって急速に膨張した。ところがその発展途上のシカゴは1871年、大火によって街のほとんどを消失してしまった。だから、火事という災害はシカゴにとって、サンフランシスコにとっての地震と同じく、街の忌まわしい記憶を呼び起こす災害である。この大火のあと、街は新たに都市計画され、復興事業のためにふたたび大量の移住民、とくにアイルランド系の移民がなだれこんだ。その後、消防士という危険な職業にあえてつく者の中にもアイリッシュ系の者が多かった。

 つまり、バックドラフトの舞台は、南北戦争以来、アメリカを、そしてシカゴを復興させてきたアイリッシュ魂を想起させるよう設定されているのである。あのテーマで、静かなマーチの始まりを告げる消防の鐘は、「静かなる男」アイリッシュの、火事への進軍を告げているのである。

 「料理の鉄人」にバックドラフトのテーマが用いられるとき、こうした歴史性・社会性はすっぽり抜け落ちて、ただドラマチックな戦いの音楽となる。

 おもしろいことに、「チャングムの誓い」での「料理の競い合い」の音楽は、「料理の鉄人」が引用するところのバックドラフトのテーマに似ている。ただし、マーチの始まりに鳴る消防車の鐘の音の代わりに、「チャングムの誓い」では、韓国の伝統的な琴(カヤグム)の硬い弦の響きが用いられている。そのことで、「料理の戦い」というイメージと15世紀李朝の宮廷のイメージとが結びつく。

 いったん歴史性と社会性が剥奪されたかに見えたバックドラフトのテーマは、「料理の戦い」という新たな社会性の記号となり、そこに新たな歴史が重ねられつつある。


20060106

 今年最初の卒論ゼミ。そろそろわたしから言うことは減り、小森さんがかたかたとキーボードを打つ音を背中で聞く役回り。


20060105

 雪のためタクシー出勤。たまっていた査読をほぼ片付ける。

 今年からセンター入試の英語に「リスニング」が導入される。録音物をメモリ差し込み型の音声プレーヤーを使って各自イヤホンで聴くという形式なのだから、ヘッドホン・コンサートならぬヘッドホン入試である。
 その準備のため、今年はとくに入念に試験監督への指導が行われている。なにしろエンピツと紙以外の電子機器が始めて導入されるわけだから、そのフェールセーフを確立するだけで、たいへんなのだ。
 今日も、試験のシミュレーションなどを含めて講習は延々4時間。学生が試験中にトイレに行った場合、鼻をかんだ場合、咳をした場合、携帯が鳴った場合など、過去の模擬試験で明らかになったこまごました状況がすべてマニュアル化されている。こういうのをいちいち伝授されるちらもまあたいへんなのだが、細々したマニュアルを準備する事務方の苦労は相当なものだろうと忍ばれる。


 

20060104

 いまさらなんだが、彦根ってこんなに寒かったっけ? 今日も雪がちらつき、自転車通学者としてはどうも辛い。初会議。研究室がうすら寒く、とっとと喫茶店に退散する。

見世物史としてのブロードウェイ史

 元旦の夜からNHKでやっている「華麗なるブロードウェイ」を楽しみにしている。ミュージカルの知識があまりないので、こうした映像による通史はとてもありがたい。
 シカゴ出身のフローレンス・ジーグフェルドがブロードウェイを探査したきっかけは、1893年のシカゴ万博の出し物を考えるためだったという。そこで、ニューヨークのミンストレルショーやボードヴィルに出会い、アメリカ初のボディビルダー、ユージン・サンダウの肉体美に会う(サンダウの姿はエジソンの初期映画にも収められている)。やがてサンダウはシカゴのバラエティ・ホール「トロカデロ」の見世物となる。ジーグフェルドが「フォーリーズ」を結成してブロードウェイの基礎を作るのはそれから十数年たった1907年のことだ。
 サンダウをはじめ見世物は初期の映画と深く関わっている。エジソンは見世物の映像を多く撮影しているし、リュミエールの短編映画にも見世物が多く登場する。「ミュージカル映画」のルーツは、ひとつにはこうしたボードヴィルのドキュメンタリであり、もうひとつはメリエスの夢幻劇であろう。

 シカゴ万博は、のちに生まれるさまざまな音楽の交差点でもあった。海兵隊の音楽隊(1890-1892)時代に著名になったスーザ(1854-1933)は自らの音楽隊「スーザ・バンド」を結成(1892)し、シカゴ万博で演奏した。そののち彼は「星条旗よ永遠なれ」(1896)を作曲し、オペレッタ界にも進出(1987)する。やがて彼の戦意高揚音楽は第一次世界大戦によってブロードウェイに導入される。ミンストレルショーの一座にいたスコット・ジョップリンは、バンドを率いて万博会場の外でコルネットを吹いていた。彼は1899年にMaple Leaf Ragを発表するが、その名が有名になるのは20世紀に入ってからだった。

役割音楽

 「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」の金水敏さんのページで、伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」の「キャラ語」に関する話が載っていた。役割語とキャラ語は区別したほうがよいのではないか、とする興味深い指摘。つまり、「わしは・・・・なのじゃよ」というような、歴史性・社会性を背負ったのが役割語だとすると、キャラ語はそうした背景をあまり引きずっておらず、それぞれのキャラを立てるたびに当てられる語である、というわけだ。

 役割とキャラ、という問題は、カートゥーン音楽では違った形で現れる。

かつて、アメリカのカートゥーンの登場キャラクタの多くはヒト以外の動物であり、そもそもヒト以外の動物がヒトの所作を引用する、という点を売り物にしていた(例外はベティ・ブープだが、彼女すらかつては犬だった)。だから、カートゥーンというのは、そもそもが人間社会の引用で成り立っており、とくに人種的なもの、地方色といったステレオタイプが引用源となった。カートゥーンで役割音楽が隆盛するのは、登場するキャラクタがみな動物だったから、とも言えるだろう。
 カートゥーン音楽は、ブロードウェイなどでヒットした小唄の一節を引用したり(これはMGMがよくやった)、当時のスターを直接登場させてそれをさらに戯画化する(これはフライシャーのやり方だった)、あるいはフォークソングを使うというやり方で、人種的、地方的なステレオタイプを示した。これらはいわば、役割語ならぬ役割音楽とでもいうべきものだろう。
 そして、こうした役割音楽は、カートゥーンのようにめまぐるしく主人公の所作が変わるタイプのアニメーションに音楽をあてていくのに(すべての所作に音楽をつけるといういわゆる「ミッキーマウシング」に)適していた。なぜなら、カートゥーンの動物キャラクタは、歩き、走り、跳び、笑い、泣きながら、その引用元をめまぐるしく変えていくので、いまなにが引用されているかを明らかにするには、引用元の人間が背負っている音楽を鳴らすのがいちばん手っ取り早いからだ。たとえば兵隊さんの所作が引用されているならマーチ、それも"Oh How I Hate to get Up in the Morning"ならなおよい、というぐあいに。
 それぞれのキャラに特有の音楽というのは、じつは古くからある。それはワーグナー流のライトモチーフだ。ただ、ライトモチーフは必ずしも歴史性や社会性から独立とは限らず、昔ながらのステレオタイプを微妙に織り込みながら作られることが多い。
 おもしろいことに、カートゥーンでは従来、キャラ固有のライト・モチーフというのは必ずしも使われなかった。バックス・バニーしかり、トムとジェリーしかり。それは、おそらく、キャラ固有のテーマを持つことよりも、どんなものでも引用できるという身軽さのほうが優先されたからではないか。


20060103

 昨夜、夜半過ぎ、わさびとオセロが必要になりコンビニに買いに行く。うちの近所には自転車で5分圏内に4社のコンビニがある。どこも似たような品揃えだと思ってはいるが、なぜか二つとも、ローソンにはなくセブンイレブンにはあった。といっても、セブンイレブンが圧倒的に品揃えがいいというわけでもなく、ちょっとした傾向の違いなのだろう。
 ネットで近所のコンビニの在庫を検索できるとおもしろいかもしれないと思う。もちろん、わさびとオセロでand検索をするためだ。

正月なので、一人聞き間違いを100題やってみた。

絶頂改まった
めっちゃ鱈余った
粘着サラマンダ
先着一名様
贅沢一円玉
洗濯じじい縁側
玄白リリエンタール
ペンパル入江にたたずむ
メンタム乳毛にただれる
減反地チゲにまみれる
健啖家むげにファミレス
仁丹噛むジェニファー未練
いったんマジでGIFアニメ絵
ピータン愛で自負はあるめえ
にいさんアイディア、皮膚はアルマイト
遺産入りゃ、義父はアルバイト
美男敗者、ギブアンドバイト
みんなの廃墟、欺瞞のカイト
僅差の愛情、いまのは意図
人生の会場、ひまなのは軌道
因縁の大将、島流し異動
稲の多少、気は長く行こう
ミネソタ嬢、陽高くに実行
見損ねたショウ、気高く虹乞う
いい、そこね、正気だから膝小僧
いい所ね、蒸気ひからびたお堂
見どころねえ、楊貴妃なら居た孤島
ふところで拍子木鳴らした序章
ふと転んで猟奇に走った路頭
ストロングでひょうきんに走ったオトン
ストロー筆、今日君に教えたこと
ずっと毛布で恐怖におびえた古都
ぐっとこう、笛上手に震えたノート
すっとこどっこい、これ手水に打つ枝の音
スコットどこ行く、惚れちゃうぞ。自分へ戯言
無言のチョイス、俺ちゃうぞ、気分でたわ
ウコンのこいつ、漏れちゃうよ、ゆるんでたわ
黒のこいつ、ゴレンジャーとつるんでたわ
苦労残しつつ、チャレンジャーの鶴出たわ
風呂沸かしつつあれから狂ってたわ
フロア貸します。誰か来るって言ったわ
むろん明かします。誰がスルーって言ったの
流浪のかしまし、姉がルルーって言ったの
うどんを噛むなり、姉はグルテン知ったの
蒲団を噛むなり、我はぐすって泣いたの
ぶっとんた津波、去れば盗人沸いたの
五反田すんなり去ればそっと抱いたの
ロダン出すなり彼はもっと抱いたの
お燗出すなり彼はぐっと裂いたの
土管出すなり彼はぬっと入ったの
五感刺すなりバレエはメヌエット倦いたの
同感だ、すんなり馬券はLAへと散ったろう
爽快だ、あんなイカ芸はえれえトチったろう
誤解だ、あんまり訳は得れんと知ったよ
答えるわ、だんまりはバテレンと知ったの
ほたえるな、なんたるまばたき、ドジったか
蛍は光る、またたきの叱咤か
おたくは光る、付加価値のしわざか
琥珀いなびかり、歌たちはやわらか
怖くない誓い、スターたちは朗らか
オラ宮内庁だい、スタンダップは明らか
空に符丁が。サランラップ巻こうか
虎に夢中か、タランタラッタ仲人
もろに宇宙は並んだ雑多なコード
ソロの空中でバランス合体なモード
泥飲む気分でありんす、だったらどうよ
ホログラム気分でアリの巣やたら贈与
プログラム自分で買いますわたしのよ
図録展示積んでおきます、かたすのよ
付録ページ組んでおります、待たすのう
風呂付きエイジでおます、沸かすよー
ゴロツキ刑事ねおまえ、吐かすの?
おもむき無い樹でもまあ描かすの
そのときはひいきでMOMA出すの
登呂遺跡は人気でおまかせよ
道理で君はピンクでごまかすの
総理の君はジンクスにまかすの
合理的には人魚にやらすの
近江鉄道は近所に蒲生野
氷で集うは隠居のエスキモー
おいで向こうは印象の絵好き者
そして向かうは明朝の絵解きもの
こうして使いは緊張のメロディに乗る
どうして鵜飼いは慎重にペロティ食べる
よして、宴はみんなで屁をひり食べる
宵にくたびれ心配で毛を散りばめる
女医に肩入れ妊婦は目をとりかえる
消費にてこ入れ憲法をとりかえる
尿意に眠れ 便意をとりかえる
憑依に煙れ 念じて折り返す
凶器のメモリー 転じてぶり返す
今日君のメモ 煎じて振り返る
もうじき俺は 感じですり替わる
掃除機取れば 万事が繰り返す
幼児期のレバー なんとか塗りたくる
陶磁器の世界 あんたはクリスタル
耕耘機どかせ なんならほかしたる
双眼鏡の感性 アンテナのばした
望遠鏡と火星 カンテラの涙
忘年狂はなぜ 元旦の神頼み


20060102

 大きくなった姪に浮力やらてこの原理やらを教える。てこの棒の重さじたいを考えるなんていう凝った問題が小学校の理科に出てくる。これには棒の「重心」の問題がからんでくるので、話が複雑になる。こういう問題は、教科書には載ってないのだが受験問題に出てくるのだという。教科書にはゆとりがあるが受験勉強の方は必ずしもそうではないらしい。

 小学校でやるてこの問題は、つまるところ、支点からの距離に重さをかけるというのを律儀にやっていけばいつかは解ける。それが「力のモーメント」である、という知識も必要はない。
 しかし、作業が簡単だからといって、ことがすんなり運ぶとは限らない。
 「ええと、距離と重さをどうするんだっけ・・・」とか「比をとって・・」というあたりで、公式を思い出せずに悩んでいるのを見ると、どうもかけ算以前に、てこに対する体感が少ないんじゃないか、という気がしてきたので、ものさしの端を固定して、いろいろな場所を二人でつまんでひっぱり合いをする、というのをやってみる。もちろん、固定した点から離れているほうが楽にひっぱることができる。ものさしには目盛りがついているので、どれくらい端をつまんでいるかは目で確かめられる。しばらくやると得心がいったらしく、距離と重さのかけ算にはあまり抵抗がなくなった。
 「支点からの距離に重さをかける」という知識をすんなり思い出すには、体験に基づくある種の情動に知識を乗せてやることが必要ではなのではないか、と思う。

 受験理科では、てこにてこをつないだり、天秤に天秤をつないだりして話をややこしくしてある。これをすばやく解くためには「糸でつながっているものはその先がどんな形をしていようとも、ただのひとつのおもり(もしくは力)に過ぎない」という見方を会得するのがコツだ。つまり糸の先を局所的な問題に見立てることができるかどうかがポイントとなる。
 この、「細かいことはおいといて」というセンスもまた、単なる頭のよさというよりは、むしろ情動にかかわっている問題なのかもしれない、と思う。そこで求められているのは、目の前にある問題にこだわらずに、いったん放っておけるだけの肝のすわり方だ。局所的な問題が解けないと不安な人は、それが解けるまで大局的な問題にジャンプできない。大局的な問題が解けないのではなく、むしろ局所的な問題から離れることができないのだ。
 むろん、大局的なことを解くことに腐心する人は、局所的な問題にひそんでいる重要な問題を見逃す可能性があるわけで、いちがいにどちらの精神のあり方がよい、というものではない。ステップバックとステップインを切り替える身振りのしなやかさが重要なのだろう。


20060101

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

1/11の昼に講演、夜はブースでいろいろ。詳しくはこちらを。

 近くの北野天満宮で初詣。ここはいつもながら甘酒がおいしい。ショウガと米の味。昨年夏にカインズというばかでかいスーパーができたので、あたりはずいぶん様変わりした。

 実家に帰る。姪と甥が計4人。それぞれ大きくなって、遊びもいろいろ変わってきた。百人一首やらオセロやら。オセロについてあまり詳しくなかったのだが、姪や甥にうんちくを垂れるべく、いくつかサイトを見ると、長谷川五郎氏の「オセロの歴史」があり、これはおもしろかった。
 Wikipediaなどほかのいくつかのサイトでは、リバーシをルーツのひとつとして挙げていて、時間の流れと類似性からいえば確かにそう見えるのだろうけれど、長谷川氏の記述を見ると、リバーシよりもむしろ囲碁の簡易版から発想されたものと考えたほうがよさそうだ。最初の頃は碁石の黒と白を取り替えて遊んでいた、という話も生々しい。盲人用オセロというのもあるらしい。

 オセロでわりと理解しやすいのは「コーナーは大事」ということであり、そこから派生して「コーナーの隣を相手に取らせる」という戦略を考えつくわけだが、その先はちょっと話が複雑になる。で、このあたりをうまく書いてるなと思ったのは、ドイツオセロ倶楽部のこのページ。C-square, X-square, wedge, frontiersなど、使える概念がいくつも。