The Beach : Dec. 2004


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20041219

 夜、LAに遊びに来たというドン夫妻とシマコ夫妻と日本料理屋へ。ドンは昔京大の高橋研にいたそうで、滋賀県立大学にも知り合いがいるという。狭い世界だ。明治建築の資料集めにeBayの絵葉書を活用していたそうで、ちょうどぼくがよくbidしてた頃にすれ違っていたようだ。
 帰ってからひと寝入りして、秋にやった日心のプレゼン原稿をまとめて送る。おっと、明け方になってしまった。このまま徹夜かな。


20041218

 朝、そうっと居間を抜け出してアパートへ。しかし、先が思いやられる感じではある。飲み過ぎのせいかぼんやり。スペイン語を予習し、Moon Handbooksから出ているOaxacaを買ってきてつらつらと読む。


20041217

 新しい部屋をちょっと覗きにいく。前の住居人Lucasは今日が期末試験の追い込みで明日旅立つという。Aeronはハワイへ。Reggieは気安い男で、ソファの座りごこちはどうだ、ベランダはどうだとあれこれ説明してくれる。今の部屋ではとにかくお互いできるだけ没交渉だったのだが、こちらはまたぐっとフレンドリーだ。前は雨に濡れたシートでぐちゃぐちゃだったベランダをすっかり片づけていてくれて、午前から午後にかけてなんともいい陽射し。
 夜、Lucasから電話がかかってきて「いまパーティーやってんだけど」というので自転車で行ってみるとアパートには誰もいない。しかたないので居間でビールを飲んでぼんやりしてると、Regieがやってきて近くの店に連れて行ってくれたのだが、もう一気飲みの嵐で、早々に退散した。居間でなごみ、そのまま就寝。


20041216

 ちょっとメモ。UCLAの在外研修員が外国に出ることは可能だが、そのたびにオフィスにパスポートとDS2019という書類をもっていってしかるべき手続きをする必要がある。  


20041215

 クリスマスはオアハカですごすことに決め、ネットで航空券をとる。ホテル予約の電話を何軒か入れてみるが、どこも英語は通じず、スペイン語を勉強する必要性を痛感する。前にスペインに行ったときはおおよそ英語ですませたが、今回はそうは行きそうにない。とりあえず現時点でぼくの知ってるスペイン語は1から30(from Sesami Street)までと「ケ?」(from "Faulty Towers")と「ヨ・ラ・テンゴ」(バンド名)くらいである。「20」とか「レゼルヴァシオン」とか「ヨ・ラ・テンゴ・レゼルヴァシオン、オーケー?」などというめちゃくちゃなスペイン語でなんとか通じたが先が思いやられる。「ノムブル」と言われてなんのナンバーのことかとまどったが、じつは「nombre」は「name」で「numero」が「number」だったのね。そうかそうか。

 サボテンの国に行くのでちょっとサボテンの勉強。サボテンの特徴は棘の根元である棘座(areole)と呼ばれる構造にある。にある。植物はもともと、葉腋(ようえき leaf axil)に成長点を持ち、ここから新たな枝や花芽が出るという構造になっていた。植物によっては、この芽に二通りある。ひとつは長い枝(long shoots)で、もうひとつは短果枝(sper shoot)。この二つの区別はマツやリンゴなどに見られる。ところが乾燥地帯では葉を広げると水分が蒸散するので、次第に葉の部分が短くなり、しかも成長点の回りに集まるようになった。そして、進化の過程で葉柄は刺(spine)や刺毛(bristle)や毛(hair)になった。もっともこれでは光合成ができないので、幹の部分が葉緑素を持つようになった。これが多肉植物のやり方。まるで折り畳み式の望遠鏡のように葉がなくなっていくので「telescoping」と呼んでいる。サボテンによっては刺などの下に「subtending leaf」(抱葉?)と呼ばれる構造を持っている。
 opuntias属の棘は「鈎毛? glochids」と呼ばれており、刺さりやすい。手にささった場合はセロテープなどをその部分に貼ってひっぺがすとよい。


20041214

 1月から住む家に行き簡単な引き継ぎ。自転車の修理用具を買ってちょっとメンテ。夕暮れを撮影。
 タカポンさんがデジオでいっていたFM大阪(東京)「あいつ」のテーマを調べたら、どうやら映画「Get Carter」のテーマらしいことがわかる。近くのRhino Recordに行ったらあっさり発見。帰って聞いてみると、まさにこれ、このトラックじゃん!  ついでに、ブラックプールが赤黒化、という奇妙なジャケットに惹かれて買ったDVD "The White Stripes under Blackpool Lights"だが、これは驚いた。姉弟によるドラムとギターのみ、という変則編成。ぼくはエレキギターの上手い下手などちーともわからんが、このギター、とにかく構成力がすばらしい。低音の入れ方、ヴィニルを引き裂くような音質。音数が多いのにとても音像がはっきりしているのは、ひとつひとつの音切れがじつに非情で確かだからだろう。ピアノの入りもよく練られていて、演奏家であるだけでなく、すごいアレンジ力を感じる。眉間に皺をよせっぱなしの姉ドラマーの表情も含めてとても気になる。"The White Stripes"というのは、どうもとても有名なバンドらしいのだが、なにしろ年に何枚かしかCDを買わないのでまるで知らなかった。
 


20041213

 さすがに連日の夜更かしのせいで、起きたのは昼近く。残り少ない太陽を浴びるべく大学へ。しばし仕事したあと、植物園に行き、サボテン類をあれこれ撮影。夜、またシンメトリー熱が出てしまい、昨日のデジオを聞きつつあれこれ新芽撮る。


20041212

 起きたら昼過ぎだった。さすがにワイン一本空けたので頭が重い。早めにパサデナに行ってあちこち見物する予定だったが、ゆっくり家にいることにする。
 四時前、Santa Monica を越えWilshireから720 Metro Bus、Red Line,に乗り継ぎユニオン駅へ。Gold Lineと乗り継いでMissonへ着いた頃にはとっぷり暮れていた。暗いので道路標識も近づかないと分からず、すぐに迷ってしまう。二度ほどナゲールさんに電話して聞き、ようやく人心地ついて、瀟洒な住宅街を抜ける。家々にクリスマス飾り。日曜の夜のミサに集まる人々。
 ナゲールさん宅でパーティー。その場で知り合ったキオさんはカリグラフィを教えているというので、石川九楊の話や「プロスペローの本」やSethの話など。
 それにしても、パーティーでぽつぽつと話される話というのは、見事なほどに「Seinfeld」的だなと思う。日常のちょっとしたつまずきや感情のぶれを解くような話に落ち着いていこうとすることが多い。いっぽう、ぼくの話はちょっと固有名詞が多くて、いわゆる「オタク」な話になりがちである。まあ、知り合いが少ないパーティーでは、共通なfavorateを見つけるのがてっとりばやいのでついつい固有名詞を出してしまうのだが。  キオさんがサンタモニカ方面だというので、これ幸いと乗っけてもらい、帰りは三十分足らずで着いた。


20041211

 さすがに夜更かしがたたって10時起床。のろのろと朝飯を食ったりメールチェックをしたり。散髪に行く。洗髪台につくなり「I'm John, what's your name?」と、まずは名乗りから始まる。そして、雑談がてら「どこから来たの?」「どこで働いてるの?」とこちらのプロフィールに対する質問。それで、「ショアー」に出てくる散髪屋のシーンの奇妙さがまた思い出された。散髪屋とはふつう質問者であり、客は答える側なのだ。あのシーンではそれが転倒しているのだな。
 「ショアー」の散髪屋といえば、こちらに来る直前に松島恵介さんにいただいた別刷がまさにそのシーンについての解析だったのだが、散髪屋は単に散髪という行為によって当時の状況をなぞっているのではなく、目の前の人を散髪することと、想起の過程で行なわれる散髪行為とのあいだに差をもうけながら思い出していくのではないか、という論旨だった。この、じっさいに世界の中でからだを動かすことと、架空の世界でからだを操作することとのあいだの往復は、じつは物語を語るジェスチャーでしばしば見られるできごとで、しかもわたしたちはほとんど意識せずにこの往復をおこなう。この往復には重大な認知とコミュニケーションにおける秘密が隠されていると思う。松島さんの論文はさらに続編があるらしく楽しみだ。

 夜半を回って、ナゲールさん到着。二人でパソコンの前にすわりデジオ忘年会観戦&参加。会場はかなり混んでいるらしく、イヤフォンからはさまざまな人の声がいちどに入ってきて、なかなかことばが判別できない。映像のほうが手がかり。日本の映像はナイトショットのせいか心霊写真風だったが、それでも(たぶんオトガイさんの)計らいで、要所要所でカメラがベストポジションに切り替わり、進行はかなりわかりやすかった。こういうライブ中継で、しかも稼働カメラの場合、カメラアングルを信頼できるかどうかというのはかなり重要なポイントだと分かる。
 近くの店で買ってきたワインをぐいぐい飲み、ナッツをつまみ、ナゲールさんとこそこそしゃべりながら(なにしろ夜半すぎなので)、しかしカメラに誰かが写るとガッと身を乗り出して、ハイテンションで挨拶、というようなことが続く。くわしい会話の内容は音声が錯綜してわからないので、身振り手振りとポストイットに書いた文字でほとんど伝える。その身振り手振りのさまがいちいち会場に写し出されているらしいのでどうしてもオーバーアクションにならざるを得ない。何時間をヘンな顔をし続けたので、表情筋のリハビリにはなった。  5時半ごろ(日本の10時半ごろ)ようやくお開き。ナゲールさんを送り出し、明るい空を確認して就寝。

20041210

 朝、ユリイカの校正。ほんとに今回はぎりぎりでご迷惑をおかけした。
 夜半を過ぎて、明日のデジオ忘年会に向けてあれこれ映像チャットを試す。iVisitからはじめて、iChat、Yahooメッセンジャー、Skypeとの併用などなどさまざまな試行錯誤の数々のあいだに、どうにもこうにも墓場行きのコミュニケーションが入り乱れる。なんか、最初に日本の画面がぱっと写ったときはあっけないなと思ってたのだが、人数が増し試行錯誤にかける時間が長くなるほどに、距離感がリアルに感じられるという倒錯した感覚がうまれ、そこが興味深かった。
 で、結局iVisitを使うと、少なくともメンバーのうちの一人は他のメンバーの映像と音にアクセスできることが判明した。つまり、一対多は可能だが多対多はダメ。というわけで、とりあえず当日はiVisit使用に落ち着きそうだが、この感じだとさらに現場で試行錯誤か? 朝の5時ごろようやく就寝。


20041209

 朝、何の気なしに書類やパンフを整理してたらふとUCLAのイベントのパンフレットが目にとまりぱらぱらとめくるとなんと今日はジョン・ウォーターズのトーク・ショーがあるらしい。というわけで、さっそく大学に行きチケットを買い、レンタル屋でシリアル・ママとクライ・ベイビーを借りてきて気分を盛り上げる。クライ・ベイビーのほうは初めてみたが、ほとんど昔のフライシャーのカートゥーンに似たでたらめなテンポのよさ。いちばん気に入ったのは、刑務所で囚人が眼鏡をかけて3D映画を見ていると、ホンモノのジョニー・デップが飛び出てきてみんながのけぞるところ。これ、ウィリアム・キャッスルじゃん(またか)!

 夜、Royce Hallでそのイベント。前座はExtreme Elvisの歌と踊りにあわせて、みんなで「Pussy-」などと合唱。そしてユダヤ系レズビアンフォークシンガーPhranq(彼女は一曲歌っただけだったがすごくよかった)、ニューヨークのスタンダップコメディアン、Marga Gomezのトーク。いよいよ後半はジョン・ウォーターズ御大の登場。考えてみたら、クリスマスの浮かれ騒ぎなどというのは、ジョン・ウォーターズが冷や水を浴びせるには絶好の対象である。「クリスマスは自殺にうってつけの時期だよね」「クリスマスほど犯罪に似つかわしいときはない」などと繰り広げられる彼の話はおもしろかったのだが、観客のヒステリックなまでの笑いに、なんだか日常におけるクリスチャン的抑圧の強さを感じてしまった。
 幕間には、同性愛を抑圧する行きすぎた福音派の祝日をアイロニカルに祝ってあげようじゃないの、って感じの、裏声クリスマス・キャロル。


20041208

 午前中チャックの講義は学生のプレゼンテーション。一組目はポーカーにおける表情について(いわゆるポーカーフェイス)。もう一組はTV伝導師ベニー・ヒンの「This is your Day」なる番組について。分析はごく平坦だったが、ネタの選び方が日本ではありえないな。もう一人はサンクス・ギヴィング・デイに集う会話の分析だった。

 夕方、シマコさんとアカプルコでメキシコ料理。日本語におけるあいづちの意味や「あっ」と「あー」の違いなどをディスカッション。


20041207

 夜、amazon.comで入手したStratford festival版の「ミカド」を見る。茶色系統でまとめた渋い舞台配色。Opera World版と違ってライブなので、観客の反応やアンコールの様子などが楽しい。プー・バーがおフランス風になっているあたりがカナダらしい。

 遅れに遅れた絵はがき原稿を仕上げて出す。


20041206

午前中、チャックの講義。学生のプレゼン。午後、ゼミの発表の準備。夕方、言語とジェスチャーにおける修復について1時間半ほど話す。ちょっとプレゼンスタイルすぎたと反省。チャックのゼミではむしろ、データセッションぽくやるほうが議論が盛り上がっておもしろいように思う。


20041205

 明日の準備。


 

20041204

 絵はがき原稿を書くうちに、どうも「ミカド」の映像を見なくては話が進まなくなってきたので、近所の「cinefile」に行き、Opera World版の「ミカド」と、マイク・リー監督の「トプシー・タービー」(ギルバート&サリヴァンが「ミカド」を作るまでの物語)を借りてくる。こういうとき、cinefileは品揃えが充実していてほんとに助かる。Opera World版はスタジオ撮影で、あからさまなカメラ目線が気になるものの、三人娘が登場する場面には浮き立つような華やかさがあり、当時の人々の熱狂ぶりが理解できたような気がした。これまで、西洋絵はがきにおける日本イメージのあまりの不正確さに、当時の人々は日本に対してろくろく関心も持たず、いい加減な文化受容をしていたのではないかという感じがぬぐえなかったが、一九世紀末の日本文化流行は悪気なしの無邪気なものだったということがよくわかった。「ミカド」は、日本文化うんぬんよりもコミック・オペラとしてすごく出来がいい。曲もいいし、セリフまわしもじつに切れがある。「トプシー・タービー」はいささか長くプロットが弱かったが(もっとエピソードをしぼればいいのに)、「ミカド」に関心を寄せるものにはおもしろい細部が満載だった。万年筆やハルモニウムの登場にちょっとときめく。


20041203

 午前中、デュランティの発表。楽譜や書かれたものを読むということと演奏ということのギャップについて。演奏には楽譜にない非言語的要素がある、という、まあ演奏経験者なら思い当たる話なのだが、もう少し演奏者の意図的なやりとりを越えた例を見せてほしかった。MAXのようなwriting と playingがいっしょになった環境を使ってしまった身としては、あまりに古色蒼然たる話。

 夜、CLICのパーティー。いろいろしゃべって3時間ほど。


20041202

 近所を散歩。カエデの色合いがいまいちばん見頃。前々から気になっていた、道路標識の鉄柱の上に生える芝を撮影する。最初は誰かがしゃれでのっけたのかと思ってたのだが、どうもこれは鉄柱の内部を芝の茎および根が伸びて、身の丈をこえるほどの鉄柱の上にたどりついたものらしい。鉄柱にあいた小さな穴がおそらく日光と水分の供給源となったのだろう。「芝髪」と命名する。今後各所で観察を続け、さらなる生育の秘密を解明したい。


20041201

 チャックの講義に行ったら見知らぬ人が演壇で教えていたので、部屋を間違えたと思って出てしまった。あとで聞いたら、サインランゲージの特別講師を呼んだんだそうだ。惜しいことをした。

 部屋に帰ってSeinfeldを3回分ほどかためて見る。やはり部屋をシェアするという感覚がこのドラマのキーになってると思う。鍵をかけ忘れることとか、冷蔵庫の中身が誰のものかとか、TVは誰のものかとか、これ、ぜんぶ、いまのぼくが経験中のことだもんなあ。とくにKramerの、あのプライヴァシー感覚のなさと独特の押しの強さは、ほとんど他人事とは思えない。