朝、備忘録を打ち込んでから浅草演芸ホール。なんと二階までほぼ満席。階段にまで人が坐るほどの満員。
ちょうど紫文の三味線漫談が始まったところ。「火付け盗賊改め長谷川平蔵が・・・」と橋にさしかかる繰り返し楽し。おあとがたくさんございます、吉窓、世之介、志ん彌、馬生、ときて愛敬だけで見せて聞かせる雷門助六。生きのいいにゃん子・金魚、文楽。川柳得意の軍歌、ジャズ、脱穀機。松旭斎美智の男客あしらい、伯楽、馬風、すっきりと小円歌、小せん、圓彌、順子・ひろしは、ひろしをおとしめながら前に出すにくいかけあい、のすごく久しぶりに金馬を観たらすごく年をとっていた。落語家は年をとるほどに魅力が増す。小里ん、まだまだ修業中の小楽・和楽・和助ときて主任は志ん朝。
最後は恒例の住吉踊り。小円歌の切れのいい踊りのあとに出てきた助六のふわふわ踊り「あやつり」が物凄い。客いじりといいこの踊りといいルックスといい、実に幇間気分漂う芸。そしてまだまだ詩吟、歌舞伎調と続くかっぽれバリエーション。ひろしの体はでてくるだけで楽しい。
終わったら5時近く。もう満腹という感じ。今日限りで移転する台東区立図書館をちょっと見て、宿へ。
東京ステーションホテルのシングルは、丸の内南口ドームを見下ろす三階にある。音はドームに跳ね返って長く響く。
盲人信号が一日中二つの音程を往復している。前のピンポーンの残響が消えないうちに次のピンポーンが鳴る。ずっとピンポーンに浸されている。改札を抜けた人々のざわめきは高い天井ではねかえって重なり合い、そこから、ときおり高い歓声や叫び声が湧いてくる。耳はいつも少しだけ覚醒させられている。
覚醒させられた耳には部屋の冷蔵庫や冷房のノイズはいかにも反響に乏しく耳ざわりで、電源を切ってしまう。そして、茶を入れたりメモを書いたりしながら窓外の長い反響に馴れるのを待つ。そのうち何かを書いていて、待っていることを忘れていたのに気づく。すると、自分のいる部屋は、まだずっとあのピンポーンの余韻の中にある。
午前中、伊勢丹古書市。最終日だからたいしたものがないと思っていたが、それでも腕が抜けるほど。ちゅうか重たい本を買い過ぎ。
新宿でひさしぶりに吉岡夫妻と会って食事。
浅草に移動。浅草文庫でお礼かたがたあれこれ話。
原薬局の原さんをたずねる。岡本一平と凌雲閣について。
人力車の時代屋ギャラリーに行き、俥さんに話をあれこれ伺う。現在、浅草には人力車は四社、うち二社は個人タクシーならぬ個人人力車とのこと。台を支える板バネはよく見ると三層構造になっている。こうした部品を作る会社が二社ほどあるらしい。ギャラリーに置かれた人力車のタイヤには接ぎ目がある。戦後しばらく、人力車が不遇の時代に、タイヤの作り手がいないので、自転車のタイヤを接いで作った名残りとのこと。客席の背の裏側には、坂を上がるときに押すための取っ手。「立ちん坊」(「虞美人草」)の押す取っ手だ。
相方の古い知り合いの島田さん夫妻と金寿司、アンジェラス.
朝、新幹線で東京。神田で本。丸川賀世子「浅草喜劇事始・小説・曾我廼家五九郎まわり舞台」(講談社)、浅草オペラ資料などなど。
東京ステーションホテル泊。いつも3200円のカプセルに泊まってるので今回はとてつもない贅沢。端正な照明の下がった広い廊下を何度も歩く。レストランばらで相方の頼んだビーフシチューをひとくち飲んだが、あまりの濃さに卒倒しそうになった。
浅草十二階に「新演芸」の十二階の項を紹介(剛田さん資料感謝)。
A級戦犯合祀か否かなど、問題を曇らせるだけ。悪いのは戦犯だったなんて貧弱な歴史観が、何の役に立つというんだろう。人は泣きながら、靖国で会おうと言いながら、お国のためといいながら、死にたくないといいながら、人殺しをすることができる。そういう能力が自分にも備わっているし、ある状況が整えばそうするかもしれない。問題は、そういう状況が整うのを避け続ける手だてだ。
午前中、下鴨神社の古書市。絵葉書をあれこれ見ていてふと顔を上げたら隣に剛田さんが。朝から来て、早くもいくつか収穫があるとのこと。取り出されたのは十二階の描かれた名所絵。うらやましいなと思ってると、店の女主人が「ああ、うちにもそれあるよ」といって、まったく同じ絵の入っている名所絵の揃いを出してくれた。剛田さんさまさま。
腕が抜けるほど買って、みゅーずへ。倉谷さんと思文閣で牧野三四吉展。一般には、広辞苑の動物の絵を描いた人、といえば分かりやすいだろうか。各種図鑑のために描かれた動植物の絵は、切手のように小さく愛らしい。あるかなしかの輪郭を際だたせ、面とテクスチャを強調する。緻密な上でのフィクションがある。
再び下鴨へ。もう腕で持てないほど買って郵送。それから倉谷さんの後輩の人たちと道でばったり会って、「千と千尋の神隠し」。生き物とは、表面張力の強い液体の入った袋である。で、液体の入った袋がじつに見事に液漏れしながら液をたたえて動く。千尋の涙はマンガみたいにでかい。これも表面張力のなせる技か。あの湯屋ってどこまでCGなんだろ。駅の止め絵の青空。沼の底を去るシーン。後ろ向きに乗り物に乗ると、事物はいきなり現れて取り返しのつかないほど速く去る。
二年ぶりに巻上さんのコンサートの世話人になることにした。
今回来日するのは、アルタイのボロット・バイルシェフ。ひとあしはやく録音で彼の喉歌を聞く。これまで聞いたことのない深い響き。録音ですら体に共鳴する低く豊かな低音。60分に及ぶ録音を一気に聴いてしびれてしまった。
これが生だったらどんなにすごいことになるか。
少なくともホーメイ(ホーミー)を単に「二つの音程を同時に出す芸」だと思っている人は、完全に認識を改めさせられるはず。なによりもこれは「声」であり「歌」なのだ。場所は再び愛知川の「藤居本家」になりそう。11月初旬の開催を予定、次の情報を刮目して待て!
相撲研究家の剛田さんが来訪。文献探索話。「国技」ということばの由来や、「見世物」としての相撲について。じつは相撲ど素人のぼくは、明治時代に相撲団体が東京と大阪に二つあってそれぞれ別々に興行を行なっていたことを知らなかった。「国技」ということばはいわば自主申告的に定着したらしい。そしてなんと! あの「南の五階」こと眺望閣では明治三六年まで相撲が催されていたらしい。などなど、目鱗な話いろいろ。さらに膨大な力士レコードリスト。相撲甚句だけかと思ったら、力士の歌ったレコードすべて、なのだ。ゴーゴー輪島ワールドもお店ばなしも入ってる。そしてそれを全部持っておられるとのこと。すごい。
ここのところ、毎晩NHKでやってる「人類、月に立つ」。よくも悪くも究極のプロジェクトX。
大きいモニタを使っているとついついテキストや画像に没入してしまう。内容に、というよりも大きさに没入してしまう。机の上に置いてあった本棚を下に降ろし、手前にあったモニタを奥にやるといい感じになった。
でも、降ろした本棚、そしてそこから出した本で床はいっぱいになった。
浅草十二階計画に、「大正五年、番地入改正最新東京市全図を歩く」他、地図図像を追加。ちょっとずつ続きを増やしていこう。
歯医者で歯石を取ってもらったら、前歯の輪郭が明らかに変わった。舌で、前歯の裏側を根元からまっすぐに先に向かってすべらせてみる。以前のあいまいさがなくなり、牙や骨に近づいた。ダガーからムラサメブレードにグレードアップした気分。
しかし、形が変わるほど歯石が付いてたというのも我ながらすごいな。
以前は何かの拍子に歯石がぽろりと取れることがあって、噛むとさりりと砕けた。これが少しだけ甘い。そういう楽しみはなくなった。
浅草十二階計画に「明治四五年二月の雑踏」を追加。
日経(8/6,39面)に吉田初三郎「幻の広島原爆図発見」の記事。
ファジル・サイのガーシュイン、ソロはところどころ楽しい。アンサンブルにはがっかり。シャッフルが足かせになっている。
ひさしぶりに山本精一&PHEW「幸福のすみか」をプレーヤーにかけて、そのままずっとかけっぱなし。
自転車を使わずに歩いて回る浅草。聞き取りをした方々に本を持参してお礼にまわる。
六区まわり。うれしかったのは、エロ本満載の協立書店の奥にちょこんと「浅草十二階」が置いてあったこと。だって、ここは世界でいちばん十二階に近い本屋なのだ。
15日からは六区で「緋牡丹博徒・お竜参上」を上映。ぜひとも行かなくては。
金寿司、まて貝、ミル貝でビール。
新幹線で藤田洋三「消えゆく左官職人の技 鏝絵」小学館、永積昭「オランダ東インド会社」講談社学術文庫。
香料の島、という南方のイメージ。そこに生息する木々の樹冠の高さに漂う香り。
さて、せまい意味でスパイスと呼ばれる残りの二つ、つまりチョウジとニクズクこそが、これから問題にする香料である。チョウジ(clove)はモルッカのテルナテ、ティドーレ、マキアン,モティ,バチャンの五つの島を主産地とし、この諸島以外には世界中のどこにも産しなかった。木は六メートルから九メートルに達し、木全体が芳香を放つが、とくに花のつぼみ、花、果実、花梗(かこう)などがよく匂い、これを乾燥したものは釘のような形をしているので丁香とか丁子とか呼ぶのである。モルッカ諸島以外では栽培がむずかしく、十九世紀以後でも極めて限られた地域(東アフリカのペンバ島、マダガスカルの一部など)にしか育たない。(中略)
「神はティモールを白檀のために、バンダをナツメッグのために、そしてモルッカ諸島をチョウジのために造り給うた」
(永積昭「オランダ東インド会社」講談社学術文庫)
スターバックスで朝食。台東区立図書館で「浅草」のバックナンバーを繰る。あちこちにしおりをはさんでコピーをするうちにもう二時。あわてて青山墓地へ。イの11を曲がって少し行くとバグパイプの「アメイジング・グレース」が流れてくる。バルトン忌に集まった方々に混じって鋭い持続音に聞き入る。
バルトンの墓から、青山墓地に詳しい中村好子さんに案内していただく。少し歩いて小川一眞の墓へ。銅像がハトの糞だらけで、頭をなでてあげたくなる。
地下鉄で懇親会へ。一ツ橋に大きな空、ここにはマンションが建つらしい。学士会館の地下で稲場先生はじめ下水文化研究会の方々と。
神保町で二次会。少し時間があるので新宿タワーレコードでCD。浅草に戻って今日は早寝。
朝から車で送るの送らないのと大人げない口論をしてタクシーで彦根へ。新幹線で高橋睦郎「読みなおし日本文学史」(岩波新書)。二つの声を一つの声が引き受けるとき、声は無名となる。神と無名へ、あなたと無名へ、そしてさすらうことについて。
国会図書館。久しぶりに来てみたら、ちょっとレイアウトが変わって、新聞一覧や縮刷版も新しいのが入った模様。「グラフィック昭和史1」(研秀社)の十二階のエレベーターの入口写真。あ、これも喜多川氏の文章だ。さらに福助足袋の社史をあたって、十二階の看板写真ゲット。さらに新聞の全面広告ゲット。心の中で「おしっ」って感じ。福助足袋は昭和2年ごろに吉田初三郎に製造過程の鳥瞰図広告を描いてもらったらしい。これはまだ未確認。
手元の絵葉書の撮影年代を調べるため、都新聞の遊覧広告をチェック。幟の活動写真の題名から明治四三年二月上旬と分かる。
新聞を読むとどうしても道草をしてしまう。これがデータベースをあたるときとの違いだ。ぶらぶら歩くか車で目指す店に行くかの違い。マイクロ資料をゆっくり回しながら、あちこちの見出しに目が引きつけられてしまう。
大正末期の活動写真広告は、フォントやレイアウトも楽しくて、ついつい見入ることも。
夜、ドイル研究家の石井さんと幸楽で焼肉。ここは改築の際に土台の煉瓦が出たという、十二階ゆかりの場所。バルトンや喜多川氏や図書館話で夜中近くまで。幸楽そばのライオンズマンションについて「あれを買っとけば十二階の眺めを体験できたのに」という石井さんのアイディアはすごい。
宝とも子死去。この夏は「七つの恋」をよく聞いていたところだった。
午後、住吉さんと竹岡さんにビデオおこしと分析法を伝授。夜、Cafe Hushでドライカレー。万博ビデオ見なおし。
午後、橋爪さんの集中講義を聴講。万博ビデオを見ながら「ああ、フジパンロボット館が・・・」とか固有名詞が次々浮かぶ自分にあきれる。折り鶴シーン、若き磯崎新が設計したというロボットからわらわら(このことばはこのシーンのためにあるといっても過言ではないだろう)子供が出てくる光景など。
講義後、近藤ゼミの人たちと合流してお茶に酒。途中で眠りながらも夜中近くまで。
十二階掲示板過去ログを追加。
NHKインパク原稿。BPMとループの話。
彦根花火大会。八坂のあたりでしばらく見てから湖岸に沿って北上。芹川を越えるころからあきらかに耳にも目にも違ってくる。ドンの前のヒューが聞こえ、ドンの後のパリパリが聞こえるようになる。
そして、空から手でつかまれるような大きさ。同心円状に広がる、ただそれだけの時空間の色の変化が一回一回違って、そのたびにちんぽこが散り散りになりそうな気持ちよさ。
仕掛け物で、いったんゆるやかに広がると見せて急に加速して勝手な方向に走り出すもの。宙空を破っていきなり現われるその広がりが何かに似てると思って、帰りに自転車をこぎながら考えていてわかった。ウルトラマンAの超獣の登場シーンだ。わかってからうれしいようなむなしいような。
銀座まで自転車を飛ばしてカフェ・ハッシュで遅い晩飯。