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(last up date; 2003 Jan. 15 ; この色が最新更新データ)

「浅草十二階計画」について

口上
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十二階図像(錦絵・石版画・写真その他)

浅草十二階ペーパークラフト(papercraft; 震災調査委員会報告書測量に基づく)
浅草凌雲閣(明治二四年二月、石版図)
浅草五重塔・浅草十二階(明治二四年三月、風俗画報)
東京名所浅草公園 吉原芸妓冨次(明治二四年三月、石版画)
浅草公園遊覧之図(明治二四年四月、揚州周延)
"Ayame san"より浅草六区と十二階(明治二六年?、バルトン撮影)
浅草六区鳥瞰図(明治三〇年、風俗画報)
Underwood & Underwood 社の十二階立体写真(明治三十年代)
万国実体写真協会「浅草十二階」(明治三七、八年ごろ)
万国実体写真協会「浅草公園」(大正初期の十二階立体写真)
浅草公園池畔之光景(大正三年)
「彩色の石版画」(宮武外骨『震災画報』大正一二 年より)
帝都大震災画報其一 浅草公園十二階及花屋敷付近延焼之状況(大正一二年)
"浜本浩「浅草の灯」表紙(昭和二四年、田園社版、画:生澤朗)



地図

明治四〇年浅草公園地図
-> 久保田万太郎の「雷門以北」 (2001 Nov.)

大正五年、番地入改正最新東京市全図を歩く
-> 「緋牡丹博徒・お竜参上」地図
-> 浅草・吉原・大川付近 (248k)
-> 六区付近 (308k)
-> 観音堂付近 (212k)

十二階下の鳥瞰図(千束二丁目)文芸倶楽部大正二年四月号
萬世庵の裏(藤村秀夫「浅草の思ひ出」)



十二階と絵葉書


十二階前の看板 (2001 Nov.)

絵葉書の撮影年代を推定する (2001 May)
 (1)一枚の十二階絵葉書から
 (2)浅草国技館を手がかりに
 (3)清遊館を手がかりに
 (4)十二階演芸場を手がかりに

浅草国技館の変遷(1)(2)(3) (2001 Oct)
明治四三年二月の雑踏(1)(2) (2001 Aug)
雷門前・谷崎潤一郎「秘密」 (2001 Aug)

「絵葉書趣味」(絵はがき一般)



十二階の謎

いろはにこんぺいとう/高いは十二階
 わらべ歌に歌われた十二階について



聞き書き

十二階に登った話
ひょうたん池で鯉を釣った話(1)
ひょうたん池で鯉を釣った話(2)



参考資料と解説

「高厦の雛形」(読売新聞 明治二三年十月一八日)より
 十二階のペーパークラフトは開館前から作られていたらしい。
「凌雲閣開業式の模様」(国民新聞、明治二三年)より(1)
 開業式で挨拶を行なったのは、福原庄七、バルトン、伊澤雄司、電燈会社関係者等だったらしい。
「凌雲閣開業式の模様」(国民新聞、明治二三年)より(2)
 開業式で早くも故障したエレベーター。円朝の登覧。吉原をまなざす視線。
岡本綺堂「一日道中記」(東京日日新聞 明治二四年)より
 凌雲閣百美人写真が展示されていた時期に十二階を訪れた記者時代の綺堂の記事。
"Ayame-san" (1892) by James Murdochより
 日本女性「Ayame san」をめぐる恋物語の部分訳。浅草十二階の百美人が小説内に登場する。
凌雲閣のジヲラマ小児千七百名(読売 明治二六年十月二一日)より
 日本最初期のコラージュ写真は十二階に展示されていた。
斎藤茂吉の書簡(明治三二年)より(New!)
 茂吉が詠んだ浅草十二階。
凌雲子「浅草公園廻り」(明治三九年)より(New!)
 雑誌『趣味』に掲載された十二階登覧の記録。
三友館キネオラマ広告(明治四一年)
 キネオラマ・啄木・乱歩について。
高村碎雨(光太郎)「にほひ」(明治四二年)より
 方寸に掲載された、十二階の現れる光太郎の詩。
岡本一平「十二階より観たる飛行機」(大正二年)(New!)
 朝日新聞に掲載された、航空史揺籃期の一平漫画。
「十二階から十分二銭の双眼鏡で長澤中尉の雄姿を望む」(読売新聞、大正二年)(New!)
 おそらくは一平と同席した読売の記者によって書かれた飛行機見物の様子。
梅坊主数奇伝(大正七年)
 かつて十二階演芸場に出演していた梅坊主の伝記。雑誌「うきよ」から。
十二階爆破計画(大正九年)
 隣の吾妻座が焼失した際に都新聞に掲載された塚本靖博士の談話。
添田唖蝉坊「浅草鳥瞰図」(『唖蝉坊底流記』昭和四年)から
 かつて十二階下を闊歩していた唖蝉坊は、震災後、地下鉄タワーのエレベーターに乗る。
徳川夢声「自伝夢聲漫筆 大正篇」(昭和二一年)より
 表紙に十二階と劇場。大イカ物「ライフトグラフ」とは?
古川真治「十二階暮色」(昭和二二年)より
 大正期の活動弁士群像。十二階の出てくるくだりを引用。
江戸川乱歩「活弁志願記」(昭和二六年)より (New!)
 乱歩の「押絵と旅する男」の十二階の記述は実体験に基づくものだった。
金子光晴「十二階下の女たち」(昭和二九年)より
 明治末期から大正期にかけての十二階と十二階下の空気を伝える随筆。
渋沢青花「浅草っ子」(昭和四一年)より
 十二階を写真におさめる少年の話。
喜多川周之「凌雲閣」(昭和六二年)より
 浅草十二階の研究家であった氏の文章から。
「十二階」(「浅草公園観せ物総捲り」新演芸第1巻3号・大正五年)
 雑誌「新演藝」に掲載された十二階の項。



文献リスト

小説・詩歌
マンガ・映画・ゲーム等
評論・随筆
喜多川周之十二階関連文書(1)(「浅草寺文化」他)
喜多川周之十二階関連文書(2)(「歴史読本」連載)



番外編

世界探検家菅野力夫の謎(1)(2)
「虞美人草」と博覧会



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