高厦の雛形(読売 明治二三年十月一八日)より





凌雲閣登覧寿語六
(三代国貞)
「東京電燈株式会社開業五十年史」より

凌雲閣は近ごろ稀なる高厦なれば其の雛形を作りて地方の人々に構造の一班を知らしむるも亦強(#あなが)ち無用の事に非ずとて今回画工の國年氏が同閣千分の一の紙雛形を作りて其の他のものに示しけるに何れも之を奇なりとし某商人は遂に申請け近々専売特許を得て凌雲閣中にて売捌く都合なりと。 (読売 明治二三年十月一八日) (2001. 06.02)

 三代国貞えがく「凌雲閣登覧寿語六」の右下の方に、気になるものがある。小さな子供がつり下げているのがそれなのだが、この「東京電燈株式会社開業五十年史」に収録された写しではちょっとわかりにくい。ずっと前に、江戸東京博物館でじっさいに版画を見たときに、子供が何をさげているのか、よく見てみたことがある。それは十二階の形をした提灯のようなもの、つまり雛形だった(下図)。

 錦絵には嘘も盛り込まれてないわけではない。が、これまでの経験では、こうした図案の細部には、多くの場合、対応する実際のできごとがある。たぶん、十二階の雛形が当時作られたのではないだろうか。

   未だに明治期の十二階ペーパークラフトの現物にはお目にかかったことがないが、最近、少なくともこうした紙雛形が試作されたことを伝える新聞記事を見つけた。それが上の「高厦の雛形」だ。
 記事の日付は十月一八日。十二階の開館は十一月十一日なので、開館前から早くも紙雛形が試作され盛り上がっていたということになる。「千分の一」というと5、6cmほどか。中に錘をつめて文鎮にしたい大きさだ。「画工の國年氏」とあるが残念ながら思い当たらない。絵師ならば、国利の可能性があるがどうだろう。

 





浅草十二階ペーパークラフト(震災調査委員会報告書測量に基づく)

表紙 | 口上 | 総目次 | リンク | 掲示板