増補新訂浅草細見(昭和五一年・浅草の会)の表紙にもなっている錦絵。楊州周延(ちかのぶ・天保九年−大正元年)は御家人出身、国貞系の絵師で、美人画で知られる。
描かれている橋は、ひょうたん池の岸から中央にある小島に向けてかかっていたもの。三枚続の継ぎ目がちょうど欄干の柱になるように描かれている。
ひょうたん池には多数の鯉がいた。浅草の古老の話にはよく鯉をつかまえた話が出てくる。この絵にも鯉はたくさん描かれているが、その一匹をよく見ると、体の中央を青が隠し、尾のあたりは赤に青が重ね刷りされている。実に細かい。泳いでいるというよりは、まるで絹か何かを体にかけているようにも見える。こんな風に水をまとった鯉などありえないが、遠く離してみるとちゃんと泳いでいるように見えるから不思議だ。
右の続きには奥山閣、そして中央には十二階が描かれている。私が入手した版では十二階の上部の刷りが茶色くつぶれているが、良い版ではここも煉瓦色のはずだ。十二階には搭上にも閣下にも人があふれていて、よく見ると玄関上の露台にも人が描かれている。
右の子供がゴム風船を握っている。ゴム風船は『明治事物起源』(石井研堂)によれば、慶応四年に記述があり、明治八年には水素ガスを入れたゴム風船が売り出されている。明治二四年にはすでに一般的なものだったと思われるが、前年のスペンサーやボールドウィンの軽気球興行を思わせる事物でもある。
2002 April