歌を詠む母から電話がかかってきて、斎藤茂吉が詠んだという浅草十二階の歌を教えてくれた。
鳥だにも新たに年をとりぬらん凌雲閣にとんび鳴くなり
茂吉16才、明治三二年一月七日の兄宛ての書簡に書かれた歌のうちのひとつで、「金龍山に詣でて」と但し書きがあるのだそうだ。当時、茂吉は浅草東三筋町(現在の三筋町一丁目)にある親戚の斉藤家に寄寓して開成中学に通っていた。斎藤家から金龍山浅草寺へは徒歩圏内だった。おそらく歩いて初詣に行ったのだろう。
若き茂吉の姿が忍ばれはするが、ごく素直に新年を言祝いだ内容で、取り立ててどうという歌ではない。
けれども、私にはひとつ意外なことがあった。「とんび」だ。
とんび、もしくはトビは、私にとっては近しい鳥だ。彦根の私の仕事場の窓からは川べりを悠然と舞っているのがよく見える。このあたりは琵琶湖沿いの平坦な土地で、田圃も河川林もあって、トビの生息環境としては申し分ない。
しかし、これまで、トビという鳥が浅草六区の上空を舞う光景を想像したことがなかった。
おそらく明治三二年には、「とんび」と「凌雲閣」はけして突飛な組み合わせではなかったのだろう。隅田川があって、あちこちに田甫が残っていた。そこここに、トビが巣を作るような高木もあっただろう。そして何より、トビが舞う姿が遠くから目に入るほどに、空はぽっかり空いていた。
手元にある十二階の石版画にはいくつもの鳥影が描かれている。現在の東京都心の上空に、カラスならともかく、トビの姿を想像するのは難しい。だからつい、絵の鳥はカラスだとばかり思い込んでいた。やたらカラスが描かれて、なんだか陰気な絵だと思っていたのだが、よく見てみれば、カラスにしては大きく描かれすぎている。
そうだ。これは「凌雲閣にとんび鳴くなり」ではないか。そう考えると、砂目石版の十二階が、とんびの描く輪の高さまで背を伸ばし、鳴き声は空の広さになった。