十二階計画掲示板008


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ドクター南雲とDr.南雲 投稿者:剛田明治  投稿日: 8月17日(金)01時41分07秒

15年ほど前、下町風俗資料館で買ったまま読まずにうっちゃっていた、「浅草六区(えんこ)興行史」「古老がつづる下谷・浅草の明治、大正、昭和」に十二階のことが。高校に入りたての時に買ったのは、なかなか殊勝な心がけだが、捨ててあったのはやっぱりという感じ。今読み始めています。
「古通」は定期購読しているので、神田の店頭に並ぶより、1、2日早く手元に届くはず。バックナンバーも、比較的容易にコピーできます。


旅先から 投稿者:細馬  投稿日: 8月15日(水)23時41分32秒

ちと自宅でないので短いコメントで。
石井さん<
十二階保存、というか、どこかにあったという手がかりは残っているといいな
と個人的に思います。守る会、といっても、ないものを守るというのも・・・
(ぼくも点三つです)。
小島さん<
拙著にかきましたが、観覧車が移転されたのは、六区のパノラマ館向かいで、
その後活動館の金龍館となりました。取り外された観覧車がどうなったかに
ついてはぼくも資料をあたってない、というのが正直なところです。
剛田さん<
どうもでした。日本古書通信8月号、って今年の分ですよね。神田でチェック
してきます。
以上、在東京細馬でした。今日は浅草演芸ホールで「住吉踊り」を見てきました。
雷門助六の「ふわふわ踊り」が絶妙。


もどりました。 投稿者:剛田明治  投稿日: 8月15日(水)00時31分03秒

旅行から戻って参りました。先週は大変お世話になりました。そういえば、「日本古書通信」8月号、36頁の4分の1の枠で「浅草12階」(原文ママ)と題し、十二階と喜多川周之氏のことが載っています。


アドレスは 投稿者:小島  投稿日: 8月14日(火)01時51分26秒

途中でリターンキーを押してしまったので、再投稿。

http://www.tanken.com/kanran.html


もしお分かりになれば 投稿者:小島  投稿日: 8月14日(火)01時49分49秒

こんにちは。実は僕のホームページに問い合わせがあり、浅草ついでにご存知であれば、
と思い投稿させていただきます。明治40年、上野で博覧会が開かれるんですが、このとき日本初の観覧車が作られました。博覧会終了後、浅草の花やしきに移転されるのですが、それも数年で消えています。どこへ行ったか、ご存知ですか?? というものです。もしお分かりでしたらお教えください。参考までに観覧車に関する僕のサイトは

http://www.


浅草十二階を守る会 投稿者:石井貴志  投稿日: 8月13日(月)22時23分53秒

ホームズクラブの心有る研究家の一部に、「バルトン研究会」をつくったらどうか、という人がいます。先の読売新聞(北海道〜関東は8月1日夕刊、関西〜は同3日夕刊)の記事で、御雇外国人W.K.バルトンの知名度は一気に上がったことでしょうから、不可能ではないとは思いますが、どうせなら「浅草十二階を守る会」のような会の方が、裾野が広く、面白いように思います。しかしながら、仰せのように、同じ十二階をめぐって、いわゆる「オタク世代」(私もそう)と、江戸東京べったりの「ノスタルジー世代」がいるとしたら、果たして、一緒にやっていかれるものかどうか・・・・・・。こういう会があったら、私も「バルトン伝ノート」(仮題)を整理して、小出しに発表できるので、メリットはあります。もし賛同される方が大勢おられれば、考えてもいいかもしれませんが・・・・・・。ホームズクラブを退会して、時間はありますので、お世話のお手伝いぐらいならできますが、どんなものでしょうかね……。私自身の積極度は「・・・・・・」でお察しくださいませ。


ノスタルジーから遠く 投稿者:細馬  投稿日: 8月12日(日)14時14分46秒

 「浅草十二階」はノスタルジーから遠くあろうとした本で、週刊ポスト書評の
小沢信男氏の年代の方、つまり戦前の東京をわずかなきっかけから否応なく
思い出せる方には、もしかすると無機的な感じがするのかもしれません。
「連想ゲーム風」「当世風」「オタクっぽいお楽しみ本」というのは、
そうした無機的な感じへの違和感なのかなと思うし、それはそれで、
正直な御感想だと思ってます。


オタクとは 投稿者:石井貴志  投稿日: 8月11日(土)21時13分14秒

操業停止の十二階のエレベーターと、ないはずの富士山、これはちょっとすごいですね。ホック氏は、一体どこの浅草に行ったのでしょう?? 読んだ時、一瞬わざとやったのかと疑いました。ホームズクラブの会員だった頃、からかってやろうと思った事がありますが、大学のミステリ研のOBが結構いて、著者ご本人に何を告げ口されるかわからず、敵を増やす事もないので、自粛しました。みんな案外冗談が通じないから。日本ミステリ界もネタ不足みたいですから、そのうちバルトンが探偵役の推理小説が出るかもしれませんね。
『週刊ポスト』の書評を読みましたが、「オタク」というフレーズにひっかかりました。ホームズクラブには、怪獣やアニメのオタクが集まっていましたから、彼らの生態を良く知っています。
オタクというのは、一般人が「あのCMの女の子がかわいいけど、名前は何というのかな」とつぶやいた時、「それは『CMナウ』という雑誌を見れば分かる」ときっぱり言う人たちのことです(これは実話です)。


あやや、記憶あやふやですいません。 投稿者:細馬  投稿日: 8月10日(金)23時24分43秒

しかし「雷門ではなく富士山」っていいフレーズですね。
文脈はずすとすごいシュール。その「ホック氏異郷の冒険」(双葉文庫、でした)
の十二階と浅草富士混在、すごい読みたいので、注文しちゃいました。ある種
異郷かも。でもって、そんな異郷で、浅草富士と日本パノラマ館の周りで曲馬の
芸をしている活動を、富士館で観る、なんて話も読みたい。うーん、ルナティック,
いや、ルナパーク.


雷門ではなく富士山 投稿者:石井貴志  投稿日: 8月10日(金)22時28分18秒

その作品は、加納一郎の「ホック氏異郷の冒険」という時代ミステリです。推理作家協会賞のシリーズの一冊として文庫本(確か講談社? 双葉社?)があるはずです。主人公のホック氏という英国人は、失踪中のホームズで、陸奥宗光の依頼で、日本人医師を相棒に、消えた機密文書を追う話。とんでもないというのは、十二階のエレベーターと浅草の富士山が健在だということです。後者は、十二階のオープン前に取り壊されたはずなのに・・・。
また相棒の日本人医師が、日本に欧米のような下水道が出来るのは、いつのことかと詠嘆調で書いているのもおかしい。舞台は、明治19年のコレラの記憶が色あせていない時代の東京です。既にバルトンや内務省衛生局の尽力で、コレラ対策に上下水道整備が急務との認識が広まっていましたから、医師であれば、衛生問題をどうしてくれると、もっと怒らなければおかしい。この相棒氏は、大日本私立衛生会(バルトンが終身会員)の会員ではなかったようですね。下水道は、単なるインフラの問題ではなかったのです。



書評 投稿者:栗原  投稿日: 8月 9日(木)00時30分41秒

どうもごぶさたしております。「浅草十二階」、ぽつぽつと2/3ほど読み進めた
ところです。

ときに「文學界」九月号に書評が出てましたよ。評者は長谷部浩氏。


また情報です 投稿者:sugisiki  投稿日: 8月 8日(水)01時26分32秒

ただ、明治・大正の雑誌、新聞を極力見るようにしているだけなので、過分のお褒め恐縮に存じます。

さて、また情報ですが、明治41年から大正4年にかけ、週刊『サンデー』というものが発行されていました(マンガではありません)。これは、「週刊新聞」「週報」と自称しておりますが、現在の眼からすると、完全な週刊誌であります。ということで、「時報」「ゴシップ」「読み物」は欠かせないといえます。(その前の「太平洋」、ほぼ同時期の週刊「東京」、「日曜画報」も同系統といえましょう。サイズはどれも四六 四倍判です。)
その『サンデー』43号(明治42年9月19日)の中見開き2頁に「東京十五区風俗(壹)浅草」に10枚の写真があります。花屋敷のあやつり人形を見ている人たちや、十二階の附近の魔窟、浅草の貧民窟、劇場付近から見た十二階(少し離れたところに仁丹の看板が見えます)と面白いと思われるもの(私のようにあまり詳しくないものには)があります。
165号(45年2月18日)には「浅草の國技館」と題して、本文10行ほどの記事があります。『浅草十二階』P187と内容はほぼ同じです。そういえば、今月の京王新宿店の目録に『相撲と武士道』(浅草國技館発行)がありました。安かったので、申し込んだのですが、当然はずれでした。
他にもいろいろあると思います。


あれこれ 投稿者:細馬  投稿日: 8月 8日(水)00時53分38秒

石井さん<
東京ではどうもでした。今後ともよろしく。

sugisikiさん<
またしても情報ありがとうございます。
しかし、新小説まで知っておられるとは・・・
これはさいわいコピーして持っております。児玉花外「十二階の窓の眼」の
「十二階の赤黒い廃頽色の傾きかけた高塔が、春の陽光にやや
色めいて、広い浅草一環を窓の幾つもの怪しい惑はしの眼は睨めて
ゐる。」というフレーズを、「啄木の凌雲閣」の最後でひっくりかえ
したつもり、なんてのは、誰に言ってもわかるまいと思っていたのですが・・・。


ご存知かもしれませんが2 投稿者:sugisiki  投稿日: 8月 8日(水)00時37分56秒

細馬様
お役に立てたようでうれしく思います。
大特集ですので、周知のものかもしれませんが、春陽堂発行の『新小説』明治45年4月号(第拾七年第四巻)に、100頁にも及ぶ「特設欄浅草研究」があります。21人もの多数が記しています。中でも児玉花外の「十二階の窓の眼」はまさに「十二階からのまなざし」であり、「池の向ふ歩き」(これには凌雲閣に上ったときの描写がこまやかです)、「千束町の印象」もおもしろいです。また、写真版では、「凌雲閣上の展望」と題し、6カ所(上野公園方面、東本願寺別院附近、浅草國技館及び活動写真館附近、浅草観音堂附近、向嶋方面、吉原及び千住方面)の、凌雲閣上から見た写真をパノラマ風に掲載しています。


お疲れ様でした 投稿者:石井貴志  投稿日: 8月 7日(火)23時16分16秒

東京では、短い期間ながら実り多い出張だったご様子で、何よりでした。
また何かありましたら、よろしくお願いします。今後のご活躍をお祈りします。