このシリーズを置いているのは、区役所の売店、下町資料館など区の施設ですが、台東図書館はリストに入っていませんでした。私は仲御徒町駅前の本屋さんを脅して、取り寄せてもらいました。台東区役所に電話して送ってもらうか、最寄りの書店で注文するのが早そうです。中味は歯ごたえがあります、私には。前田愛の論文が引用されていて、懐かしかったです。卒論を書くときに、参考にしましたので。
御無沙汰いたしております。
実は5/9から長崎大附属図書館が、「長崎の超高精細密の古写真」をネット上で公開を始めました。これはデジタル技術を駆使して、以前の古写真を更に詳細に拡大出来るという画期的なものです。例えば撮影者を上野彦馬で検索して、「長崎大光寺本堂の(2)」という写真を見ます。小さく写っている人物をどんどんズームアップ(ネットで操作できます)すると、髷姿の上野彦馬だということが、はっきり分かります。(小川一真もあります)
これは凄いっ!まだ長崎近辺の写真だけですが、今後の展開が実に愉しみです。アドレスは、
http://zoomphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/
是非是非御覧下さい。
あ、それから明日の新日曜美術館は吉田初三郎の特集だそうです。
読売新聞を例によって検索していますと、「無銭力行の人 藤田五十若氏帰る」
(大正4年3月21日)という記事がありました。世界無銭旅行の様子があれこれ
書かれているのですが、その中に「大連に来ては自分の肖像を刷込むだ絵葉書を
同胞や外人に売つて歩いたが絵葉書の値段は別に極めず先方の出した丈といふ方法
をとつた」とあります。つまり、旅先で旅費を得るためにも絵葉書は使われたらしい。
菅野力夫もあるいは同じことをしていたのかもしれません。
石井さん<
わ、文庫本。十二階の部分はコピーしたように思いますがどこに埋もれているやら・・・
やはりかわずばなるまい。台東区図書館なら手に入るかな。
もしやと思ってamazonで検索かけてみましたがヒットしませんでした。
剛田さん<
萬朝報、時間があるときは復刻版見てますが、なかなかひまのかかる作業です。
老後の楽しみにするべきか。明治四二年に十二階から飛び降りた男の写真は
萬朝報にのってまして、これはコピーをとりました。自殺報道が好きですね、
萬朝報は。
CD-ROM「明治の読売新聞」「大正の読売新聞」は、若干の難はありますが、非常に使いやすく、便利です。しかし、97年に出た、「萬朝報」CD-ROMの「主要記事目録・解説」残念ながら、使い道は非常に狭まります。何せ、1日に2〜5件くらいしか記事の見出しがないんですから、検索したって、たかがしれています。復刻版を地道に見るしかないんですが、ノドがないのは非常に残念。(日本図書センターのものは全てないですが)
「台東区史」が文庫本になりました。十二階の時代は通史編V上下(各800円)です。
とりあえず買って来ましたので、これからゆっくり目を通します。
黄金週間特集、というわけでもないですが、以下のものを追加しました。
「十二階下の鳥瞰図(千束二丁目)」
「万国実体写真協会「浅草公園」(明治三十七、八年ごろ)」
「十二階から十分二銭の双眼鏡で長澤中尉の雄姿を望む」
石井さん<
バルトン目録!
それはぜひとも公表の形が整うといいですね。
少なくともぼくは熱烈に伝記読みたいです。
十二階の設計者でもあるバルトンに関連した新聞記事目録が、ほぼ完成しました。雑誌記事も付録程度ですが、主な媒体に掲載された記事は整理できました。時間や経費を考えると、やはり出版したいところですが、オンデマンド印刷が普及しなければ無理でしょうね。コストに見合う公表の方法を研究したいと思っています。伝記を書いて、参考文献として目録をつけ、こみこみで出版してもらうのがいいのかもしれませんが、まあ来年ですね。バルトンの著書収集も、いよいよ残すは例の高額の本だけとなりました(買えるものは、という意味)。というわけで近況報告でした。
日記にもかきましたが、いくつか十二階関連図絵と文書を追加しました。
「十二階より観たる飛行機」(岡本一平)について
「浅草公園遊覧之図」(揚州周延)
「吉原芸妓冨次」(石版画)
福井さん<
まったく同じ写真というわけではありませんが、カゴの形状やアングルの一致から
考えて、石黒さんの写真集におさめられている観覧車と同じものだと思います。
そうそう、なんとうかつなことに仕事をしている間に気がついたら「日本人の
質問」見逃した!すいません。
安野さんの論文、本文もおもしろいので下記にリンクしておきます。
細馬さん
NHK「新クイズ・日本人の質問」では大阪の観覧車はほんの一瞬だけでしたね。ところで新しく入手されました絵はがき、拝見したいものです。次のURLに出てくる観覧車に似ていますせんか?これは安野彰氏の論文(Web上)に出てきます。花やしきさんも同じものをご所有でした。
セントルイスいうのは1904年にセントルイスで開催された博覧会で、1893年にシカゴで開催されたコロンビア博覧会で注目を浴びた大観覧車が、ここで再び活躍するのですが、日本館はこの観覧車のすぐそばにあって、この日本館から観覧車をながめた関係者が上野の勧業博にも、と思ったらしいのです。明治39年(1906年)の東京版朝日新聞には、浅草に観覧車が現れたということは載っていなかったように思います。でも博覧会場でなく街中で設置されたら、当時ならニュースにならなかったかもしれませんね。
ちなみに明治39年大阪時事新報には「わが国で初の興行」として大阪天王寺に設置されたグレートホイール(観覧車)を紹介しています。
で、手元の明治四十年浅草公園地図(これは東京勧業博覧会の附図です)
を見直してみたのですが、常磐座の南は「すしや」になっていて
観覧車は記されていません。うーむ。下記がその地図です。
石黒敬章氏編・解説の「明治・大正・昭和 東京写真大集成」(新
潮社)を入手しました。実際には、写真だけでなく写真絵はがきが
大量に収められていて、東京絵はがき集成として、これはほぼ決定
版かなと思います。手元にない十二階絵はがきもたくさん収められ
ていて、あれこれ眺めながらずいぶん目が開きました。
さて、その中に、珍しい浅草公園の観覧車の絵はがきもありまし
た。で、その解説に、「明治三九年および明治四一年の浅草地図に
は、常磐座の南隣、日本パノラマ館の向かい側に大観覧車と載って
いる」とあります。従来、浅草公園の観覧車は上野の東京勧業博覧
会から移築したものとの説があって、ぼくもこれを踏襲して「浅草
十二階」に書いたのですが、もし明治三九年の地図が正しいとなる
と、この説は間違っていることになります。うーん。早まったかな
あ。
絵はがきには観覧車前に看板が映っていて、「展望観覧車は世界
に二つより外ありません 一つは米国のセントルイスで一つは此処
の観覧車です」とあります。
細馬さん、こんばんわ。
菅野力夫氏関係の書き込みばかりなのに、ありがとうございます。
ダチョウの卵は、かなり硬いものでしたので、もちかえりはそれ程
大変ではなかったと推察します(笑)
写真にはついては素人なもので詳しくなくて、すみません。でも、
ご指摘のように原版(ネガ?)だと思います。
新美さん<
小川一眞関係、手元に多少絵はがきや資料があるので、そのうち公開しようと
思いつつそのままになっております。年表もけっこう粗いので、特に
明治20年代後半の数々の写真集についてもう少し書き加えないといけない
ところ。
細馬さん、こんばんわ。
>>古写真と絵はがきをふんだんに用いられた
錦絵サイトで、見るうちに江戸と明治の間を何度も往復できるWWWです。すばらしい。
みなさんにもぜひおすすめ。
冒頭に小川一眞の彩色写真があがっていて、十二階ファンにもうれしい内容です。
お誉めいただいて恐縮です。小川一真については、こちらでいろいろと勉強させてもらってます。(単純に昔の写真師だと思ってた)
Bさん<
いえいえ、菅野氏の絵はがき関連ということでおもしろく書き込み拝見しております。
ごゆるりと。ダチョウの卵の強度がどれくらいかはわかりませんが、持ちかえるのは
相当めんどうだったのでは。銅板、というと、写真版の原板でしょうか。
福井さん<
どうもです。日本人の質問、どんな問題か楽しみです。
アデランスのCM見るたびに、「その売り文句、ほんまに正解なん?」と吉岡博士に
問いたくなる今日このごろ。
これも十二階と関係のない書き込みなのですが、4月21日(日)7時20分からNHKの「クイズ・新日本人の質問」で「観覧車の歴史」に関する出題があり、1906年の日本初の観覧車や、1907年勧業博覧会での観覧車の絵葉書(橋爪紳也氏ご所蔵の)もちらっと出るはずです。お時間がありましたら是非ご覧ください。