十二階前の看板



図1:浅草十二階正面。明治四十年代?

 手元に十二階の玄関から写した写真絵葉書がある。看板文字(後述)の奉天占領(明治三八年)の文字。塔上に金網(明治四二年)はまだ張られていない。明治三八年−四二年あたりに撮影されたものと推定される。

 ところで、この写真絵葉書で興味深いのは、当時の閣内の内容が玄関の看板として掲げられているところだ。「美術品」と記されているところがいかにも「美術という見世物」の時代である。


図2:看板部分の拡大

閣内美術品備附目録
独逸製万国一ノ大器械無比ノ音楽
東京百美人ノ写真
古代百美人ノ蜜画
日清戦争実況ジヲラマ
日露戦争実況ジヲラマ
盥大澳上陸地奉天占領ジヲラマ
米国シカゴ府萬国大博覧会各地ノ景
台湾戦争及澎湖島ジヲラマ
大日本諸景
日本一高塔凌雲閣

 開館の翌年にエレベーターがなくなり、十二階では階段を上る客の目を楽しませるためにさまざまなイベントを行なった。東京百美人(明治二四年)、米国シカゴ府万国博覧会写真(明治二六年)、日本百景ジオラマ(明治二六年)、日清戦争ジオラマ(明治二七、二八年)、古代百美人ノ蜜画(明治二七年)・・・
 こうした出し物はその後どうなったのか? この看板から、それらはどうやら「閣内美術品」として展示され続けていたらしいことがわかる。
 明治末期に塔に上った記録の中にしばしば「十二階に上るに相變ず百美人の古びた寫眞が掲げられてあるのみで別に見るものもなく雨に霞んで上野の櫻花が白雲の如く見え川向うの墨堤の並木は未だ赤く見えるのみである (読売新聞/明治四五・四)」といったぐあいに、「百美人の古びた写真」の話が登場するのは、じつは、明治二十年代に行われた美人コンテストの写真がそのまま掲げられていたのをさしているのかもしれない。


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