bk1の書評欄に著者コメントを載せました。蒲団圧縮パック並みに
絞って書いてあります。
「浅草十二階」が紹介されたとの情報をゲットしました。
ぼくはまだ未見ですが、関東圏の方、本屋で見かけたら
ご覧くださいまし。
ちょっとこの場を借りまして。
「学天則」から「A.I.」に至る、ロボットをめぐる文化誌というテーマで
本を作ろうと考えてます。
技術的な側面を追っかけてくと大変なので、
「人々の目にロボットというものはどう映ってきたか」をコンセプトに
構成してみようかな、と思ってます。
学天則、鉄腕アトム、鉄人28号、ガンダム、エヴァンゲリオン、AIBO、そしてA.I.あたりが
(あと、遊園地なんかにあったスタンプ押したりちょっとだけ喋ったりするロボット)
キーワードになるはずですが、じつは「学天則」についての
まとまった資料があまり見当たらないので、ご存知の方いらっしゃいましたら
教えていただけると幸いです。
ここの掲示板のテーマからは外れてしまいますので、直接メールでお願いします。失礼しました。
忘れたとは言わせまへんでぇ(笑)
http://12kai.virtualave.net/199808b.html#19980829
では、こんどこそ以下は私信にて。
>enoさん
山形さん書評見ました。ページさいてもらってラッキー。十二階については
次号に期待、かな? エレベーターのことあんまり書いてないから期待を
裏切るかもしれないですが。>はじりさん
メカトロセンターはトロ、て、それただのアホじゃないですか。それに
反応するペギオーさんて・・・いい人かも? 以下は私信にて。
ペギオさんに、「細馬さんてね〜、メタ・パターンズって本紹介してくれて最高。
ビール飲んで朝6時ごろを迎えるとすごいこと喋り出すんですよ。
メカトロセンターってトロなんだよね、とか。」
と言ったら、ペギオさん、
「今度セッティングしてください!」って。いつがいいですか?細馬さん(笑)
『浅草十二階』の書評は「また次回」でした。お詫びまでに、手元にあった『宮武外骨絵葉書コレクション』を眺めてみたところ、
「外来語集」というアルバムの中に「エレベーター」というコメントのついた
絵葉書がありました。「和歌の浦 遊覧記念」という文字が見えます。
十二階の絵葉書も「塔」というアルバムの中にあると思うんですが、
まだ調べてません。こんど東大へ行ったときにチェックしてみます。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489544161X/qid=992902335/sr=1-25/249-3836198-9807536
bk1に山形浩生さんの書評が出ています。http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi?tpl=dir/00/00000000_0019_0000000016.tpl
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi?tpl=dir/00/00000000_0019_0000000016.tpl
しました。目次をどうぞ。大正期の十二階絵葉書を
何点か見ることができます。
>KHさん
おっとすれちがいでした。また今度飲みましょう。>まあさん
さっそくありがとうございます。明治世相編年辞典の記事の元ネタの一部と
思われるのは、明治二四・一・五の読売新聞の記事で、ここには
一日から三日の客数、軽気球などの記事が載っています。アスファルトの
話はたぶん別の日か別の新聞の記事からなのでしょうね。うーん、また
国会図書館でマイクロ回すしかないかなあ。ともあれ、未見の事実が
またわかってありがたい限りです。
アスファルト工事の記事ですが以下の本から引用しています。明治世相編年辞典(東京堂出版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4490103840/t/249-0887697-6170752この本、昭和40年代に初版が発行された本で新装版として現在も
大きい書店などにもおかれていることがあります。(値段3800円・税抜)アスファルト工事の記事についてこの本では以下のように触れられています。
(一部、細馬さんの本の第二階の記事とも重複します。)
明治世相編年辞典(新装版)
(明治24年1月、P.314より)【凌雲閣の初日の出】 1月1日 凌雲閣初日の出遙拝の
ため午前5時より開場す。凌雲閣の図画に略歴を挟み入り
した石版摺りを一日五千枚を限り三ガ日の間呈し、この間
余興として数百の軽気球に電話券と登閣券とをつけて掲げ
た。4日までにその券を届け出たもの一枚のみ、他は多く
拾いとる時奪い合って破れたらしい。三日間の登閣者二万
三百余名。4日には九階で清楽の合奏を催した。この頃凌
雲閣の建物は、風の激しい日は振動して、煉瓦を付着させ
ている石灰が落ち雨漏りがするので、アスファルト工事を
施すこととなった。
僕も神戸にいました。ペギオさんと飲んでました。
「浅草十二階」を絶賛して絶対買って読むべきだと進言しておきました(笑)
>まあさん
おっとまた新しい話が。十二階落成直後にアスファルト工事をしたというお話、
もし出所がわかりましたら御教示下さい。
耐震工事を行なったというのは、たぶん、明治二七年の地震後のことでしょうか。
ピサの斜塔の倒壊防止工事が完了されたというニュースが
今日流されています。11月には実際に登って見ることが
できるとのこと。
まずは、地元の名所の復活といったところでしょうか?それにしても、倒壊防止の工事という点では、これを上回るのは
明治時代の建物の高さで日本一、そしてその危険度も日本一といわれた
十二階。落成されてまもなく、雨漏りがするというのでアスファルト工事を行ったり
また耐震工事を行ったりしたものの、建物が揺れるという話や、棒倒しよろしく
どちらの方向に倒れるかという悪い噂もされた日本版「ピサの斜塔」。文明開化で無秩序にもたらされた輸入品や技術、そして建物建材として
使われたれんが。大震災で日本で使われる建材の真価が問われる格好になった
わけで、十二階が消えたことは、ただ海外から輸入しているだけでは駄目だと
いう、目で見える文明開化の終焉を告げる出来事といえるのかもしれません。けれども、いまだに明治後期や大正時代の風景に実際に目の当たり
にしてなくても郷愁を感じたり、今でも駅やマンションなどに
多く使われているれんがタイルの貼られた建物を見ると文明開化の
断片を感じ、コンクリートのぶっきらぼうな建物よりも、温かみを
感じる色のれんがタイルの建物に親しみを感じたりもするわけです。
zinkというまんが喫茶からお送りしております。
かとうれいこ写真集改訂版「愛してくれますか」
柏原芳恵写真集などを背にアクセス中。名古屋の
テレビ塔はじつにひとけがなく、正しい塔の内部
でありました。
小島さん、お知らせどうもです。
明日は名古屋、猿投山のおかげで富士山が見えない(「日本の高塔」参照)
と評判のタワーにのぼってくるかなあ。
「探検コム」からリンクを張らせていただきました。
リンクフリーとありましたが、一応ご報告しておきます。
東京タワーに登っタワー。とは寒空はだかの名作、「東京タワーの歌」。
テレビ塔なんだけど、なぜかろう人形館があったりして、妙に塔の下世話
さが残ってるあたりが好きな塔です。「遊びのある鉄骨は一本もない」という話、
逆に考えると、333mという数字合わせのような高さにはほとんど
実用的な必然性がなく(たぶん、330mでも320mでもよかった
んだと思いますが)、つまり、高さに必然性はないが、高さを実現
するための必然性はある、という点がすごい、と思います。一昨日、長浜タワーという塔の下の飲み屋で飲んで来たんですが、
このとってつけたような塔の趣き、けしてキライになれない感じです。
>以上から、7+14+14+16+16+16+16+16+16+8+12+4=155枚とはじいてみました。どんなもんでしょう。普通の人だと十二階の窓はどの階も1つの角に窓が2つずつあるようにしか思わないでしょう。
しかし、たかだか1a(アール)ほどの広さの建物に150以上も窓があるということは
やはり当時はすごいことだったのかもしれないですね。
さて、十二階はもともとは十階建て予定だった建物が建設途中で設計の変更が行われて
結果として十二層の建物になったといういきさつがありますが(後には高さのごまかしも)、戦後に立てられた東京タワーも実は建設の途中で設計の変更が行われた建物なのだそうです。
現在、東京タワーは333mの電波塔、そして都内いたるところから見渡せる観光地ですが
実は本当は380mの高塔になる予定だったのだそうです。では、なぜ途中で変更になったのか?
東京タワーは先のとおり在京の放送局の送信塔として建設されましたが、送信塔の先端の
ぶれが1.5度以内に収まるようにという放送技術関係からの指示があり(ぶれによる画質等の劣化を
懸念してのことだと思いますが)本来300mの塔部+80mのアンテナのところを塔部を
253mにつめて建設されたということです。
ただ、省くところを省いて創ればいいと思うかもしれませんが、やはりそういうことはなく
膨大な積算処理を再度行ったそうです。
(おそらく地震発生時の建物固有の共振問題なども考慮しているのでしょう。
設計では東京タワーの鉄骨はエッフェル塔と違い、遊びのある鉄骨は1本もないといいます。)※番組本 NHK「プロジェクトX 挑戦者たち〈4〉男たちの飽くなき闘い」
●東京タワー 恋人たちの戦い 世界一のテレビ塔建設333メートルの難工事 より
http://www.nhk-book.co.jp/cgi-bin/store/detail_book.asp?webcode=00805722001去年には入場者1億3千万人を超え、国民1人が1回は登った計算になる東京タワー。
考えてみると本当は現在より約50mも高かったはずであり、十二階ほどの高さをつめて
帳尻を合わせることができる技術を見るとやはり時代を感じさせます。
>まあさん
うーん、いつもながら新しい視点、感服する次第。
窓の数を数えあげるというのは思いつきませんでした。写真絵葉書からすると、1Fには入口が一面、2Fにはこの入口の屋根が一面をおおっていて、さらに3Fには「凌雲閣」の看板が掲げられて屋根の上に出る出入り口がひとつあります。
というわけで、1F=7, 2-3F=14, 4-9F=16, 10F=8といったところでしょうか。むずかしいのは11Fと12Fで、まず11Fには円窓が一面おきに四面あって、これが全体の調子に変化を与えています。円窓の下の四角いのは、小窓つきの出入り口なのかもしれませんがディティールは不明。仮にこれが正しいとして、四面は円窓+小窓、四面は四角い窓ということで、多めに考えても11F=12でしょうか。12Fにはどうやら一面おきにアーチ型の出入口らしきものが写っていますが、小窓等のディティールは不明。仮にこの出入口の上部が窓だとすると、12F=4。
以上から、7+14+14+16+16+16+16+16+16+8+12+4=155枚とはじいてみました。どんなもんでしょう。