ご無沙汰しております。以前映像をお知らせしました佐々木です。
今回はトーシンという企業のCMにちらりと12階のアニメーション
が出ています。このCMはテレビ東京で日曜日22時から放送してい
ます『プラチナチケット』の中で見ることが出来ます。
http://www.tohshin.co.jp/cm.html
12階の映像、拝見させていただきました。
あの映像はよく観ますが、特に六区の映像なんかドキドキしてしまいます。
そういえば、私もついこの間、江戸東京博物館には行ってきました。
なんか12階関係のものが沢山ありましたね。あのレンガには泣けます。
昨日、電車と自転車乗り間違えて、気がついたら電車に乗っていて、
浅草に行ってました(笑)
英国在住の清水氏がイースター休暇で一時帰国して。ちょっとお願いしていた調査の結果を教えてくれました。コナン・ドイルが十二階の設計者バルトン氏の叔母さんの家(リバートンバンクハウス)に住んでいたということは、ドイルがエジンバラで選挙に立候補した時の候補者紹介記事(1900年9月28日付 エジンバライブニングディスパッチ紙)に出ていました。コピーももらいましたが、英国のコピーは最悪で、薄くて判読困難なため、いずれどこかでキレイなコピーを入手します。
オンライン上に大正期の映像があって、この中にちらと十二階が出てきます。
ネット上のキャプションには「大正8年」となっているのですが、
映像に出てくる浅草六区の映画タイトル「三好清海」「四谷怪談」「少年書記」
などからすると、どうも大正十二年、関東大震災の年である可能性があります。
だとすれば、十二階に福助看板があるはずなのですが、映像には看板は
写っていません。このあたりもう少し調査してみます。
http://www-out.mirai.kome100.ne.jp/CEC/syakai/eizou/t3/idxtaisyo1.htm
>春光さん
栗島すみ子の似顔絵を描く小学生!いやはや同級生はどういう反応を
していたのでしょうか。助六の人形を毎月買ってこられるという曾祖母さんの
お話、なんともいえない気分になります。仲見世の観音様に近いところにある
あの店の人形はどれも小ぶりで愛らしくて、ひとつずつ増えていくのが大切で
楽しいような出来ですね。
柏野さん<
あいや、じつはこの土曜日に江戸東京博物館にいったところなのですが、その
記事、見逃しておりました。あの博物館は月に一度くらいのペースで常設も
展示替えをしているそうで、いまの展示は凌雲閣双六の錦絵がどーんと飾って
あって見応えがあります。個人的には十二階手ぬぐいが泣けました。
mimiさん<
ようこそ。写真技師の方を連れて見物、というのはたいへん特別な日だった
のかもしれませんね。絵葉書や写真集の写真は見たことがあるものの、十二階
の写っている記念写真、というのは未だ見かけたことがありません。もし発見
されたらぜひ大事になさってください。
十二階の景色を覚えておられる方にはなかなかお会いできなくなってきました。
こちらこそお祖母様の思い出をご披露いただきありがとうございます。
こんばんわ。今日はじめてこのHPにおじゃましました。
30年近く前に亡くなった祖母がよく十二階の話をしていたのをふと思い出して
検索エンジンから立ち寄ってみました。
祖母がまだ幼い頃、ねえやさんに背負われて十二階の展望台まで上がって見た光景は
一生忘れられなかったようです。品川の海や千葉の山までよく見えたと言ってました。
祖母は十二階の前で家族で撮った写真を大切にしてましたが、いまはどこへいったやら・・・
写真技師を連れて家族全員で見物よろしく出かけたのだそうです。
祖母にとって幸せな古き良き時代だったのだと思います。
模倣した仁丹塔ができたときは「あんなの十二階じゃないよ。もっと立派だったさ」と
かなりおかんむりだったのを思い出します。思い出のひとときをありがとうございました。
4月18日付都内版「TOKYOホームページ」欄に連載されている「江戸博 蔵めぐり」で「凌雲閣の絵葉書 1890年」「急変する東京の姿伝える」と題して紹介していました。執筆者は江戸東京博物館学芸員の橋本由起子さんです。
今年で高校2年になりました(笑)今日は中山歌子という女優のことを調べる
のに学校休んで図書館に行ってました(笑)
もう、こういうことには人生かけてます。
最初は幼稚園の時からなんですけど、ひばりさんなんです。
今ももちろん大好きですけど、それからどんどんと古くなっていって、
小学5、6年頃には栗島すみ子の似顔絵書いてたり、高峰三枝子がどうだ、
淡谷先生がああだ、田谷力三がこうだなんて話したり、SPレコードや
ブロマイドなども集めはじめました。
なので、松井千枝子も勿論知ってはいましたが、そんなに気にはなって
いませんでした。
ですけど、中2の時、原宿の骨董市で見つけた大正15年の「映画界」って いう雑誌のグラビアで微笑んでいる彼女を見てしまって、目覚めたんです。
それから、ずっと千枝子千枝子で4年もたってしまったんですね、早いものです。
世界唯一の松井千枝子ファンというんでしょうか、世界最年少の松井千枝子
ファンっていうんでしょうか。もう知ってる人なんかいませんからね。
浅草オペラの方でも最年少の研究家って言われてます。
浅草通いは、なんか何時の間にか身についていました。
私の曾祖母は一昨年に97で亡くなったのですが、5年くらいまでは毎月
観音様へお参りに行って、行く度に助六で人形を買って来るのが楽しみ
だったそうです。
田谷力三の舞台を観たり、それこそ戦前の山田五十鈴さんの映画なども
浅草で観たと言っていました。
それから絵葉書のとこを拝見していて気付いたんですけど、明治43年の
「物言ふ活動大写真」の幟が移ってる六区の絵葉書、同じもので色彩が
されていないものを持っていました。
春光さん<
いやはやそんなにお若いとは。
どんな経緯で松井千枝子に、というのも気になるところです。
よろしければご披露くださいな。それにしても、
雑誌蒲田を二冊持ってる高校生ってたぶん他にいないのでは。
頼もしい限りです。
そうですよね、化粧が同じですからね。
きっと、その栗島すみ子、昭和3年の舞台からだと思います。
栗島すみ子は大正13年の結婚以降、太ってしまっているんですよね(余計なお世話)。
松井千枝子の方がはるかに美しさは上なのに、早く亡くなってしまったために、
知る人がいなくなってしまいました。それが残念です。
私は隠していたことがあります、実は高校生です。
春光さん<
ありゃ、栗島すみ子さんでしたか。
見比べてみたのですが、うーん、メイクが似てるので
区別が難しい(慣れると簡単なんでしょうか)。
ともあれ以後よろしくお願いします。
おはようございます。
私もブロマイド、浅草オペラの歌劇女優、サイレントの邦画専門(蒲田 専門)に集めています。
私は「蒲田」は2册しか持っていなかったので新しい写真が朝から見れて
興奮しております(笑)
ブロマイドですが、それは栗島すみ子といいます。
同じ蒲田にいた女優で「女王」と言われていた方です。
見せていただきましてありがとうございました。
こんな話ができるとは思ってもみませんでした。
どうぞ、お仲間に入れて下さい。
どうぞ、よろしくお願いします。
そういえば、映画俳優の絵葉書やブロマイドが何枚か手元に
あるのですが、女性の顔の区別に疎いせいで、どれが誰の
ものだがさっぱりわからない現状であります。
下記にそのうちの一枚をリンクしますが、これってもしかして
松井千枝子さんだったりするでしょうか(自信なし)。
じつは松井千枝子のことをほとんど知らず、浅草出身だという
ことも初めて知りました。さきほど日本映画データベースで
検索してみると「浅草行進曲」(小唄映画でしょうか)という
作品にも出演していて、これも気になるところです。あれこれ
ご教示下さい。
手元に雑誌「蒲田」の5周年特別号というのがあり、雨ざらしで
表紙も取れているのですが、幸い松井千枝子の写真のページは
残っていました。下記にスキャン画像をアップします。ご参考
までに。
「浅草の灯」で検索してやってきました。
はじめまして、浅草の戦前芸能を研究しています、春光と申します。
12階に昇ったという人の聞き書きを読んで、曾祖母から12階に昇った
ことがあるということや、関東大震災の時に12階が倒れるのを見たと
いうのを聞いたのを思い出しました。
私は宇都宮に住んでいるのですが、暇があると浅草に行き観音様から
橋場の方まで散歩したりします。
私は浅草オペラや、もちろん戦前の浅草の絵葉書なんかも集めたりして
います。
私は最近、浅草生まれの女優・松井千枝子という人の足跡を辿ろうと
思い、橋場の墓、出身の浅草小学校、第一高女跡(跡というのも変なの
ですが)などに行こうかと考えています。それで今、明治32年頃の浅草
の地図と、昭和4年頃の蒲田の地図なんかを探しているので、今度神保町
にでも行って調べてこようかと思っています。
また来週にでも行くつもりです。
浅草の雰囲気が漂うこのページ、気に入りましたのでまた来たいと思います。
ぼくのほうはしばらく紙もの買いはおあずけ。
今日も巻町の骨董やさんにふらっと入りましたが、
茶器を眺めながらお茶をいただき世間話をして出てきました。
物欲は桜の下に埋めました。また生えてくるかもしれないけど。
なぜか。濃尾地震写真集の初版が空振りだったため、えいっと気合をいれて、小川一真写真・マードック解説の「Nikko district」を米国の古書店から買ったのですが、約十五万円と、とてつもなく高い値段だったからです。この本は、割と神保町で見かけたのですが、せいぜい6〜10万円までだったように思います。悲しい、悲しい・・・・・・。我ながら馬鹿じゃないかと反省しています。やはり先祖の行いが悪かったのでしょうか。なお同写真集には、小川以外に、バルトンの写真が5枚、弟子の有藤金太郎の写真が7枚収録されています。前向きに考えよっと。
のぞきからくりの話ですが、もはや連載状態になってきました。
ご興味のある方は以下のページをどうぞ。病こうじて、明日また
新潟に行って来ます。
石井さん<
本とコンピューター、エーピーピーのCD-ROMの話や、ぼくが最近私淑しつつある
樋口覚氏の「日本人の帽子」の話などもあり、けっこうお得な内容でした。
あやめさんプロジェクト、ぼちぼちといきましょう。
庶民さん<
過去の新聞の効率よい検索はじつに悩みの種で、たぶん国会図書館のマイクロフィルム
を回しすぎて目を悪くした研究者は何人もいるんじゃないかと思います。最近では、
次第に縮刷版が出るようになり、都新聞が(まだ途中ですが)大正期のものまで
印刷物として読めるという、昔からすれば夢のような状況にはなりつつありますが、
この夢、さらに前進されるとよいなと思います。
「夕刊中央新聞」の“雛妓(おしゃく)日誌”が連載のような感じなのですが、この新聞を調べないと判らないようです。先日も横浜にある新聞博物館に行ったのですが、ここでもそれほど多くの新聞がマイクロフィルムで見られるわけではありません。
実は、今手元に昭和初期と思われる新聞の切抜きのスクラップを持っていますが、新聞の名称と日付が不明です。これを調べるために新聞博物館に行ったのですが、判りませんでした。日本では、日本で発行された新聞の過去を調べるのは極めて困難だとわかりました。国として、どこか一箇所で日本で発行された新聞の全てを把握できるところを作るべきと思いました。
・・・を拝見しました。「あやめさん」に関する細馬さんの発言で座談会が締めになっているのですね。プレッシャーだなあ、まあ頑張ります。それにしても、この雑誌は随分と楽しい構成になったのですね、これからゆっくり拝見します。
十二階とはちょっとずれるのですが、新潟県巻町ののぞきからくりを見てきました。
発見多数。やはり実物を見るといっきょにいろいろわかります。
石井さん<
うわあ、その時期はもろに仕事なので行くのは無理そうですが、しかし「東京製本倶楽部」とは
気になる倶楽部です。
剛田さん<
どうもです。江戸東京博、じょじょに喜多川コレクションが登場なんでしょうか。また
保存状態のいい十二階の錦絵をおがみに行こうかと思います。
庶民さん<
ようこそ。夕方中央新聞、未見でした。「雛妓(おしゃく)日誌」、魅力的なタイトルです。
連載なんでしょうか。浅草国技館は明治45年2月にできたので、明治45年版の写真帳には
撮影が間に合ったかどうか微妙なところですね。
初めての投稿です。よろしくお願いします。明治時代の東京に興味を持っています。徐々にですがそれらしいものを収集しています。この掲示板へは、“浅草国技館”というキーワードで到達しました。大正元年11月27日付け「夕刊中央新聞」の第2面の“雛妓(おしゃく)日誌”という記事の中に浅草国技館が出てまいりました。12kai BBSでは浅草国技館の見事な姿を見ることが出来ます。「日本写真帖」(明治45年版)では、殆ど見ることができませんでした。
ごぶさたしております。江戸博の常設展示の展示コーナーに「盛り場浅草」(5月11日まで)があり、喜多川コレクションの「凌雲閣機繪双六」などの十二階版画や絵葉書が結構展示されております。また、企画展の「江戸東京ものがたり」(30日まで)にも喜多川コレクションの桜の絵葉書が多数展示されており、十二階も1枚ありました。
十二階とは関係ないのですが、4月8日(火)〜13日(日)、目黒区美術館区民ギャラリーで、「第2回東京製本倶楽部展 つくる本、みつめる本」が開催されます。私が買った、バルトン写真・マードック文の珍本『あやめさん』を修理してくださった書籍修復家・近藤理恵さんが出品されますので、ちょっと告知させて頂きました。
詳細はhttp://bookbinding.jpから
>細馬さま
お返事有難うございます。
過去ログ読ませていただきました。
菅野力夫様の情報が分かるとは、ネット様様ですねぇ。
しかも、同郷(福島県郡山)の先輩とは!
本業は古書漁りですが、絵葉書もいささか集めておりますので、これから覗かせて頂ければと思っております。失礼致します。
白土拝
菅野力夫に関して、まだまとまったことを言えるわけではないのですが、
この掲示板の過去ログ#12以降にいくつか菅野氏に関する話題があがっています。
縁故の方も書き込んでおられるのでご覧下さい。
菅野力夫絵葉書については、何か新しいシリーズに出会えばと思って
いるのですが、なかなか果たせません。
初めてお邪魔させていただきます。
私、白土と申します。菅野力夫の名前をWEBで見つけまして、喜びのあまり書き込みさせていただきました。
もしかしたら、既にお知りかもしれませんが、その辺はどうかご容赦を。
菅野力夫はどうやら「力行会」に関係している様ですね。
「力行会」は明治30年にキリスト教徒である「島貫兵太夫」の設立した団体で、海外移民・渡航者の指導と調査を目的にした団体で、現在も活動しております。
設立者の島貫兵太夫は福島県出身ですので、菅野力夫と同郷の仲であったのかもしれません。
したがって、菅野力夫は移民の研究の為に世界旅行をしたのではないでしょうか?無論、あの自己主張ぶりは、それだけではないでしょうが・・・・・・。
明治の探検家には中村直吉や中村春吉のような人もいるので、そういった埋もれた探検家の一人だと思います。
あと、「蒙古王」で名高い佐々木照山とも関係していたらしいのですが、そっちの繋がりは調査しきれていません。
突然のお邪魔で失礼いたしました。
白土拝
という本が出ました。東京の古写真・絵葉書がコンパクトにまとめられて
見通しのよい本です。これを片手に東京を歩くと楽しさ倍増。ぼくが以前
差し上げたお手紙まで紹介されてます。うわあ、こんな若造の手紙を取り上
げていただけるなんて・・・(涙)。
新美さん<
初三郎の地図は、山の向こうが見えてしまうというのが魅力で、
京都の地図なのに比叡山の向こうに琵琶湖が見えてたりすると、
何か自分のうしろあたまを見てしまったような不思議な感じがします。
京都での所用の帰りに京都文化博物館で「男も女も装身具」という展覧会を見て来ました。それ以外の常設展で特別展示もありまして、「吉田初三郎の描いた京都」というものでした。特に比叡山の360度のパノラマの図(手で回せる)というのが面白かったです。
今回の東京行きでは石井さんのおかげで「聖潮」の浅草号を入手。いくつかめぼしい記事を
アップしようと考えております。それから、小門勝二の私家版「玻璃紅燈」。こちらは
浅草国技館が建ったあとの十二階のシルエットが影絵風に描かれており、十二階下の
記述もちらほら。例によって小門氏の思い入れを織り込みながら文章は迷走していく
のですが、その中にも松崎天民「淪落の女」や映画「お初地蔵」といった十二階の
未見文献が登場し、また図書館に行く用事が増えました。
「日本の古本屋」などネットのカタログでこれはと思うやつを注文すると
「すでに在庫切れです」と返信メールをもらうことがあって、これがいかにもタッチの
差で逃した感じがして悔しいです。
好戦的記事が載りがちなスコッツマンですが、いまどんな記事が載ってるんだろう。
細馬様 東京ではお疲れ様でした。んで、事後報告ですが、私が買おうと思っていた写真集は、念のため電話で問い合わせましたら、既に売れてしまっていました。凹みました。いつ売れたのか問い質そうかと思いましたが、力が抜けて電話を切りました。きっと、目録の管理ミスで、とっくに売れていたのでせう。
まあ珍品のコスモ・イネス教授(バルトンの母方の祖父)の伝記は、日曜日の発注から、驚くなかれ4日で米国メリーランド州から到着。状態はよし、梱包も丁寧で、今日はようやく立ち直りました。
佐々木さん<
十二階の位置、ご指摘のとおりだと思います。幸楽は十二階の中心から見てやや北西にあたります。
幸楽が十二階跡としてよく挙げられるのは、この店を改装の際に地面を掘り返した際に
十二階のレンガがたくさん出土したことに由来するのではないかと思います。
APPソフトですが、じつはぼくは入手して、HDにいれていつも持ち歩いてます。
これ、東京にいるときに地図がわりになるのでなかなか便利なんですよ。
しかも、宿で毎晩志ん生をはじめ落語や浪曲や講談をききながら眠れるという
ありがたさ。内容の充実ぶりからするとけして高くないです。(とはいえ、
まとまったお金ではありますが)
ちなみにAPPの小島さんがいま発売中の「本とコンピューター」の座談会に
出ています。この号、「浅草十二階計画」も出てきますんで、本屋で見かけたら
見てみてください。
下記ソフトのページを徘徊していましたところ特徴という
ページの中に浅草六区の地図を発見。クリックしてみました
ら大きくなり予想通り十二階が出ていました。この地図で見る
限りよく言われている現在の焼肉『幸楽』より台東病院の方が
跡地にふさわしいのではないかと思います。いかかでしょうか?
APP社HPのニュースに下記の様なニュースがあります。
これなら速攻で買えそうな値段なので悩みますますが
ソフトを買えば付録で付いているみたいですね。
『江戸東京芸能地図大鑑』の付録「復刻版 大正六年 東京演芸地図」
の単独発売を開始雑誌「新演芸」の付録として発行された演芸地図を
復刻しました。
大正6年2月現在の劇場、寄席、歌舞伎俳優・新派俳優の住まい、
狂言作家や演劇評論家の住まいまで網羅した大変貴重なものです。
ご注文はWeb Shopまで。 代金は3,675円(税込)、送料は弊社が負担
いたします。
皆さんお世話になります。
もう一つネタを今日、有楽町駅前のビックカメラ4階でPCソフトを見ている
ときふと発見したソフトの株式会社エーピーピーカンパニーの「江戸/東京
芸能地図大鑑」のパッケージにな・なんと十二階が描かれていました。
百聞は一見にしかず↓
http://www.app-beya.com/
内容的に昔の浅草六区地図等がありそうですが\15,800と
私のお小遣い的には高いのでパッケージを眺めるのみで
帰ってきました。
購入された方がおられれば内容等をフォローして頂きたい
と思います。
貴重な情報をありがとうございました。
動画拝見、うわあ、六区ののぼりの文字も見えますね。都新聞の広告をあたれば
何月かまで特定できそうです。
佐々木さん、はじめまして。東海道の古写真のサイトをやっております新美と申します。そういった関係で「日本橋」の古い写真はよく見たのですが、動画ははじめてで、とても興味深かったです。ありがとうございました。
細馬さん初めまして。佐々木と申します。
「浅草十二階」は楽しく読ませていただきました。
今までもここに伺っていましたが書かせていただくのは
初めてです。もう既に出てしまった寝たかもしれませんが
↓ここにある大正8年【大正時代の東京】映像に動く?
十二階が出てきます。
http://www-out.mirai.kome100.ne.jp/CEC/syakai/eizou/t3/idxtaisyo1.htm
動画直リン
http://www-out.mirai.kome100.ne.jp/CEC/syakai/eizou/t3/p-020.mpg
動くと言っても十二階は建物なので動きませんがひょうたん池の噴水と
木の枝が風に揺れていてその奥に十二階はあります。
また遊びに来ますのでこれからもよろしくお願いします。