ううむ、その喜多川氏の文章のニュアンス、気になるところですね。
ところで爆破時の人々の様子なのですが、その望月信一の文章は「人生玉転がし」に出てくる
爆破風景に近い感じです。
浅草紅団の「万歳」は、小説の中では「学校の屋上の人がいっせいに」行った
ものだとあるので、あるいは場所によっては違う光景が見られたのかもしれません。
フィクションの可能性もありますが、だとしても主人公の(「地震の娘」
と自らを表する)心象をなかなかうまく表しているように思います。
私はあの写真が花やしき前だとは、何となく言い切る気になれません。この「聖潮」にそう書いてあった云々という喜多川さんの書き方がちょっと引っかかるのです。喜多川さん自身はそう思っていなかったかもしれないので。
ちなみに「聖潮」には望月恒一と言う人(不明)が、「浅草漫歩」という一文を寄せていて、十二階爆破の有様を次のように書いています。
やがて轟然とした爆音と共に、赤つちやけた煙が天に沖したかと思ふと、軽い微風に煙が静かに北の方へ送られてしまつて、其の跡には、あの赤レンガの折塔が、みじんにくだけてゐた。人々は面白かつたともつかず、悲しかつたともつかず、さりとてうれしくも無い、奇妙な微笑を以つてお互いに顔を見合わせてゐた。むしろそれは冷笑に近かつた。いや反響の無い空虚な白痴の笑であつた。
・・・と書いています。「浅草紅団」の万歳三唱はなかったのでしょうか?
以前に剛田さんが書いてた「聖潮」ですね。明治二二年というと、井上安治が「浅草田圃」を描いた年。
あのだだっぴろい田圃の南には、あのようなハイカラな通りがあったとは。
・・・・・・を入手しました。大正14年発行ということで、これがまた、すごいヨレヨレ。状態が相当悪いのですが、以前掲示板で書いた、喜多川周之氏が『あやめさん』所収の花屋敷前としている写真について、同じ写真が同誌に掲載され、明治22年頃の浅草公園(花屋敷付近)とキャプションがついていることを確認しました。
日本スコットランド協会の課外活動(?)で「スコットランドを語る会」(別名ダベリ飲み会)の5月22日例会(夕方6時開始)で、「シャーロック・ホームズと明治の浅草」という滅茶苦茶なタイトルでお話をします。スコットランド人のバルトン氏を語ればいいのだろうと、簡単に考えていますが、さてどうなるか。まあ飲む方がメインの集まりです。
…秋葉原でアニメのDVDをドカ買いしているオタクのお兄さんたちに、日本経済を引っ張って行って欲しいもので。
あと常設展示コーナーの十二階模型の説明版で、バルトンの英文スペルがBartonになっていましたが、抗議したところBurtonに直っていました。メデタシメデタシ。
十二階ホルダー、気が付かなかったなあ。次回は買わなくては。
八百八町、ほんとに混んでましたね。ぼくもじつは版画のコーナーに
ずっと居て、メインの展示はさっと流してみたていど。だって人いきれで
辛かったし。じつはいま江戸ブームなのか?
…が江戸東京博物館のミュージアムショップ(常設展示階の方)で売っていました。1枚200円。買占めようかと思いましたが、自制して5枚だけにしました。こういうものが欲しかったのです。
しかしまあ、「大江戸八百八町」展の人出の凄さ。時代劇にかけるお年寄りの情熱には負けそうでした(いやコテンパンにやられました)。特に大岡越前と遠山の金さんコーナーの前が物凄いです。図録やグッズ、浮世絵の復刻、画集の類が飛ぶように売れていました。不景気は関係ないみたいです。喜多川コレクションは、老人力を感じずにゆっくり見られましたが、一部ではなく、ぜひ全貌を見たいものです。
高橋さんから教えていただいた展示を昨日見てきました。
2/9までです。
まずはコレクションの存在をアピールするといった感じの内容でしたが、
喜多川さんの蔵書があれこれ並んでるのを見るだけで、ぼくにとっては
思わず泣けてくる展示でした。「浅草の灯」は、戦前の新潮社版(昭和13年)だけでなく、
コバルト版(昭和21年)、田園社版(昭和24年)、東方社版(昭和31年)がずらり
そろっていて、喜多川さんがこの小説に対してもっておられた愛着がうかがい知れました。
特別展示の「大江戸八百八町展」や、その中で行われている広重の江戸百景の復刻もとても
おもしろかったです。
高橋さん<誤字 投稿者:高橋芳季 投稿日: 1月23日(木)01時02分15秒
ようこそ。江戸東京博、来週末に行く予定です。喜多川さんの展示はぜひ見なくては。
たぶん展示されているのは戦前の版ではないかと思います。
YMOのBGMは、最初に聴いたときに部屋のオーディオを変えることを決意する
くらいショックでした。これとテクノデリックはいまでもたまにかけることが
あります。
十二回ではなくて、十二階でした!
都内の大学で日本文学、特に近代文学を中心に勉強している大学二年生です。
今日、両国にある江戸東京博物館に行き、
初めて十二回という建物の存在を知って、興味を覚えまして、
検索したところこのサイトにたどり着きました。
まだコンテンツのすべてを読んでいないので、
これからじっくりと拝見しようと思っています。
・・・ご存知かもしれませんが今、
江戸東京博物館(http://www.edo-tokyo-museum.or.jp)では、
喜多川周之さんの所有している本のコレクション展を開催しています。
その中に表紙の絵は違いましたが「浅草の火」もありました。
生澤さんのことを知ることができるかはわかりませんが、何かがあるかもしれませんよ。
追伸 ブラジル音楽は素敵ですよね。私はボサノヴァよりかはMPBが好きで良く聴きます。
マルコスヴァーリ、ローボルジェスがお気に入りです。今日は新宿のタワレコで再発されたY.M.O.『B.G.M.』を購入、聴いています。
長文御免なさい。
細馬です。新年からなかなか更新できなくてすいません。
先日、神田にちょっとだけ寄った折に、「浅草の灯」の戦後に出た版を
入手しました。よい表紙なので書影をアップしておきます。
絵は生澤朗。ネットで検索をかけたところ戦後の乱歩本などの装幀をされている
ことがわかりましたが、
残念ながら詳しいプロフィールはまだわかっていません。
どなたかご存じの方ご教示を。
細馬 様
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。
皆様のご支援にささえられて少しずつ十二階の知識をふやしてまいりました。本年もよろしくおねがいいたします。
小島さん<
大阪ではどうもでした。ヤフオクの絵葉書、未入手のものでしたが、
高い! 絵葉書一枚に万単位はたくなんてどうかしてるなあ。
少しアングルは違いますが、「十二階の看板」の絵葉書が、近い
ものを写しています。下記参照。
というわけで、今年も暮れます。来年もよろしくお願いします。
細馬さんこんにちは、大阪ではありがとうございました。
ところで、この写真、僕ははじめて見たんですが、
けっこう珍しいものなんでしょうか?
うってます、じかんかかりすぎ。透かし絵葉書談話室、おかげさまで盛況でした。クリスマスらしい展示ですのでお近くにこられるかたはおたちよりを。
どうも反応が鈍くてすみません。
こういうときはたいていさまざまな考えに頭をふさがれてる状態なのです。
石井さん<
祝あやめさん復帰。「地理」じつは立ち読みしたのですが、買うにいたらず。
衛生会のCDROM、激安ですねー。うちから国会図書館に行く片道料金以下
ではないですか。ぼくも買おう。
新美さん<
じつは週末に所用で名古屋に行くのです。タワーズビルに寄っていこうかな。
初三郎、別冊太陽の特集は決定版という感じで、図版も充実してました。
雑誌『地理』(古今書院発行)12月号はスコットランド特集です。「日本の近代化とスコットランド人」(稲永丈夫著)にバルトンも登場しています。
ちなみに『あやめさん』の修理が終わり、本として完全復活しました。製本家の近藤理恵さんには、本当にお世話になりました。彼女は本の名医です。
えー、私仕事の関係で、名古屋駅にあるタワーズビルの、51Fの展望台の、パノラマハウスという所に良く行きます。ここの眺めはとても良く、眼下に「吉田初三郎の鳥瞰図」さながらの景色を目の当たりにすることが出来ます。
ところで、「内部を周遊し、頂上の展望を楽しむ」という構造の建築物は、江戸時代各地にあった、「栄螺堂」が12階の先輩格になろうかと思います。(北斎も広重も浮世絵に描いています)それで、HPを検索したら、ありました。今でも昔のままのものが残っているんですねー。
http://www3.gateway.ne.jp/~kanihei5/sazae.html
日本公衆衛生協会で、「大日本私立衛生会」明治大正編のCD-ROMをゲットしました。11枚組み、15000円でした。見出しキーワード検索が出来ますので、ちょっと便利。見易さは国会図書館のマイクロと同じぐらいですね。プリントアウトも出来ます(うちのコピーの束をどうしよう)。
それと、書き込みするのを忘れていましたが、江崎礼二の墓の写真を撮って来ました。こういうのは無断で公表していいのでしょうか? 大丈夫ならメールします。
問題は福原庄七です。頭がおかしくなって行方不明との説もありますが、どんなものだか。
突然回線が切断され、さっきまで書き込もうとした文章が消えてしまいました。
森田一朗編『明治フラッシュバック4 サーカス』の写真12が、「あやめさん」の時代と近いと思います。あれ、あと何を書こうとおもったんだっけ。思い出したら、また書き込みます。取り急ぎ。
花屋敷前の絵葉書写真とあやめさん写真を較べるべく
下記のようなページを作ってみました。ご意見求む。
石井さん<
うーん、そうですね。阿久根氏の記述、明治二十年代の青木の浅草営業に関しては
ちょっとぼくもわかりにくいと思ってます。写真が遅くとも明治25年撮影だとして、
このときには少なくともノボリが立つほどには
青木が興業を行っていたわけで、これがはたして「太閤館」という常打ち小屋だったのか、
それとも仮の小屋だったのか気にかかるところ。
「浅草細見」(の方ですよね)に載ってますね、あやめさん写真。右側前方に池が見えない
加減から常磐座前と判断してあるのでしょうか。すごいです。
で、あやめさん259ページですが(下記URL参照)、この右側の半円屋根のついた
写真掲示板、これ、しばしば花屋敷の東側に映り込んでるやつと同じなんでしょうか。
とすれば、この写真の右にある建物はご指摘通り、花屋敷の東向かいにある写真屋と
いうことになりますね。撮影カメラはおそらく花屋敷東門のある辻に置かれて、北向き
に撮影した、と。「聖潮」は未見です。
例の阿久根巌氏の著書には、第一共盛館の以前は太閤館で、青木の玉乗りはその頃からだったとする文献が引用されていますが、阿久根氏は時代が合わないと否定しています。この辺のロジックがよく分からないんですが。
なお『浅草双紙』には「あやめさん」のP137の写真が掲載されており、常盤座前としています。あれで常盤座と分かるなんて、すごい。なおなお、「あやめ」収録写真の解題データがもうじき(とりあえず)整理できますが、『写真新報』の口絵にP10(ヨット)、P33(三崎の夕景)、P40(鎌倉大仏)が掲載されていました。また結構な点数の写真が、金兵衛アルバムの彩色写真として販売されていたことも分かっています。
喜多川周之「十二階拾い書き」のバルトン写真集解説で、『聖潮』という雑誌に言及されていますが、この文献はご覧になりましたか? 浅草花やしきの写真屋前というのは、あやめさんのP259の写真ではありますまいか??
石井さん<
あやめさん所収の明治二十年代の写真、後の大勝館前だとすると、
青木の玉乗りは案外にはやくから第一共盛館の場所で玉乗りをしてたことになりますね。
話題を共有すべく、その「青木滝治郎」の名の見える写真のスキャン画像をアップします。
下記URL。(同じ画像の小さいのは、あやめざんの部分訳にも入ってます。
とりあえず、十二階に関連する部分を訳してアップしました。リンク参照。
解説を書こうとして、ハタとマードックとバルトン、一真の交友関係に
ついてほとんど知らないことに気づきました。うーん、これも宿題か。
『あやめさん』のうち、青木の玉乗りの前から十二階を撮影した写真は、いろいろな専門家に見てもらいましたが、やはり現在の大勝館前でよさそうです。
浅草文庫の錦絵の展示説明で、観音様の屋根にはしごがかかっているのは何故か知っていたら教えてとありましたので、とりあえず『あやめさん』の観音様の写真を見せましたが、来年十二月の浅草回顧展の時に貸して欲しいと言われました。どんな展覧会になるか、いまから楽しみです。
わたくしもついにあやめさん入手しました(石井さん感謝!)
とりあえず十二階関連部分をざっと読みました。
場面が冬なのになぜか写真は夏。
冬なのに百美人が催されている。
百美人を見にエレベーターで上っていく。
といったあたりがいかにもフィクションらしいですが、しかし、ちゃんと
十二階からの眺めや中の様子が描かれており、なかなか資料としておもしろい
内容です。