富山に行って来ました。仕事のついでに県立図書館で、明治26年の「北陸政論」を調べたところ、次の記事を見つけました。
▲皿を叩て踊りを扶く 一昨夜日新楼の懇親会席上に於てバルトン氏は日本酒を痛飲し一杯機嫌の廻りし頃は同楼小富女郎の手を取りて踊りを始め尚ほ島田書記官をも促して踊らしめしに島田氏は初めの程は面白そうにバルトン氏と共々踊り跳ねたりして居たるも余まり六ヶしさに何時か別席へ避けし跡は同席に相並ひし高田熊野の面々其の相手となり皿を叩て踊りを扶くるな等只管らバルトン氏の歓心を求め居られし体に額を病ましめ居たる人さへありしと云ふ(8月21日付)
なお、バルトンは山梨でも踊りを踊っています。踊りはどうやらスコットランドのダンスだったようです。
はじめまして、紫苑と申します。
自転車で浅草に行く事が出来る場所に住んでいても、
あまり興味を惹かれませんでした。
明治時代が好きでいろいろ調べるうちに
「浅草十二階」に出会い、こちらに参りました。
私の高校の先生が言っていたのですが、
十二階のエレベーターから人が落ちた事があるというのです。
なんでもその落ちた方は十二階の開業式に招かれていたお医者さんで、
エレベーターから降りる際に足を滑らせて仕舞われたと聞いています。
それでエレベーターの運転が止まってしまったと教えてもらいました。
真偽の程は分かりかねますが、細馬さんはご存知でしたか?
お久しぶりです。テプコ浅草館は思ったより地味ですが、良いですよね。今度、十二階とのプリクラはまだ撮っていませんが、人のあんまりいませんし、人目を気にせずに撮れそうですね。
浅草文庫の江戸っ子っぽい叔父様の口調がいい感じです。
12階の煉瓦も展示してあったり、エレベーターの前に凌雲閣の門があったりと工夫してますよね。あえて言うなら12階建てにしてほしかったです。
プリクラですが、昨年行ったときに撮りました。
大の大人が一人で撮ると物悲しいであります。
テプコには浅草文庫が入っていて、浅草関係の
資料がたいへん充実してます。大正期の浅草の店名が
正確に分かる地図もあって便利。ここと台東区立図書館
でかなり浅草には詳しくなれます。
本当に拙い絵ですが、ぜひ見てやって下さい。
BBSの過去ログをまだ全部拝見していないのですが、国際通りをちょっと奥に入った所にある『テプコ浅草』では十二階入りのプリクラがとれます。ミーハーですが、話題になっていなかったようなのでちょっと・・・
伊庭さん<
お目に止まり幸いです。十二階の絵、よろしければ拝見したいです。
仁丹塔跡は土台もなくなりサビシイ外観になっていますが、今度できる
コンビニの前にもしかすると仁丹塔跡の掲示ができるかもしれないとの
噂を聞きました。
今日は江戸東京博の「東京たてもの博」最終日に行ってきました。
段ボールを多用した展示がぐっときました。
初めまして、伊庭 薫(いば・かおる)と申します。古い記憶の中にある浅草、十二階のある浅草を懐かしんで、趣味で(その上拙い技術で・・・)漫画などを描いています。昭和41年生まれなのでもちろん本物の十二階は知らないはずなのですが、凌雲閣の写真を目にする度、『懐かしい』という気持ちになってしまいます。ナゼなのかは長らく謎だったのですが、いろいろ資料を調べるうち、どうやら、バス通りに建っていた『仁丹塔』の現物を見ていたらしいと気付きました。浅草へは自転車で十五分のキョリに住んでいましたので。機会がある度にいろいろな検索エンジンで『凌雲閣・浅草十二階』をサーチしてみるのですが、この度、このページを拝見させて頂いてたいへん参考になり、また、凌雲閣に魅力を感じていらっしゃる方が私の他にもこんなにもいらっしゃるのを知って、大感激いたしました。不勉強ゆえ、細馬先生の御著書をまだ拝読していないのですが、さっそく書店へ向かいます。私なりの十二階のある風景を描いた作品が完成しましたら、恥ずかしながら見ていただきたいな、とも思っております。ご迷惑でなければ・・・。
週刊新潮見ました。ばっちり十二階が写っております。
ひとつ残念なのは、この写真、国技館時代のものではなくて
遊楽館時代のものです。くわしくは下記URLを。
孫さん<
お気づかいありがとうございます。というわけで、力太郎さん、
直接お問い合わせを。
移転後はじめて台東区図書館に行ってきましたが、パラダイスでした。
(少なくともぼくには)
力太郎さん。もし、墓所をお知りになりたかったらご足労ですがメールを下さい。
誠に有り難い事でもあり、祖父も喜ぶとは思いますが、公の場では失礼にもあたり(何分個人的な事なので)、こちらの管理人様にもご迷惑をお掛けする事になろうかと思います。
菅野力夫さんのお墓を一度見てみたいのですが、郡山にあるのですか、都内にあるのですか。差支えがなければお教えください。
柏野さん<
情報ありがとうございます。さっそくいまからコンビニに向かいます。
孫さん<
はじめまして。
なんとお孫さんに書き込んでいただくとは思っておりませんでした。
絵葉書の肖像を手がかりにあれこれ好き勝手なことを書いております。
ご親族の方からすれば失礼に響くであろう書き方の箇所もありますが、
どうぞご容赦のほどを。あらためて勉強させていただきます。
初めて書き込みさせていただきます。
みなさんは絵葉書愛好家ですか?それとも古き時代の愛好家ですか。
世の中は狭いものだとしりました。
何気なくマウスを動かしていたらこのHPに!祖父が!!。
菅野力夫は僕のおじいちゃんです。明治二十年二月九日に生まれ、
昭和三十八年三月十二日、七十八歳(胃癌の為)で郡山にて亡くなりました。
勿論僕は、写真でしか顔を見た事はありません。
けれど、父より(ひとりっ子)おじいちゃんの話は聞かされて育ちました。
この掲示板には胡散臭いなどと書かれてありましたが、五尺八寸の巨漢眼光爛々音吐明朗、
しかもお洒落な人で、国家機密の為に働いた人です。
明治44年シナ第一革命(孫文)勃発したとき、頭山満氏に随伴してシナに渡り大和民族海外飛躍の急勢を痛感し、爾来三十年征旅に出たそうです。
言ってみれば日本志士(現、右翼とは全く違います)です。よって当時の政界、財界、文化人などとの交流があり、多くの「為書き」の書をもらっております。胡散臭くはありません(笑)。
フィリピン、満州、蒙古、南北シナ、タイ、ビルマ、インド、アフリカ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコなどなどを辛酸をなめつつ「植民地的資料追求」の為に征旅しました。
また帰国すると、軍隊や男女中学校の為に踏破地の実情を獅子吼し、日本民族の海外発展の精神振興と愛国の思想を植え付けました(ブラジル・ハワイ移民の為に力をかした。この事は二十年前ぐらいの白百合小学校の社会科の教科書にも掲載されている)。
その功績大なりと、当時の福島県知事(宮田光雄)が、一文を載せた墓碑が立っています。
戦前は杉並区高円寺に居住していましたが、疎開のため郡山に移るとき総てを売り払い、
日本人の大勢がそうであったように、敗戦によって生活が変りました。
僕のおじいちゃん(菅野力夫)は、今でも僕の家の玄関に肖像画が掲げられ、家族から礼拝されております。
今になって、みなさんが調査するとは、まさかおじいちゃんも思ってはいなかったでしょう。
草葉の陰で笑っているかもしれませんね。
『週刊新潮』のモノクログラビアの最終ページに「フォト アウトサイダー」という連載がありますが、今週号(1月17日号)は「明治45年 浅草にできた国技館」で、傍らに浅草十二階も写っています。
剛田さん、あけましておめでとうございます。
昨年はあれこれ文献を教えていただいて一気に知見が広がりました。
今年もよろしくお願いします。
夢二の十二階、「浅草双紙」に何点か出ているものの、元の絵を
見たことがなかったので個人的に要チェックです。週末は東京だな。
非常にごぶさたしてます。
現在竹久夢二美術館(東京都文京区弥生)で「夢二が描いた女と街展」が開催されています。夢二が描いた東京、京都、会津、欧米などがあり、浅草もそれに含まれ、十二階が描かれているものもあります。併設されている弥生美術館では「おすもうさん展」もやっています。先月行ったのですが、江戸博と江戸東京たてもの園(小金井)で開かれている「東京建築展」でも十二階関係のものが出ています。たてもの園では喜多川周之氏旧蔵であろうものがあり、江戸博では、橋の絵葉書や東京の地図が「喜多川周史」氏寄贈となっていました。下町風俗資料館の展示もなかなかよかったです。
12kai.comも無事年を越しました。
この掲示板を開設してからいろいろな方から思わぬ新知見をいただき、
おかげさまで十二階の世界はますます深化しつつあります。
本年もよろしくお願いいたします。
年末からヒマを見つけては立て版古の図面を引き直しているのですが、
もう少し完成まで時間がかかりそうです。うまく行けばイラストレーター
ファイルで公開、と行きたいところです。とりあえず近未来の抱負でした。
メールアドレスを変更しました。
なお「水道公論」2000年8月号をご覧くださった方には、新資料発見につき、メアリー・バートン(バルトンの叔母、コナン・ドイルの里親)の没年について、訂正します。彼女が亡くなったのは、1909年3月19日、アバディーンにて。インタビューでは、クエーカー教徒ではないと否定していますが、フレンド派の信徒だったとする資料もあります。バルトンファミリーの実像に、じわじわ輪が狭まっている感じがします。
私の乱歩人形の撮影にも使えそうです!
写真では日記に書いてあるほど不恰好な塔には見えませんよ。
いいなぁ。3次元化の魅力。
最近私は潜水艦にこっていて、でも3次元構成能力には長けて
いないので造形師さんのお世話になっています。
ガレージキットディーラーで検索すると結構請負ってくれる
人が見つかりますよ。蛇足ながら。
というわけで、単行本サイズの十二階を作ってみました。
下記写真をどうぞ。
以前からの懸案だった立て版古製作にとりかかりました。
とりあえず九階まで立ちました。玄関が難しい。
連休を利用していくつか参考文献の追加。長いです。
十二階開設当初の記事(1)・十二階開設当初の記事(2)「国民新聞」の記事から。
梅坊主数奇伝「うきよ」の記事から。
十二階爆破計画塚本靖に関する情報を追加。