剛田さん<
仕事で結局東京出張はキャンセル。
古書会館に毎週通う生活が理想ですが、現在はほど遠い。
伊庭さん<
十二階にのぼったことのある方、たぶん現在東京にお住まいの人
以外にもおられるんでしょうね。千葉とはなあ。
enoさん<
というわけで、まだ川崎未見です。3月にはなんとか。
週刊新潮の紹介ページも確認してきました。
展示してあるのとやっぱり同じですね。
……と思ったら、いやいや、Webに載っているものとは違います。
会期途中で一部展示入れ替えをするそうなので、
後半に展示予定の絵なのかもしれません
(受付の人もいつ入れ替えをするのか聞いていないそうですが)。
行ってきました。
週刊新潮のほうは未見ですが、はっきりと十二階をテーマとした絵は
一枚だけだったので、多分同じものでしょう。
「画作兼印刷発行人渡辺忠久 東京浅草凌雲閣真景 明治23年」という
クレジットがありました。
小川一真の「東京百美人」も一枚展示があります。
十二階関連はこれだけか……と思ったら、なにげに置かれたステレオビューワーを発見。覗き込んでみると、
ここにも万国実体写真協会作成の十二階ステレオ写真が。
ステレオ写真に興味がないと見過ごしてしまいそうなところにありました。
作品の保護のため展示室内の照明がかなり落としてあって、
チラシに載っているような鮮やかな色調が確認しにくいのが残念です。
チケット売場の隅にポスターが丸めて置いてあり、
「ご自由にお持ちください」と書いてあるので、ゲットしておくと
本来の色合いがよくわかるでしょう。
福井さま
朝日新聞をとっていながら、気付きませんでした。
いらっしゃるんですねえ・・・私の祖母(故人)は明治・品川生まれの南千住(荒川区)
育ち、年代的に建っている十二階を知っているわけで、それだけでカンドウしていたのに。
また、その後の半生もまるで小説のようで・・・明治生まれはそれだけで尊敬に値すると
思ってしまう私です。
前述の「古通」に紹介されている、十二階崩壊後の特集号について。『新潮』大正14.11「浅草号」、『浅草街』昭和6年1月創刊号、『実業之日本』昭和7年「盛り場の王者浅草」(2カ月)など。
川崎市市民ミュージアムは幸運にも招待券が手に入ったので、近日中に行くつもりです(なくても行くでしょうが)。
ついでに今日から3月3日まで、サンシャインシティ4階で大古本まつりをやっています。
週刊新潮みました。ディティールはわからないけど、洋画風の版画で
気になる十二階像ですね。川崎市市民ミュージアムはいかなくっちゃ。
石井さん<
うーん、写真美術館のツテがだめとなると
ぼくもちょっと思いつかないです。すいません。どなたかヘルプ。
enoさん<
おっとこれはカラーだ。新潮のとちょっと構図も違うような(キノセイ?)
福井さん<
え、それ気づきませんでした。やっぱり新聞はとるべきなのか。販売店に
行ってきます。
2月21日付け朝日新聞朝刊の家庭面で,「ひととき」欄に「浅草十二階のこと」と題して千葉県にお住まいの88歳の女性が思い出を書いておられます。もうお読みになられた方もおありかと思いますが、お知らせします。
川崎市市民ミュージアムのWebで、
小さいながらも十二階版画の画像がアップされてます。
開業間もない頃のようです。
この展覧会、印刷フェチにはたまらないですね。
「古書、新聞、雑誌の挿絵、石版画、木版画、写真、地図、ポスター、看板、
川崎や橘樹郡関係資料、南武鉄道関係資料、ベロ藍陶器、民具、出土遺物等、
そのコレクションは多岐に渡っています。」
ぜひ行かなくっちゃ。
バルトンの著書BURTON'S MODERN PHOTOGRAPHY、OPTICS FOR PHOTOGRAPHERSの2冊が到着しました。前者は、1894年の軽装版で、裏表紙が取れボロボロ、遠からずバラバラになるでしょう。修理したいのですが、写真美術館図書室で紹介された業者は、決算前で年度内一杯忙しいとのこと。しかし本は、時々刻々崩壊しており、緊急の修復が必要です。どなたか腕のいい製本家(修復関係)をご存知の方がおられましたら、連絡先を教えてください。
採点の季節。ああ、なんぼレポート見ても終らん。
剛田さん<
週末は調査で東京です。「恋愛」ゲットなるか。
吉本さん<
テキサス、たぶん学会にデンして即帰ってくることになりそうです。
YARD DOG、メモメモ。
小島さん<
週刊新潮の連載、毎回いいテーマとってきますねー。またコンビニでチェックしなくちゃ。
吉本さん<
クインビー・ザ・マウスのGIFアニメ、いいですねー。画像の荒れ具合も。
そういえば、幻燈もジミー・コリガンには出てきました。幻燈の種板(スライド)
も、複数の絵で成り立っている。コリガンはゾートロープ、スライド、フリップブックなど、
複数の画像の並んだメディアにすごくインスパイアされて、あの反復の多いコミックを
書いてるんじゃないかと思います。
石井さん<
わ、次々と新情報が。土木技師の道って、エジンバラではけっこうポピュラーな就職方法
だったんでしょうか。でもって、台東区議会で凌雲閣復活計画。うーん、現在のあの高層
だらけの浅草ではたしてどの程度効果的かって問題はありますねー。それに塔は、まちがい
なくさびれますからね。
悠宇さん<
とつぜんですがユーミンの曲に「指が痛いほど残らずダイヤルしたけど」という
歌詞があるのを思い出しました。これたぶん80年代初頭かなー。少し後の曲に
「ルルル、と3回鳴らして切ったら」というのもあったなあ。ユーミン=電話共進化。
昨年2月26日の台東区議会の議事録に、十二階のことが出てきます。十二階復元を要望する議員の質問に、区長が様々な角度から検討すると述べています。
http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/omit/gijiroku/honkaigi/hon130226.htm
http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/omit/gijiroku/honkaigi/hon130226.htm
日記を拝読していて、オネアミスの翼と銀河鉄道の夜のお話を、懐かしく感じました。
当方、銀河鉄道の夜を小学校の教室で観、色彩の美しさとその詩情に圧倒され(冒頭の、時計の振り子のように揺れる小学校の俯瞰図で、まず引き込まれました)、オネ翼はテレビ放映されたのをビデオで録画して、何度も観返し、高校受験を前に押しつぶされかけたときにも観返し、主人公のラスト近くのセリフに居間のソファーの上で涙した……という記憶があります。森本レオと坂本龍一を初めて知った作品でもあります。
電話のベル……、私は辛うじて記憶してます。「呼び出し音をサンプリング」で思い出したのですが、「ツインシグナル」という漫画です。舞台は、人間と見た目の変わらないロボットが動き回っている遠い未来です。サイバーネット上に電子図書館があるのですが、そこのロビーの電話(実は図書館管理用AI専用の直通回線)が、「じーころ」とダイヤルを回し、「じりりんりん」と鳴り、そして「ちん」と切るという、古色蒼然とした代物で……。遊び心が感じられて非常に好きなところなのですが、……高校生以下の読者は、現物を生活の中では見ていないわけで。掲載誌は小学生の読者も居る少年誌であったので。機会があれば、年若い友人に、その辺りを聞いてみたいと思います。
調子が悪くて、余計なことばかりしてくれます。勝手に一部の文章がコピーされていました。正しくは、you may be an engineer, but I don't think you may ever be a civil one.です。スミマセン。
コナン・ドイルの自叙伝“Memories and Adventures”が到着。幼少期、バルトン一家との交流や、リバートンバンク時代のことが、何も書いてないので、一部のクレージーなドイル研究者は、エリア51に宇宙人の死体があると主張するUFO研究家のように、ドイルは真実を隠蔽したと言張っていますが、強いてバルトンと関係づければ、ドイルも寄宿学校時代、土木技師志望だったと述べている点でしょうか。
One master, when I told him that I thought of being a civil engineer, remarked, "Well, Doyle,you may be an engineer, but I don't think you may be an engineer, but I don't think you will ever be a civil one."
技師にはなっても、Civil(礼儀正しい)者にはならないと茶化されて、土木技師志望をやめた由。まあドイルが土木技師にならなかったお陰で、後年シャーロック・ホームズが生まれたと言うことが出来ますね。
ここが十二階の掲示板であることを承知しながら、番外の書込みを決行してしまい、みなさま、どうも失礼致しました。これからも拝見させていただきますので、どうぞ、よろしくおねがいします。
でも、凌雲閣ではシカゴ博覧会風景が幻燈・ジオラマなどで展覧されていたそうですし、そのシカゴ万博のポストカードを見て、コミックの背景に描き込んだのが若きクリス・ウェア。つながります ... よね。
で、ご存じかもしれませんが、よろしければ、
http://orion.it.luc.edu/~dcihla/ware.htm
に、いつか誰かがやりかねないと思っていたのですが、まさにクインビーが視覚玩具化されていますので、ごらんください。ちょっとおあそびといった感じなのですけれど。
では、お邪魔せていただき、どうも、ありがとうございました。
吉本さん<
ようこそ。
クリス・ウェア、直接十二階が出てくるじゃないんですが、
彼の本のおまけには、ゾートロープとか
パラパラマンガとかミュートスコープとかがでてきて
(それもほんと動きの間がいい)とにかく
オプチカルファン(というのか)にはたまらん人です。
昔の万博の話とかが出てくるのでよっぽど年の人かと思ったら
意外に若いのでそれもびっくり。
突然、書込ませていただきますが、失礼致します。細馬さんの日記で、クリス・ウェアのACMEの新しい号について、触れておられたので、つい嬉しくなってしまいました。ウェアの面白さは、十二階の世界と十分に繋がるものでもありますし、そうでなくても、凄いページですので、時々覗かせていただいておりました。それで、一度、お礼の書込みをさせていただくことにしました。
玉村さん<
その志茂町の煙突、ぼくも1月に赤羽に行った折に間近で見てきました。
煙突のわりには高すぎるところが異様。「日本の高塔」(兵頭二十八・小松直之)
に、都内の清掃局の煙突をさして「これらに共通する外見的特徴は、
一見煙突とは見えぬこと」というスルドイ指摘がありますが、まさに同感。
石井さん<
十二階にバルトン激怒、の原因としてはエレベータの設置もあがってたりしますね。
でも、また聞きの話だからなあ。給水塔のデザインとしては、あの木造二階はなんか
余計な感じがするんですがどんなもんでしょう。灯台なら灯台守のいる上階を作る
必要があるんだけど、給水塔って見張り塔の機能はないので、特に上階に凝る必然性
はないような。
逆にいえば、眺望塔としての十二階を設計するなら、給水塔には不必要な上階を
あえてデザインする、ってことはありそうです。
@バルトンは十二階に関して、激怒していたと遺族が証言していますが、具体的に、十二階の何に怒っていたかが、本によってマチマチです。果たして、何について怒ったのか?
Aバルトンは、地震国における給水塔(高層建築物の一種)の建設に懐疑的であった。とすると、レンガ造十階建ての高層建造物を設計しただろうか? ちなみに、同書で紹介されている上海の給水塔(地震国でも可能としているもの)は、鉄だけで出来ており、十二階と似ても似つかないものです。事によると、バルトンの原案は、全然違ったものだったかもしれない。例えばもっと低くて、レンガ8階+木造2階ぐらいのものだったのではないか……。
B蛇足ながらバルトンは、同じページで紹介している、リバプールのレンガ造の給水塔について、the design is one of real beauty.と評しています。そうした感性の持ち主だけに、十二階のデザインに際して、木造の頭頂部をつけていなかった可能性も十分あります。…というわけで、前回の投書はただの推理で、文献的裏づけはこれからです。が、バルトンがもっていた十二階の図面は、焼けてしまってないのですが…。
細馬さん
三定にある十二階の絵はそれです!まさにそのHPです。ありがとうございました。
以前から電車から見える北区にある謎の「コンクリートの塔」が気になっていました。八角形の塔で煉瓦色に塗ったらまるで12階みたい。やっとその謎が解けましたのでその写真が載っているHPを見つけました、清掃局の塔らしいです。
如何ですか?ちょっと12階を連想しませんか?
http://carnation-web.com/yabe/en/kita.html
おお、ついに入手されましたか>The water supply
その上海の給水塔は十二階に似てるんでしょうか。
十二階が当初10階建を計画していたことは、建設前のいくつかの
記事から推測されるのですが、この10階建というのが、8+2という
構造を目指していたのか、10階建の煉瓦造りというのを意味していたのか
気になるところです。たぶん石井さんには何か心当たりがおありなんだと
思いますが、そこんところもう少し教えていただけるとありがたいです。
バルトンの著書The Water Supply of Towns and Construction of the Waterworksが届きました。以前alibrisというオンライン書店に注文した本は、結局行方不明で、改めてデボンシャーの別の古書店に注文したものです。しかしまあ、重い。1.5キロはありそうです。
それで給水塔の項目(P.136)を見ますと、概ね次のようなことが書いてあります。
…地震国において、給水塔は出来れば避けられるべきである…頭が重い構造なので、地震の際、ひっくりかえってしまうかもしれないからだ。…地震国で給水塔を建てなければならないのなら、タンクの支持部は錬鉄のみでつくられるのがベストであろう…
同書には、上海の鉄製の給水塔の図版も掲載されています。バルトンはミルンの地震学会の会員であり、濃尾地震の調査以前に、磐梯山噴火調査も行っており、地震には詳しかった一人。高層建築物を安易につくる人ではなかったと言えます。想像するに、十二階の設計に当たって、コンドル門下の辰野金吾教授とも相談し、レンガ造八階+木造二階ならば、大地震でも大丈夫ということで設計したものの、施主側が勝手に、大阪の凌雲閣との競争上、レンガ十階+木造二階としてしまったのではないでしょうか? 普段温和なバルトンが、十二階に関して激怒したというのも、そうした安全への配慮を欠いた施主の姿勢があったからでは?
細馬さま
地下鉄タワーの記事、ありがとう御座いました。
大変参考になりました。
ゴードンさん<
じつはかねてから掲載しようと思っていたのですが、
いい機会なので添田唖蝉坊の地下鉄ビルの文章をアップしました。
地下鉄ビルの画像もありますのでご参考までに。下記リンクです。
ゴードンさん<ようこそ
地下鉄タワーですが、添田唖蝉坊がずばり「地下鉄タワー」という
文章を書いていたと思います。手元にタワーの絵はがきもあったと
思いますんで、あとでさがしてみます。
浅草十ニ階計画管理人様、並びに閲覧者様
私、コロンビア大学で日本文学を専攻しています、ゴードンと申します。
只今、川端康成の「浅草紅団」に関する修士論文を執筆中なのですが、その中で登場する浅草雷門ビル(作中では「地下鉄食堂」、「花川戸ビル」などと呼ばれています。)の資料を探しています。どなたかこのビルに関してご存知のこと、また入手可能な資料のことなどご存知でしたら、教えていただけませんでしょうか。不躾なお願いで申し訳ありません。
ぼくも見覚えあります。というわけで検索をかけたら、あ、
みつかりました。これでは?↓
三定、じつはぼくもまだ入ったことがありません。
以前HPで検索をしていたら浅草の老舗の天ぷら屋さん「三定」に作者不詳?の十二階の絵が飾ってあるというのを見た事があるんですが、そのHPがどうも見当たらないのです。
暗めの配色でひょうたん池の側から眺めた描いたような絵でした。
いつか「三定」に行って見ようと思っているんですが、何方かご覧になった事ある方いらっしゃいますか?「三定」も本店、支店と何件かあるそうなので、どこに飾ってあるのかが謎。
雷門の側のお店で入り口が開いた隙に、覗いたんですが見れませんでした。タダでは見れないって事ですね。
玉村さん<
浅草文庫で係をやっておられる方々はどなたも親切で、ぼくは
ずいぶんお世話になっております。いやほんとにあそこはパラダイス。
紫苑さん<
ようこそ。自転車で浅草!うらやましい限りです。ぼくも、浅草に
行くとレンタサイクルであちこち駆け回ります。
その、開業式で足を滑らせたお医者さんの話は初耳です。うーん、
さらに開業当時の新聞を調べる必要ありかも?
石井さん<
わははは、
「余まり六ヶしさに何時か別席へ避けし」ってとこがいいですね。
誰もついていけないバルトンの酔いっぷり。