乱歩「活弁志願記」
凌雲子「浅草公園廻り」
に関する記事をあげました。
後者は「十二階の看板」とあわせて読むと当時の閣内が忍ばれます。
えー、師走ということでちょっとコメントが滞ってますが
先日また資料館に行き、いくつか新しい資料を入手してまいりました。
開館当時の話や明治中期の話について、いくつか新たなHTMLを作れる
と思います。お楽しみに。
>明治文庫は1週間ほど前に行って来ました。外骨のCDロムを見るだけならば、
>閲覧希望書(住所、氏名、所属(大学名、電話番号、閲覧対象、閲覧目的等を
>記したもの、私はその場で手書きで書きました。)を提出すれば見せてくれます。
あ、そうなっていましたか。
閲覧室の中に入るのでなければ紹介状はいらないんですね。情報ありがとうございます。
CD-ROMでいつでも見られる外骨。いい時代になったものです。
eno様
>明治文庫まで行けば閲覧できますが、東大の教官・関係者の紹介状が必要です。
明治文庫は1週間ほど前に行って来ました。外骨のCDロムを見るだけならば、
閲覧希望書(住所、氏名、所属(大学名、電話番号、閲覧対象、閲覧目的等を
記したもの、私はその場で手書きで書きました。)を提出すれば見せてくれます。
所属といっても「在野の身」ではそういうものはないので会社名を書いて
おきました。
地下1回の入り口のところにパソコンが置かれていてそこで閲覧しました。
細馬様
菅野ものを見ましたが、よく見られるものでした。あまり時間が無かったので
詳しくは見ませんでしたが・・・。数もそんなに沢山なかったようでしたが。
鉱山ものも何枚かありましたが、あまり古いものはないようです。
まあしかし、外骨の絵葉書アルバムは完全に一点きりで、
他の著作のように何百部、何千部単位で印刷されたものではないですから。
旧来のアカデミズムではあまり顧みられなかった「編集」という手法の価値が認められ、
明治文庫の中で静かに朽ち果てていくかと思われていたコレクションが
明治文庫の外でも見られるようになった、というだけで
十分価値のあるCD-ROMではあるのです。
外骨マニアや研究者を集めて共同購入しようかしら。
ぼくも以前からHPを見てヨダレを垂らしていたところですが、
ちょっと手が出ない値段ですねー。表書きの記載が見当たらない
ところも、絵葉書好きとしてはちょっと不満(それともCD−ROM
のどこかに入ってるのかな)。菅野ものもあるらしいですが、どんな
のが入ってるんでしょうか。
明治文庫でCD-ROMを見せてもらいましたが、よくできていましたよ。
絵葉書もさることながら、絵葉書を貼ってあるアルバムの損傷が激しいので
このCD-ROMをもって原資料は閲覧不可とするそうです。
絵葉書をテーマ別に並べた外骨の編集手法そのものが所蔵物として
扱われていますから、アルバムから一枚だけを取り出すわけにはいかないのですね。
撮影とデータ化の手間を考えたら、88万円はむしろ安いです。
明治文庫まで行けば閲覧できますが、東大の教官・関係者の紹介状が必要です。
しばらく前には「人民日報CD-ROM」(46年分全収録、1セット92枚組、194万円)
というものもありました。恐ろしいことに全部画像ファイルでした。
東大の明治新聞雑誌文庫に所蔵されている、宮武外骨が蒐集した絵葉書2万8000
枚が、総て高画質でCD-ROM化されます。
絵葉書マニアなら垂涎のモノですけれど、その値段が、なんと88万円!。
対象が図書館など公的機関や研究者なのでしょうが、それにしてもこの値段では一
般庶民は手も足も出ませんね。
詳しくは下記まで。
http://www.keiyou.co.jp/gaikotsu/index.htm
例の新聞記事で、十二階のエレベーターを製造したとされている石川島造船所ですが、複数の文献を当たったところ、お雇外国人がいた形跡が見当たりません。これはただの勘ですが、シーメンス説が有望であるような気がします。本国に記録が残っていないものでしょうかね。もちろんOTIS説も、同社が社史でそう書いているのなら、無視は出来ませんが。どちらにせよ文献を探せば、決着することで、前者は日本同様、ドイツも戦争で焼け野原になっていますから、期待できないかもしれませんが、少なくとも後者なら、何か記録があるのでは??
理知さん<どうもです。
私、大阪の阪急とJRから見えるフジテックの実験塔には
上ったことあります。有名な「コインテスト」(10円玉を床に
立てて上昇下降中に倒れるかどうかを調べるやつ)を目の当たりに
しました。
ところで、理知さんのお話はたぶん、フジテックの社史を調べよう
として全く別の会社である富士電機の社史を調べてたら、ケスラーの
名前があったって話ですよね。
石井さん<
Otis説とSiemens説、ちと検討の必要あり、かもです。11日に会場で
オーティスの話をしておられた方にもちょっとあたってみたいと思って
ます。
福井さん<
ようこそ。この前HEPの観覧車に乗ってきました。あのじわじわ動く
遅さはいいですね。止まらないところが気に入りました。でも音楽が・・・
上野の観覧車はどうも二台あったらしいのですが、だとするとあと一台は
どこにいったのかもじつは謎です。
柏野さん、細馬さん
あたたかいコメントありがとうございました。日本初の観覧車が明治39年に大阪でだったというのは大発見というより、石井研堂の「明治事物起原」で指摘されていたことを、当時の新聞で裏付けたにすぎません。最初は上野の観覧車が初と思い、それを追っていました。その過程で探検コムというHPを主催の小島さんより「明治事物起原」のことをお聞きして、それを検証しただけです。小島さんは以前(8月14日付け)にこの掲示板で私に代わって、上野の観覧車のその後を行方を聞いてくださっています。その折は細馬さんよりの小栗虫太郎の「絶景万国博覧会」に出てくる観覧車の情報、ありがとうございました。探検コムに今回の大阪の観覧車の写真と、観覧車を含んだ戦勝記念博覧会のイラスト(ともにマイクロフィルムからコピーしたものです。)が出ていますので、新聞でごらんになるチャンスが無かった方は是非どうぞ!
ん、ん? 『来日西洋人名事典』のケスレルの項には、「のち1923年の古河系の富士電機製造株式会社設立にケスレルと古河の出会いが大きな影響を与えた。」とあります。いいのでは? 十二階建設当時、既にシーメンスの技師が日本にいたとすると、当時の財界との結びつきがあって、電気式エレベーターを売り込んだのかも知れない……と思いついた訳ですが、あわてもんは私かなあ。
皆様、はじめまして
石井貴志さま。ヘルマン・ケスラーでしたら富士電機の社史にも記述が
ありましたよ。というのも富士電機とフジテック(エレベータメーカー)を
間違えたからなのです。あわてもんですな。
『来日西洋人名事典』によりますと、1887年7月にシーメンス・ウント・ハルスケ社の日本駐在員として、ケスレル(Kessler)というドイツ人技師が来日しました。足尾銅山の操業電化、電力輸送、電気製銅の提案をし、古河鉱業発展に貢献したとあります。十二階のエレベーターと何か関係があるかもしれません。石川島造船所にも外国人技師がいたはずなのですが、同書には記載されていませんので、別の文献を調べておきます。ご参考まで。
いや、じつは「日露」だけしか読めなくて、いったい
なにが書いてあるのかひどく気になってたのですが、日露戦争
ジヲラマとは。ありがとうございます。16項目ってのはたぶん場面を
記してあるんでしょうか。
ぼくも「十二階前の看板」と同じ絵はがきを持っています。ただしぼくのは、彩色されておらず、画面の右が、もう少し写っており、日露戦争寫○○シヲラマと16項目(判読困難?)が書いてあります。
ちと風邪でダウンしておりました。
電気エレベーターの登場について、11日にうろおぼえで話したので
ちょっと間違っておりました。正確には次のような順序で登場した
ようです。
(ネタ本はElavators through the ages/ M. Poisson & M. de L'ormeraie)
1880 Siemens and Hulstieが世界初の電気エレベーターをマンハイムの
工業博覧会で展示。
1887 William Baxter Juniorがバルチモアに電気エレベーターを世界で初めて「設置」
1889 オーティスがDesmarestに世界最初の商用電気エレベーターを設置
・・・とくしくもパリ万博の年に電気エレベーターが世界で初めて商用化された
ということになります。十二階はその翌年にすでに電気エレベーターを設置した
わけですが、開発1年目のオーティスが果して日本に早々とエレベーターを
輸出したのかどうか。
一日のうちにいろいろなことがあって動転しております。
ご挨拶が遅れましたが、
さくらいさん<
ようこそ。天声人語に載ったので、これで本の売れ行きアップ?などと
現世的なことをついつい考えております。
悠宇さん<
いえいえ、マンガの話もどうぞ。告白しますと、私、「エレベーター界」
というエレベーター業界紙に「マンガに登場するエレベーター」という
話を書いたことがありまして、十二階やエレベーターの出てくるマンガ
には目がないのです。
浅草細見、いい本ですよね。これと浅草双紙(浅草の会発行)にはずいぶん
いろいろなことを教わりました。おそらくは十二階を研究しておられた
喜多川周之さんや写真研究家の石黒敬章さんなどのコレクションがずいぶん
掲載されているのだと思います。浅草双紙には竹久夢二の描いた十二階の
スケッチがたくさん掲載されていて、これまた十二階ファンには垂涎の本です。
喜多川さんはこのページでも紹介しておりますが、日本有数の絵葉書コレクターの
方で、十二階絵葉書もずいぶん持っておられました。その一部は江戸東京博物館の
カタログで見ることができます。十二階について何か知るたびに、喜多川さんの
後を追いかけているような気がしております。
まだホテルからです。
青木さん<
ご来場ありがとうございました。吉原に関しては、じつはぼくもまだ
ほんのとば口のところしか知らないのですが、花魁というだけでも単純に
ひとくくりにできない、さまざまな階層があったようで、そのあたり、これ
から勉強しなければ、というところです。一葉の「たけくらべ」も花魁の話
抜きには語れないところです。今日はすっとばしてしまいましたが、十二階の
そばに住まいながら十二階を仰ぐいとまもなかった一葉の話なども、また何かの
機会に書いたりお話したりできればと思っております。
こまさん<
おっとごぶさたです。もっとメールで宣伝すればよかった!
じつはぼくも麻ロープ説の裏はとれていなくてはたして
本当なのかどうか迷っていたところです。たぶん現在の説の
でどころのひとつは警視庁史で、ここに浅草のエレベーターを
停止させた理由として麻ロープ説があがっているらしいのです。
が、これも後年になって編集した話ですから、もしかしたら
途中で尾鰭がついているのかもしれません。国民新聞、未見でした。
また宿題ができちゃいました。
coaさん、たぶん会の終った後、卒論をやっておられるとお話されて
いたのがcoaさんですよね。よろしければ浅草のよもやま話など
またお聞かせ下さい。
講演お疲れ様です。工費の件、差し出がましいかと思いましたが、工費と使ったレンガの数を自家製のバルトン年譜(もう役に立ちません)に入力した記憶が蘇り、申し上げた次第です。人間は変な、ごくささいなことを覚えているものですね。
ところで、講演にエネルギーを得て、バルトン関係の切抜きを整理しはじめたのですが、あっさり挫折し、手元の明治23年7月24日付の「国民新聞」に掲載された「凌雲閣の記(つづき)」を読んだところ、次の記述がありました。
「昇降せしむる綱は鋼鉄の鎖にしてワヤロツプと称するものなり此器械の設計者は電燈会社の技師長藤岡市助氏にして之れが製造は石川島造船所なるが此は既に落成して取付ける計りとなる」
ということは、今日何人かの出席者の方が主張されたOTIS社製で麻縄というのは誤り?? まだ著書を読み返していませんので、私が何か勘違いしているのかもしれませんが、ご参考まで。
お隣の席で講演を録音していた女性がcoaさんという方だったのですか。掲示板の常連の皆さんも参加されていたのでしょうか?
講演お疲れさまでした&ありがとうございました。
貴重な絵葉書の資料も、興味深く拝見いたしました。
今日のお話は余さず録音させていただきましたので(!)
これからもう一度じっくり聞いてみようかと思います。
ちなみに卒論の内容は
「文学作品から浅草を読み解く」
といったような感じです。
今日の講演会のおかげで、滞り気味の卒論にも火がつきました。
細馬さん、みんとりさんの知り合い、宙知り合いでした、こまです。
ごぶさたしています〜。
実は本日の浅草凌雲閣の講座、細馬さんが話されたとあとで伝え聞いて、
びっくりしました。
そうかー、ほんとうにエレベの方だったのですか。知らなかった。
今回、細馬さんだとまーーーったく気付かなくて、
あたしったら秋葉原でラオックス行ったあと、
万世でステーキなぞ食べてて、聞き逃して、えらい後悔しています。
細馬さんの着眼点って面白そうなので、じっくり聞きたかった・・・。
それから、↓(7つ下の投稿)菅野力夫について、判明してきたのですね!
おお。続報を待て!といったところなようですが、時間をかけて徐々に
いろいろと判明していくって、喜ばしいことですね。
では、また。
朝日新聞の記事を見て参加した、今も十二階下に住む江戸っ子です。
お年寄りが多いかと思いましたが、結構若い人もいたりして良かったと思います。
関西人の細馬さんが何故、浅草に興味を持ったのか深くは知りませんが、再度講演会を
開いてほしいと感じました。
ところで、浅草の展示会見学者限定版として昭和48年に発行された「浅草細見」と
いう冊子に今日の講演会のほとんどは図版入りで載っておりました。
関心を持ったのは(まったく関係なく、当たり前のことですが)スキャナーを利用して
絵葉書を拡大して見るということが、あんなに良く分かるとは思いませんでした。
だぶん、ディスプレイもプラズマディスプレィを使用していたのではないかと思います。
細馬さんもあの場では、あえて議論を差し控えたものと思いますが、最後の質問の中に
「吉原に芸者はいない。女郎だ」と言った方がいましたが、あれは明らかに間違いですね。
今は商売をやめてしまった吉原・松葉屋の女将の本に書いてありました。芸者もいれば
花魁もいたのです。吉原=花魁(女郎)というのは、いかにも短絡的です。
私も郷土史に興味をもっており、資料も集めています。今日のような絵葉書の観察方法は
ためになりました。また、開催して下さい。
お疲れさまでした。
というわけで、さきほどホテルに戻って参りました。
はじめは時代屋さんと「10人ちょい?」とか言ってたのですが、
なんと60人以上の方にお集まりいただき、さらには十二階ゆかりの
方も何人かいらして、もうしゃべってるぼくの方が得した気分でした。
この掲示板を見て来られた方々にも感謝、です。
(石井さん、十二階工費フォローありがとうございました)
いつぞや、場違いかなあと思いつつも、浅草凌雲閣の出てくる漫画を二つほど紹介いたしました者です。あれから、殆ど毎日こそこそ伺っては、膨大なテクストをちびちびかじり読みしたり、言葉遊びのスクリプトで遊んだりしています。迷宮みたいなお宅ですねー……。楽しんでおります。
ところで、天声人語。なんだか十二階のことが出ているなあと思いつつ読んでいたら、こちら様のお名前が出ていてびっくりしましたー。
>給水塔の写真集
トレヴィル社が、数々の良い本と共に消え去って早や数年になりますね……。リプロポートも、ここ数年とんと見かけなくなりましたが、確かここも無くなったのでは……。どちらも、少女時代大好きな出版社だったので、淋しい限りです……。
11/10の天声人語が「十二階」の話だったので検索したらこちさのサイトがトップに表示されました。
自分としては十二階というのをはじめて知ったのでとても興味深く拝見いたしました。
これから東京入りです。
11/11、13:30から「浅草十二階」に関する講演です。
お暇な方はテプコ浅草館へどうぞ。当ページや単行本未掲載の
絵葉書も含め、できるだけ手持ちの図像を使ってお話をします。
イベント内容、地図などは下のリンクをたどって下さい。
石井さん<
給水塔ってけっこう妙な形のものが多いので
(オランダにはお城みたいなのがあちこちにありました)
十二階のルーツというのはありそうな話です。とはいえ、これも
文献で詰めていかなくてはいけないのですが。そういえばリブロポートだったか
トレヴィルだったかから、給水塔のいい写真集が出てましたが名前失念。
coaさん<
ようこそ。浅草で卒論、というのはどんな内容なんでしょう。
剛田さん<
菅野接近してますねー。第三回世界一周旅行の実況の袋には
ブラジル単身渡航の紹介もあったりして、移民奨励活動との
関係も気になるところであります。