萬世庵の裏

 僕の十三歳頃は家(うち)が公園内にありました。六区一号三十六七番地でした。六七とは変だと思って小供心にも尋ねたら、六番地と七番地に隣り合ってる家を一緒にして待合にしたんです。国境を跨いでいる訳です。池の畔の萬世庵の後ろです。当時は隣近所に銘酒屋(現在は玉の井へ全部移転)大弓場が四五軒並んであった。盛り場の事だから毎日喧嘩の二つや三つは無い事はない。よく隣りの伯父さん(銘酒屋の主人)が裸体になって喧嘩に飛び出すので、衣物を着ていた方が怪我がないのに何(ど)う云うんだろうと或時聞いた事が有りました。すると人間の心理として衣物の上からなら強く殴れもするし刃物で突きも出来るものだが、素肌に疵をつける事は余程の場合親の敵か色の敵、さなくば馬鹿か気狂でなければ仲々出来ない事、それ故喧嘩は裸体が一番安心なんだと聞きました。ハゝム成程。
 嘘も云い当ると云う事があるが、浅草の月刊新聞で出鱈目の嘘斗(ばか)り書いて出す面白い新聞があった。それに、十二階が今暁八階目より折れた、幸い死傷なしと云う記事が出た。吾々は面白い事をかくものだと感心したものだが、大震災の時出鱈目新聞の記事を履行して十二階(昭和座のある所)が本当に折れました。僕は現状を見た時、十何年前そんな新聞を花屋敷の楽屋で見た事があったなアと懐旧の念が深かった。

 「浅草の思ひ出」藤村秀夫(演劇新派 昭和十三年五月号p76より)

 演劇新派のこの号には「花形浅草の思ひ出」なる特集が掲載されている。花柳章太郎、大矢市次郎、伊志井寛など、いずれも震災前の浅草の思い出を語っており、十二階(下)の話もあちこちに出てくる。
 この藤村秀夫の談話では、「萬世庵の後ろ」が登場する。六区の通りに面していた萬世庵は、絵はがきにもしばしば映り込んでいるが、その裏の写真というのはいままでお目にかかったことがない。藤村秀夫の思い出は、その、見た事のない六区の裏に手が届くようで、そこに裸体の伯父さんが飛び出してくる、というのが楽しい。

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