次に、この写真の左端に写っている入母屋造りの建物に注目してみよう。これは江川玉乗りが明治三十四年末まで興行していた「清遊館」だ。清遊館は大正二年五月に「浅草館」に改造され、さらに大正五年二月には「キネマ倶楽部」となっていることがわかっている(『元祖・玉乗曲藝大一座』阿久根巖、ありな書房)。したがって、「清遊館」の写っているこの写真は、大正二年五月以前、ということになる。
参考までに、手元にある同じアングルの絵葉書を挙げておく。一番左に、入母屋造りの建物のかわりに、新たに四角い建築物が登場しているのが分かる。いっぽう国技館の看板はそのままだ。ということは、絵葉書[2]の撮影時期は、大正二年五月以降、大正三年四月以前、ということになる。
->(3)十二階演芸場を手がかりに
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