「凌雲閣開業式の模様」(国民新聞、明治二三年)より(1)



 午後に至ては招待員は直に登閣場に案内してエレベートルの昇降車に乗らしめ第八階停車場に送り而して式場に案内す。同閣の式場は十階にして午後二時四十分一道(だう)の狼烟を合図に招待員閣員等式場に列し同三時を以つて敷居を初めしが先づ同閣の起案者主任の福原庄七氏開業の旨趣を演べ次に工学博士バルトン氏同閣の設計を報告し次に伊澤土木工師同閣工事監督の旨を報告し其外電燈会社等の報告あり又は招待者の演説もありし終りに臨んで福原氏閣員総代として謝辞を述べて此式を終りしは三時三十分なり。(中略)今日は一般衆人の縦覧に供し昨日の如く奏楽、燈火、踊等ある筈なり。 (『国民新聞』明治二三年一一月一二日。旧漢字は随時改め、また原文に句読点を付した)



凌雲閣の開業の様子は当時のほとんどの新聞に記されているが、誰が挨拶したかが仔細に述べられている点でこの国民新聞の記事は貴重である。この記事が正しいとすれば、少なくとも公式には起案者は福原庄七、基本設計者はバルトン、土木工事監督は伊澤雄司であったことが伺い知れる。また、会は眺望室である十階で行われたこともここから分かる。また末尾から、十一日の開業式は招待客のみが登り、一般の縦覧は翌日だったことも分かる。

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