ぷうんと妙な香がした。
鼠啼きの音が四方から霰の様に聞えて来る。
例の街だな、と思つた。
軒燈が一列に並んで、ところどころ歯の欠けた様に黒くなつて居る。
ボクの体はまだ彼処(あそこ)の二階に居て、今歩いてゐるのは自分の魂の様だ。
向ふから中折れを被つた人が来て僕につきあたつた。『足元に気をつけねえ』と言った様な声がした。
頭の中に急にダイナモの動き始める音がした。『それや此方(こつち)の文句だい』と言つたのは、どうも僕の口の様であつた。
『あらけんかはお止しなさいよ。足長さんに手長さん。』
(中略)
ぷうんと妙な香がした。
下駄が足にひつかかつた。
『あら、ゆくぢや無いよ』と誰かが誰かを叱つてゐる声が遠くでする。
また、鼠啼きの音が草むらの虫の音の様にきこえる。
『あら、あぶない』と何処かで言つた。
足が楽になつて、背中がひやりとする。
幽霊の様な十二階の影がすうつと鼠色の空の中に立つて居る。
ぷうんとネゝツトの香がした
方寸第三巻八号(明治四二年一一月)より。高村光太郎というと、啄木よりずいぶん後の詩人のような気がしてしまうのだが、じつは明治一六年生まれで、三つ年上である。イギリス、パリからの帰国直後、まだ本格的な詩作に入る前に書かれたもの。
例の街、とは十二階下のことで、銘酒屋や新聞縦覧所の多くは、二階に寝場所があったので、「彼処(あそこ)の二階」ということになる。
最初読んだときは「ぶうんと妙な音がした」と読み間違えて、まるでドグラマグラのようだと思ったが、よくみたら「ぷうん」で「香」だった。
途中、ダイナモの音がする。「うなり独楽」の様な音もする。どうもただの読み間違えではなかったらしい。嗅ぎ薬のように繰り返し妙な香がして、あたりを探る手がかりは音である。くらがりの中で香と音は「見えないものを見、聞こえないものを聞く」。
十二階下のすぐそばには牛鍋の米久がある。米久の二階ではすべてが肉の匂いにまみれる。光太郎の「米久の晩餐」は次のように始まる。「八月の夜は今米久にもうもうと煮え立つ。」