>まあさん
エレベーターはいろいろと謎の多いところなのですが、交流直流の区別から
構造を推し量るとは思いつきませんでした。手元に喜多川周之コレクションの
写し(「大日本凌雲閣心図」)があるのですが、モーターの簡略図からは
線が三本出てます。SW上中下、と考えると、なるほど理屈に合います。ご指摘の通り、着床の作動はいちばん難しそうな問題です。運転手がいた
かどうかも書かれている資料が見当たらないので、どうやって停止させて
いたのか全くもって謎、です。NTT博物館のホームページの記事ですが、
登閣券や電話券を拾ったのが一人だったという新聞記事は確かにありますが、
「奪い合ってちぎれたため」というのはちょっとマユツバかなあと思っています。
電話サービスの詳しい内容もいまのところこれといった決定的記事がなく、
謎であります。どなたかこれはという資料をご存じでしたら御教示いただければ
幸い。
十二階のエレベーターの仕組みですが私なりに大体のつくりの考察を
してみたいと思います。
(この下の内容はあくまでも「仮説」です。ご注意ください。)まずそのヒントとなるものは、明治20年代に東京地区では
一般に電気を供給していたのは現在のように交流100Vではなく
直流で100V程度で送られていたということです。
(明治20年代に入り、東京地区に相次いで電灯局(いわゆる発電所)
がつくられ5ヶ所に増えました。当時の発電方法は蒸気エンジンと
エジソン型発電機のセットで直流式の火力発電。この5ヶ所の発電所の
合わせた発電能力は白熱灯9600個、アーク灯135個でした。)当時の電気の供給状況から考えると十二階のエレベーターに使われたのも
当然直流モーターであったといえるでしょう。ということは、直流モーターであるマブチモーターのように電源のつなぎ方を
反対にすると当然モーターも反対に回るはずで、同じようにモーターの接続を
その都度反転させて2つのかごを上下させたと考えられます。すると下記の装置があれば動かすための最低限なレベルのエレベーターの動作は
可能になります。3接点で2連のスイッチ
(2接点で2連のナイフスイッチでも可、というかこちらのほうが実装されていた
可能性は高い。かごの上下をこのスイッチ1機で操る、下図のSWおよびSW’)かごの床面激突防止用のフレームスイッチ(1階の床面に設置)
(両かごにそれぞれ設置、規定位置までくるとかごの下部に取り付けたピンに押され
スイッチが切れる。下図のFR1,2)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
簡略図(等幅フォントでご覧下さい。)FR2 SW
+)ーーーー+ー●↓●ーーーーーー●===●ーー+
| − ● : |
| +ー→● : (M)モーター
| | : |
電源側 | +ー→●===●ーー+
| FR1 | ●
+ー●↓●ーー)|)ー●
− | SW’
ー)−−−−−ーーーーーーー+FR1,2はかごそれぞれに対応するフレームスイッチ、
SW、SW’は運転スイッチで連動する。SW上:かご1が上がる、SW中:運転停止、SW下:かご2が上がる
FR1:かご1が1階床面までくると切れる、それ以外はつながる
FR2:かご2が1階床面までくると切れる、それ以外はつながる上の図の状態(SW上)ではかご1が上昇するが、じきにもう一方のかご2が
1階まで下がり、FR2を押されるとモーターは停止する。
そして(SW下)にすると、かご1は8階にありFR1はつながるので
反対にかご2が上昇する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーただし、このまま使えるのは模型工作レベルのエレベーターの話で
一般のエレベーターとなると、上記でいうフレームスイッチの運転時の精度※
やかごに乗る人数の偏り、その他の理由によりモーターの負担も変わり
故障の頻度も大きく変わる可能性はありますが。※:スイッチが切れるときに切れないと、かごが1階についた後も
モーターが動きつづけ過負荷となり寿命が短くなる。
またスイッチが入るときに入らないと、運転スイッチを入れても
モーターが動かない。十二階のエレベーターは故障が多いといわれますが、幸いそれにまつわる人身事故に
なる話が出てこないところを見ると上記の装置のうえにエレベーターの扉が閉まらない
とモーターが動かない仕組みもついていたのかもしれませんね。さて以前の書き込みの1階と8階との伝達手段ですが、下のP.Sでの電話設置の話と
実用性というものを考えるとベル+電話と同等の機能ががついているものがあった
というのが妥当な感じはします。(近くの係の人に知らせるという機能は光よりは
音でしょうし、内容を知らせるという意味では、伝声管では先端技術の電話機を
設置している建物としてはやはり違和感を感じることでしょう。)P.S
十二階には電話がついていたらしいですが、明治23年12月当時の東京横浜地区の
電話加入者表を見ても出てきません。
で、HPを見るとどうやら1階と12階に据え付けられていたみたいです。
(いわゆるインターホンもどき)ただ他にも説はあるようですが(9階にあるとか)..http://korea.park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_ht/KA002600_j.html
おそらく電話券は二つに切ることができて、通し番号もついていたのかもしれません。
P.S2
十二階ってトイレはあったのかなぁ?
なんとも嬉しい事を云っていただき。昔の写真にあって、今の写真にない物があると
私には思えます。そんな事もあって、つい性能の悪い古レンズ
を使いたくなります。
>玉村さん
十二階ペーパークラフト!あったら欲しい。それとも自分で作るしかないのか?単行本にも載せましたが、震災予防調査会の残した測量図はけっこう助けになるかもしれません。
吉原というと、斎藤真一の「吉原炎上」には、吉原から見た十二階の絵が何枚か描かれてました。
>石塚さん
御写真、さらに拝見、被写界深度の浅さ深さに夢の隙間を見ております。
>まあさん
毎度新たな情報ありがとうございます。リンク先の写真、いつの時代のものかわかるといいんですが引用元が書いてないのが惜しいですねー。
あとであれこれコメントしちゃいますが、その前にちょっと訂正。
昨日「添田さつきこと唖蝉坊」と書きましたが、二人は別人で、
同人どうしの関係でした。流生記を読み直して気づいた次第。
(追記:というか、「さつき」は知道の別名。唖蝉坊の一子、です。2001.08.05)
十二階からの眺めを撮った写真が下記のHPから見ることができます。http://www.tanken.com/ryoun.html
玉村様 インターネットという物は、面白い者ですね。お会いしているとの事、
失礼がなければよかったですが。
あのギャラリーは、どうしてお持ちだったか忘れましたが、十二階の模型をお持ちで、
区の施設に預けてあるとの事でした。撮影に使いたいと電話していただきましたが、
施設内の撮影しか許可してくれず、断念した憶えがあります。
オイルプリントは自分で保管していますので、販売は可能です。
ポストカードは作家シリーズは制作していませんが、作品集をそろそろ作れたらと
思い、出版社にあたってみようかと考えているところです。
細馬さん>
「花と怒涛」を観られたんですねー。でも往復4時間はすっごいです。昨夜は「花と怒涛」の12階を観ながら寝てしまいました。ホントあのイルミネーションいいですよねー。うっとりです。
ところで、先月「上野風俗資料館」の辻村ジュサブローの吉原人形展に行ったのですが、吉原という事もあって12階の写真が沢山ありました。それに12階のペーパークラフトもあって思わずほしい・・・と思い尋ねたら以前いた学芸員の方が製作なさったようでした。どこにも12階のペーパークラフトってないんですよね(泣)
石塚さん>
はじめまして!と申しましても以前「夜の夢こそまこと展」で浅草のefと青山のギャラリーでお会いして、2.3お言葉を交わしているのです。
「夜の・・・」ではじめて石塚さんの作品を見せて頂いて感動いたしました。(あまりにもリアルなので)あの土蔵といい素晴らしい演出でした。
その後、すっかりあのギャラリーが気にいってしまい乱歩のオフ会で(屋根裏の散歩者になったり)使用してしまったんです。勝手な希望なんですが、もう一度あのefで乱歩オンリーの人形展を計画なさっては如何でしょうか?
他の作家の方も好きなので楽しめたんですが、見逃した乱歩ファンも多いのです。
それと以前オイルプリントを販売なさっていたようですが、現在はなさっていないのでしょうか?ポストカードでも何でもいいんですが、石塚さんが製作なさった「乱歩もの」を是非購入したいと思っているのですが・・・。
KHさん、終末論のあのフレーズはちと力入り過ぎてるかなー
と思い、とっちゃいました。まあ、連載よんでた人だけの
お楽しみってことで。
>玉村さん
ってわけで「花と怒濤」を見てきました。やー、あのイルミネーションが消えるところがたまりませんね。往復4時間、映画1時間半。入館料より高い交通費、でした。
>吉野さん
正確な伝承、確かに驚きですね。さっき石塚さんのページを拝見したら、あ、やはりきちんと伝わっている。意外にわらべ歌って頑健。
>サトウさん
おこしやす。じつはBS契約してないので、全然知らなかったんです。わー、もし録画できたら今度見せてくださいー。ヴァナキュラーでアーミーなステレオ写真をお見せしますよって。
>まあさん
電車唱歌、これまた初耳でした。いまは地下鉄でいきなり雷門前に出ちゃいますが、昔は田原町あたりから先に十二階が見えて、あ、浅草だ、という感じだったんですねー。で、観音様には申し訳ないが、いきなり六区入りする人も多かったのかも。乱歩は金車亭に直行?
添田さつきこと唖蝉坊といえば、十二階下に反廃娼運動のクラブを作っていたとか。「花と怒濤」でバイオリン弾きながら書生節を唄っているのは実は唖蝉坊の姿なのかも。
>石塚さん
さっそくページに伺いました。じつは人形と知らぬまま、あれこれ拝見し、どうやって撮られたのか首をひねっておりました。乱歩の後ろの気球が!泣けます。
いろはにこんぺいとう話、小学生のやりとりがたまらんです。
「死刑台の階段は十三段でさ、登っていく時十二段あたりが一番恐いんだぜ!」「じゃあ十二段て言えばいいじゃん。それに十三段の方が絶対恐いよ!」伝説の誕生シーンのよう。十二階の何が想像をかきたてるって、「十二」という数字が固有名詞に入ってることだと思います。十二ってなんだ。じゃ、十一ってなんだ、十三ってなんだ、てな具合に数え上げたくなる数の魔。その意味で、このやりとり、実に本質をついてる感じがしました。
>enoさん
お世話になっております。四の五の(おっと数の魔だ)いわずに注文、です。宣伝部員組織します。
どもども。
新宿のABCでは2箇所で平積みでしたよ!
きっと一条寺の恵文社でも平積みじゃないかなぁ。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keibunsh/
時間があったら新宿紀伊国屋と池袋の何店かもひやかしにのぞいてみますね。
あ、そういえばここは行ったことないけど、いいかんじっぽいですよね。
http://abs@alchemy.club.ne.jp/まあ、本の流通はいろいろと・・・
でも、打席数が少なくてもヒットが打てれば打率は高いし。細馬さんの次回作ってなんだろう?予想できないから楽しみ。
私も地道にやります。あ、本の感想。「終末論」のときの書き出しがあまりにかっこよかったので
オミットされたのが残念。「終わりを見ることはできない。いつも見終わるだけだ。」
最高。つれあいもこのフレーズにはシビレてました。
あ、つれあいには「十二階」の帯の背の
「帝都のマルチメディア」ってコピーがウケてました(笑)
始めまして。乱歩、荷風などの作家像を造っております。
先日私のサイトでいろはにこんぺいとうについて、駄文を載せたばかりです。
昭和三十年代始め、東京都葛飾区某所で、聞き及んでいたのは、いろはに調査の
吉野さんという方の、バージョンとまったく同じでした。
十二階が何故恐いか不思議でしたが、押し絵と旅する男を読んで気がついた次第です。
十二階は明治大正期の観光スポットのひとつでした。
そして、その当時の風俗が歌として語り継がれることもあります。で、ここでは当時の明治大正時代の風景や風俗の織り込まれた2つの歌を紹介します。
明治38年に作られた「電車唱歌」と大正8年に作られた「東京節」という曲です。
まず前者の「電車唱歌」ですか、同じころ「鉄道唱歌」という列車が通る風景を
詩に託した曲もありましたが、こちらは東京市の宮城から靖国神社へ行く
道すがらにある風景や風俗などを織り込んだ52番まである曲です。
「電車唱歌」
作詞:石原 和三郎
作曲:田村 寅蔵(1〜6番略)
七、
浅草行に乗行かば
左に上野ステーション
走るも早し車坂(くるまざか)
清島町(きよしまちょう)をうちすぎて八、
はや目の前に十二階
雷門(かみなりもん)より下りたてば
ここ浅草の観世音(かんぜおん)
詣ずる人は肩を摩(す)る九、
五重塔よ仁王門
水族館よ花やしき
おどり玉のり珍世界
奥山あたりのにぎやかさ(10〜52番略)
一方、後者の「東京節」ですが大正の後期にかけて、東京の風物をアメリカの
ジョージア・マーチという曲に合わせて詩をつけた添田さつきの処女作。
震災後は「復興節」などのヒットとともに、被災した人々の勇気と希望を与えた。「東京節(パイノパイノパイ)」
作詞:添田さつき
(アメリカ民謡)(1番略)
二、
東京で繁華な 浅草は
雷門 仲見世 浅草寺
鳩ボッポ豆売る お婆さん
活動 十二階 花屋敷
すし おこし 牛 天ぷら
なんだとこん畜生で お巡りさん
スリに乞食に カッパライ
ラメチャンタラ ギッチョンチョンで
パイノパイノパイ
パリコト パナナで
フライ フライ フライ(3〜5番略)
ちなみにこの「東京節」は戦後もいろいろとアレンジが加えられ、たとえば
ドリフターズが「ドリフターズの東京節」としてレコードに収めたり、あるいは
「ラメチャンタラ」以降のフレーズを使ってかつての郷ひろみが「コロリ パイの実 ロッテパイの実」と
歌うおかしなCMを作る礎(いしずえ)にも一役買っている。(おいおい)
の連載小説『あぶり繪』に、ちょっとだけ十二階の話題が出てます。
「十二階下」の銘酒屋、の話です。
これが「女覗き」ですか?
こんにちわ、そしてはじめまして。
『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』ではお世話になりました。
(しかし、↑の訳者と『浅草十二階』の著者が同一人物だというのは、
ちょっと信じられない人もいるかも)「打席にも立たせてもらえない」の件ですが、注文しましょう!
お知り合いとか学生さんとか、買ってくれそうな人にまとめて
「××で注文してね」とお知らせしておくと吉です。
どんな書店だって、客注が5冊もまとめて入れば
「これは売れるのかも」と思うようになります。
でもって、地域でいちばん大きな書店というのは、
たいてい周辺のお店への影響力を持ってますから
(よその店主さんが最大店の売れ筋を見て品揃えする)、
とりあえず一店集中で注文を出しまくれば
じわじわと「打席に立たせてもらえる」チャンスは高まります。オンライン書店もいいですけど、まず地元の書店を大切にしないと、ですね。
『人はなぜコンピューターを……』も、よろしかったら
お近くの書店に注文を出してお買い求めくださいませ>みなさま。
はじめまして。>十二階計画掲示板の皆さん。
写真研究会の佐藤と申します。
>細馬さん
『ラスプーチンが来た』でしたか。チェックしてませんでした。家帰ったら見てみます。ところで、この間、スカパー(多分、MONDO21)を見てたら十二階についての番組をやってました。細馬さん、ご存じですか?
でも終わり間際だったので、ヴィデオは録れませんでした。でも、よく再放映するので、録っておきます。
>玉村さん
映画の「押絵…」は、原作の消えた兄とその弟を中心として描かれていますが、テーマは全く別のところに設定されています。「押絵…」が映像化されるというので期待半分不安半分で見に行きましたが、むしろ別物であることで自分の頭の中の映像とのギャップに苦しまずに済んだという気がします。なんだか消極的な肯定の書き込みになってしまいました。>細馬さん
早くも文献を見つけられましたか。やはり明治大正のころからある歌だったのですね。
それにしても、大正15年浦和市生まれの方の歌と、昭和35年大宮市生まれの自分の知ってる歌が、寸分違わぬのには驚きました。大宮・浦和付近では35年以上も変化せずに口承されてきたわけですね。
昨日、図書館に行く時間があったので、「いろはにこんぺいとう」
について少し調べてきました。ここに書くと長くなっちゃうので、
文書にしました。吉野さん、少し引用させていただきましたが、
事後承諾ご容赦。
ってわけで、KHさん(と呼ぶのもへんだけど)どうもです。
ぼくはまだ書店で売ってるのを見たことがありません。
「滋賀県下最大規模!」とでかでかと書いてある本屋が
近くにあるんですが、そこにもなし。ああ、打席にも立たせて
もらえないなんて。
細馬さん>
私は清順作品が好きなんですが「花と怒涛」はテアトル新宿で観ました。その後、ビデオ屋さんで発見して思わず、借りてしまいました。(あるところにはあるんですねー)「押絵と旅する男」は観ていませんが、都内と埼玉に2件あったんですが、原作が良すぎるので迷っていましたが、池谷仙克氏の美術ならば観なくてはなりませんねー。
見つかるといいですね。そうだったんですか!「夢見るように・・・」は木村威夫さんとは知らずに観ていました。)どーりで)