福助テーマソング!
タイトルからして、何か大事なものを忘れてしまってる感が
たまりませんね。しかも、すごい遠いところから攻めてる。
「ゆうべみゝずの 泣く声きいた」ですからね。
いちばん足袋から無縁な動物で始まる。いやあ、名曲だ。歌声の力の抜け方もすばらしい。
誰が歌ってるんだろ?エノケンにしては脱力が過ぎるし。
そういえばサトーハチローも「浅草の不良少年」ですね。
細馬さんこんにちは。
「浅草12階」、細馬さんの日記を参照するに、多分細馬さんより先に
手にしました。素敵な丁装でいっぱつでみつけました。あ、見つけたのは
新宿のABCです。エレベータからずいぶん広がりましたね。
細馬さんって楽しむのが上手だな、と読みながら思いました。
でで
わわ
福助のサイトでは、残念ながら十二階の広告については触れられていませんでした。
けれど結構自社の商標の歴史をまとめることに力を入れているようですので、写真を残しているか可能性も大ですね。
mp3で聞ける「福助足袋テーマソング」もなかなか味わい深かったです。
まあさん、どうもです。うーん、どれもこれも知らないこと
だらけで、いやはや、ぼくはまだまだひよっこでありました。
料理天国、ぼくもときどき見てたんですが、十二階が出てた
とは気づきませんでした。
女覗きのはなしは明治二十三年からエンエンとあるのですが、
その戦後バージョンが芳村真理だなんて・・・おもしろすぎる。で、「おおっ」だったのは、福助たびのお話。じつは浅草の
古老がみんな「倒れたときは福助たびの看板がさがってた」
というのですが、じゃいつごろからそれがあったのかと
聞くと「さあ・・・」って感じでなかなか年代が特定できな
いでいたのです。それがそれが、大正12年の5月頃からだったとは。
いやあ、情報感謝です。
どおりで絵葉書とか見ても残ってないはずだ。
箱型看板、というのもどんなだったのか、写真が残ってるかなあ。
福助たびの社史を当たるべきか?
私が十二階という建物を初めて知ったのは
かつて仁丹塔が解体されて浅草の名物が減るという
ことにまつわる特集をNHKのニュースの1コーナーで
取り上げられた時だったと思います。当然、その仁丹塔が模倣をした十二階についても
触れられており、現代の鉄骨の建物とは明らかに異なる
雰囲気が妙に印象に残ったものです。その後、9月1日の震災にまつわる番組や、まんがはじめて物語とか
でも色々と見る機会がありました。最近では知ってるつもりなどでも
見ることが多いです。 ですが、私が印象に残っている
番組としてはここでは「料理天国」という番組を取り上げたいと思います。この番組、毎週土曜日の夕方6時から30分間、TBS系列で放映
されていた料理番組でサントリーが提供していました。
(そういえば同名の料理酒も発売されていたっけ...)
この番組、毎回あるテーマに沿った料理が出てくるのですが
まず、3人の有名人がその場で自慢の料理を作りはじめ
その間に一流シェフ(故 小川先生等)が作った料理を紹介&試食したり、
ロケで一流レストランの料理をレギュラー陣が食べたりして
最後に3人の有名人の料理をレギュラー陣が試食するお料理バラエティ。
(現行の番組で言えば、おとな版モグモグGOMBOでしょうか?)芳村真理や西川きよし、龍虎(りゅうこう)、九十九一(つくもはじめ)
服部まこ等がレギュラー陣だったのですが、テーマの導入部分の「あのときの味」
というコーナーでは割と文明開化の時代の味も取り上げられることも多く
ある回では浅草十二階の話が出た後、レギュラー男性陣3人が簡単なセットの
エレベーターで上に登り、望遠鏡をのぞくとヌッと芳村真理のお顔がアップで
出てきました。(とっても強引な展開ですが...笑)
...するとレギュラーの男性陣はその芳村真理の顔を見ながら失礼な言葉を
言って、コケにするのでした。(ちなみに毎回お決まりのオチです。)
話は変わりますが、仁丹や福助ほ明治時代から宣伝活動は積極的でした。
いまだに結構古いほうろう看板が残っている地域があるといいます。
また、最近はあまり見ませんが以前は新幹線から景色を眺めていると突然、
白地に巨大な文字で「仁丹」だけ書かれた看板を見たことがあります。
(あれって決まって眺めのいいところに見えたりしたものです)
また福助は日本で初めてアドバルーンに広告を掲げた会社だといいます。さて十二階にも震災前に福助たびの広告がされていたといいます。
実はその広告はあまり掲げられることがありませんでした。
というのも、福助たびの箱型看板が十二階に掲げられたのは
大正12年の5月頃からだったからです。※
(つまり長くても震災までの4ヶ月弱の間ということになります。)※「広告事典」の巻末年表に記載
鈴木清順といえば「陽炎座」をはじめ、数々の美術を担当しておられる
池谷仙克氏も「押絵と旅する男」や「帝都物語」をやっておられて、
十二階と浅からぬ縁をお持ちです。ぼくはうかつなことにまだ
「押絵と旅する男」を見ていなくて、悔しい思いをしておりますが、
なんとか入手の道を探索中。どうも彦根はレンタルビデオが品薄で
こういうとき辛い。京都にいるときは百万石という強い味方が
あったのですが、何年か前につぶれてしまい、ショックでした。
玉村さん、ようこそ。
「花と怒濤」、この間見られたということはテアトル新宿ですか。
清順レトロスペクティブはプリントが美しくて、思わず全部見たくなります。
後ろ髪をひかれるように3日であきらめましたが、今度の木曜は大阪で
「花と怒濤」があるので、ぜひ行かねばと思ってます。美術の木村威夫氏は
後に「夢見るように眠りたい」でも仁丹塔を作っておられて、十二階とは
ゆかりの深い方ですね。一度お話を伺いたいと思いつつ、まだ面識がありません。
初めまして「名張人外境」経由でこちらを知りました。このようなHPをずっと探していましたので、もう感激しております!
12階にひとめぼれをしてから、やはり私の中での12階は大きな存在なのです。(それから乱歩に嵌ってしまいました)映画の「お竜参上」は仮想体験が出来きますし、「花と怒涛」はこの間スクリーンで見たばかりで、セットとはいえ、うっとりしてしまいました。
「喜多川氏」の随筆も昔から台東区の図書館にあると知りつつ、なかなか行けなくて・・・ですから(ちょっと興奮気味なんですが)このようなHPと本を出版された細馬さんに拍手をお送りしたい気持ちでいっぱいです。
吉野さん、どうもです。じつは「いろはにこんぺいとう」の話は、
吉野さんからメールをいただいて初めて気づいた次第。なにしろ
ぼくはこの歌を、矢野顕子の歌とくらもちふさこの
マンガのタイトルでしか知らないのです。で、やはり気になるのは二点「バナナは高い」と「十二階は怖い」ですね。
朝倉喬司のバナナの本に出てこないかなあ。十二階がなぜ怖いのか?
これもこの歌の成立年代によってかなり考え方が変わるかも、です。
バナナと十二階はセット、というのが基本なんでしょうか。ほかにも
バージョンがあるのかな。
まあさん、さっそくあれこれヒントをありがとうございます。十二階のエレベーターなのですが、たぶん、各階に止まるのではな
く、ご指摘の通り、ノンストップで一気に一階から八階まで行った
のではないかと思います。いずれ参考テキストとしてアップロード
しようと思ってるのですが、「工学雑誌」(明治二四年)に、この
エレベーターに載った感想が載っていて忽ニシテ轟然タル響ヲ聞クコト二分時ニシテ音静スレハ扉ヲ開キテ
小室ヲ出テ四方ノ窓外ヲ眺ムレハ夢ノ如ク九層ノ階上ニ達セリとあって(九層は誤りで八階でしょう)、
「夢のごとく」というあたりからして、たぶんノンストップで、
窓外の景色も見えなかったんじゃないかと推測しています。
ちょっと根拠弱いかなあ。
錦絵ではドアの上半分が厩舎のように開けて描かれていたり
しますが、これも図解のためなのか、実際に開いていたのか
不明。>>でも、上と下のエレベーターのかごが同時に動き出すので当然1階
>>だけでなく8階にも当然エレベーターを動かすための人がいるはず
>>なのでエレベーターに人が乗り終わったのをどうやってエレベー
>>ターを操作する人に伝えるのか?いやまったくです。モーターとエレベーターの間が電線でつながって
いたのだとすれば、二つのエレベ−ターの間も電線でつながっていても
さほど不自然ではないかと思いますが、合図はベルだったのか電話だった
のか(エレベーター内ではありませんが電話はあったとする文献もあります)
はたまた、ひもかなにかをひっぱったのか。>>どんなしくみで作られていたのか? 適当な設計で作っているわけ
>>ではないでしょうから(本当か?)、設計図ぐらいは電力会社の奥
>>底に眠っているかもしれませんね。東京電力の倉庫に眠ってないですかねえ。発掘されたら事件です。
>>十二階の内部の様子は錦絵以外ではほとんど出回っているのを見た
>>ことがありませんが、写真集「グラフィックカラー昭和史」(研秀
>>出版)のシリーズの「大正から昭和へ」という本に十二階について
>>の特集が2ページにわたって組まれており、その中に「エレヴェー
>>トル入口」の札の写真が小さく載っていましたわー、これ未見でした。さっそく図書館に行かねば。
私の知っているバージョンはまあさんの例に近いのですが、「蚤」から「うんこ」に至るまでが若干違います。「いろはにこんぺいとう こんぺいとうは甘い
甘いはお砂糖 お砂糖は白い
白いは兎 兎は跳ねる
跳ねるは蚤 蚤は赤い
赤いはほおずき ほおずきは鳴る
鳴るはおなら おならは臭い
臭いはうんこ うんこは黄色い
黄色いはバナナ バナナは高い
高いは十二階 十二階は恐い
恐いはおばけ おばけは消える
消えるは電気 電気は光る
光るは親父のはげあたま」子供心に「12階とはまた半端な階数だなあ」と思っていたのですが、つい最近になって漸く「あ、これは凌雲閣のことではないかいな」と気づいた次第です。
「いろはにこんぺいとう」でサーチしてみると、色々なバージョンがあるようで、これはやはり時代と地域による差なのでしょうか。ときに私は埼玉出身、1960年生です。
細馬様、はじめまして
まあと申します.。今に始まった話ではありませんが、近代でありながら
異次元空間とも言える東京があった明治大正時代の風景が
題材になっている創作作品って多いですね。秋元治先生のこち亀、TVアニメ版のはいからさんが通るの
中にも背景などで十二階が出たことがあります.>「いろはにこんぺいとう、の中に十二階が出てくる」
最後に「光るのは親父のハゲ頭」で終わる唄。
なんか本当に久しぶりに思い出しました.。いろはにこんぺいとう
こんぺいとうは甘い
甘いは砂糖、砂糖は白い
白いはうさぎ、うさぎは跳ねる
跳ねるはノミ、ノミは汚い
汚いはう○○、う○○は黄色い
黄色いはバナナ、バナナは高い
高いは十二階、十二階は怖い
怖いはお化け、お化けは消える
消えるは電気、電気は光る
光るはおやじの禿頭どうもこの唄は色々替え歌があるみたいで「高いは富士山」
というところもあるようです.
でも「十二階」だけでなく「バナナは高い」というところも
時代を感じさせます.。(今や100g10円位ですから)
しかし「十二階は怖い」の意味は高所だからなのか、それとも...?それにしても十二階のエレベーターは興味深いです.思いっきりテレビで
かつて数年前の11月の「今日は何の日」でも取り上げられてましたが
このエレベーターは「つるべ式」だと言ってました。
2台のエレベーターのかごが繋がっているという点でまず違和感が...
(各階に止まるのがすごく不便じゃないのかという現在のエレベーターの感覚
で思う違和感)
でも1階と8階だけに止まる、例えで言うと「垂直のロープウェイ」という
考えで作られているのであれば根本的な設計は「まちがいではない」のでしょう。
でも、上と下のエレベーターのかごが同時に動き出すので当然1階だけでなく
8階にも当然エレベーターを動かすための人がいるはずなのでエレベーターに
人が乗り終わったのをどうやってエレベーターを操作する人に伝えるのか?
当時導入されたばかりの電話を使うのか、それとも伝声管を使うのか?
または押しボタンとランプ(ブザー)を使うとか...
到着したときに自動的にモーターが切れるような仕組みがついてたのか
(少なくともついてたでしょうけれども)。
エレベーターは塔の中心部に作られていたが果たして外の景色は見えたのか?
(あるエレベーターの専門書によるとかごの大きさは高さ8尺、幅8尺、
奥行きは5.5尺だったという記述がある。)
どんなしくみで作られていたのか? 適当な設計で作っているわけでは
ないでしょうから(本当か?)、設計図ぐらいは電力会社の奥底に
眠っているかもしれませんね。P.S
十二階の内部の様子は錦絵以外ではほとんど出回っているのを見たことが
ありませんが、写真集「グラフィックカラー昭和史」(研秀出版)の
シリーズの「大正から昭和へ」という本に十二階についての特集が
2ページにわたって組まれており、その中に「エレヴェートル入口」の札
の写真が小さく載っていました
(残念ながらエレベーター本体は見えませんでしたが、親戚の家で見たことがあります。)買うほどのこともありませんが(というか入手困難?)、最寄の図書館で取り扱って
いたら見てみるといいかもしれません。
で、そのいただいたメールのひとつに
「いろはにこんぺいとう、の中に十二階が出てくる」
という御教示がありました。えー、つまり、
いろはにこんぺいとう、こんぺいとうはあまい、あまいはさとう、
さとうはしろい、しろいはうさぎ、うさぎははねる、はねるはノミ・・・
と続いて、途中でどういうわけか、「高いは十二階」というのが
出てくるバージョンがどうやらあるらしい。
というわけで、この歌ご存じの方、歌詞(?)情報募集しております。
ページの立ち上げ後、何人かの方々からメールをいただきました。
私一人で一人じめするにはもったいない話題もあれこれあり、
いっそ十二階に関心のある方々で共有しちゃおうかなと思って
掲示板を立ち上げてみた次第。十二階関連で何か疑問やご意見
がありましたら、ささいなことでもけっこうですんでお気軽に書いて下さい。
もちろん、ページの感想・ご意見そのほかよもやま話も。