はじめまして。
菅野力夫で検索し、お邪魔しました。
私も十数枚、菅野力夫を所有しております。
よろしかったら、私のサイトをご覧下さい。
まだ出来たばかりですが、これからドンドン大正時代の絵葉書コレクションを増やしていこうと思っております。
よろしくお願いします。
夏
石井さんのご論考拝読。グラビアではありませんが、写真がとても鮮明で
往時がしのばれます。石井さんが書いておられる通り、第二特集ともいうべき
充実の内容。十二階、バルトンに関心のある方はぜひどうぞ。
今月下旬から紀伊国屋サザンシアターにて文学座の「毒の香り」が上演されます。
舞台は関東大震災前、オペラ華やかなりしころの浅草が舞台で、十二階の姿が
ポスターに大きく描かれています。江守徹さん主演で、
オペラ、新国劇の微細な人間関係を描いて、おもしろそうな内容です。
ご興味のある方はぜひ。
じつは、当時の浅草についてパンフレットに小文をしたためました。
拙稿「バルトン撮影による幻の写真集『日本の戸外生活風景発見』」が掲載されています。谷根千エリアに絞り込んで、遠慮しながら原稿を書きましたが、編集部の質問に答えているうちに、第2特集のようになってしまいました。バルトン撮影の浅草六区の写真や、上野の花見風景、ほかに『日本の力士と相撲』からも2点掲載しています。谷根千工房HPで買えます。なお、来年はバルトン生誕150年に当たります。記念行事の企画も相談し始めており、皆さんのお知恵をお借りすることもあろうかと思います。よろしくお願い致します。
新美さん、どうも情報ありがとうございます。
さっそく拝見、いい図像が多いですね。とくに珍世界の幟はためく絵はがき、
あまりお目にかからないもので、明治30年代の六区はこうだったのかと、ゆかしく見ました。
解説も、日本語を解する人の手によるものと見えて、英語のサイトにしてはとても
詳しいです。
細馬 様
ご無沙汰しております、WEB浮世絵の新美です。
既出かもしけませんが、面白いサイトを見つけました。
http://www.oldtokyo.com/
ここの、
http://www.oldtokyo.com/asakusa.html
と、ページ2、3に合計7枚の12階の絵葉書写真があります。
その内の一枚は、12階から撮影した展望の写真でした。
今年の春に放送されたNHKスペシャルの「明治」がDVDになりました。
十二階の絵はがき映像資料の提供にちょこっと協力させていただきました。
じつは本放送は未見だったのですが、プロローグで浅草十二階の絵はがきや写真が
CG処理によって動いていました。これはぐっときました。
DVDには、このCG処理のメイキングも収められていてかなり興味深いです。
有難うございます。今後もウソばっかりで行こうかと思っております。
よろしくお願いします。
石塚さんの乱歩絵物語。いやこれはすばらしい。十二階もどーんと登場します。
感想は
http://www.12kai.com/diary.html
に書きました。
さっそく、書き込みいただいて、ありがとうございました。
そうですね。直接青山墓地に、お尋ねしてみます。
ただ、お役所系のところなので、個人情報保護法やらなんやらと
教えていただけないような気がしたもので・・・
でも、まずは聞いてみます。
こんにちは。
青山墓地で、中村さんにはお会いしたことがあると思うんですが、
あいにく連絡先は失念してしまいました。墓地にとてもお詳しい
方だったと思うので、直接青山墓地にお問い合わせになると何か
ヒントがあるかもしれません。あるいはどなたかご存じの方、
おられますか?
突然、恐れ入ります。検索で、3年ほど前のHPから
このサイトに関係があると思われる方の記述で
青山霊園に詳しい中村さんという方のことを見つけました。
私、NPO法人で青山霊園の外人墓地を守る活動をしているツダと申します。
現在、中村さんと至急連絡をとりたく、探しているのですが
なかなか連絡先がみつかりません。
どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんでしょうか
よろしくお願いいたします。
7-8月とパソコンの不調でしばらく掲示板をのぞいておりませんでした。
SPAMでえらいことになっていました。ちょっと掃除をば。
rin-sangさん、青蛙房と喜多川さんゆかりの方に書き込んでいただけるとは望外のよろこびです。いろいろご教示ください。
石塚さん、ご無沙汰しております。さっそく御著書注文しました。うちの玄関には表紙のモノクロ版ポスターがいまでもどーんと貼ってあります。
石井さん、今年はバルトン忌、失礼してしまいました。シカゴで買った写真集が届いたので、これ、ぼちぼちスキャンしてお目にかけようと思います。
2005年のバルトン忌は、8月7日(日)に日本下水文化研究会主催で開催されます。
午前の部・墓参は11時から。10時30分から青山霊園島村花店集合。午後の部は講演会。松枝におけるバルトンについて。13時30分より銀座区民館(東銀座、歌舞伎座裏)にて。会員外も歓迎とのこと。
初作品集が出版されました。
『押絵と旅する男』には十二階も登場します。
御笑覧下さい。
http://www.kimiaki.net/paroru.htm
喜多川さんの十二階関連文書に載っていないので、或いはご承知かもと思いながら・・・
私の持っている「浅草寺」(浅草寺教化部)第194号に、喜多川さんの「浅草寺を中心とした浅草(30)」、195号に(31)、200号に(34)が載っており、205号には載っておりませんが、どれほど続いたのか知りませんが連載しております。お知らせまで。
初めてお便りいたします。本は出たときにすぐ買って読んだのですが、こんな面白いサイトをなさっていたのは、昨日まで知りませんでした。そこで掲示板を見ていたら、ちょっと気になることがありましたので、或いはご存知かもしれませんが一言。萩原朔太郎の詩で浅草の十二いろはの三階の・・・これはいろは牛鍋店のことで、30数店の支店があったもので、理想はいろは48店だったのでしょう。木村荘八のおやじさんが経営した店のことです。
長くてすいませんが、もう少し。実は私、昔青蛙房という出版社におりまして、喜多川周之さんに可愛がって戴いたものです。喜多川さんからは、デパートの浅草展に出品した百美人の写真、及そのネガを戴き、いまだに持ってます。それと、12階の上から四方を写した写真も戴いております。もしご希望がありましたらご覧に入れます。
ながながと失礼致しました。
写真集『日本の屋外生活風景』(Scenes from Open Air Life in Japan)を入手しました。バルトンが撮影した14枚の写真に、漱石の恩師マードック先生の解説を添えたもので、カナダのメトロポリタン・トロント参考図書館で見せてもらったものと同じ本のようです。画像の仕上がりはイマイチです。このサイトで紹介されている青木の玉乗りの前から十二階を遠望した写真は、バルトン撮影で確定です。また、以前この書き込みで触れた、どこを撮影したか不明の「浅草風景」は、やはりこの本でも「浅草」とされています。ほかには浅草寺観音堂を撮影した写真、上野公園、向島の花見風景(というか酔っ払いたち)、牛車の農夫、長崎めがね橋などが掲載されています。ちなみに、喜多川周之さんが見たバルトン結婚記念の写真集とは別編集と思われます。
すばらしい研究で感服しました。
さっそくクラフトを作ります。
ありがとうございます。
『緋牡丹博徒・お竜参上』で嵐寛寿郎が演じた鉄砲久の親分は、浅草興行界で活躍した「鉄砲喜久」がモデルなのでしょうか? 油棚憲一著『鉄砲喜久一代』という伝記小説をゲットして、これから読むところなのですが。実在の鉄砲喜久は、堅気の顔役で、所謂ヤクザものではなかったそうです。ご当人は生前、どう思っておられたのでしょうね。
アメリカで、The Baker Street Irregulers International Series JAPAN AND SHERLOCK HOLMESという本が出ました。意外なことに、私が昔The Arthur Conan Doyle Societyの機関紙ACDに投稿したThe Adventure of William K.Burton in Japanという小論文が収録されています。意外なことにというのは、平たく言うと(?)、無断掲載なのですが、編者がホームズクラブ時代の大先輩たちなので、まあ仕方ないかと。江戸川乱歩や小酒井不木、甲賀三郎、長沼弘毅と同じ本に載るなんて、本来名誉なことなのですが。あと英語学者・安藤貫一によるコナン・ドイル会見記(ドイルが幼馴染バルトンの死を悼む箇所あり)も掲載されています。価格は4700円です。希望者は取り次ぎます。
いつも楽しく拝見させていただいております。
今後も皆様の研究の前進を傍らから応援させていただきます。
足跡を残しておこうと思い、書き込みました。
日記にも書きましたが、小川一眞が主に撮影したと思われる横浜写真を貼り込んだ
アルバムを入手しました。日本に郵送したので、帰ってからゆっくり検分しようと
思っていますが、有名な彼の両親の写真をはじめ、東京の手彩色写真多数。残念ながら
十二階写真はありませんでしたが、クオリティは高く、いろいろ調べがいがありそうです。
理知さん<
それはいいものを。うちにあるのはコピーを製本した各頁二つ折りのやつですが、
それもけっこう薄いですから、原本の薄さはいかばかりか。でもよく書棚から
引きましたねー。
ニヒルな旅人さん<
ご挨拶が遅れてすみません。
じつはまだパチンコ屋前の記念碑、見ておりません。春になったら
日本に戻りますんで、ぜひ見に行こうと思っております。
おひさしぶりでございます。
日記によればお宝を安く(?)手に入れたそうですが
私もとうとう、堀覚太郎の「エレベーター」の
原本を手に入れました。アメリカ風にいうと11ドル。
薄い本です。書棚から引っ張り出して見た瞬間
信じられなくて、意識が飛びましたね。
もう当分幸運は、やってこないと思います(笑)
はじめまして。
「凌雲閣」 を検索していて辿り着きました。
NHKで凌雲閣の存在を知り、以来どこにあったのか?と思っていましたが、この度その地の記念碑を見ることができました。
思ったことをページにしてみました。よろしければ一度ご訪問いただければ幸いです。
ここロサンジェルスはまだ元日です。
佐々木さん、今年もよろしくお願いします。
石井さん、え、そんなものができたんですか。
しかし、11月27日とは・・・
あけましておめでとうございます。昨日浅草へ行ったついでに、最近出来たという凌雲閣記念プレートを見てきました。どこにあるのか、随分探しましたが、映画館跡に出来たパチンコ屋さんの植え込みの中に、こじんまりとありました。それはそれで非常に結構なことですが、「11月27日」という日付はどこから出て来たのでしょう? でまかせでやっていると思いたくはないけれど、凌雲閣史跡保存の会をつくると言うのなら、正確にやって頂きたかったですね。
細馬さん
あけましておめでとうございます。
昨年は細馬さんを『あっ』と言わせるようなネタが
ありませんでしたが、今年こそは動画に続くネタを
探して参りますので、末永くお引き立てお願いいたします。
平成十七年 元旦
「ホームズ読本」は編集者の不手際で滅茶苦茶な内容になっています。お読みにならないほうがいいと思います。あの本を読んだ人は、私の事をジョン万次郎を陸軍軍医だったと思っている間抜け野郎だと謗ることでせう。せめて居酒屋の名前だと書いておけばよかった。
石井さま、さっそくご教示有り難うございます。
図書館から『優雅に楽しむシャーロック・ホームズ読本』も、借りてこようと思っていたところです。
遅いので、あらためまして・・・。
お尋ねの本は、小長久子著、日本歴史学会編『人物叢書 滝廉太郎』(吉川弘文館、昭和43年初版)です。ご参考まで。
細馬さま、ご教示有り難うございます。ご指摘のページで石井さんが言っておられる滝廉太郎の伝記とは、宮瀬睦夫『滝廉太郎伝』(大空社/1996.4)でしょうか。
この本には、
“(滝大吉が)多分ショサイヤコンドル博士の助手として働いていた前後のことであろう。浅草観音を中心とした繁栄策が考えられた時、パリーのエッフェル塔のようなものを建てようという議があった。イギリス人のパルトン技師が設計した。銀座の歩道をつくった残りの煉瓦が、吾妻橋の向う側の大名屋敷に積んであったのを利用して、十二階の煉瓦作りの塔ができ上がった。明治二十三年のことである。凌雲閣、浅草の十二階がこれである(大正十二年の震災で破壊)。滝大吉が一切の工事を監督してでき上がったのである。”
とあります。(人名表記はもとのまま。)
佐々木さん<
こちらこそご無沙汰しております。上野の山から十二階を眺める絵はがきはいくつか
存在しまして、往時をしのぶことができます。いまちょっと出張中なので手元にない
のですが、帰ったらまたいろいろアップしようかと思っております。
アリオーソさん<
拙著お読みいただきありがとうございました。瀧大吉の話ですが、
この掲示板の過去ログ
http://www.12kai.com/12kai/12bbs006.html
http://www.12kai.com/12kai/12bbs007.html
にちらと出てきます。
はじめまして。
『浅草十二階—塔の眺めと“近代”のまなざし』を読ませていただいた感激を、拙い感想のまま日記に書かせていただきました。(感想というより言葉足らずの紹介といった態のものですが。)
そこにも書かせていただきましたが、この奇怪な建造物の設計、建築に至る経緯よくわからない点があるようで、その点も興味深い読ませていただきました。
ご報告まで。
〔追伸〕
すみません、この細馬さんのサイトまだゆっくり拝見してません。すこしづつ読ませてください。
では・・・。
拙日記;↓
細馬さん、ご無沙汰しております。
先日亡父一周忌法要のため浅草に行ってきました。ちなみに当家の墓所は
東上野6丁目近辺で私の曾祖父が明治37年に墓を建てた模様です。(過去帳から)
ウチの寺も古いらしく中には東京大空襲で焼夷弾の火を浴びた墓石がまだ残って
います。さすがに十二階時代の墓石は皆無だと思いますが、その頃はここから
十二階が見えてご先祖様も眺めていたのか等々、考え深いものを感じました。
十二階が取り上げられました。新聞記事をひとつひとつ押さえてあり、
映像も豊富で、短いけれどよくまとまったコーナーでした。
ちなみに、従来、開業日を11/10としている資料が多く、日本昇降機協会が定めた
エレベーターの日も11/10に設定されています。しかし実際にはこの日は来賓の都合で
開業は行なわれておらず、11/11に行なわれました。
このあたりの詳しい経緯や、じっさいのエレベーターの形状については
拙著「浅草十二階」(青土社)をお読みいただければ幸いです。
10月14、16日の読売新聞には(九月の記事とは矛盾するのですが)
「十月に竣工せしものなり」との記事があり、10月1819日に開業式を行なう予定だったことが記されています。ただし、この開業式は、「雨天のため足場その他周囲の取り片付け等に手数を要し」という、ちょっと不明瞭な理由によって延期されました。
明治23年9月23日の読売新聞3面に以下のような記事があります。
浅草公園内にて昨年中より工事中なりし凌雲閣の外部は漸く落成して昨日より外部の足代を取除けたり。又構内には種々の樹木を植付け尚七草をも植込み料理店の新築等に従事し遅くも本月中には悉皆を竣了して来月上旬開業式をなすべき筈なりといふ。
しかし、じっさいは開業が遅れ、11月になりました。
こちらの記事をどうぞ
http://www.12kai.com/12kai/kidou.html
たぶん10月のどこかのタイミングだと思います。
この日に竣工したという決定的な記事はないので、正確な日はちょっと分かりません。
竣工といっても、てっぺんのレンガが置かれた日、内装が完了した日、エレベーターが
設置された日、などいろいろな段階が設定できますので、これといった決めてはない
んじゃないかと思いますがどうでしょう。
11月11日に開業、というのがいちばん確かな日付だろうと思います。
お教え下さい。
浅草十二階の中では、何か催しが開かれて
いたのでしょうか?百美人とは、ミスコン
みたいなものだったのでしょうか?
記録上、落成した日あるいは完成した日というのは、10月何日になるのでしょうか?
詳細な回答ありがとうございます。私個人としては「凌雲閣が完成した日」をやりたかったのですが、以前当番組では「日本初のエレベーターが完成した日」で放送しており、「凌雲閣のエレベーターを試運転した日」での放送は微妙なところです。
10/27は、新聞記者など一部の人を招いて凌雲閣のエレベーターの試運転を
行なった日といえるんじゃないでしょうか。じっさいにはこのときはエレベーターは
稼働せず、モーター部分だけを動かして記者陣に見せたという記録が残っています。
凌雲閣の建物じたいが完成した日にちは10月といえますが、
じっさいに開業したのは11/11です。これは当時の各種新聞を照らしあわせて
検証したのでかなり確かです。なぜ10月に完成した建物の公開が遅れたかというと、
日本初のエレベーターの稼働が遅れたせいではないかと思われます。じっさい、
10月から11月にかけて何度もエレベーターのトラブルが報じられています。
浅草陵雲閣の落成が明治23年10月27日だという説があります。真偽の程はいかがでしょうか?前記の日付に裏づけが取れたら「きょうは何の日」にて「浅草陵雲閣の落成した日」として放送したいと考えております。落成の日取り、もしくは陵雲閣がらみで10月27日に起こったことなどご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
通りすがりさん、どうもありがとうございます。
電話の件、東京電燈の社史にもさらりと書いてあるだけでだれが
設置したかきちんとわかっていなかったのですが、これでまたひとつ謎が解けました。
なんと沖電気の創業者とは。それにしても、社史がPDFで閲覧できるとは
便利な世の中になりました。各社社史、けっこういい資料になるんですが、
本棚を重くしております。
日本の電話事業がはじまってまもなく凌雲閣にも電話が設置されたのは有名ですが
その電話設備やアーク灯、避雷針などの工事を請負ったのは当時の沖電機工場の
創業者 沖牙太郎のようですね。
電話は1階と12階を繋ぐものでインターホンみたいなもののようですが。
沖電気の社史に記載されています。(PDF形式)
http://www.oki.com/jp/
会社情報トップ > 会社概要 > 沖のあゆみ
> 社史「進取の精神 -- 沖電気120年のあゆみ」
細馬です。7日参加予定。大迫さんにはじつはまだお会いしたことがないので
ご挨拶するよい機会になりそう。
十二階の設計者でもあるW.K.バルトンを追悼して毎年開催されている「バルトン忌」ですが、今年は来る8月7日(土)、日本下水文化研究会の主催により開催されます。
午前の部は、11時より青山霊園の墓前にて献花(青山霊園入口・島村花店待合室集合)。
午後の部は、JR・地下鉄・市谷駅近くの(社)日本水道協会・水道会館会議室にて、2時より講演会(講演は国立科学博物館・大迫正弘氏「明治21(1888)年 磐梯山噴火の幻灯写真」)、また石井も手持ちのバルトン関連資料から、最近入手した珍しい画像をご紹介します。会員外も歓迎。午前あるいは午後のみの参加も可。
その記事知らなかったです。しかし、90歳の女性ということは
たぶん渋谷さんという方でしょう。著作をお送りしましたので。
図書館に行って確認してみます。
ホームズクラブ会員の林ナオミさんが切抜きを送ってくれたのですが、「創刊120年 東京新聞の軌跡『日々激動』」の21回、22回が「浅草十二階」(6月4日、7日に掲載)です。後者は実際に十二階に登った女性の回顧談です。今年90才というその女性の手元には、細馬さんの著書が写っていますので、ご存知だろうとは思いますが、念のため。
近代建築及び古建築めぐりをしています。毎月、第二土又は日曜日の午後、現地に集まり、関西の近代建築物 (駅舎、喫茶店、大学、学校、和風建築、寺院、寺社、産業遺跡、教会、銭湯、醤油醸造会社、酒造会社、を含む)を中心に、名庭園、水琴窟、町屋、寺内町、史跡、資料館、美術館、博物館、企業博物館、石橋、木橋、煉瓦橋、鉄橋、戦争遺跡、廃線跡、廃墟、B級グルメ及び古建築巡りをし、その後飲み会を行っています。ROMも歓迎しています。入会金、年会費は無料です。近代建築探検家クラブ関西本部びから たいしょう bikara_2@hotmail.com http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=i2600449
石塚さん<
毎日玄関を出るとき「帝都上空」のポスターを見ているのでちっとも
ご無沙汰してないような気がするのですが、よく考えるとすっかりご無沙汰しております。
明治40年の世界放浪自転車野郎記事という菅野ルーツ的記事を見つけたのですが、これまた
いつアップできるやら。
虫博士<
どうもです。ロスト☆マイウェイ、東京で見ようと思いつつ上京ならず。関西に
来るでしょうか。ところでトンボのオスは交尾の前に胸のスポイトで自分の精子を
吸い上げます。虫博士に説法。
おぼえてらっしゃいますでしょうか。昔、インセクト・タブーのライブでお世話になった虫博士です。『たかがバロウズ本』を読んでいて、EVさんのお名前を発見し、テクテクと検索をしていてたどり着きました。いつかまたお会いできればと思います。
失礼しました。
ただいま夢野久作制作中です。戦前の九州帝大医学部の卒業アルバムを
入手して造る事に決めました。そうこうしていて思い出すのは菅野力夫ですね。
毎度、レスが滞っていてすみません。
雑誌「ユリイカ」に絵はがき連載を始めました。コレクターとしてはひよっ子の私、
いかに絵はがきの快楽をずばっと書きつつ、蒐集家の方に「ほほう、そういう
こともあるのか」と言っていただくか、毎回悩ましいところです。
忘れた頃にコメントを。二ヶ月ごしのものもあったりしてすいません。
板倉さん<
菅野絵はがき、やはりあの風貌は独特で気になりますね。過去に
このBBSに関係者の方が何人か訪れておられますので過去ログにもご注目を。
石井さん<
コレクタの方が亡くなられると情報の散逸が気になりますね。丸ごと図書館か
博物館に寄贈、即公開というのがシロウトにはアクセスしやすいのですが。
温池さん
神田伯山情報ありがとうございます。講談は浅草>金車亭>乱歩、とどこか
十二階な雰囲気漂うジャンルであります。木馬亭で十二階の出てくる講談を
聞けないかなあ。
ホームページ見ました。以前からこの人の存在が気になっていたんですよ。検索サイトでたどりつきました。
私の持ってるはがきには珍しくヒゲの生えていない、しかもめがねをかけた菅野氏が
写っています。なんでも明治天皇が崩御されたときからヒゲを伸ばしはじめたそうです。
昭和7年にヒゲをそったとあります。わざわざ髭剃り記念のショットを葉書にしなくてもいいのに。やはり菅野氏ならでわの自己主張なんですね。
別の葉書には「菅野探検家 写真12800枚の内」
と書かれています。全部が全部葉書になってないと思いますが相当な種類がありそうですね。
http://www.12kai.com/12kai/links.html