嚢に三萬五千哩の無銭徒歩旅行を企て朝鮮、南満、台湾、南清、印度の各地を経て、波斯に入り奇禍に遇ひて空しく帰朝したる、菅野力夫氏は爾来大方の援助を得て再挙の計画中なりしが愈よ大正三年八月一日を以て東京を出発し東海、四国、山陽、山陰の各地を遊歴し九月下旬に入り敦賀より浦塩に渡航し蒙古に入り中央支那を経て香港に出てマニラ、ジヤワ、スマトラ、セレベス等の南洋諸島を踏破する予定なりと写真は同氏が東京日比谷公園前より当に出発せんとするところなり
(当方所持の『歴史写真』大正3年9月号写真説明より)
大勢の人が同じ帽子を上げ、力夫君を見送る所、愛輪を前に菅野ポーズを決めています。日の丸をはあるのですが、「宮田製作所」の名はなく、途中で動く広告塔をつくったのでしょう。徒歩は無理とわかり、スポンサーを募った所が彼らしい?
近くの公立図書館に、石瀧豊美著「玄洋社発掘 もうひとつの
自由民権」西日本選書C 西日本新聞社発行がありました。
添付資料に玄洋社社員名簿(13種類の資料から作成)があり
ましたが、その中には菅野力夫の名前はありませんでした。
細馬様
博覧会の歴史について御教示いただきありがとうございます。
>彼は相当量の博覧会絵葉書を持っているのですが
>もしかしたら鉱山展示の話もご存じかも。今度話を向けてみます。
是非、お願いします。
遅ればせながら、ご著書の「浅草十二階」を書店に注文致しました。
非常に楽しみです。
剛田さん<
ううむ、平井評価、専門家には必ずしもポジティブではない様子ですね。
「壷中庵異聞」に関していえば、書き手の関心は資料のすばらしさをもち
あげることにはなく、蒼太のオンナ感、「せんちめんたる」な文章に
あるので、資料の価値とは独立にいろいろ考えさせられる小説です。
国技館菊花記事ありがとうございます。「地方芸妓」のくだりは
仙台芸妓のハツトセ踊りのハガキと対応するので、まさに新聞記事
通り、という感じです。
そしてそして、ついに菅野新聞記事!手元に短銃を構えた菅野絵葉書
があるのですが、なるほど、寄贈されたのを誇らしげに見せているの
だとすればナットクのポーズです。
博覧会の歴史に関しては橋爪紳也氏が膨大な資料を
駆使していくつもの本を書いてますが、「日本ランカイ屋列伝」によれば
産業振興を目的とする博覧会は大正時代から昭和初期にかけて各地で盛ん
に行われ「中毒傾向」と呼ばれるほどに一般化した、とのことなので、
たぶん、産業展示としての鉱山模型もそうした文脈で行われたのでは
ないかと思います。彼は相当量の博覧会絵葉書を持っているのですが
もしかしたら鉱山展示の話もご存じかも。今度話を向けてみます。
無銭旅行者菅野力夫氏は第二回世界無銭旅行の準備中なりしが愈よ今一日正午日比谷公園より出発し東海道より四国に渡り、浦塩を経て世界を一周する予定なるが、氏の行を壮んにせんが為本所区菊川町宮田自転車店より自転車一両、大倉銃砲店より六連発短銃一挺、服部時計店より懐中時計一個を寄贈し、力行会其他後援会等は日比谷に参集して見送りを為すと云う…大正3年8月1日「萬朝報」より。力夫は、マスコミをうまく利用し、ちゃっかりと、自分とスポンサーの宣伝をしています。他紙もよく調べないといけないのですが、自分で絵葉書と経歴書を配ったのでしょう。これを載せるもの、うさんくさいとして黙殺するもの、それぞれのスタンスがあっておもしろいと思います。
僕は、菊花大会の絵葉書を40枚くらい持っていますが、両国国技館と大阪国技館だけで、浅草は未見でした。当時の、「萬朝報」「都新聞」を見ると、ほぼ同時に、両国国技館、浅草花屋敷でも、菊花大会が行われています。「都」10月1日付では、「▲浅草国技館の菊花大会 十月一日より開館市内及び地方の藝妓其他各演藝名人會等の余興あり演藝場には菊人形「日蓮記」「乃木大将実歴」を雪月花三段返しに見せ盆栽の陳列もあり一日の余興番組は…(以下略)」とあり、連日記事が見られます。菊花大会の実見記は戦前の雑誌「相撲」にたまに出ており、その雰囲気を髣髴とさせますが、そこまで手が回りません。
角力情報ありがとうございます。平井蒼太は女相撲研究家で、昭和8年小冊子「見世物女相撲志」(限定百部、現物確認済み、コピーあり)と、没後の昭和47年に豆本「おんなすもう」を出版しています。僕は、女相撲研究まで立ち入る勇気がありませんので、簡単に申しますが、雄松比良彦という人が、平井をボロクソにこき下ろしています。いわく、「その立論・内容は全く目茶苦茶で、むしろなにも書いてくれなかった方が、世間を誤らずはるかによかった。」「現に、最近出た某知名作家による、平井氏を扱った一種の追悼小説があるが、これは氏の江戸時代研究(?)を、かかるオリジナル仕事と思い込んで、賛嘆しているような次第。」等々。もしかしたら、後文は、「壺中庵異聞」のことかも。(読んでいないので、勝手なことはいえませんが。)
以上のことについては、執筆の背景等、精査していませんので、わたしの意見は差し控えます。
細馬様
昨日、迷ったすえ、A店のレジ横から菅野力夫絵葉書セット
2000円を買いました。その絵葉書には、
(菅野探検家寫眞一萬二千八百枚の内)
と書かれていて、それだけ沢山写真を撮影すれば、まあ、
絵葉書の題材は事欠かないと思いましたが。
鉱山絵葉書については、その存在については以前より知って
おりましたが、私も、実物を見たのはSAWADA氏のページが
はじめてで、実際に集めはじめたの今年の1月からです。
鉱山大模型館については、当時沢山開かれていたらしい、
色々な博覧会(そんな博覧会の絵葉書良く売ってますね)の
一つのパビリオンではなかったのではと考えてます。
当時、絵葉書もブームと同じように、(絵葉書の数から言
って)、今では想像できないほど多くの博覧会があったの
ではないでしょうか?
絵葉書が当時の最先端のメディアであったように、博覧会
も、現在の我々が想像できないような、位置をしめていた
のではないでしょうか?
そんなところも謎ですね。
手元にある浅草国技館の菊花大会絵葉書をアップしました。
下記リンクから。なんというか、菊人形の写真って独特の
しょぼさが・・・。
日記に書きましたが、喜多川周之がらみで富岡多恵子
「壷中庵異聞」を読んだら、なんとこれが乱歩実弟の
平井蒼太をモデルにした話で、女角力の話もあれこれ
出てきました。
拝見しました、鉱山絵葉書ページ。塔の絵葉書ばかり
集めておりましたが、まさに足下をすくわれた思い。
絵葉書けがれなく道けわし。鉱山大模型館にも、ジオラマ
パノラマ好きとして興味しんしんです。
菅野鉱山探偵説、イメージわきますねー。
細馬様、剛田明治様
さっそく、レスありがとうございます。
初代鴻之舞鉱山の鉱山長にして、鴻之舞の命名者でもある
吉田久太郎は玄洋社の四天王と言われたそうです。また、
頭山 満も、北海道枝幸の砂金山の鉱区を取得しているよう
です。
もしかしたら、菅野力夫の探検も、海外で鉱山・炭鉱の調査が目的
の一つでは?
鉱山絵はがきについては、SAWADAさんの「鑛山絵葉書」の
ページ↓が、あります。そちらの掲示板でも、書かせていた
だいております。
http://woodybell5.hoops.livedoor.com/index.html
続編を作りました。といっても、手持ちの絵はがきを
並べてばかりですが。
剛田さんの持ってる揮毫集、たぶんぼくの持ってるのと
同じだと思うんですが、福島安正の書がでーんと上に
あるのが、元祖「世界探検家」に敬意を表してる感じで
おもしろいです。他には、明石「放屁」元治郎の書も
見えます。
しかし、剛田さん、もう冒険世界と武侠世界チェック済み
ですか。速い! あとあやしいのは「探検世界」「輪友」
あたりでしょうか。
金山さんようこそ。
鉱山絵はがきというジャンル、初めて聞きましたが、
絵はがきに鉱山、鈍色の山とか暗がりとか
いろいろ頭の中で想像が広がる組み合わせです。
よろしかったら絵はがき話の一端をおきかせください。
A店には壁側のカウンタのそばにときどき袋物の
菅野が置いてあって、行くたびに「これを買ったら
菅野道だよなあ」と思って手をつけずに帰るのですが、
それでも気がついたらバラで何枚か買ってました。菅野おそるべし!
星新一「明治・父・アメリカ」「人民は弱し 官吏は強し」にも菅野力夫はでてきません。石塚様の絵葉書の、星一のまる囲いがない、同じ風景の絵葉書は持っています。
「菅野=中村春吉説」は顔の違いと、行動日程の違い(春吉、大正9年5月渡仏、大正10年10月渡米、12年フランス、関東大震災で帰国。力夫、大正12年1月から14年8月まで「世界一周旅行」など)や原籍地の違い(春吉、広島県。力夫、福島県)などから、無理があるのでは。
金山様の揮毫の絵葉書はもう1種類あり、そこには7人分、犬養毅、河野廣中などがあります。当時の単行本の中には、半分近くが名士の揮毫のものも結構あり、どれだけ深い関係にあったかは、それだけでは何ともいえない所でしょう。
力夫が「冒険世界」「武侠世界」に完全に無視されていたと思われるのも気になる所です(目次などで見る限り)。また、当時の暴露雑誌を探せば、菅野力夫の名が出てきそうなんですが。たとえば、「うきよ」に「南極探検隊の支離滅裂」と題し、白瀬中尉の話が出ています。
はじめまして、金山好夫と申します。
今年の1月から鉱山関係の絵はがきを集めています。
2週間ほど前、Aスタンプで100円絵はがきのみかん箱
の中から、「世界探検家 菅野力夫」を2枚見つけてしま
いました。強烈なインパクトのため、気になっていた
のですが、今日とうとう検索してみたら、こちらがヒット
しました。10月21日のアップということで、なんという
偶然か、はたまた因果かと驚いています。
かこちゃんさんが、玄洋社の頭山満のことをお書きに
なっていますが、私が持っているうちの1枚は、
「世界探検家 菅野力夫 過去第一第二の両回及今や三回
の征途に上るに際し天下数百の名士より贈られたる芳墨中
の一部なり」
(旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに変換)
で、5枚の墨書の写真があります。
その墨書を書いた人の中に、頭山 満の名前があり、
菅野力夫は玄洋社の同人ではと想像していました。
玄洋社の同人に吉田久太郎という人がいるのですが、
彼は、「東洋一の」金山、北海道鴻之舞鉱山の初代
鉱山長で、玄洋社については以前より関心がありま
した。
こんなところに玄洋社つながりがあるとは、夢にも
思いませんでした。
今後とも菅野の謎が解明されること楽しみにしています。
ところで、菅野力夫には「世界」「自転車」「無銭」「旅行」といった
単語がつきまとうのですが、ここでピンと来るのが、明治四十年代に
押川春浪の聞き書きで有名になった中村春吉。その行状については
横田順彌氏の「明治バンカラ快人伝」に詳しいですが、菅野は春吉
ウォナビーだったのでしょうか。それとももしや菅野=春吉?
石塚さんのページの菅野写真に「星一」(星製薬社長、星新一氏の父親)の
名前があって、あれ、と思い、「明治人物伝」などひっくり返してみましたが
菅野なし。夢野久作「近世怪人伝」はどうだろう。ああ、調べるものが大杉。