十二階計画掲示板012


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菅野話 投稿者:細馬  投稿日:10月23日(火)00時29分48秒

石塚さん<
ページ拝見しました。縦書きのキャプションがいかにも菅野。
しかし、みなさんどこでこんなに・・・やっぱり神田のA店でしょうか。
菅野絵はがきは、同じ写真を二枚組み合わてるものもけっこうあるので、
それも別に数えると相当量ありそうです。
なんだか日の丸をつけた宮田製作所の自転車(キャプションでは
「愛輪」)の写ってる満州の写真とかあるんですが、どうやって運んだのか謎。

剛田さん<
どうしてどうして次々にそんな新情報が。その「探偵小説緋桜」未読です。
参ったなあもう。十二階から落ちてるという点も飛び降りの嚆矢として
たいへん気になるところ。国図のデータベースで調べると・・・あれ、ない?


菅野力夫/凌雲閣 投稿者:剛田明治  投稿日:10月23日(火)00時11分59秒

細馬様、石塚様<
菅野力夫の画像拝見いたしました。楽しませていただきました。僕は、力夫関係のもので、絵葉書の袋を5種類、絵葉書を40種類弱、文字違いや色違い、ダブりを含めると60枚以上ありますが、それでも、未見のものが5枚ありました。いったい何十種類(百を超す?)出ているのでしょう。
凌雲閣を題材にした小説のはじめは何でしょうか。とりあえず、明治26年刊の「探偵小説緋桜」が最初の部類でしょう。口絵もバッチリ十二階が出ています。十二階から人が落ちている絵なので、読んではいませんが、そのような話なんでしょう。


お邪魔します。 投稿者:石塚  投稿日:10月22日(月)07時15分06秒

いつも拝見しています。
菅野力夫。興味深々で御座います。
私も身辺雑記にてカラー版の六枚を。
http://www.hf.rim.or.jp/~kiamiki/rikio.htm
テプコ電気館できたら伺いたいと思っています。

http://www.kimiaki.com/


菅野ページつくりました 投稿者:細馬  投稿日:10月22日(月)02時12分39秒

菅野ってニコニコからもっともほど遠いキャラだと
思うんですが、ニコニコしてますか。その顔見たいなあ。

それにしても、この掲示板読んでる人の中には、「菅野って
誰よ!」と思ってる人もいるでしょうから、菅野ページ
作っちゃいました。下記リンクをたどると菅野の顔(非ニコニコ)
を見ることができます。

http://www.12kai.com/12kai/sugano.html


ニコニコ2 投稿者:剛田明治  投稿日:10月21日(日)22時51分57秒

雑誌『ニコニコ』に、菅野力夫のニコニコが見られます。いわゆる「第二回海外踏破実況」(題名は絵葉書より、大正3年)の宣伝を兼ねてのものと思われます。2号連続で出ています。そんな簡単に、ニコニコするんじゃ、たいした人でないと思うかもしれませんが、この雑誌は、誰にでもニコニコさせるんです。ニコニコ主義の鼓吹、ニコニコ宗の布教、透視術の紹介、長面大会など、誰もを幸せにさせる誌面の裏では、母体である不動貯蓄銀行の破産、それに伴う、裁判、トラブルなど、人間くささを感じさせます。
それはそれとして、以前菅野力夫の絵葉書を古書目録等で注文したら、結構はずれました。全国に結構ファンがいるのかな。推定10人未満。十二階の絵葉書も、異常な値段で出ることがあるので注意が必要です。


来月11月11日は 投稿者:細馬  投稿日:10月18日(木)22時03分00秒

十二階が開館してちょうど111周年。というわけで、現在、
このめでたい日に、テプコ電気館で不肖私が浅草十二階を
ああでもないこうでもないと話す、というイベント計画が
進行中です。詳細が決まったらこの掲示板やページで
お知らせします。


あれこれ 投稿者:細馬  投稿日:10月15日(月)01時19分15秒

北川さん<ようこそ。
菅原都々子(の父君)の話、ありがとうございます。
さっそく本を注文しました。月がとっても青いから、
というのはその陸奥明の作曲でしたっけ。

LOROさん<
じつはまだ衣装展示の件、打ち合わせてないんですよ。
ちと巻上さんにお尋ねしてみます。


質問 投稿者:LORO  投稿日:10月15日(月)01時07分50秒

すみません,静岡でボロット&巻上コンサートを主催するLOROです.
今回のコンサート,アルタイの衣装の展示もありますよね.
そのとき,どのように展示されるのですか??
いつも聞くばかりですみません・・・.


以前「Cartoon Music!」でファンレターをだした者です。 投稿者:北川千晃  投稿日:10月13日(土)23時56分49秒

ここでは、はじめまして。
話題が錯綜しかかってるところにすみません。

店頭でふと手にとった、菅原都々子の伝記『月がとっても青いから』。
ちょっと拾い読みしていたら、「十二階下」に関する記述を発見しました。
父君の陸奥人氏が浅草オペラにかかわっていたので、そのあたりのからみです。
エノケンの名前などもでてきます。

以上、とりあえず報告まで。

http://www.toonippo.co.jp/bunka/bun2001/bun20010709.html


菅野力夫 投稿者:剛田明治  投稿日:10月10日(水)23時48分23秒

僕も菅野力夫のことで質問。菅野関係の絵はがきを50枚近く持っていますが、世界一周旅行の絵はがきが第三回(大正14年)までです。それ以降の消息が分かるのでしょうか。第4回、5回も行っているのでしょうか?旅行の前後に、日比谷公園(公会堂?)で、絵はがきと本を配ったと言う話を聞いたことがありますが、本(小冊子?)は果たして存在しているのでしょうか?


そういえば 投稿者:石井貴志  投稿日:10月 9日(火)23時00分32秒

・・・・・・超ド級のデマがありました。探検家リチャード・バートンの相棒にしてライバルのキャプテン・スピークは、バルトン親子と親しく、バルトン少年をモデルに『赤毛のウィリー君』という小説を書いたというのです。ひょっとしたら、腕白アーサー君も出てくるかもしれないと、世界中のドイル研究者に探索を依頼しようとした寸前、あれはデマだそうです、と伝わって来た訳で、あやうく大恥をかくところでした。まあ東北大学の幻のバルトン文庫も、せっかく仙台まで行ったのに、署名入り本1冊に終わりましたし……。詳しくは『下水文化研究』掲載予定の拙稿をご覧下さいませ(出版は来年?)。


菅野情報 投稿者:細馬  投稿日:10月 9日(火)22時07分48秒

かこちゃんさん(でいいんでしょうか)<
ようこそ。さっそく菅野情報ありがとうございます。
玄洋社がらみとなると、ますます興味が募るところですが、
その菅野の話、何かものの本に書いてあったりするでしょうか。
よろしければご教示下さい。


風太郎風妄想 投稿者:細馬  投稿日:10月 9日(火)21時49分59秒


「で、せっかくご推薦いただいたものの、いささか不安な
のです。何より燈台建設の経験のない私につとまるかどう
か」
「いや、ご心配はいりません。私の父も、今でこそスコッ
トランドじゅうの燈台を受け持ってはおりますが、もとも
とは燈台建築の教育など受けておりませんで、義祖父に現
場で習っておったくらいですから。」
「しかし、それは若い御時分から実地に学んでおられたか
らでしょう。わたくしはもう27ですし、鉄道ならまだし
も燈台となりますと。しかもサムライがクーデターが起こ
したばかりの国で、そもそも燈台を建てるなどという事業
が成り立ちますかどうか」
 「クーデター?」
 それまでつまらなそうにしていたルイ・スティーブンソン
が急に口をはさんだ。
 丘の上は猛烈な冬風が吹きすさんでいる。眼前にはエジ
ンバラ港が開け、靄の向こうに遠く、スティーブンソン家
の建設した燈台がほの見える。トマス・スティーブンソン
は最近、日本からの依頼で技術師を紹介することになった
のだが、クーデターが起こったばかりの日本に送り込むと
なると、腕もさることながら、見も知らぬ国で仕事をやり
ぬくだけの精力と気骨が必要となる。全くの若造でも困る
が、かといってなまじこの国のやり方に染まってしまった
人間にも苦痛な仕事だ。そこで、鉄道技師として最近頭角
を表しつつあったこのヘンリー・ブラントンに白羽の矢を
たてたのである。
 その半ば相談、半ば散歩の場に今年18になる息子のル
イを連れてきたのは、そろそろ家業に目ざめてくれれば
という思いもあってのことなのだが、ルイは、代々続い
ている燈台建築という家業がどうにも重荷らしく、ふだ
んは何を言ってもはかばかしい返事がかえってこないの
だが、どうしたわけか、海の向こうの異国の話となると
、急に目の色が変わるのだった。
 「そう、このクーデターというのが実に複雑怪奇なもの
でして、サムライ・オブ・サムライの政権を、別のサムラ
イたちが転覆して、サムライ・オブ・ミカドの政権を立て
たということらしいのです。なんでも、その折にあちこち
でずいぶん血生臭い争いが起こったそうで、そのサムライ
・オブ・ミカドがこのたびどうやら広く外国から新しい技
術を導入することになったらしいのですが、長く国を閉ざ
していたせいか、まだ外国人には偏見の強い土地柄だそう
で、どうかすると、何もせぬのにサムライに切りつけられ
るなどという噂もありまして、なんとも物騒な場所らしい
のです」
 と、ヘンリー・ブラントンは苦笑して、
 「どうです。坊ちゃんも、よろしければ私と一緒に参り
ますか」
 と、ルイの傍らにいる子供に目くばせをした。
 「ほんと? じゃ、ぼくは写真師になってあげるよ。」
 「これこれ、おじさんはお仕事で来てるのだからあまり
お話のじゃまをしちゃいかんよ。」
 連れ立って散歩に来ていたこのバルトン親子は、別に燈
台関係者というわけではない。父親のジョン・ヒル・バー
トンは、写真の趣味を通じてスティーブンソン家に時折出
入りしていた。当時この新たな文明の利器を使いこなせる
アマチュアはまだそれほど数が多くなく、スティーブンソ
ンは他の写真愛好家と、どの薬品を使うのが定着がよい、どの
カメラのレンズシステムが集光力がよいなどといった知識
を交換するのを楽しみとしていたのだった。それはおそら
くは、燈台のレンズシステムへの関心に相通じるていたの
だろう。
 子供は半ば本気になっているのか、父親に軽くたしなめ
られてもなおも続けて「大丈夫だよ、お父さんのやり方を
見てだいたいのことは知ってるから」などと大人びたこと
を言う。この子供、ウィリアムは、やがてブラントンと同
じくお雇い外国人として日本に渡り、凌雲閣という日本一
の煉瓦塔を設計することになるのだが、このときはただ、
遠いインチキースの燈台に、異国のサムライの姿を重ねて
、淡い空想にひたっているばかりであった。まして、この
ときの言葉どおり、日本において写真家として名をなし、
日本写真会の創設者にまでなろうとは、いよいよ知る道理
がない。


つぎつぎと 投稿者:細馬  投稿日:10月 9日(火)21時28分37秒

剛田さん<
いやあ、次々出てきますね。ということは巖谷小波も開館当時に
上ったということかもしれません。「波の足音」巖谷大四
によると、小波は明治二十年から没するまで日記をつけて
いたそうで(たいそう難解な走り書きだそうですが)、もしか
したら上った話が書いてあるのかもしれません。「波の足音」
じたいも、この日記をもとに再構成した小波伝なのですが、
これには十二階の話は出てませんでした。


(^オ^)(^ハ^)(^ツ^)(^デ^)(^ス^) ♪ 投稿者:かこちゃん  投稿日:10月 8日(月)23時15分19秒

(^オ^)(^ハ^)(^ツ^)(^デ^)(^ス^) ♪
書き込みさせていただきます。サテ、菅野力夫を知っています。玄洋社の頭山満のもとで孫文・蒋介石、時の政治家(総理から陸軍大臣まで)などと交流がありました。強い人です。
今で言えば、諜報部員として、世界各地をまわり、土壌を調べ、風土を調べ、日本国家に尽くし、又、青少年育成に力を注ぎ、ブラジル移民に持てるものを発揮しました。
終戦後、サット身をひくところなど、日本の男の見本だと思います。

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