浅草を写した写真に「明治三十年代半ば」とか「明治四五年以降」といったキャプションがついていることがある。浅草のことを調べ始めたとき、まず不思議に思ったのは、キャプションを書いた人がどうやって年代を推定したのかということだった。
新聞記事などを追って建物について調べているうちにその根拠は分かった。浅草十二階と浅草六区は、建物の変遷がひときわ激しかった場所だ。だから、写っている建物や景物を手がかりにすれば、年代を絞りこむことができる、というわけだ。
まず、「浅草国技館」を手がかりにしてみよう。
新聞記事によれば、明治四五年二月に、浅草十二階のすぐそばに回教風の建物「浅草国技館」が建つ。この国技館は大正三年四月に改修され、「遊楽館」という日活系の映画館になる。さらに大正六年には芝居小屋「吾妻座」として再スタートする。が、大正九年三月に焼失してしまう。
つまり、国技館が写っているかどうかか、そしてその看板が「浅草国技館」か「遊楽館」か「吾妻座」かによって、その写真の撮影時期がおおまかに推定できる。この絵葉書でやってみよう。
まず十二階のすぐ左に、なるほど回教調の建物が見える。建物をルーペで見ると、看板がかかっていることがわかる。文字は鮮明ではないが「館技國草淺」と読める。だから、この写真は少なくとも、明治四五年二月以降、大正三年四月以前であると言える。
->(2)清遊館を手がかりに
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