浅草国技館の変遷(3):大正元年、報知新聞社主催全国菊花大会
大正元年十月一日から十一月三十日まで行われた報知新聞主催
「浅草公園国技館全国菊花大会」絵葉書から。
公園入口第一門
余興曾我廼家一座のラブレース
金色燦然たる身延山門の真景
菊人形乃木大将留守宅
メモ:一枚目の門、急ごしらえとは言え、馬鹿でかい。二枚目、ポーズを取る曾我廼家五九郎(?)の足下の床模様に注目。床なにやらサラセン調だ。この他、余興としては柳橋美人の扇獅子、仙台美人ハツトセ踊りなどの写真もある。三枚目、身延山門は国技館前にしつらえられたものだろうか、周囲が写されていないので不明。菊人形の中では、殉死 (9.13)後間もない時期の乃木大将夫人の菊人形が目をひく。とはいえ、実際には揚巻助六、田原藤太百足退治など、その内容はゴッタ煮である。この菊花大会についてはおそらく報知新聞に記事が載っているものと思われるのでさらに調査をする予定。
2001. Oct 24
追記:読売新聞の大正元年十月一日の記事には以下のようにある。
十月一日より開館の同会は本館及び演芸場前の表飾りを龍宮城、春日神社、身延の山門とし本館前を余興場とし新橋、よし町、柳橋、日本橋外市内重立ちし場所の芸妓京阪、仙台、新潟、宇都宮、水戸等の芸妓及び新奇俳優も出演すべく菊人形は「日蓮記」「乃木大将実歴」を雪月花三段返しに見せて大隈伯大谷伯の盆栽を陳列する由
つまり、身延山門は館前にしつらえられたものらしい。
2002 May 2
表紙 | 口上 | 総目次 | リンク | 掲示板