今度浅草公園凌雲閣にて江崎禮二氏が工風を凝して撮影したる小児一千七百名の写真画をジヲラマに仕組み陳列したるに意外の好評を博したるに付明日より同閣内に於て右写真画の専売をなすよし。また来十一月八日廿日両日の酉市に限り登閣料を半価に引下ると云ふ。 (読売 明治二三年十月一八日)
江崎礼二が1700人の子供の顔を張り合わせた写真は、日本で最初期のコラージュ写真としてよく知られている(確か東京都現代美術館にもこの写真が展示されているのを見たことがある)。その写真が浅草十二階に飾られ、販売までされていたというのだから、十二階は百美人に続いて、画期的な写真展を催していたことになる。 「ジオラマ」に仕組んだというところが興味深いのだが、果たしてどんな「ジオラマ」だったのか。数々の早取り写真で知られる江崎礼二は、浅草公園の開発にも資金を提供し、明治三十年の時点では凌雲閣株式会社の社長もつとめていた。 (2002. 05.31)