▲十二階から
 △十分二銭の双眼鏡で
 △長澤中尉の雄姿を望む

昨夜は初夏の月が澄んで桔梗色の空は匂はしいまでに透いた。この分なら大丈夫飛べるに違ひない、薄ら明りの地上を俥で走つて、浅草十二階の頂辺(てっぺん)へ -- 中野気球隊からやって来た井門曹長はもう双眼鏡を手にして
▲尖塔の外廓に立つ てゐた、時に午前四時三十分、地上六尺で見る地平線をここ二百二十尺の高所に持上げると、茫々夢の色におかされて更に限界が解らない、無態(ぶざま)の東京の寝姿も、紗のやうな朝靄を通してキネオラマでも見るがやう、六月の風邪は快く頬を撫でる、特に公衆の為めに開放された十二階は、五時を過ぐる頃から賑うて来た、而て頻りに下界の人と怒鳴り合ふ「飛んで来たかーッ」「飛んで来たーイ、観音の鳩が・・・・・・」東天には青い星が空中唯一の実在であるかのやうに輝いてゐる、これも何時しか光を隠すと「スコシ靄が濃くなりましたな」井門曹長は双眼鏡を拭ふ、「何うしたんだらうな、また中止じやないかしら」斯(こ)んな言(こと)が、幾人かの人に幾度か繰り返されて時計は正に六時三十分、と見る地上には
▲赤塗りの伝声管 を手にしたカーキー服が現れて「中野気球隊よりの電話--靄のため気球の試験出来ず、若干遅れるかも知れません」井門曹長は同じく管を口にし「よろしい、解つた」その声はワーンと響いて暁の街に拡がる、時に西北の風二米突(メートル)、靄は次第に晴れ行く、九時廿七分靄全く晴れて和らかい太陽の第一光線は、まづ階上慣習の面に映えた、九時三十分「徳川式第三飛行機は九時廿三分所沢を出発す」続いて「同二十七分モリス、フアルマンも出発せり」との通報があつた、ソレ来た、観衆の視線は磁石のやうに北方に向つた、井門曹長、藤村軍曹は敵艦見ゆとの報にでも接したかのやう、すべての注意を双眼鏡の裡(うち)に籠めてゐる、記者も十一階目の爺さんから借りた「十分間二銭のボロ眼鏡」を取り上げた、「九時五十分電話--モリス、フアルマンは今気球隊の北方八千米突の所に在り」その声も終らぬに、突如井門曹長は叫んだ、「見えたッ」と見る遥西の雲際
▲道灌山の辺り にボツチリ浮かんだ弾丸黒子!喜悦の声は観衆の口を衝いて出た、壮絶!快絶!曹長は地図に照らして地上に信号する、「五時三十分千住町通過、高さ約五百米突、同五十五分北豊島郡隅田村に入る、六時一分、南葛飾松戸村の南方を経由し市川に近し」とイヤ早いこと機は再び小さく小さく何時か眼界を逸して了つた、吁この空中の権威者、長澤中尉に祝福あれ!
(読売、大正二年六月一七日)






六月十六日飛行将校長澤中尉は予定の通り所沢鴻台間往返六十哩の大飛行の壮挙に功成せり、図は同中尉がファルマンに搭乗将に鴻台に降下せんとする所にして左図は着陸後気球隊長徳永中佐に報告を為す所なり、因に岡中尉は発動機に故障を生じ引返す。(『時事写真 大正三年の巻』毎日通信社に掲載の写真記事)


 岡本一平の「十二階より観たる飛行機」という漫画漫文を初めて見たとき、はたしてそれがユーモアのなせる虚構なのか、実際にあったことなのかわからなかった。軍隊長が十二階に上って飛行機観察というのは、いまでいうなら、自衛隊員が東京タワーや通天閣から上空を観測するようなもので、いかに当時の十二階が並外れて高い場所だったとはいえ、あまりに呑気な感じがしたからだ。
 しかし、この新聞記事を見ると、一平のマンガはけしてフィクションではなかったことがわかる。曹長の報告内容もほとんど同じだ。世俗の塔十二階では、まだ陽ものぼらぬうちから、一般観衆も曹長も同じ階上から飛行機を待っていた。朝の四時半から九時五十分。ずいぶん気の長い取材だ。

 「何したんだらうな、また中止じやないかしら」という声があがっている。じつは三日前に、同じように大飛行が予定されながら、天候険悪につき中止となったばかりだった。このときには「▲黎明の帝都を俯瞰す△十二階から見た夏の街△飛行機待呆の副産物」(読売、大正二年六月一四日)と題された記事が載った。その様子はというと

 ▲赤襷(あかだすき)で甘酒の接待 同閣では昨暁に限り特に開館時前に飛行見物の希望者を登攀せしめ第十一階までを自由に開放したので物見高い連中の眼をこすりこすりやつて来るのが三人あり五人ある。甘酒の接待も特に赤襷によつて用意され床机に腰をおろして皆朝飯前の腹腸(はらわた)に一杯熱い味(あじはひ)を賞する。
(読売、大正二年六月一四日)


 と、さしたる人の入りもなく、なんとものんびりしたものだ。これと似たような景色をどこかで見たような気がして、はたと思い出した。そう。日曜早朝の浅草は場外馬券場そば。競馬新聞片手に牛丼屋に集う人々だ。

2002 May 2



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